レヴィナスは『全体性と無限』では、全体性の外部にあるものを無限と名付け、これを全体性の彼方という風に捉えていましたが、『存在の彼方へ』ではここから更に進んで、存在するとは別の仕方で、という考えに到達しています。前著では言語に対話関係を投影した形で、外部についての考察がなされていましたが、新しい著作では、言語ではなく、存在するとは別の仕方が、自己と他者との関係それ自体を考察することで、解明されていきます。とりあえず、『存在の彼方へ』の第一章　存在することと内存在性からの超脱、は全体の構想について論じたものですが、そこから特徴のある内容についてあらかじめ見ておきましょう。

「超越に何らかの意味があるとしても、その意味するところは、存在するという出来事――存在性――存在することが、存在とは他なるものへと過ぎ越すという自体を措いてほかにありえない。それにしても、存在とは他なるものとは一体いかなるものなのか。たとえばプラトンは、『国家』においてすでに、存在することの彼方を語っている。にもかかわらず、『ソフィスト』で提出された五つの『類（ジャンル）』のうちに、存在と対立する類を見いだすことはできない。存在とは他なるもののみならず、過ぎ越すという事態〔成就された事実〕もまた実に不可解なものだ。過ぎ越すという事態が存在とは他なるものに行き着くもので、それゆえ、過ぎ越しに際してみずからの事実性〔既存性〕を解体することしかできないとすれば、過ぎ越すという事態に一体どのような意味があるのだろうか。
　存在とは他なるものへと過ぎ越すこと――存在するとは別の仕方で。別の仕方で存在することではなく、存在するとは別の仕方で。それは存在しないことでもない。存在とは他なるものへの過ぎ越しは死ぬことではない。」（『存在の彼方へ』講談社学術文庫、20～21頁）

　全体性とそれが包括し得ない無限という対比関係から倫理的関係を考察した前著と比べ、存在の存在性が、存在がほかのものへと過ぎ越していくということにあり、そして全体性が存在するということしか掴み得ないことに対して、存在するとは別の仕方で、という表現で、この過ぎ越しを言い表して、この過ぎ越すという事態そのものの考察をテーマとしています。このように問題を立てると、言語の問題に対しても前著とは別の視角が与えられることになります。

「私たちの諸言語は存在するという動詞を中心として織りなされている。だが、私たちの諸言語はいかなる王権よりも強く、また、廃位することもない存在の王権を単に反映しているだけではない。そうではなく、私たちの諸言語は存在のこの王位そのものなのだ。」（同書、22頁）

全体性とは存在することの自同性に基づくものでしたが、そして前著ではこの全体性の外部にある無限をつかむための仕掛けとして言語が選ばれていたのですが、しかしここでは言語自体が、存在の存在するという王位そのものとされています。あとで詳しく見るようにこの本では、言語論自体が新しく書き換えられているのです。この新しい言語論についてのヒントは、〈語ること〉と〈語られたこと〉を区別しこれらの関係を考察することで示されますが、それは婢女としての言語というものです。

「主題化されるや否や、存在するとは別の仕方で、存在とは他なるものは自分を裏切り、存在の存在することとして主題のうちに現出する。存在するとは別の仕方でを、存在とは他なるものを改めて解き放とうとする探求は、したがって、主題の外でなされるのだが、いままさにこの探求がなされているときにも、婢女の言語はこの探求を補佐している。然るに、この探求が成されるや否や、存在するとは別の仕方で、存在とは他なるものは主題のうちに現出してしまうのだ。婢女の言語は、存在の外、存在からの逸脱を裏切りつつ、それを語ることを可能にする。あたかも、存在とは他なるものが、存在という出来事であるかのようだ。存在、存在の認識、語られたこと（存在は語られたことにおいて現出する）は、存在からの逸脱としての語ることのうちで意味する。けれども、存在からのこの逸脱ならびに存在の認識の誕生双方が現出するのは、語られたことにおいてである。」（同書、28～9頁）

レヴィナスの新しい言語論については後述しますので、ここではこのヒントの紹介だけにとどめておきましょう。さて、前著では〈同〉と〈他〉の関係の考察が中心でしたが、この本では主体性という概念が登場します。

「そこで、私たちとしては、『存在とは他なるもの』という逸脱が、存在しないことを超えて、主体性ないし人間性を意味するものであることを示さなければならない。つまり『存在とは他なるもの』は、存在することの属領たることを拒む自己自身としての主体性なのである。自我、比類なき唯一のもの。なぜなら、自我は類の共通性や形式の共通性から放逐されているからだ。だからといって、自我は自己に休らうことも自己と合致することもできない平静ならざるものなのだ。このように、自我という唯一性における自己の外、自己との差異は、無関心-ならざることであり、〈se〉（自己自身、彼自身〉）という再帰代名詞の尋常ならざる再帰なのだ。」（同書、34頁）

自己と他者との倫理的関係という問題の想定から一歩進めてレヴィナスは、主体性という問題をこのように提起しています。そして自我は比類なき唯一のものとして捉え返されます。これはひょっとして自己意識に対する通常の考え方をひっくり返したものなのでしょうか。というのもレヴィナスはここで自我を類の共通性や、形式の共通性から放逐されたものと見ているからです。存在とはほかのものへの過ぎ越しということのうちにある人間の主体性を捉え、この観点から自我を規定すると、自己意識についての一般的観念に対するこのような批判的観点が生み出されるのでしょうか。ところで主体性という概念は、レヴィナスにあっては、〈他者〉に対する責任と関連づけられています。

「他者に対する責任とは、主体性という非場所が定位される場所であり、『どこ』という問いの特権が失われる場所である。」（同書、40頁）

　言語によって召喚された自己が言語の教えによって責任を負うという前著の命題はここでは主体性という非場所が定立される場所によって構成されるものとされています。それが無限者なのですが、それは次のように叙述されています。

「無限者はその痕跡をかき消す。とはいえ、それは自分に従う者を欺くためではない。現在において私に命令しつつも、無限者は現在を超越する。また、無限者のこの命令から無限者を抽き出すことは私にはできない。だからこそ、無限者はその痕跡をかき消すのだ。私に命令を下す無限者は、帰結の直接的連鎖を生ぜしめる原因ではない。無限者はまた、自由によってすでに支配された主題でもない。たとえこの支配が回顧によって事後的になされるとしても、である。無限者は顔を起点としてある迂路を辿る。いや無限者はほかならぬ痕跡の謎のなかで、この迂路をも迂回する。私たちはこのような迂回ないし逸脱を彼性と呼んだのだった。」（同書、44～5頁）

これを読んだときに私は「無限者」に「社会」という言葉を当てはめたくなります。社会はその痕跡をかき消しているし、個々人に命令しつつ、また現在を超越しています。そして社会の命令から社会とは何かを導き出すことはできません。レヴィナスは社会関係の謎を解こうとしつつも、その謎解きのツールを哲学や倫理学の範疇によってなそうとしているので、このような言い回しを余儀なくされているのではないでしょうか。

「隣人のほうを振り向けという命令を下すことによって、無限者は一個の主体性――すでに完成した統一体たる主体性――に対して、主体性の存在は当の存在することを解体してしまうのだ。他人のために身代わりになる一者たる限りで――、主体性は意味のうちに、語ることないし無限者の言のうちに吸収される。意味のほうが存在することに先立だっているのだ。意味は、認識の一段階として、自分を充たしてくれる直観を呼び求めているのではないし、――非同一性ないし不可能な同一性という不条理な事態でもない。意味は超越の栄光なのである。
　身代わり――意味。」（同書、47頁）

　他者に召喚され、他者の身代わりになる一者、ということがレヴィナスの無限者の内容です。そして自己が他者に召喚されて、自己とは異なる一者になること、これは意味が与えられることでもあるのです。他者による召喚や、身代わりについては後で詳しく検討します。『全体性と無限』での倫理的関係は、言語によって他者が召喚され、自己は言語によって教えられると想定されていましたが、ここでは、他者が自己を召喚し、自己は他者の身代わりとなる一者として、新しい意味を受け取るということが想定されているのです。『全体性と無限』との対比で『存在の彼方へ』の特徴を明らかにしようとしてのですが、うまく掴めたでしょうか。最後に西欧哲学批判についてのまとまった箇所を紹介して、この節を終えることにしましょう。

