2003.1.25　榎原均

　島さん、といっても一度壇上でしゃべっているのを聞いただけだ。それで、ずっとブントを引きずっている者の一人として、未来への提言を準備する思想的課題について報告をして追悼に代えたい。

　いま、ヘーゲル弁証法の転倒について考えている。60年安保闘争にブントとしてかかわることでマルクスを知り、そして素人にもわかるような弁証法についての概要を書くという、マルクスがやり残した仕事に関心をもっていた。
『資本論』初版本文価値形態論の解明が進むことで（拙著『価値形態・物象化・物神性』参照）、思惟抽象と事態抽象とのちがいが判明し、双方で弁証法の論理が異なっていることがだんだん明確になってきた。
　それで1996年から「哲学の旅」と名付け、西田哲学から始めて、ハイデガー、レヴィナス、ローティ、カント、アドルノとたどって、ヘーゲル弁証法転倒の手がかりを探してきた。（論文についてはHP参照）
　そしてヘーゲル弁証法転倒の作業に取り組んでみて明らかとなったことは、ヘーゲル弁証法にあっては、対立物の同一性、ということが矛盾して措定され、この意識の両極にある対立物を意識の契機とみなし、この二つの契機をバネとして展開される意識の運動を弁証法として叙述したわけだが、この矛盾の措定をひっくり返すと、絶対的な他者の同一性、ということになることだ。
　一般に他者というと、同一性のうちの区別とみなされるので、それとは別の他者を絶対的他者と呼び、そして、この絶対的他者相互がもつ関係を措定する。たとえば対象と自我とはお互いに絶対的他者であるが、この双方が意識というもので関係づけられるとき、双方が意識の契機とされることで同一性が形成される。この場合の同一性はこの意識の関係のなかでしか成立していない。
　では、矛盾を対立物の同一性ではなく、絶対的他者の同一性、というように措定しなおすと区別（差異）はどうなるだろうか。それはレヴィナスが云っているように唯一性となる。こうなると意識は、ヘーゲルが考えたような両極におおいかぶさる絶対的なものではありえず、唯一性をもった絶対的他者相互の関係がとり結ぶその内部での同一性として限定されたものとなるだろう。そして、意識は人間の種々の社会関係のうちの一つの特殊な関係だ、ということになる。

　人間の社会関係は、意識の関係のみにとどまるものではない。だが商品交換といった経済的関係にしても、また、法的関係にしても、意識という契機を切り捨てることはできない。だからヘーゲルのように、対象と自我双方の本質的な内容を意識の二つの契機とみなし、意識の弁証法の普遍的妥当性を主張することも起こりうる。ヘーゲルはこの見地から、概念論において、一般化する力をもっている思考の働きをその根拠として、普遍性、特殊性、個別性という諸概念の論理構造をすべてに妥当する絶対的なものと考えた。
　しかし、いま明らかとなったのは、アドルノの云うように、対象のうち、意識のうちに取り込まれていない「あるもの」の方が大切であり、対立物の同一性ではなく、絶対的他者の同一性が問題なのだ。対象と自我、という絶対的他者相互が意識によって関係付けられたとき、対立物の同一性というヘーゲルが明らかにした意識の弁証法が生じてくる。しかし、これは意識関係の内部のことであり、その外部では双方は絶対的他性にもとづく唯一性を区別としてもっていて、こちらの方が大切なのだ。
　そうだとすると、意識の弁証法自体が特殊性に属し、普遍的なものと個別的なものとの関係は、それぞれの特殊な関係の領域において、独自に考察しなければならないものとなる。たとえば人間の社会関係の一種であり、特殊な関係である商品交換者相互の関係を考えよう。ここではすべての商品所有者が、商品金で自分の商品価値を表示するという、無意識のうちでの本能的共同行為をおこなうことで、商品金が貨幣とされる。この関係では個物としてある自然物金が、この自然素材のままで、一般的購買力という社会的な力をもつにいたる。しかしこの力も価値関係の内部だけで生じていることで、商品交換のない社会では、金は金属としてあっても、それが貨幣としての力をもつことはない。

