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ピアジェの発達心理学

1）哲学とは知恵だ

　発達心理学の大家、ピアジェの『哲学の知恵と幻想』（みすず書房）は一風変わった本だ。もともと哲学の研究を目指し、そして、哲学の講座も担当し、哲学に詳しいピアジェは、子供の頃の生物研究で身につけた独自の方法論に導かれて、人間の精神の発達を、子供を素材とし、実験と演繹によって、認識がどのように発達していくかを明らかにして発生的認識論の立場を築いた。そのあと、この自称科学的心理学の見地から、心理学についてたえず形而上学の高みから介入しようとしてくる哲学に対して、うるさいハエを追うような姿勢で書かれたのがこの本である。
　ピアジェの哲学に対する評価は、序論に書かれている次の一句でつきている。

「哲学とは、その偉大な名声にふさわしく、人間の諸活動を調整するために、理性的存在にとって不可欠な『知恵』である。だが『認識』とよばれるものの根本条件たる確証や様式をそなえた『知』には到っていない、」（1頁）

　このようなピアジェの哲学に対する評価の裏側には、当然にも「知恵」が個人的な認識に属するものであるのに対し、「知」とは科学的認識によってつくられるもので、それは実験による再現性をはじめとする、他人による検証可能なもの、という科学観がある。ピアジェによれば「知恵」とは理性に基づいた信念で、知識ではないのであり、そして、哲学も科学も領域における差はないものの、科学的認識が進んでいる固有の領域には哲学の出番はなく、まだ科学的認識が進んでいない領域にその活動の場を限定すべき、ということなのだ。
　このようなピアジェの哲学批判も、本人は自覚していないが、実はある種の哲学になっている、ということはさておき、ピアジェが哲学を一人一説の世界だと考えている点には大いに同意したい。そして、哲学が想定する真理と、科学が想定する真理とは異なっている、というピアジェの考えも正しい。だからといって、科学が想定する真理の前に哲学の出番はないと言われると疑問が残る。もちろん思慮深いピアジェのことだから、科学の固有の領域への哲学の介入を一律に拒否しているわけではない。科学が倫理的問題を起こしている時には、哲学の介入を認めている（205頁）。もしピアジェが今日生きておれば、「科学の知識と幻想」とでも題する科学批判の本を書いたかも知れない。というのも、今日の先端の科学知識は、ほとんどのものが、倫理の問題にかかわっているからだ。

2）ピアジェの方法論

　さて、ピアジェ自身述べているように、彼の哲学批判の根底にある発生的認識論の土台となっているものは、子供の頃に生物を観察することで得られた考え方だった。これについてピアジェは次のように述べている。

「わたくしは、わたくしの見地にとって中心的な二つの考えに達した。わたくしは、その時以来、決して、その考えを棄てなかったのである。第一の考えは、すべての生物が、不変の構造――その構造は、環境の影響の下に変わることはあるが、けっして全体構造として、破壊されることはない――をもっていて、すべての認識とは、常に、外部の所与を主体の構造に同化することである、という考えである。第二の考えは、思考の模範的な要因が、生物学的には、自己調整による均衡の必然性に対応するという考えである。だから論理学は、主体においては、均衡過程に対応し得るわけである。」（14頁）

　この引用だけだと、ピアジェが構造を静的なものと見ていたように受け止められるので、『発生的認識論』（白水社）からの引用も付加しておこう。

「わたくしの中心問題は、新しい構造のたえざる形成という問題だからであり、この構造は、その発達に先立つ諸段階の過程で、あらかじめ環境の中でつくられるものでもないし、主体自体の内部でつくられるものでもないのである。」（発生的、78-9頁）

　いわゆる構成主義といわれる立場である。ところで、発生的認識論については大部の『発生的認識論・序説』（三省堂）があり、第1巻では数学思想、第2巻では物理学思想、第3巻では生物学思想がそれぞれあつかわれ、発生的認識論の立場からの認識の発展論が個別に展開されている。こんなものはとても手に負えないので、クセジュの一冊の方で、50頁強にまとめられているのを見てみると、種々の認識の分類の上に、自身が提示した児童心理学での精神の発達論からの法則的な見地で無理やり整理したようなもので、まず面白くないし、次に決定的なことだが、人間の認識能力を高めるという実践にとっての効用がありそうにない。
　そういうわけで、結局は、ピアジェの専門分野である児童心理学の部分しか、真面目に検討するに値しないと思われる。

