¡Šï»¿ office-ebara - 実践のひろがり-ア゜シ゚21関西結成集䌚から始たった-第6回レゞュメ ハむ゚クの自由䞻矩論 2000幎10月14日
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第2次PC講座レゞュメ集: 第6回レゞュメ ハむ゚クの自由䞻矩論 2000幎10月14日
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第6回レゞュメ ハむ゚クの自由䞻矩論 2000幎10月14日


A貚幣自由発行論


 今日のLETSずの関連で取り䞊げようず考えたが、ハむ゚クの自由発行論は、発刞の䞻䜓を銀行に眮いおいお、地域通貚ずは本質的に異なる䞻匵であった。たた、貚幣に぀いおの考察も衚面的だった。

Bハむ゚クの垂堎論『隷属ぞの道』春秋出版より


1垂堎論のありかを探る


 ゜連、東欧のシステムが厩壊し、垂堎経枈の導入が進められたため、垂堎経枈に泚目が集たり、以降日本でも、垂堎経枈に぀いお倚くの著䜜が刊行された。しかしその倚くは共著であり、しかも倧孊の教科曞甚に即垭で䜜られたもので内容に乏しい。芳点に疑問はあるが比范的優れおいたのは、䜐䌯啓思『垂堎瀟䌚の経枈孊』サむ゚ンス瀟、1991幎で問題意識が鮮明な分、明解である。

 䜐䌯の䞻匵は、埓来垂堎にあるずされおきた自動調敎メカニズムはあたりあおになるものではなく、垂堎はたえず䞍均衡で䞍安定な状態にあるずし、そしお、このような䞍安定な垂堎が厩壊しないのは、その境界にある他の領域、政治システムや家族システムやその他の瀟䌚システムずの関係が安定的だからずいうものだ。

 䜐䌯は、近代経枈孊の堎合、垂堎の自動調敎メカニズムを前提にしおいるので経枈は自足的に閉じたシステムず芋なされ、他の境界領域ずの関係を論じられないずし、他方、マルクス経枈孊の堎合、経枈を䞋郚構造ずし、その他の境界領域を䞊郚構造ずするので、双方の関係は埓属関係にされおしたっおいるずしお、自らの芋解を次のように提起しおいる。
「しかし、今日の経枈をみる䞊で重芁なものは、『経枈』ず『政治』『文化』『瀟䌚の構造』『䟡倀』ずいった諞領域ずの間の関係だず思われる。いいかえれば、『経枈』は、これら諞領域ずの関係を䞀定の様匏に安定化しお初めお、充分なパフォヌマンスを発揮するず考えられる。ず同時に、『経枈』の発展が、これらの諞領域にどのような圱響を及がすかが、結局のずころ『経枈』にフィヌドバックするのである。」3頁

 この䜐䌯の芋解は、垂堎経枈の安定ず倉動を、『経枈』ず他の領域を調敎する制床様匏ずの関係でみようずするもので、蚀いかえれば垂堎は他の境界領域ずの間に安定した関係を結べなければ厩壊する、ずいう考え方ずなり、今日流行しおいるリバヌタリアン垂堎の自動調敎メカニズムを信頌し、垂堎に察する䞀切の介入を無甚ずする考え方の察極をなしおいる。

 しかし䜐䌯説に説埗力がないのは、垂堎の自動調敎メカニズムを吊定するあたり、垂堎に均衡を回埩しようずする力が働くこずたでを吊定しおいる点だ。こうなるず垂堎は自らを安定化するために、どんどん倖郚領域を安定化装眮ずしお取り蟌んでいく、ずいうこずになり、結果ずしお、政治や文化や瀟䌚構造が垂堎安定化の装眮ずしお䜍眮づけられるこずになりかねないからだ。

 もずもず垂堎の自動調敎メカニズムずは、䞍均衡を前提ずしおいる。垂堎での需芁ず䟛絊の䞍均衡は生産の郚面に反䜜甚し、生産の郚面での資源配分を倉曎させるこずを通しお均衡を回埩させるが、それがたた次の䞍均衡をたねく、ずいったようにたえず動くものだ。だから、自動調敎メカニズムが働きにくくなった、ずいうずき、それは垂堎に問題があるのではなく、生産の郚面での資源配分の倉曎が順調にはいかなくなったずいうこずだ。これは巚倧独占資本の成立や、囜営䌁業の増倧が芁因なのだ。

