第1章　廣松体験
　1）プリコラージュ　2）認識論的主観形式　3）関係と項　4）物象化と意志支配　5）対話の権力作用　6）無の弁証法
第2章　認識論的主観主義
　1）認識論的主観主義の自己否定　2）能知的主体の自己形成
第3章　四肢構造論
　1）観念論の採用　2）新しい認識論の前提　3）精神世界の現象にむかう　4）"主体"の共同主観的自己形成　5）四肢構造論の問題点
第4章　関係と項
　1）関係と反照　2）関係における観念論的な実在性　3）言語モデルは物象化的錯視の産物　4）まとめ

第3章　四肢構造論

1）観念論の採用

　何故そうなのか、実はこれが廣松哲学をして哲学たらしめている根拠なのだ。そして、共同主観の外にある所与との実践的交通を遮断することが、四肢構造論の出発点だったのだ。
　私は廣松氏の哲学の本で面白いと思ったのは『世界の共同主観的存在構造』だけで、『存在と意味』が出たときに手にとってみたが饒舌さを感じて読む気になれなかった。私の勝手な希望としては、『世界の共同主観的存在構造』を書いてしまったのなら、その時点で、マルクスと同様に「哲学的良心を清算」して現代社会の解剖に徹してほしかった。
　私が以前に『世界の共同主観的存在構造』を読んだときに感じたことは、廣松氏が「世界」といい「現象世界」と言っていることは、実は、意識から独立した世界や現象形態のことではなく、これらの所与が意識の中にとり込まれたそれ、梯明秀氏の言う「第二の自然」のことではないか、ということだった。もしそうなら、廣松哲学は、精神の現象世界について哲学をする観念論だということになる。
　ここで私が観念論と評価したことを、唯物論より劣るという意味で言ってはいないことを書き留めておきたい。哲学体系として思弁を展開しようとするなら観念論の立場に立つしかないし、観念論の立場に立つ哲学の方が唯物論の立場に立つ哲学よりも優れている。近代社会を前提にして、唯物論の立場に立って哲学体系を構想しようすれば、哲学的良心を清算する地点に到達せざるをえない。マルクスはこの事を身をもって示したのではなかろうか。

2）新しい認識論の前提

　さて、廣松氏による四肢構造論の出発点の提出について検討してみよう。テキストはもちろん『世界の共同主観的存在構造』である。
　廣松氏は、序章で、認識論の再生をかかげ、近代的世界観の主観－客観図式そのものを超克する新しい世界観の確立をめざしている。
　廣松氏によれば、近代的主観－客観図式の特徴とは、まず第一に主観の各私性にこだわり、意識を私の意識と見なし、他人の意識はそれと同型だと見なす点にある。次に、認識の三項性があげられ、対象認識が意識作用－意識内容－客体自体という三項図式で了解される。第三に、与件の内在性で、物心の分離に対応して認識主観に現前する与件は、意識に内在する知覚心像・観念などの意識内容に限られ、客体自体は意識内容を介して、ただ間接的にしか知ることができないものとされる（7～8頁）と言うのだ。
　この近代的主観－客観図式に対して廣松氏は文化人類学の成果、ゲシュタルト心理学の発想、フランス社会学派の集団表象の理論の三つを評価したうえで、新しい認識論の前提について次の三点を打ち出している。
　第一点、人間の意識が本格的に社会化され共同主観化されていて、意識主体は、同型ではなく、社会的協働を通じて共同主観的になる。
　第二点、人間の意識がゲシュタルト的に体制化されているので、ゲシュタルト的分節化の具体的構造が共同主観的に規制されるのはいかにしてであるか、これを可能ならしめる意識の構造を究明することが問われている。
　第三点、集団表象の物象化ということから、認識の過程は本源的に共同主観的な物象化の過程となり、認識は共同主観的な対象的活動、歴史的プラクシスとしてあることになる、「認識は決して単なる『意識内容』を与件とする"主観内部の出来事"なのではなく、物象化構造をもつものとして、直接的に対象関与的である。……われわれは、共同主観的な対象活動はいかにして自己を物象化するか、これの構造を究明しつつ、しかも同時に、いわゆる『物象化の秘密』（『資本論』）を認識論的に解明すること、これを課題の一極としなければならない。」（19頁）
　以上が序章に語られることの要点であり、この序章は、いま読み返してみても、アジテーションとしても決まっていて面白い。このまま哲学批判に徹してデリダの批判などやってくれれば楽しい物語が出来たに違いない。
　でも、紹介したところにも違和感は残る。廣松氏は、近代的主観－客観図式が「与件の内在性」に捉らわれていると批判している。ところが、廣松氏がこの批判を、意識から独立した与件の承認と言う唯物論の命題を対置することによって成し遂げるのではなく、共同主観的意識が物象化することを対象関与的とみなし、平たく言えば、共同主観的な対象的活動が物象化されたものを与件と捉えて批判しているので、物象化されたものを意識に外在的な与件とみなしていることになるのである。確かに、人間の生産的労働は、意識から独立した与件を生産するが、この過程は、物象化過程とはズレている。労働の独自的社会的な編成が生産物を物象化するわけだから、物象化されたものは、実は人間の社会的意識の形態であり、それを意識に外在的な与件と見なすことは出来ない。

