「他方、ワロンは、表象的な認識の系列を感覚運動ではなく、むしろ姿勢・情動に関わる系の方向に求めている。外見上似ても似つかぬように見えるが、実は、両者の間には深い発生的なつながりがある。つまり、直接知覚に与えられた場面の状況にあわせ、直接自己に与えられた欲求の動きに応じて、その場に適った行動を行っていく系列（感覚運動的活動）とは別に、むしろある場面に触れて予期的に身構え、適わぬ状況の前で身体をふるわせて情動に駆られていく姿勢・情動の系を取り出して、これを人間的意識そして表象の根源としたのである。
　一見奇妙なこの系列づけは、思いがけなく豊かな展望を私たちに与えてくれる。ピアジェのように、感覚運動という『個別場面への個体的適応』のなかに、意識・表象の根を見ようとするならば、意識・表象はもともと個別的なものでしかないことになる。とすれば、いったいどのようにしてこの個別的なものが共同性を得て他者と交わり得るものになるのか。このことがどうしても解きえないアポリアになってしまう。それに対して、姿勢・情動系に意識・表象の根を求めるワロンの枠組では、姿勢・情動がもともと他者への伝染・交通性と深く関わるものだけに、意識・表象は、最初から共同的なものとして措定され、ピアジェ的なアポリアが最初から超えられているのである。」（浜田164頁）

　この浜田の紹介を手がかりに、ワロンが主として情動について述べている『児童における性格の起源』（明治図書）から、ワロンの情動論を抜き出してみよう。実は、ワロンの著作は難解だと言われ、また訳書によっては悪訳もある、ということで、まともに読もうという気が起こらず、とりあえずは、浜田『ピアジェとワロン』からのワロン説の紹介で終ろうと考えていたのだが、いざ仕事にとりかかり、『児童における性格の起源』に目を通してみると、非常に明解な説が展開されていることがわかった。それで、この本からの引用にもとづいて、ワロン説の概要をまとめることにする。なお、哲学的思考になじめない読者は、この第1章を飛ばして、第2章に進んでほしい。哲学嫌いのせいで、ワロンの情動論への道が閉ざされてしまうことを恐れて、一言しておきたい。

2）社会的なものの把握

　ワロンの心理学観は、社会的なものをどう捉えるか、という点で際立っていて、それまでの心理学が、個人を対象にしているのに対し、「人と社会との不可分の統一」という見地から、次のように述べている。

「社会は人間にとって必然的なものであり、有機的な関連をもった実在である。社会が人間の生理機構の中に始めからすっかり組み立てられているというのではない。使用されている言語の何らかのシステムが学習以前に言語領野に組織されているのでもない。作用は逆方向に行われる。社会の方から個人の規定を与えるのである。社会からの諸規定は、個人にとって必要な補体なのである。個人の方もまた平衡に向かう系として社会に向かうのである。個人なしにはどんな社会もあり得ないこと、とくに人間社会は、人間とその心理、生理的な性質なしにはあり得ないこと、これをわざわざ付け加えることは明らかに不必要である。これは問題の一つの方向であるが、心理学者は、まさにその個人を研究の対象とするので、その方向を役立てるすべもないのである。」（『児童における性格の起源』9頁）

　人と社会との不可分の統一について、ワロンは、個人に対する社会からの諸規定と個人の側からの社会への向かい合いと捉えている。この相互作用について、ワロンは、先の引用の前の文章で具体例を上げている。

「種は成長した形態の中にのみその存在理由を見出すほかはなく、子どもは平衡に向かう系としておとなに向かっているものである。またしばしば行われているように、個人を社会から分離し対立させることは、その人の脳から皮質を切り離すことにひとしい。なぜならば、大脳半球の発達と形状とが、人間を他の類縁の動物から区別するもっとも確実なものとなったのは、言語領野のごとき皮質領域の発現によるのであり、その領野が社会の存在を意味するのは、ある種族に肺があることが大気の存在を意味するのと同じだからである。」（9頁）

　ワロンは子どもを、大人という発達の極としての平衡状態に向かうシステムと捉えている。そして、その発達を、人間の器官の生理的機能が、社会と個人との相互作用によって形成されていく、という観点からあとづけようとしている。発達についてのこのような考え方は、従来の発達論が陥りがちであった機械論や目的論への批判を不可避とする。

「人間の発達の諸事実には、また同時に生命現象の中には、たしかにあるむずかしさが介入しているのは本当である。それは生命や人間の発達に固有ではないかも知れないが、それらにもっとも明瞭にあらわれるものである。それは平衡状態（人間なら成人の状態）に到る諸段階が長いことである。これらが高速撮影的に見えるので、一つ一つ細かくはっきり区別される瞬間、ないし現実として区分されがちである。それらの段階は、静的な状態ないし期間の並列とみるほかなくなる。それらの事実にとって、その存在期間や時間は外的なものにとどまる。時間は抽象的なものとなり、絶対時間となり、事物の解明とは現実的な関係をもたない外界のものにすぎなくなる。」（10頁）

