第1章　廣松体験
　1）プリコラージュ　2）認識論的主観形式　3）関係と項　4）物象化と意志支配　5）対話の権力作用　6）無の弁証法
第2章　認識論的主観主義
　1）認識論的主観主義の自己否定　2）能知的主体の自己形成
第3章　四肢構造論
　1）観念論の採用　2）新しい認識論の前提　3）精神世界の現象にむかう　4）"主体"の共同主観的自己形成　5）四肢構造論の問題点
第4章　関係と項
　1）関係と反照　2）関係における観念論的な実在性　3）言語モデルは物象化的錯視の産物　4）まとめ

第1章　廣松体験

1）プリコラージュ

　レヴィ＝ストロースというすごい人が居る。彼は『野生の思考』で、いわゆる「未開人」の思考が近代の科学的思考と比べて、対象を認識するという点において優劣をつけられるようなものではなく、そのプリコラージュ（器用仕事）にでもなぞらえるようなすばらしさをもっていることを明らかにしている。ところが、この同じ人が『親族の構造』で明らかにした構造論には、すごいものだという感じはするがどうもなじめなかった。そして、彼がまだ健在で『神話学』を書いているということで、時には図書館で拾い読みしてみるのだが、こっちの方にもついて行けない。
　職業的学者として誰かの弟子にならなければならないといった関心からならともかく、今日の社会を分析しうる理論かどうか、という実践的見地からすれば、役立つようには思えないのだ。これは『親族の構造』で女の交換の法則として定式化された構造論にも言えることで、学説としては面白いが、どうもレヴィ＝ストロース個人の認識的枠組みで終わっているようなところがあり、一般的な方法論としては成立していないという気がしていた。神話の構造の分析になると、これはレヴィ＝ストロース本人にしか出来ないプリコラージュだと見なす人も居て、何となく納得させられたこともあった。
　廣松渉氏についても、同じように、すごい人だとは思うが、廣松哲学は、彼本人にしか出来ないプリコラージュで汎用性がない、という気がしていて、真面目に検討したことはなかった。ところが、今回雑誌『情況』の編集に協力することになり、座談会に呼ばれた時、廣松氏の『近代の超克論』を素材に議論するということを知らされ、にわかに『世界の共同主観的存在構造』を読み直して上京した。上京する前には、せっかく読み直したのだから、廣松批判の論文を書こうと考えていたのだが、座談会を終えて帰ってきてみると批判的批判をしたり、学術論文的体裁をとったものを書いても面白くないことに気付いた。それで、私の廣松体験の旅ということで、前日の社思研の事も含め、起きたことを書き連ねてみたい。

2）認識論的主観形式

　社思研の事は何も知らなかったのだが、『段階論の研究』（お茶の水書房）という大部の労作を書いた新田滋さんが、廣松氏の物象化論について批判的なコメントをするということで、期待して参加した。研究会は20名を超える参加者で、新田さんから「廣松渉氏の自己疎外批判をめぐって」というレジュメが出され、そしてそれに対するコメントが小林昌人さんによって、「新田滋氏の廣松批判によせて」と題するレジュメにまとめられていた。
　大学の教官とはほとんど付き合いのない私にとって、廣松学派の重鎮たる吉田憲夫さんや大庭健さん、といった活字でしか出会えていなかった人物の身体に接することは、それ自体で感激だった。
　さて、研究会について報告することが目的ではないので、吉田さんらの面白い発言については紹介しないことにして、自分の体験について述べていこう。
　私はかねがね、廣松哲学は認識論の枠内でしか成立していないと考えていて、四肢構造論も、主観が持つ認識論的主観形式に過ぎないのではないかと思い、そして、今回、本を読み直して見て、廣松氏が言語の二重性を例証にして四肢構造論を導いていることが判明したので、このような批判的意見を述べた。ところが、私の意見表明に対して、隣にいた仲正昌樹さんが、廣松氏は認識論的主観形式だとは言っていない、又、言語からの例証もしていない、とコメントしてきた。
　実は私が発言する前に、仲正さんは、廣松氏の四肢構造論にもとづく共同主観の形成について、例えば、或る物が何であるかについて自分がどう思うかではなく、仲正さんの隣に居る新田さんや私がそれをどう呼んでいるかで決まるのだと発言していたので、わたしは、てっきり廣松理論をマンガ化して、その欠陥を示していると思い込んでいた。
　実体験にあっては、仲正さんもそうすると思うが、私がAだと判断したものに、新田さんがBだと言い、仲正さんもBだと言っても、私は他人の意見に従う前に、もう一度対象そのものと向き合おうとするだろう。仲正さんは、廣松哲学の痛い所をついたのだと考えていたのだが、後の飲み会での議論も含めると、仲正さんは、四肢構造論を脱構築して何とか生かして行きたいと考えていたようだ。

3）関係と項

　次に私は、関係の一次性ということに関連して、廣松氏は、主観－客観図式と実体主義批判に急な余り、両極によって成立している関係の二つの項の果す役割について明らかに出来ていないのではないか、と述べた。吉田さんと石塚良次さんが深刻な顔で聞いてくれたので、これについての議論はなかったが、私は大いに満足した。
　新田さんの報告は廣松氏が「疎外論について正確に理解することなく、表皮的に批判し去ったに過ぎない」というところに一つのポイントがあり、「個人・主体性・実存・自由の問題がブルジョア哲学の地平として軽くあしらわれてきた」と述べていたことに関連して、表三郎さんは私よりも先にしゃべっていて、疎外論から物象化論へということで、疎外論のもつ意義を問うことが出来なくなっていることについて指摘していたが、これに関して私は、廣松氏の物象化論自体の欠陥の問題として捉えるべきだとして、次のように述べた。

