はじめに――解題にかえて
第1章　ヘーゲルの切り拓いた地平
　1）懐疑論の批判　2）現象する知、意識の形態　3）独自の意識論　4）外的対象は意識の契機　5）意識の経験　6）新しい真の対象
第2章　感覚的確信の弁証法
　1）唯物論から出発　2）観念論への転回　3）意識の運動
第3章　意識の弁証法の転倒性
　1）ソシュールを手がかりに　2）意識の両極の実在性　3）意識の弁証法の成立根拠
第4章　本質論の転倒
　1）論理学有論の概要　2）本質論への移行　3）同一性　4）区別と矛盾
第5章　概念の弁証法
　1）概念論の概要　2）意識の外の対象がもつ仮象
第6章　概念論の転倒
　1）普遍的概念　2）特殊性と個別性　3）概念論の批判

第4章　本質論の転倒

1）論理学有論の概要

　ヘーゲルによる本質論の最初の体系的な展開は『大論理学』でなされ、しかもこれが最も詳細である。後年ヘーゲルは『エンチクロペディー』を出版するが、そこでも論理学が書かれていて、これが『小論理学』と呼ばれている。そして、こちらの方は、コンパクトとなっているだけでなく、本質論は大幅に書きかえられている。どれをテキストにするかで、一長一短はあるが、ここでは『小論理学』をテキストとし、邦訳は河出書房版『エンチクロペディー』（世界の大思想・-3、川原栄峰訳）を採用する。
　周知のようにヘーゲルの論理学は、(1)有についての論、(2)本質についての論、(3)概念と理念についての論、の三つの部分によって構成されている。すでに『精神現象学』をとりあげることで、ヘーゲルの有論の基本的内容について見てきたことになるが、ここでは『エンチクロペディー』で述べられている内容にもとづいて再整理しておこう。ヘーゲル自身、有論を展開するにあたって、その課題とでも言うべき事柄について次のように述べている。

「有とは単に自体的なる概念であり、この概念の諸規定は存在的［有るという述語をもつ］諸規定であり、これら諸規定相互の区別においてはこれらが互いが互いに対して他者であり、これらをさらに進んで規定すること（弁証法的なものの形式）は他者への移行をなすことである。さらに進んで規定するということは、自体的に存在的な概念をさらけ出すことであり、したがってそれを展開することであるが、そのことと一つになって、それと同時に、有が自己内へと行くこと、有が自己自身へと深化することでもある。有という局面における概念を開陳するということは有の総体性［の提示］になるとともに、またそのことに伴って、有の直接性、すなわち有という形式が止揚せられもする。」（108頁）

　『精神現象学』では意識の最初の形態が感覚的確信であり、「いまここに、この物がある」という意識についての分析がなされていた。その際、自我と対象とを意識の契機とみなし、それらを意識のうちにとり込むことで、意識の運動を描き出していた。『小論理学』では感覚的確信から「ある」という述語だけがとり出され、この有という自体的な概念から論を解きおこすことになっている。
　有論は、有－無－成と移行していく論理展開が非常に抽象的に述べられているので理解するのに骨がおれるが、この冒頭で述べられていることをもとに具体的に考えると、意外と平明な論述が得られる。例えば、「ある」という述語が一つの対象について使われる場合、何かがある、から始まり、四角いものがある、というように思考を働かせていけば、最初の規定が意識のうちで次の規定によって否定されたことになり、これは一つの規定がさらに進んで規定されることで他者（何か、と四角いもの、とは他者である）へと移行することになる。しかも一つの物について次々と規定を移行させ、これは白いものであり、甘いものであり、というように続けていって、角砂糖がある、というところにまで行けば、それば存在している物が何であるか（概念）をさらけ出したことになり、「ある」という述語で示されているものが自己自身へと深化したものとなる、というわけである。
　このようにヘーゲルは意識のうちにとり込まれた対象を思考を続けることで次々に意識の上で変化させていくのであり、この変化の論理的、合理的な進行を述べている。だからヘーゲルが規定や否定や移行というとき、それは外的対象についてのことではなくて、意識のうちにとり込まれた対象に関してのことなのである。以上を前置きにして、ヘーゲルの有－無－成の論理を紹介しておこう。まず有について。

