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哲学の旅 第1回 西田哲学(1) 第2章


哲学の旅 第1回 西田哲学(1) 第2章


 序文
第1章『善の研究』を読む
 1)冒頭文節への違和感 2)西田の発想の基本 3)媒介者の哲学 4)媒介者は絶対者
第2章 梯明秀の場合
 1)西田哲学の把握 2)マルクスの理解の仕方
第3章 梅本克己の場合
 1)無の弁証法の観念性への批判 2)人間の自由を求めて 3)無の弁証法の改作 4)梅本主体性論の本領

第2章 梯明秀の場合


1)西田哲学の把握


 梯は、1962年に発表された「経済学研究の出発点にある哲学的課題」(『梯 明秀経済哲学著作集』第5巻、未来社、所収)の注7で、西田哲学とのかかわりについて次のように述べている。
「わたしとしては、西田哲学の無の思想を純粋作用的なものとして主体的に把握し、わたし自身の有即無としての動的な場所の論理のうちに止揚して、この論理の具体化をつねに念頭にしているわけである。……わたしとしては、その項(西田がマルクスを読んだ頃)の博士の哲学的思索のうちに止揚され、西田的に具体化されているところの、マルクスの思惟様式を、逆に媒介して、わたし自身のマルクス的思惟様式の創造的展開のための一つの宝庫として利用してきているわけである。わたしの西田哲学への関心の中核をなすものは、ただ、これだけのものであって、それ以外のなにものでもない。」(著作集5巻、62~3頁)

 ここで梯が西田哲学の無の思想としているものは西田の「行為的直観の立場」であった。梯によれば、西田はヘーゲルの哲学をこの立場から「われわれ現実の人間が主体的に参与して、行為的に歴史的現実を創造する、という契機の欠けていること」(49頁)を批判したのだが、梯はそれにヒントを得て、その行為的直観の立場を「批判的に唯物論の立場にまで転釈した」(49頁)ものに他ならない、というわけである。
 西田の行為的直観の立場からする自覚の論理とは、「『自己が自己において自己を知る』という自己意識の知識的判断以前に、その根源にあるものとしての『自己が自己において自己を見る』という自己意識の直感的形態を問題」(52頁)とするものであり、ここで「自己において」という契機が西田にあっては強調されるがそれは「西田哲学における自覚なるものの概念が、たんに主観的な意識の内部だけの事柄でなく、客観的な意識の外部との関連において主張され、その場合の自覚なるものの成立するための場所としての意味で『自己において』という契機が強調されている」(54頁)と把握されている。
 ここで梯は、西田の無を主体の作用、活動というように捉え、「場所」について次のように解釈している。
「個々の意識的自己を超越した客観的に実在する対象と、意識の根底に超越した主体的な無との外的対立関係において、この対立を可能ならしめている両者のあいだの本来の同一性が絶対無としての場所であって、現実には、各個人の意識が、かかる対立における同一性として、この矛盾関係の成立するための媒体になっていることは、事実であるが、この矛盾を如何に解決するか、対立者を如何に統一すべきか、の原理としての本来の同一性にあるべき絶対無の場所なるものは、超個人的な具体的一般者として、各個人の意識にたいしては規範としてのぞんでいるところの、理念としての論理構造になければならないはずである。」(58~9頁)
 「自覚ということを成立せしめる契機としての場所なるものは、一面において対象を有らしむる媒体であると同時に、他面においては対象には無でしかないところの主体的な作用そのもの、あるいは作用としての主体でもある。すなわち、場所そのものが、有にして同時に無であり、しかも両者の同一性にあるものであり、有即無という自己矛盾的な論理構造をもっていなければならない、ということになる。」(60頁)

 このように解釈された西田の自覚の論理構造とマルクスの論理との関連について梯は次のように述べている。
「われわれとしては、現実的な賃労働者の自己意識の論理構造を問題にするにあたって、彼の生産過程における限りの姿としての『単なる労働人間』の向自有的な生命的自己関係こそが、その基礎になる根源的実体であると認識してきたのであるが、この種属的生命の無限性への生命的な自己同一的関係なるものが、自己矛盾的な活動として、自己疎外にある労働の生命的自己関係であるほかなかったのである。そして、このように、この労働という主体的活動が、自己矛盾的な構造をもっているということが、あたかも、西田哲学における自覚の直観的な形態の本来的な規定に一致しているという点で、われわれとしても、この直観的自覚についての論理的規定が、マルクスの『単なる労働人間』における自己疎外的な生命活動の論理構造の解明にたいして、効果的であるはずだとの推定的理由によって、ここに、西田哲学の無の自覚の立場に無関心でありえなかったと、わたしは、言ってきたわけであった。」(61頁)

