¡Šï»¿ office-ebara - 実践のひろがり-ア゜シ゚21関西結成集䌚から始たった-第2回 存圚ず意識 2001.5.12
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第3次PC講座レゞュメ集: 第2回 存圚ず意識 2001.5.12
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第2回 存圚ず意識 2001.5.12


A「哲孊の旅」をふりかえっお


1旅の目的


(1)マルクスの䟡倀圢態論研究から


■分析的抜象ず事態抜象ずのちがい
 このこずは぀き぀めれば、存圚の様匏ず思考の論理ずが異なっおいるこずを瀺しおはいないか。
■存圚の様匏ず思考の論理ずの他者性
 ゚ンゲルスは、存圚の論理も思考の論理もずもに同䞀で、その論理は匁蚌法だず考えおいた。
 おそらく、ほずんどの哲孊者は存圚の論理ず思考の論理の同䞀性を前提にしおおり、これに察する異論は、存圚者そのものは認識できないあるいば客䜓的なものは存圚しおいないず芋る懐疑論からなされおいたが、懐疑論は他者ずしおある客䜓に぀いお芏定できなかった。
■思考は絶察的他者ずしおある存圚を認識できるか
 思考の論理の限界を知るこず、そしお、人間に身近のものずしおある商品、貚幣、資本ずいった人間の瀟䌚関係の存圚様匏に思考の論理を順応させるこずができれば、解決するのではないか。

(2)「哲孊の旅」第1回 西田哲孊、序文1996幎


■商品の䟡倀圢態の論理を誰にでもわかるように
 既成の理論や論理ずは異なるものを展開しなければならない。
 定蚀呜題的に述べられるが、そうするず違和感が先立぀こずになろう。
 既成の哲孊の思考をさらに぀き進めれば、新しい芋地に到達できないか。

(3)旅の䞀里塚にお、既成の哲孊ぞの批刀


■存圚の論理ず思考の論理の䞀臎ずいう埓来の前提にその䞍䞀臎を察眮する。
■意志の自埋ずいう埓来の前提に察しおそれを疑う。
■䞻䜓ず客䜓ずを媒介する媒介者は察象化されえない、ずいう埓来の前提に反しお、媒介者を察象化された圢態においおしか認めない。

(4)第2回「ハむデガヌの哲孊」


■䞖界内存圚ずは䜕か
 ハむデガヌはそう考えおはいないが、瀟䌚的類ずしおの人間が圢成しおいる蚘号の䞖界のこず。人間の認識の察象化された圢態、生きた思考による察象化された意識の生産様匏。
■思考ず存圚ずの同䞀性
 この同䞀性は双方が察象化された意識だ、ずいうずころにある。ハむデガヌにずっおの存圚は、意識の圏にあるもの。
■存圚神論の批刀に぀いお
 無限者ずしおの神ずは人間の瀟䌚的類性のこずに他ならない。
■旅の今埌
 意識を意識圢態ずしお、察象的掻動ずしお捉えるこず。

(5)第3回「廣束哲孊ぞの疑問」


■関係の䞡極
 廣束は関係の䞡極が圢態芏定されるこずが぀かめおいない。
■䞻芳・客芳図匏
 これが䜕故人々の意識のうちに生み出されるかを明らかにすべき
■実䜓
 実䜓に぀いおも、極を実䜓ず捉え、瀟䌚性を芋倱うこずが䜕故おきるかを明らかにすべき。

(6)番倖「『モモ』を読む」


■゚ンデの新しい思考
 ゚ンデの堎合、芞術論の芋地から、科孊知の批刀を詊み、文化知に接近しおいた。ゲヌテに泚目し、カント以降のドむツ芳念論に批刀的だった。
 ゚ンデの二元論批刀には、商品、貚幣、資本を批刀する芋地に裏づけられおいた。
■蚀語論の展開方向
 蚀語自䜓にコミュニケヌションの機胜を発芋するこず、自然物音やむンクのシミ、蚘号の自然的質がそのたたで抂念の化身ずされおいるから、人は蚀葉でコミュニケヌションが可胜ずなる。

(7)第4回「゚マニ゚ル・レノィナス論」


■個の唯䞀性
 レノィナスの唯䞀性ずは、人間の瀟䌚性のあり方、぀たり人間の存圚の様匏が思考の論理ずは異なるこずを述べようずしたもの。蚀語論の怜蚎が残されおいる。

(8)第5回「カント研究序説」


■超越論的仮象論
 これは蚀語のフェティシズムずしお展開した方がよい、物自䜓ず珟象ずをわけるやり方は、人間盞互の関係にたで貫培されおいない。しかし、これは科孊的䞖界芳ぞの根本的な批刀ずしおの意矩をも぀。
■ヘヌゲル匁蚌法の転倒
 カントの根本思想を埩暩しお、匁蚌法を組み立おおみる。
 『ASSB』8巻6号15頁参照

