韓国での日韓社会的企業セミナーに参加して

前書き
韓国に興味がない方は後半の「障害者労働研究会レジュメ補足」と「レジュメ補足解題」をご覧ください。若者調査と関係しています。

　2009年11月6・7・8日ソウルで開催された日韓社会的企業セミナーに参加しました。共同連と韓国障碍友権益研究所の企画でした。
韓国は初めてでしたが、人々が明るく生活している様子でその原因を考えてみると、民主化宣言から20数年、民間人の大統領が選ばれてから17年、97年のIMF危機も短期間で乗り切り、労働運動や市民団体の活動も盛んでした。
　社会的企業の法制化を日本で進めていくために、韓国の事例に学ぶことが必要だと考えて参加したのですが、07年に成立した社会的企業育成法に関わることだけではなく、韓国の福祉制度全体の動向にも興味を持ちました。それで『ASSB』誌（第17巻5号）掲載の「韓国の福祉レジームに学ぶ」を書き始めたのですが、その後第15回障害者政策研究全国集会（12月6日）での、障害者労働研究会が担当した分科会に出席し、報告をしました。報告は準備中の韓国の福祉レジームに学ぶというテーマで準備したのですが、それだけでは物足りなくて、レジュメの補足をつけ、当日の報告は補足中心に話しました。
　このような経過で、まず、障害者労働研究会のレジュメとその補足を掲載し、補足については新たに解題を付け加えることにします。

障害者労働研究会レジュメ

2009年12月6日　

韓国の福祉レジームに学ぶ

　11月7・8・9日にソウルで行われた日韓社会的企業セミナー（主催、韓国：障碍友権益問題研究所、日本：共同連）に参加しました。そこで韓国の社会的企業育成法制定以降の社会的企業の状況について報告を受けました。その時に韓国の福祉レジームについて関心をもち調べたところ、日本での社会的企業法制定に向けた活動に参考になる事柄があることに気づき報告します。（このセミナーではドゥフルニ教授の報告もありました。）

Ⅰ　韓国の福祉レジーム
１．韓国の今日の福祉レジームは、制度としては、97年IMF危機以降、金大中政権によって、IMFのガイドラインによる新自由主義的政策を導入したのと並行して作りだされた。
２．この福祉の制度が、新自由主義的なものか、あるいは国家責任を強化した福祉国家的なものか、という点を巡って「韓国福祉国家性格論争」が起きた。
３．金大中政権が作り出した福祉制度は、次のようなものである。国民年金改革においては、その適応範囲を全国民に広げた。医療保険制度では従来の組合方式から単一の制度に統合し、保険料の負担の公平化をはかった。雇用保険と産災保険では従来の制度の適用範囲を拡大し全賃金労働者に行き渡るようにした。そして国民基礎生活保障法では、従来の制度からパラダイム転換を図り、恩恵から権利としただけでなく、労働能力の保持者も対象とし、ワークフェアを盛り込んだ。
４．しかしこのように制度的には完成されたものの、雇用保険や医療保険や年金などに参加できない人々が大勢いて新しい階層化（制度に基づく階層化、あるいは制度自体の階層性ではなく、単一の制度における加入者と非加入者という階層化）が引き起こされている。
５．韓国福祉国家性格論争においては、大きく分けて、金大中政権の福祉政策「生産的福祉」が実現したものの性格を巡って、新自由主義的か福祉国家的かという見解の対立となった。その際の判断の基準はエスピン・アンデルセンの福祉資本主義の三つの世界（自由主義：英米、保守主義：独仏、社会民主主義：北欧）であり、労働力の商品化推進（新自由主義）か脱商品化（福祉国家）か、という尺度が採用されていた。
６．金大中政権の福祉政策の目玉は国民基礎生活保障法であり、この法律に労働能力ある人々に対するワークフェアが盛り込まれているために、労働力の商品化推進が認められ、新自由主義的政策だという判断を成立させることとなった。
７．論争の中で、アンデルセンのモデルで韓国の事例を分析すること自体が無理ではないかという見解が出された。ケインズ主義が健在であった頃のヨーロッパがアンデルセンのモデルが導き出された分析対象であり、今日では反ケインズ主義である新自由主義とグローバリズムが席巻しているが、それはアンデルセンの分析の想定外だというのである。イギリスの第三の道、これもアンデルセンのモデルの想定外であるが、福祉国家を推進してきた社会民主主義自体がリニューアルされてきているのだ。
９．このような脈絡の中で、研究者の間では、アジアを対象にして福祉レジームの新たなモデルを創造することの必要性が提起されるようになっている。
10．また、韓国の社会的企業育成法制定の過程そのものも参照されるべきである。国民基礎生活保障法が適用された、労働能力ある人々へのワークフェア政策が自活共同体を作り出し、社会的仕事作りへと進んで、社会的企業育成法推進の運動が市民団体により推進される際の土台となった。
11．韓国の社会的企業育成法制定の過程と、韓国福祉国家性格論争での研究者の上述のような問題意識は、日本での労働・福祉レジームを構想するときに不可欠な教材であると思われる。

Ⅱ　日本での労働・福祉レジームの設計に向けて
１．ギデンズの評価が必要である。ギデンズ・ブレアの第三の道は、新自由主義が席巻して以降の社会再生のプランであり、社会民主主義のリニューアルという意味を持っている。第三の道には新自由主義への屈服という批判が多いが、それは伝統的な社会民主主義の立場からのものだ。ただし第三の道は政権党の政策であり、ギデンズの提起も下からの運動としてはあまり考慮されていない。
２．政権を担当しているイギリスの労働党が、第三の道で社会民主主義のリニューアルを成し遂げたとすれば、あらゆる思想や運動体もリニューアルすることを迫られているのではなかろうか。労働運動は社会運動ユニオニズムに、協同組合運動は社会的経済の創造に、またその他の種々の運動体もリニューアルを迫られている。
３．共生型経済推進フォーラムの課題としては、サードセクター創造に向けた具体的な方策を社会的企業を軸に組み立てることであると考えている。従来の福祉の枠組みをリニューアルした、労働と福祉が一体となった生活のシステムの設計と実践が問われている。
４．韓国が、国民基礎生活保障法に基づくワークフェアから社会的仕事作りへと進み、社会的企業育成法の制定へと向かっていった事を考慮するなら、日本でも障害者団体やホームレス支援の団体が仕事作りを提起しつつ、社会的企業法を要求していく時代に入っている。また、法制定を、社会的に不利な立場の人々の共通課題として押し上げていくための仕掛けづくりが、連合や労福協レベルの課題となっている。そして非営利・協同セクターやNPOやその他の市民団体を含んだ国民的運動を準備していくことが問われている。さらに政権党となった民主党には、新自由主義が破壊してしまった日本社会の再生が、政府レベルでの政策として具体化されることが問われているのだが、その際には社会民主主義をリニューアルしたプログラムを掲げることが必要だろう。リニューアルとは、いろいろな団体や運動が連帯できる場の形成という課題の実現である。

障害者労働研究会レジュメ補足

2009年12月6日

１．団結から連帯へ（運動の現実から）
　団結　個々人の運動のベクトルを同じ方向に向けていく。政治権力の奪取あるいは政治的意志統一がベクトルの方向。個人が主体で同じベクトルに向けていくことが主体形成。意志の力による運動の統合。階級政党の時代。
　連帯　ベクトルとしては様々な方向を向いている個々人が、一つの力を形成していることを実感することで形成される。シングルイッシューの運動当事者が、意識はしていない一つの合力に包摂されていると感覚する。同一化への違和感をもつ個人化のもとでの社会的連帯は個の唯一性を残した上での参画となる。サブ政治とそれへの対抗を続けている社会運動にとって不可欠となった専門性・専門家の参画で政治家の役割の変化。階級政党の形骸化。劇場型政治。国民的競争国家。
２．政治権力の限界（大きい物語）
　労働者国家が商品経済（市場）をなくせるか。商品からの貨幣の生成が、商品所有者の無意識のうちでの本能的共同行為に基づいている以上、政治や法律といった上からの意志の力によっては商品経済（市場）はなくせない。
　無意識のうちに本能的共同行為をして、商品から貨幣を生成することをしなくてもいいような社会的関係を迂回して構築することが必要だが、これは直接の意識的行動としては組み立てられず、媒介的な経済活動や社会運動によるしかない。媒介的な経済行動や社会運動が市場のオルタナティブの形成を日々実感できる場の必要性。これは当面は文化としてしか規定できない実在性。
　社会は人々の日常の対面関係で都度作り直されるという事実を発見することが必要。対面関係では人は自分を他人に映すが、その時に他人は社会の化身となる、というスミス、ミードの説を社会生成論へと組み立てることが必要。対面関係で、他方の個人の具体的身体そのものが社会の化身となることは、無意識のうちでの本能的行為だが、オルタナティブな文化は意識せずにこの本能的行為を揺さぶる。連帯の現実的根拠がここにある。
３．市場原理でもなく、計画原理でもない（リニューアルとは）
　ギデンズの第三の道はソ連型の社会主義とアメリカ型の市場原理主義とへの両刀批判。グローバル資本主義のもとでの社会民主主義のリニューアル。
　市場はなくせないが、それを修正していく努力を絶えず続けるべき。修正資本主義。これは第三の道として打ち出されている。
　市場に代わるオルタナティブは可能だ。貨幣や国家を社会に埋め込む。反帝国主義・反資本主義の左翼、協同組合主義、アナーキズム、これらのリニューアルには、対面関係での社会生成という発見を活かすことが必要。

レジュメ補足の解題

　補足に書きとめた事柄は、高槻市富田のカフェコモンズで開催された不登校体験者のトークイベントに、常野雄次郎さんが来るということで、共生型経済推進フォーラムが企画している若者意識調査の一環として、私が参加したことからヒントを得ています。常野さんは、在特会の東京でのデモに対して、道端で排外主義反対と書いた紙を掲げていたところ、デモ隊に紙を奪われただけでなく20名くらいに取り囲まれて乱暴された人で、たまたま私は在特会のHPの動画でそれを見ていました。どのような人がこのような勇気ある行動をしたのかに興味がありました。
　トークは常野さんと一緒に『不登校選んだわけではないんだぜ！』（理論社）という本を出している貴戸理恵さんとコモンズ店長の高橋淳敏さんで、コーディネーターはコモンズ大学（毎週金曜日午後7時からコモンズで開講）主宰の渡邊太さんでした。
　参加者の自己紹介の後、トークが始まりましたが、貴戸さんの次に話した常野さんは「ニート宣言」を読み上げたあと、2010年という「国際ニート年」の2月10日にニート革命をめざして蜂起するというアピールを発したのです（ニート宣言についてはhttp://d.hatena.ne.jp/asita211/ 「ニートのあした」）。これは現代人の自己神格化という問題意識を持っていた私には、それとは知らずに神としての地平から問題提起をしている若者の発見でした。その前に話した貴戸さんは、不登校の問題を関係から解きほぐそうとしていたので、対面関係で社会は都度作り直されているという意見を述べたのですが、常野さんの話も含めていろいろ考えているうちに、ブルジョア社会における人間の個としての主体性論とは別の、現在の自己神格化した諸個人の主体性が、相互関係としてあるのではないのか、ということを再確認したのです。以前から協同主体は間主体的なものだと考えてきていたのですが、それはあくまでも人間を個的・ブルジョア的主体と措定したうえでのことでした。それとは違って、自己神格化した神の連合として、主体の形成を構想するという筋道が見えてきたのです。
　つまり神の視点とは類的存在としての人間としてのものですが、個々人がそのような視点を持っているときに、主体形成は対面関係で都度社会が作り直されるという、社会形成の原理を踏まえたものとなっているのです。この辺はまだうまく言語化できていませんが、とにかくこんな問題意識に基づいて、補足を書きましたのでこれをもって解題とします。なお補足で提起したことは後日もっと長い文章に纏めるつもりです。

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2010/02/19

若者の存在と意識――調査開始に当たって

Author: ebara (11:53 am)

若者の存在と意識――調査開始に当たって

解題
　以下の文書は、共生型経済推進フォーラムへの提案です。若者意識調査の方法として、宮本みち子著『若者が＜社会的弱者＞に転落する』（洋泉社）の読書会を自由に開催してもらって読後感を提出してもらう、ということを考えています。それぞれが自由な判断で実施していただけると面白いものが出来上がると期待しています。

１）貧困研究会に参加して

　2009年10月17・8日に大阪市立大学で行われた、貧困研究会第二回研究大会に参加してきました。貧困研究会は、2007年12月に設立されて、雑誌『貧困研究』（明石書店）が三号まで発行されています。雑誌第一号が出たのは08年10月ですから、ちょうど聞き取り調査を始めた時期です。
　雑誌を見る限りでは、貧困研究会はもちろん研究者中心の団体ですが、ホームレス支援の団体や、反貧困ネットワークで実践している人々とも結びついているようです。その意味では、職につけない人々の貧困の研究がメインで、ワーキングプアなどの「新しい貧困」の研究についてはこれからという感じです。
　ホームレス支援の団体も、かつては革命運動の一翼という位置づけで活動していた人々が多かったのですが、国の支援策が打ち出されて以降は様変わりしているように思われます。NPO法人格などを取得して、住居の確保や生活保護の申請の支援、障害者支援などに加え、最近は就労支援活動にまでウイングを広げていっています。
　反貧困ネットワークの活動も、弁護士中心の活動から、09年の日比谷派遣村を契機に連合などとの連携も進んでいるようです。
　どうやら反貧困というテーマで、従来はバラバラであった団体間の連携が進んでいっているようです。私たちが進めてきた社会的経済・社会的企業促進の活動も、このような全体の運動の一部分として進んできたのだということが分かりました。新しい貧困と向き合うためには活動団体の横つなぎが絶対に必要ですから、この間の動きは新しい貧困と向き合い、これをなくしていく取り組みの入り口へと到達したということでしょうか。
　共生型経済推進フォーラムがシンクタンクとして飛躍しようとするときに、これまでの横つなぎの活動のつなぎ目を、新しい貧困と向き合うことにおく必要があるように思いました。フルタイムの職についても貧困から抜けだせないという問題の解決は、社会全体の設計図を描きなおすことに基づくオルタナティブの提起としてしか現実性を持たないように思います。
　ヨーロッパの場合は社会民主主義の政党が政権党につくことが稀ではなく、社会民主主義的施策が実施されている国や一時期導入された国がほとんどですが、新自由主義が登場して以降は、これに対する対抗施策は第三の道と呼ばれています。日本の場合は社会民主主義的施策は実施されずに今日まで来ていますが、日本的第三の道を、新しい貧困の解決という道筋に沿って解明していく必要があるように思います。
　若者に対する聞き取り調査も、若者が新しい貧困の当事者であるということから、当事者の取り組みの可能性を探るというところに置くことが必要かと思います。「生きづらい社会」をどのように変えていくか、しばらくはこのテーマで調査して行きます。

２）調査のキーワード

　共生型経済推進フォーラムで若者の聞き取り調査を企画しています。まだどのように進めていくかについては明確ではないのですが、単なる意識調査ではなく、その存在についても明らかにしたいと考えています。
　キーワードは「個人化した時代の、新しい貧困の当事者としての若者」です。従来の日本の社会が認めていた貧困は、何らかの理由で就業できない人々のものでした。これに対して今日ではワーキングプアと呼ばれる、フルタイムで働いても貧困から抜けだせないような人々が1千万人を超え、また若者の失業も増えていて、従来の貧困に対応したセーフティネットでは全く対応できないことが判明してきています。新しい貧困とは、このようなフルタイムで働いても貧困から抜け出せないばかりか就労自体が不安定で、失業と隣り合わせであるようなリスクの大きい状態を指しています。
　次に「個人化」ですが、これはベックが『リスク社会』で提起したもので、資本主義の発達による自由な個人の生成という問題からさらに進んで、1970年代後半から、ヨーロッパにおいて、労働市場における契約の主体としての個人が、家族や階級からも孤立化して行っている状態を指しています。ヨーロッパではこの頃から就業の不安定化と新しい貧困が見出されるようになり、様々な対応がなされてきています。
　日本では階級の解体は進みましたが、家族は1990年代になっても若者が同居するという形で新しい貧困を隠蔽する役割を果たしてきていました。しかし今世紀に入っての新自由主義的改革で、相対的貧困が日本の中流層にも波及し始め、また製造業の大企業までもが派遣労働者を使い捨てにするようになって、2008年の年末から年始にかけての日比谷の派遣村で、やっと、新しい貧困は周知のものとなってきました。
　その後政権交代があり、生活第一を掲げた民主党が政権党となりましたが、新しい貧困への対応はまだ個別的対応に留まっています。
　調査のキーワードは、調査の目的とも関連しています。個人化した社会で、新しい貧困を解決する社会運動なり施策なりへと接近していきたいのです。理想的には調査それ自体が一つの社会運動として組織され、その運動自体が政策提言として機能していく、このようなことが実現できたらと考えています。

３）調査のイメージ

　この間の運営委員会などでしばしば話題となってきている若者についての調査に関してイメージが出来つつあります。調査のキーワードは「個人化した時代の、新しい貧困の当事者としての若者」でどうでしょうか。
　調査の目的は政策提言ですが、それだけでなく、調査活動自体をある種の社会運動として組み立てる必要があるように思っています。というのも政策が作れたとしても、それを実際に要求していく若者の運動体がなければあまり現実性がないからです。
　調査の仮説作りのために、先日引きこもりの若者をサポートしているNPO法人ニュースタート事務局関西代表の西嶋　彰氏に聞き取りをしました。ヒントになったのは、引きこもりのない社会をイメージするさいに、若者の社会参加の入り口を制限しないこと、という答えを引き出せたことでした。今の日本では新卒者はすぐ正社員として就労するコースがメインで、それから外れた人々は割を食うようになっています。しかもこのメインコースはどんどん狭められてきたのです。若者の社会参加の多様なコースを同等な価値として社会的に承認するような社会施策と社会観念を形成することが引きこもりのない社会に繋がっていく。このイメージは現在、新しい貧困に向き合っている若者たちの様々な活動の思想的背景となっているように思います。
　調査の方法ですが、一つは、従来どおりキーパーソンの聞き取りです。もう一つは新しい社会運動として、読書会の組織化と感想文の募集です。具体的には、宮本みち子『若者が＜社会的弱者＞に転落する』（洋泉社）の読書会を自由にやってもらって感想文を募集する、といったことが考えられます。これを呼びかけるためのネットでのツールを開発し、それにアクセスしてきた人々が自由に読書会を持ち、感想を提出するというイメージです。昔の綴り方教室や歌声運動的な方法の現代化されたものが作り出される必要があるように思っています。ご検討下さい。

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2009/12/25

ベックの個人化論について

Author: ebara (6:11 pm)

