¡Šï»¿ office-ebara - 実践のひろがり-ア゜シ゚21関西結成集䌚から始たった-第6回 ヘヌゲル匁蚌法の転倒続2002.1.12
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第3次PC講座レゞュメ集: 第6回 ヘヌゲル匁蚌法の転倒続2002.1.12
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第6回 ヘヌゲル匁蚌法の転倒続2002.1.12


A『ASSB』9-5号の抂芁


※9å·»5号に茉せた「ヘヌゲル匁蚌法の転倒」は、前回のPC講座での報告ずはずいぶん異なったものずなりたした。それで、その抂芁に぀いお、たず、たずめおおきたす。

1第1章 ヘヌゲルの切り拓いた地平


■意識を自我ず察象倖的であれ、内的であれずの関係ずみなすずずもに、自我ず察象を意識の契機ずするこずで、そこに同䞀性を芋た。
 ぀たりヘヌゲルは、意識を知ず真、あるいは、抂念ず察象ずの二重物ずみなし、この䞡極の同䞀性ずいう芋地から、意識の運動を構想し、匁蚌法を叙述した。

2第2章 感芚的確信の匁蚌法


■感芚的確信ずしおの「いた」は時間の経過によっお吊定され「いた」があった、ずいうこずになるが、しかしこれは、珟にあるものではないから、「いた」の吊定が吊定され最初の「いた」に垰るが、垰った「いた」は最初の盎接的な「いた」ではなく、媒介されたもの、䞀般的なものずなっおいる。
※これは、意識のうちにずり蟌たれた察象に぀いお蚀えるこずで、倖の察象に぀いおは蚀えない。

3第3章 意識の匁蚌法の転倒


■ヘヌゲルは、自我ず察象ずを意識のうちにずり蟌み、これを二぀の契機ずみなしお、察立物の同䞀性から意識を䞻䜓ずする匁蚌法を展開した。
※しかし、意識の䞡極を実圚的なものずみなすず、この匁蚌法はどうなるか。
■蚀語によっお衚珟された意識圢態は、存圚ず抂念の二重物であるが、これを䞡極の実圚性ずいう芋地から芋るず、自我が察象ずの間に意識関係を結ぶずき、個別の察象がそのたたで䞀般的なものの化身ずされるこずになる。
■個物が䞀般的なものの化身ずされるこずで、意識は䞍可避的に䞡極から自立しおいく。これがヘヌゲルの意識の匁蚌法が成立する根拠。

4第4章 本質論の転倒


■ヘヌゲルの本質論は、ある物に぀いおのある芏定ず次の芏定ずを比范察照する意識の圢態を本質の圢匏ずするもの。同䞀性ずは意識ずしおの同䞀性。
※䞡極を意識の契機ずみなさないず、同䞀性は䞡極の関係のうちだけで成立しおいる、ずいうこずになる。
  Cf. 䟡倀圢態
■ヘヌゲルの同䞀性の圢匏を転倒するず、絶察的他者の関係ずなる。
■区別は、同䞀性のうちでの区別ではなく、絶察的他性ずしお、関係の倖にあるこずになる。そうなるず、矛盟はヘヌゲルのように意識のうちにある根拠に返るこずができなくなる。

5第5章 抂念の匁蚌法


■ヘヌゲルの抂念論のポむント、自我は思考によっお察象を貫き通す。だから、抂念を自我ず捉え、それを䞻䜓化するこずで、抂念ず察象ずの䞀臎を構想できた。
※これは、実は、個別の察象が、䞀般的なものの化身ずされるこずで、䞀぀の仮象をも぀こずにもずづく錯芚である。カントが指摘した超越論的仮象の成立根拠。

6第6章 抂念論の転倒


■ヘヌゲルにあっおは、個別性ずは珟実に察象ずしお存圚しおいるもののこずだが、この個別性のうちには特殊
性ず普遍性がおおいかぶさっおいる。
※ずころがヘヌゲルのこの芏定は、同䞀性の関係における差異を矛盟にたで展開したうえで到達した意識に぀い
おの芏定であっお、絶察的他者の同䞀性ず絶察的他性ずいう客芳的矛盟の運動に぀いおの芏定ではない。

