第7章　理論的活動の転倒（『法哲学講義』より）
　1）はじめに　2）人間論　3）理論的活動　4）理論の弁証法の転倒
第8章　実践的活動の転倒（『法哲学講義』より）
　1）意志の自由　2）抽象法3）財産　4）所有への移行　5）財産の譲渡（商品と貨幣）　6）実践の弁証法の転倒
第9章　ヘーゲルの生命論
　1）自己意識という生命　2）『大論理学』の生命論　3）イポリットの解説　4）初期へーゲルの生命論　5）生命過程論の登場　6）『精神現象学』の生命論　7）生命論のまとめ　8）自己意識論にむけて

第8章　実践的活動の転倒（『法哲学講義』より）

1）意志の自由

　これまでで序論の理論的態度の説明のところを紹介し、そこで展開されている弁証法を転倒することで、ヘ－ゲルの弁証法総体の転倒のためのテコがどこにあるかを探りあてることができた。引き続き序論の実践的態度として述べられている意志の自由についての説明を紹介していこう。

　理論的な態度にあっては、先に見たように、主－客の対立を破棄し、内容を自分のものとして、主－客が合一されるわけであるが、これに対して、「実践的な態度は思考の最高点たる自我そのものから出発し、理論的態度とは逆に、みずから分裂を作りだす」（34頁）ものとみなされている。
　「理論的活動においてはわたしは対象から自由になるが、実践的活動においては自由から出発しつつ、自分の心づもりを客観化」（55頁）するが、しかし、実践的活動には理論的活動がふくまれていて、意志には理論的内容がその内にふくまれて、「意志とは、精神ないし意識のうちにある実践の形式」（35頁）とされている。
　ヘーゲルによれば、意志とはまず「純粋に無内容な場であり、自我が内面にむかって純粋に反省する場」（39頁）であるが、次に「自我は、無内容な空白状態を出て、区別や限定や具体的な内容と対象の設定」（43頁）へとむかい、そして、以上「二つの要素の統一体であり、内面へと反省し、もって一般性へと還えってきた特殊性であり、一言でいえば、個別性である」（47頁）とされている。だから意志の自由とは「自我はみずから決定し、一個人として自己を否定し、自己を限定し制約し、しかも、自己を失うことなく、一般的な自己と一体化し、限定された内容を受け入れつつ、自己としてのまとまりを保持する。自我は自分と否定的に関係するかぎりで、みずから決定をくだす。自己と否定的に関係するなかで、自我は決定内容にこだわるようなことはなく、自分の決定だと考えるだけでよしとしている。いいかえれば、それは、たんなる一つの可能性にすぎず、自我はそれに縛られることなく、自我がみずからそれを選んだからこそ、それが内容として意味をもつのである」（47頁）というように述べられることになる。
　ここでは意識の弁証法とは一寸異なる形で、意志の弁証法が述べられている。これに注目してみよう。ヘーゲルは意志について、自然のままの内容と自由という二つの要素をあげ、そこから、意志の主体としての自我の運動を描き出している。
　まず、自由をつきつめていけば「純粋な自我」に到達するが、これは一切を放棄できる可能性であり「自分がもともと完全に自由であり、なにもない純粋な存在であることをあらためて意識」（40頁）する場であるが、このとき「人間は、純粋に自分を相手に思考しています。すべての特殊な内容を消し去って、一般的な存在としてあらわれる力は、思考によってしかあたえられない」というわけである。
　次にこの意志の自由は、単に一般的に自由を求めるのではなく、特殊ななにかを求めざるを得ない。それは「概念の本性からそうなるしかなく、概念には一般的な要素と特殊な要素とがあって、それが世界の一般的なありかたです。概念が特殊な要素をも内にふくむ以上、なにかが意志されることは必然です」（43頁）というように、意識の弁証法（論理学の概念論に相当する）から説明される。
　ここでは意志の弁証法の独自性はなく、意識の弁証法からの類推によっているが、しかし、いくつかの面白い論点が提出されている。そのひとつ、「なにも意志しない人は、むろん、限定されることもないが、行動を起こすには、なにかを意志しなければならず、それはみずからを限定すること」（43頁）だということ、つまり自由は限定という対立物とセットになっている、という点の指摘である。もうひとつ、「行為を欠いた美しき魂は、自分の高潔さにうっとりとなってはいますが、それは生活というもののない無力の存在で、しだいに消耗していきます。なにかを意志するからこそ、わたしは自由であり、おのれの自由を認識する」（44頁）という点。これは、認識に対する実践の優位という見地である。
　それはともかく、次にヘーゲルは意志の二要素を再提起している。それは、「特殊な内容すべてを否定するという面、もう一つが、不特定であることを否定する面」（45頁）で、先に出てきた自由と自然がこのように規定しなおされている。
　「精神とは矛盾を生きるだけでなく、矛盾を解決するものでもあって、意志の核心をなすのも矛盾」（46頁）であるが、この矛盾としてある違った二つの要素の「統一という第三の要素のうちに、はじめて意志の本性があらわれる」（46頁）が、「その把握がむずかしい」（46頁）とされている。