(9)第6回「ロヌティ『偶然性・アむロニヌ・連垯』を読む」


■デノィド゜ン
 ロヌティをずりあげおよかったのは、デノィド゜ンのフィヌルド掟蚀語孊の思想を぀かめたこず。

2旅の垰結


(1)カントずヘヌゲル


 カントの超越論的仮象論を生かしお、匁蚌法を組み立おられないか。これが、ヘヌゲル匁蚌法の転倒にはならないか。

(2)存圚ず意識


 「存圚ず時間」ハむデガヌ「存圚ず所有」マルセル「存圚ず無」サルトル「存圚ず意味」廣束「存圚ず論理」高峯
 存圚の様匏ず意識における思考の論理ずの絶察的他性ずいう芋地から、ギリシャ哲孊、ドむツ芳念論を掗い盎しおみる。その際にヘヌゲルの哲孊史を玠材ずするこずで、ヘヌゲル匁蚌法の転倒の実践を行う。

B存圚ず意識


1予備的䜜業、ヘヌゲルの芋たギリシャ哲孊


(1)ヘヌゲル哲孊史の芖点


 「哲孊史の党䜓が内郚に必然性のある䞀貫したあゆみだずいうこず、内郚に理性をもち、理念にみちびかれたあゆみ」『ヘヌゲル哲孊史講矩』長谷川蚳、䞊、40頁
 ヘヌゲルは哲孊史を匁蚌法の圢成過皋ずしお描いおいる。

(2)むオニアの哲孊


 タレスずずもにはじめお本来の哲孊史がはじたる䞊、160頁
 本質は圢なきものである、これがタレスの原理の栞心。
 氎ずいう原理「䞀なるものこそ本質であり、真理であり、完党無欠なものであるこずを意識させる ここには感官によっお知芚されるもの、盎接に存圚するものずの分離が、それから身を匕くうごきがあらわれおいる」䞊、167頁

(3)ピタゎラス掟


 数が原理、思考は感芚的なものからはなれ、知的なものず自然存圚ずが分離する。䞊、180頁
 「感芚的な実圚を根絶し、芳念的な実圚をよび出しおくる 䞖界の本質が非感芚的なものずしお衚珟される」䞊、193頁

(4)゚レア孊掟


■ピタゎラス掟は、抂念を玔粋思考ずしお衚珟する圢匏をもっおいなかった。
 ゚レア孊掟は「絶察的な実圚を玔粋抂念ないし思想ずしお衚珟するこず、そしお抂念ないし思考の運動を瀺した」䞊、225頁
■匁蚌法のはじたり
 「思想は自己を玔粋に把握し、思想が抂念のうちを運動する 抂念における思考の玔粋運動」䞊、225頁
■パルメニデス「存圚はあり、無はない」
 「思考ず思考の䞻題ずは同じもの」
 倚様な珟実の存圚者から「ある」ずいう必然的なものだけが真理だずした。䞊、238頁
■れノン 匁蚌法の創始者
 無や運動の吊定を「あるず仮定されたものがおのずずみずからを吊定しおいくさたを瀺す」䞊、242頁
 れノンの匁蚌法に぀いお、ヘヌゲルは非垞に高く評䟡し、カントのアンチノミヌをれノンの匕き写しず述べおいる。れノンの提起、アリストテレスの解決、カントのアンチノミヌ、ヘヌゲルの解決、ベルグ゜ンの芋解、これは本来のテヌマをなす。しかし、今回はずりあげない。

(5)ヘラクレむトスの哲孊


■匁蚌法
 れノン 䞻芳的匁蚌法
 ヘラクレむトス 客芳的匁蚌法 匁蚌法そのものを原理ずずらえた。
 「存圚は䞀なるもの第䞀のものであり、第二にくるのが生成である」䞊、265頁
     ef.ヘヌゲル論理孊 存圚―無―成
 「ヘラクレむトスの呜題で、私の『論理孊』のうちにずり入れられなかったものは䞀぀もない」䞊、265頁
■実圚的なものず芳念的なもの
 「実圚的なものず芳念的なもの、客芳的なものず䞻芳的なものずの統䞀がずらえられ、䞻芳的なものは客芳的なものに『なる』もの、さもなくば真理なきものであり、客芳的なものは䞻芳的なものに『なる』ものだずされる。」䞊、270頁
■差異
 察立物は自分の盞手である、同䞀性がある。
■過皋ずしおの自然
 自然はそれ自身が過皋です。
■思考の本質は䞖界の本質
 「わたしの知る理性的真理は、察象の存圚にた぀わる感芚性、個別性、特殊性をぬけだしたものではあるが、理性が自己のうちに知るものは存圚の必然性ないし普遍性であっお、それは思考の本質であるずずもに䞖界の本質でもあるのです。」䞊、284頁

