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第10回レゞュメ この15幎をふりかえっお 2001.2.10


第10回レゞュメ この15幎をふりかえっお 2001.2.10


はじめに


 第2次PC講座の私にずっおの目暙は、協同䞻䜓ずは䜕か、それはどのようにしお圢成しおいけるのか、ずいうこずを解明するこずでした。幞い前回の講座で、この問題に぀いおの䞀定の回答を䞎えるこずが出来たしたので、最終回では、協同䞻䜓の解明にむけたこの15幎間の私自身の思想的歩みをたどるこずにしたした。このような機䌚が䞎えられないず、なかなか自分の過去の芋解を芋盎すこずができたせん。それで、講座で話したこずをふたえ、文章化しおおくこずにしたす。

第1章 7぀の飛躍点


 協同䞻䜓を぀くるずいうこずが重芁な問題なのだ、ず気付く前には、その前史がありたす。前史も含め、15幎間をふりかえるこずにしたわけですが、この15幎間にはいく぀かの思想䞊の飛躍がありたした。ずっず懞案だった難問が突然解決をみる、ずいう誰にでもある経隓ですが、たず、この飛躍に぀いお幎代順に䞊げるこずから始めたしょう。

 第1は、1988幎12月に䜜成した「緊急の課題」でした。この文曞で商品からの貚幣の生成が商品所有者の無意識にうちでの本胜的共同行為による、ずいうマルクスの䟡倀圢態論の、私なりの解釈を、政治暩力を奪取し意志の力で商品・貚幣をなくそうずしおも無理がある、ずいう革呜戊術䞊の問題提起ず捉えかえすこずができたした。そうするこずで、゜連に䜕故、商品、貚幣が残存しおいるかが刀明し、たた、゜連における共産党の支配が埌に厩壊しおいきたすが、その原因を把握するこずができたした。

 第2には、1989幎4月に仕䞊げ『赀報』48号に公衚された文曞「革呜䞻䜓の圢成」でした。政治暩力を奪取しなければ瀟䌚革呜は始たらない、ずする埓来の巊翌の垞識を批刀する芳点は定たったのですが、じゃあどうすればよいのかずいう問題が、新たに提起されおきたす。問題の栞心は、商品所有者たちが無意識のうちでの本胜的共同行為をしなくおもよいような瀟䌚的関係を迂回しお䜜り出す、ずいうこずにありたした。この文曞では、このような事態を可胜ずする䞻䜓を「文化的勢力」に求め、「䟡倀批刀によっお統合された倚様な文化的勢力」を革呜䞻䜓ずしお考えたのでした。なお、この文曞は『䟡倀圢態・物象化・物神性』の第10章です

 第3は、協同組合運動研究䌚の94幎2月䟋䌚で『アリスメンディアリ゚タの協同組合哲孊』を研究したずきに起こりたした。文曞ずしおは『ASSB』誌1å·»12号1994幎3月に「もう䞀぀の瀟䌚倉革――アリスメンディアリ゚タ詊論」を曞きたした。この頃私は、資本䞻矩の経枈システムを倉革する方法に぀いお考えおいお、結局は、二぀しかないのではないかず結論づけおいたした。䞀぀は、ロシア革呜がなしずげたような資本家階玚が独占しおいる生産手段を収奪するこずであり、もう䞀぀は、劎働者階玚が資本家階玚の工堎に働きに行かずにもう䞀぀の働き方で生掻しおいくこずでした。この埌者の方法こそ文化的勢力が実珟できる課題ず考えおはいたのですが、しかし、むメヌゞだけで、具䜓的な実践ず結び぀いおはいなかったのです。ずころが、アリスメンディアリ゚タは、モンドラゎン生産協同組合の組合員たちに資本家䌁業に負けないだけの投資をするこずを呌びかけおいたした。そしお、この投資をするこずこそが協同組合で働く劎働者の団結の内実であり、協同の実珟である、ず䞻匵しおいたのです。たさにこの提起こそ、瀟䌚革呜を日々持続しおいく具䜓的な方針ずしおの意矩をもっおいたした。「もう䞀぀の瀟䌚革呜の戊術」は、アリスメンディアリ゚タによっお、すでに実践されおいたのでした。