3）主体と客体との中間の相互作用としての活動

　ピアジェの『発生的認識論』（白水社）第一章、認識の形成に則して、ピアジェが強調しているところを見てみよう。まずピアジェは認識の古典的立場を、認識の全ての情報が客体から発し、外側から主体に知らせにやってくるのか、それとも逆に、生得説がいうように、主体は最初から、客体に課する内生的構造を身につけているかどうか、というようにわけた上で、精神発達の分析はこれらの前提に矛盾しているとし、次のように述べている。

「認識は、その起源では自分自身を意識している主体から生じるのでもなく、主体に課せられるところのすでに構成された客体から生じるのでもない。認識は、主体と客体との中間に生じる相互作用、したがって、同時に両方に属している相互作用から生じるのだ。しかし、それは、はっきりとした形のもの同士の相互交渉によるのではなく、完全に未分化であることによるのである。他方、したがって、最初は言葉の認識論的意味での主体も、あるがままだとみなされる客体も、とくに相互作用の不変な道具も存在していないとするならば、認識の最初の問題は、こういった媒体をつくることの問題であろう。この場合、それらの媒体は、自分自身の身体と事物との接触の領域から出発して、外部からと内部からの二つの相補的な方向に、しだいに前進しつつ入り込むことになる。主体と客体とが密接に結びついて完成されるのは、媒体がこの二つの方向にしだいに構成されていくことに依存しているのである。」（18-9頁）

　ヘーゲルは、意識一般を自我と対象（自我をも含む）との関係と捉え、これを研究する学問として哲学を位置づけていたが、それと同様の発想がここに見られる。もちろん、ピアジェの場合、中間にあるものは意識一般ではなく、それも含んだところのものであり、「知覚よりもはるかに大きな柔軟性をもつ活動そのもの」（19頁）とされている。そして乳児を研究対象とすることで、この活動を認識の発達という観点から調べあげ、それが一つの構造へと形成されていく過程をえがき出そうとしたのであった。

4）ピアジェの発達論

　まず、ピアジェの結論を紹介しておく方がわかりやすい。生まれてから14～5才に到るまでの子供の認識の発達について述べる際に、ピアジェは言葉を話すようになる時期（2才）で大きく二つに区分し、そして前半を感覚運動期、後半を操作期と呼び、さらにそれぞれを三段階に分けている。
　そこで、生まれたすぐの感覚運動的段階について、ピアジェは、乳児の場合は、内界と外界との境界があいまいになっていると考え、次のように述べている。

「主体も客体も含まれていない実在の構造の中では、のちになって主体となるものと客体となるものとの間の唯一の可能な結びつきが活動によってつくられることは、明らかである。しかし、それは特殊な型の活動なのであって、その認識論的意味は、教えられる点が多いように思われる。じっさい乳児は、空間の領域でも、構成されつつあるさまざまな知覚器官の及ぶ範囲でも、あたかも世界の中心であるかのように、すべてを自分の身体に向ける。しかしその中心は認識されていないのである。いいかえれば、原初的活動は、主体的なものと客体的なものとの間が完全に未分化であると同時に、基本的に中心化されている――その中心化が、この未分化にむすびついているので、根本的に無意識的なものであるとはいえ――ことを示している。」（21頁）

　原初的活動についてのこのような捉え方はなかなか面白い。主体と客体との未分化と結びついた中心化として特徴づけられたこの原初的活動は、言葉を使うようになると一種のコペルニクス的転回が遂行される、という。

「活動を自分の身体から脱中心化すること、自分の身体をほかの客体の中の一つの客体として、それらすべてを含む空間内で、みなすこと、および自分を運動の起源または支配者としてさえ認識しはじめている主体の共応効果のもとに客体の諸作用を結びつけることから成っている。じっさい、まず、感覚運動的時期の相次ぐ段階において、活動の漸次的共応がみられる。これらの活動はそれぞれ、それ自体の上に閉じ込められた小さな全体をつくりつづけるかわりに、相互同化という基本的なはたらきによって、手段と目標との結合――これは本来の意味での知能行為を特徴づけるものだ――をつくるにいたるまで、ある程度すみやかに、相互に共応することができる。このとき、主体は自分を、活動の起源としつつ、したがって、認識の起源として構成する。」（23頁）

