はじめに
第1章　知覚環境の諸相について
　1）動物と環境の相互関係　2）媒質、物質、面　3）面の生態学的法則　4）生活体にとって意味のある環境
第2章　視知覚に関する情報について
　1）放射光と包囲光　2）刺激作用と刺激情報との関係　3）刺激の概念の再考　4）網膜像の伝統的理論　5）包囲光配列の特徴
第3章　事象と事象を知覚するための情報
　1）生態学的事象の分類　2）何を事象と考えるか　3）事象の知覚　4）自己－知覚に関する光学的情報　5）アフォーダンスの理論

第2章　視知覚に関する情報について

1）放射光と包囲光

　ギブソンの本の第II部　視知覚に関する情報は、この本のなかで一番理論的な部分だ。すでに見た第I部が、環境と動物の相互関係についての新しい考え方であり、そして、視知覚を論じた第III部が、実験による実証であるのに対して、この第II部では、生態光学の立場が理論的に語られている。それで、この章では、ギブソンの説を詳しく追ってみることにしよう。
　ギブソンは、光の科学も視覚の科学も、ともに光学と呼ばれているが、物理的エネルギーとしての光と、視覚に対する刺激としての光と、知覚情報としての光をそれぞれ区別し、次のように述べている。

「私が生態光学とよぶものは、知覚に対する有効情報に関するもので、物理光学や幾何光学とは違うし、生理光学とも異なる。生態光学は、これら既存の学問のすべてから借りるものは借りながらも、それらを乗り越えて、それぞれの学問分野の境界を横切っている。
生態光学は、物理光学ではその基礎としていないいくつかの特異性にもとづいている。つまり発光体と非発光体の区別、放射光と照明光の区別、また光源から周囲に伝達される放射光と観察者の眼の位置と考えられる媒質の一点に集まってくる包囲光を区別する。」（51～2頁）

　ギブソンによれば、発光体は、それ自身の光の放射によって、そして非発光体の場合は、光源からの光の反射によって、ともに眼で見ることができるが、しかし、非発光体は、発光体と同じような仕方で眼を刺激するものではないことに注意をうながしている。非発光体は照明によって、肌理のある面として見えるのだ。

　次に、放射光と照明光の区別について。

　ギブソンは、物理学で研究されている放射エネルギーとしての光の性質を列挙したうえで、生態光学の水準では、主として散乱、反射、吸収のみを問題にすればよい、として、次のように述べている。

「日中、太陽の放射光の一部は、地上に平行光線で到達するが、他の一部は、決して完全に透明ではない空気中を伝達されることにより、散乱する。これを散乱反射とよぶ。（これは鏡映反射と混同してはならない。鏡映反射は入射光線と反射光線にぶっつかるとき、等角度になるという単純な法則に従っている。鏡映反射が生ずるのはまれである。というのは地面に鏡は存在しないし、鏡のように作用する水面でさえ、普通はさざ波は立っているからである。）散乱―反射光は、空からくる光を順々に反射し返す光である。そしてそれぞれの新たな反射は、さらに次々と入射光線を散乱する。このようにして、太陽や空に向かって開かれている窪み、隠れ場の中にも光は進入していく。一部が囲われた空間の中では、光は1秒間に186,000マイルの速度で激しく往来し続け、そのエネルギーが完全に吸収しつくされてしまうまで、隙間や裂け目を通り抜け、洞穴に入り込んでいく。この光はもはや放射とはいえない。それは照明である。」（53～4頁）

　環境は、太陽からの放射光を散乱反射する物質に満ちている。鏡映反射はまれで、散乱反射によって光は環境中に進入していく。物理光学では、このような散乱反射は例外として除外されるが、生態光学では、媒質のなかを散乱反射でただよっている光の方が重要である。このように考えるギブソンは、放射光が散乱反射されて、媒質を満たしているような光を照明と捉えたのだった。

　最後に、放射光と包囲光の区別について。

　光を照明と捉えると、包囲光の概念が生じてくるが、ギブソンはまず、物理光学的手法で、包囲光の概念に接近しようとしている。

「地球と空の間、相対する面を何度も反射することにより、放射光は照明となる。しかし、この何度も反射するという表現は、そこから感じられるほどには、光束の想像を絶する速さ、往来する反射の無数の多様性、あるいは無限に続く散乱を、実態通りに言い表しているわけではない。物理学者と同じように、照明を光線の集合と考えれば、環境内のあらゆる面上のあらゆる点を、その点から外側へ向かう放射光線として考えることはできる。こうした放射光線束は完全に『密』である。光線を空中を完全に満たすものと考えることはできるし、空中の各点を、あらゆる方向から来る光線が交差する一点を考えることはできよう。そうだとすれば、光はひとつひとつの点を包囲することになる。光はどの点にも到達し、どの点をも取り囲む。つまり光はすべての点を包囲するものである。これは包囲光を考える一つの方法である。」（54～5頁）

　放射光の概念しかない物理光学からすれば、散乱反射も放射光の吸収とその一部の反射と捉えられ、すべての点は、放射光の光源として考えられる。これを逆に、放射光を照明と捉えると、すべての点を光が包囲している、ということになり、包囲光の概念が成立する。この照明と包囲光という捉え方からは、包囲光の構造の同一性という事実が浮かびあがる。太陽が雲に隠れたりして放射光のエネルギーが変化しても、包囲光の構造は変わらないのだ。ギブソンは、包囲光の概念を与えたうえで、放射光と包囲光の区別について次のように述べている。

「放射光は照明を作り出し、包囲光は照明の結果である。放射光はエネルギー源から生ずるが、包囲光は観察点に収斂する。放射光は無限に密集した光線から成り立つが、包囲光は共通の頂点をもつ一組の立体角である。一つの点光源からの放射光は、どの方向に対しても差異がないが、ある一点における包囲光は、方向によって異なる。放射光は伝播されるが、包囲光は伝播されるのではなく、単にそこに存在するだけである。放射光は原子から生じて原子に帰るのに対し、包囲光は周囲に存在する面の状況に依存している。放射光はエネルギーだが、包囲光は情報である。」（55頁）