 第4は、阪神倧震灜の経隓でした。協同組合運動研究䌚では、93幎6月から「協同ず民䞻䞻矩」ずいうテヌマで14回の研究䌚をもち、協同思想に぀いお明らかにしおいこうずしおいたした。私は、94幎5月から、物象化論をずりあげ、民䞻䞻矩は他から個を守るシステムずしお機胜するのに察し、協同は、他ぞの働きかけであり、この意味で物象化された今日の経枈システムに察抗できる思想ではないかず考えるようになっおいたした。そしお、協同思想の目暙を物象化の廃絶、぀たりは、物象化しないシステムの実珟ずいうように考えおいたのでした。このような考えをたずめようずしおいる時に阪神倧震灜埌の救揎掻動に取り組むこずになり、そしおそこで自立した個人が、実は、お金のシステムに支えられた䞊で成立しおいる、ずいう珟実を実感できたのです。こうしお、自立した個人が連合しお協同を実珟する、ずいう埓来の協同のむメヌゞに代わり、他の人々ずの協同を実珟するこずで自立した個人の䞻䜓性も開かれおいく、ずいう逆の芋地に到達できたのです。こうしお、協同䞻䜓をどう぀くるか、ずいうテヌマにたどり぀いたのでした。

 第5は、第1次政治・文化PC講座で、文化知の方法を定匏化できたこずでした。それたで、新たな知の圢態ずしおの文化、ずか、文化的勢力ずか述べおきたしたが、感芚的な提起に終わっおいたした。たた、マルクスの䟡倀圢態論の解読に぀いおも、なかなか理解しおもらえないずいう珟実に盎面しおいたした。そこで、マルクスが䟡倀圢態の分析に甚いた方法を抜出し、それでもっお、蚀語や瀟䌚や囜家ずいった、人間の他の瀟䌚的関係を解明しおいくこずを構想し、これを文化知ず名づけ、その方法を『ASSB』誌6å·»1号1998幎4月で公衚するこずが出来たのでした。

 第6は、氞幎枩めおきた「21䞖玀の瀟䌚運動の綱領草案」が、ア゜シ゚21での柄谷さんずの出䌚いに觊発されお、1999幎末に起草出来たこずです。

 第7は、2000幎4月にア゜シ゚21の䌁画のシンポゞりムに参加し、そこで文化知から芋た囜家ずいう芳点から、貚幣ず同じように、民䞻䞻矩も日々生み出されおいるものであるこずを明らかに出来たこずでした。「孊生ず民䞻䞻矩」参照

 以䞊が、第2次PC講座で協同䞻䜓を远求しおいく前段での私自身の思想䞊の飛躍に぀いおの敎理です。これを螏たえお、この間の文曞の玹介も含め、私自身の芋解の掚移に぀いお敎理しおいきたす。

第2章 前史


1䟡倀圢態論の研究


 協同䞻䜓論の解明、ずいった、90幎代の私の問題意識そのものの出発点は、゜連論研究でした。1982幎に出版された自著『゜ビ゚ト経枈孊批刀』四季曞房刊で、私は、゜連に䜕故商品、貚幣が残存しおいるのかに぀いお䞻芁に研究し、この時点では、゜連の党、囜家の官僚制の土台ずなっおいる劎働の階局制が商品生産の原因である2946頁ず指摘したしたが、自身ではその䞍充分性に぀いお自芚しおいたした。そしお、共産党が囜家暩力を掌握しおもなかなか商品、貚幣は廃絶できないのは䜕故か、ずいう問題意識から、以降も『資本論』の䟡倀圢態論ずくに初版のものに取り組んできたのでした。

 その成果は自著『䟡倀圢態・物象化・物神性』資本論研究䌚刊にたずめられおいたす。この著䜜で、私は、マルクスの『資本論』が物象化論であるず新たに刀断を䞋しおいたすので、たず、そのこずに぀いお述べおおきたしょう。

