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もう一つの社会変革の可能性


もう一つの社会変革の可能性


A.モンドラゴンの普遍性とは


1)20世紀の階級闘争の総括から


ネップの捉え方


 モンドラゴンの普遍性をどのように解明していくかということですが、ひとつは20世紀の階級闘争の総括です。20世紀というのは戦争と革命の時代ですが、まだ少し残っています。人類史上かつてなかったような大きな戦争がふたつあって、資本主義というシステムが1917年にはロシア革命によってくつがえされるということがあり、ナチスの収容所の問題など色々なことがありました。人類にとっても経験したことがないような時代であり、階級闘争についてもソ連の崩壊など色々ありまして、これはこういうものだったと評価できる時点に来始めているというと思います。
 企業における協同を、投資をするということを目的として団結してやっていこう、そしてその企業を起点に文化の社会化を図っていこうというアリスメンディアリエタの戦術(方針)については、1921年からネップという時代に入り、ソ連で商品交換を復活させるのですが、その時にソ連がそういう路線をとっていれば存続していけたのではないかという仮説を私は考えています。20世紀の階級闘争の総括からというのは、そういうことです。もしネップの時期にアリスメンディアリエタの戦術がソ連で実現されていたら、全然違った社会になっていただろうと思います。結局ソ連がどうしてそうならなかったのかといえば、1927年に食糧危機になり食糧を調達しなければいけないということから、商品交換では農民が食料を売ろうとせず、調達できないので、集団化して食糧を取り上げるという方向に転換したためです。そしてこれはスターリンが始め、これを契機にソ連はどうしようもない社会になっていきました。

プロレタリアートの独裁


 そしてソ連の社会主義をどう評価するかという問題をいおうとすると、まずプレタリアート独裁までは実現したということがあります。プレロレタリアート独裁というのはどういうことかと言いますと、それぞれの国に国家があって、その国家は市民社会(日常)を総括します。国家というのは確かに三権分立で、民主主義であるといわれていますが、マルクス主義の立場からすると、国家はブルジョア階級が独裁しているとみるわけです。それはどういうことかといいますと、支配者に対して生活が出来ないということで反乱を起こしますと、国家が抑圧してきます。これは支配者の利益を代弁し、かつ法律に基づかずに動くという場合があります。もしペルーで特殊部隊が入って全部殺してしまうということをすれば、独裁の実現です。そういうものとして現在の国家をとらえて、そういう国家に対して運動をしていこうとすれば方法はふたつあります。ひとつは議会で勢力を増やしていって、議決によって平和的に革命をしようという考え方と、そうではなくてブルジョア国家が独裁なのだから、そういうことは不可能で武力で打倒するしかなく、プロレタリアートが独裁する国家を作るんだという考え方です。ロシア革命は後者の理念の元に実現されました。当時のロシアは君主制で、日本の明治時代のような時代であり、国王のツアーリは封建的な要素が入っていた支配者です。それが実際戦争に負けて解体し、空白のところにボリシェビィキ党が権力をとったというところが真実だと思います。とにかくプロレタリアートが国家権力を握って、資本家階級の財産(工場などの生産の設備)を全部取り上げて、みんなで運営するような社会にしていこうという路線でプロレタリアート独裁を進めました。

独裁の下で


 そこで問題となるのは労働者が国家権力をとったときに、どのようにして社会を変えていくかということです。実はこれははっきりしていません。ソ連はそれをひとつの方法で行って失敗したという事例です。20世紀の階級闘争を総括しよう、あるいは20世紀の階級闘争に対して何か発言しようとすれば、ソ連が失敗したということであれば、どのようにすればうまくいくかということをいわない限り、総括したことにはなりません。つまり労働者が国家権力を握ったときに社会を変えていくにはどうすればいいのかということを提起しなければ、20世紀の階級闘争を総括したことにはならないということです。
 89年にポーランドにワレサーが象徴的な人物として登場し、連帯派がポーランドの議会で多数派になって大統領もワレサーがなるということがおきました。私が見るところでは、スターリン的な官僚が独裁している社会から、労働者が独裁する社会に変わったのではないかと思います。ところが問題は、自分達が権力をとったのだけれど、どういう政治をし、社会をどうしたいかということについての確固とした方針がなかったことです。市場経済化ということがひとつあったのですが、市場経済にしたところで、労働者が解放された社会を作りたいというもともとの自分達の理念と全然結びついていません。そういうこともありまして、労働者が国家権力をとるということまでいっても、その次にどうするのかということが何もはっきりしていないということを実感しました。

2)市場と国家のゆきづまり論から


市場とは何か


 もうひとつの視点は、これは環境問題がらみでいわれることが多いのですが、市場と国会が行き詰まっているということがよく言われます。今の経済は、旧ソ連や東欧以外は市場経済です。市場経済というのはどういうことかと言いますと、人間が生活していくために必要なもののうち、主要なものが市場を経由してしか人手できない、つまりお金でものを買わない限りは生活できないということです。そんなことになったのはごく最近のことで、昔ならお金はなくてもそれぞれ生活していたのですが、今はお金がなければ1週間生活するのも大変だという時代になっています。ですから家計、企業、国(税金を使って市場で取り引きします)と、あらゆる団体個人が市場との関係なしにはやっていけません。市場とは何かといいますと、お金を持っていって欲しいものを買うということですから、それぞれの経済主体は自分のことだけを考えて行動すればいいというシステムになっています。個人で考えると語弊がありますが、企業の場合を考えると誰も相手のことを考えて行動しているのではなくて、自分の一番利益になるように行動して、世の中が丸く収まっているというシステムです。