　包囲光は、環境中のあらゆる点に存在しており、従って、動物の眼にも存在している。動物の眼に関係する包囲光は、実体としては環境からの散乱反射された放射光であるが、これを環境中の全ての点を包囲する包囲光と捉えると、環境中の包囲光の構造が浮かび上がり、こうして動物の眼に達する包囲光は、実体としてはエネルギーであるが、それが視覚に対する情報として存在していることが明らかとなる。これがギブソンが提起した生態光学の要点だ。

2）刺激作用と刺激情報との関係

　包囲光が構造をもち、それ自身が情報である、というとき、ギブソンは次のようなイメージを考えている。

「包囲光が構造をもつ限り、それは周囲の環境を特定する。私がいっているのは、包囲光がなんらかの情報を含むには、観察点における光は、さまざまな方向において異なっていなければならない（あるいは異なった方向において差異がなければならない）、ということである。その差は主として強度の差である。構造を備えた包囲光を記述するために使われる用語は、包囲光配列である。これはある種の配列、つまりパターン、肌理、あるいは布置といった種類の配列を意味している。この配列は部分を備えていなければならない。包囲光は等質でも空白でもあり得ない。」（56頁）

　包囲光配列とは、異なった肌理や色彩をもった面の配列であり、従ってそれは環境中の面の配列についての情報を提供する。包囲光が構造化されない場合もあり、例えば深い霧の中や、暗闇の中では、背後に環境があるかも知れないが、それについての情報はかくされている。ところで、ギブソンが「情報」というとき、独自の内容をもっている。まずギブソンは、刺激作用と刺激情報とを区別している。霧の中では人間の眼の網膜上には像は形成できない、という例を引いて、網膜と眼のちがいについてギブソンは次のように述べている。

「この仮説的場合は網膜と眼の違いを示している。つまり受容細胞と知覚器官の違いである。受容細胞は刺激されるのに対し、器官は活性化される。刺激情報による眼の活性化がなくても、光によって網膜は刺激されうる。実際、1個の眼は二重器官の一部であり、一対の動く眼の一つである。眼は動かすことのできる頭にあり、場所を変えて移動可能な身体についている。これらの器官は階層をなし、私がいうところの知覚系を構成する。このような系は決して単純には刺激されないが、その代わり刺激情報が存在すると活動を開始する。」（58頁）

　ギブソンが、仮説的場合と言っているのは、霧の中でも眼には光が入ってきているが、しかし、それは網膜上に像を結ばないので、知覚に関しては、光が入ってこない場合と同じだ、というものだ。ギブソンによれば網膜は光受容細胞であり、これは光によって刺激されるのだが、知覚器官としての眼、それは知覚システムの一部分であるが、そちらの方は活性化されない、というのだ。こうして、刺激作用と刺激情報の区別の重要性が引き続いて述べられている。

「受容細胞に対する刺激と視覚系に対する刺激情報の区別は、次の点で決定的である。受容細胞は、完全な系の一つの器官に過ぎない一つの眼、受動的で、要素的な解剖組織上の構成要素である。感覚の伝統的概念は、この新しいアプローチではほぼ完全に放棄される。光による刺激とそれに対応する明るさの感覚が、視知覚の基礎であると伝統的には考えられている。神経の入力は大脳の知覚過程を作動させるもとになるものと考えられている。しかしながら、私は全く別の仮説を立てる。なぜならば、刺激そのものは情報を一切含んでおらず、明るさ感覚は知覚の要素ではなく、また網膜の入力は大脳がそれにもとづいて作動する感覚要素ではないことを示唆する証拠があるからである。
　視知覚は単に刺激作用の欠如のみならず、刺激情報が欠けても成立し得ない。等質の暗闇では視覚は刺激作用の欠如のために生起しないし、等質的包囲光配列の条件では、適切な刺激作用とそれに対応する感覚があったとしても、情報の欠如のために視覚は生じない。」（58頁）

　ギブソンは、ここで網膜に対する入力光の刺激が脳に伝達されて、知覚される、という伝統的な感覚の理論を否定し、刺激と刺激情報とを区別することで、新しい知覚の理論を提出している。網膜上に像を結ばない霧の中でも、入力光の刺激はある。しかし、この入力光は刺激情報を含んでいない。ところが、日常的な包囲光配列に対しては、知覚器官が活性化され、知覚と行動が引き起こされる。次に、ギブソンがこの自らの新しい理論の見地から、伝統的な説をどのように批判していっているかを見てみよう。

3）刺激の概念の再考

　ギブソンは伝統的な知覚理論を、感覚から知覚が生じると捉えるものであり、そして視覚に関しては光の刺激を感覚し、それが脳の働きで知覚にまとめられる、というように定式化している。この理論が前提にしているのは、「光以外に何も見ることはできない」（58頁）ということだ。
　眼をカメラにたとえると、放射光が入力し、網膜でこれを受容し、この光の感覚が視知覚の根本的基礎であり、質媒であり、与えられたものだ、ということになる。この考え方からすれば、「我々は面や対象や環境を直接に見ることはできない。ただ間接的に見るのみである」（58～9頁）という結論になる。
　このような考え方に対して、ギブソンは、「我々は光を見ることは決してない」（59頁）という主張を対置している。

「確かに虹、スペクトルを知覚することはできるが、この場合も光を見ているのではない。太陽や月の暈、水面の光の輝き、さまざまな種類の閃光はみな、光の現われであるが、光そのものではない。我々が照明を見る唯一の方法は、ビームが当たることによってであると私は考える。我々は空気中の光とか空気を満たす光を見ることはない。もしこれらのことがすべて正しいならば、我々が見ているものは、環境ないし環境に関する事実であり、光量子や波長や放射エネルギーではないと主張するのは、まさに理にかなっている。」（59頁）

　人は単なる光を見るのではなく、光のあらわれを見るのであり、これは光を照明と捉えることだ。そして、光を照明と捉えると、環境は包囲光配列として構造化されたものとなり、刺激情報となる。太陽を見つめるときに感じるまぶしい感覚は「強烈な刺激によって与えられる苦痛に似た眼の状態を知覚している」（59頁）のであって、決して光を見て、それを感覚しているのではない。

「我々が知覚しているのは、原因となっている光ではなく、過度に刺激されている事実、つまり、世界についての事実とは区別されるような身体についての事実を知覚するのである。そして身体に関する事実につき経験することは、世界についての事実を経験することの基礎ではない。」（59頁）