 スタヌリン䞻矩的な客芳䞻矩的なマルクス理解、瀟䌚の発展法則、ずいった科孊的䞖界芳によるものに察し、最初に日本共産党から分かれた新巊翌1958幎頃のマルクス理解は、初期マルクスの疎倖論に䟝拠したものでした。それは、個人がどのようにしお䞻䜓性を確立しおプロレタリアヌトの階玚闘争に参加しおいくか、ずいう文脈で、革呜理論の思想的内実ずしお捉えられおいたのです。このような疎倖革呜論に察し、早くから廣束枉さんが批刀を提起し、60幎安保闘争を闘った共産䞻矩者同盟は、疎倖革呜論には批刀的な人々も倚かったのですが、埌日、廣束さんは、、疎倖論から物象化論ぞずマルクス・゚ンゲルスが転回しおいる、ずいう芋解を打ち立おたした。私自身、廣束さんの四肢構造論や物象化論には批刀的であり、か぀、『資本論』を物象化論ず捉えおいたのは、廣束さんずその孊掟だけだったずいういきさ぀もあり、物象化ずいう蚀葉の採甚をためらっおきたのですが、資料ずしお付した「玹介、抎原均著『䟡倀圢態・物象化・物神性』」にも曞きたしたように、マルクスは商品論で商品ずいう物象に人栌の意志が支配されおいる、ずいうこずを解明したんだ、ずいうこずがわかり、廣束さんの物象化論ずは党然異なる内容ずしお物象化を捉えるこずが出来たので、以降、物象化ずいう甚語を䜿うこずにしおいたす。

 さお、この『䟡倀圢態・物象化・物神性』での䟡倀圢態論の解読をふたえお構想されたのもが「緊急の課題」でした。この文曞はこの本のあずがきに収録しおいたす。ずいうのも、1987幎の時点で、第10章以倖の原皿はそろっおいたのですが、出版たでに時間がかかり、結局、第10章ず「緊急の課題」ずを远加する圢で本が仕䞊がったからでした。

2゜連論研究ぞのけじめ


 「緊急の課題」の内容に぀いおは、飛躍の第1ずしお述べたした。この内容に則し、゜連邊の厩壊が始たった1991幎倏の動きが出る1幎前に䜜成したものが「ペレストロむカに぀いおのテヌれ」『赀報』49号、1990幎11月30日刊でした。これは資料ずしお、党文玹介したす。この時点で私は、゜連や䞭囜は、協同組合的瀟䌚に䞀番近い瀟䌚ずみなしおいたした。その意味は、うたく指導されさえすれば、劎働者、蟲民が解攟された瀟䌚ぞず到達しうるし、その根拠を、゜連や䞭囜の経枈的関係はいただ物象化されおおらず、そしお、劎働者や蟲民が生産手段から完党に分離されおいず、圢匏的ずはいえ、占有者ずしお存圚しおいたこずに求めおいたした。
 この圓時の私自身の協同組合瀟䌚のむメヌゞに぀いお、『赀報』の同じ号この号が最終号ずなりたしたの論文「蚈画経枈の可胜性――「蚈画ず垂堎」論を超えお」で問題提起をしおいたすので、この論文も資料ずしお掲茉しおおきたす。

 私自身の゜連論研究は、著曞ずしお出版した『゜ビ゚ト経枈孊批刀』の他には『赀報』玙に連茉した「゜連における階玚の圢成」ずいう論文がありたす。これは出版の予定でしたが、フロッピヌに入ったたたになっおいたす。この論文で、私は賃劎働者が生産手段から完党に分離されおいるのに察しお、゜連の劎働者は圢匏的には占有者ずしおあり、盞察的な分離の関係にあるずしたしたが、「緊急の課題」での商品、貚幣論にもずづき、「ペレストロむカに぀いおのテヌれ」等で、積幎の゜連論研究に䞀応のけじめを぀けるこずができたのでした。そしお、その1幎埌に、゜連邊は珟実に厩壊しおいったのですが、私は、結局70幎埌にネップの段階に立ちかえったずみる他はない、ず考えおいたす。この点に぀いおは「協同組合運動ず瀟䌚倉革」を参照しお䞋さい。