　ではその把握は、どのようになされているだろうか。まず、統一とは「自我の不特定な一般性と特殊性との統一、一般的なものと特殊なものの一体化」（47頁）というように規定しなおされ、意志する場面が概略次のように描き出されている。
　わたしたちが何かを意志し、何かを決定するとき、特定の何かを決定として選び取るが、この特定のなにかは自我とはぴったりと一致してはいない。しかし、わたしが一つの目的をもち、一つの決断を行うとき、わたしは自分が自由であり、自分がわれを失うことなく、自分のもとにあることを知っている。わたしを限定する特定の内容は、このように意識されるので、そこでわたしが失われている、ということはない。わたしは行為を反省的にとらえるかぎりで私は自分を保持している。ヘーゲルによれば「わたしがあれこれの行為を意志するとき、わたしは不特定の状態を捨てさってはいるが、特定のなにかを選ぶなかで自分と出会い、自分に還えっていく。このように一般的なわたしと特定のわたしとは不可分に一体化していて、その論理を哲学的にとらえることが重要です」（48頁）ということになる。つまり個別の自我のうちに、特殊性と一般性とは浸透しあっているという形の一体性を捉えることである。これをヘーゲルは空虚（否定的なもの）なものの否定と考え、否定の否定によって出来上がる第三のものを考えることで成し遂げようとしている。すこし長いが引用しておこう。

「わたしたちのもつ目的は主観的なものだから、いまやそれを客観化しなければならない。そのとき、目的を実現するための世界、対象、素材は、客体としてわたしたちの前にある。ここでは、主観と客観が分離していて、どちらも一面的・否定的な存在です。わたしの目的は、実現を待望する不十分で否定的なものであって、それが不十分で否定的だと知るがゆえに、わたしたちは実現をめざします。目的はそのような否定面をもつが、もう一方の周囲の状況や事態も、同じく否定的なもので、あるべき姿をとってはいない。で、わたしはそれを変えようとするわけで、それはわたしの意図、決断、目的に対立する異物としてそこにあります。
　目的の実現は否定の否定であり、目的の欠如面の否定です。欠如面は破棄され否定されることと、目的が客観化されることとは同じことです。同様に、客観の側にある素材も否定される。それはわたしの意志するところとはちがうあり方をしていて、目的実現の行動のなかで、わたしは客観のそうした否定面を否定します。こうして、主客両面の不十分さが克服され、わたしの目的が客観化されて、外界がたんに客観的だという次元をこえて、目的にふさわしいものになります。行動はすべてそうしたもので、目的の実現はわたしのもとで、わたしの行動としておこなわれます。」（50頁）

　人間の意志を対象とする以上「……をしたい」という個別の意志が決まり、目的が定められ、そして行動がなされる、この総体を問題にしなければならない。そして、ヘーゲルはここでその総体を問題にし、それを哲学的に解析している。そして一般意志とされている法の解明は、この意志の自由から出発することで成し遂げられていく。こうしてやっと、テコの所在をつきとめる地点にまで到達した。

2）抽象法

　ヘーゲルは財産、契約、不法という三つの章を抽象法という概念にまとまている。そして、これら三つの章に先立ち、抽象法の概要について述べている。そこでは自由や人格や財産について一般的な考察がさなれているので、それぞれについて紹介することから始めよう。

