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哲学の旅第10回 外の主体の弁証法『精神現象学』意識論の解読 終章


哲学の旅第10回 外の主体の弁証法『精神現象学』意識論の解読 終章


序章 研究の視点
 (1)『精神現象学』の位置(2)関係論としての二つの弁証法(3)研究の範囲
第1章 感覚的確信
 (1)意識形態の移行(2)否定弁証法の適用(3)「外の主体の弁証法」の展開
第2章 知覚
 (1)物を主体とした知の構成(2)反照論の展開(3)物と自我の二重性(4)悟性への移行
第3章 力と悟性
 (1)無制約的一般者(2)自我と対象の力による合一(3)物の内面と現象(4)自己意識への移行
終章

終章


 最後に私事を書くことを許していただきたい。近代哲学には全くの素人がヘーゲルを読むようになったのは、マルクスの『資本論』の影響であるが、レーニンが哲学ノートで「ヘーゲルの論理学全体をよく研究せず、理解しないではマルクスの資本論、とくにその第一章を完全に理解することはできない。したがってマルクス主義者のうちだれひとり、半世紀もたつのに、マルクスを理解しなかった」(全集38巻、150~1頁)とメモし、またマルクス自身がエンゲルス宛手紙で「ヘーゲルが発見はしたが、同時に神秘化してしまったその方法における合理的なものを、印刷ボーゲン二枚か三枚で、普通の人間の頭にわかるようにしてやりたいものだ」(全集29巻206頁)と述べていることを知ったことが大きい。私にもし専門的知識があるか、と問われたら、『資本論』の商品章(といってもこの十年間の文献は追っていない)ということになろうが、読み込んだ回数となると、ヘーゲルの『精神現象学』も、『資本論』と同じ位にはなっているだろう。でも何回読んでも「力と悟性」の章が理解できず、ヘーゲル弁証法の転倒をスローガンにしつつも、ヘーゲル自体が理解できないものだから、釈然としないままだった。
 80年代後半になって、従来研究者にとっては謎となっていた『資本論』初版価値形態論の謎ときが出来、商品からの貨幣の生成が商品所有者たちの無意識のうちでも本能的共同行為による、ということをマルクスは解明したのだ、ということが判明すると、旧ソ連社会主義が何故崩壊せざるを得なかったのか、ということが原理的に明らかとなり、新たな社会変革の綱領的立場も見えてきた。それで、ここ十年有余にわたって「新しい思考」を提案しつつ、その骨格となるべきヘーゲル弁証法の転倒について考えてきたのだった。
 80年代後半に、本格的に『精神現象学』にとり組んでみて、「力と悟性」はもちろん「知覚」も理解できず、ヘーゲル批判にいったん挫折したあと、仕方なく「哲学の旅」と題して、西田哲学にはじまり、ハイデガー、デリダ、レヴィナス、カント、アドルノなどのつまみ喰いをしていくなかで、レヴィナスの「外の主体」とカントの超越論的仮象論に出会えたことが非常に大きかった。それまでヘーゲルの意識の弁証法が、意識を自我と対象との関係と見、この意識の両極を意識の契機とすることで成立している、ということは、80年代後半にはすでにわかっていたが、これを転倒するとどうなのか、ということについては皆目見当がつかなかった。ところが、レヴィナスの対話の哲学を一寸ずらして「外の主体の弁証法」を措定し、矛盾を「絶対的他者の同一性」とおくと、意識の弁証法の転倒が可能になることがわかったのだ。
 2000年に入ってヘーゲル弁証法の転倒について論文を書き始め、論理学に書かれている意識の弁証法の転倒については一応書きあげたものの、まだ「力と悟性」には歯が立たなかった。ところが、その後90年代に入って若手ヘーゲル研究者たちが続々と出版した初期へーゲルについての研究書を拾い読みしているうちに、初期ヘーゲルその人が外の主体の弁証法の使い手だったことが理解できたのだった。そして『精神現象学』で駆使されている弁証法も、ヘーゲル本来の意識の弁証法ではなく、それとは異型の外の主体の弁証法だったということが判明すると、「力と悟性」でヘーゲルが述べていることが、非常に明快な事だったことが判明したのだ。いま言えることは、『精神現象学』は解説者によって、よりわけのわからないものに仕立てあげられてきた、ということだろう。外の主体の弁証法については、すでにマルクスが価値形態論で展開していたのだが、これも研究者にとっては謎だった。レヴィナスも『外の主体』(みすず書房)で、外の主体の弁証法の骨格を描いていたのだが、これに注目した研究書は未見である。ことほど左様に、外の主体の弁証法には日常的意識とはかけはなれた思考が要求されるのだろうか。しかしいまここで解読した事柄は理解にとって何らの困難もなかろう。初期ヘーゲルはこのような外の主体の弁証法を駆使していた、ということを知ることから「新しい思考」が始まることを期待したい。
   なお、この論文は、この二年間の哲学研究にもとづいている。
  「哲学の旅」のコーナーに発表しているその他の論文も参照されたい。




Date:  2006/1/5
Section: 外の主体の弁証法「精神現象学」意識論の解読
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