Bヘヌゲル『法哲孊講矩』長谷川蚳の商品論


1意志ず物の関係ずしおの所有


■「生身の個人から共同の存圚ぞず前進しおいくさたが関心の的で、わたしの所有する物は広く承認されたものずなる。」120頁
※ヘヌゲルは、この前進を「抂念」にもずづいお行っおいる。぀たり、普遍共同、特殊、個別物の抂念的構造に珟実をあおはめるのである。
■肯定刀断 盎接の所有 目の前の個物の所有
■吊定刀断 物の䜿甚
※ヘヌゲルは物の䜿甚を「物が意志の吊定䜓ずしおあらわれる」ずみる。぀たり「意志が吊定すべきものずしお物に自分を投圱する堎合」119頁で、このずき「物そのものが個物ずいうにずどたらず、内郚分裂しお個の面ず共同性の面ずにわかれ、わたしはその二面で物ず間系」120頁するずされる。
 個の面は物の倖的性栌、䜿甚によっお、物に吊定的な力が働いお、物は消滅しおいく。吊定刀断は「わたしの所有物が個の面ず共同性の面にわかれおいくずきの個ずしおの内容ずの関係」121頁
■無限刀断 「意識が物のもずを去っお自分に還っおくる堎合。物の譲枡。」120頁これは「所有物の特殊な性質はぬきにしお、その共同性の面が浮かび䞊がる堎合で、所有物は譲枡されうるもの、䟡倀あるもの、ずいう䞀般的性質をもっおいたす。およそ質のちがういく぀かのものが同じ䟡倀をもち、それを所有するわたしにずっおは、物の特殊な性質はどうでもよく、䟡倀だけが問題ずなる。」121頁
■共同性ず個ぞの分裂
「共同性の二぀の面、䞀぀は䜿甚される面ずは区別される物の䟡倀、物の共同性の面で、倖界の物にそなわっおいる。もう䞀぀の共同性は、倖界の物にそなわっおいるものではなく、このわたしに備わる共同し、掻動するわたしの共同性、぀たり、わたしの才胜、わたしの胜力、技量をさしたす。生産者たるわたしは共同瀟䌚に通甚する財産を身に぀けおいお、それがわたしの共同性です。」121頁
 䜿甚にも二面がある。物を摩滅させる䜿甚、これが物の䟡倀、他方で物を生産するためのわたしの技量の䜿甚、これがわたしの胜力、掻動。121頁
■契玄ぞの移行
「所有から契玄ぞの移行も共同性を軞に展開する。」121頁
「理性の関心は、共同性のあるものを所有するこず、所有物が共同性をも぀こずにある。意志は共同意志ずなるべきもので、意志の共同性が登堎しおきお、わたしの財産は、たんにわたしの意志のあらわれずいうにずどたらず、他人の意志のあらわれずもならねばならない。それが契玄ぞの移行です。たずもっお、意志の共同は、ごく控え目に二぀の意志の䞀臎、ずいう圢をずりたす。それは抂念にふさわしい意志のあり方です。」121頁

2ヘヌゲルずマルクスのちがい


■ヘヌゲル「人栌は、どの物䜓のなかぞも自分の意志を眮き入れる」䞭公版 239頁長谷川蚳「人栌はあらゆる物のうちに自分の意志を投入し、もっお、圓の物を自分のものずする暩利をも぀。」104頁
■マルクス「これらの物を商品ずしお盞互に連関させるためには、商品保護者たちは、自分の意志をこれらの物にやどす人栌ずしお、盞互にふるたわねばならない。  諞人栌は、ここではただ、商品の代衚者ずしお、したがっおたた商品所有者ずしお、盞互的にのみ実圚する。われわれは、総じお展開の進むに぀れお、諞人栌の経枈的諞扮装は経枈的諞関係の人栌化に他ならぬのであっお、圌らはこうした諞関係の担い手ずしお察応しあうのだずいうこずを芋出すであろう。」『資本論』原兞 90頁
※ヘヌゲルの堎合、物ず意志の関係においお、䞻䜓は人栌にあるずみなしおいる。だから、物䜓のなかに自分の「意志を眮き入れる」ずいうこずになる。これに察しお、マルクスにあっおは、物ず物ずの瀟䌚関係ずしおある商品の方が䞻䜓であり、だから、人栌は商品に自分の意志を宿しお、商品の意志に埓うのである。ここにヘヌゲル匁蚌法を転倒するためのカギがある。ずたれ、もうすこし、ヘヌゲルの展開を远っおみよう。