「哲学が存在に付与した特権を問い質し、存在の彼方ないし手前について問わなければならない。人間を自己意識に還元し、自己意識を概念ないし〈歴史〉に還元すること。〈概念〉ならびに〈歴史〉から主体性および『私』を演繹し、そうすることで、『任意の人格』の特異性そのものの意味を、概念に依存したものとして見いだすこと。かかる還元や演繹がたとえ還元不能な残滓を残すとしても、この残滓を偶発的なものとして黙殺すること。それは、『善き意図』や『高邁な魂』を無用の形骸としてあざ笑い、心理主義の自然主義や人道主義的な修辞や実存主義的悲愴感の安直さよりも『概念の努力』を好むという口実をもうけて、存在よりも善きもの、すなわち〈善〉を忘れることなのだ。
　存在の彼方、存在とは他なるもの、存在するとは別の仕方で――ここでは、それは隔時性のうちに定位され、無限として言表されている――は、プラトンによって〈善〉とみなされた。プラトンが〈善〉をイデアたらしめ、光の源泉たらしめているという点については今は問わない。語られたことのうちに現出する際、存在の彼方はつねに謎めいた仕方で現出する。言い換えるなら、存在の彼方は、語られたことのうちに現出することで、すでに自分を裏切っている。集約、接合、連繋、同時間性、現出の現在に対する存在の彼方の抵抗が意味しているのは、他者に対する責任の隔時性であり、どんな自由よりも古きものとして、他者に対する責任を命じる遥かな昔の隔時性である。にもかかわらず、まさにこの言表においてさえ、他者に対する責任、遥かな昔は共時的なものと化してしまう。こうなると他者に対する責任の隔時性それ自体が謎と化す。つまり、存在の彼方は存在論に回帰すると同時に回帰しないのであり、言表された他者たる無限も存在の意味と化すと同時に化さないのである。」（同書、59～60頁）

　ここでは西欧哲学による自己意識から主体性を説く試みに対する批判が提起されています。『全体性と無限』では、言語によって召喚された他者を迎え入れるのが倫理的主体としての自己の規定でした。しかしこの本では、倫理的関係が存在するとは別の仕方で定位されるとみなすことで、主体性を主体の外から規定することが可能となっているのです。

2）新たな言語論

(1)　動詞についての言語論的考察

『全体性と無限』で展開されている言語論は、言語を自己と他者双方から独立した存在として、いわば存在論的に捉えられていましたが、『存在の彼方へ』では言語自体の分析に入っていって、とりわけ〈存在（ある）〉という言葉が動詞としてもまた名詞としても使用されることについて考察しています。まず、存在という言葉が動詞であるということからどのような事態が導き出されるのでしょうか。
存在という言葉が動詞として使われると、それは時間の流れを伝えます。それでレヴィナスはまず時間の働きについての考察から始めています。ここでは時間論は取り上げませんので、存在という言葉が「存在する」という動詞として使われるときの動詞の働きを時間との関連でつかむための最低限の引用を行っておきます。

「時間は想起であり、想起が時間である。それが意識と存在することの統一性なのだ。」（同書、80頁）

「存在の存在することは時間であり、時間は変質も転移もなき変容である。」（同書、82頁）

「時間という変容は〈同〉に対する〈同〉の可視性にほかならず、しばしば開けという名で呼ばれているのもこの可視性である。」（同書、82頁）

「意識を語ることは時間を語ることである。が、こうして語られる時間は回収可能な時間に過ぎない。」（同書、88頁）

「時間的変容は存在するという動詞なのだ。」（同書、92頁）

　存在という言葉に名づけという機能しか見ていないというのは、ハイデガーに対するレヴィナスの批判でした。存在を名詞としてではなく「存在する」という動詞と捉えてみると、時間はこの動詞の機能に含まれています。ハイデガーが『存在と時間』で展開した時間論（現存在が時間である）とは別の時間論が展開されることになってゆきます。

「出来事を指示する名詞と解された動詞が時間の時間化に適用された場合、この動詞は、時間の時間化に出来事としての響きを与える。ところが、どんな出来事も時間という変化なき変容をすでに前提としている。時間という変化なき変容は自同的なものにはらまれた位相差であり、この位相差は諸々の変換ならびに持続の背後で増殖してゆく。そればかりかこの位相差は、老衰として、持続それ自体のうちにも潜んでいる。ところで動詞は、行動や出来事の命名をやめるとき、否、命名することそれ自体をやめるとき、動詞性を獲得する。命名することなき動詞性、それこそが言葉の比類なき『流儀』である。命名し喚起する象徴化に、言葉を還元することはできないのだ。言語が名称と等価なものとなる際には必ずや曖昧さが伴うと言わんばかりに、存在するという動詞は時間の流れを語る。存在するという動詞においてはじめて、動詞としての動詞の機能が全うされるかのようだ。動詞としてのこの機能は時間がもたらす変化なき変容の蠢きに、その漠たる痛痒感に帰着する、と言ってもよい。」（同書、92～3頁）

前にはレヴィナスは言語を自存する存在として、「人格不在の凝固する形態」と見ていましたが、ここでは言葉が動詞として捉えられることで、時間の流れが導入されてきます。存在者とは区別された存在について考察したハイデガーの議論を念頭に置きながら、レヴィナスは存在を動詞と見ることで、意識を語るための時間についての考察の手掛かりを得ます。

時間を変化なき変容と見るのは自分が歳をとるということで考えると分かりやすいでしょう。ついには死んでしまうにしても、意識の立場からすれば、時間の経過は成長や老衰をもたらすとはいえ、意識としては個人は自同性を保ちます。死ねば意識も絶えてしまいますから、この議論の外に出ることになります。まさに意識を語ることは時間を語ることになりますが、しかし時間自体は意識とは別にあり、言葉の動詞という働きでその流れが伝えられるにすぎません。しかしこのことが分かれば、意識世界の変容を説明する道具立てがそろうことになります。

「時間化、それが存在するという動詞なのだ。動詞の動詞性から生じた言語は存在の存在することを聴取させるのみならず、存在の存在することを振動させるのだ。」（同書、93頁）

ハイデガーが存在者と存在を区別し、存在の開けに立ち会うという神秘主義的結論に到達したことと対比して、レヴィナスのこの考えを検討してみましょう。まず、存在者が存在しているというときに、存在という言葉が動詞であることによって存在者の存在を発語に至らしめます。何か存在者とは別のところに存在なるものがあって、それが人間に開かれてくる、ということではなく、存在者について「存在する」という言葉を使う際に、これが動詞として時間の流れを示す機能を持っているから、存在者についての意識が成立する、というのでしょう。でもこの意識は実は限界のあるもので、レヴィナスのこの後の議論は意識のこの限界についての考察に捧げられているのですが。

「このように、言語は、諸存在ならびに諸関係とぴったり重なり合ったりはしない。言葉が〈名詞〉であるとすれば、言語を記号体系に還元するこのような考え方も、斥けることのできないものとなろう。しかるに、言語は〈名詞〉であるよりもむしろ動詞の異常増殖であるように思われる。時間化であり、存在の存在することたる感性的生を担うとき、言語はすでに動詞なのだ。体験された感覚――存在と時間――にしてからがすでに動詞のうちで理解される。一見すると、諸事物は無言の世界を、無音の空間を流れてゆくようにしかみえない。ところが、感受性においては、知覚された事物の諸性質は、この無音の空間とは無関係に、時間のうちに、意識のうちに消え去ってゆく。このような感受性はすでにして語られた感受性ではなかろうか。感受性の質的変異は、感受性のうちで言表される動詞の『いかにして』を理解させるのではなかろうか。つまり、感性的諸性質が体験される場としての諸感覚は、副詞として、より正確に言うなら、存在するという動詞の副詞としてひびくのではなかろうか。」（同書、93～4頁）

ここでレヴィナスは、存在という言葉を名詞と考えて存在と時間について考察したハイデガーに対して、「存在と時間」が「動詞のうちで理解される」と述べて異論を展開しています。それは感受性という考え方の導入であり、言語の動詞の機能がこの人間の心性が受け取る感受性という感覚機能と対応していると見なされているのです。ハイデガーのように存在の開けに立ち会うことで言葉が発せられるという考えをレヴィナスは退けます。それに対置する形で、存在者が存在するということは、動詞による時間的変容の表現とそれに対応した人間の感受性の質的異変という相関関係の中での出来事である、とレヴィナスは見ているのです。

(2)　動詞と名詞

　言語の働きに注目したレヴィナスは、従来の言語論が主として言語を名詞として捉えていたことに対して動詞についての考察をすることで、存在と時間についての新しい考察を示しました。このように動詞の働きを時間の流れを示すものと捉えたレヴィナスは次に、言語が名詞と動詞の二重物としてあることについての考察を始めています。

「とはいえ、言語は名詞の体系でもある。感覚の動詞的流れないし時間的流れのうちにありながらも、名称は数々の自同性を指示し構成する。」（同書、94頁）

言語の動詞としての働きは、感覚の時間的流れを示し、絶えず変転するさまを伝えますが、他方同じ言葉が名詞として使われると、それは不変なものとして、同じ変わらぬものとして名づけられます。この名詞の働きは何に基づくのでしょうか。