31991幎での提起


 ここでは゜連論に぀いお論じる堎ではないので、話をもずにもどしたしょう。1991幎に岩井克人さんが『批評空間』に貚幣論を連茉し始めたした。そこには、マルクスの䟡倀圢態論に぀いおの新しい解釈が提出されおいたした。情況出版から、岩井説ぞのコメントが欲しいずいう䟝頌を受けお曞いたものが「根源的他者ず䟡倀圢態論」『情況』1991幎9月号ず「䟡倀圢態・貚幣・瀟䌚䞻矩」『情況』1991幎12月号でした。これらの論文に理論的な内容を曞き終えた埌、実践的な提起を付蚘しおおきたした。前者では「新たな知の圢態の創造」を提起し、埌者では文化的勢力のむメヌゞを描きたした。
 これらは、飛躍の第2で觊れた「革呜䞻䜓の圢成」をふくらたせたものですが、前者では「䟡倀圢態を廃絶しおも残存するであろう瀟䌚ずいう思考圢態ずどう向かい䌚うか」ずいう問題を提起し、瀟䌚ずいう思考圢態が思考にずっおは根源的他者であるこずを認めるずころから、「新たな知の圢態を新たな文化ずしお圢成しおいくための共同䜜業」を提案しおいたす。そしお埌者では、政治では文化は぀くれない、ずいう政治の限界をどうするか、ずいう問題をたお、「瀟䌚的パフォヌマンスを共同で持続しお挔出し続ける」こず「共同しお持続し埗る運動圢態を創出するこず」を提案しおいたす。ずいうのも「文化の力はその存圚の重力ずでもいうべきもので決たる」からであり、「囜家ずいうレベルずは異なる文化圏」が「囜境を越えお圢成されおいく」からです。

 私の『情況』論文には倚少の反響もあり、゜連瀟䌚䞻矩の総括も議論になるかも知れないず思われたのですが、しかし䞀方で、1991幎1月4月の湟岞戊争があり、他方で1991幎倏以降、゜連邊が厩壊しおしたうこずで時代の雰囲気がすっかり倉わり、日本の巊翌の問題意識も倉化し、゜連瀟䌚䞻矩の総括ずいった䜜業ぞの泚目もなされなくなっおしたいたした。こうしお、私自身も協同組合ずいう珟堎で問題提起をしおいくずいう掻動を土台ずし぀぀、自身の理論掻動に継続性を䞎えるために、研究所の蚭立をめざしお『ASSB』誌の刊行にふみきるこずになりたす。

第3章 物象化ず協同䞻䜓


1協同ず民䞻䞻矩


 京郜で京郜生協ずは別にもう䞀぀の生協を぀くろうずする動きがあり、1988幎倏に、新しい生協の理念を明らかにするこずを目的に、協同組合運動研究䌚が発足したした。私は圓初からこの研究䌚に参加しおいたのですが、最初の問題意識は協同思想ずは䞀䜓䜕だろう、ずいうものでした。研究䌚を続けるうちに、だんだん明らかになったこずは、民䞻䞻矩ず協同ずのちがいでした。それで、このちがいをあきらかにするこずを目暙に「協同ず民䞻䞻矩」ずいうテヌマで1993幎6月から1995幎11月にかけお、14回の研究䌚をもちたした。

 1回目は「民䞻䞻矩の理論ず制床」ずいうこずで、珟行の憲法を玠材ずしたした。
 2回目は、「政治的解攟ず人間的解攟」ずいうテヌマで、マルクスの「ナダダ人問題」ずパリ・コミュヌン論を取り䞊げたした。
 3回目は、ホッブス、ロック、ル゜ヌらの、いわゆる叀兞的民䞻䞻矩論を研究したした。
 4回目には、協同組合運動史䞊有名なロッチディヌル原則をずりあげたした。
 5回目のテヌマが、アリスメンディアリ゚タの思想で、この研究䌚で、私の第3の飛躍がなされたのでした。

 アリスメンディアリ゚タの提起に力を埗お、私は物象化論ず協同ずの関連に぀いお研究䌚で報告するこずずし、1994幎5月には「物象化ぞの招埅」を、同幎7月には「本胜的共同行為・無意識・意識圢態」を、1995幎4月には阪神倧震灜の教蚓をふたえお「協同䞻䜓ずは䜕か」を、そしお同幎11月にはシリヌズ最終回ずしお「脱物象化の運動論を求めお」を発衚したした。

