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この15年間をふりかえって 文献目録 : もう一つの社会変革の可能性(続)
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もう一つの社会変革の可能性(続)


A 政治の再生について


個人的政治経験


 政治の再生というテーマで話をするわけですが、政治という言葉についての解釈は実に多様です。それで私の個人的な政治経験から話を始めさせていただきます。
 私は59年から始まった60年安保闘争に当初からブントとして参加しました。私より一つ上の世代は皆一度日本共産党に入党し、その上でブントの結成に参加しているのですが、私の場合、大学に入ったとき日本共産党の組織はもぬけの殻で、ほとんどの学生党員は脱党し、ブントに加盟していて、高校時代に入党していた人たちは別にして、同期のメンバーは共産党を経ずにブントに加盟したんだと思います。
 そういうわけで、60年安保闘争が私の60年代の経験の全財産でした。共産党の50年分裂だとか、6全協のことなどは何も知らずに政治の戦線に加わったのです。
 60年安保闘争が終わり、ブントが分裂して以降もずっとブントにこだわり続けてきたのも、この特殊な政治経験が大きかったと思っています。運動が停滞しても全然気にならなかったし、一たび大衆運動が起これば何をすればいいか、ということについては自信をもって提起できました。つまり、大衆運動が昂揚しようとしているときの政治的指導については理論とか思想といったレベルからさらにそれを技能にまで血肉化していたといってよいでしょう。これは単に私個人がそうだっただけでなく、一つの世代を形成していました。
 60年以降の主な闘争といえば、大管法闘争、日韓会議反対闘争、原子力潜水艦寄港阻止闘争があり、そして、67年10.8闘争を契機に大衆運動が昂揚期に入り、大学では全共斗運動がおこり、地域では反戦青年委員会にどんどん労働者が入ってくるのを見て、60年世代である私などは、やっと新しい世代と結びつくことができたと考えていたのです。
 この頃まで、自分が体現している政治について、何の疑問もなく過ごしてこれました。いわゆる関西ブントの政治過程論から第三期論、過渡期世界論というように政治理論は変わってきましたが、政治思想の大もとに変化はなかったんです。
 ところが、自分たちの政治について根本的な点から疑問が生じる事態が起きてきました。それは69年に入って、昂揚した大衆運動を背景に政治権力を奪取することを目ざし、武装闘争をやろうということで軍事組織を建設しようとしたことに始まります。

既成の政治への疑問


 軍事組織をつくるとき、まず最初に困ったのは、それまでの政治運動のなかで、軍をどうするか、といったことは完全に欠落していたんですね。欠落していたものを必要にせまられてつくるわけですから、この訳のわからないものをどのように指導すればよいか、ということになると過去の歴史上の経験をさぐることしかなかったんです。
 50年の日本共産党の火炎瓶闘争のこととか、レーニン、トロツキーも軍事について色々書いていたし、毛沢東の軍事論文なんかを必死でさがして、必死に読んでそこから何かつかみとって、自分たちの運動に役立てようとしました。
 そういう意味で、60年闘争以来の私たち新左翼の政治について、軍事の問題が欠落していたことがはっきりしたことが第一の批判点でした。
 もう一つは党の問題でして、その党にとって非合法組織の経験がなかった、ということです。武装闘争をやるということは、軍事組織をつくるわけですから、当然それを指導する党は非合法組織になります。
 非合法組織をつくるということはどういうことだったか、ということを体験的に言いますと、その組織なり軍事組織の成員がいわゆる職業革命家になるんですね。これは党費でメシを喰っている、という意味ではなくて、24時間革命運動にささげる職業革命家としてあらわれてしまったんですね。ところが従来のブントの組織は大衆運動の指導部が党派として自己を形成しているということでしたから、党派がそれとは独自に人を喰わすような、あるいは党派の独自の運動をやる領域をつくる、といったことは全然なかったんです。
 そういうことで、第二の批判点として、既成の政治では、非合法の職業革命家の組織を維持することができないことが明らかとなりました。
 このような従来のブントの政治の欠落部分が、実際に非合法の軍事組織をつくるなかでどのようにあつかわれたかと言いますと、共産主義論争という形をとりました。われわれは共産主義をめざして運動をやっているが、一体共産主義運動とは何だろうか、それから目ざすべき共産主義社会とはどんな社会だろうか、こんなことが議論になりましたが、実はこんなことは当時は全然わかっていなかったんですね。今でもわかっていないことがありますが、69年から70年にこういう議論がなされまして、われわれは何もわかっていなかった、ということを自覚させられました。
 つまり運動の到達目標についてはっきりしていなかったというのが第三の批判点で、それまでは今までの政治について何も疑わずにやってきたんですが、この時点でやはり非常に疑ってみるべきではないか、他党派も含め、われわれは何もわかっていなかったんではないか、と思い到ったことが記憶に残っています。

新たな非合法党の限界


 運動というものの常ですが、党派が準備できていなくとも運動は起こり、そして、それが党派にも影響を与えていきます。私たちは十分な準備はなかったですが、ともかく非合法軍事組織をつくり、試行錯誤を重ねつつも非合法党と軍事路線についての綱領的な立場をまとめることができました。それは軍事組織は政治軍隊でなければならず、党の指導部である政治局は軍事委員会として機能しなければならない、というもので、他方革命戦争の戦術は遊撃戦とする、というものでした。
 ところがこの新たな非合法党にも限界がありました。その限界についてわれわれは浅間山荘での連合赤軍の敗北に学ぶことで次第に明らかにしてきました。その基本的な政治内容は、軍をもって戦争すれば、小なりといえどもその党派は国家を形成しているのではないか、というものです。連合赤軍はあの時点で、いわゆる人民は一人もいなかったかも知れませんが国家になっていたんですね。
 国家になってしまえば、国を統治する法律なり行政なりが必要で、それは党派が党員に対して要求する規律なり、規約とは全然内容がちがうわけです。この自覚がなかった、ということが連合赤軍の敗北から学ぶべき大きな政治問題だと思ってまして、実際はプロレタリアート独裁の小さな国家になっているのに、そこで起きた紛争を国家機関として処理するんじゃなくて党規律で処理していたという誤りがあったと思っています。
 何が誤りかと言うと、党は綱領と規約を認めた人々の組織ですが、国家の場合、人民のなかには政府に対する反対派も含まれるわけです。毛沢東は人民内部の矛盾の処理として国家の統治について考えましたが、連合赤軍の場合このような考え方を具体化できず、党派に対する反対派を人民として処遇することができなかったんですね。
 どうすればうまくいったか、といった議論をしても仕方ありませんが、この問題は根本的にはプロレタリアート独裁の国家がどのような政治をすべきか、ということがわかっていない、ということで、これは当時の全ての左翼の限界でもあったんですね。実際、プロレタリアートの独裁を樹立しようというところまでは色々な路線があるんですが、それが出来た段階で一体何をするか、ということに関しては、日本共産党も含め、どこも何も明らかにできていない、という現実がありました。
 ソ連なり中国なりに対する批判はやっていましたが、自分たちが権力をとったとき一体何をするか、ということについての独自の内容はなかった、ということで、これは単に連合赤軍がどうのこうのというよりも、左翼全体の限界と見ておいた方がよいと思います。
 われわれはいわば二番手でやっていて、連合赤軍を横目で見ながらその誤りはくり返さない、ということでやってこれたので、この限界に対しては、あらゆる事態に対して用意のある党をつくる、という一点でがんばってきたわけです。