個人化について考える
ベック『リスク社会』を手がかりに

はじめに
　ベックの『リスク社会』（邦訳『危険社会』法政大学出版局）は、第一部で環境問題、第二部で個人化の問題、第三部で科学の問題を論じている。原書が出たのが1986年で、チェルノブイリ原発事故の直後であり、ベストセラーになったという。日本では1988年に第二部を省略した翻訳が出たが、完訳版は1998年まで待たねばならなかった。このような事情もあって、日本ではベックの議論は、第一部の環境問題については広範に議論されたようであるが、第二部に関しては、研究者の間ではあまり取り上げられていないようだ。（ネットで検索した限りであるが、個人化については、それによる親密圏の変容といった家族社会学の立場からの議論や若者論はあるが、労働市場の問題から個人化について論じているものは見当たらなかった。）
　今回取り上げるのは、第二部である。ベックは、そこで、西ドイツの70年代初頭から80年代半ばまでの社会の変化を、主として雇用制度の変化を軸に追っているのであるが、それはまさに日本が、90年代半ばから今日までに経験した雇用制度の変化と非常に似ており、ベックの分析は、今日の日本の社会を分析する上で非常に役立つのではないかと考えている。それでまずベックの主張の概略を紹介し、その上で、詳細な分析について、日本の現実とつき合わせるという形で、その是非を論じてみたい。

第一章　ベックの個人化論の概要

１．個人化とは何か
　個人化といえば、普通は資本主義の発達によって、封建時代の身分制から解放された自由な個人の誕生ということが想定される。（人間とってプラスのイメージ）
　ベックの個人化論はそのようなものではない。「社会的不平等の個人化」という表現に端的なように人間にとってマイナスのイメージのようだ。

２．個人化の様相
　自由な個人の形成ということは、封建時代の身分制の中で大半を占める農民が土地に縛られていた（逆に言えば永代の土地使用権を持っていた）状態を解体するところから始まっている。資本主義は資本家が労働者を雇用するところに成立するが、もともと封建社会には資本家が雇用できるような自由な労働者は極くわずかであった。資本家が雇用する労働者は農民や自営業者とは違って、生産手段を持たないために雇用される以外に生計の道がない人たちで、二重の意味で自由な労働者と言われている。身分制から解放されて自由の身であるということと、生産手段を持たないというそれからの自由、だ。資本主義が発達するにつれて、競争や収奪によって農民や自営業者が没落し、雇用される自由な労働者が増えていった。いわゆる近代化とは、西ヨーロッパに典型的なもので、それは資本主義の勃興によって、貴族や領主などの封建的な土地所有者が政治的な力を失い、身分制が政治的に解体されて、民主主義的政治体制が生み出されることを指すが、そのような動きの大元には農奴から賃労働者へという働く人の経済的状態の変化があった。
　いわゆる福祉国家は、民主主義国家のひとつの完成形態であるが、ベックは民主化がなされ福祉国家が完成されることで、マイナスイメージの個人化が起きていると主張している。ベックによれば福祉国家のシステムでは、働く人たちが一つの階級を形成して自らの人生を集団で設計し、家族もその布陣の中で役割を果たしていたが、1970年代以降の西ドイツでは、資本主義の発展によって、産業社会からリスク社会への転換がなされ、階級の運動が機能しなくなり、家族の機能も麻痺してきている結果、社会的不平等の個人化が起きているというのである。

３．個人化の推進力

①　労働市場過程の力学
　ベックはこのような新しい個人化は、労働市場過程の力学によると考えている。福祉国家の形成によって作り出された高い物質的生活水準と社会保障制度を背景にして、個々人は、それらを作り出す力となった階級や家族から自立しはじめ、労働市場のリスクやチャンスを一人で受け止めるようになったというのである。ベックはこの言葉を使ってはいないが、いわゆる「自己責任」という考え方が登場したのだ。

②　大量失業と新たなる貧困
　70年代に西ドイツで現われたのは大量失業だった。日本は石油ショック以降も輸出産業を中心に成長を続けたが、ヨーロッパではこの時期から社会の再編過程に入っている。低成長、製造業からサービス業へ、労働のフレキシブル化、などによる失業の増大は、雇用制度が生み出すリスクであるが、それが個人の能力の問題と受け止められるようになってきた。

③　個人的解決法の登場
　リスクが個人の問題へと解消されることで、それの解決のための様々な処方箋が現われてきた。精神医学によるカウンセリングや癒しが求められるようになったのである。

４．リスク社会の特徴と政治の変化
　リスク社会の特徴は、それまでの社会が様々なリスクを社会の外部に求めることができたのに対してそうはできなくなったところにある。今日のリスクは社会それ自体が生み出していて、社会はこれを自己反省的にとらえる（「再帰的社会」「反省的社会」等と規定される今日の社会の捉え方。自分で問題を起こしておいてそれを自ら解決していくというぐらいの意味）ことで次の状態へと移行する。
　リスク社会においては、政治システムの様々な機関の機能麻痺が起きる。というのもリスクを作り出しているのは技術、科学といった従来は政治には数えられなかった分野での発達であり、それが現実に産業に適応されて、大きいリスクを生み出したときに政治問題となり、後からそれへの対処が求められてくるから、政治はあらかじめリスクの発生の原因を停止するという意味では無力であるからだ。
　大規模な技術革新の波とこれがもたらす未知のリスク。電子工学、原子炉技術、遺伝子工学など。これらの発展による技術の社会への適用が、社会そのものを変えてしまう、という意味でも、このような発展がリスクを生み出すことで政治問題を作り出す、という意味でも、これらが政治化している。ベックはこれらをサブ政治と規定している。

第二章　ベック『リスク社会』を読む

１．産業社会の社会形態からの解放
　ベックは個人化を論じた『リスク社会』第二部の前書きで、自らの立論を七つの命題にまとめている。それでその一つひとつについて、順番に検討していこう。
　「（一）すべての豊かな西側産業社会において、――とりわけドイツ連邦共和国において――第二次世界大戦後の福祉国家による近代化のなか、前代未聞の射程範囲と力学をもった社会の個人化が始まった（しかも、社会における不平等の関係は、変わらないままで）。すなわち、高い物質的生活水準と社会的保障の推進を背景にして、人間は、歴史的連続性が断絶されるなかで、伝統的な階級による諸制約や家族による扶養から解放された。そして、ますます自分自身に注意を向け、あらゆるリスクやチャンスや矛盾に満たされた労働市場における自分個人の運命に、注意を向けるようしむけられた。
これまで個人化の過程というと市民層の発展にともない、もっぱらこの市民層に生じるものとされてきた。しかし別の形態の個人化の過程もある。それは、近代資本主義の『自由な雇用労働者』や、福祉国家の大衆民主主義という条件のもとでの労働市場過程の力学に特徴的な個人化の過程である。この種の個人化を推進する力は、労働市場で集団的運命（大量失業、取得した資格の効力の低下等）を経験することと競合する関係にある。しかし、この個人化を推進する力は、ドイツ連邦共和国において発展したような福祉国家という社会的枠組みのもとでは、社会階級の結びつきや男女の性差状況からの個々人の解放へと至る。」（ベック『危険社会』法政大学出版局、138～2頁）
　ここにまとめられているように、ベックの個人化論とは産業社会の社会形態からの個人の解放であり、具体的には階級による諸制約や、家族による相互扶助からの解放である。そしてその解放を推し進める力は、労働市場過程の力学なのである。ではそれはどのようになされてきたのであろうか。
　「階級文化によって刻印された社会的環境を全体として統合する経験と統制のきずなは、今日、粉々に破壊された。そして、個々人は、自分だけを頼りとして、『階級の運命』のさまざまな構成要素を、個々人の人生において初めて発見しなくてはならなくなった。」（155頁）
　ここでベックが階級文化の破壊といっているものは、日本で言えば、一昔前の、多数の労働者が労働組合に所属し、社会民主主義的世界観を信奉し、労働運動や政治運動に参加していたことを想定すればよくわかる。今日では労働組合は残存しているものの、社会民主主義的世界観への信奉や、労働運動や政治運動への参加をする労働者は極少数となっており、そのような事態を指しているのである。
　また、現在の特に日本の若者たちは、社会がもたらすリスクが身の上に振りかかったときに、労働組合に頼ろうとはせず、また仲間を募ることもなく、自分だけを頼りとするのが普通となっている状況を想定するといいだろう。
このような事情は、個人化を「社会的不平等の個人化」（157頁）と規定した方がわかりやすい。あるいは、「社会階級が個人化されていった。」（158頁）のである。
　「福祉国家という枠組みのなかで雇用労働が貫徹するとともに、伝統的階級社会が解体される。」（160頁）
　日本で言えば、大企業の終身雇用制と家族における女性の専業主婦というモデルが産業社会の社会形態を規定していた時代があったが、福祉国家もこの社会形態を支えとしていた。しかし、雇用労働のあり方が変化していくことで、この福祉国家における産業社会の社会形態が解体されてきた。このような分析視角は、日本で、80年代の女性のパート労働への進出にはじまり、90年代後半の大企業における終身雇用体制の解体で、今世紀に入っての非正規雇用の拡大によって日本社会のセーフティネットが底抜けとなり、「すべり台社会」となってきている現実を解明していく視点として有効であろう。

２．個人化の諸相
　伝統的な社会形態が解体させられたことによって出現した個人化は、なによりも「社会的不平等の個人化」なのであるが、それはどのような心理的問題を提起しているのだろうか。
　「（二）社会的不平等との関連で、二律背反的な状況が出現する。・・・・個人化された生存形態と生存状況に沿った傾向があらわれてきた。その傾向は――自分自身が物質面に関して生き残れるように――人間に自分自身の人生設計と生き方を中心に置くように強いる。この意味において、個人化は、最終的には、大集団社会の伝統的カテゴリー――社会階級、身分、あるいは社会階層――において思考する際、その思考が依って立つ生活世界の基盤を取り壊してしまう。・・・・・」（139頁）
　この状況は、日本の運動が、社会主義のための階級闘争に若者たちが結集した50年60年代、の政治運動から、60年代半ばの、個人を主体としたべ平連のベトナム反戦運動の登場、自己否定を旗印とした70年前後の全共闘運動、および、在日外国人、障害者、女性などのマイノリティのエンパワーメントとしての意義を持つ運動、廃棄物処理場などの施設に反対する住民運動や、安全な食品を求める有機農業運動、生協運動、などの登場を経て、そして、「私個人に何が出来るか」というところから出発する、今日の環境保護運動や反原発運動などの様々な運動へと変遷してきた過程を想起するとわかりやすい。ここで日本の様々な運動を引き合いに出したのは、ベックの個人化論が単に個人化という現象を発見するだけではなく、そこから新しい形態の階級形成過程の可能性を読み取ろうとしているからである。
　「新しい形態の『階級形成過程』へ、しかし今やまさに、もはや伝統的なものとして理解することのできない『階級形成過程』へ、すなわち、達成された個人化を前提条件にもつ『階級形成過程』へと変化する可能性がある。」（161頁）
　達成された個人化を前提条件とした新たな階級形成過程、80年代の西ドイツの経験からすれば、反核、エコロジー、フェミニズムという課題で緑の党が登場し、活動していた時代であった。これはしかし90年代の東西ドイツ統合で停滞を迎える。あれから20年経った今日、世界社会フォーラムの運動もあり、この新たな階級形成過程の解明は急務であろう。ベック自身はこの本ではこの課題について可能性の指摘に留まっていて、積極的な提案はみられない。
　「社会が相対的に安定し『脱伝統化』が進む局面では、私的領域においてさまざまな歴史的発展の可能性が開かれる。このような可能性が開花したもののうちの一つが、自己実現に対する要求が政治的なものへと変化すること、いわゆる『政治的な私生活主義』という新しい現象である。『政治的な私生活主義』の意味するところは、次のような事態である。歴史的に成立した私的な自由な空間が、その空間のなかに含まれる社会的・法的境界線を越えて広がり（それは、その内部から見れば、首尾一貫した帰結であるが、外部から見ればけしからぬ現象である）、文化的に『許容されるか、禁じられるか』が微妙な地点において、新しい社会関係や生活形態が試験的に実践される――そこから、あらゆる（政治的）揺さぶり効果が登場し、アイデンティティを相互に形成し割り当てるプロセスが生じ、そしてついには文化と『対抗文化』、社会と『オルタナティブ』社会への分裂が生ずる。」（166～7頁）
　日本の場合、対抗文化や対抗社会が語られるようになるのは、チェルノブイリ以降であり、80年代後半であった。それはちょうどバブルによる好景気に沸き、アメリカを超えたという実感を持ったときで、日本では自己実現やベックの言う「政治的な私生活主義」は新自由主義と親和的な形で登場してきていた。バブルが崩壊し、90年代の「失われた10年」を経た世紀末にはもう一度対抗文化運動がアソーシエーション運動への希求として登場する。NPO法制定以降、多くの団体が出現したが、まだ助走の段階である。

３．個人化、大量失業、そして新たなる貧困
　ベックが個人化を「社会的不平等の個人化」と規定するのは、70年代から大量失業と新たな貧困が西ドイツに見られるようになったからである。
　「（三）『階級と関連しない』社会的不平等が存在するという傾向は、大量失業がどのように、どのような人に配分されるかということにおいて、はっきりと示されている。一方で、長期失業者の数が増加するとともに、労働市場から何度も締め出されたかあるいはそもそも一度も労働市場に参入したことがない者の数が増加する。他方で、失業者数は恒常的であるのに対し、失業登録件数や失業に見舞われた人の数は一定ではない。・・・・・社会的不平等の先鋭化と社会的不平等の個人化とは、相互に密接に関係している。この結果、システムの問題が、個人の機能不全へと変えられ、政治的には解消される。脱伝統化された生活形態においては、個人と社会とが新たにある種の直接的関連をもつような事態が発生する。また、同時に個人の病と社会のリスクが直接的連関をもつという状況が始まる。それは、社会のリスクが個人的なものとしてあらわれ、社会的なものとしては、ただ条件付きで間接的にしか知覚されなくなるからである。」（140頁）
　日本でも今、大量失業と、ワーキングプアという新しい貧困に見舞われている。失業すると家を失い路頭に迷うという現実は、社会システムの問題が個人の機能不全へと変えられている事の帰結である。社会のリスクが個人的なものとして現れているという現実の仕組みを把握することから、対策が練られねばならないだろう。
　「われわれは、大量失業や新しい貧困とともに、終焉を宣告された後の階級社会の未来の姿を体験するのではないだろうか。
　実際、社会的不平等は、更新され、おそろしく増大している。」（173頁）
　ベックは福祉国家の成功によって階級社会の終焉が宣告されるような個人化の時代を迎えたというのに、その個人化が「社会的不平等の個人化」であり、新たな貧困の出現であるという現実に、再び階級闘争の時代の到来を予想している。
　「個人化は、この『新たなる貧困』の独自性と矛盾するわけではない。個人化という命題によって、その独自性が解明されるのである。大量失業は、個人化という条件の下では、個人的運命として人間に負わされる。人間は、もはや社会的に公然とした形でではなく、しかも集団的にでもなく、個々人の人生のある局面において、失業という運命に見舞われる。失業という運命に見舞われた者は、自分一人でそれに耐え忍ばなくてはならない。以前は、貧しい階級に特有の生活関連が、そうした苦しい状況を耐えられるような解釈や防御‐支援形態を提供し引き継いでいった。しかし、かつては集団で経験された運命は、階級関係が失われた個人化された生活状況においては、まずもって集団ではなく個人の運命となる。そして、わずかに統計データによってそれが存在することを認識できるものの、もはや体験可能な社会性をともなわない個別の運命になる。そして、新たな社会性が生じるためには、個人的なものへと細かく分けられた状態から、もう一度、集団的運命を組み直さなくてはならないだろう。（失業と貧困の）稲妻がどこに落ちるかというと、もはや集団へでも階級へでも階層へでもない。それぞれ特有の事情をもつ、市場における個人へ落ちるのである。」（174～5頁）
　しかし、大量失業と新しい貧困とが、直ちには新しい階級闘争へと結びついていかない事情が、まさに、社会の個人化という状況そのもののうちにあるとベックは考えている。個人化という状況の下では社会的リスクは個人の肩の上にのしかかり、個人的にしか解決できない様な問題として現れるからだ。
　「失業が、すなわち外界で生じたことが、だんだんと個人のなかに押し込まれて、個人の属性になってしまう。新たなる貧困は、何よりも物質的な問題であり、またそれにとどまらない。それは、新たなる貧困を避けようとする空しい努力が、儀礼的に行われるなかで遂行される、静かなる自己破壊でもある。そしてその自己破壊とともに多くの人々が裏で悲しい運命に見舞われる。」（182～3頁）
　日本の自殺者年間3万人。多くの成人自殺者の自殺の原因は経済問題にあるといわれている。これが端的に個人化社会の現実を示している。
ではこのような個人化の否定的現実を前にして、将来の展開についてのシナリオを描くことは可能なのだろうか。
　「歴史が進展するなかで、生活世界における社会階級のアイデンティティが溶解し、かつ同時に社会的不平等が先鋭化するときには、一体どんなことが起きるのか。これがここで中心となる問題である。雇用労働にともなうリスクが広まる。しかしそのリスクは、ある特定の大集団の『プロレタリア化』というモデルに従ってではなく、人生の諸断片にあらわれる失業と部分就業と貧困という一時的な出来事（そしてもはや一時的な出来事ではなくなりつつある）へと縮小された形で生じる。そのときには、一体どんなことが起きるのか。これは、階級の終焉なのか、それとも新たな非伝統的な階級形成の始まりなのか。個人化過程における不平等な社会構造という状態は、そもそも、社会的不平等についてのヒエラルキーモデルにおいてとらえられるのか。個人化は、ひょっとしたら、全く異なるリズムに従うが、また別の活動範囲をもつ新種の集団形成（例えば、マスメディアに媒介された集団形成）を生じさせるか、あるいは促進するのだろうか。個人化によって引き起こされた、新しい社会的アイデンティティや生活形態や政治参加の追及は、どのような方向に向かい、どのような対立や矛盾がそれにともなうのだろうか。」（184～5頁）
　ここで述べられているベックの分析は、そのまま今の日本の現実に当てはまる。ここでベックは様々な問題提起を行っている。一つは、個人化を新たに社会的政治的にまとめうる近代化がありうるのかということである。二つ目は、社会的紛争の新たな場の形成と、新しい社会的ネットワークやアイデンティティや運動がどのように姿を現すかということである。三つ目は、完全就業者と貧困層の分裂、貧困層の増大によって、人生の重点は職場や企業から、新しい生活形態及びライフスタイルを形成し、試すことへと移動している、という点である。
　日本の場合は、政・官・財が癒着した自民党政治が、個人化を推進する新自由主義的改革を行ってきたことで、民主党が新たな政治改革の受け皿となっている。また貧困層への支援のネットワークが新たに形成され始めており、さらにはサードセクターの拡充を目指す運動も登場してきている。