 梯はマルクスをこのように理解しようとしているから、西田哲学に関心をもったということがわかった。次に梯のマルクス理解について見てみよう。

2)マルクスの理解の仕方


 梯の発想は「われわれ現実の人間の創造的な行為が、現実の歴史的発展に参与しうるとする主体的立場を、マルクス主義の理解のうえにおいて明瞭に打ちだす」(65頁)ところにあった。それは言いかえれば「現実の歴史的発展そのものが人間の主体的実践を、その客体的過程に内在する契機として認識すること」(66頁)であった。
 このような立場から、マルクスの理論は「現実の歴史的発展における或る段階の形態が次の段階の形態に移行する場合に、前段階の疎外された形態を変革しようとする主体的な実践活動によって、次の段階に移行する」(75頁)というものとして捉えられる。その実践の論理構造については、具体的には次のように展開されている。
「マルクスの直観は、市民生活の自己矛盾を体験する人間のそれであり、その直観の対象となる同一の市民社会そのものは、自己の本来の生活の疎外された状態、すなわち、非本質的な否定さるべき外在態である。したがって、この疎外された外在態としての市民社会にたいする直観は、この社会において自己疎外的に制約された人間の自己否定的直観であり、さいしょから否定性を孕んだ直観であり、しかも、この直接的否定性が向自的に自己関係して自らの直接性に対立するにいたるときには、本来的人間社会の疎外された外在態としての現実の市民社会を止揚する運動をはじめるにいたるところの、すなわち、変革的な実践活動がそこから始まるところの直観、いわば、この外在態に裏面から直接している直観である。さらにまた、否定性ということが規定性を意味している限りでは、この規定性は、いまだ直観そのものの否定性としての思惟的規定性ではないにしても、その出発点となるものであり、そのかぎりで思惟規定の萌芽を孕んだ非思惟的なものとしては、自己矛盾的直観ということもできるだろう。」(77頁)
 「この否定的直観内容の自己展開としての対象認識が、歴史的現実の疎外された状態を仮象として斥けているところに成立しているものとしては、仮象ならざる本質的実体を理念として、有即無の自己矛盾的な衝動において、すでに直接的に把握していたことを前提しているのであって、そして、衝動的直観の有即無としての成の契機において、この理念として直観されている本質的実体による自己媒介的な運動が、その創造的な新たな諸規定の自己展開であること、したがって、この理念の自己媒介的な自己運動が、意識の外の対象的実在における本質的実体の意識の内への規定的自己展開である点で、ヘーゲルのそれとは質的に異なる自己媒介性、むしろ他者としての感性的実在を媒介するところの自己媒介性にある理念の自己運動でなければならぬということ、このことが、疎外の状態から本来の自己の姿に向自的に復帰するところの、マルクスの否定の否定としての弁証法であり、この弁証法的な実践活動そのものの論理構造であることについては、あらためて述べるまでもないであろう。」(77~8頁)

 梯の言っていることを平たくかみくだけば次のようなことに帰着しよう。まず賃労働者が資本制社会を変革しようという実践的活動に立つ論理構造を明らかにすることがここでの課題とされる。それは単に今日の市民社会が労働を疎外する社会である、という理性的認識によって解決されるものではない。同じ市民社会を否定的に直観することを通して自己の本来的な生活を理念としてもち、そこからこの同じ市民社会を疎外された状態と判断し、この有即無の自己矛盾を衝動として起きる理念の自己媒介的な自己運動としてこの論理構造を把握すべきだ、ということになる。ここから、『資本論』の冒頭商品は単に一般商品を対象とするだけでなく、むしろ主体的な把握としては賃労働者そのものの論理として見るという提案が出てくるのである。
 ここでは梯の理論を批判すること自体は目的とはしないので簡単にふれるしかないが、あれだけ弁証法家であることを自認していた梯は、ついに『資本論』の価値形態の弁証法を理解するには至らなかった(『ヘーゲル哲学と資本論』298頁で価値形態の解明が次の課題とされつつも果たされなかった)。梯が影響を受けた西田の論理が自覚の論理構造であったとしたら、西田にとっては言葉で伝わらないものを伝える仕掛けとしての「弁証法」に梯は主体性の論理を見ていたわけで、人格の意志を支配する商品の概念的存在が梯に伝わらなかったのも由なしとはいえない。




Date:  2006/1/5
Section: 西田哲学
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