「純粋有が始まりをなす。なぜなら純粋有は純粋な思想でもあり、また無規定な、単純な直接者［無媒介者］でもあるからである。ちなみに最初の始まりは媒介されたものではありえず、またそれ以上に規定されたものではありえないのである。」（109頁）

　ヘーゲルはいつも意識を二重物と捉えている。つまり自我と対象とを二つの契機として意識のうちにとり込むことで、この二つの契機の二重物として意識が措定されているのである。そこで最初の有は、自我の契機からすれば思想であり、対象の契機からすれば無規定な直接者だ、ということになる。「ある」と言いながら、何も規定していないのである。こうして、この対象の契機に注目すると、有は無である、ということになる。

「さて、この純粋有は純粋な抽象であり、したがって絶対的に一否定的なものであって、これは、［純粋有と］同じく直接的なものと考えられるならば、無である。」（110頁）

　意識のうちの二つの契機の自我に注目すれば有であり、対象に注目すれば無となる、というヘーゲルの展開は次に有と無を意識の契機と捉えかえす。こうして有と無という対立物を統一した概念として、成（なる）が措定される。

「無はこのように直接的なもの、自己同一的なものであり、同時に、逆にまた、有があるところのものと同じでもある。したがって、有ならびに無の真理は両者の統一である。この統一は成である。」（111頁）

　万物は流転すると述べた古代ギリシャのヘラクレイトスの思想がここに採用されている。でもヘーゲルは「なる」ということにとどまらず、この有と無との統一という概念のなかに差別が含まれていることを見抜いている。差別は有と無の間にあり、差別のあるものの統一だから、双方は統一されていない局面では差別としてありつづけることになる。このように考えると、成はまだ抽象的である。成のなかでの統一されている二つの契機、自我の有と対象の無とはまだ何も反省していない。つまり、有と無との間の内在的関連と必然性が明らかにされてはいない。そしてこの課題の解明は本質論にゆだねられる。

2）本質論への移行

「有、言い換えれば、自分自身を否定することによって、自己との媒介であり自己自身への関係であるごとき直接性、したがってまた同時に、自己への関係へと、つまり直接性へと自己を止揚する媒介でもあるごとき直接性、これは本質である。」（125頁）

　有論の末尾に移行規定としてこのように語られている。これはヘーゲル特有の反照（反省）の論理なのだが、これもこれだけでは理解しえない。進んで本質論の記述をみてみよう。

「本質とは措定せられた概念としての概念である。本質においては諸規定は相対的でしかなく、いまだ端的に自己へと反照したものとしてあるのではない。だから概念はいまだ向自的なものとしてあるのではない。本質とは、自己自身の否定性によって自己を自己と媒介する有であるから、それが自己自身への関係であるのは、それが他者への関係であるときだけである。しかしこの他者なるものは、直接的には、存在者としてではなくて、一つの措定されたもの、媒介されたものとしてあるのである。――有が消滅してしまったわけではない。まず第一に、本質は、自己自身への単純な関係として、有である。次にしかし、直接的なものであるという有の一面的な規定に従えば、有は単に否定的な或るものへと、つまり一つの照り返し【仮象】へと引き下げ措定されている。――だから本質は自己自身へと照り返すこととしての有である。」（126頁）

　有論で展開された有－無－成の移行の論理とは別の反照の論理は、有が無へと移行することを有の自己関係と捉えることころから出発する。しかもこの関係は直接性とされているから、これは直接的な意識として措定されている。ということは、つまりは意識のうちにとり込まれた対象についての規定だ、ということになる。
　ヘーゲルによれば、本質とは、有自身の否定性である無によって、有としての意識と無としての意識を媒介する意識だから、意識のうちにとり込まれている対象についてのある規定と別の規定との関係として捉えていることになる。つまりある規定は別の規定との関係で仮象となるが、この双方を契機としながら運動していく意識が本質論の対象となっているのである。
　こうして、同一性－区別－対立－矛盾という反照の論理が展開され、矛盾は解消されて根拠に返るものとされている。いまやこの反照の弁証法の転倒が試みられるべきである。