「不可思議な図式論にもとづいて、すでに語られたことにもとづいて、先在する臆見にもとづいて、同一化は理解され聴取される。言うまでもなく、普遍的なものと個的なものとの関係は類似に立脚するものではありえない。普遍的なものと個的なものとのどのような関係も、不可思議な図式論を、すでに語られたことを、先在する臆見を前提としているのだ。」（同書、94～5頁）

レヴィナスは名詞の働きを、感受性のほうから解明していきます。名づけによる同一化ということは、感受性が、すでに語られたことに基づいて、それとの同一性として指し示すことなのです。そうすると、すでに語られたことが問題となりますが、レヴィナスはそこに「不可思議な図式論」を見いだしています。これはいったいなんでしょうか。『全体性と無限』では言語が意識の外にある存在として、個人の意識に働きかけるものとして位置づけられていました。同じ事柄がここでは「不可思議な図式論」と規定されているようです。そしてこの内容は、「語ること」と「語られたこと」との感受性による受け止め方として、後に展開されます。ここでは個々人の感受性にとっては不可思議な図式に当てはめられている語られたこととの同一性を確認することが、名づけという名詞の機能だとされているのです。

「〈存在すること〉――、それは時間の推移にしてこの推移を回収する記憶であり、意識である。意識の時間は時間の反響であり時間の理解〔聴取〕なのだ。」（同書、96頁）

存在すること、これは動詞の名詞化ですが、ここには動詞の働きと名詞の働きが二重になり、時間的推移と同一化、持続と自同性が示されているのですが、これを受け取る感受性についてレヴィナスは意識と規定しています。フッサールにあっては意識は対象に向かっていく「志向性」でしたが、レヴィナスにあっては意識は逆に外からのものを受け取る「感受性」なのですね。

「持続でもあれば自同性でもあると言う感受性の両義性にしてからがすでに、〈語られたこと〉になかできらめく動詞と名詞の両義性なのだ。〈語られたこと〉を担うと共に〈語られたこと〉の彼方に赴く〈語ること〉は、言語が作動した結果、〈語られたこと〉に吸収され、〈語られたこと〉のうちで死に、痕跡として刻印される。」（同書、97頁）

フッサールの現象学では、個人の意識から出発し、これが「志向性」でもって対象と関係しそこでいかなる現象を意識のうちに作り出すかについて記述することが課題とされていました。共同主観性についての言及はありますが、それは単なる集団性としてしか捉えられてはいませんでした。レヴィナスは、対話関係における言語の働きに注目し、ここに外の主体を見いだし、これに対する感受性として個人の意識を捉えます。ですからレヴィナスにとっての意識は、はじめから共同主観的なものであり、したがってそれは自分にとって不可思議な図式論をも感受し、意識化できるのでした。ただ意識化されたとたん、心性が感受したものは、痕跡となってしまいます。

このように意識を感受性と捉えると、持続と自同性の起源としてある「語ること」と「語られたこと」にまで遡って、感受性を意識に与える大本についての考察が可能となります。レヴィナスはこの考察の前段階で、意識がどのように感受していくかという観点から、同一化について分析しています。

「時間による変容をこうむった〈同〉は、時間が一時休止ないし弛緩するとき、自己を失う一歩手前で自己を取り戻し、記憶のうちに刻印され、自同性を回復し――、語られる。体験されたものないし『意識状態』としての存在、実詞によって指示される存在は、この体験の時間に即して解かれ、生、〈存在すること〉、動詞と化す。
このようにして変容された〈同〉は、しかしながら、自同性の分裂によってうがたれた穴を介して、――時間を介して――、〈同〉たる自分を再び見いだす。それが意識である。このように〈同〉が再び自分を見いだすこと、それが同一化であり、『これとしてのこれ』、『あれとしてのこれ』である。かかる同一化が意味の給付なのだ。諸存在者は、その意味をつうじて、自同的な諸存在者として現れる。諸存在者はまず与えられ主題化され、ついで意味を受け取るのではない。諸存在者は、それが有する意味によって与えられるのだ。けれども、同一化による〈同〉のかかる再発見は、すでに語られたことのうちでなされる。語られたこと――語――は意味を有した単なる記号ではないし、意味の単なる表出ですらない。すでに語られたことのなかで、語はこれとあれとの同一化を布告し聖別するのだ。」（同書、97～8頁）

不可思議な図式論から由来する名付けによる自同性が時間の経過の中で変容されていったときに、語ることでもって時間を一時停止させ、再び自分を見出すことで同一化が成され意味が給付されるのですが、この意味は主体が存在者に対して、これを主題化した上でこれに与えるというものではない、ということにレヴィナスは注意を促しています。というのも、もともと自分にとっては不可思議な図式論の方に同一化の根拠があったのですから、意味はここですでに給付されているのです。

3）〈語られたこと〉と〈語ること〉

(1)　不可思議な図式論

語られたことにあっては痕跡となっているものを、語ることに遡って解明しようとするレヴィナスは、存在者が存在するということ自体が語られたことにおいてであることを確認しています。そして自同的な実体がまずあって、これが語られるのではなく、語ることが自同性として、その実体を提示するという逆転した関係を示します。このようにして、持続と自同性が、言葉の動詞と名詞の機能に関連付けられて解明されたあとにも不可思議な図式論と名づけられている言語の性格についての解明の取り掛かっていくのです。

「けれども、厳密な相関関係で、〈語られたこと〉と結ばれた〈語ること〉の機能がいかなるものであれ、語ることができるという人間の機能は果たして存在に仕えるものであろうか。人間がロゴスと相関的な〈語ること〉でしかないなら、主体性の価値を存在の関数ないし独立変数とみなしたとしても、何ら変わりないことになろう。しかるに、〈語ること〉の意味は〈語られたこと〉の彼方に赴く。発語する主体を生ぜしめるのは存在論ではない。〈語ること〉の意味するところは、〈語られたこと〉のうちで集約された存在することの彼方に赴くのであって、それゆえ、〈語ること〉の意味することのほうが逆に、存在の曝露ないし存在論に正当な根拠を与えうるものなのだ。
なぜ、〈語ること〉は存在の曝露ないし存在論に正当な根拠を与えることができるのか。それは時間という推移が回収不能なもの、現在という同時性に逆らうもの、再現前化不能なもの、記憶不能なもの、歴史に先だつものでもあるからだ。覚知および再認という総合に先だって、老いという絶対的に受動的な『総合』は成就される。老いというこの総合によって、時間は自己を超えて過ぎ去ってゆく。」(同書、100頁)

不可思議な図式論とは、ここで明らかにされているように、語ることができるという人間の機能を存在に仕えるものとして、存在の関数としてみていることに基づいているとレヴィナスは考えています。そうなると、語られたことにおいてはロゴスとなっているのですが、それは語ることの意味を痕跡と化していることによるのだと指摘して、不可思議な図式論の成立根拠を暴きます。語ることの意味は語られたことのうちで把握された存在というものの彼方に赴くのですが、しかしこの語ることの意味があって初めて存在論も正当化されているというのです。つまり不可思議な図式論の根拠は、語ることの意味にあるとされるのです。そして、語ることの意味とは語るときの言葉の動詞としての機能が時間を示すのですが、しかし時間的推移そのものは回収不能で、再現化不能であり、名詞の機能でもって自同性へと転化され、語られたことへと固定化されたとき、そこからこの語ることの意味は存在の彼方へと赴いているのです。

「存在論のうちでは忘れられていた数々の他なる意味の響きが、いまや、存在と存在の顕出の背後から聞こえてくる。『われらを探求せよ』、この響きはこう訴えている。」(同書、101頁)

レヴィナスが探求してきた倫理的関係の非場所的構成がこのようにして突き止められています。ロゴスの彼方にあり、ロゴスの前提となり、かつロゴスの外にある無限者、これの探求が今レヴィナスの、語られたことにおける痕跡、不可思議な図式論の前提、に向かった考察として実施されようとしているのです。

その際レヴィナスは、存在することが語られたことのうちに翻訳されていたり、そこに表出されていたりするのではなく、逆に語られたことにおいて初めて、存在することは存在することとして響くと述べています。そしてこの響きに、存在することと存在者との二重性を見いだしています。というのも語られたことのうちで固定化された言表のなかにある動詞の機能が存在を存在することへと時間化するからです。つまり問題を流動化したものそれ自体の把握としてではなく、対象化された形態で、そこにおける痕跡の問題として把握しようとしているのです。