　ワロンは、人間の発達が約15年という長い年月を要し、しかも器官的にも生理的にも思考のうえでも段階的な発展が見られることから、段階的な区分でもって発達の様式を捉えることになりがちであるが、このような捉え方は、発達にとって本質的な時間を生きたものとしてではなく、抽象的、外的なものとしてしまうとみなしている。そして、このような認識の誤りについて先の引用に続けて次のように述べている。

「目的因とは多分、このような絶対時間をこしらえたむくいであり、絶対時間がこんどは、静的には説明できないものを説明する役を与えられているのである。その説明の仕方も独裁的で絶対的である。なぜなら事物の説明となる他の要因とは共通の尺度を持たないからである。機械論と目的性との対立は、そこで、われわれの認識の体系において、思惟が、多様変幻の事物を手探りするさいに、表象や静的観念の中に固定できるものと時間とを切り離してしまった結果にすぎない。成りつつある事物が成から切り離され、成ることのかわりに単なる継起がとってかわった。そのかわりに成はそれ自身で存在し、それが自分だけで成立し得るかのように、ということは結局事物を生成し得るかのようにみえてきた。実在と認識とのアンチノミーである。常にこの錯誤によって思惟は、自らの手続き上の手落ちを事物の本性に転嫁してきた。しかしその手続きは、それと、知識が必然的に要求するところの不一致が発生することによって常にすてさることができる。これは今物理学が、その原理の改新を通じてまさに示しつつある実例である。」（10頁）

　ワロンは機械論でも目的因でも、実在と認識とを切断してしまう、ということに注意を促しながら、実在の成りつつある事物と認識との関係を、その不一致が生じた場合、認識の体系の方を捨てさるべきであると提言している。

3）子供の思考

　ワロンは子供の思考について捉えようとするとき、真理とは明瞭であって、直観によって一度に認識される、といった考え方は間違いであるとし、「子どもの思考で興味ある点は、考えの内容よりもむしろ、おとなの思惟でならば絶縁しておける諸観念、あるいはいろいろ考えたことの間に融合を起こしてしまうことである」（23頁）と述べている。このように考えるワロンにとって重要なのは、思考の統一よりも、思考の分化である。

「児童の思考がしだいに成し遂げて行かなければならないところの進歩とは、思考があるはっきり分化した心的平面となって、具体的経験と認識が、それに重ねる表象や象徴の何らかの体系との間のすべての分離がそれによって可能となる、そういう形の進歩である。思考を象徴をもって配置した平面において働かせ、その平面をもって実際の感覚印象の平面に代え、それを一種の理念的、仮象的な世界として対置するところの移転作用ができないうちは、児童は印象を統一したり客観化したり説明したりするのに必要な関係把握ができないでいるのである。」（22頁）

　ワロンはこのように自らの研究の方法について述べているが、今回は、ワロンの身体論や自我論にまで言及せず、独自の情動論を紹介するに止めておく。ワロンの情動論の意義については、次の事情とかかわっている。

「知能の働きが、直接的経験とか、直接的具体的な機転とかの水準を超えたものであり得るためには、言語や、それから派生するいろいろのシンボルの体系という、本来社会的な起源をもつものが必要である。個人の外に存在し、集団の遺産であるところの知識や観念の獲得あるいは展開、これが知的発達の目標となる。したがって、この遺産の相続が、集団から個人へ、何かそのままじかに行われることも、はじめから不可能とは言いきれないかも知れない。」（21～2頁）

　ピアジェは、遺産の相続を集団から個人へそのままじかに行われると考えたのだが、ワロンはそれを否定し、この相続を媒介するものを情動と捉えた。極めて興味深いワロンの説に内在しよう。

第2章　ワロンの活動論

1）自動作用

　ワロンの発達論でのキーワードは、情動、姿勢、自動作用、表象作用、である。ワロンによれば、新生児はもっぱら自動作用に支配されている。

「新生児は、眠っていない時は、泣くのでなければ乳を吸っている。乳を吸うのでなければ消化の最中であり、またお腹が空けば泣く。かくて栄養機能は、乳児において少なくとも睡眠に匹敵する地位を持っている。新生児が乳を飲むときの、唇、舌、口蓋膜、咽のきちんと整った動作の遂行と、手足がそれに反して不規則な運動をする様子とははなはだ対照的である。」（38頁）
「唇は乳房に形を合わせ、舌と口蓋は入ってくる乳に適合し、乳が喉頭に達した時はじめて嚥下が起こる。液体の進行に応じて次々に閉じていくこれら緊張の連続は、食道や腸の蠕動にあらゆる点で似ている。ただ消化器官の尖端の部分にふさわしくより分化しているにすぎない。これらが生まれる時から内蔵の動きと同様に完成していることはけだし当然である。」（39頁）