3）同一性

　『大論理学』の本質論は仮象から始まり、反照についての説明がそこでなされている。これに対して『小論理学』ではこの部分は省略され、いきなり反照の論理が展開されている。『小論理学』に従って反照の弁証法の転倒を試みよう。まず登場するのは同一性、という規定である。

「本質における自己－への－関係は同一性の形式であり、自己－への－反照の形式である。この形式はここ［本質］では有の［場合の］直接性の代わりに登場している。両者ともに、自己－への－関係という同じ抽象物である。」（126頁）

　あるいは同じ事柄が次のようにも述べられている。

「本質は自己内へと照り返す、あるいは本質は純粋な反照である。だから本質は自己への関係にすぎない。ただし、直接的なものとしてではなく、反照したものとしての関係、――つまり自己との同等性である。」（128頁）

　さきにも述べたように、有論で展開された有－無－成は移行の論理であり、対象についての意識という直接的なものが意識のうちで規定しなおされることで進行していく意識の運動であった。本質論では、この次々と規定されなおされている意識の運動を、この経過においてではなく、一つの関係とみなし、その返照の関係のありようをさぐることが課題となっている。
　だから、ヘーゲルが本質における自己への関係、というとき、対象についてのある規定と次の規定、という意識と意識との関係であり、対象に規定される直接性、という契機は消却されている。逆に言えば、ある物についてのある規定と次の規定とを比較対照する意識の形態、これが本質の形式とされているのだ。ただ、ヘーゲルで解りにくいところは、このある規定と別の規定との関係が、単にあるものについての規定の比較にとどまらず、意識にとり込まれた自我としての意識そのものも比較の対象として登場する点である。
　このように本質を意識と意識の反照関係と捉えると、これは意識という同一物が関係している同一性の関係だ、ということになる。ヘーゲルは端的に「本質における自己－への－関係は同一性の形式」であると言っている。これは意識の両極を意識の契機へと解消したことの必然的な帰結であった。
　ではここで、ヘーゲルのように、対象と自我という意識の両極を意識の契機に解消するのではなく、その実在性に注目すると、どのような事態が現われるだろうか。まずヘーゲルが本質と捉えているある意識とこれを否定した意識との自己関係は決して同一性の形式にはない、ということである。ヘーゲルは両極を意識の契機とする、という同一化によって、対象と自我とを同一性の形式とみなしたのであるが、両極を意識の契機に解消しないとすれば、　同一性とは両極が関係することで、そして、その関係のなかでだけで成立している、ということになる。あるいはこの関係において、同一的なものが超感性的な現象形態をとって現われているのである。
　ヘーゲルにとっての他性は区別の契機であり、例えば有－無－成と移行していくときの有と無は相互に他者とみなされる。このヘーゲルの他者論からすれば、相互に移行しあえないものを絶対的他者と呼ぶことが必要となる。そして、意識の両極にある対象と自我とは、相互に移行しあえない、という意味で、絶対的他者である。
　ヘーゲルの同一性の形式は転倒すれば、絶対的他者の関係となる。絶対的他者を関係づけるとき、この関係づける働きは同等化である。例えば、対象と自我、という絶対的他者を意識が関係づけるとき、意識はこの関係で、両極を同等化している。だから、この関係での同一性は意識にある。ところがこの絶対的他者を関係づける意識にすれば、両極は同一性の形式にあるように見える。かつ、対象についての意識が、対象の本性を捉えたものであるかのように錯覚する。だが、カントが見破ったように、対象についての意識は対象が意識の法則に従うものとみなした上で意識が規定したもので、それを対象の本性と考えるのは超越論的仮象にとらわれているからだ。
　では本質の関係が同一性の形式をとらないとすれば、区別、差異は一体どうなるのだろうか。