(2)　言語がつくる二重性

「動詞は存在するという名詞であるだけではない。述定命題においては、動詞は、存在として理解され聴取された存在の響きそのものである。陳述においては、時間化が存在することとして響くのだ。
　このように名詞が存在者の自同性に必要不可欠なものであるとするならば、諸実体を同一化する名詞の体系として、それゆえ、諸存在者を二重化する記号体系として言語を捉えることができよう。ただし、ここに言う言語は〈語られたこと〉としての言語である。記号は、実詞によって、あるいは実詞から派生した言語の他の部分によって、諸実体を、諸々の出来事を、諸関係を指示する。記号は諸々の自同性を指示する。――要するに、記号は指示するものなのだ。けれども、言語を名詞ないし記号の体系とみなすことができたのとまったく同様に、言語を述定命題における動詞とみなすこともできる。述定命題においては、諸実体が存在様相、時間化の様相に解消されてしまうのだが、その場合、言語は諸存在者の存在を二重化することなく、存在することの沈黙せる響きを露わにするのである。」(同書、105～6頁)

　言語を語られたことにおいて考察し、そこに存在者を二重化する働きを捉え、言語を存在者を二重化する記号体系と捉えたレヴィナスは、名詞と動詞の機能を振り分けているのですが、この二重化はあくまでも言語の上でのことで、しかも時間化のほうは、沈黙せる響きとして捉えられています。

「だが、〈語られたこと〉においては、存在することは、今にも名詞に転じかねない状態で響く。存在することが、名詞化された関係でもあるという両義性は、であるという繋辞のうちで輝く、あるいは点滅する。動詞としての〈語られたこと〉は存在することないし時間化である。より正確に言うなら、ロゴスは、存在と存在者との両義性のうちで結節する。この両義性をとおして、存在ならびに存在者は理解され聴取され同一化されうる。この両義性においては、名詞は動詞として響くことができ、一方、陳述の動詞のほうも名詞化することができるのだ。
　存在することは言説の連鎖として展開され、この展開は不透明性を一掃し、そうすることで、ありとあらゆるイメージの輝きを、ひいては直観の光そのものを確たるものたらしめる。諸存在の顕示ならびに存在することそれ自体の顕示も、存在することのこのような展開によって可能になる。時間的分裂の顕示――言い換えるなら、顕示の顕示、現象性の顕示――は、述定命題において言表された動詞なのである。
けれども、動詞の最たるものとして、存在することを響かせ露出せしめていた動詞『存在する』も、同一化の空間の中で、まさにロゴスの両義性によって名詞化され、諸々の自同性を指示し聖別する言葉と化し、時間を単なる連繋として集約する言葉と化す。存在するという動詞――共時化可能な隔時性、時間化の領野、言い換えるなら記憶と修史の領野――が構造と大同小異のものと化し、一個の存在者として主題化され、一個の存在者として現出するのである。」（同書、110頁）

言語が存在者を二重化する働きを持つと捉えたレヴィナスは、この二重性が意識に対してどのように関係するか、ということについての考察をしています。存在者が名詞化される場合はロゴス化であり、それは理解の対象です。では動詞による存在者の時間化の場合はどうでしょうか。これについてはレヴィナスは聴取の対象と考えています。そして現実的には、名詞が動詞として響き、動詞が名詞化し、というこの両義性が意識による理解と聴取によって同一化されると見るのです。

次に、このような両義性を備えた言語が、現実に存在するという事が言説の連鎖として展開されるケースで、心性に感受される様相について、レヴィナスは述べています。言説の展開は意識の志向性、その光としての働きで存在者を顕示しますが、それは存在者の一連の時間的分裂を通してのことなのです。しかしながらこのような言説における動詞の機能も、同一化という意識空間の中では一個の存在者として主題化され、自同性を持ったものとして現出されてしまうのです。

「存在と存在者との混同を戒めていた基礎存在論それ自体、同一化された一個の存在者として存在を語っている。存在が存在者に転じるだけではない。存在者もまた存在に転じる。命名可能などんな自同性も動詞に転じうるものなのだ。
存在と存在者との両義性ゆえに生じる、このような二方面の変換はロゴスの両義性であり、〈語られたこと〉という位格をその源泉としている、と断定したとしても、存在と存在者の差異を統辞法のたわいもない戯れに帰すことにはならない。この場合、私たちは言語の前-存在論的な重みを測ろうとしているのであって、この重みをコードとしてのみ捉えようとしているのではない。存在することは曝露すると共に曝露されるという事態を、時間化は言表され、響き、語られるという事態を解釈しつつ、私たちは、〈語ること〉に対する優位を〈語られたこと〉に与えないように努めてもいる。そのためにはまず、〈語られたこと〉のうちで〈語ること〉を覚醒させなければならない。しかるに、〈語ること〉は〈語られたこと〉に吸収されてしまう。〈語られたこと〉に吸収されることで、〈語ること〉は〈語られたこと〉が押しつける歴史に組み込まれるのだ。」（同書、112頁）

言語が与える存在者の両義性、それはどんな名詞も動詞化され、どんな動詞も名詞化されるということを基にしているのですが、このことを解明したレヴィナスはさらにその先へと分析を進めていきます。

(3)　言語の両義性の彼方へ

その先とは、この両義性を差異と捉えてその戯れを捉えることではなく、言語の両義性の彼方へと進んでいかなくてはならないのです。そのためにレヴィナスは、語ることを吸収しそれを劣位においてしまう語られたことに対して、警戒し、語られたことのうちに痕跡としてある語ることをそれとして捉えなおすことが必要なのです。でもこれは非常に困難なことです。次は少し長いですが、レヴィナスの問題意識がストレートに述べられていますので二つに区切って引用しておきます。

「次のことは明らかである。存在の手前を名ざしているはずの本論冒頭の数々の表現においてさえ、存在するという動詞あるいは存在するという動詞がすでに使用されていること。また、〈語られたこと〉と化すや否や、存在は現出し、姿を現すということ。存在の手前に存する〈語ること〉が記述され、説話およびエクリチュールのうちで息絶えるとき、あるいは、説話およびエクリチュールのうちで〈語ること〉が自己を放棄するとき、存在は現出し、姿を現わす。存在と現出が〈語られたこと〉のうちで結び合わされている場合、〈語られたこと〉の手前に存する〈語ること〉も、それが現出しうるものである以上、すでにして存在という用語で語られるということ、これは至極当然な事態である。だが、存在の手前としての〈語ること〉が主題化されるということ、これは不可避的な事態だろうか。そもそも、こんなことが可能なのだろうか。」（同書、113～4頁）

レヴィナスはここで語ることと語られたこととの関係について、デリダとは反対の見解を述べています。語ることは語られたことあるいは説話の登場によって息絶えてしまうというのです。西欧哲学を語られたこと（エクリチュール）に対する語ること（パロール）の優位と見てこれを批判することで形而上学の克服を企てたデリダに対して、レヴィナスは語られたこと自体が語ることに対して優位性を持っていることをこのようにして明らかにし、語られたことを優位におくことをしないというみずからの立場を表明しているのです。このような語ることと語られたこととの関係がある中で、はたして語ることを主題化することができるのだろうかとレヴィナスは問うています。

　「これは不可避な事態である。たしかに、他者に対する責任は、どんな〈語られたこと〉にも先だつ〈語ること〉にほかならない。他者に対する責任という驚くべき〈語ること〉は、存在することの中断であり、善き暴力によって課せられる、内存在性の我執からの超脱である。他者に対する責任というこの驚くべき〈語ること〉は、根拠はないが避けることのできない身代わりの無償性であり、光に先だつ倫理の奇跡である。にもかかわらず、〈語ること〉を悩ませる数々の問いの深刻さそのものによって、この驚くべき〈語ること〉も光と化さざるをえない。〈語ること〉は存在することとして展覧され集約され措定されねばならない。〈語ること〉は実詞化され、意識ならびに知のなかでエオン〔存在するもの〕と化す。〈語ること〉は見られ、存在の支配をこうむる。たしかに、存在が〈語ること〉に及ぼすこの支配は、〈倫理〉それ自体が、責任というその〈語ること〉をつうじて要請した支配である。とはいえ、このようにして生じた光が、存在することの彼方を、存在することとして凝固させないためには、実詞化されたエオンが偶像として定置されることを阻止するためには、〈語ること〉が哲学に訴えることもまた必要である。〈語ること〉の存在が及ぼす支配を緩和することによって、哲学は、存在することとして示され語られた〈語ること〉の驚くべき冒険を、知解可能なものたらしめる。哲学の努力ならびに自然に反した哲学の立場は、手前を示しつつ、〈語られたこと〉および顕出において勝利したエオンをただちに還元することであり、このような還元をなしつつも、還元された〈語られたこと〉の谺を、両義性ないし隔時的表出として維持することである。〈語ること〉は〈語られたこと〉の肯定であると共に〈語られたこと〉の撤回でもあるのだ。還元は括弧入れによってなされるものではありえない。むしろ逆に、括弧のほうがエクリチュールの所産であり、還元は、存在することを倫理的に中断するエネルギーによってつちかわれているのだ。
　一切の顕出が存在することを露わにするものである限り、存在するとは別の仕方でを露わにすること――それも、依然として存在論的な〈語られたこと〉をもたらすことになろう。」（同書、114～5頁）