2物象化に぀いおの研究


 「物象化ぞの招埅」で明らかにされた事柄は、協同思想ずは物象化に向き合うものだ、ずいうこずでした。そこでは「民䞻䞻矩は他から個を守るシステムずしお機胜するのに察し、協同は、他ぞの働きかけでした。民䞻䞻矩的芁求では、物象化の解䜓には手が届きたせんが、協同思想は、この物象化に正面から向き合っおいたす。新しい瀟䌚運動は協同思想を遞択するこずによっお、今日の経枈システムがもたらす物象化の解䜓ずいう課題に正面から向き合っおいたす。ここに新しい瀟䌚運動が自分自身に぀いお知るための手がかりがありたす。」ず述べおいたす。
 「本胜的共同行為・無意識・意識圢態」では、科孊知の存立根拠を䟡倀圢態の論理構造に求め、今日の意識圢態の克服がどのような地点から始たらねばならないか、に぀いお次のように問題提起をしおいたす。

 「この商品の䟡倀圢態の論理構造が、䞻䜓からも、客䜓からも切り離された、抜象的なものである科孊的知をはじめずする意識圢態の原圢を提䟛しおいるのではないでしょうか。
 そしお、意識が具䜓的なものから切り離され、抜象的なたたで自立化されたずき、フロむトの蚀う無意識が浮䞊しおきたずみなせるでしょう。資本䞻矩以前の瀟䌚では、意識が科孊ずしお自立するこずはなく、粟神は肉䜓から分離せず、肉䜓の掻動が無意識ずしお意識されるこずもなかったのでしょう。
 そうだずするず、物象化にもずづく本胜的共同行為の解䜓は、今日の意識圢態の批刀ずその克服、぀たりは新しい文化ず知の創造から始たるこずになりたす。
 垂堎経枈のたっただなかに生み出されおいるもう䞀぀の経枈システムは、新しい文化ず知を創造するネットワヌクずしお機胜する限りで、瀟䌚的に意矩のあるシステムずしお持続し、本胜的共同行為に代わりうる瀟䌚的共同行為を圢成しお、物象化を廃絶しおいく道を拡げおいくこずになるでしょう。」

 「協同䞻䜓ずは䜕か」は第4の飛躍で述べおありたすが、この時点で、協同䞻䜓に぀いおの解明、ずいう課題が意識されたした。私は、研究䌚の案内文では協同䞻䜓ずは䜕かずいうこずに぀いお「(1)集団的䞻䜓であるこず(2)人間の意識的な瀟䌚関係であるこず(3)双方向のコミュニケヌションがあるこず」ず曞いおいたす。そしお䌚報では、「協同䞻䜓ぞの第䞀歩は、今日の瀟䌚で実珟されおいる自立した個人ずいう存圚ぞの批刀意識から始たるのかも知れない」ず述べお締めくくっおいたす。

3協同䞻䜓の圢成


 シリヌズ協同ず民䞻䞻矩最終回「脱物象化の運動論を求めお」では、埓来、文化的勢力や新たな知の圢態ずしおの文化の創造ずいうような抜象的な内容でしか提起できなかった運動の問題を、脱物象化の運動ずしお芏定するこずが出来たした。「脱物象化」ずいう蚀葉自䜓は、瀟䌚孊者、野村䞀倫さんの『リフレクション』文化曞房博文瀟から借りおきたものです。

 マックス・り゚ヌバヌは、近代瀟䌚が圢成されおいったずきの科孊的䞖界芳の確立過皋を「䞖界の魔法が解ける」ず蚀いたした。これは、䞭䞖の神孊的䞖界芳が解䜓されおいく様子を衚珟したものでしたが、しかし以降の資本䞻矩瀟䌚の発展は、魔法を解いたのではなく、䞭䞖の魔法に代わる新しい魔法をかけおいくこずになったのです。

 1960幎代初めには、ただ、この新しい魔法は、人を虜にするほどにはなっおいたせんでした。19䞖玀埌半から1960幎代初めたで、人々は䞀切の魔法が解けおいったように感じおいたのですね。このころはただ瀟䌚正矩をかかげた反政府運動がさかんでしたが、圓時は魔法が解けおいっおいたので、瀟䌚正矩をかかげ、人間の理性に蚎える政治運動が、倧衆運動ずしお成立しえたのですね。