　この分析はすばらしい。生命や社会は、自然物を土台にしつつも、その自然物そのものに生命や社会がなければ存在しようのない新しい事象が乗っかっている、ということをギブソンは視覚の分野で発見したのだ。たしかに光の入力がないと視知覚はありえないが、しかし、視知覚は光そのものを感覚することにもとづくものではなく、光が担っている生命にとっての情報が知覚されるのであり、そして、その情報は、放射光を包囲光配列と捉え返すことで明らかとなるのだ。

「用語の正確な意味での光そのものは、決して見ることがないならば、環境を見ることが、光そのものを見ることに依拠することはあり得ない。矛盾しているように聞こえるが、網膜における受容細胞の刺激作用を知覚することはできない。この受容細胞を刺激することによりもたらされると考えられる感覚は、知覚に対するデータではない。刺激作用は見ることの必要条件であるだろうが、不十分条件ではない。ただ受容細胞の刺激作用だけでなく、知覚系に有効な刺激作用が存在しなければならない。」（59～60頁）

　光による網膜の刺激という面だけでは知覚は生じない。光そのものが刺激情報を担っていて、これが知覚される。だから生命体による視知覚を論じる際には、光による刺激ではなく、刺激情報とは何かを明らかにすることが問われるのだ。ギブソンはこの問題を解明する際にまず、刺激の概念の再検討から始めている。
　「観察者の受容器が刺激されるだけであり、また、観察者の感覚器官は刺激されているのではなく、活性化されている」（60頁）という仮説をたてて、刺激についての諸説を検討したのち、ギブソンは「こうした厳密な意味での刺激は、その刺激が世界のどこから生じているのか、その源泉に関しては何の情報ももたらしはしない。つまり刺激の出どころを特定しないのである。構造化された配列を作り、時々刻々変化する刺激だけが、刺激の源泉を特定する」（61頁）と述べている。
　刺激とは結局自然物そのものが生命体ともつ関係であるが、生命体にとっては自然物そのもを知覚するのではなく、その意味を知覚するのであり、こうして、自然物そのものが、生命体との関係では、意味を担った自然物として、二重物として現れている、という自然物の二重性について、ギブソンは述べている。自然物の構造化された配列と変化する刺激が、自然物が自然物のままで生命体との関係でもつ意味なのだ。
　刺激情報についてのこのような考え方からは「知覚は刺激に対する反応ではなく、情報抽出という行為である」（61頁）という新たな知覚論が成立し、「知覚は感覚を基礎とはしていない」（62頁）という伝統的な知覚論の転倒がなしとげられる。そして、情報の概念も刷新される。

「刺激情報は、それが観察者によって取り込まれるときに、環境から失うものは何もない。情報の保存のようなことは一切ないし、情報の量に制限もない。包囲光、振動、接触、そして化学的作用における有効情報は無尽蔵である。」（62頁）

　ギブソンの考えに従えば、自然物そのものと生命体との関係が刺激であり、そして、自然物そのものが生命体との関係でもつ二重性が刺激情報だ、ということになろうか。「刺激それ自体はそれ以上何も特定せず、何の情報も含んでいない。しかし、刺激作用の流動する配列は全くこれとは別である」（62頁）と述べて、次に刺激情報についての考察に移っている。

「包囲光は構造を持っている。二重視覚系（両眼があること）の目的は、この構造を取り込むことにあるといえる。さらに厳密にいえば、変化する構造の中にある不変項を取り入れることを目的としている。包囲光は通常、我々がパターンと変化とよぶものでみちている。網膜像はこのパターンと変化の両方を取り入れる。そして一つの網膜像はその受容面の刺激作用を含んではいるが、しばしば仮定されるような、刺激のセット、もしくはひと連なりの刺激を含んではいない。」（63頁）

　放射光という自然物を生命体の眼との関係で捉えると、それが照明という新しい規定を受け取り、眼に入力されるものは、放射光でありながら、眼との関係では包囲光としての意義をもち、そして、この包囲光は構造をもつことで、生命体にとっての意味を示している。その際、包囲光の構造の中の不変項を検知することが重要となる。このような見地から、ギブソンは、網膜上の伝統的理論についての批判を試みている。

4）網膜像の伝統的理論

　ギブソンは「眼は包囲光の不変な構造を記録する」（63頁）という新しい考え方を提起したが、伝統的な理論は「眼は眼底上に対象の像を形成する」（63頁）というものだ。
　伝統的理論はケプラ－にまでさかのぼると、眼に入力した放射光はレンズにより網膜上に像を形成する、というもので、この理論はカメラに実用化されたし、凸レンズがあれば容易に実験できる。これは、対象とその像との間には1対1対応がある、という考えで、幾何学の概念に合致している。この理論は網膜上の像をそのまま見る、と考えるか、あるいは神経細胞のシグナルに変換されて脳に送られて、知覚になる、と考えるか、どちらかであるが、ギブソンは二つの考え方を双方とも否定している。
　まず、網膜上の像がそのまま脳に伝達されるという考え方について。

「この理論は、スクリーンや表面上に投影され、見ることを目的とする像に対しては効力を見事に発揮する。しかしながら、これがうまくいったことが、網膜上の像は一種のスクリーンに投影されていて、それ自体見ることのできるような物、つまり絵のようなものだと信じ込ませてしまっている。それは心理学の歴史上、最も魅惑的な虚像の一つ、網膜像は見ることのできる何かであるという過ちを導いている。」（65頁）

　次にシグナルに変換されて脳に送られる、という考え方について。

「この考え方からすれば、物と像との間の1対1対応に類似した、像と脳の間の、要素対要素対応を考えることになる。この考えは、脳の中で網膜像を見ている小人を想定する誤った論法を避けているように思われるが、私が、感覚に根拠を置く知覚理論とよぶ理論の問題を何も解決してはいない。網膜上の光のスポットと脳における感覚のスポットの間の対応は、明るさと強度の、また、色と波長の対応関係があるのみである。もしそうだとすれば、脳は明るさと色のさまざまに異なるスポットから現象的環境を作り上げるという途方もない課題に直面することになる。」（66頁）