　レヴィナスにあっては語ることは他者に対する責任であり、社会性の形成であって、これがなければ語られたことは意味を持たないという見地からこの難題に迫っていきます。そしてこの社会性は語られたことのうちでは痕跡と化していてロゴスや知の外部へと放逐されてしまうのです。でもこのことが判れば、語られたことのうちに谺しているものを哲学的還元によって取り出せるのではないのかとレヴィナスは主張しています。その場合意識の志向性を働かせるための括弧入れという現象学の還元とは逆に、論理を倫理によって中断する還元が必要だというのです。

(4)　新たな還元

「存在によって集中される力がどれほどのものであろうとも、存在という統合のうちで共時化される力がどれほどのものであろうとも、このような動揺の隔時性が、存在によって、永遠として凝固することはありえない。主体的なものの〈善〉が、存在論を起点として了解されることはありえない。逆に、〈語ること〉の主体性を起点とすることで、〈語られたこと〉の意味のほうが解釈されうるのだ。〈語ること〉ないし責任が正義を要請しない限り、〈語られたこと〉および存在についての問いは存在しえないということ、この点を証明することがやがて可能になろう。」（同書、118頁）

この還元は存在によって集中される力に逆らってなされるものであり、全体性に集中していく暴力に逆らうものですから、非常に困難な作業となります。でもレヴィナスは、倫理が存在論を起点として了解されることはないし、逆にそれが語ることの主体性（他者の身代わり）を起点とするほかはありえないという確信に基づき、語られたことの意味が語ることから発していること、倫理から出発しなければ語ることの意味、存在への問いは存在し得ないということを証明する作業に取り掛かります。

「〈語られたこと〉における存在と存在者との両義性から、〈語ること〉にまで遡らなければならない。存在することに先立って、同一化に先立って――存在と存在者との両義性の手前で――、〈語ること〉は意味する。〈語ること〉は〈語られたこと〉を主題化する。しかし、〈語ること〉は他人に宛てて、隣人に宛てて〈語られたこと〉を意味づける。〈語ること〉のこの意味は、〈語られたこと〉のなかで言葉が担う意味と混同されてはならない。近さのうちで他人に対して意味すること。近さはほかのどんな関係とも際立った対比をなしており、そうした近さが思考可能となるのは、それが他人に対する責任である限りにおいてなのだが、かかる近さを、人間性、もしくは自己と呼称することができよう。存在ならびに存在者は〈語ること〉によって生起し、〈語ること〉によって重くのしかかる。他人に対する責任以上に深刻なもの、それ以上に尊いものは何もない。〈語ること〉は戯れのまったき不在であり、自分自身の存否以上に重大な深刻さをおびている。
　〈語られたこと〉に到るに先だって、まさにこのような〈語ること〉に至り、〈語られたこと〉を〈語ること〉に還元しなければならない。まず、『先立つ』という事態の意味を定めなければならない。〈語られたこと〉を意味するに先だって、〈語ること〉は何を意味するのか。現象学とは言い換えるなら〈語られたこと〉の主題化であるが、このような現象学に帰されることのない筋立ての結び目を示そうとする試みは果たして可能だろうか。」（同書、119～20頁）

　レヴィナスはここで語られたことを語ることに還元することを試みています。この還元は現象学の還元を借りてきたものですが、しかし先に述べているように、何を何に還元するかでぜんぜん違います。ここでレヴィナスが試みている還元は、語られたことにおける、言語の両義性に注目し、存在することという言明やそれに意味を与えるロゴスによる同一化に先だって語ることに意味はあるというのです。つまり言語が書かれてしまったときの意味を還元して、話されるときの意味を探り出すのです。そしてこの意味は、語られたことの中で言葉が担う意味とはまったく違ったもので、語ることにおいては相手との関係において社会的関係を紡ぎだしており、この紡ぎだされたものを指しているのです。そしてこの紡ぎだされたものとはレヴィナスにとっては倫理的関係が産みだす他者に対する責任にほかなりません。

　社会関係にもいろいろありますが、レヴィナスが注目するのは倫理的関係であり、それを近さにおける人間性と捉え、そうする事で対話関係における意味の生成を跡付けているのです。ですから現象学の還元が、もっぱら語られたことを主題化するにとどまり、その彼方へと赴くことはないのですが、レヴィナスの試みは現象学的還元に帰されることのない筋立てなのです。こうしてレヴィナスは現象学を継承した立場から、新たな課題を設定し、その試みの可能性について追求していきます。

「〈語ること〉における存在論の手前さえ、存在することの現われのうちに露出し、存在することの時間化のうちに流れ込んでゆく。また、〈語ること〉のこのような主題化によって、意識の諸特徴が〈語ること〉のうちにはっきり姿を現わすということは言うまでもない。〈語ること〉と〈語られたこと〉との相関関係においては、〈語られたこと〉は志向的能作のノエマとして理解され、言語は狭隘化して思考と化す。言語の狭隘化によって生起したにもかかわらず、この思考は発語の条件と化し、主体に担われた能作として、命題のうちに定位された『主格の』存在者として、〈語られたこと〉のうちに現出する。相関関係を結んでいる限り、〈語ること〉と〈語られたこと〉は主体―客体の構造を描くのだ。」（同書、121頁）

この試みの困難さについてレヴィナスはこのように述べています。語ることは語られたことになってしまいますから両者は相関関係にあります。両者を相関関係として捉える限りは、語られたことは意識のなかでの現象とされ、思考に狭隘化されます。これが不可思議な図式となり発語を条件づけてきます。レヴィナスはこの相関関係を、主客の構造を作り出すものと見ています。そうであれば語ることにおける存在論の手前に入っていくことは、主体の能作とは違った要素で導くしかありません。近さが倫理的関係の発生源であり、それが紡ぎだされるのが対話であることを明らかにし、「〈語ること〉のうちで確実に成就される隣人との関係はこの隣人に対する責任であり、語ること、それは他者に対して責任を負うことである。」（同書、123頁）ということが分かっているにもかかわらず、これを哲学的に解明するのは難しいのです。

(5)　受動的な感受性

そこでレヴィナスは、語ることが、能作でありながら、「〈他人〉への曝露という至上の受動性として」（同書、123頁）あり、この受動性によって「志向性の『逆転』が生じる」（同書、123頁）事に注目します。

「いま述べたような受動性を正当なものたらしめるのは、『それが話す』あるいは『言語が話す』の発見ではない。至上の受動性を正当化するためには、接近としての〈語ること〉のうちに存する。主体の脱措定ないし脱定立を示さなければならない。とはいえ、このように脱定立されつつも、主体は代替不能な唯一性でありつづける。そしてこの唯一性が主体の主体性なのだ。受容性のうちに、主体の受動性の最良の原型をみる哲学者たちもいるが、私たちの言う受動性はどんな受容性よりも受動的な受動性なのである。」（同書、124頁）

志向性とは逆方向の感受性に到達することで、レヴィナスは言語の不可思議な図式論を乗り越える梃子をつかみました。そしてそのあとには主体の主体性についての新しい見解が誕生し、それが自己とは区別された、自己の唯一性として、他人の身代わりになる一者として提示されていきます。

「〈語ること〉の主体は記号ないし徴しを与えるのではない。そうではなく、〈語ること〉の主体はみずから徴しと化し、他人への忠誠のうちに消え去るのだ。」（同書、127頁）

語ることが語られたことになるという相関関係からどのように離れていくか、それは志向性に対して感受性を対置し、ここから語ることにおける他人への曝露を手がかりに主体としての自己が徴しとなり、他人の身代わりになる一者として形態規定される、このことの発見がついにこのような困難な思考の果てに成し遂げられます。

「複合性なき一者に逢着する解離。それが語ることにおける受動性であり意味することなのだ。語ることにおける受動性ないし意味すること、それは皮膚を貫く剥奪であり、この剥奪は致命傷に、さらには死にさえもさらされる剥奪である。可傷性として存在すること、それが語ることにおける受動性ないし意味することなのだ。」（同書、128頁）