　ピアジェの発達論は、活動における変化をたどることに重点がおかれている。そしてこの活動は認識構造を構成していく主体的な働きである。この働きについてピアジェは共応と同化という生命体に共通に見られる活動の内容から出発している。生まれたばかりの乳児の活動は不共応であり、かつ主客が未分化であるが、活動自体に本源的にそなわっている共応が働きはじめ、活動は主体による客体の同化という構造をもつにいたる、というわけだ。

「活動相互の発生期における共応のおかげで、主体と対象とが、それらの相互作用の道具を仕上げながら分化し合いはじめるやいなや、認識の論理、数学的な極と物理的な極との両極を伴って、認識がつくられるのだ。」（28頁）

　このように主張するピアジェの発達論は、操作期に入るととたんに形而上学的になる。ピアジェが実験の対象とした子供の両親は、学校教育を受けており、また操作期の子供自体、学校に通っている。だから、認識の論理数学的な極と物理的な極をもつ認識構造が子供に見出されることになるのは当たり前であるが、しかし、これは発生的認識論という立場からすれば、ルール違反をおかしているように思われる。はたして、中世の農民の子供に、このような認識構造を発見しうるのだろうか。ピアジェの考えている認識構造がもし存在するとすれば、それ自体歴史的にたえず変化しているものでしかありえない。ピアジェが実験した時代には、数学や物理学が学校教育で教えられていたからこそ、ピアジェの主張する認識構造を子供が形成したのだ。この意味でピアジェの発達心理学の独自性は感覚運動的時期の研究のところにしかないように思われる。

5）ピアジェの構造論

　ピアジェの発達論の感覚運動的時期の活動論を見たうえにたって、次には独自の構造論をとりあげよう。テキストは『構造主義』（白水社）である。
　ピアジェは自らの構造論を主体がある構成主義的なものと主張することで、フーコーなどの主体なき構造主義との区別を行っている。
　ピアジェは構造という概念で、人間の構造とか、認識の構造とか、論理構造とか、多様に使っている。一つのまとまりある全体、といったイメージなのだが、ピアジェはそこに「全体性と変換と自己制御」（15頁）という三つの性格を見出している。ピアジェが中心的に問題にしているのは認識構造であるが、それを検討する前に、生物を例にした構造の説明が与えられているので、それを引用しておこう。

「構造の形式化へとみちびく（言葉の生物学的意味での）本質機能は〈同化〉の機能である。わたくしは、非構造主義者の理論の原子論的図式に固有の〈連合〉の機能の代わりに、この同化の機能をおきかえた。じっさい、同化はシェマを生み出す。したがって、構造を生み出す。生物学的見地からみると、生活体は、環境の物体またはエネルギーとの相互作用をおこなうたびに、場面に調節すると同時に、自分自身の構造に、環境の物体やエネルギーを同化する。だから同化は、生物体の形態の永続性と連続性との要因なのである。……同化は、たえざる関係づけと対応づけの源泉であり、〈適用〉などの源泉でもある。そして概念的表象の面では、同化は、構造という一般的シェマに達する。しかし同化は構造ではない。それは、構造の構成の機能的側面にすぎない。」（77頁）

　ここでピアジェが「シェマ」と述べているものは、自分のうちの行動図式のことである。ピアジェは主体と客体の間にある媒体としての活動が一定の構造へとシェマ化されていく際の機能を同化とみている。同化は構造そのものではないが、構造を構成していく機能と捉えられている。

6）構造の構成論

　さて、ピアジェの認識構造論がかかえている中心問題は、発達途上の主体がどのようにして論理的数学的構造を獲得しようとしているかを説明するのか」（68頁）ということだった。この点についてピアジェは、幼児を対象とした実験から、次のように述べている。