　ヘーゲルにとっては「抽象法においては、自由は個々人の自由な主観としてあらわれ、それが物の形をとったものが財産」（91頁）とみなされている。財産とは第一に目の前にある財産であり、第二に、他人の自由意志に媒介された財産で、これは契約上の同意によって取得された財産、そして第三に他人の自由意志によって奪いさられた財産のとりもどし、という三つのケースが一つの過程として述べられるべきものとされている。これが財産、契約、立法という三つの章に対応させられている。
　さきに意志の自由について明らかにしたヘーゲルは、財産を論じるにあたって、自由意志の担い手である人格を登場させている。人格とは、主体としての人間であるから、あらゆる面で完全に特殊で有限な存在でありながら、まったく純粋に自分と関係し、そのなかで有限な自己を無限で、一般的で、自由な存在として知る、ということとされているが、この内容について、ヘーゲルは講義では次のように述べている。

「人格としてのわたしは自由であり、同時に、ただのこの人です。わたしは、この個人であり、この時間に、この空間に縛られ、偶然に左右されて生きているが、しかもなお、自由であることを自覚している。そうした二つの面をふくむのが人格です。人間は貧しく、みじめで、頼りない存在だが、にもかかわらず、自分の自由と自主性について無限の自己意識をもっている。わたしは自由な存在として尊敬されることを要求します。人格のうちに対象化されているのは、わたしがこの世を生きる個人として自由であり、広がりのある、思考する存在だということです。このように極端と極端がつながるのは、精神のなかではじめて可能なことです。精神とはおそるべきもので、いわゆる健全な常識からすると狂っているといわれかねないが、このように正反対のものを結びつけるのが精神で、その力は偉大です。」（93～4頁）

　有限な個人が無限な自由を自覚している、これがヘ－ゲルによる人格の規定であるが、この両極を結びつけているのが精神だとされている点に注意しておく必要がある。ところでこの人格の対極には物が置かれ、物の二つの面について次のように述べている。

「人格の対極にある『物』にも二つの面がふくまれます。物は、人格との対比では、くだらないものだが、逆に、物こそが肝心で、思い込みや意見や反省や批評はどうでもよい、とも考えられる。物こそがが執着すべきもので、そのときの物は、その概念にふさわしい客観的な存在です。その点からすると、自由な人格が、当初は、この物のうちでしか形をとらない、というのも、理にかなっています。」（94頁）

　有限な個人が意志をもって物と関係すると、個人の目的が客観化されると同時に物も目的にふさわしいものとなり、こうして、自由な人格は物のうちで形をとることになる。だから「わたしが権利をもつというのは、わたしの自由が外的な物のうちに対象化されること」（96頁）であり、「他人にとっては、わたしの自由は物のうちにあるから、それを尊重しなければならない」（96頁）ということになる。
　さらに「自由は最初に目に見える自然物のうちに対象化されるが、これは自由にふさわしいものではなく、目に見える物としてあるという対象性が破棄され、自由の概念にふさわしいものにならねばならない」（99頁）ということで、権利と権利との関係を規定した法が法律という形をとらなければならないとされている。
　人格、財産、そして法律これらについての一般的考察を終えたあと、第1章で財産についての考察に移っている。

3）財産

　財産論を検討するにあたって、まず、ヘーゲルが要項の方で述べている事柄を書き出しておこう。そうすることで、全体の見通しがつけられる。

「§41．人格は、理念として存在するためには、自由の外的領域をもたねばならない。……
　§42．自由な精神から目に見える形で区別されるものは、精神にとっても、それ自体としても、外的なものであって、不自由で、法を欠いた『物』である。
　§43．人格は、直接そこにある概念であり、したがってまた、本質的に個としてあるのだから、それ自体が自然に根をおろした存在であるとともに、外界としてある自然と関係する存在でもある。
　§44．人格はあらゆる物のうちに自分の意志を投入し、もって、当の物を自分のものとする権利をもつ。それは人格の核心をなす権利だが、というのも、物はもともと目的というものをもたず、わたしの意志をその本分ないし魂として受け入れるからである。……
　§45．わたしがなにかを外的な力のもとにおさめることが、所有である。そして、なにかを自然の必要や衝動やわがままから自分のものにする、という特殊面が、所有にまつわる特殊な関心を示す。が、わたしの自由意志が所有のうちに対象化され、こうしてわたしがはじめて現実の意志となる、という側面こそが、法の真理をあらわし、財産のなんたるかを示している。」（102～5頁）