政治の再生の第1歩


 後知恵も含めた総括になりますが、実際に軍をつくって戦争を開始したとき、その目的はプロレタリアート独裁の樹立ということなんですが、しかし軍を組織した段階で国家になっていたとしたら、内部ではプロレタリアート独裁の政治を実施する必要があったわけですね。一方でまだ全国的な権力になっていませんから、プロレタリアート独裁を樹立しようという方向性は必要ですが、同時に小さな国家になっているわけですから国家を統治する政治を行うことが問われていたのです。
 ここまで解明していくと、プロレタリアート独裁が全国的には実現していないにもかかわらず、プロレタリアート独裁期の政治を実現しなければならない、というジレンマにつき当たります。しかしプロレタリアート独裁が存在しないのにプロレタリアート独裁期の政治の可能性がある、というテーゼを政治の再生のキーワードとすると、事態は様相を変えて見えます。
 日本でもアメリカでもプロレタリアート独裁にはなっていませんが、しかしながらこのような国でも、プロレタリアート独裁期の政治、つまりは文化革命がやれるんではないか。こう考えると、実は、日本でもアメリカでも実際に進行している運動がこのレベルの運動だということがわかってきました。これを新しい事態と捉えて、党は何をなすべきか、という課題として問題は提起されているのではないでしょうか。

政治の再生の条件


 以降80年代に入っても、共産主義論争の継続ということは私にとって重い課題でした。70年に実際共産主義運動とは何か、共産主義社会とは何か、という問をつきつけられ、一応何か書きましたけれども本当の解答にはなっていない。これを明らかにしない限りどうしようもない、ということでずっと考えてきました。
 解決の視点だけは当時から明確でした。共産主義とは端的に言って資本家的商品経済の否定ですから、商品、貨幣、資本をどうしたらなくせるか、ということを明らかにしなければならなかったのです。この線にそって資本主義批判だとか、賃金奴隷制だとか、経済的隷属からの解放だとか、色々言ってきましたが、商品の価値形態についてはずっとわからないままで、自分でも課題は未決だと自覚していました。
 この課題に対して一応の解決が出来たと考え、ベルリンの壁が破られる直前の88年12月に、「緊急の課題」という文書にまとめました。その文書では主張を三つのテーゼにまとめました。まず、自分たちも含め、既成の党派の政治は最小限綱領レベルの要求で大衆運動を組織することを土台にしていました。ところが今日の大衆運動はそのほとんどが最小限綱領(つまり民主主義的要求)でなくて最大限綱領(社会変革の要求)レベルの要求で自己を組織していることがわかりました。というのも、今日の運動は、現存の社会システムを変えなければどうしようもない、ということを直感し、そのうえにたって色々な運動をしているという現実があります。運動がこのように変化しているとき、最小限綱領レベルの要求で大衆運動を組織しようという発想で政治を打っても何もひっかかってこない。
 結局そういう旧い政治は、誰か主張する人がおれば政治党派としては残りますが、しかしずっと活動を続けていっても全然影響力をもてない、ということになります。それで発想を転換して、むしろ最大限綱領レベルの要求で運動が起こっていることを認めたうえで、その種の運動は一体どのような発展法則をもっているかをはっきりさせて、そのうえで政治的な提案なり仕掛けをする、という形にもっていかないとダメではないか、それが政治の再生の一つのやり方なんだ、という提案をしました。
 これはワラ半紙1枚に入ってしまう短いもので、私は色々な集まりで、直接ブント系の人々に配布しました。でも反響が何も入ってこなかったので、もう放っておきました。

もう一つの社会革命の戦術


 政治権力を奪取してからしか社会革命はできない、という強固な見解がありました。過去形でいうのは、今日ではこれはおかしいと考えて政治権力奪取一元論を批判する人がどんどん増えてきたからです。ところでこの見解がおかしいというのはいいのですが、そのとき必ずもう一つの社会革命の戦術を対置しないと無責任になるし、どうしようもないと思います。政治権力奪取一元論のどこがおかしいか、ということを色々言ってみたところでそれだけではダメで、それとは別のやり方があるという形で対案を出さない限り何も言ったことになりません。
 一元論がどこに依拠しているかというと、資本家階級を収奪することによってしか資本主義はなくせず、そして収奪するためには国家権力を奪取して、プロレタリアートの独裁を実施しなければならない、という思想です。そして、資本家階級を収奪したあとで、商品と貨幣をなくしていこうというわけです。
 たしかにこのコースはソ連でも中国でもなされたことで具体的経験もあり、わかりやすいものです。しかし今日の社会を注意して見ていますと、もう一つのコースが見えてきます。それは労働者が誰も資本家の工場の働きに行かない、という形の革命戦術です。妄想だと馬鹿にしないできちんと考えてみて下さい。例えばトヨタなり日産なりで工場の門をあけても誰も入ってこない。ストライキやサボタージュのことではありません。これは抵抗闘争ですから、やがてまた労働者は工場へ帰ってきますが、そういうことではなくて、トヨタや日産の労働者が別の働き場所をみつけて、そこでメシが喰える、ということになって、もう資本家の工場に行く必要がなくなって誰も行かない。こうなると資本が資本として機能しなくなります。
 資本家の下に働きに行かないという人たちが増えていって、しかもその人たちが別の形でちゃんと喰えている、ということが起これば、もう一つの社会革命の戦術はそこに成立しているんではないか。多分、協同組合の可能性や役割といったことが見えてくるということは、こういう領域で政治を考えた場合だと思います。
 政治の再生ということも、ここにかかっていて、資本家階級の収奪なしには社会革命は起こりえないということを疑うことなく、でも政治権力奪取一元論はどうも、と言っているだけでは中途半端でして、資本家階級の収奪ということとは別の戦術がありうる、ということで政治の視野を拡げてみないことには何も見えてこない。