市場と国家のゆきづまり


 ところが現在市場の行き詰まりといわれているのは、そうやっていった結果、環境破壊という問題が出てきて、このまま市場に任せていてはいけないという考え方が出てきたということです。市場に任せていて資源配分がうまくいかないならば、規制するとすれば今の社会体制では国家しかありません。そこで国家は色々と法律を作り、例えば廃棄物処理法などで規制します。ところが国家の限界は高齢化問題で明確になってきました。高齢社会に対して国家がどう対応できるかということを考えても、お金がないと現実に何もできないのです。
 そんなことから一時期ソ連が崩壊してきたときに、市場経済が勝利したということがいわれたのですが、実は市場も国家も次の社会を作れるような主体ではないということが、だんだん分かってきました。一方では20世紀の階級闘争をどう考えるかという問題だったのですが、他方では市場と国家の行き詰まりをどう考えるかということであり、このふたつの複眼的な視点から問題を見ていく必要があるというのが私の考えです。

B.20世紀の階級闘争の総括


1)マルクス主義の社会革命の戦術


権力奪取から始める


 ここで20世紀の階級闘争の問題から入っていきます。かなり基礎的なことを先ほど言いましたが、マルクス主義の立場でどのように社会を変えようかということを考えたときに、ブルジョアの国家権力を打倒してプロレタリアート独裁の国家を打ち立て、資本家階級の所有している生産手段を収奪し、社会革命を開始するという路線が元々の路線でした。資本家階級が所有している生産手段を奪うわけですが、お金で買うのならばいいのですがそんなお金は持っていないので、実力で、あるいは超法規的に奪うわけです。そして社会革命を開始するときに暴力的に奪ったわけですから、奪い返そうということが当然起こります。ですからある時期までは、奪い返そうという動きを封じなければいけません。こうして独裁が不可欠だ、ということになります。ある過渡期を経て、協同組合的社会が出来れば商品や貨幣もなくなり、国家も死滅していくだろうということが考えられていました。
 これは元祖マルクス主義ですが、実際は多くのバリエーションがありまして、プロレタリアートの国家を打ち立てるといっても、ブルジョア国家というのは強力ですから暴力で向かってもかなわない、議会で多数派をとって平和的に変えようという考え方が多数になってきました。そこで世界の共産党(最近、社会民主党と名乗っているところが多いのですが)は、議会で多数をとって社会を変えていこうという方向に転換しています。今でも暴力的にしか国家を打倒できないと考えている人もごく少数ですがいまして、新左翼の流れを汲む人達はそのように言っています。そのふたつを両極にして論点は山ほどあるのですが、社会をどう変えていくかというひとつの方法として、マルクスとエンゲルスが考えてレーニンが実際に成功したというときの基本的な発想はそういうことです。

2)プロレタリアート独裁期の政治


死滅すべく組織された国家


 ロシアではプロレタリアート独裁まではいったのですが、ではその時にどういう政治をするべきだったのかということについては、一応革命が起こる前に下書きは出来ていました。レーニンが『国家と革命』という本を革命が起こる前に書いていまして、それはどのような内容かと言いますと、ロシア革命が起こってプロレタリアートの国家が出来るということば、ひとつの評議会(コミューン)を作って、それが法律を出し、その法律に従えと言うことです。だいたい革命というのはそういうもので、日本でいうと、橋本内閣に対して別の政府を作り、その政府が法律を出してこれに従えと言うようなものです。今みたいな時期にそのようなことは通りませんが、日本の政府自体がどうしようもなくなって、自衛隊も反乱してという事態ならば、このようなことが可能になってくるという話です。
 その時にどういう国を作るんだと当然言われます。自分達は権力も取りたいし、法律も出したい、実力もある、ではどういう国を作るんだというときにこういう理論になったのです。それは、国家は死滅すべく組織された国家であるということです。ですからマルクスの基本的な発想としては、階級対立があるから国家があるんだ、自分達は階級対立のない社会を作ろうとしているんだということで、それが協同組合社会です。階級対立があるかないかという問題は、資本が集中されるというのが現在の社会システムですが、その集中された資本を独占している人とそうではない人というふたつの人間が生まれます。それは経済的な地位が違うのですから、それに従ってあの人はブルジョア階級で、この人はプロレタリアート階級だという風に階級を分けるのです。昔はそういう話がすぐ通用したのですが今は混乱してしまって、ブルジョアとかプロレタリアートとかいっても分からない、自分は市民だということになっています。それはそれでいいのですが、トヨタの社長と普通の労働者とでは経済的な立場が違います。その経済的な立場から、階級を分けます。
 協同組合になれば何故階級がなくなるのかということになりますと、労働者が出資して管理するのですから、経済的な立場が違う人間がいないわけです。皆同じなのです。多少賃金の差があるとか、あの人はいつも管理ばかりしてずるいとかいうことはあるかもしれませんが、基本的には同じ立場になり階級がなくなるということになります。階級のある社会から階級のない社会へ行こうとしていて、その過渡期がプロレタリアート独裁だと言っているのですから、階級がなくなれば国家がいらなくなるということもあり、結局国家はなくなっていかなければならない。そこでなくなれるような国家を、最初から作っておかなければならないという問題意識はありました。

コミューン四原則


 それはマルクスが勝手に考えたのではなくて、1782年にフランスの革命があり、フランスがドイツに占領されている時期に、パリの人民が武装蜂起してパリ・コンミューンを作りました。誰が作ったのかといことになるとマルクスも少しは関係していたとは思いますが、ほとんど関係はなく、自分達が創意工夫をして、まず常備軍を廃止するということにしました。軍隊という特定の集団が武器を持っているから番犬として権力に利用されるのだから、常備軍を廃止して人民が武装し、交代で武器を持とうということがひとつです。それから官吏が特権化するのは、選ばれていないからです。議員は選ばれていますが、官僚は選ばれていません。ですから大蔵省を解体しようとすれば、選挙制にして、リコールもできるという風にすればよいのです。官吏の選挙制とリコール制を取り入れるということが二点です。
 三番目にみんな官吏になりたがるのは、権力をふるえるということもあるけれども、お金もついてくるということもあるわけです。ですから官吏の貸金も労働者の賃金も一緒にしようということになりました。四番目に議会制度を廃止し、コミューンを立法府と執行府を兼ねた行動団体としました。この四つの原則は、コンミューン4原則といわれています。この原則で国家を作れば、これは国家が解体されているということで、人を抑圧する組織としての国家(政治的国家)には、今の四つの条件が当てはまらないのです。特に今の国家は、少数者が多数者を支配するシステムになっています。ところが今の方法でいきますと、少なくとも少数者が多数者を、恒常的に支配できるということにはなりません。という意味で死滅すべく組織された国家なんだろうなということがひとつです。