 近代経枈孊は垂堎経枈ずいうずき、生産の郚面たで含めおしたう。だからそれは閉じたシステムずなり、これをモデル化するず、孀立したアトム的な䌁業による完党競争を前提にしないず自動調敎メカニズムが成立しない。

 他方、マルクス経枈孊は垂堎を経枈の䞀郚面ず芋、生産の郚面での資本蓄積が無政府的になされるこずを垂堎での䞍均衡の芁因ずみなしおきた。埓っお垂堎に自埋性は認めるものの、それは生産に埓属するものずしお扱かわれ、垂堎による生産郚面ぞの反䜜甚にはあたり泚目しおこなかった。

 近代経枈孊のモデルが倱効し、マルクス経枈孊も、垂堎ずは䜕かずいうこずに぀いおの定芋を぀くりあげられおいない珟状で、䜐䌯の垂堎瀟䌚論が登堎したのだが、ここでは垂堎ずは䜕か、ずいうテヌマで考察を進めおいこう。

2垂堎のも぀非人栌的な諞力


 ハむ゚クは、第二次䞖界倧戊䞭に曞いた『隷属ぞの道』春秋瀟、1992幎で、瀟䌚䞻矩をファシズムの基瀎ずしおずらえ、これらを党䜓䞻矩ずしお䞀括し、そしお党䜓䞻矩が圢成された芁因を自由䞻矩の衰退に芋た。぀たり「党䜓䞻矩はわれわれの思想的誀りから生たれおきた」4頁のである。この芳点からハむ゚クは自由䞻矩を次のように定矩づけおいる。
「自由䞻矩の基本原理には、自由䞻矩は固定した教矩であるずする考え方は、たったく含たれおいない。たたこの原理に、䞀床決めおしたえばもう倉える必芁のない厳密な理論的原則があるわけでもない。ここで最も基本ずなる原理は、われわれの掻動を秩序づけるためには、瀟䌚それ自䜓が持っおいる自生的な力を最倧限に掻甚すべきだずいうこず、そしお匷制は最小限に抑えるべきだずいうこずである。その意味で、おおたかな経隓的ルヌル、ずりわけ『自由攟任』の原則に凝り固たった自由䞻矩者の融通のきかない䞻匵ほど、自由䞻矩にずっお害をなしたものはない。」145頁

 ハむ゚クは自由攟任䞻矩ず自由䞻矩ずを区別し、前者を党䜓䞻矩を招き寄せた䞀぀の芁因ず考えおいる。圌によれば、自由䞻矩のポむントは「瀟䌚それ自䜓が持っおいる自生的な力を最倧限に掻甚する」ずいうずころにあり、このためには競争が効率よく働くシステムが必芁で、この目的でなされる政策は承認しおいるのである。そしお自由䞻矩は成功し、倧きな圹割をはたしたが、そのこずがかえっお自由䞻矩を衰退させるこずになり、垂堎を廃止しお経枈を意識的に管理、統制しようずする瀟䌚䞻矩やファシズムを台頭させた、ずいうわけだ。

 ここでハむ゚クが瀟䌚それ自䜓がもっおいる自生的な力ずいうずき、それは垂堎のも぀力のこずだった。圌によれば自由䞻矩か党䜓䞻矩かずいう問題は「垂堎によるすべおの個人を超えた非人栌的芏埋によっお支配される秩序を遞ぶか、それずも少数の個人たちの意志によっお支配される道を遞ぶか」272頁ずいうこずに垰着させられる。少し長くなるが、ハむ゚クの䞻匵を匕こう。
「過去においお文明の発展が可胜になったのは、垂堎における個人を超えた非人栌的な諞力に、人々が身を任せおきたからであり、このこずなしに、今日のような高床な文明が発展するこずは決しおありえなかった。蚀い換えるず、われわれの䞭の誰䞀人ずしお十分に理解するこずができないより偉倧な䜕事かを築き䞊げおいくのを、われわれは毎日助けおいるのだ、ずいう考え方を人々が受け入れおきたからこそ、このように偉倧な文明も初めお可胜ずなったのである。過去の人々がそのような考えを受け入れおきたのは、䞀郚の人が今日では迷信ず芋なしおいる䜕らかの信仰が基瀎ずなっおいるのか、それずも宗教的な謙遜の粟神によるものか、あるいは初期の経枈孊者たちによる原始的な教えを過倧に尊敬したからであったのか、ずいうようなこずはここでは問うたい。決定的に倧切なこずは、现かい働きが誰にも理解できないような諞力に身を任せなければならないずいうこずを、合理的に理解するこずはきわめお困難だずいうこずである。それよりはむしろ宗教や経枈的教矩ぞの尊敬から生たれる、謙虚な畏敬の念にしたがうこずはずっずたやすいものである。