　§41に「理念」が、§42に「精神」が、§43に「概念」が§44に「意志」が登場していることに注目しよう。ヘーゲルの論理学のなかでこれらの用語は、それぞれ特有の弁証法的な論理としてイメージされており、そして、このイメージを外化していくことで、現実的な論理が形成されていく。
　例えば「理念」は主観から客観への移行、ということだから、人格が「理念」としてあるとすれば、主体だけでなく客体をもたねばならない、とされる。「精神」といえば、意識の発展形態であって、主体としての自我と非主体的な客体との合一が想定される。「概念」といえば、個別において、普遍と特殊が相互浸透しているものだから、それ自体の根（肉体）である自然が外的自然と関係する相関関係が想定される。「意志」といえば、目的をもった行為であり、外的な物は目的化されることで人格が自由な客観になる、といった具合である。つまり、ヘーゲルのここでの展開は、自らの用語のイメージから出発して、それを具体的素材で加工して諸規定をつくり出しているのだ。だからヘーゲルの規定はどうしても人間中心主義にならざるを得ない。とまれ、先に引用した要項についての説明の講義の部分から、興味をひくところを紹介しよう。まず、ヘーゲルが手の内を明かしているところから。

「概念とその自由な存在とが一体化したもの、すなわち自立して存在する概念が、精神です。なにかを頭に思い浮かべるとき、思い浮かべられたものが、概念であり、思考ですが、人格というとき、わたし自身が概念であって、わたしのなかで、わたしの自己意識のなかで、概念が自立した存在となっています。そこが肝心の点です。人格は自立して存在する概念です。」（103頁）

　ここから明らかなように、ヘーゲルが「理念」といい「精神」といい、「意志」といっても、その根源は「概念」に置かれていることが判明する。そして、概念的把握ということが、そのポイントとなるが、これについては次のように述べられている。

「わたしが物を概念的にとらえるとき、わたしは物の一般的なあり方、類としての物、物の法則、等々をとらえる。が、類や法則は、個々の物のうちにしかなくて、目に見えるものとして存在しているのは個物です。だから、わたしは類をわがものとすることはできず、個物をわがものとするだけです。とはいえ、個物に対しては絶対の権利をもっていて、個物はもともとわたしのものになるべく運命づけられ、わたしから自立しては存在しません。」（105頁）
　「人格たる人間、精神たる人間は、下界の事物を尊敬する必要はなくて、人間の自由とは、自分の意志しだいで、他のすべてのものをたんなる材料となしうるほどに高度なものです。」（105頁）

　今日では、奇異に聞こえるこのような人間中心主義の思想を表明したあと、「わたしのものはみんなのものではなく、人格としての、この自我としてのわたしのものです。肝心なことは、財産が私有財産でなければならないこと」（107頁）が確認され、次いで、財産の共有の上に構想されたプラトンの国家論への批判が提起されている。プラトンの場合は、かたくなに、針のように立ち、孤立状態にある人格の対極にあるものが共同体の倫理で、これが「精神の本性にふさわしく、人格のかたくなさを解体し、統一と融合を獲得」（108頁）するものとされているが、これに対してヘーゲルは、次のように述べている。

「自由が出発点になるのは、わたしたちにとっては当然のことですが、共同体の倫理の立場に立っていえば、共同体精神が真に自由な精神だとすれば、それは個人の自由を要求するはずで、共同体において主体は完全な自由を獲得し、自立するのでなければならない。主体が人格となり、財産を所有する。こうして共同体の倫理そのものが人格と結び合うのです。」（109頁）

　ヘーゲルの国家論、ある種の理性国家論に対する批判は、すでに多くの人によってなされているし、今回はそこまで検討することはしないので、単に紹介だけに止めておこう。注目すべきは財産一般から所有に移行していくときの移行規定である。節をあらためてその内容を見てみよう。

4）所有への移行

　所有への移行規定となっている§53の全文を引用しよう。

「§53．所有を意志と物との関係としてみるとき、そこに以下の三つの関係が区別される。
　（α）直接の所有。意志が物に積極的価値を認め、それを自分のものと見なす。
　（β）物が意志の否定体としてあらわれ、意志が否定すべきものとして物に自分を投影する場合。物の使用。物を使用するのは積極的な関係ではあるが、わたしに使用される限りで、物は解体していく。
　（γ）意志が物のもとを去って、自分に還えってくる場合。物の譲渡。この三つは、判断論に則していうと、それぞれ、物に対する意志の肯定判断、否定判断、無限判断、と見なすことができる。」（119～20頁）

