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哲学の旅第9回　初期ヘーゲルの外の主体の弁証法　第2章

第1章　伊坂青司の愛についての考察
　1）愛と宗教　2）愛と合一　3）外の主体の弁証法
第2章　久保陽一の合一哲学についての考察
　1）久保の問題意識　2）愛から意識へ　3）生の意識論への到達　4）今後の課題
第3章　意識論への歩み
　1）「1800年体系断片」2）差異論文
第4章　イエーナ体系構想での意識論の成立
　1）コーヒーブレイク　2）精神哲学草稿Iでの意識論の成立　3）意識の弁証法への歩み

第2章　久保陽一の合一哲学についての考察

1）久保の問題意識

　ヘーゲルの合一思想の形式過程については、『キリスト教の精神』の初稿の解読等の文献学的研究にもとづいて、久保陽一が『初期ヘーゲル哲学研究』（東大出版会、1993年）で解明している。久保は、ヘーゲルがフランクフルト時代の初めにヘルダーリンの合一哲学を受け入れて以降、フランクフルト時代末に至る合一哲学の進展についての概略を次のように述べている。

「第一に、合一は、当初は人間の世界に対する態度の一種（「愛」）にすぎなかったが、やがて人間を包み超えた絶対者（「自然」「生」「神性」等）における合一という意味に進展した。第二に、合一は、当初は『悟性』や『理性』という分裂ないし（分裂をもたらす）反省を排除する立場にすぎなかったが、やがて合一の原理のうちで分裂ないし反省を総体的に容認する立場となり、合一と分裂との合一（『結合と非結合との結合』）が唱えられるようになった。」（195頁）

　すでに伊坂が引用していた初期ヘーゲルの断片にもとづいて、愛にもとづく合一思想の進展を見てきた今、久保の研究に則して、その後の合一思想の展開をあとづけてみよう。
　まず、久保の問題意識を序説から紹介しておこう。久保の研究の範囲は、チュービンゲン時代からイエーナ時代初めに至る時期である。そして、ヘーゲルの後期の哲学体系は「論理学」「自然哲学」「精神哲学」の三部から成っているが、このうち「論理学」は、「イエーナ時代初期に『反省の体系』としての『論理学』と『理性の体系』としての『形而上学』とに分けられていた『絶対的存在者の理念そのもの』に関する学が、イエーナ時代後期以後、一つに統合され、『学』とか『論理学』と称されるようになったもの」（3頁）であると、久保は見ている。そこで久保は、初期ヘーゲルの宗教研究の進展のうちに、形而上学が学として成立していくさまを明らかにしようとしている。
　その際の久保の視点は、ヘルダーリンから合一思想を受け入れ、愛による合一を論じていた時点では「合一はまだ明確に人間を包み超えた絶対者におけるそれとしては捉えられていなかった」（199頁）が、『キリスト教の精神』を執筆する過程で、「人間の視点から絶対者の視点への転換」（199頁）が行われている、というものだ。膨大な久保の著書から、この転換にしぼり、具体的には『キリスト教の精神』の初稿と改稿との対比の部分を紹介しよう。

2）愛から意識へ

　ヘーゲルが愛による合一の限界を感じるに到ったこと、このことについてはすでに見てきた。それで久保の研究から、愛と反省との綜合（宗教）の意味変容、人間の自然への包摂、分裂ないし反省の必然性、の三つのテーマにもとづく対比研究について見てみよう。
　久保は、愛と反省との綜合（宗教の意味変容、というテーマで、『キリスト教の運命』の「腹案」と「初稿」を対比して、次のように述べている。

「愛の限界にかんして生じた意味変容は、さらに愛と反省との総合すなわち宗教にも及ぶ。愛と反省との総合は『腹案』では『理想』（キリスト）のもとでの『神性の生』への『信仰』として、まだ静態的にまた主として人間の世界に対する態度の一種（信仰）という面から捉えられていたにすぎない。……
　それに対し『初稿』の『宗教』群では、上で見た『愛』群の場合と同様に、『自然の運命的連関』の考え方が、人間の態度としての宗教の立場（信仰）に刻印されるようになる。」（259頁）

　これだけではわからないので、久保が述べている具体的内容を紹介しておこう。

「第一に、『神性の生』への『信仰』が、同時に『人間があるところのものの意識』すなわち『純粋な自己意識』であることが、初めて明確にされる。『腹案』では、『神性の生』への『信仰』において神とイエスと人間達が一体であることが強調されるにとどまり、この一体関係の中で人間が真の『自己』を見出すという点は明らかにされていなかった。『初稿』でこの点が明らかにされるようになったのは、恐らく、『愛による運命との和解』の箇所で、『運命』が『敵対的なもの』としての『自己自身の意識』とみなされたことによると思われる。」（260頁）