3）精神世界の現象にむかう

　ここでやっと、廣松氏の四肢構造論の出発点に到達した。廣松氏は、「反省以前的な意識に現われるがままの世界」から始めることについては色々な反論が予想され、これ自体フィクションめいた与件であるが、これを旧来の認識論が暗黙の出発点にしている、と言う限りで、「われわれ」もこれを出発点にするとのべている。「この限りで、われわれは、この "反省以前的な意識に現われるがままの世界" "いわば、童心に映ずるがままの世界"をフェノメナルな世界と呼び、それを形成している諸 "分肢" をフェノメノンと呼ぶことにし、これを手掛かりにして論考することにしたい。」（22頁）
　廣松氏にとっての「フェノメナルな世界」とは意識に現われるがままの世界であるから、精神現象のことであり、そしてこの精神世界に見い出される諸分肢が、フェノメノンという精神要素とされている。
　このように世界を意識の内に取込んで第二世界を形成すること、これが廣松哲学の出発点である。だから当然にもフェノメノンという精神要素は二要因をもっている。「フェノメノンは、即自的に、その都度、すでに単なる "感性的" 所与以上の或るものとして現われる」（24頁）と廣松氏は述べているが、これは、意識自体が何かの意識であるという二重性をもつことから、当たり前の事実である。しかし廣松氏の場合、この当たり前の事を言おうとしているわけではない。逆である。廣松氏にとっては、フェノメノンがイデアールな或るもの（意味）がレアールな所与において肉化した二肢的統一構造物と捉えるところにその眼目があり、そしてこのフェノメノンの構造の発見から、意識論を展開しようとしているのだ。

4）"主体"の共同主観的自己形成

　フェノメノンの二重性を発見した後、廣松氏は、今度は、主体の方に眼を向ける。

「フェノメノンがフェノメノンとしてあるのは、差し当たり誰かに対してである。今手元にペンが在るのは "私に対して" であり、子供が牛を見てワンワンだと言う場合、当のフェノメノンが『ワンワン』としてあるのはその子供に対してである。」（29頁）
　「フェノメノンが "に対して" あるところの者、いわゆる "主体" の側がこのように『誰かとしての誰』という二重化構造をもつことによって、諸個人単独にはとうてい与えられないようなフェノメナが人びとに与えられることになる。普通の言い方でいえば、人びとは伝達された "知識" をもつようになる。人びとがフェノメナルな世界として現にもつところの "世界" は、その実、このような "伝達" をまってはじめて成立しているものである。」（30～31頁）