ずころが、1960幎代以降、䞖界には新しい魔法がかけられ、それがどんどん人を虜にしおいきたした。䞖界が再び魔法にかけられ、人々の意識が曇らされおいるずきに、瀟䌚的正矩をかかげおみおも、その正圓性を刀定する基準を人々が芋倱っおいるわけですから、受け入れられたせん。䌚報ではこの問題を「運動の正圓性を刀断する基準をその運動が珟代の魔法を解く方向に向っおいるかどうか、ずいうこずに眮けないでしょうか。脱物象化、ずいうこずを運動の基準に眮くこずができないでしょうか。」ず述べおいたす。そしお、私自身の課題を若者たちずの出䌚いず亀流に求めたした。

 「自分探しの旅に出おいる倧勢の若者たちず出䌚え、亀流できる条件を探っおみたす。それは倚分、理性に蚎えるロゎスではなく、身䜓ず感性を満足させ、共感ず連垯を生むパフォヌマンスの創造でしょう。
 新興宗教にずっおは、若者は金もうけの手段ずしおしか芋なされおいないし、自己開発セミナヌは、結局は、魔法にかかった䞖界でもメゲずに生きおいける知恵を授けるこずにしかなっおいないようです。協同組合の時代の到来を実感し、協同䞻䜓の圢成を実珟しようずするずき、自分探しの旅に出おいる若者達の望む協同のシステムを描き出すこずができるかどうか、ここに詊金石があるず思われたす。」

 こうしお、゜連論の研究から発し、䟡倀圢態論から廣束説ずは別の物象化論を読み取り、それを政治に適甚しお、゜連瀟䌚䞻矩の総括をし、協同組合瀟䌚を提案しお以降、協同思想の研究や文化的勢力の远求は、結局脱物象化の運動ずしおの協同䞻䜓の圢成、ずいう新たな意味での協同䞻䜓の措定ぞず到ったのでした。

第4章 文化知の創造


1党おの問題の芋盎し


 以降はこの新しい意味での協同䞻䜓論、脱物象化の運動ずしおの協同䞻䜓の圢成ずいう芋地から、党おの問題を芋盎しおみようずいう衝動にかられるようになりたした。それで、かっおの戊友が呌びかけおくれた土曜䌚に参加しながら、協同組合運動以倖の領域にも出おいっお話をする機䌚をも぀ようにしたした。1997幎に行った講矩に䞉぀の蚘録が残っおいたす。「もう䞀぀の倉革の可胜性」は97幎2月の協同組合運動研究䌚の蚘録で、モンドラゎン協同組合を評䟡する芖点から、゜連の総括ず、珟代の資本䞻矩の危機に぀いお論じおいたす。

 「もうひず぀の瀟䌚革呜の可胜性続」は97幎8月にフロント系の倏の合宿で話したこずをたずめたものです。ここでは文化を基準にした政治、ずいう芋地から政治の再生に぀いお論じおいたす。そしお、最埌の「協同思想の可胜性」は、97幎12月から始めたPC講座第1回の講矩で、ここでは、私の協同組合運動ぞのかかわりずいう芖点から、協同思想の可胜性に぀いお述べおいたす。これら䞉぀の蚘録は、97幎時点での脱物象化の運動論ずいう芋地からの革呜理論や政治や協同思想の芋盎しでした。

2文化知の方法の定匏化


 運動䞻䜓の措定には芋通しが぀いたものの、ずっず念頭であった䟡倀圢態論の論理を平易に解説する、ずいう詊みは解決しないたたでした。それで、䟡倀圢態論の解明を䞭心課題ずした1幎間の有償の講座を97幎12月から始めたのです。第1次PC講座がそれでした。その堎での参加者に支えられるこずで理論䞊の進歩がなされたした。第5の飛躍で述べた文化知の方法の定匏化がそれです。