モンドラゴン協同組合群に学ぶ


 この考えはある日突然浮かんできた、ということではなくて、生活クラブのワーカーズ・コレクティブや、事業団の労働者生産協同組合の運動なんかを、社会変革という視点からどのように位置づけられるか、ということを色々考えているなかで、こういうことがわかってきました。ところが運動のなかからは、もう一つの働き方をつくる、とか、既成の社会に対して対抗社会をつくる、といった主張はなされていますが、それを社会革命の戦術から位置づけているかといえばなかなかそこまでいっていない、というのが現実でした。それで、私が考えたような構想を戦術として提起している運動体は他にないだろうか、ということで色々調べているうちに、それが実はあったんですね。モンドラゴンの運動のなかにその戦術がありました。
 モンドラゴン協同組合群が急速に発展していきましたが、それは日本の農協や生協とちがって、労働者の生産協同組合であるということが特徴でした。この労働者生産協同組合でモンドラゴンの規模にまで大きくなったのは世界ではじめての経験で、多くの人々から注目されています。この協同組合の歴史は比較的新しく、1953年頃から準備が始まり、70年代に急成長してスペイン有数の弱電メーカーに成長したのでした。
 この労働者生産協同組合が成長したその秘密はどこにあるか、ということで調べてみました。出発当初から指導者としてかかわってきたアリスメンディアリエタ神父が「資本家企業との競争に負けないだけの投資を実現するために団結する必要がある」という言葉を述べているんですね。これを読んだとき、ああ、これだ!と思いました。団結にも色々あって、資本家の国家と闘争するために政治的に団結するとか、あるいは雇主と闘争するために経済的に団結するとか色々ありますが、この言葉を読んだときに、これは社会革命のためのもう一つの戦術として成立していると思いました。
 労働者生産協同組合はたくさんありますが、何故大きくなれなかったかというと、その原因はもうけた分はわけてしまっていたんですね。投資をしていない。資本家の方はもうけた分を労働者には還元しませんから、どんどん投資にまわします。それで、労働者生産協同組合がどんないい仕事場をつくれていても、投資をしないものですから負けてしまいます。アリスメンディアリエタが、もうけた分を分けずにそれを投資し、かつ一般企業に負けないだけの競争力を実現するというところに団結がある、と言ったことの意義は非常に大きいと思いました。
 この新しい戦術を土台にしてもう一つの社会変革ということを考えていきますと、プロレタリアート独裁でなくとも、今日ではプロレタリアート独裁期の政治である文化革命が実現できる、という結論が導かれてきます。

政治の基準に文化をおく


 いままでのところで、政治の再生というところにたどりついた私の個人的経験をまじえた思考の経過を述べました。このあと政治の再生についての積極的提案を行います。
 政治の基準を文化におく、これが政治を再生するに当たってのキーワードですね。あるいは文化を基準とした政治。従来の左翼の政治の概念には総てを統率する、ということで、文化運動も含め政治が総てを従えてきました。毛沢東の場合は政治が軍事を統率するという意味で言っているんですが、要するに政治が要であり、最高である、という発想でした。
 そういうことで中国の文化大革命も政治権力あるいは党組織でもって発動したのですね。ところがどこで行きづまったかといいますと、政治では文化は創れなかったんですね。いくらがんばっても文化を創れなかった、それで失敗したんです。
 政治の基準を文化におくと言う場合、今度は基準におかれるべき文化とはどういうものか、ということですが、とりあえず対抗文化というふうに言うしかありません。これは支配的文化をどう捉えるか、ということでその内容が決まってきます。ところが文化は感性的なもので、論理で計れるようなものではないんですね。でも今日の支配的な文化のルーツ(根)にある論理というのは商品の論理だと思います。そうすると支配的文化のルーツになっている商品の論理をまず押さえて、対抗文化というのは、その論理となんらかの形で対抗していることを通して成立している文化ではないかと見るわけです。
 商品を媒介にした人間の社会性とは物象的依存関係に支えられた人格的独立ということで、これは商品の論理に根ざしているんですね。いまの人たちは人格的には完全に独立していると思っていて、お金さえあれば生きていけるということで他人に依存してはいないと思っているんですが、実はお金自体が一つの依存関係なんですね。人格的ではないが物象的依存関係なんですね。ですからお金がなければ逆に生きられないし、独立がない、ということです。それで物象的依存関係というところに商品の論理がひそんでいると思うのです。

支配的文化のルーツ


 そこで価値形態の話になるんですが、2時間はかかる話を1分間にちぢめてしまいます。ポイントを言いますと、商品とか貨幣とか資本を単なる物ではなく物象という場合、それはその存在そのものが概念的存在である、ということです。概念的存在ということの意味ですが、それは人がこれらの物に自分の意志を宿すことができる、ということです。人がある判断、こういう時にはこうであるという判断をするとき、もちろん自分の頭で考えて自分で判断するわけですが、商品、貨幣、資本が登場してきますと、その判断を人は相手にあずけているんですね。自分の意志を相手にあずけている。もちろん自分の頭は使っているんですが、その判断の内容が相手によって規制されている、そういう関係なんですね。この関係が支配的文化のルーツにあり、ブルジョア文化の特性を形づくっていると思います。
 もちろんこういうことに気付いている人はいまして、マルクスは人格の物象化、物象の人格化といっています。この物象化とは物象による人格の意志支配と私は見ていまして、廣松 渉さんの物象化論とは全然ちがうんです。あるいはハイエクなんかも市場には非人格的な力がそなわっていると言っています。ハイエクの場合これを良い方に解釈していまして、自分の個別的利益を徹底して追求することが自ずから社会の資源配分をバランスさせるという考えで、そのときに自分自身のことしか考えなくてやっていても市場に非人格的な力がそなわっているのでうまくいく。ハイエクは良い方に解釈しますがこれを良くない方に解釈するのが対抗文化の立場だと思います。
 一時期はやりました絶対自由主義とか無政府資本主義とかいうのはハイエクの考え方ですね。それはもう国家とか公共とかは一切必要なくて市場だけでいい、そして皆が自分の利益だけを単純に追求して行動すれば市場の働きによって結局うまく行く、変に規制するからダメなんだという考え方、これはブルジョア思想の一つの典型です。しかし現実にはそんなにうまく行きませんから、さまざまなバリエーションが生まれてきて、ケインズ主義であるとか、社会改良主義であるとか、経済民主主義といった色々な考え方が生まれています。

対抗文化のルーツ


 では対抗文化のルーツは何か、ということですが、結局文化というものはルーツをもたないと文化にならないという問題があると思うのです。政治で文化はつくれないと言いましたがやはり政治は文化のルーツにはなれません。
 対抗文化論のなかで言われていることですが、例えば花崎皐平さんでしたら、ブルジョア社会になる前の文化にかえる、あるいはそれに学んで何とかしよう、というように問題を立てるのですが、それもやはりルーツにはならない。そういう考え方はどちらかといえば政治になってしまいます。
 やはり対抗文化のルーツというものは、今日の社会の中に根づいている生産様式のなかにさがすしかないのです。いくつかありまして、日本有機農業研究会がかかげているのが脱商品化論で、これは自分らがつくり、仲間と分けあっている食べ物は商品にしないということです。