　廣松氏の言う「反省以前的な意識に現われるがままの世界」このフェノメナルな世界を意識している主体は個人である。個人の意識というこの命題の中に、個と社会性（意識）という二重性が含まれている。しかしここでも、廣松氏が注目するのは「"主体"の共同主観的自己形成」であり、個的であると同時に社会的な主体の自己形成のことである。
　廣松氏は、この共同主観的に自己形成される主体の構造を、イデアールな誰か或る人がレアールな個々の主体に肉化するものと捉える。
　つまりこうなる。フェノメナルな世界（精神現象、あるいは意識世界）の一つの項をなすフェノメナはイデアールな或るもの（意味）がレアールな所与において肉化した二肢的統一構造物であり、もう一つの項をなす主体は、イデアールな誰か或る人がレアールな個々の主体に肉化した二肢的統一構造物なのだ、と。

5）四肢構造論の問題点

　こうして、「現象的世界の四肢的構造聯関」を示すおぜん立てが整えられた。 "客体" 的な側面と"主体"的な側面が便宜上別々に考察され、二組の二肢、都合四つの契機が取り出されたが「これらの諸契機は、実は、いずれも単独には存在し得ない。それらは合して四肢的構造成体を形成するとはいえ、あらかじめ各契機が存在して、しかるのちに関係に入り込むのではなく、各契機は、この函数的聯関の項としてのみはじめて存立するものである」（31頁）というように四肢的構造論が提出される。
　廣松氏は、近代的主観－客観図式は、実は関係の項としてしか存在しないものを、それぞれ自立化させ、独立に存在するものであるかのように誤想するところから生じているとみなし、「われわれとしては、『イデアールな』かのetawas'共同主観的な『形式』（形相）を物象化して形而上的真実在に仕立ててしまうこの物神崇拝の転倒した想念を――それがたとえ科学的実在と呼ばれようと――厳しく戒めねばならないが、同時にまた、それを単なる認識論的主観形式、ア・プリオリな認識形式としてしまう想念をも斥けねばならない」（38頁）と宣言するのだった。
　しかしすでに見てきたように、廣松氏は「認識論的主観形式」に仮託してしか、四肢構造論を叙述できず、そしてこの形式を自己否定する試みとしては、四肢構造にあっては "主観" も"客観"も存在しないから、四肢構造論は「認識論的主観形式」ではない、といった弁明をすることか、或いは、能知的主体の自己形成を言語的交通の場に限定して説くといった一面的な展開を見せてくれただけであった。だから、廣松氏が嫌がろうと、四肢構造論は「認識論的主観形式」としてしか存立していないのだ。
　そして、いまここで問われているのは、四肢構造が認識論的主観形成としてしか存立のしようがないということを証明することだった。一つは、すでに指摘したように、廣松氏のフェノメナルな世界とは、意識のうちにとり込まれた世界であり、精神現象、あるいは意識世界のことだった。だから、この世界の構造が四肢的構造であることを発明したとしても、この構造はやはり主観形式にとどまらざるを得ない。
　もう一つは、フェノメノンと主体とがそれぞれもつ二重性が、イデアールなものがレアールなものに肉化する二肢的統一構造と捉えられている点だ。これでは、関係の項にあっては、イデアールなものを絶対的なものと見なし、レアールなものは、単にこの絶対的なものが肉化する場としてしか捉えられていないことになり、レアールなものがイデアールなものに働きかけるという逆の方向性が見失われている。もし、四肢構造論が主観的形式であることを自己否定しようとすれば、レアールなものがイデアールなものに働きかける方向性が取り出されねばならず、そうなれば、肉化の論理は破綻し、反照の論理によらねばならない。そして反照の論理にもとずけば、四肢構造論そのものが自己否定されてしまうのではなかろうか。
　このことを明らかにするためには、「関係の一次性」を主張しながらもついに関係における項の意義について説くことに成功しなかった廣松氏の関係論を検討しなければならない。

��ε��

Return to Category | Return To Main Index

Author: admin Published: 2006/1/5 Read 4676 times

哲学の旅 廣松哲学への疑問 第3章