生産と分配


 では経済はどうかということになりますと、今の生産のシステムを念頭に置いてもらえばいいのですが、ものを作るときに必要なのは生産手段(原料、機械、工場、敷地など)です。その生産手段のうちひとつでものを作れば、なくなっていくものもあります。機械ならば償却費、原料ならばそのものがなくなります。再生産するためには同じ量は補填しなければならないので、なくなった生産手段をまず補填する必要があります。それからやはり生産は拡大していきたいですから、拡大するために追加フォンドが要ります。それから事故や天災が起こったときに困りますから、予備も必要です。この三つは生産を拡大していくために必要なものです。そしてそれは総生産から引きます。
 その次に社会を作っているわけですから、一般的行政費がかかります。国家が死滅しようとしていても、行政は必要です。行政に何をやらせるのかということは皆で決めるのですが、その費用がかかるということです。学校とか病院などの公共の設備を維持するために必要な費用は、自分達で出さなければいけません。それから働けない人(子供、高齢のための労働不能者、元々働けない人)は社会が養うので、その費用が要ります。
 この六つの費用を控除したあとに残ったものを、個人で分けるという話です。そうすると個人に属する部分をどう分けるかという分け方が問題になりますが、それをマルクスは労働に応じた分配と見ていました。多分労働時間と労働強度を計算するのだと思いますが、どれだけの時間を働いたかによって、残りの部分の個人に属する消費財の分配を決めようということです。そうすると、これは実は不平等になります。例えばある家族は働き手が3人いる、ある家族はひとりしかいない、そこに子供の数を考えますと、個人の平等という点から考えると不平等になります。しかしそれも、過渡期には仕方がないと言っています。最終的には必要に応じてという話が出てきますが、必要なだけ取ってもまだあまりがあるという社会がいずれは来るだろうという考えがあるので、それまでは労働時間に応じて分けようということです。

民主的な独裁


 そういうことで政治形態としては民主国家で、三権分立はしないという理念でした。死滅すべく組織された国家であるとはいえ、ある種の独裁的なことはしなければいけないということです。しかし無政府主義者は、ここを批判するわけです。国家などを作ればまた抑圧するのに決まっている、というわけです。ですからバクーンはブルジョア国家をつぶした後にプロレタリアートの国家などは作らずに、協同組合の連合だけでいいんだと言いました。例えばプロレタリアートの国家を作って独裁すれば、それはエリート支配になってしまうということを言いまして、これは多少当たっているところもあります。マルクスは、ブルジョア国家とプロレタリアート独裁の国家が違うのは、少数派による多数派の支配ではなくて、多数者による少数者の支配になるから、独裁といっても実質は非常に民主的であると言いました。

3)革命の現実


二重権力


 そういうことで、今の社会をどう変えていくかということば、まず国家権力を打倒して労働者が国家を作るときに、どういう国家を作るかということについては一応見取り図はありました。そしてそういう見取り図に従って、ロシアで実際にやったのです。いや、やったというのは語弊があって、やらされたといった方がいいのかもしれません。結局ロシアの状態というのは明治の天皇制で、ツアーリの下では資本家階級が充分成熟していませんでした。地主制の下で封建的な支配をしていまして、戦争をしてどんどん負けていますから権威もなくなって、兵隊が反乱を起こすという状態です。つまり無政府状態でした。そこで誰かが権力を樹立して国を治めなければいけないという時期が訪れて、その時に手をあげた勢力がふたつありました。
 ひとつは左翼でレーニンのボリシェビィキ党だったし、もうひとつはブルジョアジーが権力を作るということでした。元の封建制のツァーリの権力はほとんど影響力がなくなって、ブルジョアジーとレーニンが権力を握りますといったものだから、ふたつの政府が出来ました。そのうちふたつの権力が争って、結局ブルジョアジーの方は企業にしても資本にしてもロシアでは大したことはなかったものですから、労働者の方が強く、レーニンが勝ってしまうということでプロレタリアート独裁になりました。そこで17年10月にボルシェビィキ革命が成立します。

内戦と戦時共産主義


 ところが戦争中ですから、チェコの軍隊が領内にいたわけです。そこでそれらの軍隊との戦争がまた始まります。例えばチェコの軍団がロシアの内陸部にいますから、それを保護するという理由で、ドイツが当然戦争をしかけるわけです。ということで干渉戦が始まります。それから資本家の政府がいいという人達が、内戦をしかけてきました。ということでとりあえずは、全部を国有化するシステムを作ったので(戦時共産主義)、商品交換がなくなりました。
 だいたい戦争の時は、主食や砂糖などは配給制になります。それで配給制にしたときに困るのは、食糧を作っているのは農民なので農機具を配給するべきなのですが、戦争をしているので皆兵器を作り農機具を配給する余裕がなかったことです。そこで結局戦時共産主義の時代には、農民から穀物を強制的に挑発するということをやらざるを得なかったのです。ですから貨幣のない社会が出来て物々交換になり、ある人はこれが共産主義だと言ったので、戦時共産主義という名前が付いています。