　ワロンが自動作用と名づけたものは、このような新生児に生まれつき備わった運動であり、これに対して、その他の作用はまだ全然発達していない。だから「幼児の行動の中で消化管の活動が、いわば中心的な場所を占めている。」（40頁）ということになる。そして、ワロンは、この自動作用が新生児の情動と結びついていることに注目している。

「もっとも興味深いことは、消化管が色々な仕方で心的表出に、殊に情動に、関係するということである。消化管の緊張、分泌、感覚の種々の反応が、それぞれ各種の情動に関係するということだけでなく、同じ一つの情動の色々の質や効果が、もっとも個人個人に特有な消化器の反応の仕方に依存していることがありえるのである。かくて段階を経つつ身体的機能同志が相互関係網に入ってきて、各人がひとりだけで働かなくはなるが、そのかわり皆が行動や気質に影響しはじめるのである。」（40～41頁）

　ここの最後の文章は、訳者が意味を取り違えたように思われる。「各人がひとりだけで働かなく」なる、というのは、人のことではなくて、身体の器官の個々の機能のことであり、これらが相互関係網を形成することで、単独での働きが消える代わりに、トータルで行動や気質に影響を与える、という意味だろう。それはともかく、消化管の活動が情動に関係することを指摘した上で、今度は、ワロンは、自動作用以外の要素に注目する。

「そこで新生児の状態は、外界と交渉する行動がまったく不可能なことと、一方、器官の活動がすでに十分出来ていてそれが行動を残らず支配していることとの対比を示しているのである。即ち新生児の空間的運動のごくただの運動の発散に似て、外的目標のないようなものがある一方、筋肉の緊張の完全な体系があって、それによって器官が形をとり、内容物でふくらんだり、出したり入れたり、また排出量を調整したりする上で一貫性をもった活動が見られるのである。感覚の働きは、外物の知覚を成立させることは出来ないでいるのに、緊張の度合いは正確に感じている。それは、入れものとしての内臓器官の感覚は、それの緊張と弛緩とに、つまり筋肉繊維の緊張に応じたものだからである。緊張の活動と緊張の感覚とは常に相互依存的である。」（43頁）

　ワロンによれば、新生児は外界と交渉する行動がまったく不可能で目的なしの外的運動を発散させ、感覚の働きもまだ外部の知覚には到らないのに、消化管の働きは一貫性をもっていて、緊張と弛緩が繰り返され、それは情動と連動している。

2）姿勢

　このように自動運動と情動との結びつきを明らかにしたワロンは、次に「姿勢は静的緊張活動によるものだが、この点、まったく内臓の働きと同様である」（44頁）と述べている。ワロンによれば「姿勢というものはすべて、眠っている時のでも目覚めている時のでも、緊張の活動を、つまり筋肉に一定の堅さと形とを与える活動を表している」（36頁）のである。この姿勢の意義についてワロンは次のように述べている。

「姿勢というものが、表情だけでなく行動の方向づけにも重要であること、またそれがくりかえされて個人の型を決定する上で重要なものであることは、その統制のメカニズムを調べれば心的生活の諸要因にさかのぼることになる程のものである。」（46頁）

　ワロンは、姿勢の統制のメカニズムについて具体的に述べているが、それについてはふれないでおこう。重要な事柄は、ワロンが自動作用とやがて幼児にあらわれてくる意志的活動との関係を対立拮抗関係と捉えている点である。

「よく言われることだが、未熟な時期から成人の時期までの間には、連続的に次第に完成していく過程があるだけで、機能ははじめからたどたどしかったものが、次第に複雑で正確で性能のよいものになると考えられているし、たちまわりの敏捷さから知能が、自動作用から認識活動が、生じてくるかのように言われる。しかし新生児が行う始めの全身的痙攣的反応と、始めの定位的な反応とは、本来対立と拮抗関係とをもつのである。そしてそのような拮抗関係は、それら外界と交渉する運動の規制と知能との間に、即ち自動的反応と意志的行動との間に、再び見出されるであろう。」（53頁）