４．男女の対立の表面化
　労働市場における契約の主体として、家族のそれぞれが個人化されて登場することで、従来は専業主婦の役割とされていた家事・育児が個人化された家族の間では紛争の種となり、またそれがこじれて離婚となると、新たなる貧困へと陥る。このような男女の対立の新しい形についてベックの分析は進められる。
　「（四）身分に刻印された社会階級に対応した解放の上に、性差情況に対応した解放が新たに重なる。このような事態は、女性の情況の変化によく反映されている。・・・・離婚が女性にとって『新たなる貧困』へと没落する入り口となっている。・・・・・家庭は、職業や教育や子育てや単調な家事労働においてしなくてはならない多くのことを、何とか曲芸並みの業でこなす場となった。・・・・・」（140～1頁）
　このような紛争の種を抱えた家族の内と外における男女関係について、その心理的な状態についてベックは次のように述べている。
「計り知れない不安定化、傷心、そして『途方にくれているのだが、それを隠そうと武装した状態』である。途方に暮れながら、男女が結婚と家族（そしてそれらのうちの残っているもの）といった日常において自己と向かい合っている。」（196頁）
　問題が捉えにくく、解決が難しいのは、対立が家庭の内部の要因によるのではなくて、外の要因を主として原因としているからである。
　「つまり両性の関係は、労働や職業や不平等性や政治、経済といった主題をともなうものなのである。これらの要素が入り交じって、しかももっとも対立するものが不均衡に入り交じりあって、あらゆる問題を非常にやっかいなものにしている。」（196～7頁）
　個人化がこのように家庭に侵入してくるのは、以前にはそれほど深刻な問題を引き起こさなかった性的役割分業は、「産業社会の基礎であって、伝統社会の遺物ではない。」（213頁）ということがあり、しかもこの産業社会の基礎であった性的役割分業の経済的基礎がリスク社会にあっては損なわれてきているからである。その結果、男女間の性差情況の解放は次のような心理的衝撃として現れてくる。
　「人間は、人間が把握し得ない力（その力を、人間は自分では把握することができず、その力は人間にとって外的なものとして人間をとらえ始めるにもかかわらず、人間はその力の中核的な化体であり、その力自体でもある）により、性という枠からも、その階級的属性及び階級的所与からも解き放たれ、あるいは魂の奥底まで侵入してくるような衝撃をうける。」（214頁）
　性的役割分業からの解放といっても、実際には家事も育児も家庭での仕事として残存している。しかし、それを女性が担うということへの同意を打ち消すような現実が進行する。このような状態は非常に不確かなものとなる。
　「男女の関係は、生産と再生産の分離とともに溶接され、核家族の頑丈な伝統のなかで共同性、役割分担、情緒性に関して家族が有しているものすべてと結び合わされた。その男女関係が、二つに割れた。突然、すべてのことが不確かなものとなった。」（221頁）
　性的役割分業は、慣習としての力を失い、家事・育児についての不確かな関係が醸し出されてくる。しかし働き手から見れば、このような不安定な人生経験としてある個人化の過程は、市場から見れば、市場原理への接近である。
　「市場の論理を究極まで徹底させるなら、市場における主体は、孤立した、パートナーシップにも結婚にも家族にも『妨げられ』ない個人である。したがって、貫徹された市場社会は、子どものいない社会である。」（234頁）
　市場原理からすれば、労働市場に登場する働き手はケアレスマンとして想定される。ケアレスマンとは、学校を卒業して労働市場に現れ、定年で退職するまでの、養育やケアの不必要とみなされる男性のことである。その前後の働き手の生活を保障するために、産業社会では、正規雇用の男性には専業主婦を連れ合いに出来るような待遇が用意されていた。いまや個人化の結果、ひとり一人のケアレスな男女の再生産しか保障しないような雇用条件が拡大しているのである。

５．性差別の根源と新しい社会化
　男女間の性差情況の解放という問題は、家族の維持の困難、離婚の増大、新たな貧困者の増大、といった否定的な帰結をもたらしているが、ベックはその根源に迫ろうとしている。
　「（五）『関係の問題』という私的な形態の服を着ているものは――社会理論を適用するなら――、産業社会の半面的な近代の持つ矛盾である。そこでは、近代の二分することのできない諸原理――個々人の自由、生まれによる制約を超越した個々人の平等、――が、今もなお二分され、生まれという資格で一方の性には不当に渡されず、もう一方の性にはあてがわれている。・・・・その身分制的な側面は、決して伝統的な遺制ではなく、産業社会が作り出したものであり、かつ産業社会の根幹をなすものである。・・・・・」（141頁）
私的な形態のように思われる性的役割分業は身分制の名残ではなくて、産業社会が作り出したものであり、その根幹をなしていたのだが、それがリスク社会となることでどのような変化が生じているのだろうか。ベックは生活情況と生き方のモデルとして、個人化、制度化、標準化を挙げている。
「男性も女性も、個人自身が、生活世界における社会的なものの再生産の単位となるのである。・・・・そして個々人が、家族の内外で市場に媒介された自分の生活保障と人生計画および人生編成の行為者となるのである。」（258頁）
　家族という単位がばらされて、個々人が市場に媒介された生活設計を行うように強いられる、という状況は、「個人化を引き起こす媒体は、標準化をも引き起こす。」（258頁）こととなり、「個人の情況が制度に依存し、コントロールされる構造をもっていることを示している。個人化は、もっとも進歩した形の、市場や法や教育に依存した社会化になっている。」（259頁）。その上にさらに、「個人化過程が進展するなかで、階級間格差や家族関係は、実際に廃棄されるのではなくむしろ個人の人生設計という新しく登場した『中心』の背後にひそむようになる。同時に、新しい従属性が登場する。」（259頁）という問題も出てくる。
　このように、産業社会の下での労働市場過程の力学によってその社会形態が解体されて、個人化されたリスク社会となっているにもかかわらず、それに対応した生存保障がなされておらず、それが全く個人の自己責任となっている、という問題について、ベックは次のように描いている。
　「すなわち、個々人は、たしかに、伝統的な結びつきや扶助関係から解き放たれるが、それと交換に、労働市場の強制や消費存在であるがゆえの圧迫や、それに含まれる標準化と管理という強制を強いられることになる。伝統的な結びつきや社会形態（社会階級、小家族）の代わりにあらわれたのは、二次的な決定機関や制度である。それらは、個々人の人生を形づくり、個々人の人生を個々人によって自由に規定するものにする（人生は個々人が自由に規定するものだということは、意識形態としてついに普及するに至った）一方で、個々人を流行や社会関係や景気や市場にもてあそばれる存在にしてしまう。」（260頁）
　古い関係から開放されはしたが、新しく生み出されたものは市場に振り回される形での生存であり、労働市場に依存した人生であって、「それゆえ個人化は、まさに、個人的な自立した生き方の余地をより狭くする社会的な制約の下でなされていることになる。」（260頁）。そうだとすると、この制約から逃れることは可能なのだろうか。
　「個人化は、人間が人生を営む上で、あらゆる次元において市場に依存するということを意味する。成立しつつある存在形態は、規格化された住居・住宅設備・日用品や、マスメディアを通じて送り出され採用される意見・習慣・ライフスタイル等のための大量市場と大量消費である。そこでは個々人はばらばらにされ、自分自身のことを意識しなくなる。換言すると、個人化は、外部による制御と標準化を人間に押し付ける。それは、身分や家族という一歩内側のサブカルチャーにおいては無縁のものであった。」（261頁）
　家族のなかにまで市場といった外部の制御と標準化が押し付けられ、個々人がばらばらにされるなかで、家族の関係が意識されなくなるというような状態で、個々人の抵抗力は弱まる一方である。「このような制度への依存性が増すにつれて、成立しつつある個人の情況のもつ、リスクに対する抵抗力は弱まる。」（263頁）。というのも、「生活保障の鍵は、労働市場にある。」（264頁）ので、これから逃れることは出来ないからだ。「制度への依存性によって、個人化した社会は、紛争の可能性や、伝統的な階級の境界を横断した結合や連合に対して、抵抗力のないものとなる。」（265頁）という現実に対してどのように対応できるのだろうか。ベックはそこで問題を「社会化の一つの新しい始まり」として捉えることを提案している。
　「顕著な出来事を、もはや人間の意識と情況の変化としてとらえることはできない。それは、社会化の一つの新しい始まりとして、個人と社会の関係における、一種の『構造変化』あるいは『カテゴリー上の変化』として考えられるべきである。」（252～3頁）
　個人と社会の関係が、国家と労働市場と家族、という相互に独立した領域によって形成されていた産業社会の社会形態から、国家と労働市場と個人という関係、それも個人が労働市場によって制約されている、という事情、このような構造変化がここでは念頭に置かれている。その上でベックは、このような構造変化において個人化された個々人が一つの主体として登場できる条件を探ろうとしている。
　「しかし重要なのは、個人化された社会において、人間の生活関連のなかで制度によって形づくられた集団的運命が、いかにしてあらわれ、知覚され、処理されるのかということである。」（266頁）
　ベックにあっては、主体形成はやはり集団的アイデンティティの形成であり、それに向けての個々人の知覚内容が検討される。つまり個人化された社会では、「人生が『自己内省的に』なっていることを。そして、社会的にあらかじめ与えられた人生が、自分で作っていく、そして作っていかなくてはならない人生へと変換されていることを。」（267頁）知覚させられるのであり、「個々人は、自分がしたわけではない決定の帰結を『背負い込まなくては』ならない。」（267頁）という状況がある。そこでベックはこのような追い込まれた知覚状況を逆手に取る可能性を提起している。
　「求められているのは、自我をその中心にもち、自我に行為の機会をあたえ、このようにして、自分の人生行路に関して突然あらわれてきた形成および決定の可能性を有意味に分解して処理できるような、積極的な日常行為モデルである。このことが意味するのは、自分自身が生き残るため、表面的には知的に装いつつ、自我と社会の関係をいわば逆さにし、個人的な人生行路形成という目的のために個人と社会の関係を操作可能なものとして扱っているような自我中心的な世界像が展開されなくてはならないということである。
　その結果、社会的・制度的に作られたリスクや矛盾を主観化し個人化する水門が開かれる。個々人にとって、個々人の運命を決定する制度情況は、もはやたんに自分にふりかかる出来事や事情であるだけではなく、少なくとも自分自身が行った決定の帰結でもある。」（268頁）
　この問題提起は少しわかりにくい。それは後で触れられるサブ政治との関連で、再考し、また、新たな階級闘争の可能性という問題と絡めて再提起しよう。

６．個人化とはある種の依存関係
　ベックの個人化論の長所は、それが自立や孤立として捉えられているだけではなく、ある種の依存関係の下で起きている事態であることを見抜いている点だ。
　「（六）このことによって、現代における個人化を推進する力の特殊性が明らかとなる。その特徴の新しい点は、その帰結にある。図式化して述べるなら、次のようにいえよう。身分の代わりにあらわれるのは、もはや社会階級ではない。社会階級の代わりにあらわれるのは、もはや家族という安定した準拠枠ではない。個々人が、社会的な生活世界における再生産単位となっているのだ。あるいはこうも言えよう。個々人が、家族の内外で、市場に媒介された生存保障及びそれと関連する人生設計・組織化の行為者となる。
　しかし、労働市場社会の発展にともない個々人の状況がこのように分化したことを、解放の成功と同一視してはならない。個人化は、この意味において、再びよみがえった個人によって世界の自己創造が始まることを意味しているのでもない。個人化は、むしろ、生活情況の制度化と標準化とをともなってあらわれる。解放された個々人は、労働市場に依存しており、そのために、教育や消費や社会保障法の規定や給付に依存し、交通計画や消費財の供給に依存し、医学や心理学や教育学の助言や助力の能力や型に依存している。これらすべては、『制度に依存した個々人の情況』に対する特別な統制構造があることを示している。その個々人の情況には、政治によって形成され誘導される（潜在的な）可能性も開かれている。」（141～2頁）
　このようにベックは個人化が労働市場での契約に基づくもので、例えば共働きの家族は、労働市場でそれぞれ独立した人格としてリスクを負わされることで、家族という纏まりをばらされていき、男女間の対立が顕わになると見ている。そしてこの労働市場での契約のうちには社会保障や福祉機能が組み込まれており、社会保障や福祉が、個人が設計するものとなっているというのである。だからこの個人化は、人間の解放や自由な個人の生成ではなく、労働市場の契約やその他の制度に依存した、非常にリスキーで不安定なものなのである。このことは裏返せば、雇用関係が人々の生活保障の基礎であるということに他ならない。大量失業とは職業労働の減少ということであるが、このリスクの持つ意味についてベックは次のように論じている。
　「職業労働が産業社会に住む人間にとってもつ意義は、労働それ自体にあるのではない。あるいは労働それ自体において根本的に根拠づけられるわけでもない。労働の意義は、まず、労働力を提供することが生存保障の基礎であり、また個人化された人生の営み方の基礎であるということから生じている。しかしまた、前述のような説明では、労働社会の減退という知らせが呼び起こす衝撃の一部分しか説明されていない。職業労働あるいは仕事は、産業社会において、人生の営み方の軸になっているのである。家族と職業労働は、座標系の二つの極を形成している。その座標系の中に、現代社会における個々人の人生が、位置づけられる。」（272～3頁）
　雇用されて働くことが生活の糧のためであるという問題が一つであるが、しかしもっと重要なことは、この社会では、雇用されて働く以外の人生の選択肢がほとんどないという事態なのだ。そしてその人生の根幹となる職業労働が揺らいできているのである。
　「家族の場合と同様、職業もかつての安定性と防衛機能を失いつつある。職業が安定性と防衛機能を失うとともに、人間は、産業社会時代に登場した、人生の営み方の内的背柱をうしなう。」（275頁）
　標準化された完全就業システムから柔軟で多様な部分就業システムへ、という変更は、資本から見てそうであるだけで、働き手の側から見れば、人生の根幹の不安定化であり、消失である。しかもそれが収入の減少を伴ってくる。
　「勤務時間の弾力化が、すなわちフルタイムの職場からさまざまな種類のパートタイムの職場への転換が生じているが、それは常に収入の変化を伴うのである。」（280頁）
　コンピュータ、産業ロボット、による人員削減、非正規雇用の増大、労働生産性の増大、雇用の減少、など現代の産業における労働の変化が、「産業社会の統一的な標準労働市場と、リスク社会の柔軟で多様な部分就業の市場とへの労働市場の新たな分裂が生じ」（283頁）させ、格差を拡大させ、新しい貧困を生んでいく。
　「見かけ上行き詰まっている状況のなかに、企業は、パートタイム労働や部分就業という生産力を発見した。あるいはより一般的には、労働力投入規範の脱標準化と、それに含まれる、マイクロ・エレクトロニクスを基礎にした組織作りによる生産性向上の可能性を見出した。このような事態は、個々ばらばらに、矛盾した形で、飛躍的に進展する。」（286頁）
　西ドイツでは、1985年5月の雇用促進法で労働市場と労働法の柔軟化のための法律的基礎が与えられた。日本が輸出主導で経済を拡大させていったのに対して西ドイツでは、同じ時期にワークシェアを実施していく過程で資本は生産性向上の可能性を見つけ出したというのである。
　「多様で柔軟な部分就業と脱中心化された労働形態を有する新しいシステムは、より高い生産性を（自己の正当性の根拠として）引き合いに出すことができる。そしてそのより高い生産性が、これまで最終的に相変わらず決着をつけてきたのである。」（292頁）
　産業社会からリスク社会への転換は、西ドイツの資本が長期不況に直面して取ってきた様々な労働施策と技術革新、それが結びついて引き起こした社会変動だった。そしてその特徴が社会的不平等の個人化だった。この社会変動を引き起こした要因である経済について、ベックはこれをサブ政治と名づけて、これへの対抗の可能性を考察している。次にそれについてみてみよう。