ネップへの転換


 しかし実はとても不安定で、一番基本になる食糧を農民から取り上げることによって成立していました。一時期は仕方がないとしても、永続するはずがありませんから、農民出身の水兵の反乱が起こりまして、それを契機としてレーニンもこれはいけないということで、1921年に新しい政策を出しました。それがネップと言われていて、ネップのはじまりは食糧税の導入でした。もう強制的な収奪はしません、そのかわり税金を払って下さいというものです。税金を払ってまだ残ったものは、自由に売ってよろしいとしました。農民も国に属している以上は税金を払うということは、高いか低いかの問題はありますが分かりやすい話です。余ったものは自由に売ってもいいということでしたら、それは商品交換の復活で、それで農民は好きなものを買えるということになります。これがネップの基本で、その後戦時共産主義時代の時代に小さな工業まで国有化したのですが、これは行き過ぎだということで企業の民営化をしました。以上の改革で経済の実質は、国家資本主義と言っていいようなシステムになりました。
 このネップの時期に戦後復興といいますか、戦争をしていましたから何もなくなっていて、戦争が終わった後の戦後復興(戦前の水準に回復していく)が、なされていきました。その時にレーニンが文化革命というものを提起しました。先ほど無理に権力を取らされたと言いましたが、ヨーロッパの社会主義者の共通の認識は、ロシアだけで革命が成功するなどおよそ考えられないというものです。何故かと言いますと、資本主義が発達していないので労働者階級も発達していなくて、工業もきちんとないわけですから、そういうところで社会主義を作ろうとしても無理だというものです。ですからドイツ、フランス、イギリスなどヨーロッパ全体の革命の成功と一緒になってして初めてロシアでもうまくいくだろうというのが、ごく当たり前の考え方でした。ところがイギリスは元々革命的な情勢はなく、ドイツは戦争に負けて革命が進んだために革命のチャンスはあったのですが、革命は出来ないということになりました。そこでロシアが孤立していくということになりました。

文化革命


 その時にロシアで革命が出来るかどうか、色々な論争があったと思うのですが、レーニンが何を言ったかというと、革命が出来るだけの文化的(政治的、経済的)な成熟があってから革命をするというのは、ロシアでは無理だろうということでした。自分達はまず権力を取ったので、人々が社会革命が出来るような文化的な成熟をどう作っていくのかということが問題になりました。つまり文化は後から作るということを言いました。ですからレーニンはプロレタリアート独裁下のネップの時期に文化革命をしよう、ロシアが社会主義になるためにはそれしかないと考えまして、まず行ったことが国家機関を民主化するということです。というのも国家権力を打倒して権力を握っても、官僚というのは一朝一夕に作れないものです。そうなると新しい政府は、昔の官僚を雇うしかありません。資本家についても経営才能のある人はいませんので、資本家も雇います。そうするとプロレタリアート独裁の国家といったところで、中身は昔のツァーリの官僚制の役人がごそっといるということになります。いくら死滅すべく組織された国家だと言ったところで、勝手なことをするわけです。
そこで非常に非民主的な国家になっているということで、国家機関を民主化しようということを言いました。二番目に国民に読み書きを教えるということを主張しました。読み書きが出来ないと、協同組合に参加できないのです。そしてそれが出来れば全国民で、協同組合を組織できるということです。そうなるとこの社会は、社会主義としてしかいいようがないということでした。レーニンは晩年病気になりまして、死ぬ直前にそういうことを言いましたが、結局夢に終わりました。

穀物調整危機


 現実はどう進んだかと言いますと、21年にネップになって、24年くらいまでに戦前水準の生産力に復活します。その後経済成長できたかと言いますと、農産物と工業生産物の価格差がとても開き始めました。農業製品が安くなって、工業製品が高くなったのです。
これには色々な要因があって、ひとつはロシアはこの時飢餓輸出をしていたということです。元々工業は弱かったのですが、戦争によって破壊されるし、工業製品として輸出されるものがなかったのです。仕方がないから食糧を出すわけです。国民は食べずに食料を輸出して、工業製品を買うということをしていました。ですから食糧は不足していたのです。そのうえ特に農民に必要な工業製品は、ほとんど生産出来なかったために高くなりました。そうなると農民は穀物を売っても、買うものがないわけです。しかも穀物の国家の買い上げ価格は非常に安く押さえられている、そうなると生産意欲がわかず作付けを減らすことになります。そこで国家が必要な穀物を調達できなくなりました。スターリンはこれは大変だということで、どうすれば農民から安定的に穀物を買えるかということを考えて、集団化するしかないという結論に達し、29年くらいから集団化が始まりました。

農民の集団化


 これは共産党が命令して強制的にするものです。つまりあなた方はここへ行ってコルホーズを作りなさいというのです。しかしこれは国営農場(ソホーズ)ではないのですが、事実上国営農場になっています。ここの土地からあがったものは全部国家に出しなさい、そのうち自分達の分は幾らですというような条件の下で、そこに囲い込んでしまいました。それは完全に昔の農奴制の復活ですから、農民は生産意欲を失いました。あまりひどくなったので、30年代になると自留地というものを認めました。つまり集団農場で収穫したものは基本的には国家に納めて(これはいくらかのお金がもらえるのですが)、自留地で作ったものは自分達で食べてもいいし自由市場で売ってもよろしいというものです。それはとても狭い土地でしたが、農民はそこは一生懸命耕してたくさんの作物が取れるようにして、集団農場の方は適当にしていました。そんな理由でソ連はずっと農業生産が低く押さえられて、農地が荒廃し、農業問題がアキレス腱になりました。最終的にソ連が解体するときには、農業に対する補助金が軍事費並になっていました。

スターリン主義の成立


 ロシア革命でスターリンが登場して強制集団化をすることによって、社会の中にすごい緊張を持ち込みました。こういうことをすると、当然国家を強化しないといけません。農民に対して強制的に集団化するということば、当時のソ連では農民が多数で、プロレタリアートは少数だったので、少数者による多数者の支配という形になりました。そこで国家権力を強くするしかなかったのです。従ってどんどん国家権力を強くして、強権的政治を発動するという風になっていきました。そんなことがどんどん進行する中で、まず党内で異論が出ました。ソ連の共産党は革命をした政党で、革命運動の現役で活躍したトロツキーとかブハーリンなどがいました。運動の経験がありますから、経験がないものには絶対分からないようなことを知っているということで、革命の元勲というのは偉いものです。そういう人達がロシアは大変なところへいくのではないかということで、スターリンに対して反対しました。スターリンはそれを粛正していくわけですが、党内で粛正するだけではなく、社会の隅々まで逆らうものを粛正していきますから、強制収容所が必要になりました。そしてそこに何十万という人を収容していくという、収容所社会になったわけです。
 スターリン主義とは何かということで色々な説がありますが、トロツキーは堕落した労働者国家だと言いました。つまり堕落はしているけれども、まだ労働者国家で守るべきであるという主張です。それからあれは国家資本主義だという説がありますが、私は国家資本主義説は反対で、官僚が階級になってしまった社会主義にはいかないような過渡期の社会という考え方で、国家制社会主義と呼んでいました。