脱商品化と脱物象化のちがい


 脱商品化論が出てきましたので、私の主張する脱物象化論とのちがいを明らかにしておきましょう。脱商品化論というのは、社会革命によって商品をなくそう、社会主義になったら商品はなくなる、という考え方で一般的ですよね。皆だいたいそう思っていたのです。それで今日、小さなエリアでも商品をなくし、社会主義を実現しようという試みが現代の脱商品化論です。
 ところが商品というものはなかなかなくせないんですね。商品から貨幣が生まれるのは、商品所有者たちが契約してこれを貨幣にすると決めたのではなくて、自分たちが諸商品に意志支配されて共同行為をしているわけです。この共同行為は自分たちの意志に発していないし、しかも他人の命令でもありません。相手はモノですから。モノに命令された場合人間は支配されているとは感じないですね。他人に命令された場合は支配されていると思いますがモノに命令された場合はそうではない。モノに意志を支配されて共同行為をしている結果貨幣が生まれるわけですから、これは無意識のうちでの本能的共同行為となり、人間は自分が意識的に行動しているとは思わない。モノが自然に上から落ちてきて当たった場合、けしからんと怒る人はいませんね。商品、貨幣の成立はそういう自然過程としか考えていないわけですから、そういう存在である商品とか貨幣を政治権力をとりプロレタリアートの独裁を実施し法律や命令をつくってみたところでなくせないんですね。

脱物象化のイメージ


 それで脱商品化は無理だと考え、代わりに脱物象化と言っています。それは商品そのものをなくす、ということではなくて、商品が持っている人の意志を支配する力をそいでいくというか弱めていく、そういうことならできる。商品というのも一つのコミュニケーションですから、商品のまわりに脱物象化を狙った様々なコミュニケーションをその横に配線していくわけです。社会的にそういうコミュニケーションがはりめぐらされたとき、ひょっとして商品なしでもやっていけるかも知れない、というそういうところまでコミュニケーションが社会化される、というイメージで脱物象化ということを構想しています。
 そういう意味で対抗文化のルーツとなりうるのは「もう一つの働き方」と多様なコミュニケーション、そしてこのコミュニケーションのなかには生協の産直といった運動も当然入っています。

価値観の多様性と政治


 次に価値観の多様性と政治というテーマに移ります。文化を基準にした政治ということを何故提起したかというと、政治には本質というものがあるんですね。政治の本質は他人の意志を領有することでして、説得によるか強制によるかでちがいがありますが、基本的に他人を自分の意志に従わせるという点では同じです。そういうことですから、どうしても一元的な価値観の追求へといってしまいます。ところが多元的な価値がないと文化創造はできないんですね。それで政治が一元的価値観の追求に向かえないように規制する、そういう役割を文化に求めようということが平たく言って政治の基準に文化をおく、ということの意味なんです。
 他方多元的価値だけでは文化になりませんから、それが文化になるような装置がいるだろう、システムが必要だろう。それが従来の生活様式とは別の新しい生産様式であって、それがどんなに小さくとも対抗文化のルーツになれるのではないか。逆にいうと日本有機農業研究会の産消提携運動や生協の開発した産直運動やワーカーズ・コレクティブは微弱なものですけれどもそれが文化を発信できるんですね。
 どんな小さなものでも別の生産様式をつくると文化を発信できる。そんな感じで対抗文化というものを捉えて、そのルーツとそれをどう発展させられるかが問題でしょう。色々な価値観をもった人々が一つのシステムで結びつけられているというところがミソでして、そのシステムは新しい生産様式だ、ということですね。そのときに多元的価値観を認めない、という形で政治が機能してきますともうめちゃくちゃになってしまいます。という意味で文化を基準にした政治が問われているんですね。

対抗文化の現状


 再生された政治の基準となっている対抗文化のルーツとはどんなものでしょうか。羅列してみましょう。
 ひとつは市場外流通、いわゆる産直ですね。ふたつめは「もう一つの働き方」で日本ではワーカーズ・コレクティブといっていますがその他協同組合的な働き方です。みっつめに生命系のエコノミーという考え方があります。これには色々な考え方があって、まだこれといった定式化はなされていませんが、何となくわかるのは工業社会になじまない領域ですね。いのちというのは工業社会になじみませんから、いのちをはぐくむそういう一つの世界なり経済なりが比較的対抗文化のルーツになりやすいのです。実は市場外流通もワーカーズ・コレクティブも生命系のエコノミーの分野なんですね。
 これらのルーツが出来てきますと、経済価値が相対化されてきます。経済価値という場合、商品の価値ですけど、何となくテレビのコマーシャルで商品を買ってみたり、あるいは商品にこうしろと命じられたらハイハイと言って従っているようなライフスタイルはおかしいんじゃないか、ということで相対化されてきます。
 新しい経済システムをつくっていく場合に経済競争という点で株式会社よりも不利だということがあります。ところが、価値観が相対化されることで、経済的価値以外の価値が出てきています。
 例えば河野直践さんは倫理的価値の重要さを説き、もともと協同組合が倫理的価値の実現という点では他の企業形態よりも優越していながら、経済価値が重視される時代には株式会社をはじめとする営利企業に後れをとらざるを得なかったが、産業社会がゆきづまり、経済価値の一元的支配がゆらいでいる今日、協同組合の優位性が新たに見られるようになったと主張しています。
 ですから経済価値が相対化されてきている、ということの意味は世の中全体が経済価値では一元的に支配できないようになってきているということです。例えば生命系のエコノミーの中味である食べること、子供を育てること、年をとって面倒を見てもらうこと、といった領域が出てきたとき、これらは全体としては営利事業になじみませんね。いわゆる高齢化社会になったとき、経済価値の一元的支配はできなくなるんですね。経済価値で支配できない領域がどんどん出てくるという風になったとき、本来社会にとって必要な生き方なり企業の存在様式が見えてきます。そういうことを通してお金の問題ではない、ということで新しい生産様式がひろがっていくということがあるわけです。そういったことを脱物象化の経済システムの形成として見ようということです。

協同組合社会への同時ゴールイン


 最後に協同組合社会への同時ゴールインということについてです。普通対抗社会のイメージとは何か、ということになりますと協同組合社会ですというこたえが最も有力なものですね。しかしそのとき何故説得力がないかと言えば、今の農協や日生協傘下の巨大生協が次の社会を担える存在には見えない、ということがあるからですね。農協が発展していって次の社会を担えるかといったらとてもそういう存在ではない、という現実があるわけですね。協同組合社会という場合、いまの協同組合がそのまま大きくなっていって、あるいは第3セクターでもいいのですが、それが大きくなって実現される、ということではなくて、株式会社とか国も軌道修正をせまられる。もちろん既成の協同組合も軌道修正をせまられる、そして新しい質の協同組合に生まれ代わっていく、といっても生まれ代わるのは協同組合だけで、株式会社や国は脱皮していくということになりますが、このような社会変動をへて同時ゴールインというイメージでものを考えられないか、と思っています。そういう時にはたして政治はどういう役割を果たせるんだろうか、ということで最後の結論として「智恵としての政治」ということを再生された政治の内容として提案しまして、私の問題提起といたします。
政治とはシステムでは?