７．新たな共同性を求めて
　ベックの問題意識は、働き手にとって従来人生の根幹をなしていた職業労働が、技術革新や労働の非正規化によって揺らいできて、新しい貧困が拡大してきたときに、どのような抵抗運動が起きるのかというところに定められている。
　「（七）それに従って、ここでは、個人化は、歴史的に矛盾に満ちた社会化過程として、理解される。登場しつつある個人化された生存情況が、集団性をもつことと標準化されていることを概観することは困難である。しかしながら、それを概観することはまさにこの矛盾を際立たせ意識化することである。そうすることによって、新しい社会文化的な共同性を登場させることができるのである。例えば、近代化にともなうリスクとリスク的情況が深刻化するに従って、市民運動や社会運動が形成されてくる。あるいは、個人化過程の進展にともなって、（物質的、空間的、時間的という意味でも、社会関係の形成という意味でも）『ほんの少しの自分の人生』に対する期待が系統だって呼び覚まされる。もっとも、その期待は、まさに個人化の展開過程において、社会的および政治的な制約や抵抗に出くわす。このようにして常に新しい探求運動が登場する。その運動は、一部には、さまざまなオルタナティブ・カルチャーや若者のサブカルチャーという形態で、社会関係や自分の人生や身体とのつきあい方を実験している。共同性は、とりわけ、抗議という形態と抗議の経験において形造られる。この抗議は、私的なるもの、すなわち『自分自身の人生』への行政や産業による不当な干渉によって燃え上がり、これらの攻撃に対抗して発展する。この意味において、新しい社会運動（環境運動、平和運動、女性運動）は、一方でリスク社会における新しいリスク情況と、登場してきた男女間の矛盾の表現である。他方において、新しい社会運動がどのような形態で政治化されるか、それが安定するかしないかは、脱伝統化され個人化された生活世界における社会的アイデンティティ形成過程に依存しているのである。」（142～3頁）
　まず、ベックは個人化の下で多様で孤立したものとなっている個々人の生存情況が集団性を持ち、かつ標準化されているという観点から概観することを要請している。そこから、「新しい社会文化的な共同性を登場」させることが可能となるというのである。ベックが例に挙げているのは市民運動や社会運動である。新しい社会的リスクが深刻化することで、そのような多様な運動が形成されてくるのだが、その運動の思想的コアについて、ベックは個人化によって呼び覚まされる「ほんの少しの自分の人生」に対する期待感が生じるなかで、これが抵抗を受け、「自分自身の人生」への不当な干渉と意識され、抵抗運動が起きていると概括している。そしてそのような新しい社会運動がどのようなかたちで政治化され、安定化されるかということの解明を問題として提起している。その際にベックが重要視するのは、今日サブ政治の登場によって、政治の枠がとり払われているという事態である。
　「政治システムのさまざまな機関（議会、政府、政党）にとっては、産業、経済、テクノロジー、科学というような生産の分野がシステムの機能上前提として必要になる。ところが、それによって、さまざまな社会生活領域を永久に変えてしまうような変化が、あらかじめ組み込まれる。そして、そのような変化は全て技術＝経済進歩の名の下に正当化されるのである。だが、このような形の変化は、民主主義の最も単純なルール――社会変化の目的を知っておくべきこと、話し合い、採決、同意の必要など――と相容れない。」（379頁）
　ベックが概括したような、西ドイツにおける産業社会からリスク社会への移行は、民主主義にもとづく政治的機関の決定によるものではなく、もっぱら技術的経済的変化によるものであった。ということは、技術的経済的なものが社会生活領域を完全に変えてしまうような力として働いているのである。そしてこのような力は民主主義のルールに従って行使されているわけではない。
こうして、社会変化に関して言えば、「政治の停滞の一方で、技術＝経済システムの想像を絶するようなめまぐるしい変化が進行している。」（380頁）のであり、「政治と非政治の概念が曖昧になり、概念の体系的な修正が必要になる。」（380頁）とベックは問題提起をしている。まず従来の政治の枠がとり払われる。
　「二つの事態が進展している。一つは、社会福祉国家という形の公的介入がその成功のゆえに色あせていくことである。もう一つは、大規模な技術革新の波とこれがもたらす未知のリスクである。この二つの事態が同時に進展していくことにより、政治の枠がとり払われることに至る。」（380頁）
これは結局は従来の福祉国家が予定していた国民の生存情況が、技術的経済的なものによって大きく変化させられるなかで、新しく生まれてきた国民の生存情況に対応できなくなってきたということであろう。ちょうど今日の日本がその状況にあるが、日本の場合は、自民党政治がずっと継続していたこともあって、政権交代後の民主党の政治への期待が高まってきているという相違がある。それはともかく、ベックが政治の枠がとり払われるというのは、本来非政治的とみなされてきた技術的経済的なものの政治的役割を認めようとする見地からである。
　「変化とそれに伴う潜在的なリスクが増大するのと並行して、技術＝経済的発展が、非政治としての性格を失うのである。新たな社会の輪郭は、もはや議会での話し合いや行政府の決定によって決められるのではない。それは、電子工学、原子炉技術、人間遺伝学の発展によって決まると考えられるようになる。・・・・技術＝経済的発展は、政治のカテゴリーにも非政治のカテゴリーにも入れられない、つまり何か第三の形の政治、いわばサブ政治という不確かでどっちつかずの存在となる。」（381頁）
　技術的経済的なものは、本来政治的なものではないしまた政治のルールを持っているわけでもない。しかし、そのようなものが、社会の変化を推し進める力を持ってきていることを認めるベックはこれにサブ政治と名づけている。もともと経済発展は社会を変えていくというのはある種の常識であるが、しかし、これまでの理解は、資本主義の発展によって、二大階級からなる社会が形成されるという意味であった。ベックは二大階級が形成されて以降の社会の変化を個人化と位置づけ、個人化を推進する力をサブ政治と名づけたのだ。
　「今や社会を形成する潜在的可能性は政治システムから科学＝経済的近代化というサブ政治システムに移っている。政治と非政治との間の不明確な転換が生じる。政治的なものが非政治的となり、非政治的なものが政治的になる。」（382頁）
　戦後の福祉国家の時代には、国家独占資本主義論が幅を利かせていたが、国家の経済過程への介入による社会形成という文脈であった。ベックは多分このような考え方との対比で、社会を形成する潜在的可能性の、政治システムからサブ政治システムへの移行を説いているのであろう。サブ政治が主導となったことで、「政治の機関は、自分が計画もしなかったし、形成することもできない発展の弁護人となり、どういうわけかそれの責任も持たなければならない。一方、経済と科学における決定は政治的内容を含まざるをえないが、この決定を下す当事者はいかなる正当な権限も持たないでそれを行う。社会を変える決定はどこかわからないところから無言で匿名で下される。」（382～3頁）ということになる。
　サブ政治が社会を変えていき、政治をリードするような時代にどのような運動が可能となるのだろうか。
　「政治＝行政システムはもはや政治が行われる唯一の場所、あるいは中心ではありえない。まさに民主化によって、形式的な権限や機能の規定にもかかわらずさまざまな形で政治への参加が生じ、政治的取引が生じ、法の解釈が変えられる。そして、これらに対する抵抗も生じる可能性がある。」（391頁）
　一昔前の運動は政治運動であり、権力や政治機関に向けて闘われたが、そのような運動のスタイルとは異なる運動が登場してきている。政治の場以外での運動であるがゆえに、社会運動を名付けられているが、しかしベックはそのような運動にも、政治性を見ようとしている。「専門細分化した民主主義のほかに、新しい形態の政治文化が形成される。」（395頁）結果、「市民はこれまでのきまりきった形の政治活動の概念では、全く捉えられないような多様な形態で政治的活動をはじめた。例えば、市民運動であり、さらには、いわゆる『新しい社会運動』であり、そして最近では、オルタナティブで批判的な職業活動である。」（396頁）というのである。
　ベックは新しい運動について、市民運動と社会運動、それにもうひとつ、市場経済と雇用労働とは別の働き方を挙げている。ベックがこのような新しい運動の政治性に注目するのは経済や科学といったサブ政治に対抗しうる運動だからである。
　「これらのサブ政治（経済、科学）は実際は社会的生活の基盤を変化させているのであり、自分の手段を用いて政治を行っているのである。」（457頁）
　日本の生協運動の政治性ということを考える場合に、ベックのサブ政治論は非常に面白い提起となっている。個人化した社会でのリスクは「自分自身の人生」へのリスクや干渉となるのだが、それへの抵抗運動を生み出すことはすでに見てきた。生協運動は、食べ物という自分自身の人生にとって不可欠の材についての関心を土台としている。生協運動は日常の食べ物という問題に結び付けられる限りで、大勢の参加で運動に取り組むことが出来る。つまりベックが抵抗運動の共同性の欠如を嘆かざるを得なかったのだが、生協運動は「自分自身の人生」へのリスクや干渉に対する集団的な運動をすでに実現しているのである。
　そしてそのような運動が、例えば遺伝子組み換えの表示を求める運動とか、六ヶ所村の再処理工場に反対する運動などのように、従来の政治の枠組みの中にある革新政党では展開できなかった課題をも政治問題として提起していっている。つまり伝統的な革新政治はサブ政治には無力であった。これに対して「自分自身の人生」の中心的課題である食べ物を切り口にした生協運動は、サブ政治に対抗しており、この意味で、それは新しい社会運動としての意義を持つとともに、政治的活動としての意味を持っているのである。

８．新たな階級闘争の可能性
　以上ベックの7つの論点の整理にしたがって、ベックの説を日本の歴史的現実と照らし合わせつつ検討してきたが、最後に新しい階級闘争の可能性という問題提起について検討しておこう。
　新しい貧困、リスクが個人にふりかかる、といった事態のなかで、どのような闘いが可能なのか、という問題を提起するに当たり、ベックは新しいリスクの特徴について考察するところから始めている。
　「プロレタリア化というイメージにおいては、物質的窮乏化と疎外体験という証拠があるのでプロレタリアの連帯は当然の帰結であった。それに対して、雇用労働のリスクによって共有性が作り出されることはない。雇用労働のリスクは、そのリスクの克服のために、社会政策上および法律上の措置を必要とする。その社会政策上および法律上の措置によって社会的要求の個人化が進展する。つまり雇用労働者のリスクは、まさにその個人化という現象のために、共有性はとらえにくくなり、個人的・臨床治療という形態に対するものとしての集団性のうちにしか把握できなくなる。このようにして、労働組合や政治による処理形態は、個人化しつつある、法的、医学的、心理療法的なカウンセリングと競合関係に立つ。そのカウンセリングは、場合によってはかなり具体的であり、当事者は生じた苦悩と負担をはっきりした形で克服する。」（188～9頁）
　過去の階級闘争の時代にあっては、貧困やリスクはプロレタリアの共通した体験として、共有化され、連帯して集団的に運動することが可能であった。しかし現在のリスク社会にあっては、雇用労働のリスクが中心になっているのだが、そのリスク克服の措置は、社会政策上、法律上の措置であり、これはまさに個々人によって異なる措置としてなされ、結果として共有性や集団性へと向かわないとベックは分析している。
　端的に言えば、人間の孤立は昔は「一人ぽっち」だった。しかし今は「みんなぽっち」となっているのである。過去において人々は大勢のなかで連帯感をもてたが、現在は個人化の結果、大勢のなかでの孤立という事態となっているのである。
　「まったく新しい形態で、そしてひょっとしたら政治的な改革の試みよりも徹底的に、社会と政治の構造が変化と適応を迫られる。そこでは社会文化的な生活形態の永続的な侵食と進化が生じ、それを通じて『個々の領域において違った行動をする』実践の永続化という形での変化と適応となる。この意味において、過去数十年の脱伝統化は、一つの学習過程を開始させた。その歴史的影響（例えば、教育関係や男女関係への）を、われわれは今か今かと待ち受けることができる。
　50年代と60年代にあっては、人間はどのような目標に向かって努力するのかという問いに対してはっきりと答えを出すことができた。その目標は、『幸せな』家族生活というカテゴリーのなかにあり、マイホーム、新しい自動車、子どもに良い教育を施すこと、自分たちの生活水準の向上等を実現する計画を伴っていた。今日、多くの者は別のことを誇る。そこで目標とされるのは――必然的に曖昧な――『自己実現』『自分自身のアイデンティティの探求』『個人的能力の発達』『いつも向上しようとすること』である。」（190頁）
　このような大勢のなかでの孤立、という問題を現実として認めたうえで、ベックは人々の日常生活に対する意識上の変化の分析を進めている。西ドイツでも日本でも、経済の高度成長期における働く人々の人生の目標は、生活水準の向上というところに集約されていた。ところが80年代の西ドイツにあっては自己実現やアイデンティティの探求や個人的能力の発達、といった曖昧な目標にとって代わられたとみている。日本でも80年代には本屋の書棚が、経済・政治・社会中心から、心理学、精神世界、宗教へと移っていった。
　「個人化のこのような価値体系は、同時に『自分自身に対する義務』という原則に依拠する新しい倫理の発端も含んでいる。この倫理は、伝統的倫理と対立する関係にある。・・・・・容易にエゴイズムやナルシズムの表現として誤解されもする。しかしそれによって、ここにあらわれ出てきた新しいものの本質を見誤ることになる。その本質は、自己啓蒙と自己解放の方に向いている。それは、自分自身が取り組む生活実践における過程である。そのなかには、家族や労働や政治における新しい社会的な結びつきの探求も含まれる。」（191頁）
　ベックは個人化の下での新しい価値観について、新しい倫理の発端となっていることに注目し、エゴイズムやナルシズムとみなされがちな状況のなかに自己啓発と自己解放の方向性を見て取ろうとしている。それは具体的には自分の生活実践を変えることであり、家族や労働における新しい社会的結びつきの探求であるという。
　「発展しつつある私的領域の政治的潜在力は、自分の可能性を知覚することにある。つまり、変革を目指す直接行動によって、深く根ざしている文化的な自明性を破壊し克服することができると思うのである。」（191頁）
　ベックのここでの提起は、個人的な取り組みを念頭においているようだ。しかし、すでに述べた日本の生協運動のように、「自分自身の人生」へのリスクや干渉に対抗する大勢の運動に取り組むことで、サブ政治に対抗して、自明的なものとされているマスコミや大企業発の生活文化を批判し、新しい生活文化を創造する、というようなことが想定されてもいいのではなかろうか。
　「一般的に表現するならばこうである。意識的に知覚され、広範に存在する私的行動空間に、リスクが存在し、されにそのリスクが体験されうるという点に、今日（階級文化に規定された生活世界以外における）社会的紛争や運動を発火させる火花が存在するのである。」（192頁）
　今日のグローバルな社会運動は、世界社会フォーラムに集まる人々やイデオローグを見ても、協同組合への注目は不充分にしかなされていない。それはやはり伝統的な政治という視点から運動体を評価するという視角に囚われているからであるように思われる。ベックのように、新しい社会運動の政治性をサブ政治への対抗という点に求めるならば、協同組合への評価もまた違ったものとなってくるのではなかろうか。協同組合とは何よりも「自分自身の人生」へのリスクや干渉に対して集団的に対抗できる組織として機能しうることにもっと注目が集められ、またこの点が協同組合の新しい価値として認識される必要があるだろう。
　「人々は、ここでも社会問題情況の克服のために、社会的・政治的に連帯することを強いられている。しかし、この連帯は、ある図式、例えば階級図式に従って作られるわけではない。互いに対立しながら独立している私的存在の孤立は、むしろ、さまざまな種類の成果や発展によって、社会・政治的に打ち破られる可能性をもつ。それに従って、人々の連帯は、個々の項目ごとに、個々の状況やテーマごとに締結・解消される。またさまざまな状況ごとに全く異なった集団と締結・解消される。例えば、飛行機の騒音を阻止するために市民運動において隣人と連帯しつつ、同時に金属労働組合の組合員であり、また政治的には右派を選ぶことが可能である。連帯はこの意味において、あらかじめ与えられた社会的戦場での個人的な生存競争における、状況依存的で人物依存的な目的を共有する同盟である。ここで明らかになったことは、個人化過程が進展するなか、闘争の路線とテーマがいかにして多元化してきたかということである。個人化した社会では、従来の図式化をぶちこわすような新しく多様な紛争やイデオロギーや連帯のための土壌が用意されている。その紛争やイデオロギーや連帯は、多かれ少なかれ、テーマごとに異なり、決して一様ではなく、状況や人物に関係している。」（193～4頁）
　ベック自身は新しい階級闘争についての積極的な提案はしていない。しかし新しい運動の組織が解決していなくてはならない組織的課題については明確にしている。個人化されたなかでの、また多様な紛争やイデオロギーを含んだ形での連帯のあり方、これは言いかえれば個々人の唯一性を残した上での共同性を実現する組織形態の探求である。
　従来の階級政党や労働組合が、政治的意志統一を求めて個々人の階級的・政治的同一性を要求し、個人の唯一性に干渉するものであったのに対して、協同組合は事業を共通の目標として形成される人々の集団であり、そこでは政治的意志の統一やイデオロギー的同一化は求められず、個人の唯一性は保存されている。
　協同組合は、従来の伝統的政治観からすれば、政治的意志統一の不可能な、したがって政治活動からすれば頼りにならない存在であった。しかし伝統的政治が力を失いサブ政治が横行している今日、サブ政治に対抗できる協同組合の政治的意義を解明する必要があるだろう。恐らくそこでの政治は、政治権力の打倒とか、労働者の政治権力を樹立するとかいった、これまでの左翼諸政党が思い描いてきた政治とは全く異なるものとなるだろう。
　日本では8月30日の総選挙で民主党が第一党となり、政権交代が実現した。民主党がどこまでマニフェストで述べた官僚主導の政治の打倒を実現できるか、また民主党が打倒のための力をどこに求めるか、と考えたとき、サブ政治に対抗している勢力との同盟が考慮されなければならないだろう。日本はたまたま官僚主導の自民党政治が続いていたことで、伝統的な政治の意義も失われてはいない。しかし、サブ政治に対抗する勢力との同盟なしには、政治改革も中途半端になる危険性があることを指摘しておきたい。

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2009/09/30

出版のご案内

Author: ebara (10:35 pm)

出版のご案内

以下でお知らせする出版で予約購読申込者を募集しています。
7冊（1万円）纏めると7掛けにします。
ご希望の方は以下のメールアドレスに連絡下さい。
sakatake2000@yahoo.co.jp

『誰も切らない、分けない経済――時代を変える社会的企業』

著者：共生型経済推進フォーラム　　編集：柏井宏之・境　毅　　
企画協力：近畿ろうきん地域共生推進室
発行：同時代社　　発行日：2009年10月30日　　定価：2000円

内容目次

巻頭言Ⅰ　信頼と連帯をめざす社会経済システムの創造　
　　　　　津田直則（桃山学院大学教授、共生型経済推進フォーラム代表）
巻頭言Ⅱ　包括的社会をめざしての挑戦――イタリアにおける社会的協同組合
　　　　　　　　　　　　　　　　カルロ・ボルザガ（トレント大学教授）

第一章　反貧困キャラバン連帯in大阪　シンポジウム報告
基調報告
「流動的貧困層」の新しい形＝若年ホームレス生活者への支援の模索
　　　　　　沖野充彦（NPO法人釜ヶ崎支援機構事務局長）
　各パネリストの発言
引きこもり、「ニート」サポートの現場から　
　　　　　　　　今泉麻理（NPO法人ニュースタート事務局関西事務局長）
派遣労働者の相談窓口から　　
　　　　　中村　研（ユニオンぼちぼち副委員長・派遣ネット関西事務局次）
母子家庭の貧困－その現状と課題－　　　　　
　　　　中野冬美（NPO法人しんぐるまざーず・ふぉーらむ・関西事務局長）
ホームレスをビジネスパートナーとして　　　
　　　　　高柳未奈子（NPO法人ビッグイシュー基金）
釜ヶ崎支援機構、福祉相談部門の仕事から　　
　　　　　　尾松郷子（NPO法人釜ヶ崎支援機構・生活・福祉相談業務統括）
障害者の労働問題の現状　　　　
　　　　　　斎藤縣三（NPO法人共同連事務局長、わっぱの会代表）

第二章　社会的企業家へ聞くⅠ
福祉的就労でも、一般就労でもない、第三の道
　　　　　斎藤縣三（NPO法人共同連事務局長、わっぱの会代表）
斜に構えず、覇を競わず、地域に溶けて――就労支援とまちづくりにかけて
　　　　　冨田一幸（株式会社ナイス代表）
誰も野宿しなくていい社会を
　　　　　沖野充彦（NPO法人釜ヶ崎支援機構事務局長）
誰もがそれなりに働いて、生きがいをもてる社会を創る
　　　　　山田　實（釜ヶ崎反失業連絡会代表）

第三章　社会的企業家へ聞くⅡ
一時保育施設のモデルケース――ワーカーズ・コレクティブの強み
　　　　水町由紀子（企業組合ワーカーズ・コレクティブ　キッズルームてぃ　　　　　　　　　　んかぁべる前代表）
安定した保育園経営を土台に、地域づくりと障害者雇用にチャレンジ
　　　　　伊藤保子（NPO法人ワーカーズコレクティブさくらんぼ理事長）
WEショップ：自前の事業を持ったNGOの海外支援と、地域のコミュニティの場の形成
　　　　　郡司真弓（NPO法人WE21ジャパン理事長）
地域のたすけあいワーカーズ支援から、社会的企業を構想する
　　　香丸眞理子（NPO法人アビリティクラブたすけあい〈ACT〉　理事長）
　　　加藤昌雄（NPO法人アビリティクラブたすけあい〈ACT〉　事務局長）

第四章　6.28シンポジウム　誰も切らない経済を地域に創る　報告
基調報告　「包摂」から「共創」の地域づくりへ
　　　　　　　　――イタリアにおける社会的企業の広がりとその課題
　　　　　　　　　　　　　　　　田中夏子（都留文科大学教授）
　各パネリストの発言
障害者雇用と会社経営の革新　　　矢野孝（矢野紙器株式会社代表取締役）
地域社会における生協の役割　　　河崎豊彦（生活クラブ京都エル・コープ専務理事）
知的障がい者の雇用をはじめて　　福田久美子（株式会社美交工業専務）
大阪希望館の取り組み　　　　　　山口勝己（自治労大阪市職員労働組合執行委員）
サードセクターの社会づくりデザインを探る　
中村順子（NPO法人コミュニティ・サポートセンター神戸理事長）

第五章　社会的経済・社会的企業促進に向けて
社会的企業とこれを支える社会的金融　　　　　　　　
　　　　　　　　　　法橋　聡（共生型経済推進フォーラム運営委員）
新しい社会的リスクと日本型ソーシャル・ガバナンス　
　　　　　濱西栄司（京都大学大学院・共生型経済推進フォーラム運営委員）
関西の共生型経済推進フォーラムの活動の意義と今後　　
　　　　　柏井宏之（共生型経済推進フォーラム運営委員）
聞き取り調査、シンポジウムの報告と社会的企業促進の政策的課題　　　
　　　　　境　毅（共生型経済推進フォーラム運営委員）