ペレストロイカ


 とりあえず一旦出来た社会というのは続いたわけです。続きましたが、60年代でフルショフが党内攻革を始めます。その流れでゴルバチョフがペレストロイカを始めて、市場経済の導入へといくのです。
 私はたまたまポーランドに行ったことがありまして、89年でしたからまだソ連でしたが、その時にモスクワ空港のホテルで一泊してから行きました。モスクワ空港でチケットを出してホテルへ案内されるまでに、とても待たされました。どうして何時間も待たされるのだろうと言っていたら、ホテルの部屋のどこに誰を入れるのかを決めてから案内するのですが、その作業を航空券を見ながら手作業でしていました。コンピューターで作業をすればすぐに出来るのに、手作業でしているのです。結局資本主義が情報革命をしてコンピューターを導入してきたことに対して、ソ連は軍事産業とか航空機などでは導入していたけれども、社会全体の情報化という点では圧倒的に立ち後れていました。
 これは資本主義と社会主義の違いの面白いところで、車でも資本主義では2年くらいでどんどんモデルチェンジして新しくするのですが、ポーランドでは60年に走っていた車がまだ走っているのです。そういう意味で、資本主義とはまた違う社会だなという気はします。ものを大切にすると言えば聞こえはいいのですが、逆に言うと一般的な工業の技術は60年代のままなのです。よく考えると60年代というのは、ソ連とアメリカの技術の格差というのはそれほどありませんでした。スプートニクの打ち上げではソ連が先行したし、いい技術を持っていたのにそこから止まってしまいました。ところが資本主義は70年代に情報革命を行いました。多分この格差がソ連崩壊の原因だと思います。もし資本主義が情報革命まで行かなければ、相変わらずソ連とアメリカの冷戦状態は続いているのではないかというのが、私の仮説です。

ネップへの復帰か?


 とにかく明らかな生産力の格差を見せつけられて、ソ連の指導者もこれではいけないということで、市場経済化に踏み切りました。しかしうえからの市場経済化が失敗してポーランドで連帯の政権が出来たということ、それからベルリンの壁が破れるということなどがあり、そのことがロシアに波及し、最終的にはソ連が解体するということになりました。これをどう見るのかということです。私は市場経済化して資本主義になったとはまだ言えず、相変わらずロシアで頼りになる政治勢力というのはありません。ブルジョア政党というものもできていないし、だいたいブルジョアジーがいるかどうかもよく分かりません。結局昔の共産党が一番まとまった勢力です。ポーランドにおいても昔の共産党が社会民主党と名前を変えて、それがワレサーに勝ちました。同じようにロシアでも、昔の共産党が多少変わって、権力を継承するのではないかと思います。
 何のことばないネップに帰えったのではないかというのが、私の理解です。結局21年からネップを始めて商品交換を認め、小企業は勝手にしてもよろしいということにしたシステムを、スターリンが食糧調整危機に直面したときに農民を集団化してしまったのです。そして資本主義に決定的に遅れたことが分かった時点で、上から改革をしたのですが、しきれずにつぶされたということです。普通は政治権力が打倒されるときには、代わりの権力が出てくるわけです。しかしここではそれが出てきません。確かにワレサーが権力を取ったときには連帯が出てきましたが、その連帯の権力の基礎になるような勢力と、方針がありません。どこが取っても一緒だという感じです。ソ連でもそうですが、共産党が分裂して共産党の中からエリツィンが出てきて権力を取るわけです。ですから昔のロシアで革命が起こったときの交代劇とは、全然違います。
 これは一体なんだろうということで色々考えたのですが、結局ネップに帰ったんだなと思うと非常に納得がいったのです。そうするとネップをどう考えるかということになります。当時のレーニンとかトロツキーも含めて、戦時共産主義で少しやりすぎました。これでは保たないから、とりあえず商品交換に復帰しようということで始めましたから、社会主義運動から見ると後退だと思っていました。後退したから前進しなければいけないということで、スターリンは前進の仕方が間違っていたのですがとにかく前進しました。私はもしソ連や東欧が、60年ぶりにネップに帰ったということをいうとすれば、ネップは社会主義からの後退ではないのだと思います。いわゆる過渡期というのは、マルクスやレーニンが考えていたような短期ではなくずっと長期で、例えば100年続くかもしれないという尺度で考えなければいけないと思うのです。ネップをずっと続けていく中で、文化革命をして社会を少しずつ変えていくということが健全な方向です。

モンドラゴンの意義


 実はモンドラゴンというのは、そういうことが出来ますよということを示したのではないかと考えました。モンドラゴンの経験を土台にして、階級闘争の総括をするということですが、ソ連で革命が起こって色々あってネップになりました。そしてネップを止めて社会主義を作ったけれども、その社会主義は失敗してまたネップに帰ったということです。ネップの時にどうすればいいのかということを、アリスメンディアリエタは実践したのではないかと思います。ネップというのは結局、資本主義と社会主義の混在です。つまりどこかが一元的に支配しているという体制ではなく、多元的な世界です。その多元的な社会の中で、指導性を発揮できる集団をどう作っていくかということが文化革命の内容だと思います。アリスメンディアリエタはバスク地方という多元的な社会の中で、見事にそれに成功しました。このことはネップの時期に、何をすればいいのかという実例として考えるということが一点です。
 