　商品交換者相互の経済的関係という特殊な社会関係の領域では、個物がこの関係で形態規定されて、一般的購買力という一般的なものの化身とされる、ということがある。そして、この一般的なものの化身とされた個物との関係で、他の個別の商品が自分たちの一般性を示す。この構造は意識関係にもあてはまらないだろうか。
　ヘーゲルに従って、自我の対象に対する関係を意識と考えよう。そうすると、自我は絶対的他者としてある対象との意識関係において、個別の対象を一般的なものの化身としてしまう。そしてそうすることで、個別の対象は、意識のうちに取り込まれてしまう。その帰結は意識を一般的なものとみなし、対象を特殊性と個別性を構成する素材と考えるヘーゲルの立場である。
　しかし意識関係に特殊性を見いだすと、個別的なものそのものを一般的なものへと形態規定するこの意識の働きを、意識の両極にある自我と対象それぞれの唯一性を抹消することなく捉えることが可能となる。つまり、自我と対象という絶対的他者相互のあいだに成立している意識関係において、意識の上での同一性はこの関係のうちでしかなく、差異はこの同一性の外部にある唯一性だとすれば、一般的なものも、この意識の外部にあることになる。
そうだとすると、レヴィナスが主張しているように、唯一性をもった個は、意識の関係を取り結ぶ以前に、それに先だって一般的なものを形成してしまっていることになる。レヴィナスにあっては、この一般的なものは人間の倫理的関係であり、それは意識では捉えられない他者の顔、汝殺すなかれ、というメッセージを含んだ顔で象徴されている。
　意識がつくりだす一般性自体が特殊的な領域でしか成立し得ない、という考え方は、カントが発見した、人間の悟性にともなう超越論的仮象によってたえずあざむかれる。つまり意識で一般的なものを捉えられる、ということが、対象そのものの属性であるかのように意識にとっては思い込まざるをえないからだ。
　とはいえ、レヴィナスが主張する知解に先だって成立している倫理的関係、意識の外に成立している主体を解明していくことで、意識の転倒性が明らかとなり、このことをテコとして、ヘーゲル弁証法の転倒も可能となるのではなかろうか。

　結論を急ごう。矛盾を対立物の同一性と捉えるヘーゲル弁証法を転倒すれば、新たな矛盾は、絶対的他者の同一性となる。矛盾をこのように措定すると、区別は意識の契機とされた対立する両極ではなく、両極の双方がもつ唯一性となる。そうなると両極を媒介する意識は、その一般性という見せかけにもかかわらず、それは意識の関係という特殊な領域におおいかぶさっているに過ぎないことになる。
　そこで唯一性をもった絶対的他者相互が、意識される以前に一般的な関係を形成しているとすれば、この個の外にある主体、つまり社会は種々な特殊な諸関係によって個を結びつけており、そしてそれらの諸関係にとっては、意識はヘーゲルのように一般的なものとしてではなく、逆に契機として位置づけられることになる。そうなると、一般的なものとされている類も、特殊な関係に於ける唯一性をもった個と個のかかわりによって、意識の外で（無意識の働き）つくり出される、ということにならないだろうか。
　60年ブントにあっては同一化がすべてであって、差異とか唯一性とかに関心が向いていなかったように思う。その行き着く先として「内ゲバ」もあったのだろう。いま、アメリカが同一性の論理で、アフガニスタンを空爆している。こうしたなかで、絶対的他者の同一性と唯一性、そして類的なものは意識のように一般的なものとしてあるのではなくて、意識の外での個と個のかかわり方によって、都度つくりだされている、というヘーゲル弁証法を転倒した新たな思考でもって、新たな運動をつくりだし、未来への提言をおこなっていきたいと考えている。

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Author: admin Published: 2006/1/5 Read 2306 times