補章　　共生型経済推進フォーラム活動報告
あとがき

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2009/07/25

緊急提言　反貧困の多様な運動の連帯を目指して

Author: ebara (8:56 pm)

緊急提言　　反貧困の多様な運動の連帯を目指して

解題
やっと衆議院の解散が決まり、8月30日投票となりました。解散を遅らせたことで自公政権は却って支持を失い、政権交代が確実視されています。そのようなときに政策提言の裏づけとなる運動における連帯が問われます。この点について、前掲の社会的企業促進論を踏まえて緊急提言を掲載します。

１．はじめに
　世界恐慌に突入することで、日本の社会は敗戦時のような混乱状況を迎えている。異なるところは支配階級の暴力装置や官僚機構が依然として存続し、政・官・業が癒着した戦後高度成長期の国家独占資本主義の上部構造が、この間の新自由主義的改革にも耐えて残存し、自公連立政権も打倒はされていない、という点だ。
　しかしながらさすがに貧困問題を切り口に、社会のありとあらゆるところから、新しい運動が始まっている。ここでは個々の取組みには言及せず、多様な取組みがおのずから連帯していくことができるような仕組みについて提案することにしたい。

２．支配階級が仕掛けた階級闘争の日本的独自性
　小泉改革で国家独占資本主義の上部構造は解体されず、逆に日本の社会が一気に解体されたのは、支配階級から仕掛けられた、日本における階級闘争の独自の展開による。日本における政治権力は中央官庁に集中しているが、新自由主義改革は、アメリカの年次改革要望書に沿って官主導でなされ、政・官・業癒着の上部構造の施策として実施されたのだ。
　その結果改革の痛みは社会の被支配階級や中小企業、中産階級に集中することとなった。労働者階級に対する新自由主義的締め付けは既に中曽根政権から始まっていたが、90年代後半になって大企業の終身雇用制という日本の雇用レジームそのものの解体へと突き進み、小泉政権下での規制緩和で非正規労働者が急増した。従来日本の福祉レジームは福祉国家によるのではなく、雇用レジームと家族に内包されていた。雇用レジームの解体は同時に福祉レジームの崩壊を意味し、人々はあっという間に社会という受け皿から排除される滑り台社会に直面するようになったのだ。
　文字通り社会の底は抜けた。セーフティネットの張替えが急務となっている。ここでどのような政治が問われているか、このことを明らかにするには、支配階級から仕掛けられた階級闘争に、ひとまずは敗北したという現実を見据えることが必要だ。

３．仕掛けられた階級闘争での闘わずしての敗北
　ハーヴェイが言うように、新自由主義はアメリカやイギリスで大衆に対して一時期同意を取り付けることに成功した。日本でも事態は同じように進んだが、アメリカとの20年のタイムラグは、新自由主義の後始末の時代に新自由主義的改革を進めてきたという、奇妙な事態をどのように総括するかということを問いかけている。アメリカでレーガンが、イギリスでサッチャーが新自由主義的改革を始めたとき、日本は世界一の金融大国への途上にあった。バブル経済に湧いていて、国民は総じて新自由主義者であったが、経済大国、金融大国であったがゆえに改革は導入されなかったのだ。そしてバブル崩壊後の90年代の日本の世論は、再びのバブル経済待望で、経済成長を待ち望んでいたのだ。
　父ブッシュ政権時代に始まった日米構造協議と以降のアメリカ政府による年次改革要望書は、アメリカによる新自由主義的改革の提案であり、これに沿って、官僚が主導する日本の政治権力は漸次的改革を進めてきた。その結果、上部構造はそのままで、経済における新自由主義的改革が進み、90年代後半からは、日本は統計指標からすれば好景気を持続しているにもかかわらず、国民経済は疲弊していくという時代を迎えることになったのである。
　つまり90年代の日本の新自由主義的改革は、アメリカやイギリスのような政治主導ではなく、官僚主導でなし崩し的になされ、新自由主義に対抗する運動は大衆化することはなかった。そして小泉による政治主導の新自由主義改革で国民はこれに同意を与え、雇用レジームの解体を甘受させられることで貧困問題が顕在化し、やっとのことで当事者たちの対抗運動が始められたのである。

４．政策転換の準備はなく、対抗運動もやっと立ち上がる
　このような経過を踏まえると、イギリスでサッチャーの新自由主義的改革のあとに、労働党が、第三の道を掲げて政権に復帰したことや、韓国が97年のアジア経済危機以降、第三の道的政策を実施してきたことについて、日本の政界ではまともな検討がなされてこず、したがって、日本では新自由主義に対抗する第三の道的政策提言も、既成政党からはなされていないという現実はある意味では必然であった。
　また新自由主義に対する対抗運動は、ヨーロッパの社会的経済論や、サパティスタの「もうたくさんだ」という合言葉での武装蜂起、そして、WTO閣僚会議への直接抗議行動から世界社会フォーラム開催へという形で繰りひろげられてきたが、日本の左翼は蚊帳の外の状態であった。
　新自由主義に対抗する運動は極少数で全体的には無風状態を余儀なくされ、また対抗する政策提言も準備されないまま、日本社会の底が抜けてしまったという現段階において、何が問われているだろうか。

５．直接行動における組織活動の改善
　一つは世界社会フォーラムに結集する運動体の直接行動の組織方法について、左翼は学ぶことが必要だ。今日の日本でも個人化といわれる現象は進んでおり、組織や他人との連帯を避ける傾向が見られる。直接行動は、個々人の多様性を認めたうえでの多様な行動のアンサンブルとして取組まれており、党派や組織が指導する形での従来の取組みとは異なっている。
　そもそも70年代以降運動は停滞したという日本の左翼諸党派の言説は、デモやストライキといった直接行動に対してのみ言えることで、新たな社会運動は70年代とは比較にならないほどの成長を見せている。旧態依然たるデモしか組織できていないことは、直接行動の新たな組織論の確立における諸党派の立ち遅れの帰結である。

６．反貧困の取組みでの連帯
　従来正規労働者の立場の防衛しか視野にないといわれてきた連合も、反貧困の活動や派遣労働者の組合作りに取り組み始めている。新しく登場してきた派遣労働者の地域ユニオンと、野宿者支援の活動グループが場を提供する形で反貧困の運動における連帯が進んでいる。これまでの労働者保護や社会福祉のための既存の伝統的な組織も、新しい事態に対する対応を始めている。反貧困の運動上での繋がりはあらゆる効果的な運動の前提である。

７．下からの運動による第三の道
　政策レベルでは第三の道に基づく施策が必要であるが、既成政党には用意がない。とすれば下からの第三の道の政策とその経済・社会システム創りを運動として提起することが問われている。おそらく多様に取組まれている今日の運動の多様性を残した上での連帯は、同種の運動体の連合組織や一日限りの統一行動ではなく、異なった運動体の相互協力による連帯経済の形成に向かうしかなく、このレベルでのナショナルセンターの形成が成し遂げられるべきであろう。
　貧困問題への共同した取り組みを通して、非営利・協同セクターによる連帯経済の創出が日程に上っている。福祉レジームの崩壊はゆりかごから墓場までの生活のあらゆる領域での新たな労働・福祉レジームの創造を要求している。反貧困の取り組みを入り口に、労働組合、協同組合、共済組合、NPO、ボランティア、中小事業者、地域金融などの連繋により、第三の道に基づく新たな労働・福祉システムを先行して創り出すことが可能となっている。このようにして生成される連帯経済は当然にも政策的課題の解決を求めてくるであろうし、そのための法的整備の取組みも運動側によって成し遂げられなければならないであろう。

８．政・官・業の癒着の打破
　政・官・業の癒着の糊代は官僚制にある。日本の官僚制は政治による統制を受け付けず、自民党が「霞ヶ関解体」と言ったところで、省庁再編は焼け太りに結果した。日本の官僚制が握る政治権力の秘密は、アメリカや韓国のように政権交代によって入れ替えられることがないというところにある。その結果政策課題は官僚が独占し、民間の政策提言能力は未発達のままであった。しかし今や官僚にとっても貧困大国日本の舵取りという未知の領域に直面している。政権交代と共に官僚の入れ替えを実施するチャンスが訪れている。ナショナルセンターは官僚主導の政治に対抗できるだけの力量を持たなければならない。

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2009/07/24

情況7月号論文、社会的企業促進

Author: ebara (11:24 am)

『情況』09年7月号寄稿論文を掲載します。この号は反貧困特集でお勧めです。

社会的企業・社会的事業所の促進に向けて

　　　　　　　　　　　境　毅（共生型経済推進フォーラム運営委員）

はじめに
　2007年の参院選での与党の敗北以来、自公連立政権はレームダック状況下にありながらもひたすら延命を重ねてきました。この間の政治的空白は100年に一度の危機を迎えても継続されています。政治が空転している中でヘゲモニーを取っているのは官僚です。しかし官僚は天下り問題や年金問題などの腐敗、背任行為で正当性の危機にあるだけでなく、この間、主としてアメリカの年次改革要望書に沿って、郵政民営化などの改革を実施してきたにすぎず、日本独自のビジョンをもって事に当たっていたわけでありませんでした。
　新自由主義がアメリカ発の金融危機で後退した今日、新自由主義的改革で日本独自の福祉レジームは崩壊して、日本社会は至る所からほころび始めています。この状況を迎えて政府は、新たなビジョンもないまま、なし崩し的な政策転換に踏み切っていますが、効果をあげることができていません。いまや政治の出番なのですが、しかるべき政治勢力は登場していません。とはいえ全国さまざまなところで、多様な問題を解決すべく新しい運動が始まっています。ここでは非営利・協同セクターにおける新しい動きについて報告し、多様に繰り広げられている運動との連繋を探って行きます。
　最初に要約をしておきます。
　非営利・協同セクター（協同組合、共済組合、アソーシエーション、NPOなどの、公的セクター、民間セクターとは異なる、サードセクターを構成する諸団体）の当面の課題は社会的経済、社会的企業促進に向けて、連帯経済を構築していくことにあります。それによりサードセクターを充実させて、日本における新しい労働・福祉レジームを市民主導で形成していくソーシャル・ガバナンスを展開していくことがいま問われています。

１．共生型経済推進フォーラム
　私は05年に開催された、「勃興する社会的企業と社会的経済」をテーマにフランスからジャンテ氏を招聘した、市民国際フォーラムの関西シンポジウムの実行委員会に参加しました。その後、その実行委員会が引き続き活動を継続することを目標に06年に結成された共生型経済推進フォーラムに運営委員として加わり、社会的経済、社会的企業促進の活動に関わってきました（このシンポジウムの報告は同時代社から出版された『勃興する社会的企業と社会的経済』参照、なお共生型経済推進フォーラム結成についてもこの報告の資料編参照）。
　フォーラムは07年度の総会で、2年間かけて社会的企業促進に向けての政策提言文書を作成することになり、研究会や社会的企業家からの聞き取り調査などを行ってきました。その作業の途中で明らかになってきた諸問題について、この場で報告します。

２．日本での社会的経済促進の動き
　ヨーロッパで社会的経済と呼ばれているものの構成団体は、協同組合や共済団体、アソーシエーション、NPOなどです。日本にもこれらの団体は全てありますから、つい日本にも社会的経済があるという錯覚に陥りがちです。私も最初はそう考えていたのですが、実はヨーロッパの場合、これらの団体がそれぞれ横に繋がって、地域的規模や国民的規模で相互扶助を実施していることがわかり、日本にはこの繋がりが全然見られないこともわかってきて、結局社会的経済なるものは、日本では発展途上であるという結論を出さざるを得ませんでした。
　他方社会的企業とは、ヨーロッパでは、社会的経済が占めているサードセクター（第三セクターというと、日本では別のものとなりますのでこの言葉にします）の中で新たに登場している事業所のことで、社会的排除に抗して社会的包摂の取組みを行っています。具体的には社会的に排除されている人々の雇用を実現しています。
　日本でも社会的企業はアメリカ発のソーシャル・ビジネスという観点から最近取り上げられることが多くなってきました。社会的経済が未形成な日本で、社会的企業を構想すると、社会的起業家の新規ビジネスという見地からの、アメリカモデルのソーシャル・エンタープライズが適合的なのでしょう。
　このような状況の中で、日本でもヨーロッパ型の社会的経済や社会的企業を目指す動きはありました。生活クラブ生協は、国際協同組合同盟（ICA）20回大会（1980年）で行われたレイドロウ報告（『西暦2000年における協同組合』、日本経済評論社）に則って、協同組合的地域社会の創造を目指して、ワーカーズ・コレクティブ（働く人の協同組合）づくりに取組み、代理人運動（地方自治体の議員創出）と連携して、地域に社会的経済の萌芽形態を創り出しています。その動きをまとめる形で社会的経済促進の政策提案づくりの取り組みもなされてきました。生活クラブ生協の二つのシンクタンク、市民セクター政策機構と参加型システム研究所、それに市民政調（市民がつくる政策調査会）が協働して「社会的経済促進プロジェクト」が2002年から二年間活動し、報告書『社会的経済促進に向けて』（同時代社）を出版しています。その後、2004年5月に開かれた世界最初の社会的経済促進の世界会議（モンブラン会議）に参加した人々が呼びかけた社会的企業研究会が2005年には発足しています。この研究会が母体になって、2005年のジャンテ氏招聘市民国際フォーラムが準備されました。市民国際フォーラムの呼びかけ人には、連合総合生活開発研究所、労働金庫協会、生協総合研究所、21世紀コープ研究センター、市民セクター政策機構、協同総合研究所等の組織が名を連ね、非営利・協同セクターの諸団体が始めて一つの目的で集まったという記念すべき取り組みとなりました。これを契機に、私も社会的経済促進の運動に関わることになったのです。

３．社会的企業、ヨーロッパとアメリカ
　社会的企業といってもヨーロッパとアメリカではその中味は全然異なっています。これについては本特集で藤井敦史論文（「・・・・」）が取り上げていますので、簡単に紹介するに留めておきましょう。アメリカの場合は社会的経済という視点はなく、非営利企業の区分は厳密で、協同組合や共済組合は非営利セクターから排除されています。ですから、ポスト工業化社会における企業の社会貢献という視角から社会的企業を位置づけることになります。従来の営利一辺倒の企業活動から社会的な問題意識を持った新しいビジネスモデルとして、ソーシャル・ビジネスを位置づけ、その担い手が社会的企業だというわけです。
　これに対してヨーロッパの場合は、アメリカの非営利セクターの定義からは排除されている協同組合や共済団体を中心とした社会的経済が担う福祉ミックスにおける、社会的目的を持った特定の事業所が社会的企業と考えられているのです。
　日本政府の場合、経済産業省は諮問機関のソーシャル・ビジネス研究会を設置し、アメリカ型の社会的企業を促進しようとしてきています。これに対して日本の非営利・協同セクターは多くの巨大な団体で占められていますが、団体間の連携は希薄です。

４．日本の雇用レジームと福祉レジーム
　アメリカ型のソーシャルビジネスは、この間の金融危機に発する世界恐慌で最も激しい落ち込みをしている日本経済にとっては、時宜にかなうとはいいがたいように思います。むしろ福祉ミックスにおける事業の担い手としての社会的企業を創り出すことが緊急の課題でしょう。このように問題を捉えれば、日本の従来の雇用レジーム、福祉レジームとその再編の方向性について考察することを迫られます。
　この問題についても、本誌5月号に掲載されている長崎浩論文「福祉国家と相互扶助」が適切にまとめています。それで、ここでは大まかな見取り図を描くに留めておきましょう。
　福祉国家がなぜ問題になるかということについて、一般的に言えば、市場で処理できるものは、市場に登場する商品所有者に対する資源配分だけですから、原理的には子ども、高齢者や労働不能者など労働市場に登場しない人々や失業者については、霞を食えということになります（フェミニズムが批判するケアレスマンモデル）。資本主義以前の社会では、家族や共同体が働けない人をケアしてきたのですが、第二次大戦後資本主義が高度に発達して、家族が核家族化し、地域の共同体も相互扶助機能を失う中で、国家による所得の再配分が市場原理を補完するものとして不可欠になってきたのです。
　この福祉国家も各国それぞれ異なっており、国家の役割の大きい国からそうではない国までさまざまです。また福祉国家というと、通常、フォーディズムを補完する戦後体制で、1970年頃に行き詰まったシステムという理解がなされますので、福祉レジームという捉え方が主流になってきています。特に日本の場合、国家の福祉的役割は大きくはなかったので、福祉レジームとして捉える方が適合的です。
　長崎論文で詳しく触れられていますが、日本の福祉レジームの特徴は、大企業の終身雇用制と企業内福祉が一方の柱としてあり、他方で家族と地域の相互扶助という柱があって、これらで市場原理が取りこぼす領域をカバーし、掬いきれない領域について国家が障害者福祉や生活保護という形でセーフティネットを張ってきていました。この二本柱を支えたのは土建屋国家と言われる自民党の政治で、財政政策で地方に雇用を創出してきたのです。まさに日本の福祉レジームは雇用レジームに支えられてきたと言われるゆえんです（宮本太郎『福祉政治』、有斐閣）。
　周知にように、1990年代になって、この日本独自の福祉レジームは崩壊していきますが、その大元は何よりも雇用レジームの解体にありました。90年代半ばから大企業は終身雇用制と企業内福祉の見直しをはじめ、正社員を減らし非正規労働の雇用を増やしていきます。他方で地方における公共事業も削減され、地方自治体の財政赤字も加わって、地方の雇用も急激に減少してきました。雇用レジームによって支えられてきた日本の福祉レジームは、雇用レジームの解体によって未曾有の危機に陥っているのです。
　市場原理からすれば、労働市場で非正規労働者が増大していくことは、労働力の再生産に支障が生じる人々の増大を意味していて、それだけ社会の溜が消失していくことになります。企業が労働者の再生産のための社会的費用を支払わなくなってきていると同時に、家族の相互扶助の機能も解体され、市場原理では掬いきれない領域が拡大しているにもかかわらず、国家は小さな政府を目指して、社会保障費の切りつめをやってきていました。
　以上のように、日本の福祉レジームが、それによって支えられてきた雇用レジームの解体によって崩壊させられた、という経過を踏まえるならば、単に福祉レジームの再編や、福祉ミックスの創造といったことではなくて、労働と福祉とを一体として捉えた新たな労働・福祉レジームの形成が目指すべき方向だということが判明してきます。