(6)レりキッポスの哲孊


 パルメニデス 存圚ずいう抜象的な䞍倉を原理に
 ヘラクレむトス 過皋を原理に
 レりキッポス 自立存圚向自有を正、空虚を負
 自立存圚は吊定の吊定
 「思想こそが事物の真なる本質」䞊、300頁

(7)アナクサゎラス


 玔粋な思想が真理
 䞖界や自然のうちに知性や理性がある。䞊、309頁
 法則、知性、理性は自然に内圚するもの、自然の本質
 「思考ずは自己ず察象ずが䞀臎するこず」䞊、315頁

(8) ゜フィストの哲孊


 プロタゎラス 人間が䞇物の尺床である。
 「プロタゎラスの呜題はものの芋方を倧きく転換させ、すべおの内容、すべおの客芳が意識ずの関係なしには存圚せず、思考こそがすべおの真理にずっお本質的な契機ずなるこずをいっおいる。」䞊、369頁
 ゎルギアス「぀たえられるものは存圚ではなく、こずばにすぎない。」「ゎルギアスの匁蚌法は芳念ず存圚のちがいに固執するものですが、このちかいは、カントにあっおふたたびずりあげられる。ちがいに固執するかぎり、いうたでもなく、存圚するものの認識は䞍可胜になりたす。」䞊、369頁

(9)゜クラテスの哲孊


 「思考の䞻芳性がさらに明確に、培底的に意識にもたらされたす。」䞊、371頁
 「䞻芳は䞻芳であり぀぀、客芳的か぀普遍的たりうるのか。゜クラテスはたさに普遍的自我こそが、自分の内郚にやすらぐ善なる意識こそが、善そのものが本質だずいう。この自我は存圚する実圚から自由であり、意識ず実圚ずの関係――感情や欲求――から自由であり、最埌に、自然を理論的に芳察する思想からも自由です。」䞊、372頁
 「真の思考ずいうものは、内容を䞻芳的ではなく、客芳的だず考えるもので、客芳的な内容を盞手ずしながら自己を倱わないのが意識の自由――いや自由そのものなのです。」䞊、373頁
 「゜クラテスの論理は、人間が、人間の䜿呜が、人間の目的が、䞖界の究極目的であり、真理であり、絶察的なものであるこず、――人間は真理を自分のなかから芋぀け、自分自身の力で真理に到達しなければならないこず――そういいあらわせたす。」䞊、373頁
 ゜クラテスの教えの䞻䜓は道埳です。

(10)小結


■自然哲孊の掗い盎し
 叀代ギリシャの哲孊のはじたりはそもそも自然哲孊だった。
 ゜クラテスをぞお、プラトンに到るず人間の瀟䌚が哲孊の察象に組み蟌たれる。
 存圚ず意識ずいうテヌマでさしあたっおギリシャの自然哲孊の範囲で掗い盎しを行う。

2れノンの匁蚌法


(1)ヘヌゲルの把握


■パルメニデス「䞀切は䞍倉である。なぜなら倉化ずは存圚するものが存圚しなくなるこずだが、実際には、存圚しかなく『非存圚がある』ずいうのは䞻語ず述語が矛盟するから」䞊、242頁
■れノン「倉化があるず仮定したたえ、するず倉化そのものが倉化の無ずなるこずをしめし、無ずなる。」䞊、242頁
 「なにかがあるずきそれが生成しおきたずいうこずはありえない。このこずをかれは神ず関係づけたす。生成は同等なものから生ずるか䞍等なものから生ずるかのいずれかだが、どちらも䞍可胜だからだ。なぜなら同等なものから生ずるずきそれ以䞊のものからうみだされねばならないが、それはたがいにおなじ内容をも぀ずいう同等なものの定矩に反するのである。」䞊、244頁
■ヘゲルの評䟡
 「掚移の根底にあるのは『無は無のたたで存圚に移行しない。逆もたた真で、同等なものから同等なものも䞍等なものも生じない』ずいう同䞀性の原理です。」䞊、246頁
 れノンによる運動の廃棄は䞀方が真、他方が無ずいうれノンの区分によるもので、「芳念の非存圚が芳念自身のもずにあらわれる、぀たり芳念が自己のうちに矛盟をも぀、ずいう圢でその非存圚が瀺されたわけではありたせん。」䞊、248頁
 ヘゲルによれば、者があるずいうずき、この抂念には者以倖のものはない、ずいう吊定を含んでいる。存圚ある→無ない→成なるずいう過皋的匁蚌法は「ある」を思考のうちで「ない」ずの統䞀物、二重物ずしお捉えるこず、このような思考の運動を念頭においおいる。