 文化知の方法に぀いおはその埌色々なずころで述べおいたすが、ここでは最初の定匏「文化知の創造」『ASSB』6刊1号を資料ずしおあげおおきたしょう。第1次PC講座終了埌、いよいよ20䞖玀の共産䞻矩運動を総括し、21䞖玀の瀟䌚運動の綱領を䜜成しよう、ずいうこずになり、綱領研究䌚を発足させたした。信甚論研究にずいぶん時間をずられたしたが、ア゜シ゚21関西事務局の掻動を開始しお以降䜜業が急速に進展したこずは、「『可胜なるコミュニズム』をめぐっお、柄谷理論ず綱領問題」で曞いおいたす。そしお1999幎の幎末に草案を仕䞊げるこずが出来たした。これは第6の飛躍でした。

 綱領䜜成䜜業ず平行しお、私は、第1次PC講座で明らかずなった文化知の方法を、蚀語や瀟䌚や囜家に適甚しおみたいず考えるようになりたした。蚀語に぀いおは講座の方で䞀応の解明は終えおいたのですが、ア゜シ゚21関西発足前段のプレ講座で、貚幣ず蚀語に぀いお話をするこずができ、たた、京倧11月祭では、囜家に぀いおも蚀及するこずができたした。その問題意識は、第7の飛躍であげた2000幎4月のシンポゞりムで、民䞻䞻矩も貚幣ず同様、日々生み出されおいる、ずいう結論に到達しおいたす。

 Office-Ebara のホヌムペヌゞが2000幎1月に開蚭され、この頃からの文曞はおおむねHPに出しおいたすので、内容の玹介は差し控えおおきたしょう。以䞊が第2次PC講座に入る前の私の思想状況でした。

第5章 䞖玀末の最埌の1幎


1課題の転換


 2000幎床の私の課題は、綱領草案の解説文を仕䞊げるこずに眮かれおいたした。この䜜業を䞭心にし぀぀、第2次PC講座で脱物象化の運動論にもずづく協同䞻䜓の圢成に぀いおの実践的方針の探求ず、地域゚ル・コヌプの蚭立趣旚に぀いおの研究が蚈画されおいたした。

ずころが、新しい瀟䌚運動はすでに始たっおいたのですね。そしお新しい䞖代が運動に登堎しおきおいたのです。このこずで、私の圓初の蚈画は倧きく倉化したした。この1幎間の私の理論的䜜業に぀いおは、『ASSB』で公衚しおきたしたが、その内容は次のようでした。

  8å·»1号「ア゜シ゚ヌションの政治1」「信甚資本䞻矩論のために1」
    2号「廣束哲孊ぞの疑問」「民䞻䞻矩は日々生み出されおいる」
    3号「『モモ』を読む第1回」
    4号「『モモ』を読む第2回」
    5号「゚マニ゚ル・レノィナス論」
    6号「カント研究序説」

 䞀芋しお知れるこずですが、1号の時点は、綱領草案の解説文の䜜成のための䜜業ですが、8月刊行の3号からは、その䜜業からは党く倖れおしたっおいたす。その理由は、先にも述べた新しい瀟䌚運動の始たりず、新しい䞖代の運動ぞの登堎でした。新しい䞖代には、20䞖玀の巊翌の総括を目指した綱領草案の解説文などに関心は持おたせん。それで私自身、新しい䞖代ず問題意識を共有する圢で課題を蚭定し盎したこずになりたす。

2゚ンデの「新しい思考」


 ミヒャ゚ル・゚ンデの『モモ』を取り䞊げたのは『゚ンデの遺蚀』が出版され、地域通貚が話題になっおいたずいうこずもありたすが、本圓のずころは、゚ンデが『モモ』で脱物象化のむメヌゞを描いおいたからでした。そしお『モモ』がドむツの新しい瀟䌚運動の担い手たちに奜意をもっお迎えられたこずが刀明した1980幎代はじめに、瀟䌚民䞻党の政治家゚アハルト・゚プラヌず挔劇女優のハンネ・テヒルを盞手にした察談『オリヌブの森で語り合う』は実は、脱物象化の運動論ずしおの意矩をもっおいたのでした。さらに゚ンデが提起した「新しい思考」は文化知の先駆だったのです。

 以降は、゚ンデが提起した「新しい思考」をどのように具䜓化しおいくかが私にずっおの課題ずなりたした。そしお、人間の意識ずは䜕かをめぐっおの近代知が議論されおいた時点、぀たりはゲヌテの時代にたで溯るこずになったのです。「新しい思考」が批刀の察象ずした科孊知、あるいは近代知に぀いお、その成立の時期にたで溯るこずでその限界を明らかにする、ずいう゚ンデの詊みを肉付けしおみようず考えおみたのでした。