５．連帯経済の可能性
　どこから見ても救いようのない状態にあるのが日本の福祉レジームの現状です。だからこそ、日本で連帯経済創出の可能性が開けてきているように思います。その際に参考になるのが、1997年にアジア経済危機に直面した韓国の取組みでしょう。膨大な失業者が創り出されたときに、韓国では失業克服国民財団が組織され、民間の基金で民間による失業対策が実施されました。またそれまでなかった生活保護については、1999年に基礎生活保障法が制定され、さらには、2007年に社会的企業育成法が制定され、社会的排除に抗する社会的包摂の取組みが始まっています。
　市場原理主義でもなく、計画経済でもない第三の道が韓国でも導入されたのですが、韓国の基礎生活保障法と1950年に制定された日本の生活保護法と比較すると、今日どのような労働・福祉レジームが必要とされているか、ということが判明してきます。社会的企業育成法もそうですが、施策の対象者に、韓国ではワーキングプアといわれている人々を含んでいることです。日本では若者は生活保護の対象ではありませんが、韓国ではそうではないのです。日本の生活保護では、高齢者の場合、一生継続が前提ですが、若者も含めて対象とする韓国では、労働への移行も可能としています。つまり韓国の場合には、単なる福祉レジームとしてではなく、労働・福祉レジームの一環として生活保護が組織されているのです。
（基礎生活保障法については大友信勝さんの講義録http://komae.seikatsusha.net/back/item/all/1215409933.htmlを参照した）。
　現時点での労働・福祉レジームのモデルは既に明らかになってきています。それを実現していくソーシャル・ガバナンスは、非営利・協同セクターの課題です。それが母体となって創り出す連帯経済は、日本にも既に存在している非営利・協同セクターに属する諸団体が、一つの目的で協働するところから始まります。貧困と失業をどうするか、という問題を中心に、社会的排除に抗する社会的包摂の取り組みという目的で、各地で共同行動を組織すること、このことが今問われています。
たとえば、大阪では、住まいをなくした人の再出発センター「大阪希望館」の取り組みが民間の資金と組織で始まりました。いわゆるネットカフェ難民に対する自治体の施策として、大阪チャレンジネットの事業が連合大阪と大阪労福協の受託で始まっていましたが、再出発の支援のためには不足している資源（相談業務と、当座の住まいと食事の手配）を民間の独自の取り組みで作り出そうとしているのです。大阪労働者福祉協議会、連合大阪、部落解放同盟大阪府連、NPO釜ヶ崎支援機構などの諸団体と、宗教界の代表者、そして個人が呼びかけ人となって2年間で6千万円を目標に支援カンパの取り組みが始まりました。これは非営利･協同セクターによる、連帯経済創出の試みとして先駆的な事例となるでしょう。同様の取り組みは各地で行われているようです。

６．21世紀におけるあるべき社会像を求めて
　ヨーロッパ諸国のように伝統的な社会民主主義的政治と社会的経済に頼れない、かといってアメリカのように寄付による慈善事業や企業の社会貢献、社会志向企業によって何とかなるような現状もないなかで、日本における労働・福祉レジーム再建の方向性を、21世紀のあるべき社会像の形成という大きい課題との関連で、明らかにすることが問われています。
　この間の金融危機で、世界的に見ても製造業や流通業や金融業を問わず、多国籍企業として力をほしいままにしてきた大企業が赤字に転落し、国家や社会に対して助成を要求するような時代に入っています。環境問題に対応したビジネスモデルを新たに開発できたとしても、かつての大企業優位の経済体制を復活させることは困難でしょう。ところが日本は世界第二位の経済大国ですが、このことは日本における大企業の地位が非常に強大であることを意味しており、世界的な大企業の退潮傾向は、この間発表された2008年10月から12月のGDP成長率の年率換算でマイナス12.7%という先進国最低の結果に見られるように、日本の経済基盤を大きく揺さぶっています。
　大企業が国際競争力をつけて稼ぐことに基づく日本の経済的発展、という従来のやり方は、既に90年代から破綻を見せてきていました。市場原理主義に基づく世界経済の融合が金融システムを軸に形成されたことで、利潤だけでなく、労賃の国際的平準化傾向が現れました。その上に膨大に生み出されてきた遊休貨幣資本が、架空資本としての取引で利益を上げていくバブル経済のもとで、会社は株主のものという株主主権が成立し、コーポレート・ガバナンスや国際会計基準などで、株式会社の利益を株式市場へと吸い上げる仕組みが成立しました。このような結果、日本の大企業は利益を上げても、日本の国民経済は疲弊し、貧富の格差の拡大が進んでいきました。
　21世紀冒頭に起きたのは、このような他人の資本を投機で資本蓄積する投機・信用資本主義による世界経済支配でした。そしてこのシステムは短期間で自己崩壊し、新自由主義と投機資本主義が残した貧困層や、経済や社会の疲弊をどのように再生させるかが課題となってきています。
　90年代初頭にはソ連の崩壊がありました。そして21世紀初頭には勝ち誇ったはずのアメリカ型の市場原理主義が投機資本主義を招来し、その帰結として自己崩壊を遂げたのです。ソ連型の社会主義でもなく、アメリカ型の市場原理主義でもない第三の道、これはサッチャーの新自由主義的改革によって、福祉国家を解体させられたイギリスで、労働党が社会の再生を掲げたときのキャッチフレーズであり、政策の体系のもととなる基本的観点でした。日本でも韓国同様に、この経験に学んでいくことが問われています。

７．新しい労働・福祉レジームとサードセクターの創造
　第三の道の提起自体は、市場原理主義と社会主義の双方に対する思想的批判がありました。市場原理主義からすれば人間は経営者にしろ労働者にしろ経済人としてケアレスマンをモデルにしていますから、人間の生活や養育やケアを含む家族やコミュニティは切り捨てられます。社会主義では労働者の経済的地位の改善と引き換えに政治的自由が制限されており、また国家による計画経済が不経済になっていることが批判の中心でした。
　自由な個人を生活者としておき、コミュニティを旧来の血縁地縁の関係から解放して、自由な諸個人の連合として設計できる仕組みの一つが協同組合地域社会構想です。もちろんすべてが協同組合で占められることは必要ではなく、望めば参加できる身近なところに協同組合がある、ということでいいのです。現に生活協同組合はそうなっていますが、それは地域づくりを直接の課題としてはいません。地域づくりのためには生協だけでなく、働く人の協同組合であるワーカーズ・コレクティブやワーカーズ･コープがあって、生活全般の領域で事業活動をやり、さらに地方自治に参画する代理人運動を持ち、また独自のシンクタンク・中間支援組織を持つ必要があるでしょう。
自由な諸個人の連合は、雇用労働を超えた新しい働き方に基づいています。雇用労働と福祉国家という二元論を克服しようとする第三の道は、新しい働き方の創造によってしか実現されることはないでしょう。しかもその労働は福祉レジームと一体となったものとして組み立てられるでしょう。従来の福祉的就労ではなく、障害のある人や雇用されにくい人も自由な諸個人として一緒に働ける場、それが新しい労働・福祉レジームの特徴です。
　非営利・協同セクターの諸団体が、地域で一つの課題で連携して連帯経済を構築していく、このような構想にとって現時点での一つの具体的課題が、雇用されない、されにくい人々のための社会的企業です。社会的企業は、雇用を創出し、コミュニティの再生を図る活動の中心となれるような形での制度化が必要でしょう。そのためには、法制化を勝ち取らねばなりませんが、その際、フィンランドや韓国の社会的企業法をお手本にして、いろいろな法人格の企業が参入できるような形が望ましいでしょう。
　また法制化されない段階での社会的企業創出の活動も重要です。その場合は連帯経済の創出と、行政との協働を実現していけるソーシャル・ガバナンスの担い手としての主体形成が非営利・協同セクターに問われます。
連帯経済の創出によって、新たな労働・福祉レジームを市民主導で創り出すという展望が可能となります。そしてその動きが始まることによって、日本の第三セクター（自治体と民間の中間に位置づけられたもので、その惨状については、5月号の本山美彦論文「関西州に向かって追い詰められる橋本大阪府知事への危惧、上」参照）とは別のサードセクター創設の展望が広がります。

８．ソーシャル・ガバナンス
　60年代以降の戦後日本の政治は所得倍増計画に始まり、日本列島改造論でその役割を終えたかのようです。以降は行政改革や、構造改革が続きますが、行政改革は官僚主導の行政を改革することは出来ず、構造改革とはアメリカ政府の年次改革要望書の実行でしかありませんでした。政、官、業の癒着による国家独占資本主義と呼ぶ他はないような戦後日本の体制は、小泉・竹中の市場原理主義による改革も中途半端に終わり、旧体制は打破されないまま、社会の格差が拡大するという負の遺産だけが残されたのでした。そして、市場原理主義に基づく経済成長追求の政治は今や転換を迫られ、第三の道によるソーシャル・ガバナンスの導入が現実性を持ってきています。
　政治がソーシャル・ガバナンスを必要としている原因は、今の社会では雇用と家族の揺らぎにより、人々が個人的には解決不能な社会的リスクに直面していることがあり、それに対して新たな労働・福祉レジームを実現していく政治が不可欠だからです。例えば、非正規の就労しか選択できないような多くの若者の就労条件は、働き続けても生活保護以下の賃金にしかならないワーキングプアを増大させていますが、結婚も子育ても不可能な経済的条件を改善していくような施策が実現されていかなければなりません。新たな労働・福祉レジームを実現するという立場からすれば、住宅に対する補助など多くの手段が可能であり、政治はこの事態に手をこまねいていることは許されないのです。
　他方、ソーシャル・ガバナンスを実現していくためには非営利・協同セクターの関与が不可欠です。そもそも国家と市場の混合体制の行き詰まりに端を発している今日の危機に対して、サードセクターの育成と成長が問われていて、サードセクターの新たな形での成長は、既にある非営利・協同セクターの関与にかかっているからです。

９．連帯経済
　非営利・協同セクターの課題としての、連帯経済の創出という問題について整理してみましょう。社会的経済が確立しているフランスで、福祉国家体制の揺らぎに対して、90年代に新しい社会運動が台頭し、社会的経済とは区別した形で、連帯経済を名乗りました。伝統的な社会的経済が取りこぼしてきた課題を取りあげた新しい社会運動が、社会的連帯を求める連帯経済の創出を作り出そうとしたのです。
　社会的経済が存在してはいなかった日本で、フランスの連帯経済の形成を教訓化すれば、サードセクターの構成団体である、非営利･協同セクターに属する諸団体が、社会的連帯を求めて連帯経済を創出するという課題が見えてきます。イギリス労働党であれば、国家と市場からなる混合経済体制の機能麻痺を総括して、第三の道を提起できたのですが、日本の政党政治で、このような転換は現実性がありません。とすれば、非営利･協同セクターの現場から連帯経済を作り出していくことで、もう一つの世界を実現していくことが問われています。
　連帯経済の目標は、社会の民主化、人権の強化、環境保護と再生等をはかっていくことで、より人間と人間社会中心の経済を確立していこうとするもの、と定義されていますが、当面は雇用レジームの揺らぎによる福祉レジームの崩壊状況という現実を直視した上での統一目標が設定されるべきでしょう。非営利・協同セクターは自己完結型から他の団体との協働型へと進み出ることによって、新たな社会・経済システムとしての連帯経済の創出に向かう、ということが期待されているのですが、いまはそれを実現すべきときです。

10．共生型経済推進フォーラムの当面の課題
　共生型経済推進フォーラムでは、すでに全国各地で活動している、モデル的な社会的企業の社会化をなしとげる仕組みづくりを進めようとしています。その方法は例えば、100団体からの聞き取り調査を実施するという草の根ロビー活動を継続して、社会的企業の全国的なコンソーシアムを展望するといったことを検討しています。
　このような取り組みの前段階で、8月に名古屋で行われる共同連結成25周年記念第26回大会に注目しています。共同連は今回の大会を障害者運動に限定せずに、働くことについての困難を抱えた人々との連帯を実現していく方向性を検討し、提案していく場とすることを確認しています。この場で非営利･協同セクターによる連帯経済創出の経験交流を実施し、次のステップを展望していきます。

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2009/06/22

ホロウェイへの手紙（２）

Author: ebara (12:15 pm)

ホロウェイへの手紙の続きです。

３．未来社会を今作るとなれば構想がいる。
　権力を取らずに世界を変える、という自ら立てた問題提起にあなたは正直に「わからない」と答えています。たしかにわからない。しかし、あなたは資本主義社会の胎内で新しい経済的条件が形成できるという確信を持っているのですから、この確信を一つの見取り図にして示すことが必要でしょう。でも、これまでマルクス主義は未来社会の見取り図を描くことについて、「空想的（ユートピア）社会主義」と呼んで批判してきました。マルクスの理論の中に見取り図はあるのでしょうか。マルクスは、クーゲルマン宛て手紙（1868年7月11日）で次のように述べています。
　「どんな国民でも、一年はおろか、二、三週間でも労働を停止しようなら、くたばってしまうことは、どんな子どもでも知っています。どんな子どもでも知っていると言えば、次のことにしてもそうです。すなわち、それぞれの欲望の量に応じる生産物の量には、社会的総労働のそれぞれ一定の量が必要だ、ということです。社会的労働をこのように一定の割合に配分することの必要性は、社会的生産の確定された形態によってなくなるものではなく、ただその現われ方を変えるだけのことというのも、自明のところです。自然の諸法則というのはなくすことができないものです。歴史的にさまざまな状態のなかで変わり得るものは、それらの法則が貫徹されていく形態だけなのです。そして社会的労働の連関が個々人の労働生産物の私的交換をその特徴としているような社会状態で、この労働の一定の割合での配分が貫徹される形態こそが、これらの生産物の交換価値にほかならないのです。
　価値法則がどのように貫徹されていくかを、逐一明らかにすることこそ、科学なのです。」（M、32巻、454頁）
　ユートピアにもいろいろあり、社会の仕組みを描き出したのも多いのですが、マルクスは、社会的労働を一定の割合で配分している現実の仕方の背後には、自然法則があると見ています。そして価値法則は今日の資本主義社会で、この自然法則が貫徹される形態だというのです。この自然法則を踏まえて、マルクスは『ゴータ綱領批判』で資本主義社会から生まれたばかりの共産主義社会の経済的仕組みについて次のように述べています。少し長いですから3分割し、説明をつけましょう。生産を継続するためには、社会的総生産物から一定の割合での控除が必要です。
　「まずこの『労働収益』ということばを、労働生産物という意味にとろう。そうすれば、協同組合的な労働収益とは社会的総生産物である。
　ところで、この社会的総生産物からは、次のものが控除されねばならない。
　第一に、消耗された生産手段を置きかえるための補填部分。
　第二に、生産を拡張するための追加的部分。
　第三に、事故や天災による障害にそなえる予備積立または保険積立。
　『労働の全収益』中からこれらのものを控除することは経済上の必要であって、この控除の大きさは、もちあわせている手段と力とに応じて、また一部は確率計算によって決定されるべきものであるが、決して正義によって算定できるものではない。」（『ゴータ綱領批判』国民文庫、23～4頁）
　この控除は、今日の私有制の社会では、個々の企業に任されています。そしてそのやり方は価値の増殖を目的に使用価値を生産するという、資本主義的生産の法則によって、競争原理に従って実施されています。それを社会全体の計算で実施することが新しい社会の仕組みでしょう。
　次に残りの部分のうち、共同で利用するものが控除されねばなりません。
　「総生産物の残りの部分は、消費手段としての使用にあてられる。
　だが、各個人に分配されるまえに、このなかからまた、次のものが控除される。
　第一に、直接生産に属さない一般管理費。
　この部分は最初から、今日の社会にくらべればきわめてひどく縮小され、そして新社会が発展するにつれてますます減少する。
　第二に、学校や衛生設備等々のようないろんな欲求を共同でみたすためにあてる部分。
　この部分は最初から、今日の社会にくらべればひどくふえ、そして新社会が発展するにつれてますますふえる。
　第三に、労働不能者のための元本。つまり今日のいわゆる公共の貧民救済費にあたる元本。」（前掲書、24頁）
　今日の社会では、これらの部分は主として税金で賄われています。そして一般管理費は、主として階級闘争を抑圧するための暴力装置である軍隊、警察、官僚機構に当てられ、多大な出費がなされています。新社会ではこれらは減少していきます。
　60年代の福祉国家では累進課税によって、所得の再配分がなされ、学校や貧民救済の原資を確保してきましたが、新自由主義は小さな政府という掛け声で、金もちに減税を実施し、一般管理費は切り詰めず、公益的なサービスは自己責任ということで受益者負担が増やされ、貧民救済も慈善事業に任されて、第二、第三、の費用が切り詰められてきています。今の社会でも軍事費を減らしていけば、全然別の形の配分が可能なのです。
　そしてこれらの控除の後に残る部分が最後に個々人に分配されます。マルクスはその分配の方法について次のように述べています。
　「生産手段の共有を土台とする協同組合的社会の内部では、生産者はその生産物を交換しない。同様にここでは、生産物に支出された労働がこの生産物の価値として、すなわちその生産物にそなわった物的特性として現れることもない。なぜなら、今では資本主義社会とは違って、ここの労働は、もはや間接にではなく直接に総労働の構成部分として存在しているからである。『労働収益』ということばは、今日でも意味があいまいだからしりぞけるべきものだが、こうしてまったくその意味を失ってしまう。
　ここで問題にしているのは、それ自身の土台の上に発達した共産主義社会ではなくて、反対にいまようやく資本主義社会から生まれたばかりの共産主義社会である。したがって、この共産主義社会は、あらゆる点で、経済的にも道徳的にも精神的にも、その共産主義社会が生まれでてきた母胎たる旧社会の母斑をまだおびている。したがって、個々の生産者は、彼が社会にあたえたものと正確に同じだけのものを――控除をしたうえで――返してもらう。個々の生産者が社会にあたえたものは、彼の個人的労働量である。たとえば、社会的労働日は個人的労働時間の総和からなり、個々の生産者の個人的労働時間は、社会的労働日のうちの彼の給付部分、すなわち社会的労働日のうちの彼の持分である。個々の生産者はこれこれの労働（共同の元本のための彼の労働分を控除したうえで）を給付したという証明書を社会から受け取り、この証明書をもって消費手段の社会的貯蔵のうちから等しい量の労働が費やされた消費手段を引きだす。個々の生産者は自分が一つのかたちで社会にあたえたのと同じ労働量を別のかたちで返してもらうのである。
　ここでは明らかに、商品交換が等価物の交換であるかぎりでこの交換を規制するのと同じ原則が支配している。内容も形式も変化している。なぜなら、変化した事情のもとではだれも自分の労働のほかにはなにもあたえることができないし、また他方、個人的消費手段のほかにはなにも個人の所有に移りえないからである。しかし、個人的消費手段が個々の生産者のあいだに分配されるさいには、商品等価物の交換の場合と同じ原則が支配し、一つのかたちの労働が別のかたちの等しい量の労働と交換されるのである。
　だから、ここでは平等な権利は、まだやはり――原則上――ブルジョア的権利である。もっとも、もう原則と実際とが衝突することはない。ところが商品交換のもとでの等価物の交換は、たんに平均として存在するだけで、個々の場合には存在しないのである。
　こんな進歩があるにもかかわらず、この平等な権利はまだつねにブルジョア的な制限につきまとわれている。生産者の権利は生産者の労働給付に比例する。平等は、等しい尺度で、すなわち労働で測られる点にある。だがある者は、肉体的または精神的に他の者にまさっているので、同じ時間内により多くの労働を給付し、あるいはより長い時間労働することができる。そして労働が尺度の役をするには、長さか強度かによって規定されなければならない。そうでなければ、それは尺度ではなくなる。この平等な権利は、不平等な労働にとっては不平等な権利である。だれでも他の人と同じく労働者であるにすぎないから、この権利はなんの階級区別をも認めない。しかしそれは労働者の不平等な個人的天分と、したがってまた不平等な給付能力を、生まれながらの特権として暗黙のうちに承認している。だからそれは、内容からいえばすべての権利と同じように不平等の権利である。権利はその性質上、等しい尺度を使う場合にだけなりたちうる。ところが不平等な諸個人（そしてもし不平等でないなら別々の個人ではないだろう）を等しい尺度で測れるのは、ただ彼らを等しい視点のもとにおき、ある一つの特定の面だけからこれをとらえるかぎりにおいてである。たとえばこの場合には、人々はただ労働者としてだけ考察され、彼らのそれ以外の点には目は向けられず、ほかのことはいっさい無視される。さらに、ある労働者は結婚しており、他の労働者は結婚していないとか、ある者は他のものより子どもが多い等々。だから、労働の出来高は等しく、したがって社会の消費元本にたいする持分は平等であっても、ある者は他の者より事実上多く受け取り、ある者は他の者より富んでいる、等々。すべてこういう欠陥を避けるためには、権利は平等であるよりも、むしろ不平等でなければならないだろう。
　しかし、こうした欠陥は、長い生みの苦しみののち資本主義社会から生まれたばかりの共産主義社会の第一段階では避けられない。権利は、社会の経済構造およびそれによって制約される文化の発展よりも高度であることはけっしてできない。
　共産主義社会のより高度の発展段階で、すなわち諸個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり、それとともに精神労働と肉体労働との対立がなくなったのち、労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、労働そのものが第一の生命欲求となったのち、諸個人の全面的な発展にともなって、また彼らの生産力も増大し、協同的富のあらゆる泉がいっそう豊かに湧きでるようになったのち――そのときはじめてブルジョア的権利の狭い視界を完全に踏みこえることができ、社会はその旗の上にこう書くことができる――各人はその能力におうじて、各人にはその必要に応じて！」（前掲書、25～8頁）
　この分配方式は「労働に応じた分配」であるとか、「労働証書制」とか呼ばれていて、ソ連でも導入されたことになっていました。しかしソ連では、生産手段の共有が実現されてはいませんでした。それは国有化にとどまり、労働者にとっては疎遠なものとなり、国家の官僚が企業における生産手段の専有者として現れ、労働者を支配したのです。農業におけるコルホーズも、協同組合という名称が付けられましたが、生産手段に対する労働者の共有関係は実現されませんでした。
　では資本主義社会の胎内で新社会を実現するというときに、どのような見取り図が描けるでしょうか。抑圧的な国家と、競争原理の株式会社と、投機が中心となっている資本市場、それに商品市場と労働市場、これらが支配しているなかで、もう一つの働き方、もう一つの市場、もう一つの交易、これらを設計することは可能なのでしょうか。
　あなたがモデルの一つとしているサパティスタの場合は、その地域では資本主義のシステムが充分に発展してはいないので、そこでのもう一つのシステムの成功は、私たちに一つの示唆を与えてくれるとはいえ、資本主義の胎内で生み出されたものとはみなせないでしょう。
　今回は疑問点の提示に終わってしまいました。機会があればあなたの優れた提起についても書いてみたいと思っています。