C.市場と国家のゆきづまりの読み方


1)資本主義の危機とは何か


政治的危機と経済


 もうひとつは市場と国家のゆきづまりの話になっていきます。いままでは資本主義が何故悪いのかという話はせずに、社会を変えるという話ばかりしていましたが、資本主義はやっていくうちにどうしても危機になってきて、つぶれてしまうからこれに代わるものを作らなければいけないという発想です。資本主義が悪いからつぶすということではなくて、資本主義がずっと運動していけば、どうしてもつぶれて行かざるを得ないので、どうせならうまくつぶしたいということが、社会を変えていこうという発想の根源にあります。ですからどのようにつぶれていくのかということをきちんと認識していないと、うまくつぶすということもできないのです。資本主義の危機という言葉がありますが、これは資本主義はどのようにつぶれていくだろうかということです。
 政治的危機という言葉があります。これは自民党が一時期は下野して日本新党が権力を取ったという政権交代も含みますが、例えばロシア革命のように、もっと広範に権力を持っている階級が代わってしまうという危機もあります。これは支配している側が危機になるということと、支配されている側が今までの生活ではやっていけないと考えたもので(上層の危機と下層の危機)、それが重なったときには大きなことになります。
 もうひとつは経済的危機というものがあります。これは端的に言えば恐慌です。1929年に大恐慌が起こりました。もともとイギリスで資本主義が成長し始めた頃は、10年おきくらいに恐慌になりました。恐慌というのは、ものを作りすぎて売れなくなる過剰生産恐慌、がほとんどです。突然信用が停止して、金(きん)でしかものを買えないとか、銀行券の価値がなくなり経済的に混乱するという状態です。また戦争をすると経済的危機になります。負けた場合は特にひどくて、世の中はぐちゃぐちゃという具合になります。
 さらに第三世界がそうですが、従属することによって経済的に危機がきます。例えば累積債務問題がありますが、これはお金を借りて第三世界の諸国が事業をしても全然儲からないから、借金だけ溜まるという事態です。経済的に従属しているからそういうことになるわけです。

資本主義の文明的な危機


 今までの危機論というのは、政治的危機と経済的危機の組み合わせです。この要因が絡み合って、資本主義を変える政治革命が出来る危機が生まれます。しかし私は、もうひとつの危機を考えようとしています。今日の危機というのは政治的危機、経済的危機という指標から見ると、確かに政治的危機は自民党政権も液状化してゆらゆらしている状態です。経済的危機からすると銀行がどんどんつぶれて、さらにつぶれるのではないかと言われています。ところがソ連の共産党がつぶれたときと一緒で、代わりの勢力は出てきません。私は実はもうひとつの危機があって、その危機の方が根源的ではないかと思います。これは他に言いようがないので、資本主義の文明的な危機という風に考えようと思います。
 資本主義というのは結局、商品交換で成り立っているということがひとつと、もうひとつは商品を生産することが資本の生産であるということです。商品を生産する資本は企業を組織しています。一方、そこに働いている人達は家計で、企業と家計と国があります。国も国民から税金を取って、その税金を使うときは市場で買い物をします。ということで企業と国と家計が市場を媒介にして、成り立っているということです。ですからすべて商品で結ばれている社会と言えます。文明的危機ということを一言で言うと、商品を買うことでしか生活できないという現代人の生活の様式自体が、既に立ちゆかなくなっているということです。

商品批判と脱物象化


 人間の生活はもともと最小限は食べ物があればいいわけで、着るものはなくても良いのです。食べ物をどうやって確保するかということから始まるのですが、これはだんだん複雑になってきまして、色々なものを作って交換もしてという風に発展してきました。そして現在では、ほとんどのものが商品になっているわけです。経済的には商品のつながりから、孤立した家計というものはありません。
 ところが私有財産ですから、法律的には皆孤立しています。人が住んでいる土地とか建物とかは、社会から孤立しています。どうして結びついているかと言いますと、商品を買うことで結びついています。今の企業があって家計があって国家があるとすると、この社会的な結びつきを商品がしています。そしてこの商品が存在しているのが市場です。ですから人間の社会性を、これが代表しています。
 人間と人間の社会的結びつきは多様です。家族、地域、国家の他にも色々あります。この多様な結びつきが商品で代位されてきました。ところが商品による代位は、人間の社会的結びつきの人間的な側面を切り捨ててきたのです。資本のシステムは商品を生産する世界ですから、商品が人間の社会性を代表していること自体、この是非が今問われています。そういうことは、これを作るシステムとしての資本自体が危機にあるということです。商品が人間の社会性を代表していること自体、こんなことがあっていいのかという疑問が提起され、有機農業をしている人はどうして食べ物を商品にしなければいけないのかと言います。この脱商品化の思想については私は批判的で商品からその社会性の代表という属性をはぎとる脱物象化をはかることが問われていると考えています。

2)生産力と生産関係


モンドラゴンからの発想


 話をどういう観点から考えているかということを先に言った方が分かり易いと思いますので、それを言いますと、結局ネップの時代に、アリスメンディアリユタ的なモンドラゴンの運動をすれば、ロシアは社会主義になっていたのではないかという話との絡みです。プロレタリアート独裁の時の政治方針として、文化革命といったときその中身をモンドラゴンでしたような投資をするような団結を実施していれば、ずいぶん変わった社会になったのではないかと思います。ところがモンドラゴンはプロレタリアート独裁でもないし、ネップでもありません。特にECが出来てからは、資本主義市場のただ中にあります。ただ資本主義世界のただ中で、ネップだったときに成功するような運動をして成功しています。ここからプロレタリアート独裁がなくても文化革命は出来る、現に出来ている、これはどうしてかなと考えました。
 そうすると資本主義が今まで通りではなくなっているから、モンドラゴン型の新しい運動が出来ているんだということです。これが変わったということが、文明的危機にあることだと考えました。プロレタリアート独裁でもないのにプロレタリアート独裁の時の文化革命という政治が出来るんだという風にずっと言っていたのですが、よく考えると、昔の左翼には通用するけれど今の人には理解されません。プロレタリアート独裁も知らないし、文化革命も知らないし、ネップも知らないし、何も通用しないのは当然です。そうすると逆に、資本主義がこうだから新しい運動が起こっているという風に言わないと通用しないことを、反省しました。今のが舞台裏の話です。