　ピアジェが新生児の自己中心的な感覚的運動から、直線的な発展段階を描いて知能の生成を説くことに対して、ワロンは、ピアジェの認めている外界との同化と調整をもたらす感覚的運動を自動作用に含め、意志的活動をそれに対立拮抗するものとして捉えている。そして、意識の生成に関して、その起源を感覚的運動に単線的に求めるのではなく、自動運動と意志的活動との双方の対立拮抗に求めようとしている。

3）活動の捉え方

　ワロンは、この双方の間の対立拮抗の場を、外界と交渉する活動の諸形態という見地から観察している。

「たいがいの動物では、生まれた時から食欲その他の必要に従って、色々の外的状況に反応できるような運動が生じる。アメーバー程の水準の生物などでは、体の変形が即ち移動でもある。元来背嚢の状態なので、体を内容の上にしめつけることがただちに液体の中をおよぐことになる。そこで姿勢の活動と外界との交渉の活動は発生的に同じ起源を持っている。」（54頁）

　ワロンは、アメーバーを例に引いて、自動作用にもとづく姿勢の活動は、同時に外界との交渉の活動でもあると見ている。

「自動作用はその程度や仕組みが何であれ、実は順応的活動以外のものではないのである。自動作用のどの表現も、常に環境の変化、また活動自身の変化に順応しているのでなければ不可能である。歩行にしても、絶えず足を地面の抵抗の変化に合わせたり、平衡をとったりする順応の連続である。ここに歩くメカニズムの側と歩かれる外界の側とを区別することは、まったく抽象的な区別である。」（55頁）

　自動作用と外界との結びつきについて述べたワロンは、この事態に対して哲学的反省を行っている。「まったく抽象的な区別である」とみなしたことの根拠が、ひきつづいて展開されている。

「この区別は、多少ものの見方から強いられたもので、限られた事物しか念頭におかないものだから、事物をその自然的なあり方からひきはなして区画してしまうとそうなるのである。静的な完成したものととらえてしまうと、事物はその自らかかわる相関者と対立したものとならざるを得ない。生物とそれを構成している多様の可能性についても同様である。そのような見方をすれば生物も一つの自足的な系であり、機会あって自らの能力や内容を現すにすぎないものとなる。ところが実際には、生物体が組み立てられること自体が、その反応の相手である外界から説明されるのである。生物体と外界は相補的で、一つの連続的全体を成している。反応が生じるには環境と生物との両方に条件が必要である。そして場合により、どちらが重きをなすかは色々だが、どちらの側からも反応の原因が生じ得るのである。」（55頁）

　ワロンによれば、歩行の際の歩く主体と歩かれる地面とを区別することは、「多少ものの見方から強いられたもの」なのだ。これは多分カントの超越論的仮象論と同じことを述べていると思われる。つまり、人間が歩行を認識するときに、抽象的な区別を立てることでしか認識できないのだが、しかし、思考は、この思考に由来する抽象的な区別が、実在に由来するかのように思い込んでしまうのだ。
　ワロンは、この思考の思い込みをとりはずして、実在を見ようとしている。そこで出てくる事態は、生物と環境とを双方とも反応の原因が生じるものと見なすことである。もちろん、双方の比重は色々であって「生物が進化するにつれ、活動の重心は環境よりも生物の方に移ってくる」（55頁）が、人間の場合でも、外界とのつながりが切れているわけではない。ワロンは、ゲシュタルト心理学をひきあいに出して、次のように述べている。

「ドイツの一心理学派、形態ないしゲシュタルト学派は、現実の環境が生物に生ぜしめる色々の行為が本質的に主体と環境との連続を保つことをよく示した。どの行為も、全体の状況、即ち常に内的外的状況から成り立つ全体に依存する所の、各々一種それ独自の構造をもっている。その内的および外的の両面に、ただ言葉の上にすぎないにせよ、区別をたてることは人為的なのである。内的および外的状況は、それらが生み出した活動の中に解き難く融合している。その状況なるものは、なにか静的な条件が外界の側からにせよ主体の側からにせよ遭遇してそこで結びつくというのではけっしてなく、あるまとまった全体であって、その中で内的と外的とがよりわけられるものだからである。反応の中に入ってくる外的なものは、同時に主体のある傾向に対応し、それを引出すものである。逆に言えば、たまたまそこに発揮された生体のもっている傾向は、それがある対象を呼び起こす力をもっていたからこそその対象に遭遇したものに他ならない。この回路を切断して、対象と主体、目的と手段、を分解してしまうと、本質的なことがわからなくなる。」（56頁）