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2009/05/02

『情況』5月号クロポトキン特集

Author: ebara (9:31 pm)

雑誌『情況』09年5月号のクロポトキン特集で、千坂恭二が「バクーニンとクロポトキン」という論文を書いています。ホロウェイへの手紙（１）でバクーニンについて書きましたが、千坂論文では、バクーニンは独裁を否定してはいない、と述べています。マルクスのプロレタリアート独裁には反対したが、バクーニン自身は独裁主義者だったというのです。一読を薦めておきます。

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2009/04/29

ホロウェイへの手紙（１）

Author: ebara (11:38 am)

ホロウェイの訳書『権力を取らずに世界を変える』（同時代社）が3月に出版されました。これは新旧左翼から社会民主主義までに共通な革命戦術、国家権力を取らないと社会革命は開始できない、という見解を根底的に批判した労作で、日本でも論争が起きることを期待しています。
論争への呼び水となることを望んで、手紙という形式で、批評を書いていきます。

ホロウェイへの手紙（１）

はじめに
　あなたの著書『権力を取らずに世界を変える』（同時代社）（以下Hと略記）の翻訳が出て読むことが出来ました。おおむね賛成ですが、マルクス主義者に対しては説得力に欠けるように思います。疑問点も含め、問題提起をします。手紙の形式を取りますが、マルクスには詳しくはない大勢の若者たちに読んでほしいので、少し読みづらくはなりますが、マルクスからの引用を先に挙げて、論を起していきます。

１．国家権力について

①　マルクスのバクーニン批判
　マルクス主義者には説得力に欠けると述べたのは、「国家を超える」という章が中心です。ここであなたは、国家権力の奪取が社会革命の前提条件だとする、マルクス主義の常識の批判を試みているのですが、そこでの基本的な観点は「権力獲得に導き入れられることが、避けがたく、権力そのものに導き入れられることになっていくのです。」（H、42頁）という内容です。しかしこれは第一インターナショナルでのバクーニンによるマルクス批判の内容と同じものであり、バクーニン、マルクス対決の総括が必要なように思います。とりわけ、マルクスの「バクーニン・ノート」の解読からはじめることが必要でしょう。
　第一インターナショナルの分裂をもたらしたバクーニンとマルクスの思想的対立について、マルクスの見解を知る手がかりが、バクーニンの著書『国家制とアナーキー』（白水社）の読書ノートです。まず1874年から5年にかけて作成されたと看做されている「バクーニン・ノート」からマルクスのバクーニン批判を紹介しましょう。
　「＜プロレタリアートが支配階級となるとすれば、彼らはいったいだれを支配するのか？それはつまり、この新しい支配、この新しい国家に服属するいま一つのプロレタリアートがなお残っておるということを意味する。＞（バクーニン『国家制度とアナーキー』白水社、253頁、・・・訳文は異なります。）
　これはつまり、他の諸階級、とくに資本家階級がなお残存するかぎり、プロレタリアートが資本家階級とたたかうかぎり（なぜなら、プロレタリアートが政府権力をにぎっても、彼らの敵と古い社会組織はまだ消滅していないから）、プロレタリアートは暴力手段を用い、したがって政府手段を用いなければならない、ということを意味する。プロレタリアート自身がまだ一階級であり、階級闘争と諸階級の存在との基底をなしている経済的諸条件がまだ消滅していないとすれば、それは暴力をもって排除または改造されなければならず、その改造過程は暴力をもって促進されなければならない。」（『マルクス・エンゲルス全集』以下Mと略記、第19巻、641頁）
　バクーニンはプロレタリアートが支配する国家が出来たら、やはりそこには支配される人々が出てくるに違いないと考えています。つまり、それは特権的な知識人による労働者支配へと行き着くと考えたのでした。これに対するマルクスの反論は、「階級闘争と諸階級の存在との基底をなしている経済的諸条件がまだ消滅していないとすれば、それは暴力をもって排除または改造されなければならず、その改造過程は暴力をもって促進されなければならない。」というものですから、問題は諸階級の存在の基底をなしている経済的諸条件の改造が暴力によって成し遂げられるかどうかという点の検証が必要だということになります。
　マルクスは1875年に作成したゴータ綱領批判（1875年に行われたドイツの社会主義者の、アイゼナッハ派とラサール派という二つの流れの合同大会に出された綱領草案への批判）でもプロレタリアート独裁（プロレタリアートが支配階級となった国家の本質規定）について、次のように言及しています。
　「つぎに問題になるのは、国家制度は共産主義社会においてはどんなふうに変わるか？ということである。この問題にはただ科学的に答えることができるだけであって、人民ということばと国家ということばを千度も組み合わせたところで、蚤の一跳ねほども問題に近づきはしないのである。
　資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、前者から後者への革命的転化の時期がある。この時期に照応してまた政治上の過渡期がある。この時期の国家は、プロレタリアートの革命的独裁以外のなにものでもありえない。」（『ゴータ綱領批判』国民文庫、39～40頁）
　また「インターナショナルのいわゆる分裂」という、1872年に発行された非公開の回状ではバクーニンの無政府主義の問題点について次のように述べています。
　「無政府こそは、社会主義体系からただそのレッテルだけを取ってきた彼らの師匠バクーニンの十八番である。社会主義者はみな、無政府ということばを次のように理解している。すなわち、プロレタリア運動の目標である階級の廃止がひとたび達成されたならば、生産に従事する大多数の人々を、わずかな搾取する少数者のくびきのもとにとどめるのに役立っている国家権力は消滅し、政府の機能はたんなる管理の機能に転化するということである。同盟は事柄をさかだちさせる。それは、プロレタリアの隊列内の無政府こそは、搾取者の手に強力に集中された社会的、政治的力を打ち破る最も確実な手段だと宣言するのである。」（M、19巻、44頁）
　将来社会での国家の廃止という点では、マルクスもバクーニンも一致していましたが、過渡期のプロレタリアート独裁の国家を認めないというのがバクーニンの立場でした。プロレタリアートの独裁も結局は権力である以上国家の廃止には向かわないというわけです。

②　マルクスの批判の検証
　マルクスによるプロレタリアート独裁の擁護の科学的基礎は次の2点にあります。一つは、「階級闘争と諸階級の存在との基底をなしている経済的諸条件がまだ消滅していないとすれば、それは暴力をもって排除または改造されなければならず、その改造過程は暴力をもって促進されなければならない。」ということであり、もう一つは、それから導き出される、「資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、前者から後者への革命的転化の時期がある。」というものです。
　ですから、マルクスの批判を無力にするためには、階級闘争と諸階級の存在との基底をなしている経済的諸条件が、果たして暴力によって排除または改造できるのかということの検証であり、そしてこれと関連しますが、革命的転化の時期がありうるのかどうかということの検証です。
　最初の問題は、今日の資本主義社会の経済的条件が商品・貨幣・資本という経済的形態であり、共産主義の目的が階級の廃止であって、これは商品・貨幣・資本の廃止と同義ですから、商品・貨幣・資本を暴力によって排除、改造することが出来るかどうかという問題に帰着します。
　マルクスは『資本論』の初版で、商品の価値形態と交換過程を考察して、商品からの貨幣の生成が、商品所有者の無意識のうちでの本能的共同行為によるものであることを解明しています。そしてこの解明からすれば、無意識のうちで本能的に行っている共同行為を意志行為で統制できるのかどうかという問題に突き当たります。これはイソップ物語にある旅人と北風の話で、暴力で何とかしようとしても、商品からの貨幣の生成は防ぐことができません。ソ連においても貨幣の消滅は実現できず、スターリンは「社会主義的商品生産」という範疇をつくることで、商品・貨幣の存在を合理化せざるをえませんでした。
　では果たして商品・貨幣・資本はなくせないものなのでしょうか。商品からの貨幣の生成が、商品所有者たちの無意識のうちでの本能的共同行為によることがわかれば、商品所有者たちが共同行為をしなければ、貨幣は生まれず、したがって商品も生まれないことになります。ということは直接に商品・貨幣の廃止を目指して法律的強制や政治的暴力を行使するのではなく、迂回して、商品所有者たちが本能的共同行為をしなくても交易できる仕組みを編み出せばいいのです。イソップ物語で言えば旅人と太陽の話です。
　このことが判明すれば、次の革命的転化の時期というものは存在し得ないことになります。迂回して経済条件を解体していく。これはつまり新しい経済的諸条件を資本主義社会の胎内で創り出していく試みで、あなた自身が目指しているものですが、言い換えれば「いまここで」革命を創り出すということが可能だということですね。
　以上から今日において、プロレタリアートの独裁を擁護するには、商品・貨幣・資本を暴力によって、排除・改造できる、ということを証明することが必要になってきています。マルクス・レーニン主義の革命戦術にこだわっている人々との論争点はここに定められるべきでしょう。そしてバクーニンの心配は、プロレタリアートの独裁が、階級闘争と諸階級の存在の経済的条件を排除・改造できないがゆえに、新しい社会に行き着きえないという問題として捉え返されるべきでしょう。バクーニンの当時の主張はプロレタリアートが権力を取ればすぐ権力を解体するというものでしたが、ここに欠落しているものは新しい社会の創造という視点です。

２．労働者は全能か
　あなたは、反権力の物質的リアリティと資本の危機で次のように述べています。
　「貨幣の神も、資本の神もいないのです。生産力の神も、歴史の推進力の神もいません。私たちが唯一の創造主なのです。私たちだけが救世主になりうるのであり、私たちだけが責めを負うべきものなのです。ですから、危機は、資本主義の矛盾が客観的に発展することによってもたらされた機会としてとらえられるべきではなく、私たち自身の強さの表現としてとらえられるべきなのです。そうすれば、革命を権力の奪取としてではなく、すでに危機の実質として存在している反権力の発展としてとらえることができるようになります。」（H,347頁）
　あなたが資本主義の人を物象化する力、そして経済的形態が取る物神性に対して批判しそれを乗り越えることを提起していることには全面的に賛成なのですが、ここのように労働を全能の神と捉えることには疑問を感じます。
　マルクスは先に挙げた『ゴータ綱領批判』で、ゴータ綱領が「労働はすべての富の源泉」だと述べているくだりについて、引用しつつ次のように批判しています。
　「＜労働はすべての富とすべての文化の源泉である。また有益な労働は、ただ社会のなかで、また社会を通じてはじめて可能だから、労働の全収益は、平等な権利にしたがって、社会の全員に帰属する。＞
　この節の最初の部分、『労働はすべての富とすべての文化の源泉である。』
　労働はすべての富の源泉ではない。自然もまた労働と同じ程度に、使用価値の源泉である（そして、そういう使用価値からまさしく物的富はなりたっているのだ！）そして、労働そのものも一つの自然力すなわち人間労働力の発現にすぎない。前記の文句はあらゆる初等教科書のなかにあるが、それは、労働がそれに必要な対象と手段とをもっておこなわれる、と仮定するかぎりで正しい。しかし、社会主義的綱領は、そのことばをはじめて意味あるものとする当の条件についてはなにも語らないような、ブルジョア的な言い方を許してはならない。人間があらゆる労働手段との第一の源泉たる自然にたいして、はじめから所有者として対し、この自然を人間の所有物として取り扱うかぎりでのみ、人間の労働は、使用価値の源泉となり、したがってまた富の源泉となる。ブルジョアが、労働には超自然的な創造力がそなわっているかのようなつくりごとを言うのは、はなはだもっともである。なぜなら、あらゆる社会状態と文化状態のもとで、自分の労働力以外になんの財産ももたない人間が、対象的労働条件の所有者となっている他の人々の奴隷とならなければならないのは、まさに労働が自然によって制約されている結果だからである。彼は、この他の人々の許可があるときだけ働くことができ、したがって、彼らの許可があるときだけ生存することができるのである。」（『ゴータ綱領批判』国民文庫版、17～8頁）
　もし労働がすべての富の源泉であるのなら、労働者は唯一の創造者であり、全能の神足りえますが、現実はそうではありません。大地をはじめとする自然がなければ、労働だけでは富を生み出すことは出来ません。ここにこそ労働者が資本のもとに働きに行かざるを得ない根拠があるのです。マルクスは資本主義社会における労働者の経済的地位について端的に次のように述べています。
　「ラサールが死んでから、わが党内には、賃金は、外見上そう見えるような労働の価値または価格ではなく、労働力の価値または価格の仮装された形態にすぎないという科学的洞察が地歩を占めてきた。それによって、賃金にかんするこれまでのあらゆるブルジョア的な考え方や、この考え方に対してこれまでくわえられてきたあらゆる批判が、一挙にくつがえされて、賃金労働者は、ある時間を無報酬で資本家のために働くかぎりで、自分の生活のために働くことすなわち生きることを許されるのだということ、全資本主義的生産制度の中心問題は、労働日の延長または労働力の生産性の発展、その緊張度の強化などによって、この無償労働を増大させることにあるということ、したがって賃労働制度は一つの奴隷制度であり、しかも労働者の受け取る支払がよくなるかわるくなるかには無関係に、労働の社会的生産力の発展につれてますます過酷なものになる奴隷制度であるということが、明らかにされたのである。」（前掲書、34～5頁）
　同じ事柄が、「国際労働者協会暫定規約」では次のように簡潔に述べられています。
　「労働手段すなわち生活源泉の独占者への労働する人間の経済的な隷属があらゆる形態の奴隷制、あらゆる社会的悲惨、精神的退廃、政治的従属の根底にあること、
　したがって、労働者階級の経済的解放が大目的であり、あらゆる政治運動は手段としてこの目的に従属すべきものであること、」（M,16巻、12頁）
　ですからあなたが次のように述べるとき、その意図は良くわかるのですが、やはり問題を含みます。
　「資本は労働に依存していますが、労働はある面では資本に依存していないのです。資本は、労働がなければ、存在することができません。しかし、労働は、資本がなければ、実践的な創造性、創造的な実践、人間らしいものに変わるのです。」（H,355頁）
　今日の資本主義社会で資本のもとに働きにいかずに働くことがどれだけ大変か、それは労働手段つまり生活源泉が資本のもと以外では見当たらないことにあります。資本のもとから離れた労働は困窮の下に置かれてしまいます。賃金奴隷制は、鎖のない奴隷制ですが、その鎖は目には見えない飢えの規律なのです。あなたは人間の経済的関係の物象化に基づく物神性批判を中心に資本主義批判を試みていて、それ自体は良いのですが、他方でブルジョア階級による階級支配の根底にある、労働者の資本家への経済的隷属を見ていないように思います。これを見失えば空想的な批判に終わってしまう危険性があります。

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2009/04/19

投機・信用資本主義、今後の研究課題

Author: ebara (5:30 pm)