 問―あなたの提起だと運動は社会の外に出てしまうのではないか。また、モンドラゴンの場合は内に入っていって同化されるのではないか。政治という場合例えば民主主義といったシステムを考えている。智恵としての政治というがシステムとしてはどうなるのか。

 答―三つの問題提起がなされましたが、対抗文化だけでは社会の外に出てしまうのではないかという点については、国とか大企業とかも行き詰まっていて今のままではやっていけないということとの関係に注目しています。というのも国とか大企業からは積極的なものがつくれるわけではなく、むしろ対抗文化のルーツになるようなものが積極的なものをつくっていったとき、それが国とか大企業に伝染していく、そんなイメージを考えています。
 モンドラゴンが同化されてしまうのではないか、という点についてはECが出来たときにヨーロッパへの輸出が相当ふえていったこととか、また北京なんかにも工場をつくって、多国籍企業化していっているといったことが心配の種になっているわけですが、他方で社会的経済という構想のなかでモンドラゴンがモデルの一つとされている点も見ておくべきだと思います。
 いわゆる協同組合セクター論という理論があり、それは国や大企業と並んで協同組合セクターが成長することによって、社会をよりましなものにできる、という考え方ですが、それとはちがって社会的経済という構想は、国や大企業がカバーできない領域で社会的に必要な事業の分野がありますが、それを地域的単位でワーカーズ・コレクティブをつくることによって事業化していって、地域で一つの経済圏をつくるというもので、この点からすれば同化されているということにはなりません。
 最後に政治の捉え方ですが、私の場合システムのことは全然考慮していません。政治運動とか政治思想の問題として政治を捉えています。政治システムという場合制度論になりますが、政治の再生を考えていく場合そういう領域での議論にはあまり意味がないと思います。というのも、そこではどういう政治システムをつくればうまくいくか、という論議になってしまいますが、そうではなく、どんな政治システムの下でもうまく対応できる政治思想があるのではないかと思います。政治という場合、普通は力とカネを背景にした政治技術を念頭においてしまいますが、地域づくりを考えていくと力とかカネとかではない、本当に智恵を働かせるという領域で政治の働きが期待されていると思います。

人格的自由とは何か


 問―対抗的な政治戦略の基準に文化戦略をおいたことは重要で新しい問題提起だと思う。文化の基本には人間の人格的自由あるいは人間自身がもっている潜在的創造性があります。お話では物象的依存関係に支えられた人格的自由の問題が出されましたが、この市場関係に媒介された場合の自由は実は人格の孤立であり孤独であり、ひいては人格の崩壊をもたらすものです。
 この人格の孤立性を人格の自由と創造性に高めていくためにはシステムのことを考える必要があると思います。少なくとも人格的独立性を担保する小さな社会的制度をつくる、それと文化との相応関係で社会変革の見通しを立てるべきです。
 例えばアメリカのNPOは社会制度上の保障があり、そのもとに文化が発展していく。そして文化が発展すればまた新たな制度を勝ちとっていく、といった関係のなかで、急に商品、貨幣関係を廃止するという宙に浮いた話ではなくて、こういう風な課題をひとつひとつつみ重ねながら智恵を発揮して、そのレベルレベルで商品、貨幣関係のもっている問題を克服する、あるいは理論展開を新しい社会制度をつくるなかでみがきあげていく、そういう論理展開がイメージとして必要ではないかと思います。

民主主義と協同


 答―人格的自由という場合政治的権利の問題があります。世の中一般では自由という場合、人権という発想になりまして、―あなたが全然そうではない、ということはよくわかったのですが、―人格的自由であるとか民主主義も制度として考えられています。ところで商品がもっている物象的依存関係によりかかった人格的独立ということと政治的権利としての自由とシステムとしての民主主義がセットになっていると私は考えています。このセットであることを考慮せずに、徹底した民主主義とか徹底した自由であるとかを要求しても無理なんです。
 あなたがおっしゃったのは人間が本源的な共同社会をつくったときの自由を念頭におかれているのだと理解したのですが、そういう自由という問題は、私は民主主義に対置して協同思想とおいているのです。協同思想については何もしゃべらなかったので欠落部分なんですが、協同と民主主義のちがいについて説明して、補足します。
 協同組合とかかわっていますと協同組合の原則に民主主義をおくというのがあって、私はこれにずっとひっかかってきました。どうも民主主義と協同とはちがうんではないかと思ってこの考えになじめなかったのです。民主主義というのはやはり個を守る論理なんですね。個人があって、その個人の独立を守る、個人の自由を守る、そしてそれを保障するシステム、とこうなっています。それに対して協同というのは個々人が一緒に何かやる、何かやるための論理なんですね。
 そこで個々人が集まって一緒に何かしようとしている協同組合が民主主義を原則とするのはどうもおかしい、と思いまして、そのようにすると協同ということの積極的側面をこわすんではないかとずっと考えてきました。たしかに協同組合も組織ですから組織である以上民主主義が必要だ、ということはわかりますし、意志決定のメカニズムとして民主主義をおく、というのはいいんです。でもそれは協同組合原則にはなれず、原則はやはり協同思想だと思うんです。
 協同思想といえば相互扶助、助け合いと言われていますが、そうではなくて協同社会での自由を保障するものにまで高めていく必要があると思っています。商品とか貨幣を一挙になくせないというときに、商品、貨幣が存在している現実のなかで協同の空間をどうつくっていけるか、そこで人格的自由が本当の意味でひらいていく、それは民主主義をこえた関係なんだろうなあ、ということまでは言えるんですが、それ以上のことはむつかしいですね。

プロレタリアート独裁期の政治とは


 問―中国やカンボジアなどのプロレタリアート独裁を見ていると、そこには新たな政治の萌芽はなかったと思います。政治を考えるときに本来の社会のイメージを描いてそれに向けて人を組織することが政治と言えるかどうか、現実にある政治問題をどうするかが重要だと思います。