　ワロンの言うまとまった全体、これをどう捉えるかは、今日に到るも解決されていない課題だ。まさに「新しい思考」を定式化することが問われているだろう。

第3章　思考の起源

1）自動作用と表象

　ワロンは、自動作用がもたらす姿勢が外界との交渉の活動であり、なおかつ、この活動は生物と外界との全体であって、切り離して考えることは出来ないことを示した上で、ついで、この自動作用と表象によって働く精神活動との関係についての考察に移っている。誰でも経験することだが、階段を降りる場合、意識せずに自動作用の歩行活動で行われるが、これを足の上げ下げを意識して行なおうとすると、かえってひっくり返りそうになる。ワロンが自動作用と意志的活動の間に対立・拮抗関係を見るのは、この事実にもとづいている。

「したがって運動的適応や自動作用から表象によって働く精神活動が生じると考えることはノンセンスである。それらははっきり異なった別々の水準の活動であり、それらは人間においてしばしば見られるごとく、互いに矛盾しやすいのである。」（57頁）

　このように自動作用と、表象によって働く精神活動とを全く異なった活動として区別したワロンは、人間の新生児が支配されている自動活動がその後の成長の過程で、どのように意志的行為にとって代わられるか、というように問題をたて、次のように述べている。

「状況への直接的な適応であるところの自動作用なる完成されたものが、いかにして次第にこれが抑えられて、直接的状況よりむしろ今直接にはないものを理由とするごとき活動にとってかわられるのだろうか。今じかにあるものとはごくちがったものに対応し得るのが表象なのである。そして次第に、今あるものよりも可能的、仮像的なものが行動を決定するようになる。人間は二面のうながしの間にある。一つは直接的感覚的な面であり、そこから直接的適応ないし把握が生じる。第二は、表象の座である大脳皮質、非現実的な理念的状況を形作るものである。人間の行為が次第に第一のものに支配されるのをやめ、第二の支配に入って来たのは、後者の方が適応と征服とのはるかに有効な手段を提供するものだからにちがいない。」（58頁）

　ワロンは、自動活動と意志的活動とを本質的に別のものと見なして区別し、そして人間が成長することで前者の支配から後者の支配へと移っていく、と述べたが、どうしてそんなことが起き得るのか。この問題を解く鍵をワロンは、自動作用がもたらす情動に求めた。

「環境に対して上手に対処するには、ただやってみるより頭を使った方がよいわけである。思考は直観よりも多くの現実を含み、より客観的である。しかし思考は、実に長い一見矛盾に満ちた段階を通って発達した極限のものである。とくに原始的思惟について我々が知る所では、それは物理的実在の法則とは少しも適合しているとも見えないのであるから。それでも思考が出来上がってくるまでのどの段階においても、人間の現実の利害に対立しないどころかそれに沿ってきたはずなのである。この不思議な変遷を考えれば、思考が現在では世界に対して理念的で同時に客観的な認識をするものなのに、その起源が、人間をもっとも自己自身にとじこめる働き、つまり姿勢をとる働きにあるということが、さして不思議とは見えなくなるだろう。実にこの姿勢活動から、最初の主観的また、意識的直観の努力が発生してきたのであり、姿勢活動とその本質的に形成的な（可塑的な）特性なしにはそのことは不可能だったのである。この生得的な感覚が、どのような新たなる活動や順応の回路において貢献するようになるか、これは情動の事実の中において示すべきなのである。」（58～9頁）

　ここでワロンは、今日の思考が世界に対して理念的でかつ客観的な認識をもたらすものとなっているけれども、過去にあってはそうではなかったという事実もあり、従って、今日の思考とは全く別の姿勢をとる働きによる外界と生物との結びつきが、思考の起源であるとみなしても不思議ではない、と主張している。そして、この姿勢という最初の結びつきが思考へと到る鍵が、情動にある、というのだ。

2）情動そのもの

　情動について、ワロンは、まず二つの立場を紹介することから論を起こしている。「情動とは適応行為をみだすもので、本質的に活動の退化したもの、生物の活動のなかで病的なものなのか、あるいは情動は適応行為の中に存在理由をもつものなのかと言うことである。」（60頁）というように整理した上で、研究者たちの色々な情動論に検討が加えられている。
　後者の立場に立つワロンは、ピエロンの説によりながら、「内臓の、あるいは身体の姿勢と機能を情動との間に、根本的な類縁関係を認めること」（65頁）が出来ると主張している。そして「情動のもっとも明瞭に結びついた効果は、交渉活動やその中枢に発するのでなく、身体の緊張、即ちシュリントンの言うように内臓の働きを含めての身体の緊張、姿勢の活動の方面に基づくことは、ある原始的な反応によって明らかに示される。」（66頁）とし、子どものくすぐりについて考察している。
　その上でワロンは、情動を生理学的に検討し、次のように述べている。