　物の所有と使用と譲渡という三つの場合について、意志と物との関係をこのように規定したヘーゲルは、しかし大切なのは、「概念にもとづいてなされる区別」だと述べている。つまりわたし個人はこのうちに普遍と特殊をふくんだ存在だから、その自由意志が物と関係する際にも共同という普遍的な内容が獲得されていかねばならない。そこで「生身の個人から共同の存在へと前進していくさまが関心の的で、わたしの所有する物はひろく承認されたものとなる。」（120頁）という視点が提起されることになる。
　第一段階は目の前の個物の所有であるが、次に使用の段階にいたると物そのものが個の面と共同性の面とに分裂していき、そして第三段階では、共同性の面が浮かびあがるというのである。

「第三段階では物そのものが個物というにとどまらず、内部分裂して個の面と共同性の面とにわかれ、わたしはその二面で物と関係します。個の面とは物がたまたまもっている外的性質で、物の否定面です。共同性の面と区別された個の面との関係では、物に否定的な力が働いて、物は摩滅していきます。共同性に支えられない物との関係のなかで、物は解体していくので、それが物を使用するということです。以上第二段階は、わたしの所有物が個の面と共同性の面にわかれていくときの個としての内容との関係です。
　第三段階は、所有物の特殊な性質はぬきにして、その共同性の面が浮かびあがる場合で、所有物は譲渡されうるもの、価値あるもの、という一般的性質をもってあらわれます。およそ質のちがういくつかのものが同じ価値をもち、それを所有するわたしにとっては、物と特殊な性質はどうでもよく、価値だけが問題となる。それがこの段階です。」（120~1頁）

　物の使用が物という個物の否定であり、そして物の譲渡が物の共同性としてある価値の所有にもとづいている、この双方を区別したうえで、さらにヘーゲルは第二段階に見られた共同性と個への分裂のもう一つの面として、物を生産するための物の使用について次のように述べている。

「共同性の面はどのように存在するのかと問うとき、その共同性に二つの面がある。一つは、使用される面とは区別される物の価値、物の共同性の面で、これは外界の物に備わっています。もう一つの共同性は、外界の物に備わるものではなく、このわたしに備わる共同性、活動するわたしの共同性、つまり、わたしの才能、技量をさします。生産者たるわたしは共同社会に通用する財産を身につけていて、それがわたしの共同性です。
　したがって、使用にも二面があって、一つは物を摩滅させる使用、もう一つは物を生産するための、わたしの技量の使用です。共同性というとき、以上二つの面が問題となるので、ひとつが物の価値、もう一つがわたし自身、わたしの能力、わたしの活動です。」（121頁）

　ヘーゲルは単なる物の使用と、何かを生産するときの物の使用を個と共同性とのちがいにもとづいて区別し、そして、生産する場合には、物の共同性として価値だけでなく、生産者としての人間の活動をも共同性と捉えている。このようにヘーゲルは、人格と物との間の意志関係を考察するにあたって、単に物の使用と譲渡だけでなく、物の生産をも射程に入れていたのだった。

5）財産の譲渡（商品と貨幣）

　財産についての一般論を述べたあと、ヘーゲルは、A.所有、B.物の使用、C.財産の譲渡、という順に個別的な考察を行っているが、ここでは、C.財産の譲渡、に注目しよう。そこでは所有物の価値としてのあり方が問題にされている。つまり、個別の物をその共同性の中味である価値として所有する場合である。まず要項を紹介しよう。

「§63．使用される物は、一定の質と量をもつ個物であり、特定の必要を満たすものである。しかし特定の用途があるものは、同じ用途をもつ他の物と量的に比較もされるので、とすると、物の満たす特定の必要は、必要一般としてとらえられ、他の必要と比較されることも可能で、したがって、物は、ほかの必要のために使用される物と比較することができる。特殊な性質をもつ物が、その特殊な性質を捨象されて一般的にとらえられるとき、そこにあらわれるのが物の価値である。それは物の真の実質をなし、意識の真の対象となる。物の全面的な所有者であるということは、物の使用権のみならず、物の価値をも使用しているということである。」（141頁）