　伝統的な視覚論のこの二つの考え方は、ともに、自然物そのものとしての放射光が眼に入力し、それがいかにして認識されるか、というように問題をたてている。これはカメラのような人工機械では全く正しく実現されるので、人間の眼もそうだ、というように考えられてしまう。しかし死んだ、人工物としてのカメラには正しくとも、生きた生命体の眼には通用しないのだ。ギブソンはこれらの考え方をあっさりと否定している。

「知覚活動を考えるとき、何かが視神経に沿って伝達されると仮定する必要はない。また、網膜に投影された逆さの像、あるいは一種のメッセージが脳に伝えられると信ずる必要はない。我々は視覚を知覚系として考えることができる。脳はこの系の一部にすぎないし、網膜入力は眼球調節作用を喚起し、網膜入力を変えていく、というようになっているので、眼もまたこの系の一部である。そのプロセスは一方向的伝達ではなく、内環的である。眼－頭－脳－身体からなる系は、包囲光の構造における不変項を記録する。眼は、像を形成し伝達するカメラでもなく、また、網膜は、単に光の指によって打たれるキーボードでもない。」（66頁）

　伝統的な視覚論の批判はほぼ完璧である。カメラ式の認識とは別の知覚がどのように形成されるのか、それが問題である。「不変項の記録」は一体どのようになされるのだろうか。
　この問題に取り組む前に、ギブソンは、人間の眼とは構造も機能も異なる昆虫の複眼との対比で視覚について論じている。複眼の場合、網膜はなく、像も結ばないが、しかし、昆虫は環境を知覚している。そこで、包囲光配列と不変項の抽出という考え方からすれば、複眼で何故足りるのかがわかる。
　さて、先の問題についてであるが、「異なった方向から入ってくるさまざまな異なる光の強度を記録することが、視知覚にとっては必要なのであり、網膜像の形成は必要ではない。」（67頁）とギブソンは結論づけているが、その際、刺激情報としての包囲光配列が情報としての意義をもつ、というとき、通常の情報の概念とは異なることについて明らかにしている。
　一般に情報というと、コミュニケーションを通して伝えられるものだと考えられている。情報とは、送り、かつ受け取られる。ところが、知覚に関する情報はそうではない。

「我々を取り囲んでいるエネルギーの海にある有効な刺激情報は、これとは全く異質である。知覚に関する情報は伝達されることはなく、シグナルから成り立ってもいない。情報の送り手と受信者を必要としない。環境は、そこに生きている観察者とコミュニケーションをしない。いったい世界は、我々と話をするのだろうか。」（68頁）

　ここでギブソンが問題にしているのは、次々と出てくる光学的配列から出てくる光学的情報であるが、これは伝えることも受け取ることもできない。これは、コミュニケーションの用語としての情報とは全く別の概念をもつ。ではそれは、一体どのようなものだろうか。ギブソンは包囲光配列を詳しく研究することで、この問いに答えている。

5）包囲光配列の特徴

　包囲光配列についてのギブソンの説明は、個々の問題では理解可能なのだが全体のまとまりがわかりにくい。とりあえず、ギブソンの説明を要約してみよう。

「生態光学の中心概念は、観察点における包囲光配列の概念である。配列があるということは布置をもっていることを意味するし、一点において包囲しているということは観察者が占有する環境内の一つの位置を取り囲んでいることを意味している。その位置は、観察者によって占有されることもあるが、占有されないこともある。さし当たっては占有されていないものとして見なすことにする。」（70頁）

　この書き出しから始まる包囲光配列の章で、ギブソンはまず、包囲光はどのように構造化されているか、ということについての予備的考察を行っている。従来、環境の配列は、地の上の図として考えられてきたが、この場合、光学的配列にひとつひとつの形が対応することになる。ところが、包囲光の配列は、ある対象が他の対象の背後に隠れていたりしていて、1対1的に対応していない。ではどうするか。

「一点で交わる一組の光線としてではなく、共通の頂点を有する立体角の入れ子構造的になった階層として光学的配列を考えることには、利点がいくつかある。立体角はすべて、どんな小さくても、その断面図が形態をなすという意味で、形態をもっている。この点で立体角は光線とは全く異なる。」（72頁）

　ギブソンは、地と図という考え方の代わりに、一つの点を共通の頂点とする立体角が入れ子となった階層というモデルを提案している。

「このように考えると、光学的配列の構造はすき間がなく、個々の点や斑点から成り立っているのではない。光学的配列は、完全に埋められている。どの構成要素もより小さい要素から成り立っている。どの形態も、それがいくら小さな形態であっても、その境界内には別の形態が常に存在する。これは包囲光配列がマトリックスというより階層に似ていることを意味していると同時に、配列が、それぞれ位置をもち、それぞれ一定の強度と頻度を有する光の斑点の一セットとして分析されるべきでないことをも意味している。というのは、位置関係は、たとえば、方位角と仰角の角度で決まるのではなく、包摂関係により決まるからである。」（74頁）

　ギブソンのここでの説明は分かりにくいのだが、ひょっとして、思惟抽象（分析的抽象）と事態抽象（綜合による抽象）との差異について述べようとしているのではなかろうか。そうだとすると、光学的情報は事態抽象によって成立していて、思惟抽象によっては捉えられないことになる。
　外界を地と図と捉えたり、マトリックスと捉えて、形という抽象の産物が外界の図と1対1的に対応している、と考えるのは、思惟抽象の働きである。これに対して、外界の対象がお互いに入れ子になっていて、それらの相互関係のなかで、形という抽象物が成立し、これが包囲光配列の構造をなす、と考えると、ギブソンの説明が分かりやすくなる。階層や布置や変化のなかの不変項や包摂といった用語は、包囲光配列が事態抽象によることを説明しようとして使用されているのではなかろうか。
　包囲光配列が外界の事態抽象にもとづく刺激情報だ、と捉えると、観察者としての動物が移動する場合の光学的配列の変化についてのギブソンの説明もわかりやすくなる。

「いうまでもなく観察点が動くにつれ、光学的配列は変化する。しかし完全に変わるわけではない。配列のある特徴は変わるが、他の特徴は変わらない。変化は観察者の移動により生じ、無変化は環境の面の不動の配置により生じる。それゆえ、無変化は環境の配置を特定し、その配置に関する情報となるが、一方、変化は移動を特定し、別種の情報、つまり移動それ自体に関する情報となる。そこで普通の包囲光配列の2種類の構造を区別しなければならない。それらを遠近法構造と不変構造とよぶことにする。」（77～8頁）

