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紹介『価値形態・物象化・物神性』


紹介『価値形態・物象化・物神性』


榎原 均著

 本書の特色は、商品、貨幣、資本における物象化を、物象による人格の意志支配の様式と捉え、その根拠として、商品が人が自分の意志を宿しうる概念的存在であることに求めた点にある。
この点がマルクスの価値形態論の解読から導き出されたのであるが、この内容を簡単にまとめてみよう。商品の価値形態は、諸使用価値をつくる具体的労働を、同等な人間労働に還元する、という抽象を行い、かつ、その同等な人間労働の分量を等価商品の現物形態で表して、量的判断を明示している。
人間の頭脳は、対象を分析して、抽象し、これを総合して判断するという思考の機能をもつが、商品の価値形態も、思考に特有な抽象及び判断と同種の機能をもった概念的存在なのである。それゆえ、人は自分の意志を商品に宿すことができ、商品という物象による人格の意志支配が成立し、物象化が起こることになる。
 この解釈は、コロンブスの卵のようなもので、一たん明示されれば難なく了解されるであろう。では、これまでの価値形態論研究においては、何故この解釈が成立してこなかったのだろうか。それは価値形態の場合の抽象化が、思考の場合の分析的抽象ではなくて、総合による抽象化であり、反照の弁証法(これもヘーゲル研究者の誰もが理解しえてはいない)であるから、その種の抽象の様式の存在に気付くことのなかった従来の研究者たちにあっては、価値形態の概念的存在自体が謎とならざるを得なかったのである。
 物象化について論じる際に、価値形態についてのこの把握がどのように決定的か、ということは、貨幣の生成について考えてみると明確になる。商品の価値形態が概念的存在であることが判明すると、諸商品は共同して単一の商品で価値を表現する場合にのみ、互いに商品として関連しあえる、という商品の本性に支配された商品所有者たちが、交換過程に直面して本能的な共同行為を行うことによって貨幣が生成されることがわかる。
 だから物象化とは物象に意志を支配された人格が、本能的に物象の本性に従った行動をとるところに成立するのである。
 このように物象化を意志支配の様式と捉え、物象に概念的存在を見いだすと、物象化論の新しい地平が見えてくる。自分に文学の才能があればマンガのシナリオにしてみたいほどの面白い世界がそこに開けている。ヘーゲルはカントの物自体についての説をくつがえし、物の内面が意識の運動としてあることを看破した。だからヘーゲルにあっては、世界が概念であった。しかしヘーゲルは意識の内面については反省しなかった。マルクスの物象化論は意識の内面が、物象相互の社会関係とその運動にあることを示したのである。そうすると、ヘーゲルが世界に概念を見たのは、意識の内面についての直感(神の存在)も支えられていたことになる。マルクスは物象の概念的存在を解明することによって、同時に神の構造を解明したといえるのである。そして、ここに物象化と物神性との位相のちがいも表現されている。




Date:  2006/1/5
Section: この15年間をふりかえって 文献目録
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