史的唯物論


 色々あるのですが、単純なことからいこうと思います。史的唯物論(唯物史観)という言葉がありまして、マルクスが『資本論』を書いたのも、社会主義の運動をしようということを考えたのも、今はそんなことを言う人はほとんどいないのですが、史的唯物論という立場からだと昔はよく言われました。その史的唯物論の基本的な考え方は、社会の中には生産力と生産関係のふたつの要素があります。生産力には技術、労働力、科学などが入ります。
ただ生産力だけがあっても何もできませんから、社会的に組織してものを作ります。その生産力の組織の仕方を生産関係といいまして、今でしたら資本の生産過程として組織されています。資本の生産過程ということの意味は、例えば確かにトヨタは直接には自動車を作っています。しかし自動車を作ることが目的ではなくて、自動車を売ってお金を回収することが目的なのです。お金を回収するということば、最初の原料から自動車を作って、売ればお金になります。このお金は最初のお金からすると、増えるわけです。これが目的です。つまり営利のために自動車を売っているということです。ですから自動車でなくても何でもいいのです。
 このように生産力が組織されていますから、これはものを作る過程であるけれども、同時に資本を作る過程でもあります。ということで資本の生産過程といいます。史的唯物論の立場は、この生産力と生産の仕方が矛盾します。中身と入れ物の関係が、この中身が入らないくらい大きくなればこの入れ物はつぶれる、単純にいうとそういう関係です。これが矛盾したときに始めて、生産関係が壊れるという考え方です。このことがどうして資本主義が何時までも続かないのかという説明原理とされている、もっとも根本にある考え方です。この時にもう少し詳しくいうとどうなるかと言いますと、生産関係は所有関係とも言えます。私的所有です。ですから商品が人間の社会性を代表しているということは、私的所有の社会ですからものを商品としないと、あるものを他人が利用できないということになります。
 例えばトヨタが自動車を作れば、これはトヨタの所有物です。トヨタが100万台作れば、100万人がそれを利用しています。ですから自動車は、社会的財産です。ところが売るまではトヨタの所有物です。この所有権が移転して初めて、100万人の所有になり、個人以外は利用できなくなります。もし自動車が共有財産だったら、町や村に何台と決めておいて、それを皆で利用すればいいという話も出てきますが、今の社会ではそうはなりません。そうすると商品という形で財を社会的なものにしているという関係自体、粋が狭いのです。これを別の人が利用する、あるいはAという会社の車をBという会社の人が利用できるかといえば、それは出来ません。そうした方が環境に与える影響や、経済的なこと、道路事情を考えれば絶対有利なのに、貸し借りならば出来ても、そうは出来ないのです。つまり社会的財産のあり方としては非常に狭いのです。そんなことをしていたら駄目だという風になるという意味で、新しい生産力が出てくれば、これもつぶれるだろうという考え方です。

資本独占と生産様式の矛盾


 その時にマルクスはこの元で発展しきれるだけの生産力といいますのは、はじめから想定できていて、生産力は発展しきるまでは、私的所有関係をつぶすことはうまくいかないだろうと言いました。他方では私的所有関係の枠に入りきらないような生産力が、今の社会の中に既に出てきて、ある程度実績がないと私的所有関係はつぶれません。このふたつの問題を出しました。この考え方は『経済学批判』の序言で、『資本論』へとまとめられる経済学の方法をマルクスが書くのですが、その中でこういう構想を書いたのです。この構想は『資本論』を書いたときに若干直すのですが、どのように書かれているかと言いますと、『資本論』では「資本独占が、それが作り出した生産様式の桎梏となる」と書かれています。ですから生産力と所有の関係ではなくて、もっと厳密に言われます。そして生産力と生産関係の矛盾ではなくて、生産様式と資本独占の矛盾なのです。だから根本的に変わっていると言えないこともありません。
 資本主義が作り出した生産様式というのは、一方では生産手段の共同占有です。もうひとつは労働の社会化です。労働の社会化というのは、昔の農家の労働を考えれば分かるのですが、個人の労働は個人が勝手にしているのです。ところがどんなに小さな工場でも、何人かの労働者を集めて工場で働きますと、共同労働をすることになります。という意味で社会化された労働と言います。これは私的所有に対する社会ではなくて、個人と社会との関係だと思って下さい。次に共同占有という概念ですが所有と占有で違いまして、所有といえば私的に処分できますが、占有の場合は利用はしているけれども処分は出来ないということです。
 ですからマルクスは「事実上の共同占有」といっていて、共同占有そのものではありません。何故かというと、資本独占が処分できるからです。例えば中国などで企業進出して工場を造っても、景気が悪ければすぐに引き払います。生産手段は労働者が使っていますから、労働者はそれを利用してものを作っているわけです。そういう意味では労働者は占有主体です。ですから事実上、社会の共同の生産手段になっています。ところが資本家の方からすればこれを勝手に処分できるのです。他方では、資本家というものは一人の人間だと考えると訳が分からずに、特に日本の場合は株の持ち合いなどがあり、誰が資本家なのかよく分からなくなっています。この意味では共同の生産手段になっています。そこで生産手段が共同占有されているということが、資本の独占とは合わなくなってきます。従って資本の独占がつぶれるんだということを、マルクスは言いました。

資本制的外皮の社会化


 そこで私は考えました。それは分かるけれども、生産力が増えてきて、生産様式を打ち破るという力になったとすると、生産様式をつつんでいる外皮がふくらむのではないかと。今の社会の生産関係を資本制的外皮という風に言うのは、商品などはものそのものではなく、ものがかぶっている社会的な皮という意味です。ですから商品というのは、ものそのものに価値を持たせている皮です。トヨタなどの企業も、ものが作られているだけではなくて、それは資本の生産過程であって資本という皮をかぶっているという風に考えています。これが社会化出来るということです。ですから単純に言うと、資本制的外皮というのがあって、中身の生産力がこれを破るようにやってきても、それが社会化されて風船のように膨らめば破れないわけです。
 1929年に恐慌が起こって、金本位制が放棄されて不換制になります。それから企業の形態が株式会社になりました。ということば全部資本制的外皮が、社会化したということなのです。そうすれば労働運動が幾らがんばっても、永遠に資本主義はつぶれないという時代が一時続きました。これが膨れ上がったときにどうなるのかと言いますと、70年くらいから環境問題などから高度成長に批判が出てきて、現実的にも経済が低迷するようになりました。東南アジア諸国などで若干の高度成長がありましたが、それもすぐに低成長になっていくという時代になってきました。それはどういうことだろうかということで考えました。