　もし、外界の知覚が、地と図という分析的抽象によるモデルにもとづくとすれば、観察者が移動するとき、その一瞬一瞬にモデルの変形を観察者がしていかなければならないことになる。これに対して、包囲光配列が外界の事象そのものによって事態抽象されるものと捉えれば、観察者の移動がどのような経路をへようと、そこにはすでに刺激情報が待ち構えていることになる。このような事態抽象の帰結としての包囲光配列について、ギブソンは2種類の構造を区別し、遠近法構造と不変構造と名づけている。

「遠近法構造とよぶものは、観察点が変わるたびに変化する。…おのおのの観察点に対し瞬間的な遠近法構造があるだけである。他方、構造の不変項はあらゆる観察点に共通である。すなわち、地上の環境全体のなかのあらゆる観察点に共通する不変項もあれば、ある場所の境界内の観察点に共通する不変項もある。」（79頁）

　ギブソンは、包囲光配列が事態抽象によって形成され、環境中のあらゆる点を満たしていると考えている。その時に存在する包囲光の構造は、ある一点を取ると、そこで決定される外界とのたった一つの遠近関係が遠近法構造であり、そして、地平線のようなあらゆる観察点に共通な不変項と、ある場所のなかにある固定化された面という一定の領域内での不変項とを合わせたものが、不変構造なのだ。

遮蔽縁と包囲光の構造化

　誰でも経験することだが、立木のむこうに猫が顔を出しているのを見ると、隠れている部分も知覚してしまう。この問題について、ギブソンは次のように説明している。

「情報は正面だけでなく、全体の配置に関しても、つまり、他の面をおおっている面はもちろんのこと、おおわれている面に関しても有効でなければならない。このような情報はどんなものか。おそらくそれは、包囲光配列の変化に伴い、時間的経過によって、明らかになるものである。私は、その情報が対象の面を分ける縁の中に、すなわちこれらの縁を特定する光学的特性の中に含まれていると考えたい。そして、もし他の面をおおう縁が特定されれば、おおわれている面とおおう面の両方が特定されると私は考える。」（82頁）

　ギブソンは、ここで隠されて見えない面が見える、と主張しているわけではない。「一時視界に入っていない面を知覚することが可能であるということと、視界に入っていないものは注意深く定義するのが望ましい」（83頁）ということだ。つまり視界に入っていない隠された面の知覚はどのようにして生じるか、ということがギブソンの問題提起である。
　ギブソンは、この知覚を「情報が対象の面を分ける縁に、すなわちこれらの縁を特定する光学的特性の中に」求めているが、この縁自体が事態抽象の産物だと捉えると、ギブソンの言わんとするところが理解できる。ギブソン自身が「可逆的遮蔽の原理」と名づけている観察者の左右、上下への小刻みな移動が、遠近法構造を変化させ、そして、事態抽象によって生じている縁の構造を変化させることで、隠れている面の情報が与えられるのだ。この問題について、ギブソンは細かく論じているが、あまりにも専門的になるので、ここでは紹介をひかえておこう。
　包囲光配列の考察の最後で、ギブソンは包囲光はどのように構造化されるか、ということと変化のなかでの不変項という二つの問題を論じている。

「包囲光は、不変構造をどのように与えているかという問題に立ち返ってみよう。この問題は、本性の冒頭に投げかけたが、まだ答えは明確な形ではなされていない。包囲光は、観察点を取り巻く物、つまり環境によってのみ構造化されうる。つまり、大気中の空虚な媒質や霧で満たされた媒質によっては、構造化されることはない。光を吸収する面と反射する物の両方が存在しなければならない。包囲光は、さまざまな物から成る環境により、構造化されているがゆえに、環境に関する情報をもちうるのである。」（93頁）

　包囲光の構造は、面の配置、面の色素、そして面が受ける影から成るが、ここに不変構造があるとしても、それは変化項と関係した不変項である。ギブソンは、不変の光学的構造の源泉として、地上の面の配置と面の反射率をあげている。次に、変化する光学的構造の源泉として、規則的なものと循環性のものがあるとし、観察点の移動から生じる変化と、光源（主として太陽）の移動による変化をあげている。
　変化のなかでの不変項について、ギブソンは、太陽の移動による影の変化を考察している。

「光学的配列にはおそらく、配置の縁や隅と面の色を特定するための根底にある不変構造が存在し、そして同時に、優勢な照明のそのときどきの方向を特定する変化する構造が存在する。光の並列のある構成要素は決して場所を交替しない――つまり、決して入れ代わらない――が、一方、他の要素は交替する。前者は固体の面を特定し、後者は実体のない影だけを特定する。面とその色は不透明なものとして記述され、影は透明なものとして記述される。」（97～8頁）

　包囲光配列は光源（太陽）の移動によって、変化するものと不変のものとがあり、影は場所を交代するが、固体の面は入れ代わらない。これも事態抽象の帰結と考えると、わかりやすい。

第3章　事象と事象を知覚するための情報

1）生態学的事象の分類

　包囲光配列が、単なる光であるだけでなく、動物にとっての意味を示す刺激情報でもあることを明らかにしたギブソンは、いよいよ、この刺激情報がどのようにして知覚されるか、という問題に移っている。まずギブソンは、対象や対象を媒質から切り離す対象の面の水準で起こる事態を生態学的事象と名づけ、次のように述べている。

「生態学的事象というとき、それはいったい何をさしているのか。事実を定義し分類することはできるのだろうか。我々はそれをやってみるべきであろう。なぜならば、事象をどのようなものと考えるかがわかるときのみ、包囲光配列の変化を記述でき、そこで初めて事象の知覚に関する研究を始めることができるからである。」（102頁）

　ギブソンは、生態学的事象を分類するにあたり、太陽の運動や観察者の位置は度外視していて、なお残る事象を「面の配置の変化、面の色と肌理の変化、そして面の存在の変化」（102頁）の三種類に分けている。
　面の配置の変化は、力学で理解できるような単純な運動も含まれるが、動いている動物の表面のしなやかな変化や、水面の変化や、対象の衝突や、面の分裂などがある。
　そして、面の構造の変化による色と肌理の変化について、ギブソンは、植物の面と動物の面と大地の面をあげている。色と肌理についてのギブソンの理解は特異なので、引用して紹介しておこう。