 必然性が理解できないようなこずが倚くあるずいうこずこそ、文明の基本的性質なのである。もしも、誰もがすべおの必然性を知的に理解しなければならないのであれば、珟代の耇雑な文明を少なくずも維持しおいくには、珟圚いかなる人が持っおいるよりずお぀もなく倧きな知性が、すべおの人に䞎えられなければならないだろう。自分たちには理解できない諞力や、誰か知的な人の意図的な決定に基づいおいるず認められない諞力に察しお、身を任せるのを拒吊するずいう態床は、䞍完党で、したがっお誀った合理䞻矩の産物である。なぜ䞍完党かずいえば、耇雑な瀟䌚で様々な個人的な努力を盞互に調敎させおいくためには、どんな個人であっおも完党には調べ䞊げるこずのできない倚くの事実の存圚を考慮に入れなくおはならないのに、その点をこの合理䞻矩は理解できずにいるからである。たた、この合理䞻矩は次のこずも理解できおいない。すなわち、われわれの耇雑な瀟䌚が厩壊しおしたわないようにするためには、二぀の道しかなく、䞀぀は、垂堎における個人を超えた非人栌的な、非合理にさえ思われる諞力に身を任せる道で、もう䞀぀の道は、これを等しく人々にずっおは制埡䞍可胜で、したがっお恣意的なものにすぎない暩力を、他の人々が振るうこずに察しお身を任せる道でしかない、ずいうこずである。」279280頁

 ハむ゚クは前半で、垂堎が個人を超えた非人栌的な諞力をもち、諞個人はこれに順応するこずでこの順応は宗教を信じるこずよりはむ぀かしいずされる文明を発達させおきた、ずいうこずを述べ、埌半では、垂堎のシステムの䞋での人々の知識の特城が郚分的知識でしかないにもかかわらず、それでうたく事がはこぶず述べおいる。

 ハむ゚クの蚀う非人栌的な力ずは、マルクスが解明した物象化のこずなのだが、ハむ゚クはこの力が䜕にもずづき、どのように発珟されるかに぀いおは語っおいない。圌はただそれを自明の事実ずしお述べおいるだけである。

 次に知識論のずころで述べられおいる「二぀の道」に぀いおは、もう䞀぀の道ずされた蚈画経枈は、゜連、東欧の実隓が倱敗した段階では、少なくずも生産手段の囜有化にもずづく蚈画化は道ずしおゆきづたったずみなせよう。ハむ゚クの知識論は、蚈画化のためには必芁な党おの知識を持たねばならないが、囜有化にもずづく蚈画化の堎合、その知識をもおなかったわけだから、ハむ゚クの理論を怜蚌したこずになるず認めざるを埗ない。

 ずはいえ今日では垂堎の非人栌的な諞力に任せたたたでの「文明の発展」自䜓の意味が問われおおり、瀟䌚のいたるずころでこの非人栌的な諞力に察する批刀や拒吊や反乱が匕き起こされおいる。ハむ゚クが想定した二぀の道ずは別の、第䞉の道が今切り開かれ぀぀あるのではなかろうか。この第䞉の道を圢成しようずするずき、ハむ゚クは次のように定匏化した自然の諞力ず垂堎の非人栌的な力ずの盞違に぀いおどう考えるかが決定的であろう。
「自然の諞力に察する支配の方法に぀いおは、人類は驚くべき高い皋床にたで孊び取ったずいうのに、瀟䌚的な盞互の共同の可胜性を掻甚するずいう面では、悲しいこずに立ち埌れおいるず䞻匵しおいる人々は、この䞻匵それ自䜓に関するかぎりではたったく正しい。だが、この二぀の事柄の間における察比をさらにいっそう進めお、人類が自然の諞力を支配するこずを孊び取ったのず同じやり方で、瀟䌚の諞力を支配しおいくこずを人類は孊び取らなければならないず䞻匵する時、これらの人々は誀っおいる。この䞻匵は、ただ単に党䜓䞻矩ぞ向けおの道であるだけでなく、今日の文明を砎壊し、将来の進歩を䞍可胜にしおしたうのが確実な道でもあるのだ。そもそもこのような䞻匵をする人々は、たさにそのような䞻匵をするずいう点で、ひず぀の無理解を暎露しおいる。それは、人類がすでに達成した文明を単に維持し続けおいくずいうこずでさえ、様々な個人の努力が、個人を超えた非人栌的な諞力によっおはじめお盞互調敎されるずいうこずにどれほど倧きく䟝存しおいるのか、たったく理解できおいないのだ。」2801頁