4）区別と矛盾

　ヘーゲルは同一性の形式から出発して、次のように区別を導き出している。

「本質は、それが自己を自己自身へと関係させる否定性であり、したがって自己を自己自身からつきはなすことであるときにのみ、純粋な同一性であり、また自己自身への照り返しなのである。だから本質は本質的に区別の規定を含んでいる。」（130頁）

　へーゲルにあっては、同一性は意識と意識の同一性であったが、区別は、この意識が関係させられることで否定されている、という事態から導き出されている。もともと全く同じものが同一性の形式に置かれることはない。差異あるもの相互が同一性の形式に置かれているのである。しかし、意識にとっては了解しやすいこの同一性の関係のもとにある区別、つまりは対立物の統一ということは、両極の実在性から出発するとき、はたして成立しうるのであろうか。
　先に見たように、ヘーゲルが捉えた同一性の形式は、実は対象と自我とを意識が関係づける際に、この関係のうちで形成されるものだった。それは絶対的他者としてある対象と自我とを意識の同等化作用により、同一性の形式という仮象を意識のうちでつくり出したことにもとづいている。であるならば、区別を論じる際には、両極の関係における同一化の様式が解明されねばならないことになる。
　ここでマルクスが『資本論』初版で読み解いた商品の価値形態の分析が顧みられるべきである。マルクスは相対的価値形態にある商品Aと、等価形態にある商品Bとの等置の関係について、Aは自分と同等なものとしてのBに関係し、Bはこの関係のもとではBであると同時にAと同等なものへと形態規定されていることを明らかにした。AとBとは異なった使用価値であり、お互いに絶対的他者であるが、お互いに商品として関係しあうことで、AとBとの同一性はBをその自然体のままでAとの同一性の化身とすることにもとづいて確証されるのであった。Bはこの関係のうちでは新たな社会的質をもつものとして、二重に規定されているのである。
　この形態規定の論理が、自我と対象との関係でいかに形成されるかを見てみよう。いま、自我が意識でもって対象についての意識を形成したとしよう。そのとき、自我は自分を等しいものとしての対象に関係しているのだが、それが可能なのは、対象そのものを意識の化身とみなすことによってである。自我と対象との意識の関係にあっては意識が対象を規定するのではなく、対象が自我によって形態規定されて、対象をそれ自身と意識の化身との二重物にする。自我と対象とを意識の契機として意識のうちにとり込むというヘーゲルの発想はこの形態規定によってつくり出された意識への無批判的な追随である。
　以上から、ヘーゲルが述べている区別、差異性は本来は絶対的他性であり、思考が自我と対象との関係での形態規定による対象の意識化を、この関係の外でも存続しているとみなした上での転倒した規定に他ならない。絶対的他性は、ヘーゲルにあっては自我と対象とをともに意識のうちにとり込むことで、同一性の形式に内在している区別へと矮小化されたのである。
　ここから、ヘーゲルの矛盾論の限界も明らかとなる。へーゲルにあっては、矛盾は論理的範疇だから、例え「客観的矛盾」という言葉が語られることはあったとしても、思考のうちにある。これに対して、現実的矛盾は、対立物の同一性ではなくて、絶対的他者の同一性、というところにある。矛盾をこのように転倒させて捉えると、もはや矛盾はヘーゲルのように、根拠に解消させることはできない。次に概念論とのかかわりで、この点について考察してみよう。

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Author: admin Published: 2006/1/5 Read 3263 times

哲学の旅第8回 ヘーゲル弁証法の転倒 第4章

第4章 本質論の転倒

1）論理学有論の概要

2）本質論への移行

3）同一性

4）区別と矛盾

哲学の旅第8回　ヘーゲル弁証法の転倒　第4章

第4章　本質論の転倒