 答―プロレタリアート独裁期のソ連や中国でなされた政治がいま実現可能だということではなく、私が言いたかったのは、彼らが失敗して彼らには出来なかった本当の意味でのプロレタリアート独裁期に必要な政治があり、それが今日現実のものとなっているということなんです。
 単純にいってもしモンドラゴンの実験がソ連なり、中国なりでやられていたら、もっとましな社会になっていただろうというのがあるんです。具体的に言いますと、ロシア革命は商品や貨幣をただちになくす、という考え方で革命をやりましたから、まず銀行を国有化したんですね。それも発券銀行にし、商業銀行の機能をつぶしてしまいました。協同組合がそれぞれ分権的に存在して、それが全国的なまとまりをもとうとすれば、商業銀行は不可欠ですね。商業銀行があって協同組合の独立性が保障されるわけですから。ネップのときにそのように感じて社会を組み立てていたら、ずい分いい社会になっていたと思います。
 商品、貨幣が政治とか法律とか独裁とかの意志行為ではなくせない、ということが明らかにされたことによって、ソ連や中国などのプロレタリアート独裁期の政治を批判し、否定することができました。そうなるとネップの意味がちがってきます。ネップはソ連で導入したときは、戦時共産主義が破綻してしまって、というのも農民から食料を徴発することでしか成り立たなかった戦時体制で、これは農民が反乱すれば終わらざるをえなかったのですが、そのときに商品経済を復活させるということで、ネップに移行したのです。しかし商品、貨幣をなくしたいという意図がありましたから、ネップへの移行は革命からの後退であるという意識がものすごく強かったんですね。もう一度前進しなければならないという意識にさいなまれていましたが、さすがにレーニンは文化革命をその時に提起し、それがルーツになって毛沢東も文化大革命を提起したのですね。
 ところがレーニンの場合、レーニンが提起した文化革命の内容は実施されなかったと見た方がいいでしょう。レーニンが提起した文化革命をきっちり実施できるようなものとしてネップを捉えかえしたとき、ネップは非常に長期なものとなると思います。
 ソ連-東欧の崩壊はネップに立ちかえったということで、世界的にもネップの段階でウロウロしているという風に見た方がいいと思います。そうするとネップをどう評価するか、ということはますます重要になります。商品、貨幣はすぐなくせないとすると、商品というものは人間の社会性で、人々の社会性を代表しているものが商品ですから、商品の社会性よりもすぐれた社会性を人間が意識的につくり出さない限り商品はなくせないんですね。商品の社会性を超えるような社会性を私たちがどうつくれるか、という風に考えることを脱物象化と言っているんですが、商品の社会性を超えるような社会性を私たちがつくれない限り、商品は君臨しているわけです。という風に考えると、ネップはやはり商品の社会性よりもよりよい人間の社会性を本当にどうつくれるかということを解決せずには終わらない。ということで長期の過程になると思ったんですね。プロレタリアート独裁のときの政治というものを私はそういう風に感じて捉えています。ネップの時代にそれが長期につづいて、人間の社会性が商品によって代表されている現在の社会から、商品の社会性を超えた社会性を人々がつくり出そうとしているときにどのような政治が必要だろうか、ということが政治の再生の発想の基本にあります。

Bもう一つの国家論


国家の役割をめぐって


 国家の役割ということについて考えてみましょう。
 国家の役割といいますと、もちろん階級支配の道具というマルクス主義の規定がありますが、60年代に入って構造改革派などが出てきて、どうもそれに一元化できないのではないか、ということになってきました。そして階級国家論とは別のところから多元的国家論が出てきて、これが今日では主流になっています。
 多元的国家論というのは社会を多くのプレッシャーグループから成るものと見なし、そしてその間の利害対立を調整するところに国家の役割を求めていますがこの立場は60年代に入ってますます肥大していった国家の理論的跡づけで、今日の政府の失敗や小さな政府が要求されている時代にはあまりそぐわないようです。
 色々な見解が出てきた要因としては、いわゆる公共領域を国家が担当しているわけで、このことをどう評価するかということがあり、この点について解明した国家論はまだ登場していないように思います。
 ところで今日の問題は、国家が公共領域については責任をもって処理しますと言えなくなっていることです。それは高齢化問題ひとつとっても明らかなように、国家にはもはや財政基盤がなくなっています。国家が公共領域について責任をもってやりますと言えなくなった時代において公共領域を誰が受けもつかが問題となっています。

市場の狭さ


 何故公共領域の問題が今日このような形で出てきたのでしょうか。現在の社会は市場社会で、そこでは人間の社会性が商品の社会性としてしか実現されないのですね。つまり人々が社会性をもつことができるのは、人々が商品を介して市場で結びつけられることによってなんですね。
 市場を構成しているのは、家計であり企業であり、国家です。国家も国民から税金を取り、それで物を買うときは市場で調達するわけです。市場にとっては家計も企業も国家も経済主体としては同じなんですね。ところが市場というのは人々の商品を介しての結びつきですから、商品になっていないものには関係のない世界です。ところが公共領域というのは実は商品化されていない領域なんですね。
 この領域は近代国家が成立する前は村の共同体がやっていたのですね。水利から始めてある種の裁判機能や兵隊を出すことまで共同体の仕事でした。近代国家が成立したとき、これらの仕事をみな取りあげたわけですね。ところが公共領域を全て国家が担当するということでトコトンまで行って、今度はそれが国家の手に負えなくなって、公共の機能を社会に返していく時代がやってきました。
 返していくときに市場に返そうとしてもどうしようもありません。市場はもともと公共領域のための組織ではありませんから、市場に返そうとすれば商品化する他はありません。老人福祉でしたらシルバー産業化する、ということで市場に返せますが、それはもちろん一部のお金持ちだけに通用するもので大多数の人々はこぼれ落ちてしまいます。
 国家がひき受けなければならなかったような領域は市場には乗らないという問題があります。じゃあ家計でやれるかといえば大家族制が解体している今日の個別家族ではとても荷えません。企業はどうかと言えば、バブルの時にはやったメセナももう出来なくなっているし、退職金も値切りだす、ということで何も期待できません。
 そうすると結局、市場、家計、企業、国家という従来の基本的な枠組みでは支えきれない領域がたくさん出てきて、これをどういう形で支えていくか、ということが今日の最大の問題で、国家にどのような役割を期待するか、ということもこの現実とのかかわりで考えていけば非常にわかりやすいと思います。