「ところで、観察と実験とが、もっともはっきりとしめしているように、論理的構造は、構成されるものであり、しかも、それが仕上げられるには12年間たっぷりかかりさえする。だが、この構成は、何らかの学習法則ではない特殊な法則に従っている。すなわち、欲求に応じて構成の素材を提供する反省的抽象と、構造の内的な可逆的体制化を提供する自己制御の意味での均衡化という、二重の働きのおかげで、構造は、それらの構成そのものにより、必然性に達する。」（68-9頁）

　ここで反省的抽象と呼ばれているのは、主体も客体も区別されてはいなかった原初的活動（相互的不共応）から出発し、活動の漸次的共応をへて、主体が自分を活動の起源として、したがって、認識の起源として構成することで、相互同化が可能となり、対象相互の関係を空間的、時間的構造として捉えるとともに、主体の活動を相互に結びつけられるようになる、という二種類の共応構造のあとに形成される内面化された活動のことである。そして、このレベルに達した認識構造は、この反省的抽象の働きと一体となって、構造の可逆的な体制化（つまりは構造のつくりかえ）をつくり出す自己制御の意味での均等化が働き、論理的構成が必然化される、というのである。この反省的抽象と均衡化という二重の働きについて具体的には次のように説明されている。

「ところで、根が生得的で、分化が習得的であるようなこれらすべての行動の中に、ある種の機能的要因とある種の共通な構造的要素とがみいだされる。機能的要因とは、同化、つまり、行為が能動的にくりかえされ、新しい対象を統合する過程（たとえば、哺乳のシェマの中に統合されているおやゆびしゃぶりなど）と、多様な対象への同化のシェマの調節である。構造的要素は、何よりも、ある種の順応関係（反射における運動の順序、習慣の運動の順序、追求される手段と目標との結びつきにおける運動の順応など）、と分類（把握することのような単純なシェマを、引っ張ることのようなより複雑なほかのシェマに従属させること）と（再認的同化などにおける）対応づけとである。」（69-70頁）

　ピアジェによれば、順応関係、分類、対応づけが共通な構造的な要因で、これらで構成されている構造において、同化という機能的要因が働いて、構造を変動させつつそれを均衡化の働きで再体制化する、という。そして前者は反省的抽象とかかわり、後者は均衡化とかかわっているようだ。だから、ピアジェは端的に次のように述べている。

「ところで構造を分析するとき、そのすべての要素を提供する反省的抽象と、操作の可逆性の源泉である均衡化との二つの働きによって、その構造が、すべて以前の構造から生じることを容易にみとめることができる。だから、ここでは、一歩一歩、真の構造が構成されていくのが、みられるのだ。なぜならその構造は、すでに〈論理的〉だからである。」（72-3頁）

　以上がピアジェの構造の構成論の概略である。

7）とりあえずの疑問

　ピアジェの発達論が個体から出発していて、社会関係が考慮されていない、という点については、同時代人のワロンが指摘していた。発達論については、ピアジェの具体的な研究報告を検討せずにあれこれ意見を述べるわけにはいかないので、ここでは構造論についての疑問を述べておこう。
　ピアジェが、主体と客体との中間にあるものとしての活動に注目し、それを構造として捉えようとしたこと自体は意義のある試みだった。ただピアジェにあっては、この構造は、いったん形成されてしまうと、そこから出られないようなものとして想定されている。全体性、変換性、自己制御の三つの基本性格を与えられることで、ピアジェの構造は主体の活動がそこから抜け出せない枠組みになってしまっている。
　しかし、活動を構造として捉えようとするとき、活動そのものがたえず構造をつくり出している、という見地が大切ではなかろうか。このように考えると、人間の社会は、活動の構造につきるものではなく、過去の活動、つまり対象化された活動が蓄積されている、ということが判明する。ピアジェは活動というとき、この過去の活動を含めていない。ワロンがピアジェの発達論に社会性の欠如を指摘したのも、このこととかかわっているのではなかろうか。というのも、社会とは、過去の人間活動の蓄積に他ならないのだから。新生児は社会の中に産み落とされることで、ピアジェが対象としている母親との間に成立する活動だけでなく、親を通して過去の人間活動の蓄積とも出会っているのではなかろうか。

Date: 2006/1/5
Section: 心理学ノート
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