「情動において生じる色々の機能的な表出を生理学的に調べてみると、ここに情動の身体構造上の問題が生じる。それらの表出の各々が、単にその起源や性質が似ているというだけであるならば、あるいはむしろ、それらの近親からしてある特別な形体の行動が形造られているとなれば、それらには解剖学的にも示し得るような特別の神経中枢があるはずだということになる。」（73頁）

　ワロンはこのような生理学的な探求は、大脳領野局在説によるものではなく、「神経系が複雑化してきた過程の中に、今日の種の行動に現われてきたところの機能の組織化の発展を見出」（73頁）すという方法を示している。この方法について、ワロンは詳述している。

「色々の中枢が次第に出来てきてヒエラルシーを成すことを調べれば、ある機能が先行のものとただ無関係に重なり合っているのではなくて、互いに依存しあっているのがわかる。なぜなら新しい段階の行動形式は、その起源を以前あったものの能力の中にもつ他なく、したがって以前の反応を用いてそれを新しい形に組織することによって成り立つ他ないからである。このことによって新しい形式の行動は、以前の諸反応に新しい独自の方向を与え、新しい関連に応じてある反応を抑え、ある反応を引き起こして、それらの反応の表出をみずからが代わって行うようになる。それとともに新しい行動形式は、以前の活動形式と競合の状態に入り、以前のものの地位を奪ってしまうに到らない場合は妥協ないし相互影響が生じ、一方は他方との関連において見なければならなくなる。」（73～4頁）

　このような見地から、ワロンは、子どもの神経系、及び大脳の発達を、活動が情動から知覚の支配の下に移る時期について検討した上で、解剖学的に見た情動の中枢について示しているが、これについては紹介をひかえておこう。とまれ、この中枢の確定にもとづいて、ワロンは情動についてまとめている。

「情動が子どもの行動の中で占める位置、おとなも受けるその影響、それはただの偶然的な失調ではない。それはたしかに生体の中に組織されたもの、あるいは存在理由をもったものなのである。情動の発達の時期は中枢神経系の発達段階に対応している。それが人間の行動において今も特別の役割をもっていることは、その中枢が比較的独立で自律的であることによって示されると思われる。」（76頁）

　ワロンはこのように情動のもつ自律性と、人間の行動における特別の役割をもつものとみなしたが、次に、この特別の役割に移っている。実はこの点についての考察が、ワロンの情動論の中軸をなしている。

第4章　情動の媒介作用

1）情動と他の活動との関係

　ワロンにとって情動とは、新生児の活動を支配していた自動作用が、成長の過程で知覚の支配にとって代わられる時の移行のメカニズムを説明するものとして捉えられていた。情動それ自体の考察の後に、ワロンは、いよいよ、この本題に立ち向かう。その際、次のように問題が提起されている。

「情動が一つの組織された反応体系であり、その発現を支配する中枢を神経系の中にもつものであることを認めれば、種族にとっての情動の役割とか少なくとも今までどのような役割をもっていたかが問題になる。生きものの、現在、または過去の、生存条件と体の機能や構造の間が全然不協和だとは考えられないからである。しかし人間では、情動は外界と有効に交渉するための二つの活動と対立を起こすようである。つまり、一つは適切な運動や移動を行って状況に適応する活動であり、もう一つは外界を表象する活動である。これら二つに対立するということは外面的な矛盾にすぎないのだろうか。あるいは適応の第三の形の中に情動の存在理由を求めなければならないのだろうか。」（77頁）

　ワロンはここで、戦争中の恐怖体験などを素材にして、人間の情動について考察している。そして、先の引用文で提起している情動が自動作用、及び表象活動と対立する様を描き出している。全体の要約は必要ないと思われるので、ワロンが節々でまとめている情動と、他の二つの活動についての関係についての叙述を引用してみよう。
　まず、情動と自動作用との関係について。「情動は自動作用と混ざり合うどころではなく、むしろ、自動作用におおいつくされるか、さもなければ自動作用の出現を阻止する。また少しでも情動が出てくるような状況が生じれば自動作用も途中で止まる。」（79頁）
　これは戦線での兵士が抱く恐怖が、二つの全く反対の結果（一つは虚脱状態、もう一つは衝動行動）を生じることにもとづいての結論である。
　次に情動と表象との関係について。

「情動がもたらした表象は、また情動そのものを抑制し、情動に欠くことのできない臓器の表出作用を止めてしまう。…たしかに情動は表象への扉を開けるが、情動と表象とにはまた、くすぐりと刺激についての正確な知識や予期との間にあるのと同様の非両立性があるのである。」（80頁）
「情動は実際、外部感覚や弁別感覚を消しつつ、表象の働きを損ないつつ成立するものである。」（80頁）
「情動が自動作用と表象の活動を押さえてのみ発現するのだとすれば、逆に自動作用と表象がなかなかできないときには情動が襲ってくる。興奮のエネルギーは、すぐなにか運動か表象か思考かでもって交渉活動にとってかえられないと、おもむくところまったく内臓的、または姿勢活動的なものに内攻するほかない。」（81頁）