「理論的には、面の色は面の形を変えずに変わりうるし、色を変えずに面の形が変わることもありうる。これらは対象の独立した『性質』であると考えられ、また、対象の『一次的』性質と『二次的』性質の違いと考えられてきた。肌理と色は切り離せず、肌理は小さい単位の配置の水準でも、なお一種の形であるので、実際に、色と形は非常に単純化された性質である。色と形は物質の組成に特有なものであるので、ここでは色と形をまとめて考えることにする。物質が何らかの化学的反応により変えられるとき、その面も変化する。それは無彩色的にも、有彩色的にも変化する。また、結晶状のものから非結晶状のものへと微細な構造が変われば、それに応じて肌理も通常変化する。動物は物質の面と接触する前に、物質のアフォーダンスや化学的性質とか有用性を知覚する必要がある。」（105～6頁）

　これを読んだだけでは、ギブソンが何を考えているのかよくわからない。具体例を引用して補足しておこう。

「冬が近づくと木の葉の色が変わり、同時に枯れ、そして落葉する。環境内で起こる事象のいくつかの特性が相互に結びつき、情報の多次元的保証を与える。炎と燃える火、今これを抽象的な化学的事象ではなく、生態学的事象として考えると、それは複雑な動きと変形からなる。つまり、ゆらゆら揺れ動きながら輝いている面があり、次いで、不透明な面が最初は赤く、やがて黒く変わり、煙が渦巻き、ついには固体の面は消え去る。火の存在は眼はいうまでもなく、耳や鼻、皮膚に対しても特定される。」（106頁）

　たしかに木の葉が秋に紅葉するとき、木の葉の化学的組成は変化しており、それが色と肌理との変化となっている。木が燃えるときも化学的反応があるが、ギブソンが問題にするのは、あくまでも視覚との関係での事象であり、生態学的事象である。
　最後に、面の存在の変化について。これは、液体が気体になったり、固体が気体になったり、その逆の変化などである。

「面というものは、物質と媒質の間の界面である。物質は複雑だが固体、粘着性のもの、弾力性のあるもの、液状、または粒状のものに分類することができる。気体はもちろん物だが材質ではない。材質が気体の状態になるときには、ただ媒質の構成要素になり、その面は存在しなくなる。それは非材質化したのではなく、非物質化したのである。もはや光を反射することもなく、それゆえに、いかなる観察点においても包囲光配列の中に特定されることはない。単に視界から消えたのではなく、存在しなくなってしまったのである。」（107頁）

　この説明はわかりやすい。

2）何を事象と考えるか

　生態学的事象についての分類のあと、ギブソンは何を事象と考えるか、ということについてまとめている。基礎的現実としての事象、回帰性と非回帰性、可逆的事象と非可逆的事象、事象の入れ子構造、事象のアフォーダンス、これらの項目が順次考察されていく。最初の項目だけを検討しよう。

「まず第一に、生態学的事象の絶え間のない流れは、物理学で仮定された時間の抽象的経過とは区別される。時間の経過は等質であり、かつ直線的であると仮定されているが、事象の流れは、等質ではなく、部分部分で異なる。ニュートンは、『絶対時間、純粋時間、そして数学的時間は、それ自体で、それ自身の性質から、いかなる外界の事情とも関連せずに、均質に流れていく』と主張した。しかしこれは都合のよい神話にすぎない。事象は時間の『中』で起こり、かつ時間は『何かで満たされ』ない限り空虚であると仮定する。この常習的な考え方は本末転倒である。事象を基礎的現実として、また時間を事象からの抽象概念――時間が時を刻んでいくような、規則的に繰り返される事象から主として導かれる概念として考えてみるべきである。事象は知覚される、しかし時間は知覚されはしない。
　空間も時間の場合と同じである。対象が空間を満たすのではない。なぜならば、初めから空虚な空間などありはしないからである。環境の中で変わることなく安定している面が、現実の枠組みになる。世界は決して空虚ではない。媒質に関して言えば、そこは運動や移動が起こる領域であり、光が反射し、面が照明を受けるところである。これは占められる場所とでもよばれるもので、空間ではない。面とそれが作り出す配置は知覚されるが、これまで私がずっと論じてきたように、空間が知覚されることはない。」（109頁）

　ここでのギブソンのニュートン批判は手厳しいが、それを神話として退ける手際はあまりにもプラグマティックである。というのも、ニュートンの理論は、思考方法としては合理的な抽象であり、なおかつ人工物の世界では、その理論は妥当しているからだ。さらに人工物に関しては、その理論に従った技術によって、どんどん新しいものをつくり出せている。ギブソンは、自らが発見し、定式化した生態学的事象の説明には使えない、つまり実際の役に立たない、という理由で、ニュートンの時間、空間論を「神話」ときめつけているのだが、これは一寸行き過ぎのように思われる。
　ニュートンの理論が思惟抽象の世界での合理的な抽象である、ということを認めても、ギブソンの発見の価値は下がることはないし、むしろ、このことを認めた上で、事態抽象の世界にはこの合理的な抽象は妥当しない、というように展開した方が、ギブソンの理論にはふさわしいのではなかろうか。
　思惟抽象と事態抽象との間の関連について考える際に、カントの超越論的仮象論から出発してみよう。このカントの説はまともに受け入れられたことはないのだが、そして、ギブソンも正しく捉えていないが、カントが言いたかったことは、合理性や因果関係は人間の理性にそなわるもので、自然にそなわっているものではない。ところが、人間は自らに属する理性の法則を、あたかも客観としてある自然の法則であるかのように捉えてしまうのだが、これは人間が理性を働かす限りは避けることの出来ない仮象なのだ、ということだった。だから、ニュートンも、人間の理性のうちにある時間と空間の概念が、あたかも客体としてある自然の法則であるかのように考えたのだ。そして、人間の理性は、そのようにしか思考できないのだ。
　だから、ヴィーコのように、科学的な真理ということの吟味をすることが必要になる。ヴィーコは、科学的な真理というものは、人間が作ったもの（幾何学とか、機械とか）について妥当するが、自然については妥当しないと考えた。
　ギブソンは、ここで自然について、それも生態学的事象であり、かつ、包囲光配列として抽象されたそれ、について妥当する理論を創造しようとしているのだが、そのためには、単に思惟抽象を退けるだけでは不十分だ。ギブソンによれば、時間とは繰り返される事象からの抽象であり、また初めから空虚な空間など存在しない、ということだが、これはよいとして、「時間と空間は何かで満たされなければならないような空っぽな容器ではなく、事象と面が作り出す幻影に過ぎない」（109頁）と切ってしまうとゆきすぎだ。カントが考えたように、この幻影は、人間が理性を働かせて思惟抽象を行う限りはどうしてもとらわれてしまう仮象だから、必然的な認識上のズレなのだ。
　ギブソンはそうと意識してはいないが、このズレを是そうとしている。そして、彼が考えていることは、思惟抽象としての時間、空間の概念やそしてそれが客体の法則だと思い込む思考の性を、事態抽象による時間、空間のイメージを提起することで克服することなのだ。