3䟡倀ずしおの物の所有


■物は個物ずしお特定の必芁を満たすものだが、同時に、他の必芁を満たすものずも比范できる。「特殊な性質をも぀物が、その特殊な性質を捚象されお、䞀般的に捉えられるずき、そこにあらわれるのが物の䟡倀である。それは、物の真の実質をなし、意識の真の察象ずなる。」141頁
■「物はわたしの欲求ず関係したす。第䞀の単玔な関係が物の䜿甚で、そのなかで物の䞀面は消滅したす。が、わたしの欲求は、動物の欲求ではなく、わたしは思考する存圚だから、ある偎面にかかわる特殊な欲求を超えお、共同の芳点から欲求䞀般ずかかわりたす。欲求䞀般ずいっおも、それを満たすのはむろん個々の物なのですが。」142頁
※ヘヌゲルは、物に察する欲求の䞀般性を、人間が思考する存圚だずいうこずにもずづいお展開しおいる。
■「物はあくたで特殊な性質をも぀物だが、わたしはそれをどうでもよいず考え、特殊な性質はわたしにずっお意味をなさなくなる。性質がなくなるわけではないが、それは質のちがいが問題にならないような芁求ずみなされ、量的に枬られるものずなりたす。その点からするず、わたしの財産は、質を倖的なものずしお捚お去っお、量ずいう基準だけにもずづいお、たがいに比范できるものずなりたす。
 以䞊の党䜓が䟡倀をうみだす過皋です。䟡倀ずは物が䞀般的な物ずしお評䟡されるこずで、特殊な性質をも぀物が、特性性を倱っお量的に枬られるものずなる。こうしお、性質のちがう物がたったく同質のものずしおあ぀かわれ、畑地ず家が同じ量の䟡倀をも぀ずされたす。」1423頁

4商品ず貚幣


■「物が䟡倀をも぀かぎりで、物は商品ず芋なされたす。商品はもっぱらその䟡倀が重芁で、それがどんなものかはどうでもよい。䟡倀の倧きさずいう量の芏定は、物の質によっお決たっおくるが、それだけでなく、その他倚くの事情がそこにからんできたす。うみだす劎働の倧小、めずらしさ、求められる床合い、等々がすべお量の倧小に転化したす。」1445頁
■貚幣
「぀ぎに考えるべきは、䟡倀が完党無欠に絶察的に察象化され、䟡倀そのものを本質ずする物が登堎する堎合で、それが貚幣です。貚幣の所有は、人間の思考にふさわしい、もっずも知的な所有です。ここでは欲を満たす物がただ䟡倀ずしお所有され、䜿甚の仕方はほかの物ずはたったくちがいたす。貚幣の所有は、䟡倀ずしおの意味しかもたず、䟡倀がそのたた実圚するのが貚幣です。」145頁
■商品、貚幣ず意志
「商品ず貚幣の圢匏は、わたしたちの所有の圢匏であっお、抜象的な譲枡のありかたを問題ずするかぎり、䞀般的に商品や貚幣を譲枡するずいっおいいが、同時に、そこには譲枡できない曎なる䞀般性が秘められおいるこずを芋逃しおはならない。貚幣を量ずしお譲枡するこずはできるが、貚幣にはわたしの意志がこめられおいお、譲枡するずはこの意志を匕出すこずです。」145頁
■䟡倀の第䞉のあり方
「わたしのも぀䞀般的な䟡倀䜓は、目に芋えるものであり、物ずしおある䞀般的なもの〔貚幣〕です。が、䞀般的なものは倖面的・客芳的にあるだけでなく、それずはたったくちがう圢で、䞻芳的にもある。わたしは、わたし自身の内面的䞀般性に属するものずしお、それを所有したす。技胜や才胜の所有がそれで、これもたた所有にはちがいありたせん。技胜や才胜も䜿甚の察象ずなるので、䜿甚されるこずによっおはじめお、それらはものをうむ力ずなり、うみだされたものが物の質に倉化をもたらしたす。わたしの技胜によっお、わたしは物の圢を䜜りかえ、わたしの欲求に合った圢にしたす。ここでは、わたしの意志が所有物のうちに察象化されるだけでなく、わたしの粟神、わたしの内面もたた察象化されたす。」1456頁
■䞀般的な䟡倀䜓の二぀のあり方
「䞀般的な䟡倀䜓は、本質からしお、絶察的な䟡倀をも぀絶察的に䞀般的なものず、特殊なありかたをし特殊な性栌をも぀䞀般的なものずにわけお考える必芁がありたす。」146頁
「わたしの所有物は、それがわたしの粟神の産物であるかぎり、䞀般的なものです。」146頁
「あれこれの所有物を手攟すこずはできるが、すべおの所有物を無限に手攟すこずはできず、所有胜力ずいう䞀般的なものだけは手攟せない。所有できるずいう条件だけは぀ねに備えおいなければならないので、それは、攟棄するこずのできない絶察の条件です。それは䟡倀よりももっず高床な䞀般性であっお、所有ずの関係を保぀にはその䞀般性だけは攟棄できたせん。」152頁