　これらは、人がまったく怒りに身を任せているときには、知覚と知能をまったく失ってしまうことなど、人が情動に身をまかせているときの心理状態からの観察から結論づけられている。またワロンは、情動が運動や表象に対立的ではあるが、しかし、ある場合には、目的的な反応の効果を増進することがあることを認めている。

　個々のケースを考察した上で、ワロンは情動の全体的な把握に移っている。

「情動が支配している間は、情動の表出と、対応する外的状況との接触の仕方は、まったく別のものになる。情動を形造るところの身体的主観的な印象にとらえられると、自我と非自我との限界が消えてしまう。主観的気分からは独立な実在固有の特性を伝えてくるところの客観的な印象を保つべく、主観的な印象を減殺することにおいてその限界は成立し得るものである。感覚が混沌とし、未分化になり、しかしまだそこに外界の影響が入り得る状態において、その外界の感覚は今やっていること全体に溶け込んでしまって、一つ一つとしては見分けがたくなる。部分がはっきり分かれていない状態は混淆的と呼ばれてきた。知覚も思考の如く混淆的であり得る。どちらにおいても、要素を分解できないことと主観性とが、客観的状況と対応できる表象を欠くことと情緒性とが、各々対をなしているところの原始的段階なのである。情動の感覚は本質的に混淆的である。これは関係するあらゆるものを解き難く融合させてしまい、情動の事態の中に持ち込まれたもっとも偶然的な状況が、その情動事態を代表するようになりがちであり、その偶然的なものが情動を何度も呼び起こすようになりがちである。」（84頁）

　情動について、このようにまとめた上で、ワロンは、情動が条件反射のメカニズムにもとづいていることを指摘している。

「そこで情動と外的状況との間に成り立つ関係は、条件反射的なものである。外的状況のかくかくの刺激や表象によってしかじかの情動の表出がきまるのではなく、情動反応は、何かひとりでのように、未分化に全体的に生じてくる。外界に向かってその事態ごとに分化したあらわれをするのではなく、情動はきっかけが何であれ、全体が生じてしまい、緊張と内臓感覚の波の中に、実在の認識を埋没させてしまう。これは弁別的適応的な行為とは反対である。」（86頁）

　このように情動についてまとめた上で、ワロンは次に決定的な一歩を踏み出す。それは情動が他の人に作用を及ぼすことである。

「しかしここに、もう一つ別の形の行為がたちあらわれる。それは他人に影響を与えようとする行為、ないし他人の心を通じて何かをしようとする行為であり、実にこれこそ、従来諸家が情動を物的環境に対する活動の必要に当てはめようとした試みよりも、はるかに完全に情動の説明を可能にするものなのである。情動には緊張や姿勢の反応がともなって、それが運動行為や自動作用をたすけるどころか、さまたげていることを常に考えなければならないからである。情動はそれらとはまったく別のものである。」（88頁）

　ワロンはすでに情動と自動作用との区別を、情動が神経系のなかに独自の中枢をもつことを示すことでなしとげていた。ここでは人間にとっての情動の表出の独自の意味が、他の人に作用を及ぼす、という事実から導き出されている。

「これはつまり、姿勢の反応が行動の一系統を生じたもので、身体の刻々の姿勢や配置の調節からわかれて、個体同志の間で関係をもつことのために役立ってきたように思われる。そのようにして集団的努力や社会生活の成立を助け、これが心的生活の洗練を可能にした。これは一人きりの個体からは生じ得ないものである。そのことによって、情動は、純粋の自動作用と知的行為との橋わたしの役をつとめてきたのである。自動作用は環境の相次ぐ刺激の作用に支配されており、知能の方は表象や象徴によって、現在の具体的状況を超えた意図や手段をもった行動を可能にするものであるが、この間の橋わたしをしてきたのが情動なのである。」（89頁）

　ピアジェが、ワロンの言う自動作用、ピアジェの言葉によれば感覚的運動段階から直線的に知能の発達を説いたのに対し、ワロンは自動作用と表象活動との間に本質的な区別をもうけ、そして第三の自律的なものである情動に他の人に作用を及ぼすことを認め、これを自動作用と表象活動との間の橋わたしとするものとみなしたのだった。

3）社会形成力としての情動

　ではこの橋わたしはどのようにしてなされるのだろうか。ワロンはそれを姿勢の活動が生み出す情動が感覚をともなうことに求め、そして、その感覚が共同的なものとなっていることに求めている。