生活、労働と協同


 このような今日の事態を解明していくポイントは生活から見ていく、ということです。先ほど「個人原理を確立してそれから協同へ」という意見がありましたが、私はそれに一寸ひっかかっています。協同というのはどういう世界であるかといえば、生活と労働なんですね。生活とは労働のことで、この労働は内山 節だったら仕事と言いますが、賃労働ではない労働のことです。生活、労働というところで協同ということがあるわけで、その労働が賃労働だったらそこには協同はないんですね。もちろん生活の方でも賃労働をやっている限りは協同ではありません。
 例えば生活クラブ生協の女性たちがワーカーズ・コレクティブをつくって地域で福祉活動を事業として成立させようとしています。何故福祉かと言えば、最終的には自分たちも家計でではなく地域で面倒みてもらうわけだから、まず自分たちが地域で先に面倒をみるシステムをつくろう、ということなんです。面倒をみるといっても無償では続かないから、ちゃんと労働として有償でやっていこう、ただシルバー産業ほど高くはなく、金もうけを目的にはしない、ということで、いわゆるNPOをめざしていることになります。
 このようにしてできた事業体というものは、市場、家計、企業、国家といった枠組みからはずれた領域にあっていわゆる「もう一つの働き方」と彼女たちは言っているのですが、私はこれを労働を通じて協同を実現していく協同組合的な事業体と見ています。
 そこで「個人原理を確立してから協同へ」という言葉に何故ひっかかるかと言えば、個人原理も協同も関係のなかで同時に決まるのですね。個人原理を確立しないまま協同をつくれば変な協同しかつくれないし、個人原理を確立した人が協同をつくるとまた別の協同ができる。そうではなく協同の関係のなかで根づく個人原理というものがあるのではないでしょうか。逆に言えばどういう協同をつくるか、というところに入れ込んだ形で個人原理の問題を考えていく必要があり、個人原理から出発して協同へという風にはならないと思います。

もう一つの社会変革への歩み


 まずメシを喰っていかなければなりませんから労働しなければなりませんが、協同を求めるということは労働の形を求めることなんですね。それが協同を求める、ということで、ここまでくると「もう一つの社会変革」というところにまでいってしまいます。それについてはすでに別の報告(本誌第5巻2号)で述べていますので参照して下さい。
 そこに到る前の話ですが、私は『価値形態・物象化・物神性』で、マルクス主義の常識だった、政治権力を奪取することからしか社会革命は始まらない、という説に対する異論をたてたのです。どういう風に立てたかといいますと、社会革命ということは政治的には階級の廃止ということですが、経済的に言えば商品とか貨幣とか資本とかの廃止なんですね。ところが商品と貨幣は無意識のうちでの本能的共同行為で生み出されていて、それを政治とか、法律とか、命令とかの意識の領域で何とかすることはできません。ですから政治権力をとったからといって社会革命はできない、ということがはっきりしてしまいました。
 従来の説がダメだとしたら、どうすればいいのか、ということを考えて、ずい分悩みましたが、出てきた結論は簡単なものでした。資本主義をなくす、という点から考えますと政治権力を奪取して、プロレタリアートの独裁を打ち立て、資本家階級を収奪することから社会革命を始める、という一つのコースが現実に実現されたし、いまでも選択肢としてあることはありますが、もう一つの方法として、誰もが資本家の工場に働きにいかない、というやり方があるわけです。トヨタにも日産にも誰も人がこず、皆別のところで働いている。「もう一つの働き方」とはそういう意味なんです。要は資本家的企業に働きに行くということに対して価値を見出さない、ということで、そういう人々が増え、別の働き方が増えていくことを通して社会全体が大きく変動していく、という形での社会変革も可能ではないか、ということを考えたのでした。
 この考え方が構造改革派とどうちがうか、という質問をよく受けるのですが、構造改革派が提起したのは民主的改良なんですね。民主主義から社会主義へというコースでしたが、それに対し、この考え方は働き方を選択するということを通じて社会の中の多数派がもう一つの働き方を実現していくことを通して資本自体を衰弱させていく、というように設定している点で構造改革派とはちがいます。また、ベルンシュタインなどの経済民主主義の思想は既成の企業のシステムを前提にし、そこでの労働者の経営参加を展望していますが、それとも異なっています。
 この考え自体は面白いのですが、ある意味では妄想と言われても仕方ないんですが、歴史的経験の上に位置づけないとただの放言にしかなりません。それでまた色々考えて見ました。

政治的無方針期としてのネップ


 プロレタリアート独裁でもないのに国家が死滅していっているという先ほどの議論が一つの傍証なんですね。結局ロシア革命が起きたことが世界にすごく大きな影響を与えていて、資本主義自体が生き延びるために色々なことをやってきました。その中心は資本の社会性をどんどん拡大していくことでした。株式会社が企業の主流になったのもそうですし、金本位制が廃止されて管理通貨制になったのもそうですが、どんどんシステムを社会化していくことを通して、労働運動がこれを打倒しようといくらがんばっても、風船がふくらむように資本のカベは破れない、というかたちになっています。
 連帯のワレサが権力をとったとき、これはトロツキーが予測していた補足的政治革命が非常に遅れて実現したと見るしかなく、あの権力はプロレタリアート独裁の復活としか言いようがなかったのですが、その時連帯は社会革命の方針を全然出せませんでした。市場経済化という方向はありましたが、市場経済化したところでもともと連帯がかかげていたプロレタリアートの解放にはならないことはわかっていたことです。そして、社会革命のための現実的な方策を出せず、何をしたらよいかわからないまま立ち往生し、結局はもとの共産党が名前をかえた社会民主党が権力に復帰してしまいました。といっても、今日の社会民主党はかつてのスターリン主義的統一労働者党(共産党)とは別のものになっていますが。
 でもネップというのは、このように社会革命のための政治方針が出せない時代ではないでしょうか。ネップの時期に何をやらねばならないかというと、人々の無意識のうちでの本能的共同行為にもとづいて商品や貨幣があるところでそれをなくして共産主義をつくるんだといっても方針にはなりません。商品がつくり出している人間の社会性、それは市場、家計、企業、国家という枠組みのなかで公共領域を国家が組織してきたという形ですが、これは一寸もう人間として、この枠組みではダメなんじゃないか、ということが環境問題や高齢化問題ではっきりしてきました。人間の社会性はもうちょっとましなものではないかという意見や運動が出てきて、そしてその運動は「もう一つの働き方」というか、労働の形を選択して協同労働を実現するというところに価値を求めてきました。産直をやるということもそういうことなんですね。単に流通をやっているということではなくて労働を選び働き方を選んでいるわけですから。
 このような運動が出てくることで二つの意見がおこっています。一つはこれで市場がなくなり、共産主義になる、というもので、もう一つはこれで市場がよりましなものになる、というものです。私はいまのところ、どちらでもいいと思っています。
 とにかく国家が放り出した公共領域をどうするかというところに商品の社会性をこえた人間の新たな社会性をつくる、という問題が含まれていまして、これがきっちり出来ていけば本能的共同行為をする条件がなくなる、という形をつうじて商品や貨幣がなくなる、という風に問題を立てたときの運動、それは文化運動というしかないですね。だからネップのときにやらねばならないのは文化革命だといったレーニンは正しかったし、レーニンの提起はこのような形で発展させられるのです。