　久保によれば、自己意識という用語については、ヘーゲルの神学生時代のノートに見られる。また、自己意識はカントにあっては「自己認識」という意味であり、フィヒテにあっては「自己自身の直観」であったが、ここで使われているのは、「人間の真の『自己意識』は、同時に個々の人間を包み超えた（人間を超えている限り『客体的』な）『神性の生』を意識することに他ならない」（260頁）というのである。しかもこのような内容をもった自己意識としての神性の生への信仰は、「たんに静的な状態としてではなく、人間の自己否定によって到達される境地として動的連関において捉えられている」（261頁）とみなされている。さらにこの信仰は「もはやたんに人間の世界に対する態度としてのみならず、『生』の三段階的展開の相の下で捉えられている」（262頁）とされている。
　さて、久保のこのような詳細な対比作業のうちで、意識という用語の意味の変容に注目してみよう。久保によれば、ヘーゲルのここでの「自己意識」は実質的には「生の意識」を意味しており、またそれは「カント、フィヒテ的な超越論的立場を表すというより、一種神秘主義的ないし新プラトン主義的な、いわば解脱の境地」（262頁）に立つものである。

「この一見没我的な解脱の境地は、まったくの無意識状態ではなく、意識（主客分裂）の契機を含んでいるといえよう。……つまりここでヘーゲルは、主客分裂の立場としての『意識』を否認して、主客分裂の克服の立場で『意識』の契機を容認している。」（265頁）

　久保はこの意識論への到達によって、無限者と有限者との関連を「神の子」であり、かつ「人の子」であるイエスとして説き明かすことに成功したと見ている。ところが、この成功のうちには一つのジレンマが含まれていた。というのは、真の合一がまた分裂を招き寄せるからである。

3）生の意識論への到達

　久保によれば、このジレンマは「改稿」によって解決される。「改稿」では「分裂ないし反省は『生』の展開にとって必然的な契機として認められるようになる」（275頁）のである。それは「一切の人間的諸関係が『自然』ないし『生』のうちに組み込まれ」（281頁）ることで可能となった。つまり「一方で人間は自然に全面的に包摂されつつ、他方では人間と自然との分裂が必然的なものとして容認されるようになる」（283頁）というのである。ここでヘーゲルは外の主体の弁証法に立っている。
　それはさておき、ヘーゲルは、愛や宗教を反省によって捉えられるもの、と見なしていなかった。このように捉えられている限りで、ヘーゲルは無意識のうちに外の主体の弁証法に従っていたと考えられる。ところが久保によれば「改稿」において、「反省の表現の困難さ」（288頁）が除かれたというのである。これは恐らく、ヘーゲルにおける学の生成の端緒をなすものだろう。久保が設定した第三番目のテーマ、分裂ないし反省の必然性にそって、久保の展開を追っていこう。
　「神的なものを『反省の形式』で『客体的なもの』とみなして『語る』のではなく、神的なものをそれに適わしい仕方で『語る』ことはいかにして可能か」（289頁）といように、まず久保は問いをたてる。ヘーゲルは、これに対して、神的なものは、反省の形式においては「自己同一および自己分裂において、自己関係的なものとして表わされている」（290頁）とみることで解決しようとした。「しかしこの人間の側の反省と分裂は、たとえ『神的なもの』を『尺度』として行われるにせよ、『普遍』と『特殊』との『分裂』を前提にしている限り、やはり『神的なもの』における『合一』を見失ってしまうことも確かである」（291頁）というように久保は再び問い直す。しかし、この問には「反省や悟性が『矛盾に陥るところに『神的なもの』『生』の構造が暗示されている』（292頁）とみることで解消できる。
　以上のように、二つの問をたてたあと、久保は、分裂ないし反省の必然性についてのヘーゲルの解決について、次のように述べている。

「『神的なもの』は反省の自己矛盾を通して暗示されるだけではない。さらに反省の自己否定（主客対立の『捨棄』）により生じる『生の意識』としての『信仰』の自己－対象了解において積極的に見出される。『信仰者自身のうちに神的なものがあり、それは信仰対象においてふたたび自己自身を見出す』。」（292頁）

　「ヘーゲルは言う。『生に等しいが、ただ生は存在するものであり、意識は反省されたものとしてこの存在するものである、という点でだけ異なるような意識だけが光である』。それゆえこの『生』を『反省する』『意識』は、もはや『生』を分裂させ隠蔽させる『悟性』としての『反省』でも、またたんなる『生の純粋な感情』でもなく、みずから『生』でありつつ『生』を『生』として捉える『反省』である。」（292～3頁）
　ここでヘーゲルは、生と意識とを同等なものとして捉えようとしている。久保が解明したこの新たな意識論こそが、久保の主張するように、ヘーゲルを学に、哲学に導いたものだったであろう。この新たな意識論について、久保は重ねて次のように述べている。