以下は、前掲投機信用資本主義解説の続きです。

今後の研究課題　　

信用資本主義という発想について

１．金融資本は解消したのか
　現在はたして金融資本というものはあるのかどうか？ということについて実証的な研究をやるべきと思ってます。
　資本論は現実資本の分析が中心であるのですが、第三部第五編で架空資本の分析を試みています。ヒルファーディングの『金融資本論論』は信用と架空資本の分析をしていますが、産業における独占体の分析ですね。「金融資本とは『銀行が処理し産業資本家が充用する資本である。』（『金融資本論』国民文庫、下、P89）の分析へとヒルファーディグは収斂させた。」
　彼の分析はとても面白いものがあるんですけども、「つまり当時のドイツの現実からの抽象として、貨幣資本を蓄積した銀行は、それを産業に投下し、産業を管理することが中心的な任務になるとした」から、限界があるんですね。信用とか架空資本の分析では、ヒルファーディグはそこそこに分析はしているとは思うんですけども。
　しかし、80年代以降巨大商業銀行は多国籍化し、投機（ディーリング）で利益を出すようになりました。当時、レーガン・中曽根・サッチャーといわれていて、日本が新自由主義を導入したのが80年代といわれています。実際には日本は大分遅れたんですね。中曽根は国鉄の民営化ということはやったんですけども、新自由主義政策で社会全体を改変するということをやることでは遅れたんです。それは、小泉改革になってからですね。イギリスが典型で、サッチャーがやり、途中で投げ出して、労働党が政権をとって、新自由主義で「福祉国家」を解体された社会をどうやって再建するのか？ということを、今労働党がやっていることなんですね。いまイギリスでやっていることが、今後の日本を考える上で役に立つと思ってまして、イギリスモデルというものはちゃんと研究しなければいけないと思っています。では、なんで中曽根の時日本で新自由主義をやらなかったかといえば、実はあの時日本は世界一の金融大国だったんですね。80年代後半の時の世界の銀行のトップテンの中に日本の銀行は七つぐらい入っているんです。ですから、新自由主義はいらなかったんです。ところが、アメリカとヨーロッパが連合を組んで、日本を潰しにかかりまして、潰されてしまいました。BIS規制とか、ああいうのは策略だと思いますね。そういうふうに日本の当局者は総括をしないのですが。宮沢が東南アジアを中心に独自の経済圏を構想しようとしました。これは当然アメリカの国益とぶつかるわけですね。そこでどういう視点を持っていかなければいけないのか？少しも考えようとしないのですね。びっくりしますね、これは余談です。いいたかったことは日本における新自由主義の導入が遅れたことは、一時期世界一の金融大国になっていた、ジャパンアズナンバーワンという懐かしい言葉がありましたけど。そんな事由によっている。その時に日本の銀行が何をやっていたかというと、ロンドン支店でリーディングをやっていたんです。リーディングというのは外国為替の取引なんです。その差額で儲けていたわけです。銀行というのは基本的に預かったお金を貸して、貸し付けたお金の利子で儲けるというのが基本的に商業銀行の姿なんですが、その時にはすでに、リーディングの利益の方が利子で稼ぐよりも多かったというんです。ですから、金融資本が変質していくというのはそのころからなんです。一方大企業の方も、トヨタなんかトヨタ銀行といわれるほど大きな額のお金を持っていて、銀行離れをしていて、債券市場から資金調達するほどになっている。それで、銀行はそのお手伝い、こういう感じになっていました。そうすると銀行と産業との癒着は、貨幣取り扱い業や債権発行業務での関連しか見られない、こういうことになります。伝統的な癒着が変化していることを、実証的に調べて欲しいと思っています。
　
２．投機で資本蓄積する資本家の支配はどのようにして形成されたか
　「従来投機は資本蓄積の王道とは見なされていなかった。しかし今日では、投資フアンドや投資銀行といった本来の投機的資本家のみならず、商業銀行も投機的取引で利益を上げるようになり、産業に対する投機資本家の支配が形成された。」
　貸し剥がしのことですが、テレビを見ていたら、何で中小企業にお金が回らないのか議論してました。一方で貸し剥がしがあるということを言っていて、他方では貸そうと思っても貸せないということを言っていた。それは嘘で、銀行が沢山のやばい金融資産を持つことで財務事情が悪化していて自己資本を何とか回復させるために貸し剥がしをしているのが本当のところですよね。そのことを言わずに中小企業の経営がピンチだから貸せないとか言ってました。これは貸さないからピンチになってるだけの話。そういう意味では日本の地方銀行にしても金融の機能が麻痺しているのが事実と思います。それで、政府は中小企業のために公的資金の投入ということになっていると思うのです。僕はやったらいいと思うのです。
　それで、研究すべきポイントということであげてみます。
　「こうして、金融資本の蓄積様式とは異なる独自の蓄積様式がどのように形成されているか、ということが実証的に研究されねばならない課題となった。投機が独自の蓄積様式となる条件を考えてみると技術的条件はオンラインシステムによる世界単一の資本市場の形成であろう。これによって投機にかかる費用がゼロに近くなった。経済的条件は、資本市場がつねに拡大することであり、そのための方法を開拓した。（ひとつは）アメリカの赤字による世界中からの資本の招き寄せ・・・」ということですよね。ふたつめは、「コーポレートガバナンス」これはこういうことです。経営の最高責任者（CEO）というのをつくって、これに何億円という報酬を払うわけですね。その人に何をやらせるかといったら、株主にどんどん配当を払うということと、自社株の購入をやらせるということと、株式市場に金を全部吸い上げるという任務を任せたんですね。そのことやらせた結果として何億という報酬を払うということになってるんです。さっき引用したジャンの言うのには、CEOは、黄金で作られた牢獄に入ったようなものだと。何億円ともらったってやっていることは株式会社を壊すようなことしかやっていないのですね。株式会社を立ち行かないようにしてまで、金融市場にお金を吸い上げる。GMとかしんどいのも結局そういうことをやってきたからなんですよね。リストラ、リストラやってどうしようもないところまで切り詰めて、投機市場にお金を上げていた結果として体力が無くなったんですね。辛うじて日本の企業は体力がありますから、一生懸命外国の企業を買ったりしていますけどね、これアメリカで何か起こったらチャラですよ。
　あと、「金融の証券化、大衆の投機市場への参画の促進のための種々の金融商品の開発による貯蓄から投資へなどと誘導する。イデオロギー的には労働価値説の放擲とお金にお金を生ませるという利殖観」の埋め込みですよね。つまり、『金持ち父さん』という本がだいぶ前に翻訳されて出版されていましたけども、その中で、「貴方はお金をあそばしてはいませんか？一番賢いやり方は、お金にお金を生ませる利殖と投機なんですよ」と書いてあるんですね。だから結局アメリカの労働者は、賃労働者として企業で働きながら、年金基金を増やすことで、投機家の役割もさせられている、消費者であるとともに投機家であるんですね。階級構造がそうなっているという風に分析しなければと思うのですね。資本―賃労働関係でだけでなく投機市場のプレイヤーになっている（勿論機関投資家に任せるのですが）、という構造になっている。そこはいわゆる消費者の問題として、個別化されていますし、それにプラスして、株式を持っていれば株の動向は気になりますし、労働者としての気質が失われるのではないか？と思うのです。

３．信用商品と信用資本の位置をどう定めるか
　信用商品というのはマルクスが使っていないかと思いますが、信用資本というのは使っていまして、資本論体系は「商品から貨幣が形成され、貨幣が資本に転化し、資本が生産されて、商品に戻る」というふうに戻っているわけですね。そういう「現実資本の循環とは異なる架空資本の循環様式」はいかなるものかですね。商品からの貨幣の生成――貨幣の商品化――利子生み資本の形成ですが、利子生み資本というのは、法的関係（貸借関係）ですから、それは債務証書になっているわけです。その債務証書が金融資産化するわけです。この金融資産の流動化というのは売買されることですから、そういうことが架空資本の形成ということになるんじゃないかとおもうのです。

信用論の諸問題と信用商品、信用資本の解明のための課題

１．銀行信用論の再検討
　「一般的には商業信用から銀行信用へと上向する。商業手形の銀行による割引、銀行券の発行に銀行信用の本質を見る」見解ですね。これはいまの定説で、宇野派もそうですし、市大の川合さんもそういう感じで考えています。資本論にもそういう風に読める、ところもあります。しかし、ここに盲点があったんですね。銀行というのは基本的に貨幣取り扱い業です。預金の振替で企業間の商品交換の媒介をしています。この業務がまずあるんですね。その上で、信用創造、１０の預金で１０００倍の貸付ができるような、多数の人から預かったお金が同時に払い戻すようなことはありませんから、預かったお金を何倍にも膨らませて貸し付けることがでるのです。このことの無視があったということが、投機市場や架空資本の形成（つまり信用創造自体が架空資本なんですね）を今の学界で分析できないというのはそこに根拠しているのではないかと思うのです。
　「これは支払い決済システムを形成し信用制度の土台となる。」この支払い決済システムは私的企業である銀行に担われています。しかし、それは同時に公的なインフラなんですね。だから、なんで投資銀行は潰したけども商業銀行は潰せないかというと、この公的インフラが潰れるからです。こうなるとシッチャカメッチャカで、恐慌どころではなく暴動になりますよね。だから、今日の恐慌でこれが崩れようとしたので、各国は巨大な資本注入を行ったのですね。
　でもサブプライムの負債がいくらあるのか、それらの各種不良債権がいくらあるのか皆目わからないところで、少しぐらいのものをいくら国がお金を注ぎ込んでもどうなるもんでもないから、最終的には銀行の国有化もあるかもしれません。辛うじて公的インフラだけは維持されると思うのです。それは至上命題としてやると思うんですね。

２．信用貨幣論の再検討
　「一般的には信用貨幣としての銀行券は、貨幣金の代替物と見なされてきた。」そうなる理由は、もともと兌換紙幣であって、この紙券を日銀にもっと行くと保証があって、その額に応じて金何グラムかと交換できた。それがずっと続いていて、７２年にニクソンが金とドルの交換停止をしました。そこからいろんな論争が起こりました。日本の通貨は不換だけれどもドルが国際通貨として金とリンクしているから日銀券は金の代換物だと言うような迂回した議論をしていた。そんなことを言っていたら国際通貨ドルも不換になった。じゃこれが何で流通するのか？ということで、岩井克人さんみたいに皆が信用するから流通する、あるいは、国家の強制的通用力によって通用する、とか言われるようになって、あと金廃貨論とかが出てきました。面白いのはアメリカにも金廃貨論があって、アメリカが金を売り払えと、どんどんやっていたのが途中から慌てて止めましてね、ヤバイ・・・といってね。僕は今でも金は貨幣だと思っていますけどね。
　信用貨幣というのは銀行券だけでなく預金通貨も含めて信用貨幣といっています。事業やってみればわかりますけど、全部銀行口座での決済ですね。今更手形での決済ではないですね。手形が主流のころは手形交換所での決済でしたが、オンラインシステムが出来てますから取引銀行だけでなく、日銀決済を経てあらゆる銀行との間でできるわけです。大口の取引は預金通貨での決済ですね。労賃の支払いなどの小口の取引は銀行券でなされています。その「銀行券の発券のシステムからすれば、日銀券は日銀の一覧払いの債務証書で、その本質は預金証である」これは山本孝則という人が言っていたんですけども、僕は基本的に正しいと思います。市中銀行が日銀の当座預金を引き出すことで日銀券が発行される。つまり、企業が労働者の給料を払う時に、膨大な現金が要るといったときに、市中銀行が日銀の当座預金から引っ張り出さないかんわけです。その時その当座預金が減るわけです。今度は企業が売り上げたお金を銀行に預金すると、その当座預金が増えるわけです。そういった構造で日銀券は発行されていますから、「日銀券は市中銀行の日銀に対する預金証であり、これが『紙切れ』が流通する根拠である」。それをもっていけば預金できますからね。地域通貨がはやったころ、巷で、日銀券の価値が紙代と印刷代だから10円しかしない、それが何で一万円なんだ？なんて議論してましたけど、手形だったら証書の制作費は無関係で、額面が問題なのだから、信用貨幣の本質、そして銀行券の本質は預金証と考えれば万事うまく説明できると思います。

３．通貨と金融資産の違い
　「信用貨幣のうち通貨として計算されるものは、銀行券だけでなく、預金通貨も含まれる。いわゆるマネーサプライと呼ばれているもの、」通称Ｍ１とかＭ２とか呼ばれるやつです。アメリカ連邦準備制度も日銀もマネーサプライで計算するんですね。「通常定期預金は流動性がないということで、Ｍ１からは省かれて、Ｍ２＋ＣＤとされている。同じく債務証書である株券や国債や社債などは金融資産であるが、通貨には入らない。これらは流動性はあるが商品交換を媒介しないからだ。」株券で物を買えませんよね。いったん現金に換えないことには物は買えません。
　「しかし金融資産は銀行券と違って、利子がつく」。繰り返すと、銀行券は利子がつきません。だから金融資産は利子を資本還元した価格で取引される。「金融資産の商品化は原初的な資本（貨幣）の商品化とは違って、利子生み資本の運動を伴わず、その意味で架空資本となる。この架空資本の取引が投機である。」という形で利子生み資本から架空資本までの上向する方法を体系的に論じることができる。
　
４．ドル危機論の再検討
　「アメリカ経済に何かあると、国際通貨ドルの崩壊ということが話題となる。」要は一番目立ちますからね。円がいくら、ドルがいくらということはすぐわかることです。しかし、「国際通貨は通貨という名称がつけられていますけども、一国内の通貨とは本質的に異なっている。」もともと国際通貨というのは貿易に伴って発生する支払い決済のための為替ですよね。為替ですから手形ですよね。手形を取引するということですから、トヨタなんかでも車をアメリカにいっぱい輸出してドルを得てくるんですが、それではドルが過剰になりますから、政府はそれを買い上げて、政府がこのドルでアメリカ国債を買う形で、利殖をするわけです。だから政府が持っている外貨準備のドルというのは多くがアメリカ国債で、中国にしろ同じことですよね。「外貨準備の内実が国債ですから、それは通貨ではないことになる。」「だから俗説のようにアメリカが貿易赤字でドルを増刷し、通貨が過剰となりインフレとなって、ドル危機を将来してアメリカがピンチになる」というのは見当違いで、金融資産をばら撒いている、と見た方が良い。アメリカ経済がピンチだからドル危機を引き起こすという逆の関係と考えた方が良い。それから、銀行券が預金証であることになれば、それがインフレになるとかならないとかという話で、日銀が国債引受をやればそれは銀行券ではなくなります。日銀券と書いていても国家紙幣になります。それだったら、すぐインフレになりますね。それは間違いなくね。銀行券の発券ルールがありますね、先ほど述べたように、都市銀行が日銀に当座預金をし、その出し入れをすることですね。その限りでは銀行券です。国債の売買も国債市場でやられる限りでは変らないですね。ところが直接日銀が引き受けさせられることになると、政府が事実上銀行券を直接発行することになるのですから、ヘリコプターからお金をばら撒くのと変わらなくなりますし、それではインフレになります。アメリカの連邦準備制度理事会もそんなことはやってないですね。アメリカの国債も市場を通じて売買されることになっています。

５．金融市場論の再検討
　貸付可能な貨幣資本が膨大に出ているので、どのように動くのか調べたことがあります。「80年代から90年代にかけての国際的な資金の流れの分析は、貿易差額がどのように付回されているか」ということが統計となっていましたので調べたのですが、役に立ちませんでした。資料としてあがってくるのはそれしかないのですが、そのお金が投機によってどのようになっているのか？たぶん統計にはのってこないですね。いくら利益を出しいくら損失を出したかなんてぐらいは出ますが、トータルには見えないのだと思います。だから、いままでの研究というのが現実資本の側からの余剰資金の形成という観点なのですね。オイルマネーひとつにしてもそうですね。現実資本の運動の側から生み出されている貸付可能な貨幣資本がどのようにして投機に向かうのか？は、ブラックボックスですね。「不良資産がいくらあるのかわからん」というのはそういうことですよね。
　「そもそも市場という概念で、金融市場、商品市場、労働市場を一括りにすることが誤っている。」フリードマンはそうしていますね。「フリードマンはすべてを自由市場と見、そしてその特異な所有権論で土地の所有者には上空を飛ぶ飛行機の運行について拒否できる可能性を考え」（『資本主義と自由』P252）るんですね。この所有権論に立って、株式の所有者は現実の企業の財に対する所有権を持つと見なしている（同書P252）だから、生じた富すべてを株式市場に吸い上げるのは正しいと。1960年初出の『資本主義と自由』という本でそんなことを言ってるんですね。
　「商品市場は等価物の交換であり、使用価値の持ち手交替です」ね。それでどちらも不足は無いのですが、「金融市場（資本市場）は将来の価値請求権の売買の場であり、リスクの交換である」のですから、商品市場と金融市場とは全く違うものなんですね。金融市場では等価物の交換という概念は当てはまらないので、それらは本質的に全く異なるということを金融市場論を述べるときにはハッキリといわなくてはいけないんです。それから、労働市場はそれらとはまた違っていて、「労働市場は、労働力という擬制商品の売買の場であり、階級間の取引」ですから、そこには春闘のように階級闘争がありますね。このように三つのものはそれぞれ違うのに、フリードマンは市場取引でそれらは一緒と述べていたのですね。彼は、労働者は労働組合など作らずに、それぞれ個人として自由に競争していた方が、労働者の地位が高くなるというんですね。だから、資本家も労働者も権利として自由で、対等だと見なして彼は、議論しているわけです。
　「現実資本が金融市場で資金調達するときには、現実資本の調達が同時に将来の価値請求権の形成という形をとり、架空資本の形成となり、リスクの交換の場を拡大させる。つまり、金融市場は、資金の調達の場だけでなく、架空資本の形成とその売買の場、という二重性を持つのである。」ここですね。やっぱり、金融市場があれば架空資本が生まれてくる必然性があって、投機資本主義が芽生える必然性があるということです。だから、その芽をどう摘んでいくのか？というのが僕らのいま抱える課題だと思うんです。

信用資本主義と政策提言

１．『資本論体系』との関係
　「信用資本論を『資本論』体系に組み込むことには無理がある。『資本論』は基本的には現実資本の運動の解明をしている。したがってそれを土台にして、架空資本論としての展開が問われている。」全然位相が違うということなんですね。「貨幣（資本）の商品化、利子生み資本の金融資産化、架空資本の形成、ここまでは『資本論』体系で解明されている。これを、信用商品と信用資本の成立過程と押さえて、信用資本が現実資本を支配するという転倒が起こることを明らかにする必要がである。この転倒の分析が信用資本の原理の解明となる。」

２．架空資本による現実資本の支配
　「実よりも虚が優位に立つ基本的な原因は、物象化と、物象による人格の意志支配がある。しかしこれだけでは実も蓋も無い。」「価値増殖を目指しての現実の生産過程が、商品の使用価値の生産であるように、価値増殖が資本の最高の命題であること。」そういうことになりますと「それ自身で増殖する価値としての架空資本という形態規定が、優位性の第一歩であろう。」理念的には優位にある架空資本なんですが、なかなか優位になれなかったんですね。投機・信用資本主義と言えるようになったのは、21世紀にはいってからですから、本当にまだ数年しかたっていないですね。投機をどういうふうにセーヴするかというふうに政府首脳も考えているでしょうが、僕らの方も自分達なりの考えをまとめておかなければならないと思うのです。
　「理念的には優位にある架空資本が、現実的にも優位になれる条件の形成について跡付けることが必要である。それは、他人の資本で、なおかつ現実の生産過程を循環させずに資本蓄積できる信用資本主義の蓄積様式の形成と投機資本家階級の形成、そしてその独自の階級的利益の追求のための階級闘争」これが起きていたんですね。ヘッジファンドの代表が出てきて、日本原燃だったか株を買いたい、といっていました。あんなのなんか投機資本と現実資本の間の資本家間の攻防なんですね。いままでの古い資本家のほうがチンピラに押されていましたね。そういうところを解消していけるようにならなければと思います。
　私は、いま、フリードマンとかハイエクなどの新自由主義の原理を提供している人たちの著作を読み直しています。毛沢東が「溺れる犬をたたけ」と言ってましたけれども、今投機・信用資本主義の動きを徹底的に叩いておかないとまた復活しますからね。国家が規制してもまた失敗するのは目に見えているんですからね。また、ケインズ主義の原理でやってもまた失敗するんです。ハイエクの「個人的自由主義」とか、フリードマンの「選択の自由」とかがいかにまやかしなのかハッキリさせておかなければならないんです。ハイエクとかフリードマンのあの主張は、実は社会主義や、社会民主主義への批判なんですね。それに対して左翼はちゃんと対処・批判していないですね。そんなことで、私は遅まきながら今後ともそんなところを追及していきます。

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