「時間は現代物理学が数学的便宜のために仮定しているような、空間のもう一つの次元、つまり、第4番目の次元ではない。時間の次元の基礎にある現実は、事象が連続的に順序立って生起することであり、空間の次元の基礎にある現実は、対象やそれぞれの面が隣りあって序列をなしているということである。」（109頁）

　事象の連続性が時間を抽出し、対象やそれぞれの面の序列が空間を抽出する、この考え方をうまく説明しようとすれば、思惟抽象とは別の抽象の様式が事態抽象としてあることを明らかにすること以外にないように思われる。

3）事象の知覚

　生態学的事象についての分類と、事象とは何かについての興味深い考察のあと、事象の知覚に関する光学的情報が考察されている。それは環境内である事象が生起すると、包囲光配列はどのようになり、何が事象を特定するか、ということで、ギブソンは、それを配列の不変構造に乱れが生じることと捉えている。そして、事象の知覚についての誤った捉え方について批判を提起している。

「ここでもう一度、世界に生ずる事象は、それらの事象に対応している光の中の情報と混同されるべきでないことを想起してほしい。光の配列の中には、対象を特定する不変項のみが存在し、材料としての事象は存在せず、事象を特定する情報だけが存在する。世界に存在する対象は、そのコピー、あるいは似せて作られた像として包囲光のなかに文字どおり再現されることはない。また世界で起こることに関しても、光の中にコピーされたり再現されることなど決してあり得ない。私達は、この事実を認めるべきであるが、それでもなお、世界で起こる物体の運動は、物体を構成している要素の運動により光の中にコピーされているとか、さもなくば三次元的運動はともかく、二次元的運動はコピーされていると仮定しようとする強い誘惑にかられてきた。しかし私は、この仮定が完全に誤っていることを示そうと思う。なぜならば、この2種類の『運動』つまり、物理的運動と光学的運動には何にも共通性がないし、適用しうる同じ用語すらおそらくないであろう。光の中に生ずる乱れの開始と終結は、世界に起こる事象の開始と終結に対応しているが、これは対応があるというだけのことである。」（111頁）

　物体の運動が光の中にコピーされ、包囲光配列を規定する、といった考え方をギブソンは退けている。物体の運動と光の中に生ずる乱れとは対応はあるが、しかし、それはコピーや再現ではない。包囲光配列の中には事象のコピーは存在しないが、しかし、事象を特定する情報はある。
　思惟抽象の世界では、分析によって抽象し、そして、到達した簡単な要素を組み立て、綜合することで、対象の合理的把握を行う。この見地からは、事象が包囲光配列に再現される、というように事象を捉えざるを得ない。しかし、包囲光配列が、事象相互の関係の中での事態抽象によると捉えると、コピーという考え方をうまく退けられる。とまれ、ギブソンは事象相互の関係によって形成される光学的構造の乱れ、そしてこれが対象を特定する情報なのだが、その種類について、次の10種をあげている。

「1、輪郭の片側でのユニットの漸進的削除と添加　（背景に対する対象の位置の変化）
　　2、割れ目の漸進的減少と増大（空に対する対象の位置の変化）
　　3、輪郭線での光学的肌理の剪断とすべり（円盤の回転）
　　4、短縮と拡張による遠近法的変換（対象の面の転回）
　　5、極端な拡大と縮小（対象の接近と後退）
　　6、変形（流動性、粘着性、弾力性のある事象）
　　7、新しい構造の出現（破裂）
　　8、肌理の消失（空での消散）
　　9、新しい肌理の古い肌理との交替（地上での消散）
　　10、『色の構造』の変化（科学的事象）」（116～7頁）

　光学的構造の乱れのこの10種類はあまりわかりやすいものではないし、視知覚についての理解が不十分な段階では、これらが事象を特定する情報だと言われても、簡単には肯定できない。ギブソン自身、次のように述べている。

「現象のなんとめずらしいリストか。これらを記述するのも容易ではないが、理解するのも難しい。とはいえ、これらの光学的出来事やこれに類することは、眼に対する光の配列において、始終、起こっているのである。これらの出来事をそのままに見ることはなくても、かかる光学的配列における変化が、環境で起こっている事象に関する情報を提供しているのである。」（117頁）

　このように言われて思わず考え込んでしまうが、別の言い方もある。「種々の事象を際立たせる光学的情報は、光学的配列の局部構造におけるさまざまな乱れだけである。」（120頁）たしかに、いつも一定の場所にあったものがなくなっていると、視覚はすぐそれに気づくし、ジョギングしていて、周囲の光学的配列の変化に導かれて進行していく、といったことを想起すると、なんとなく了解できよう。

4）自己－知覚に関する光学的情報

　これまでは、観察者の存在は捨象されていた。ギブソンは今度は環境のなかに位置を占めている観察者に注目している。

「通常の包囲光の中には、観察点に対して自分自身の身体の部位――まず頭、次いで胴、手足、指というふうに――がどのような距離にあるかを特定する情報が存在する。このようにして頭を中心とする自己の経験と身体に関する周辺的自己の経験は神秘的直感でも、あるいは哲学的抽象でもなく、光学的情報にもとづいているのである。」（124頁）