「同時に『完成された統一』を表すこの『生』の『意識』は、先に『初稿』において『人間があるところのものの意識』としての『自己意識』と表されたものが『改稿』で『純粋な生の意識』に改められたものに他ならないであろう。従ってこの『生』の『意識』は『自己意識』すなわち『人間』の内なる『生』への『反省』だが、同時にそれは自己の外なる『生』への『反省』をも意味する。なぜなら『信仰の完成』において『信仰者自身のうちにある神的なもの』が自覚されるが、この『神的なもの』は同時に『信仰対象において再び見出される』からである。『生』『神的なもの』は人間を包み超えたものである限り、人間の内にあると同時に外にあるものでもある。それは『魂の内にあり、感情的であると同時に対象でもあるものである。たとえ各個人が自己の感情を自分一個のものとして意識するとしても、すべての中を吹き渡り、一つの実在であり続ける精神としての感情』」（293頁）

　久保はヘーゲルの意識論が単に人間の意識として捉えられているだけでなく、客体としてある生の意識をも含めたものとして捉えられていることを明らかにした。客体的な生、つまり自然が意識をもつとされる限りで、主・客の合一論は、新たな地平へとたどり着くであろう。というのは、このように捉えられた上での主体と客体との意識関係は、それらが生きている限りは関係として継続するのであり、こうして、これは絶対的な合一として措定されているからである。

4）今後の課題

　久保はこのような意識論の新たな地平を、ヘーゲルが形而上学と学との可能性を確信しえた根拠だとみなしている。久保はヘーゲル哲学の現代的意識を「ヘーゲルの最初の哲学構想の意味をこのように人間と自然との対話的連関の洞察に基づく〈批判的実践的な存在論〉と解することによって」（368頁）捉えることが可能となると見ているが、それは意識論を次のように把握することによってである。

「たしかに絶対者は人間によって初めて捉えられ、再現せられるが、絶対者そのものは人間に先行しており、一般に有限者は絶対者の自己分裂（『疎外』）によって初めて存立せしめられる。まさにそういうものとして人間が自己を絶対者との連関で捉える意識が、『生の意識』である。このような神の自己関係であると同時に人間の経験の過程でもあるような、つまり無限者と有限者との協働において生じるような出来事、すなわち一種の神事の概念的表現が、（カントが批判した）かっての形而上学に代わる新たなヘーゲルの形而上学の内実に他ならない。」（337頁）

　久保による初期ヘーゲルの「生の意識」の概念の解明は、大きい意義をもっている。しかし、この見地と後期ヘーゲルの完成された意識の弁証法とを組み合わせることで、人間と自然との対話的連関を回復させることが可能となるのだろうか。久保自身、ヘーゲルに論理学の成立について、次のように批判的にコメントしている。

「絶対者および人間の『自己意識』の契機、『精神』の『自然』に対する優位、近代の自己認識の原理が強調されるとともに、『規定された否定』や『否定の否定』という概念の叙示方式により、他在のうちで自己自身に還帰する『内的反省』が支配するようになる。けれどもそれは同時に、上述のように、哲学が現実との実践的連関を失い自己完結的になっていくという代償を伴っていた。」（366頁）

　久保が後期ヘーゲル論理学について、このように捉えているのなら、意識の弁証法の転倒が必要であることを認めていることになりはしないか。久保が発掘したヘーゲルの「生の自己意識」は、意識の弁証法の転倒のテコとして役立てられてはじめて、現代的意義をもつのではなかろうか。つまり、初期ヘーゲルにあっては、外の主体の弁証法と意識の弁証法とが未だ分別されてはいなかったのだが、意識による合一に注目することで、形而上学と学への歩みを進めたイエーナ時代以降のヘーゲルは、外の主体の弁証法を意識が経験することにもとづいて意識の弁証法を自己完結的なものとして叙述していくことになったのではなかろうか。そうだとすれば、今問われているのは、意識による合一が特殊な領域でなされていて限界をもっていることを土台にしたうえでの新たな意識の弁証法を紡ぎ出すことが問われているのではなかろうか。そして、ヘーゲル弁証法の転倒とは、結局はこの作業の帰結としてあるのではなかろうか。

Date: 2006/1/5
Section: 初期ヘーゲルの外の主体の弁証法
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哲学の旅第9回 初期ヘーゲルの外の主体の弁証法 第2章

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第2章 久保陽一の合一哲学についての考察

1）久保の問題意識

2）愛から意識へ

3）生の意識論への到達

4）今後の課題

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第2章　久保陽一の合一哲学についての考察