「姿勢の活動がとくに情動を介して心的発達に役割を演じるようになる元来の理由は、姿勢緊張における収縮と感覚との間に密接な相互依存関係があるということである。収縮が生じるとたんにそれは感覚を生じ、その感覚によって収縮はまた刺激を受取る。その間には、表面刺激と反射との間のような間隔がない。収縮とその感覚とは密接に関連していて、二つは同時的に起こり、互いの特性を規定し合う。」（90頁）「活動と直観とがこのように結びついた二重性は、情動において、とくに明らかである。情動を形造る姿勢反応は、情動に自分自身の姿をまのあたりに見せるものでもあるらしい。情動にはすべて一種のナルシズムが不可避的に本来的にともなっている。」（90頁）

　ワロンは情動のとりことなっている人が、ある種の演出効果を感じていて、そこに一種の潜在的な意識があることを認めている。それはとりあえずは自分自身に働きかけている。だがそれは、直ちに他の人に作用をおよぼす。

「姿勢や表情活動と、そこから生じる感覚との、このような絶えざる相互作用が、互いに洗練し合い、色々の状況や気分に特有の多様な表情をみがき上げ、またこれらの気分を感じる微妙な直観をとぎすまして行くが、それと同時にこの相互作用はこのもっとも主観的な反応のただ中において一種の二重化を行っており、その結果は皆、一つのもっとも重要な結果に集約する。即ち一方には表情そのものがあって、それは意識の対象となっては見る者に、自分がその表情をしたときにも他人の表情を目前に見たときでもほとんど同じ仕方で迫ってくるようになる。他方これら表情についての意識は、これは表情をしている当人のものでありながら、偶然いたのにせよ想像上のにせよ、これを見ているまったくの他人の意識と同一視されるに到るのである。」（91頁）

　ワロンは子どもの発達という見地から、自分と他人の区別は徐々にしかできないので、幼児では周囲の人の感情を取り込んでいると見ている。だから、自分一人のときには恐れや痛みがあっても泣かないが、他人が見ているとなると泣き出してしまう。こうして情動は伝染性と集団性をもっている。

「情動のこの伝染性と集団性とが、情動自体の進化にとってのみでなく、人間の歴史においても、人間が風習や儀式によって組織的に教化されるために、決定的に重要なものであったと考えなければならない。
　集団として生きることは、事実種族の歴史において一特異例たるに止まらず、それは進化の一段階である。それまでの段階では、活動の本質は出合う状況にうちかつため、よりよい自動作用を所有することであった。しかし集団はただの寄せ集めではなく協同作業の上に成り立つ。そこで生存の努力をしている個人個人を、はじめから状況の認識と、協同で解決すべき問題の認識とによって結合することなどできないので、まず各個人を一定の活動に向けて統一してしまわなければならない。この段階では、状況は個人の認識能力の範囲を超えているわけなので、活動は伝染的に同じ衝動で、条件反射により、以前活動に結びついていた単純な合図によって発生することができなくてはならない。これらはまさにわれわれが見て来たとおり情動の特性なのである。」（92～3頁）

　ワロンによれば、人類の最初の社会は、情動をコミュニケーションとして活動を統一していた、ということになる。そして、幼児の場合、人類社会の進化という系統発生が、その個体発生の場において繰り返されていると見るのだろう。この点についての成否を判断する材料を今の私は持っていない。最後に、自動作用と表象活動との橋わたしについてワロンが述べているところを紹介して、この研究ノートを締めくくろう。

「かくて情動が人類の行動の中に占める位置も明らかであるし、それが神経系の中に相応の中枢をもち、組織された機能であることも明らかである。情動は、共同活動として成り立つ適応の一形体において役立ってきたのである。これは集団の構成に大きな力となってきたものであるが、それに対応して、情動はそのはじめから集団からの規定を受けてきた。」（93頁）「集団についての考慮が、はじめ自然についての考慮よりも優先していたということは、まさに前者がすべての共同活動の不可欠の出発点であったということである。そして共同活動がなければ、知識も言語も象徴も不可能であった。さてそこで、儀式化した情動が、象徴作用の到来のために多分何かの役に立ったものとすると、また集団的な心性や生活のもっとも決定的な表明を準備したものらしいとすると、それは自動作用と認識との必然的な仲介者でもあったことを認めなければならないのである。」（94頁）

　ワロンは結論的に言って、人類の社会形成力として情動を捉え、その社会形成によって自動作用を土台にして認識能力や表象作用が発達する条件が与えられたという意味で、情動を自動作用と認識との媒介者であるとみている。ワロンの説の妥当性について研究するのは今後の課題としよう。

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