 たしかに瀟䌚の諞力を支配するこずは、自然の諞力を支配するようなわけにはいかない。ハむ゚クはその根拠ずしお、「個人を超えた非人栌的な諞力」をあげた。しかしこの諞力が人類瀟䌚に今埌氞遠に残るものであるなら今日の瀟䌚の趚勢を芋る限り、人類瀟䌚を滅亡させるこずになるだろう。

 今問われおいるこずは、この諞力ずは䞀䜓䜕かを明らかにし、この諞力の盞互調敎力を匱めおいくこずであり、ポランニヌの蚀葉を借りるなら、垂堎を瀟䌚のなかに再びうめ蟌むこずである。

3個人的自由論の狭さ


 ハむ゚クが垂堎がも぀個人を超えた非人栌的な力に぀いお、経枈孊的にどう解明したかは興味のあるずころだ。しかしハむ゚ク研究者のノヌマン・バリヌによれば、「ハむ゚クの政治理論が圌の経枈理論に由来するかどうかは、決しおあきらかではない」『自由の正圓性』朚鐞瀟、1990幎、99頁そうだ。ハむ゚クの発想からすれば、垂堎の機胜を分析するのが経枈孊であっお、この非人栌的力の存圚は経枈孊にずっおは所䞎のものずしお扱かわれおいるのだろう。

 『隷属ぞの道』は政治理論ず政治的提蚀の曞だ。すでに芋たように、ハむ゚クはこの曞で政治の基本を自由䞻矩に求め、そしおその原理を垂堎がも぀個人を超えた非人栌的な力ぞの信頌に眮いた。ずすれば圌の政治理論は、文明の発展は人々が垂堎の非人栌的な力に順応した結果もたらされた、ずいう歎史芳を土台ずしおいるこずになる。

 ノヌマン・バリヌによれば晩幎のハむ゚クは「政治暩力を封じ蟌めるための憲法䞊の諞制床を蚭蚈するこずに没頭しおきた」106頁ずのこずだが、この宿呜論的な歎史芳からすれば、垂堎の自動調敎的システムに奉仕する囜家の远求ぞずかりたおるこずは理解できる。そしお、ハむ゚クのこの志向は、珟代アメリカのリバヌタリアンの理論家たちに圱響を䞎えおいるのである。

 そこで非人栌的力の由来や、たた、ハむ゚クの歎史芳に぀いおは問わず、ここでは自由䞻矩の基瀎にある自由論を怜蚎しよう。ハむ゚クの『自由の条件』ハむ゚ク党集、5巻、春秋瀟の第䞀郚は自由の䟡倀に぀いお論じられおいる。その第1章、自由ず個別的自由、で自由の定矩づけが詊みられおいる。

「自由ずは匷制がないこず」これはハむ゚クの出発点である。「この曞物でずりあ぀かうこずは、瀟䌚においお、䞀郚の人が他の䞀郚の人によっお匷制されるこずができるかぎり少ない人間の状態のこずである。この状態をわれわれは本曞を通じお自由の状態ずしお説いおいく」11頁ずいう出発点をひずたず認めよう。このあず圌は、自らの自由論を政治的自由や内面的自由や暩力ずしおの自由ず比范し、個人的自由はこれらず共通するものではないず䞻匵しおいる。

 ハむ゚クによれば政治的自由ずは政治ぞの参加のこずで、䞀皮の集合的自由である。次に内面的自由ずは知識は人を自由にする、ずいった圢であらわれるが、これは自分のした決心に固執できるかどうかずいう問題で、他人の意志ずはかかわりがない。さらに暩力ずしおの自由は欲するこずを実行する物理的胜力のこずで、これは逆に他人の個人的自由を砎壊するもずずなる。

 これでは消極的な衚珟になるので積極的に衚珟すべく叀代ギリシャの奎隷制がひきあいに出される。奎隷解攟の垃告には四぀の暩利が印されおいた。

 第䞀は、共同瀟䌚の䞀員ずしお保護される法的地䜍、第二は、恣意的逮捕からの免陀、第䞉に、本人の垌望にしたがっお働く暩利、第四に、自身の遞択に埓っお移転する暩利、この四぀の暩利に財産を所有する暩利を加えればハむ゚クの考える個人的自由が成立する。そしお、これらの内容は先に芋た䞉぀の自由ずは関係ない、ずいうわけだ。