　今やレヴィナスは高らかにみずからの倫理哲学の帰結を語ります。人間が倫理的存在であることの根拠がここで示されます。それは一言で言えば、「存在することを逆転せしめる解離であるが、この解離は存在することの否定ではなく、内存在の我執からの超脱、『存在することとは別の仕方で』なのだ。」（同書、130頁）ということになります。このように倫理的関係の根拠が明らかにされると、現象学をはじめとする西欧哲学の主体論や自我論の限界が示され、倫理哲学のためには自我の脱措定、自己に反してを理解することが問われるのです。

「つまり、〈自我〉の脱措定とは、供物の、苦しみの、外傷の可能性そのものとして受肉する、自己に反する自己なのだ。したがって、〈語ること〉という他人のために〔他人の代わりに〕は、～についての意識という用語によっても、主題化する志向性という用語によっても、約束・関与という用語によっても扱われるべきものではない。つまり、〈語ること〉の意味することは約束・関与に送り返されるものではなく、逆に、約束・関与のほうが〈語ること〉を前提としているのだ。では、このような自己に反してをどのように理解すべきであろうか。」（同書、131頁）

　『全体性と無限』では、自己の解離や、自我の脱措定が言語そのものによってなされるものとして、倫理への接近がなされていました。これに対して『存在の彼方へ』では、言語自体が語られたことにおける同一化を成し遂げる婢女として位置づけられ、語ることを語られたことへと還元する際に、エポケー（日常的意識の括弧いれ）ではなく、近さそのものの解明と向かい、近さが感受性によって成立していること、そこにおいては自己が、解離され、他人のために身代わりとなる一者として形態規定されていることの解明へと進んだのです。

4）現象学への内在的批判

　全体性とその外部にある無限という構えから、西欧哲学を批判した『全体性と無限』とは違って、『存在の彼方へ』では、フッサールの志向性の限界を指摘するところから進んで感受性という立場から、意識と対象との関係を逆転させていきます。フッサールのノエシス、ノエマを借用しつつ、レヴィナスは次のようにその限界を指摘しています。

「つまり、『経験的』なものにせよ『理性的』なものにせよ、探求は相互に包摂し合う諸理念の連関を解明し、ある『内容』を他の『内容』から抽きだし、これやあれやを同一化するのだ。このようなものが知の『主観的』運動であり、したがって、この運動は存在の存在することそのものに、存在することの時間化に属している。時間化することで、存在することは意味を獲得する。存在することのこのような時間化においては、イメージはすでにして理念であり、他のイメージの象徴である。イメージは主題であると同時に開けであり、画像であると同時に透明性なのだ。知のこのような主観的運動は、しかしながら、ノエシスならびに思考者に対するノエマの無関心に委ねられ、ノエシスならびに思考者はノエマのうちに吸収され、そこで忘れられてしまうのだ。
　知、同一化はこれをあれとして了解し、これをあれであると主張する。したがって、知ないし同一化の悟性は、感性的なものの純然たる受動性のうちには宿っていない。イメージの直観としての感性的なものにしてからがすでに『主張』なのだ。」（同書、153～4頁）

　フッサールのノエマとは意識に現象している諸現出と一体になったものとして捉えられた現出者のことで、他方ノエシスとはこのノエマを作り出す意識の働き（志向性）であり、ノエマとノエシスとは一体となったものでした。このフッサールの現象学に対して、レヴィナスはそれを知の主観的運動と捉え、フッサールの志向性はこれやあれやを同一化し、存在することを時間化することで意味を付与していくが、しかし結局は志向性はノエマに吸収されてしまうと述べています。この展開はよくわからないところがありますが、レヴィナスが志向性に代えて、逆方向の感受性を提起していることを考慮すればなんとなく解るような気がします。

「そしてここでは、感受性が意味であることを示すことにしたい。顕示された意味はすでにして〈語られたこと〉――何ものか――『主題化されたもの』である。たとえこのような顕示に先だって哲学することができないとしても、この事態の意味は、顕示は意味によって正当化されるものではないということではまったくない。意味のほうが顕示を動機づけているやもしれないのである。裏切られ還元されつつも、意味は顕示され現出する。言い換えるなら、意味は〈語られたこと〉のうちに現出する。何ものかが現出するに先だって哲学することはできないという事態は、どんな現出とも相関的な『存在』の意味が一切の現出、一切の意味の源泉であるというハイデガーの創見を意味しているのではないし、フッサールが考えているように、顕示が現出するものすべての基礎であるということを意味しているのでもない。西欧の伝統においては、心性は、存在とその現出のあいだで、存在とその現出の相関関係のうちで働くものとみなされている。が、このような心性の意味それ自体について、あらためて考えてみるべきだろう。」（同書、167頁）

レヴィナスは意識の志向性に対置して感受性を措定しますが、この感受性を受け取るものは意識ではなく、心性だと見ています。そうすると、意味は意識で捉えられるものですから「語られたこと」として主題化されており、こうしてフッサールでは志向性による顕示に意味を求めるのです。しかしレヴィナスの新しい言語論からすれば、「語られたこと」によって裏切られ還元されるとはいえ、意味のほうが逆に顕示を動機付けており、それが心性が持つ感受性ではないかというのです。

「志向性のありとあらゆる『性質』ないし『措定』の間に存する並行関係を、フッサールはつねに肯定していたのだったが、主題化の意味および主題化された限りでの主題化されたものの意味と、感性的なもの固有の意味とのあいだには、この並行関係からは想像もつかないような深淵が口を開けている。フッサールのいう並行関係は心的なものと志向的なものとの等価性を含意しているのだ。このように、志向性は心性の本質への導きの糸として、と同時に感受性の本質を司るものとして捉えられているのだが、かかる志向性を放棄しつつ、私たちは、自然ないし本性に先だって感受性が有する意味を考察することにしたい。」（同書、168頁）

レヴィナスはフッサールの志向性が心性をも含むものであることを認めた上で、しかし志向性によって主題化されたものと、心性が受け取る感性的なものとの間には深淵があるとし、心性の意味を探るためにはまず、志向性を放棄することが必要だと主張しています。

「突如として、自同性に弛みが生じ、自同性に隙間がうがたれる。心性とはこのような仕方で自同性に突発する位相差の形式である。自同者は自分自身との合致を阻まれ、眠気と不眠とのあいだで引き裂かれ、完全なものと化すことも休息を見いだすこともない。喘ぎであり、震えである。とはいえ心性は、疎外されて他人の奴隷と化した〈自同者〉の自己放棄ではない。他人に対して十全に責任を負うた献身なのだ。他人に奉仕する責任によって告発される自同性なのだ。責任の相のもとにある魂の心性、それは自我の内なる他人である。告発されつつも自己であるような自同性の病、他のために身代わりになる同、他に触発される同である。常軌を逸した取り違え――身代わり――は、見かけだけのごまかしでも、意味に先だつ知解可能性としての真理でもない。そうではなく、〈語られたこと〉において主題化される存在の秩序の転覆、語られた諸関係の同時性ならびに相互性の秩序の転覆なのだ。身代わりという意味は、受肉としてのみ可能な意味である。心性における気息そのもの、自同性のなかの他性としての生気、それは、他人にさらされ、『他人のために』と化した身体の自同性である。贈与することの可能性なのだ。」（同書、169～70頁）

ここでレヴィナスは心性を他人との関係において働くものとして考えています。『全体性と無限』では言語に対話者同士の社会的関係が投影されていましたが、今度は心性に他者との関係が投影されています。そしてこの心性が感受性に基づいて他人の身代わりという意味を受け取り、これが志向性における顕示を動機付けるのでしょう。

「情動的なものや感性的なものの意味することによって構成される、他人のために身代わりになる一者は、存在に関する知でもなければ、知以外の何らかの仕方で存在することに接近することでもない。認識することからも、認識されるものであるというみずからの条件からも、意味はその意味することを抽き出すことがない。」（同書、170～1頁）

他人のために身代わりとなる一者とは、自己が他者との関係（近さ）において、心性が感受することで発生する新しい自己といったようなものでしょう。これはそもそも自己にはなかったもので、他者との関係において与えられるものであり、レヴィナスはこれを主体性と見なしているのですが、そういうことなら、この主体性とは人間の社会性のことにほかならず、他人のために身代わりとなる一者とは、社会関係における形態規定のもたらすものの事でしょう。実際にレヴィナス自身「身代わりという意味は、受肉としてのみ可能な意味である」（169頁）と明確に述べているのですから。つまり形態規定によって、自己に受肉されるものが一者なのです。とはいえレヴィナスはこの問題に対して人間の心性が受け取る感受性から説明しようとし、そしてそれが倫理であるということで、その主体性の内容を構想しているのです。