Cヘヌゲル商品論の転倒


1ヘヌゲル商品論の特城


■所有に぀いお、物に意志を眮き入れるず捉えおいる。
 単に物をも぀、ずいうこずだけでなく、物のうちに意志ずいう粟神的なものを移行させおいるず芋おいる。これはある意味では、意識のうちに取り蟌たれた、意識の契機ずしおの察象、ずいう意識論の応甚である。
■䜿甚に぀いお「物が意志の吊定䜓ずしおあらわれる」あるいは「意志が吊定すべきものずしお物に自分を投圱する」ずき、物が個物の面ず共同性ずの面にわかれ、物は、個物の面ずしおは消滅し、共同性の面ではわたしの共同性で、物を生産するずきの物の䜿甚ずなるずされおいる。
■譲枡に぀いお「意志が物のもずを去っお自分に還っおくる堎合」これは「所有物の特殊な性質はぬきにしお、その共同性の面が浮かびあがる堎合」所有物は䟡倀ずいう䞀般的性質をも぀。
■個ず共同性  物ず人栌のそれぞれにそなわるずみおいる。
 物   䜿甚される面が個、それず区別される䟡倀が共同性
 人栌  私ずしおの個人ず掻動するわたしの共同性、才胜、技量、生産者たるわたし。
■䟡倀論   物の比范で、特殊なものが捚象され、䞀般的に捉えられたものが䟡倀。意識の真の察象。
 物は私の欲求ず関係し、私は共同の芳点から欲求䞀般ずかかわる。物の特殊性はどうでもよいず考えるこずが、䟡倀をうみだす過皋。
 䟡倀の倧きさ、倚くの事情がからむ。
■貚幣    䟡倀が絶察的に察象化されお、䟡倀そのものを本質ずする物が登堎する堎合。䟡倀がそのたた実圚するのが貚幣。
■䟡倀の第䞉のあり方。
 䞀般的なものは貚幣だけでなく、䞻䜓的な圢でもある。わたし自身の内面的䞀般性、技胜や才胜の所有。物に倉化を䞎えるこずで「わたしの意志が所有物のうちに察象化されるだけでなく、わたしの粟神、わたしの内面もたた察象化されたす。」
■䞀般的な䟡倀䜓の二぀のあり方
 所有胜力は、䟡倀よりももっず高床な䞀般性で、攟棄できない。

2抂念論批刀から出発


※ヘヌゲルの商品論、劎働論をマルクスの芋地から批刀するのは容易いが、しかし䞍毛である。そうではなく、ヘヌゲルの匁蚌法批刀ずしお䜜業を組み立おおみよう。出発点は抂念論批刀である。
■個ず共同性、䞀般性普遍性ずの関係
 ヘヌゲルが物を個ず共同性の二重物ず芋たのは、抂念論にもずづいおいる。ずころがその際の共同性は、あくたでも意志、぀たり理性の偎にあるずされおいる。
 䟋えば、物の共同性ずは䟡倀であるが、この䟡倀の圢成過皋は、人栌が物の特殊性をどうでもよい、ず考えるこずによっおである、ずされおいる。そしお、その共同性は、他方でのわたしの共同性、぀たりわたしの意識の存圚を根拠ずしおいる。
■意識の関係を珟実の関係ずみる。
 これは、぀たりは意識の関係を珟実の関係ずみなす、ずいう転倒である。ヘヌゲルによれば、私の意識が物の䟡倀ずいう物の共同性を぀くり出すのだ。
 そうではなく、関係のなかでしか同䞀性がない、ずいうヘヌゲルを転倒した芋地に立おば、物の共同性ずは、物ず物ずの特定の関係のうちにしかないこずになる。
■瀟䌚の匁蚌法
 ここから瀟䌚の匁蚌法が展開されるべきである。
 特殊性ずしお  䟡倀商品䞖界
瀟䌚性の皮差人栌政治瀟䌚
         自我粟神䞖界
 それぞれの皮差によっお個ず類共同性、䞀般性の特有の関係があるこずを、絶察的他者の同䞀性ずいう矛盟の蚭定から描き出すこずが課題ずなる。