　ヘーゲルの価値についての考察は簡単である。特定の用途があるものを他の必要のために使用される物と比較することができるが、このことは特殊な性質をもつ物が、その特殊な性質を捨象されて一般的にとらえられていることであり、そこに物の価値があらわれる、というのだ。
　この物が何故比較されるかということについて、ヘーゲルは人間の欲求から説明している。
　「わたしは思考する存在だから、ある側面にかかわる特殊な欲求を超えて、共同の観点から欲求一般とかかわりをもち」（142頁）、そうなると「特殊な性質はわたしにとってどうでもよくなる」（142頁）ことになる。「物はあくまで特殊な性質をもつ物だが、わたしはそれをどうでもよいと考え、特殊な性質はわたしにとって意味をなさなくなる」（142頁）ということだから、ヘーゲルの場合、物に価値を与えるのは、人格の欲求が欲求一般にかかわることにもとづくものとされている。
　「物が価値をもつかぎりで、わたしはその物をもってわたしの欲求を、特殊なこの欲求ではなく、すべての欲求を満たすことができます。財産を価値として所有するかぎりで、それは理性的な所有であり、一般的なものの所有であって、物は一般的な価値としてのみわたしの欲求に応えてくれる。わたしの欲求は思考の次元にある共同の欲求であり、欲求一般なのです。」（143頁）
　わたしの欲求が思考の次元にあると共同の欲求であり、欲求一般となって、物に価値を与えることになり、そうなると、特定の個物を所有していても、その個物の価値と同じ価値をもつ全てのものを所有していることになる、とヘーゲルは述べている。そこで、物の譲渡とそれが行われる契約という形式が問題となるが、譲渡を考察するにあたって、貨幣が取り上げられている。

「物が価値をもつかぎりで、物は商品と見なされます。商品はもっぱらその価値が重要で、それがどんなものかはどうでもよい。価値の大きさという量の規定は、物の質によって決まってくるが、それだけでなく、その他多くの事情がそこにからんできます。うみだす労働の大小、めずらしさ、求められる度合い、等々がすべて量の大小に転化します。
　つぎに考えるべきは、価値が完全無欠（絶対的）に対象化され、価値そのものを本質とする物が登場する場合で、それが貨幣です。貨幣の所有は人間の思考にふさわしい、もっとも知的な所有です。ここでは、欲を満たす物がただ価値として所有され、使用のしかたはほかの物とはまったくちがいます。貨幣の所有は、価値としての意味しかもたず、価値がそのまま実在するのが貨幣です。」（144～5頁）

　ヘーゲルは貨幣を特別の商品とみなし、「価値そのものが実在するに至ったのが貨幣」（145頁）だと述べているが、貨幣についての詳しい考察には立ち入っていない。
　次にヘーゲルの譲渡論は、商品と貨幣だけでなく、人間の活動にも価値を認めている。

「さて、価値の第三のあり方です。わたしのもつ一般的な価値体は、目に見えるものであり、物としてある一般的なもの〔貨幣〕です。が、一般的なものが外面的・客観的にあるだけでなく、それとはまったくちがう形で、主観的にもある。わたしはわたし自身の内面的一般性に属するものとして、それを所有します。技能や才能の所有がそれで、これまた所有にちがいはありません。技能や才能も使用の対象となるので、使用されることによってはじめて、それらはものをうむ力となり、うみ出されたものが物の質に変化をもたらします。わたしの技能によって、わたしは物の形を作り変え、わたしの欲求に合った形にします。ここでは、わたしの意志が所有物のうちに対象化されるだけでなく、わたしの精神、わたしの内面もまた対象化されます。」（145～6頁）

　ヘーゲルの財産論は当時の第一線の経済学者の商品や貨幣や労働についての分析に学び、それを摂取した上で組み立てられている。マルクスによって『資本論』が書かれ、当時の経済学が根底から批判されたことで、マルクスが到達している地平から、ヘーゲルの財産論を批判することは簡単だが不毛であろう。ではここに見られるように、外的対象、それも法という精神的なものから素材をとりこんで加工されたヘーゲルの概念は、どのようにすれば転倒できるのだろうか。