 このように個人的自由の領域普通は基本的人暩ず呌ばれおいるを明らかにしたハむ゚クは、その自由を「人ず人ずの関係にのみかかわるのであり、自由に察する䟵害は人々による匷制だけである」23頁こずを匷調する。ずころが他方で匷制を説明する段になるず次の芋解が提瀺される。
「『匷制』ずは、ある人の環境たたは事情が他人によっお支配されおいお、その結果、より倧きな灜いを避けるために、その人が自分自身の銖尟䞀貫した蚈画にしたがうのではなくお、他人の目的に奉仕するように行動を匷いられるこずをいう。」35頁

 ここで「ある人の環境」を、劎働の環境ず想定しよう。そうするず今日では倚くの人々は生産手段を支配できず、他人がそれを支配しおいる。そうするず逓死ずいう「より倧きな灜い」を避けるために自分の人生蚈画に埓うのではなくで、他人の資本を増やすずいう目的に奉仕するよう働くこずを匷いられる、ずいう事態が浮かび䞊がる。

 この関係では確かに、人ず人ずの関係では匷制的関係はない。しかし生産手段の所有関係にもずづく経枈的匷制がそこにはある。個人的自由の远求を培底させるなら、この関係をも自由ぞの䟵害ず捉えなければならない。

 ハむ゚クの自由論をここたで拡匵したずき、垂堎における個人を超えた非人栌的な諞力をどう捉え、これずどう察決するかが課題ずなっおくる。もっずも人々を経枈的に匷制しお劎働を匷いる力はハむ゚クにあっおは非人栌的な諞力の䞀぀ずしお数え䞊げられおいるのかも知れないが。

 4民䞻䞻矩の評䟡

 ハむ゚クの自由論には狭さがあるが、しかし圌が個人的自由の抂念を明確にし、これず政治的自由ずの盞違をはっきりさせたこずによっお、民䞻䞻矩に぀いお極めお正圓な評䟡を䞋すこずができた。
「自由䞻矩は政府の範囲および目的に぀いお、䜕を遞択すべきかを説く教矩の䞀぀であるのにたいし、民䞻䞻矩は、ひず぀の方法であっお、政府の目的に関しおは䜕も語らない。」151頁

「民䞻䞻矩の䞀般的擁護論がどれほど匷くずも、民䞻䞻矩な究極的あるいは絶察的䟡倀ではなく、それが䜕を成し遂げるかによっお刀断されるべきものである。おそらくそれは、ある皮の目的を達成するには最善の方法ではあろうが、目的それ自䜓ではない。」154頁

 ハむ゚クがこのように蚀うずき、垂堎の非人栌的諞力の働きに原理をおく自由䞻矩を実珟する手段ずしお民䞻䞻矩をずらえおいるこずにもずづいおいる。そしお、自由を政治的自由ずいう範囲でしか捉えられないずすれば、それは民䞻䞻矩ず䞀臎し、民䞻䞻矩が目的ずされるこずになる。これは巊翌諞政党も䟋倖ではなく、倚くの党掟が民䞻䞻矩を目的ずしおいる。

 ハむ゚クの文明の進歩に぀いおの歎史芳が今日では暗転したずいう条件の䞋で、人間の自由が単に人ず人ずの間の支配、隷属の関係からの解攟のみならず、経枈的支配からの解攟ぞず幅がひろがったなかで、ハむ゚クずは別の意味で民䞻䞻矩を手段ずしお䜿いこなすこずが課題ずなっおきおいる。

◆垂堎ずは䜕か


   近代経枈孊には、生産過皋論がない。

◆ハむ゚クの党䜓䞻矩論


   自由攟任䞻矩がはびこっお、自由䞻矩が衰退したのが党䜓䞻矩圢成の芁因。

◆瀟䌚それ自䜓の自生的力


   競争は高率よく働くシステムを぀くっおいくこず。

◆垂堎における「個人を越えた人栌的な諞力」


   これが自生的な力の内実。

◆知識論


   郚分的知識でうたくたわるシステム

◆自由論


   個人的自由ず政治的自由のちがい

◆民䞻䞻矩論


   民䞻䞻矩は䞀぀の方法であっお手段ではない。

Cハむ゚ク論


◆図1の四぀の象元を越えたものずしおの文化知


   どこで越えおいるか

◆図3を前提ずした脱物象化の連動論


   コスモス垂堎の倖郚の亀易

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Author: admin Published: 2006/1/5 Read 2522 times   Printer Friendly Page Tell a Friend