4）物象化と意志支配

　自分は廣松氏の物象化論の提起に対して、その内容について批判的だったので違和感があり、物象化論という言葉を採用することに躊躇してきた。というのも疎外という言葉は、『資本論』でも使われているわけであって、疎外の視点を排除する形にしかならない物象化論の内容には問題があると考えたわけだ。ところが80年代後半に価値形態論を読み直してみて、物象化が物象による人格の意志支配だということが解り、この見地からの物象化論だと疎外の内容も含みうるということで、『資本論』は物象化論だと見なすべきだという結論に達した。
　私の意見表明に対して、早速前の席にいた高橋洋児さんから注文がつけられた。あなたは『資本論』で疎外という言葉が出くると言ったけど、その言葉は『資本論』だけでなく、草稿にも沢山出てきますが使われている場所によって意味が異なることに注意していない。『経哲草稿』と同じ意味で疎外という用語を使っているかどうかが問題でしょう、と、これには脱帽するしかありません。学生に教える機会がない私は、しゃべる時はついポイントだけをしゃべって、どのような批判が返ってくるかはあまり考えないのです。アソシエ21にかかわることで、大学の教官の皆さんと接することになって一番感心しているのは、しゃべる時の議論の組み立てが非常に親切だということでした。
　さて、その後、仲正さんから、物象とは何なのだという質問があり、商品のように社会的な力を持った物を物象と呼ぶと答えると、何故、物と物象とを区別するのだ、とさらに畳み掛けてきたので、廣松氏には関係の項についての考えがないので物象というカテゴリーはない。自然物が社会的に形態規定され、二重物になっている物を物象と規定する、と対応すると、仲正さんは、物神でいいんじゃないかと述べた。

5）対話の権力作用

　この形態規定に関連して、対話自体が権力関係になっているということについても述べたような気がする。ハーバーマスの公共空間にあっては対話は権力関係を生まない関係と見なされているが、対話をしかける側は他者に対して権力作用を発動している。他者は逆に、対話をしかける側に立つことで、逆方向に権力作用を発動することで権力関係を打ち消すのだ。この提起に対しても議論は起こらなかった。
　研究会終了後、私は別の会合があり、交流会には遅れて合流することになった。居酒屋に着いて席に着こうとした時、後ろから吉田さんの大声が飛んできた。「表さんと榎原さんは、われわれとは別の発想なんですね」もう、皆さんずいぶん酒がまわっていたようなので、吉田さんとの議論は諦め、別の席でたわいもない話をした。後で、聞くところによれば、交流会では、研究会での議論が引き続きなされたとのことである。貴重な機会を逃して残念だった。
　交流会の後、新宿に出た。二次会では、仲正さんが隣にいた。研究会の時のやり取りが再開される。
　廣松氏の四肢構造論はやっぱり先験的な認識論的主観形式だと思うよ、と私が再論すると、仲正さんは、認識論的主観形式だと廣松氏はいっていない。また、アプリオリということの意味も、現代思想では先天的に有るということではなく、事後的に形成されてくるものという意味として受け取られるようになってきている。そもそも、あなたは現代思想を研究していないんではないか、と反撃してきた。
　実のところ、私はデリダを読んでも職人のプリコラージュのようにしか思えず、デリダの思想を実践しようなどという気になったことはない。ところが、仲正さんは、どうも現代思想の提起を実践的に受け止め、廣松哲学を脱構築しようと考えているようなのだ。
　私もデリダ位は読んでいる。しかし、テキストの意味をズラしていくという実践をすれば、テキストそのものの意味の確定ということが欠落するのではないか。私としては廣松氏がどう考えていたかが問題なのだ。これに対して、仲正さんは、そのことはどうでもいいと主張した。あと、色々議論したはずだが覚えていない。

6）無の弁証法

　『情況』の座談会は第三次情況の第1号に載せる予定で企画された。仲正さんからテーマについての要領のいい報告があり、山本耕一さんからはコメントがなされた。そのあとの議論は、一方に主体的無とは何かという哲学上の課題と、他方に戦争とファシズムという政治上の課題とに分離しながら、双方がお互いに関連をつけていくという方向でなされた。
　私は、主体的無については、多少の心得があったので、それは主体－客体関係をその媒介者である無の立場で統一する無の弁証法であり、戦後は、梅本克己氏によって、無の立場が主体性と捉えられ、左翼の側にも持ち込まれたことを指摘した。そして、廣松氏が何故近代の超克論を書いたかということについては、廣松氏と同じく、主観－客観図式の克服を主張する西田幾多郎の無の弁証法と廣松氏の四肢構造論とがかみ合うものではなく、別の次元にあってすれちがっていることで、西田氏や三木清氏らの説の検討に向わざるを得なくなったのではないか、と述べた。私としては、無の弁証法の批判は四肢構造論では成し得ず、従って、廣松氏には無の弁証法とは相互補完関係になってしまうという危機感があった、と思われた。

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Author: admin Published: 2006/1/5 Read 6853 times

哲学の旅 廣松哲学への疑問 第1章

第1章 廣松体験