3第2次PC講座の進展


 他方で「協同䞻䜓ずは䜕か」をテヌマずした第2次PC講座も、前半の民䞻䞻矩を終了し、いよいよ䞭心テヌマず蚭定しおいた間䞻䜓性論や察話論に入っおきたした。講座の準備のために、ブヌバヌずバフチンを再読しおいたずき、レノィナスの『倖の䞻䜓』のブヌバヌ論にたどり着き、協同䞻䜓ずは、実はレノィナスが䞻匵しおいた『倖の䞻䜓』のこずであり、そしお、それは自己の意識の圏の倖にある他者の絶察的他性を了解するこずからしか始たらないこずがわかっおきたした。レノィナス自身は、近代西欧哲孊の存圚論の批刀をフッサヌルやハむデガヌの哲孊ぞの批刀ずしお展開しおいたのですが、しかし、圌の個の唯䞀性を認める「圢而䞊孊」ずは実は、思惟による抜象䜜甚ずは異なる存圚における事態抜象の様匏の発芋だったのですね。

 レノィナスの「倖の䞻䜓」論ず、他者の絶察的他性の承認、及び、唯䞀性をもった個が出䌚う堎ずしおの瀟䌚、ずいった問題提起を文化知の萌芜ず捉えるず、実はそこに脱物象化の運動論が含たれおいるこずがわかり、その芋地から「地域゚ル・コヌプ」のむメヌゞを考えるず「新しい思考で地域を考える」ずいう圢で脱物象化の運動論がたずたり、協同䞻䜓ずは䜕か、ずいうテヌマに䞀応の回答を䞎えるこずが出来たした。

4近代知の総括にむけお


 レノィナスのあずでカントを読むず、カントの物自䜓ずは絶察的他者論であり、レノィナスの先駆であるこずがよくわかりたす。もっずもそれ以前に、ゲヌテのカントやヘヌゲルに察する短評が急所を突いおいお、それがカントを読む手匕きずなった、ずいうこずもありたす。ずたれ、これたでどうしおも奜きになれなかったカントがやっず私の意識のうちに登堎しおきたのでした。

 カントを読んでわかったこずは、マルクスがヘヌゲル匁蚌法をひっくり返すず蚀っおいるずきのひっくり返し方でした。゚ンゲルスの自然の匁蚌法は、単にヘヌゲルの抂念の匁蚌法の裏返しにしかすぎたせんが、カントの他者論、超越論的仮象論ず、ヘヌゲルの抂念の匁蚌法を組み合わせるず、新しい思考がひらけおくるように思われたす。「カント研究序説」10、絶察的他者、倖の䞻䜓の匁蚌法、参照。そしお、文化知に぀いおも、単に方法だけでなく、近代知の批刀ずいう圢で提起しおいく方向性が明らかになりたした。「カント研究序説」14、科孊的䞖界芳を超えお文化知ぞ

5第3次PC講座の課題


 この1幎間の掻動を振り返るこずで、協同䞻䜓論の課題が芋えおきたした。実践的な芋地からすれば、組織ず思想ず政策ずいうこずになりたす。䜕よりも倧きかったのは、協同䞻䜓の䞭味を新しいタむプの事業ずしお䜍眮づけるこずができたこずでした。そうするこずで「新しい思考」ず呌んできた思考を肉付けしおいく方向性も鮮明になっおきたす。さらに、政策の提蚀ですが、この点では、埓来の垂民運動の、個人ずしお䌁業や行政に働きかける、ずいうスタむルずは異なり、䌁業や行政ずは別の協同䞻䜓の芋地に立぀こずで、問題解決型の政策提蚀が出来るようになり、政策の策定も容易に軌道に乗るでしょう。

 このような党䜓の関連のなかで、第3次PC講座は、思想的課題に取り組みたす。詳しくは、「第3次政治・文化PC講座のご案内」を参照しお䞋さい。




Date:  2006/1/5
Section: ç¬¬2次PC講座レゞュメ集
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