　たしかに、イスに座り、足を投げ出し、片目で部屋の中を見ると、視界のなかには、自分の鼻と手足が入ってくる。

「主体と客体は領域が異なるものと考えられているが、実際にはそれはただ注意の両極にすぎない。観察者と環境を分ける二元論は不必要であり、『ここ』の知覚が成立するための情報は『あそこ』の知覚に対する情報と同じ種類のものである。そして面の連続性のあと配置は、一方から他方へ広がっているのである。この事実は図7，1をみるとわかる。私が1950年に勾配とよんだものは、ここでは観察者の鼻から地平線までずっと増大してゆく距離を特定する増大する肌理の密度の勾配、増大する両眼非対応の勾配、そして減少する運動の勾配である。これらは実際には二つの極の間で変化しうるものであり、知覚における自己受容感覚と外受容感覚のこのような補足性をまさに意味している。自己の知覚と環境の知覚はともに成立するのである。」（126頁）

　主体と客体とを「注意の両極」と捉えるギブソンの考えは、意識の両極として、自我と対象を措定したヘーゲルと同じだが、ヘーゲルは意識を実体化、主体化することで、両極を意識の契機とみなしたが、ギブソンは両極を実体とみる、外の主体の弁証法を展開している。ここで注目しておくべき点は自己受容感覚と外受容感覚とが補足性をもっている、ということだが、このことは具体的には次のようなことだ。

「人が環境内を前方に進んでいくとき、前方の世界の外側への流動と後方の世界の内側への流動とを知覚するということは、全く間違っていよう。人は、動かない世界と流動する配列を経験するのである。包囲光配列の光学的流動が外界の動きとして知覚されることはめったにないのであり、包囲光配列の光学的流動は単に身体運動感覚として経験される、つまり自己の身体の移動として、経験される。」（133頁）

　このように、ギブソンは視知覚と運動とを結び付けている。そしてそれは環境の内に自己の身体が入っていて、それが外界と連続的な包囲光配列をなしているからであり、だから、人が前に進むとき、外界が流動するのではなく、自分の身体の移動が経験されるのだ。ギブソンは要約のなかで次のように自己知覚についてまとめている。

「自己についての情報は環境についての情報に伴い、両者は分かち難い。コインの両極のように、自己の知覚と外界についての知覚は分かち難い。知覚は二つの極、主体的なるものと客体的なるものをもち、情報はその両者のいずれをも特定するのに有効である。人は環境を知覚し、同時に、自分自身を知覚する。」（136頁）

　ここでギブソンは、主体と客体とを知覚の両極と捉えている。この両極は環境の中の外界の情報と自己についての情報が分かち難く存在していることにもとづいていて、それが同時に知覚される、ということで成立する。

5）アフォーダンスの理論

　アフォーダンスは、ギブソンの理論のなかで一番注目されているものだ。ここでギブソンのアフォーダンスの理論について、ギブソンが述べているところをまとめてみよう。まずアフォーダンスという用語について、ギブソンは次のように述べている。

「環境のアフォーダンスとは、環境が動物に提供するもの、良いものであれ、悪いものであれ、用意したり備えたりするものである。アフォードするという動詞は、辞書に在るが、アフォーダンスという名詞はない。この言葉は私の造語である。アフォーダンスという言葉で私は、既存の用語では表現し得ない仕方で、環境と動物の両者に関連するものを言い表したいのである。この言葉は動物と環境の相補性を包含している。」（137頁）

　次に、アフォーダンスは主観－客観の二分法を超えているものとして主張されている。

「環境のアフォーダンスをめぐる重要な事実は、価値や意味がしばしば、主観的で、現象的、精神的であると考えられているのとは異なり、アフォーダンスがある意味で、客観的、現実的、物理的であるということである。けれども実際には、アフォーダンスは客観的特性でも主観的特性でもない。あるいはそう考えたければ、その両方であるかも知れない。アフォーダンスは、主観的－客観的の二分法の範囲を超えており、二分法の不適切さを我々に理解させる助けとなる。それは環境の事実であり、同様に行動の事実でもある。それは物理的でも心理的でもあり、あるいはそのどちらでもないのである。アフォーダンスは、環境に対する、そして観察者に対する両方の道を指示している。」（139頁）

　ここでギブソンは、環境が、動物という視覚をもった存在と関係すると、それが「物理的でも心理的でもあり、あるいはそのどちらでもない」ものへと転化されていることに注目している。つまり自然物が動物の視覚との関係では、包囲光配列というアフォーダンスを示す情報の担い手として形態規定されていることを発見したのだ。だから、ギブソンは、価値と意味に関する既存の理論に組することは出来ない。

「アフォーダンスの理論は、価値と意味に関する既存の理論と著しくかけ離れている。アフォーダンスの理論は、価値とは何か、意味とは何かの新しい定義から始まる。アフォーダンスを知覚することは、これまで共通に同意されることのなかった仕方で意味が何がしか付け加えられる、価値からは自由な物理的対象を知覚する過程ではない。アフォーダンスを知覚することは、価値に満ちている生態学的対象を知覚する過程である。いかなる物質、いかなる面、いかなる配置も、だれかに対して有益な、あるいは有害なアフォーダンスをもっている。物理学は価値から自由であるが、生態学はそうではない。」（153頁）

　動物との関係で対象が二重物として現れる、ということは、物理的存在そのものが、関係によって形態規定されて、価値と意味をもつものとして意義をもつようになる、ということだ。ギブソンは、この生態学的対象と動物との視覚関係を光関係に抽象し、そして、この光関係における実体を包囲光配列と捉えることで、生態学的対象の二重性を明らかにした。

「アフォーダンスを作る環境の基本的特性は、包囲光配列の構造の中に特定されており、それゆえにアフォーダンス自身が包囲光の中に特定されているのである。そのうえ観察者自身の身体に相応した不変項変数は、観察者の身体に相応しない不変項変数より、ずっと容易に抽出されるのである。」（156頁）

　さて、動物の視覚を環境との光関係に還元し、放射光という自然物が動物との視覚関係では形態規定されて包囲光配列となり、これが視覚情報となって動物にアフォーダンスの情報を与える、というギブソンの理論の大枠は了解できた。問題は、包囲光配列の不変項の抽出ということがどのようになされるかを示すことにある。ギブソンは第3部でこの問題に取り組んでいる。

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