国家の機能を社会にとりもどす


 ロシアや東ヨーロッパがネップに復帰したため文化革命の条件がある、というのはいいと思いますが、では日本やアメリカでプロレタリアート独裁でもないのに国家が死滅しそうになっていて、ここでも文化革命が可能となっているのではないか、という話で歴史的経験の整合性はつきました。
 ところがネップとかプロレタリアート独裁とかを知らない人々には何もわかってもらえない、という問題をどうするか、ということで、働き方を選ぶことを通して商品の社会性を凌駕する人間の新たな社会性をつくっていく、という運動がでてきている、ということで考えていけるんではないかと思います。
 先ほど意見として出ていた市民運動が国政に関心がない、ということは、国家を公共領域の組織者としてしか見ていない、ということなんですね。逆に言えば国家が何とかしてくれる、という発想を今の運動はもっているのです。60年代の運動は国家はけしからん、ということで打倒の対象でしたが、いまの運動は国家が何とかしてくれるんではないか、何かをして当たり前という考え方があって私はそれはそれでいいと思っています。
 もし、運動の中心が人々がどういう働き方を選ぶかというところにあって、国家が放り出した領域をどんどん事業として組織してメシを喰い、そこで一つのパワーを蓄積していると考えれば、その運動に国家から補助金を引き出すことは別に構わない。国家から補助金を引き出したからその運動が変質して体制側になる、といった議論がありますが、死滅しつつある国家なんですからどんどん引き出して引き倒してしまえ、という意見も成立しうるんですね。もっとも補助金はあくまでも事業の経済的自立のためのものであって、いつまでも補助金にたよっていてはどうしようもありませんが。
 協同ということが生活ということで生活というのは労働ということだと考え、協同はどういう労働をするかという問題だとおさえて、新しい労働の形を選択して事業化しようとする運動が出てきていると考えたときに、地域における公共領域をそういう新しい動きが事業として成立させていく、ということは、国家がやってきたことを社会が取りもどすという事態が進行しているということです。こうならないと国家は死滅していかないわけで、結局地方行政という意味での国家に最後に何が残るかといえば印鑑証明を出すこと位で、いま国家がやっている事業は民間のNPOがやってしまっている、そういう状態が現実におこるような事態になっているんではないかと思います。

ノーメンクラツーラ支配のゆらぎ


 問―いまの協同組合に可能性はあるか。

 答―今日の協同組合は一部の例外を除き、基本的にノーメンクラツーラ支配だと思います。ノーメンクラツーラ支配という言葉はソ連に階級があるかないか、という論議があって、ヴォスレンスキーがノーメンクラツーラ支配だと主張しました。その概念を借りています。
 資本主義の諸国は官僚支配なんですね。もちろん資本家階級による階級支配もあるんですが、その支配を維持するためにはウェーバーが分析したように官僚制を採用した国家が必要なんですね。ノーメンクラツーラとは資本主義国の官僚制とはちがう赤い官僚制で、党と国家の貴族的な官僚制です。ソ連の場合は支配階級ですが、ところがソ連の支配構造は実は資本主義諸国の反体制運動のなかにもち込まれているんですね。共産党や農協も含めて。組合員主権というように生協の場合言いますけど多くの巨大生協では現実には組合員主権はなくて、一部の専従集団によるノーメンクラツーラ支配なんです。ですから今のままで何か積極的なことができるという期待はもてません。
 ただソ連でノーメンクラツーラ制が崩壊して何年かたって、日本のノーメンクラツーラ支配もゆらいできています。日本でも地滑り的なヘゲモニーの交代がおこりうると思います。
 日本の巨大生協は、はっきり言ってこれ以上数をふやす必要はないんです。ところが日生協指導部は店舗展開をしてまだまだ増やそうとしています。それでかえって傷口を広げているのです。オカネという意味での資本に隷属している経営になってしまっているのです。そうではなくて、現有の勢力で社会的に必要で意義のあることで何が出来るかというように発想を転換すれば、出来ることはいっぱいあります。それをやれば、協同組合としての役割が社会的に評価され、組合員拡大だけにたよる必要がなくなります。そういうことで小さなエル・コープでも一つのモデルがつくれたら、京都生協にうつり、やがては日生協全体にうつっていく可能性があります。
 ノーメンクラツーラ制がゆらいできていますから、その可能性は大きくなっています。例えばどこでも組合員主権と言ってますがそれがつくれていない。小さくても組合員主権のモデルができれば全体に波及してくでしょう。

文化運動の特徴


問―仲間づくりについて考えますと、市民運動だけでなく、仲間づくりを通して成長していっている団体はたくさんあります。それらを「もう一つの働き方」に行く前の段階での仲間づくりと考えますと、それらを導く言葉が必要ですが、共通の言葉がつくれない、という悩みがあります。

答―今日の運動を文化的運動と規定していることの一つの意味は、政治的運動なら共通のコトバがあるし、意志も統一できる、しかしいまの運動は統合しようと思っても言葉では統合できないし、意志統一しようとしたら皆いなくなる、というところがあります。この過去の政治運動とのちがいを浮かび上がらせたい、という思いがあります。
 政治とちがって文化ははやるわけです。皆模倣するというかたちで広がります。だから昔の発想でそういう集団をどうしようかと考えてもどうしようもない。皆あちこち向いていて、昔の計算方法で合力を計算すると合力ゼロとなっている。ところが文化の視点からみると色々あちこち向いている集団があって、意志統一はできないんだけど、それぞれに重みはあるんですね。その重みを自分たちが突然実感できるときがくると思っています。社会のなかで自分らのヘゲモニーが発揮できる、という実感、―どういうヘゲモニーかいまはわかりませんが―。
 生活クラブがワーカーズ・コレクティブを始めてから10数年たっています。京都でそのことを何も知らなかった人たちが集まってきて、その試みのことを知ると、わっとワーカーズ・コレクティブをつくってしまうんですね。最初の頃はものすごく苦労しているのに、今の人たちは簡単につくってしまう。運動の経験は直接知らなくとも皆の経験になっている、というと一寸神秘的ですが、時代がワーカーズ・コレクティブをつくりやすい方向に流れていっているんですね。これは文化の創造を考えると無視できません。

新しい自治のイメージ


 自治についてですが、従来の地方自治では生活と政治が分離していました。国家の死滅ということは生活のなかに公共領域をどんどんとりもどすことですから、自治ということのなかに経済的な自治も含まれてきます。これを含まない自治はいまの自治と一緒で代議士先生だのみということにしかなりません。
 生活とは何か、ということで、市民社会と捉える考え方がありますが市民社会の実態は市場ですからそれは国家とセットになっています。だから、生活のなかに公共領域をとりもどすことは、社会のなかに国家をうめ込むことで、この場合の社会は脱市民社会でしょう。脱市民社会における自治のイメージこそ新しい自治に他なりませんが、これについてはもっとねりあげる必要があります。

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Author: admin Published: 2006/1/5 Read 3200 times   Printer Friendly Page Tell a Friend