「～についての意識を生気づけているのは心性のかかる分音、その『無秩序』であり、哲学的な〈語られたこと〉においては、心性のこの『無秩序』が超越と呼ばれているのだが、語られたことは、心性の『無秩序』を現出せしめると共に裏切る（否、裏切りつつ現出せしめる！）。しかし、たとえ心性が〈語られたこと〉のうちに現出するとしても、心性はこのような〈語られたこと〉において意味するのではない。意味、それは他人のために身代わりになる一者であって、この一者は自同性を有しつつも自分自身と合致することがなく、生気づけられた身体、言い換えるなら、他者に委ねられつつ自己を表出し、自己を流出させる身体の全重量に等しい！自己のこのような流出、裏返された努力、存在することの逆転のごときもの。」（同書、173頁）

主体性が人間の社会性であり、身代わりが形態規定によってもたらされるものだと判明すれば、ここでのレヴィナスの叙述も言わんとするところが明確になってきます。レヴィナスは形態規定という人間の社会関係において働く力を、心性が感受性によって受け取るものと捉え、そしてそれを他者による脅迫だとか外傷だとか言う言葉で表現しようとしているのです。

「とはいえ、いわゆる受肉した主体は質料化から帰結するのではない。空間に組み込まれ、接触と金銭の諸連関に組み込まれたがゆえに、主体が受肉するのではないのだ。ちなみに、接触と金銭のこのような連関を成就しうるもの、それは意識である。言い換えるなら、一切の攻撃から護られ、元々は非空間的なものであった自己意識がかかる連関を成就するのである。主体性は感受性であり、他人たちへの曝露であり、他人たちとの近さゆえの可傷性と責任であり、他人のために身代わりになる一者、言い換えるなら意味である。質料とは『他のために』の場所そのものであり、同時性の体系――言語学的体系――のうちで〈語られたこと〉として現出するに先だって、意味が意味する仕方である。だからこそ主体は、血肉をそなえた主体として、飢えを覚える人間として、食べる人間として、皮膚のなかに内臓をもつ者として、自分の口にくわえられたパンを贈与し、自分の皮膚を贈与することができるのだ。
　このように意味は、感受性における他人のために身代わりになる一者にもとづいて思考されるのであって、発語者にとっての言語のうちに同時的なものとして組み込まれた諸項の体系にもとづいて思考されるのではない。ただし、かかる諸項の同時性それ自体はというと、それは発語者の状況にほかならない。〈語られたこと〉――ロゴス――を、主題化された意味を、存在と存在者との両義性による諸項の集約を言表する話者においてほど、多様な諸項が互いに現前し合い、多様性が操作可能なものと化すことはないのだ。」（同書、187～8頁）

　形態規定の問題を心性にもたらされる感受性から説明し、これを人間の主体性と位置づけるレヴィナスの試みは、もともとは西欧哲学の全体性への批判から発し、意識にのぼる論理にすべてを回収してしまう思考に対する内在的批判として、その外にある無限に対しての哲学的接近でした。言語に人間の社会関係を投影させていた段階から更に進んで、主体性という問題提起で、自己と他者との関係そのものの哲学的考察としてなされたのが、ここでの問題提起でしょう。レヴィナスはここで、心性が感受性によって受け取ったことで自己が受肉することに意味の生成を求め、そしてこの意味が非空間的な自己意識の前提にあり、語られたことに安住している自己意識が、語ることのうちに表現される感受性の働きで覆されるさまを描き出しているのです。

5）新たな主体性論の展開

　心性と感受性から出発して新たな主体性を描き出すことが問われてきますが、レヴィナスはそれを近さから説き始めています。

「本来的な意味での近さは人間に準拠しているのだが、以上に述べたことからも分かるように、まずもって意識として、言い換えるなら、知ないし権能（結局、知と権能とは同じものなのだが）を授けられた自我の自同性として、人間を解してはならない。自分とは別の存在が視野のうちに、あるいは手の届く範囲にある限りで、また、握手、愛撫、争い、協力、交易、会話の相互性をつうじてこの別の存在を、掌握し、掴まえ、彼と話し合うことができる限りで、自分とは別のこの存在は近しい存在とみなされる。けれどもこの近さは、このような意味での近しい存在についての意識のうちに解消されるものではない。意識――可能事の意識としての意識、権能、自由――は、本来的な意味での近さをすでに喪失していることになろう。知ないし権能よりも古き主体性を、意識は自分自身のうちですでに抑圧しているのだが、それと同様に、意識は、近さを俯瞰し主題化することで、本来的な意味での近さをすでに喪失していることになろう。」（同書、199～200頁）

近さこそが心性に対して感受性が働きかける場なのですが、このいわば磁場としての近さについて、これが意識によっては捉えられないことについてレヴィナスはこのように述べています。自己意識として人間を考えることに対する批判として、意識はそもそも感受性が働く場としての近さを対象化できないというのです。というより意識で対象化したとたん、近さは、感受性の働く場ではなくなっているのです。ここでレヴィナスが本来的近さと言っているものはこの感受性の働く場のことで、意識の志向性は、感受性を喪失させてしまうのでした。

「主体性とは代替不能な自己自身である。が、厳密に言うなら、主体性は、その自同性のうちに主格として定位された自我ではない。そもそもの初めから、主体性は～を余儀なくされている、一種の対格として、そもそもの初めから責任を負わされ、この責任を回避することができないのだ。」（同書、204頁）

主体性を人間の社会性と捉えたレヴィナスは、それを倫理的主体として考えているのですが、身代わりを主体性と捉える捉え方は、ハイデガーや実存主義が想定する主体性とは方向が逆向きになっています。本来的な自己に目覚めたり、投企をたくらんだりする主格として定位された自我ではなく、他者の身代わりになるといういわば対格におかれることが主体性だというのです。

「このように考えてくるなら、二項間の連関として近さを語るだけでは不十分であろう。連関である限り、連関しあう諸項の同時性は揺るぎのないものとみなされるからだ。然るに、〈同〉と〈他〉との差異は、〈同〉に対する他人の脅迫という、無関心-ならざることであって、このような差異によって諸項の共時性、諸項の総体が断たれるということ、この点を強調しておかねばならない。原則として理性的秩序は、単なる諸関係からなる体系に向かう。が、近さはこのような理性的秩序にとっての例外である。近さの例外性、それは、非相互的な脅迫をつうじて隣人に脅迫される主体性へと、関係を実詞化することなのだ。隣人に脅迫される主体性を、諸関係の何らかの交叉点に還元することはできない。体系をなすこれらの関係はその『普遍的本質』によって価値をもつからだ。これに対して、主体性はほかならぬ実詞化によって価値をもつ。たしかに、主体性も〈語られたこと〉のうちに現出しはするが、主体性が名詞として〈語られたこと〉のうちに現出するのではないことは言うまでもない。いずれにせよ、主体性が存在者のごときものとして〈語られたこと〉のうちに現出することに変わりはないが、その際、主体性は名詞としてではなく、代名詞として現出する。主体性は連関であると同時に連関の項である。ただし、連関の項が一種の主体と化すのは、言葉を弄ぶわけではないが、不可逆的な連関に従属した従僕としてである。不可逆的なこの連関は自己への還帰ではない。この連関は不断の要請であり、不断の凝縮であり、悔恨のくり返しである。
　一者はこのような不可逆的連関の項として当の連関から解き放たれるのだが、まさに何ものもこの一者と合体したり、それを包摂したりすることはできない。近さに先だって主体性があり、後に主体性が近さに捲き込まれるのではない。それとは逆に、連関でもあれば項でもある近さのうちで、一切の約束が結ばれ、関与が可能となるのだ。そればかりか、受肉せる主体性という難題と取り組む際の起点となるのも、おそらくはこの近さである。主体はあくまで自由な主体でなければならない、という見解が一般には唱えられている。だが、主体は表象のうちで非自我を与えられる。たとえこの非自我が志向的対象であったとしても、このことに変わりはない。しかもこの主体は、逆説的にも、自分自身の表象のうちに囚われてしまう。有限な自由という矛盾した概念によって、この逆説を解明することはできない。有限な自由という矛盾した概念に訴える哲学者たちもいるが、その際、彼らは『自由および非自由双方の手前』という排除された第三項を拒んでいるのだ。」（同書、205～6頁）

　二項間の連関というとき、普通は数学の等式のようなものが考えられますが、レヴィナスの近さはそのような関連ではなくそこで心性に対する感受性が働く場ですから、関係そのものがある種の凝固作用をもち、価値を形成します。関係の凝固から主体性はその価値を受け取るのです。