6）実践の弁証法の転倒

　すでに前章の理論の弁証法の転倒のところで、ヘーゲルの意識の弁証法の転倒の方法を明らかにしておいた。そこでは意識の関係と法的関係とをそれぞれ特殊の領域にあるものとして区別したうえで、それぞれの関係における個と類（一般）との相関関係の相違を示すことにより、他の特殊な領域にある人間の社会関係の実相をテコにして、意識の弁証法の転倒が試みられなければならない、ということが確認されていた。とはいえ、意識は人間の社会関係のあらゆる領域に関わっていて、意識を抜きにして人間の社会関係を措定することは不可能であるかのように思われる。そして、またこの事実から、ヘーゲルは意識を全ての社会関係におおいかぶさる一般的なものとみなすことが出来たのだった。では意識をどう扱かえばよいのか。意識の両極を意識の契機とみなし、意識に同一化してしまったヘーゲルとは逆に、社会関係にとりついている意識を、逆に両極の関係の契機と捉えればよいのである。
　そうだとすると、ヘーゲルが意識の実践的活動として展開した精神としての法の概念を転倒し、純粋の意識関係とは区別された、人間の社会関係の特殊の領域をなす法的関係の一契機として意識を捉えることが必要だ、ということになる。
　すでに見てきたように、ヘーゲルは抽象法の財産で、所有と物の使用と財産の譲渡について概念的に把握しようとしているが、そこでの思考は、個と共同性（一般性）との関係のあり方の解明にもとづいていた。その小さなほころびを取り上げることから始めよう。3）財産、のところでも引用しておいた概念的把握についてのヘーゲルの考えを再度引用しよう。

「わたしが物を概念的にとらえるとき、わたしは物の一般的なありかた、類としての物、物の法則、等々をとらえる。が、類や法則は個々の物のうちにしかなく、目に見えるものとして存在しているのは個物です。だから私は類をわがものとすることはできず、個物をわがものとするだけです。」（105頁）

　物事を概念的に捉えて、類という概念を思考のうえでつくったとき、これはあくまでも思考産物だから、個としては存在できない、このことはヘーゲルにはよく分かっていた。ここでのヘーゲルの言明は、思考で捉えられた概念に関する限りは正しい。ところが、財産の譲渡のところで貨幣を論じるときには、ヘーゲルは、「価値がそのまま実在するのが貨幣」（145頁）だとみなしている。ヘーゲルによれば、物が一般的に捉えられたときにあらわれるのが物の価値だから、価値とは類的な概念に他ならない。だからヘーゲルに従っても、貨幣の場合は、物（商品）の類としてある価値が、そのまま個物として実在するということになる。
　商品の類としてある一般的等価物（貨幣）が、思考による類概念とは異なって、個物としてある、というこの奇妙な事態については、マルクスが『資本論』初版の価値形態論で指摘していた（　原典27頁）。『神聖家族』の「思弁的構成の秘密」では、類のあらわれが個としてあるかの如く述べる思弁哲学を批判していたマルクスは、『資本論』では類が個として存在しているケースを紹介し、ヘーゲル弁証法転倒の手がかりを示していたのだった。
　貨幣を商品の類とし、そうすることで貨幣に価値の尺度、交換手段、価値保存体という社会的な力を与えたものは、人間の意識的な行為ではない。もしそうであれば、合意によって貨幣の役割を変えることも可能となる。ところが貨幣を生み出す行為はたしかに商品所有者の行為であるが、単に自分の商品に価格をつけて市場で売り出す、という意識された行為の裏にある、貨幣商品金で自分の商品の価値を表現するという意識されない行為である。この意識されない行為が、貨幣を商品の類へと生成しているとすれば、類としての貨幣は、ヘーゲルが弁証法的思考にもとづいて、それを概念的に把握する前から、すでに個物としてある類として存在していることになる。その結果、対象を貫き通して、それを意識のうちに取込んでしまう概念をかかげたヘーゲルにあってすら、リアリストの面を発揮して、貨幣を価値がそのまま実在するものとみなすことで、自らの概念論の破綻を意識せずに開陳してしまっているのだ。

　こうしてヘーゲル弁証法転倒のためのテコが利用可能となった。そこで再び『精神現象学』の自己意識に帰り、このテコを使って自己意識の弁証法の転倒を試みよう。

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Author: admin Published: 2006/1/5 Read 2935 times

哲学の旅第8回（続） ヘーゲル弁証法の転倒（続） 第8章

第8章 実践的活動の転倒（『法哲学講義』より）