小経営のネットワークの出現


 まず端的に言って、資本主義の新しい生産力として情報技術、バイオなどが先端技術といわれています。こういうのは資本独占がこれを組織して、それで巨大生産を行うという風には必ずしも向いていません。例外はもちろんありますが何万人も人を雇わなくても、小規模経営で出来ます。鉄鋼などは大きい高炉を建ててするのですから大変な設備投資がいるし、資本独占でないと組織できません。資本独占がどんどん新しい技術を作っているのですが、その特徴は小規模経営に向いています。ですから今どんどん出てきている新しい生産力というのは、資本独占が組織できないものです。多分資本主義の文明的危機と言われた内容は、ここにもあるのではないかと思います。
 しかも人間の社会性が、商品で代表されること自体が駄目だと言われています。資本主義が作り出した技術というのは、馬鹿な技術もありますが、人間が今後地球上で住んでいくために必要不可欠な技術もあります。ところがそういうものを資本独占が組織出来ずに、他のところで組織されているのが現状です。ここには有機農業なども入ると思います。そうすると結局資本主義はもっとも先端的な産業分野から、脱落していくのです。そして多分これが、文明的危機の本当の内実ではないかと考えます。
 しかも情報革命がネットワークを作りました。そうすると小規模経営の意味が変わったのです。昔ならば小規模経営といえば農家、あるいは商店、町工場でした。これは社会からは完全に孤立していて、市場での結びつきしかありませんでした。商品を出荷して初めて生産者は社会と結びつけられるし、商店は売買しているのですから流通そのものです。今はどうなったかと言いますと、ネットワークがあって小規模経営があります。今は農家でもパソコンを入れてやっているわけです。あるいはソフトを作って儲けようとしている人もいます。コンピューターのネットワークというのは市場ではなくコミュニケーションになりますので、孤立した小規模経営ではなくて、社会的なコミュニケーションを持った小規模経営なのです。もちろん商品市場はありますから、市場とも関係を持ったり、あるいはネットワーク自体を市場にしたりもしています。つまりパソコン通信で取り引きするということもあります。しかし基本的には市場以外のシステムを作って、小規模経営が復活するという時代になっているのではないかと思います。そうすると、これは資本独占を打ち破る新しい生産関係の萌芽になるわけです。多分産直運動も、この中に入っているのでしょう。これが資本主義の文明的危機の、中身になっているのではないかと思います。
 環境、食、農という、人間の生活についての基本的な部分について、こういう領域の生産力がどんどん開発されていて、それを資本独占が組織出来なくて、小規模経営がこういう技術を現実に実用化しています。こういうことが出来るということが、プロレタリアート独裁でもないのにモンドラゴンの運動が成立する条件です。これは正にもうひとつの働き方です。資本独占とは別のところで事業が出来て、そこで食べていけるという構図が先端技術のところで出来ます。ここが非常に面白いところだと思います。多分ネップがずっと続いていれば、こんなこともできてきたのではないかと思います。

労働価値の復権


 そしてこれをどう思想的に評価するのかという問題があり、使用価値の復権と労働価値の復権とがあります。使用価値の復権については皆さんベテランで、本物の類とか、安全、安心といっている領域です。しかし今は労働価値の復権ということをいう時期にきているのではないかと思います。これはひとつは農工格差、もうひとつは大企業と中小企業の格差が資本独占の時には出来て、農業と中小企業の労働価値が、不当に低く評価されるということが起きました。ですから価値と価格がずれるわけです。本来の価値よりも低い価格でしか売れないという現実があります。従って農業をしていても食べられないということになります。本当は農家で1日働いても、トヨタの社員と同じ給料をもらえれば皆農業をすると思います。しかしそうではないから、結局農業の跡を継ぐものがいないということになります。この現実に対して農家にちゃんとした生計を保証し、小経営主の生計を保証しようといったところで、裏づけがなければ出来ません。
 この労働価値の復権の裏付けになるのが、先ほどいった先端技術を小規模経営がベンチャービジネスとしてやろうとしているという問題です。それに対して資本独占は手出しできません。資本独占はどうしているかといいますと、私の友人は理科系ですから、メーカーの研究所や技術指導を担当しています。今頃は何をしているかといえば分社です。皆社長になっています。日立などの大企業では、手に負えないわけです。ですから何十年も育ててきた社員を、ぽんと外に出して先端技術を応用する会社を作らせるのです。大企業自体もこの現実を認めざるを得ないというところにきている中で、個々の小経営の集団的な力が増えていくに従って労働価値の復権ということが起こらざるを得ないだろうと思います。とりあえずは格差の是正ですね。
 私は産直運動が労働価値の復権をして農家の生計保証をするということは今までもしてきたのですが、してきたことの社会的意味をもう少し押し出して、小規模経営の復権ということとの絡みでひとつの大きな絵が描けないかなと思っています。それはまた今後の課題です。ということで私の提起は終わらせていただきます。
 (これは協同組合研究会97年2月例会の報告の一部を整理したものです。なお当日のレジュメを付けておきます。この報告のテーマにあるもう一つの社会変革とは、まず政治権力を奪取し、その後に社会変革に取り組むという従来のマルクス主義の戦術に代わるもの、という意味で、その内容は、もう一つの働き方の実現によって、資本家の下に働きに行かないということです。マルクスの『資本論』からすれば、このことも社会変革として成立し得ます。モンドラゴンはこの代替方式を実践していたのではないかと考え、この代替方式の立場から、20世紀の階級闘争の総括を試みました。報告の前半部分をカットしましたので念のため補足しておきます。)




Date:  2006/1/5
Section: ă“ぎ15年間をふりかえって 文献目録
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