　レヴィナスは主体性は連関であると同時に連関の項であると述べ、さらに、連関の項が主体と化すのは不可逆的な連関に従属した従僕としてであるといっていますが、これはまさに人間の社会関係における形態規定の働きについて述べているのです。個々の人間にとっては、近さから受け取る人間の社会性という一者は、社会関係を結ぶ限りでその関係によって付与されるあるもので、それと合体してそれを自己意識の自由の下に置くことはできず、また、もともとあった社会性が近さに新たに巻き込まれる、といったことでもなく、この近さで一切の社会的約束が結ばれ社会的関係が可能となるのです。

「近さにおいては、顔は、私に隣人を押し付ける隠れた神の徴しとして機能しているのではない。顔は自分自身の痕跡であり、遺棄の痕跡の内なる痕跡であって、しかも、このような痕跡の曖昧さが解消されることはないのだ。顔は主体を脅迫する。主体と相関関係を結ぶことも、意識のうちで私と同等のものと化すこともなく。責務の栄えある増大につれて、現れるに先だって、顔は私に命令する。これこそが、現在および現前には還元不能で、かつ現在とは異なる意味の諸様態であり、無限の法外さそのものを織りなす諸様態である。これらの様態は、存在論的に解釈されることを待ち望む無限の徴しでも、無限の『存在すること』に付加される何らかの知でもない。思弁的な仕方で、接近を乗り越えることはできない（最終的には、接近は身代わりとして示されることになろう）。接近、それは〈無限〉の栄光なのだ。痕跡――自分自身の痕跡、痕跡のうちに放逐された痕跡――としての顔は、無規定の現象を意味しているのではない。顔の両義性はノエマの無規定性ではなく、接近することをやめることなき接近という大いなるリスク、他人への一者の曝露、このような曝露の曝露、曝露の表出、語ることへの誘いなのだ。顔が近づくことで、肉は言と化す。愛撫は〈語ること〉と化す。顔を主題化すると、顔ならびに接近は解体されてしまう。私の責任のもとで顔が自分自身の不在を指示するその様相は、倫理的言語のなかだけを流れるような記述を要請しているのだ。」（同書、224～5頁）

このように西欧哲学の自己意識論の彼方にある近さ、これを表現するために選ばれたのが顔にほかなりません。接近して心性の徹底的に受動的な感受性に働きかけるものとしての顔、これは主題化し意識で捉えたとたんに顔も近さも解体されて、痕跡となってしまいます。つまりレヴィナスは、ここで近さと顔について述べているのですが、だからこそ顔が痕跡であると言っているのです。近さを意識化し、顔を意識化したとたんに、本来の近さは消え去り、そこにあった顔も痕跡となります。ですから意識化される以前の近さと顔が問題であり、このことにレヴィナスは注意を促しているのです。

6）意識と自己意識への批判

さてレヴィナス自身が『存在の彼方へ』の中心だと述べている第四章身代わりに入っていきましょう。そこでは意識や自己意識に対する根底的な批判が試みられています。

「諸存在は数々の射映の散らばりをとおして現れる。だが、意識と呼ばれている、諸存在との関係においては、私たちは、射映のかかる散らばりを貫いて、これらの存在を自同的なものたらしめる。また、自己意識においては、私たちは時間的諸位相の多様性を貫いて自己同一化する。意識という相をまとった主体の営みとは、いうなれば、存在自身が自己を喪失すると共に自己を再び見いだし、ついには、現出することによって自己を所有することなのだ。このとき、存在は主題として自己を差し出し、真理のうちで自己を提示する。このような同一化はいかなるイメージの片われでもない。かかる同一化は精神の主張であり、宣言ないし宣布と化した語ることである。とはいえこの同一化はなんら恣意的なものではない。そうではなく、この同一化は、言語のうちでなされる図式論の不可思議な操作に依存しているのだ。一個の理念性が相貌やイメージの散らばり、射映ないし位相の散らばりに対応しうるのも、言語のおかげである。とすると、ある存在を意識するとき、私たちはつねに、一個の理念を媒介とし、〈語られたこと〉を起点として、この存在を把握していることになろう。個的な経験的存在への接近でさえ、ロゴスの理念性を介してなされるのだ。
　このように意識としての主体性は存在論的出来事の一分肢として解される。存在論的出来事が『存在することの行いないし武勲詩』として展開されるような『神秘的な道程』の一つ、それが意識としての主体性とみなされるのだ。主題であること、知解可能であること、開かれてあること、自己を所有すること――存在の内なる所有の契機――、これらはすべて、存在することの行程のうちで分節化される。理念的始原――主題として提示されたアルケー――にもとづきつつ、自己を失い、自己を再び見いだすことで、存在は、存在するというその仕事を進める。理念性という迂路を経ることで、存在は自己との合致に、言い換えるなら確実性ないし確信に導かれる。」（同書、232～3頁）

　批判を提起する前に、レヴィナスは意識と自己意識について、その特徴を描き出しています。諸存在と自我との関係としてある意識は、まず存在を自同的なものたらしめます。また自己意識においては時間を貫いて自己を同一化します。ですから意識の担い手としての主体、そして西欧哲学の主体とはそのようなものですが、それは自我が存在に向かうことで自己を喪失しながらも、意識としての自己を再び見いだし、存在を主題としてさしだし同一化を成し遂げるのです。レヴィナスはこのような同一化は言語のうちでなされる「図式論の不可思議な操作」に依存していると考えています。ですから意識としての主体性とはレヴィナスの主体性とは違って、存在論的出来事の一分肢とされてしまうのです。

「しかも、〈西欧〉の哲学的伝統にとっては、どんな精神性も、意識のうちに、存在の曝露のうちに、知のうちに宿っているのだ。
　知としてではなく近さとして解された感受性を出発点とすることによって、――情報の流通と化した言語の背後で、接触および感受性を探求することによって、私たちは、意識ならびに主題化には還元不能なものとして、全体性を記述しようとした。近さは〈他者〉との関係として現れるのだが、それを『イメージ』に解消することはできないし、この関係を主題として提示することもできない。〈他者〉は、主題化のアルケーと単に釣り合わないものでなく、主題化のアルケーと共約不能なものであって、それゆえ近さは、宣布としてのロゴスから自己の自同性を抽き出すことなく、一切の図式論を挫折させるものとの関係なのだ。
　主題のうちに宿ることができないということ、現れることができないということ、――このような不可視性が『接触』と化し、脅迫と化す。とはいえ、この不可視性は、接近されるものが『意味しないこと』に由来するのではなく、顕示と視覚を結びつけつつ意味する仕方とはまったく別の意味する仕方に由来するのであって、そこでは、記号としてなおも主題化されるような何らかの意味が、可視性の彼方で提示されることはまったくない。彼方へと超越すること、それこそが意味そのものなのだ。意味とは言い換えるなら、他人のために身代わりになる一者という、矛盾をはらんだ向性である。他人のために身代わりになる一者は直観の欠如ではなく、責任の剰余である。他人に対する私の責任は『～のために身代わりになる』という関係であり、意味の意味することにほかならず、意味の意味することは、〈語られたこと〉のうちで現出するよりも前に、〈語ること〉のうちで意味する。他人のために身代わりになる一者とは、言い換えるなら、意味の意味することそのものなのだ。」（同書、233～4頁）

　意識や自己意識、さらに意識としての主体性、今やこれへの批判がレヴィナスにとって問われてきています。意識の対象化されたものは知にほかなりませんが、知ではなく近さと感受性を出発点とし、言語の背後にあるものを探求し、主題化や意識への還元が不能なものを描き出す、ということは主題化することにつながりますが、そうではない形で、一切の図式論を挫折させるものとの関係を措定することで、この批判をなそうと考えているのです。

　主題化不能とはさしあたり不可視性ですが、近さであって不可視であって、感受されうるもの、これが、存在の彼方へということ、存在するとは別の仕方でということ、の内実でした。そしてそこでの意味は主題化され記号化されるような意味ではなく、存在の彼方へと超越すること自体が意味であり、そして超越とは他人のために身代わりとなるということであり、そこで起きる他人のために身代わりとなる一者が意味そのものだとレヴィナスは述べています。

「意識とはまったき同等性、自己と自己との同等性である。意識はまた、意識に即して、責任が自由によってつねに厳密に測ら

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Author: admin Published: 2007/7/5 Read 2811 times

文化知思想の探求（第1回）前

第三節 『存在の彼方へ』

1）『全体性と無限』との対比

2）新たな言語論

(1) 動詞についての言語論的考察

(2) 動詞と名詞

3）〈語られたこと〉と〈語ること〉

(1) 不可思議な図式論

(2) 言語がつくる二重性

(3) 言語の両義性の彼方へ

(4) 新たな還元

(5) 受動的な感受性