D自我論の詊み


■ヘヌゲルの承認論
「自己意識に察しおは別の自己意識がある。぀たり自己意識は自分の倖に出おきおいるのである。このこずは二重の意味をもっおいる。たず、自己意識は自己自身を倱っおいる。ずいうのは、自己意識は自分が他方のもう䞀぀の実圚であるこずに気が぀くからである。次に、そのために自己意識はその他者を廃棄しおいる。ずいうは、自己意識は他者もたた実圚であるずは芋ないで、他者のうちに自己自身を芋るからである。
 自己意識は自らの他圚を廃棄しなければならない。このこずは最初の二重意味を廃棄するこずであるから、それ自身第二の二重意味である。たず自己意識は他方の自立的な実圚を廃棄するこずによっお、自分が実圚であるこずを確信するこずにむかっお行かなければならない。そこで次に、自己自身を廃棄するこずになる。ずいうのは、この他者が自己自身だからである。」『粟神珟象孊』河出出版、1412頁
「䞡方の自己意識の二重の働き、  自分が行うこずず同じこずを、他方が行うのをみる。各々は自分が他者に求めるこずを自分でやる。それゆえ各々は、他者が同じこずを行う限りでのみ、自分の行うこずを行う。」
■ブヌバヌ『我ず汝』みすず曞房の合理的なもの
「我それ」ず「我汝」
「我それ」は、䞻䜓客䜓関係
「我汝」は関係。我が汝ず呌びかけるずき「その人間は隣りあるもののない、継ぎ目のない党䜓たる汝」13頁
 圌ぞの関係に入っおいくのは私の行為17頁
 関係ずは盞互的
「蚀語が人間のなかにやどっおいるのではなく、人間が蚀語のなかに立っお、蚀語のなかから語るのである。・  粟神は我のなかにあるのではなく、我ず汝ずのあいだにあるのだ。」53頁
■レノィナス『倖の䞻䜓』みすず曞房ブヌバヌ論
「ブヌバヌの我汝これは䞻䜓客䜓の構造に察する瀟䌚性の独自性であっお、䞻䜓客䜓の構造は瀟䌚性の基瀎ずしお䞍可欠なものですらないのです。」37頁
「䞻䜓客䜓の項に先立぀ものずしおの二者のあいだ。」39頁
「このような関係の究極の意味は真理ではない。知識や真理には還元䞍胜な瀟䌚性がここにいう究極の意味なのです。」40頁
「察話は関係の統合ずしお機胜するのではなく、関係の展開そのものずしお機胜するのです。」43頁
「他なるものぞの関係、他なるものぞ他者性を、ひいおはその超越を保蚌するもの」55頁
「人間が他の人間ず出䌚うような意味の次元、倫理的な次元」59頁
「察話の哲孊ずは、いかなる抂念を通じおも、人間の顔の意味は理解できないずいう断定なのではないでしょうか。」67頁
■レノィナス、倖の䞻䜓の匁蚌法
「自我はその唯䞀性ゆえに異なるのであっお、その差異ゆえに唯䞀者であるのでない。」250頁
※これは絶察的他者を矛盟ずしたずきの差異のあり方。絶察的他者の同䞀性から次には、自己ず他者ずの唯䞀性ぞず展開するこず。
「個䜓から、個䜓が属しおいたであろう類の理念的統䞀性ぞの遡行や抜象化の残滓ずはもはや解されるこずのありえないような唯䞀性がかくしお生じるこずになる。」250頁
「玔粋自我、すなわち䞖界が構成される堎ずしおの超越論的意識の䞻䜓それ自身は䞻䜓の倖にある。反省・反射なき自己であり――絶えざる芚醒ずしお自己同定する唯䞀性である。」250頁
「超越論的自我は、珟われるこずを通じお存圚の真理を保蚌する。しかしながら、絶察者ずしおの唯䞀性を有したかかる自我の立堎が唯䞀者たるべく呜じられるのは、珟象の諞構造を照明する光ずは異質の光のなかではないだろうか。それは認識に先立぀倫理的筋立おにたで溯るのではなかろうか。」252頁
※ASSB8-5 レノィナス論より「この䞻䜓の倖にある超越論的意識の䞻䜓こそは、人間の瀟䌚的関係のうちで圢成される超感性的な実䜓であり、唯䞀性のある個々の自我が盞互に関係を結ぶこずで抜象しあっお圢成される瀟䌚性のこずではないでしょうか。ここに個々の自我にあっおは、絶察的な唯䞀性を残し぀぀、䞻䜓の倖にある超越論的意識を芚醒するこずで自己を同定しおいく、ずいう思考にずっおの新しい地平が、レノィナスによっお拓かれおいたす。」9頁
※倖の䞻䜓ずは、ぞヌゲル的意識が生み出される仕組みのこずではないのか。そうであれば、ヘヌゲル的粟神を産出する仕組みずしお、倖の䞻䜓を描くこずが課題ずなる。

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Author: admin Published: 2006/1/5 Read 1949 times   Printer Friendly Page Tell a Friend