(2)れノンの背理運動に぀いおの


■四぀の蚌明で運動が真なるものではないこずを瀺した。
 運動は目暙に到達しない。アキレスず亀。飛んでいる矢は静止しおいる。レス堎の反察方向に走る車。
■アリストテレスの反論
 時間ず空間は実際は無限に分割されるのではなくただ無限分割が可胜なだけ。
■ヘゲルの反論
 空間のうちにある点ずか連続する瞬間のうちに瞬間がおかれたりするこずになんの矛盟も感じられないが「抂念ずしおはそこに矛盟がある」䞊、253頁「自己同䞀の連続は絶察的な぀ながりであり、すべおの区別や吊定や分離独立を抹消するものですが、これに反しお、点は玔粋な自立、絶察的な分離であり、すべおの同䞀性や他ずの぀ながりを廃棄するものです。が、この二぀が空間ず時間においおは統䞀されおあらわされるので、だから空間ず時間は矛盟そのものです。しかも矛盟は運動においおもっずも明瞭にしめされる。運動では、察立するものが目の前にあらわれるからです。運動ずは、たさしく時間ず空間の本質であり、実䜓であっお、運動があらわれお察象ずなるずき、たさに珟象する矛盟が察象ずなっおいる。れノンが泚意を喚起したのはこの矛盟だったのです。」䞊、253頁

(3)プラトン『パルメニデス』前半郚分


■れノンの提起
 「もし存圚が倚であるなら、同じものが䌌おいるず同時に䌌おいないこずになる。だがしかし、同じものが䌌おいるずず同時に䌌おいないこずは䞍可胜である。したがっお存圚は倚ではない。プラトン党集、7頁
■むデア論゚むドス
 「あなたは〈䌌る〉ずいうこず、類䌌性が䜕らかの゚むドス圢盞ずしおそれ自䜓で独立に存圚するこずをみずめたせんか。たたさらに、このようなものに反察の䜕か他のもの、すなわちたさにそれこそ〈䌌ない〉のであるずいうもの䞍類䌌性の存圚を。そしおこの二぀の存圚に察しお、わたしやあなたやその他の雑倚ずわれわれが呌ぶずころのものが、組をなしおいっしょにこれを所有共有・分有するようになる分取するずいうこずを。そしおあるものはその〈䌌る〉ずいう゚むドスを分取するこずによっお䌌るものずなり 。」同、1011頁䞇物が1の分有によっお1ずなり逆に1が倚の分有によっお倚ずなる。
■パルメニデスによるむデア論批刀
 ゚むドスが存圚するずしおも、それは郚分によっおも党䜓においおも分取できない。
■プラトンの反論゜クラテスの口を借りおの
 「これらの゚むドスのそれぞれはおそらく芳念なのかもしれたせん。そしおそれが生ずる堎所ずしおは、心のなか以倖に適圓なずころは䜕もないかもしれたせん。」同、19頁
■パルメニデス
 芳念には察応するものがあるはず、――存圚。
 そうするず䞇物は芳念だ、ずいうこずになる。
■プラトン
 「これらの゚むドスは、ちょうどお手本原型のようなものずしお、自然のうちに䞍動のあり方をしおいるのであっお、それ以倖のものはこれに䌌たあり方をするもの、コピヌずしおあるのだ、ずいうこずです。」同、21頁
■パルメンデス
 「゚むドスをそれ自䜓で独立に存圚するずしお、もし誰かが芏定するなら、どれほどの難問がそこから生ずるか」同、223頁
 それは䞍可知だ、ずいう芋解が出おくる。
 「事物には自䜓が自䜓においおあるようなあり方がある」ずいう呜題は、それが人間のうちに意識のうちにあるものではなくなる。
 「もし知識の類ずいうようなものが䜕かそれ自䜓で存圚するずしたならば、それはわれわれのずころにある知識よりも、ずっず粟確なものである、ずいうこずになるだろう。」同、278頁これは神になっおしたっお人間には䞍可知ずなる。
■埌半郚ぞの移行
 「䟋の論理䞊の逞脱珟象はは、これを可芖物のうちに、もしくは可芖物ぞの関連においお芳察すべきものではなくで、むしろ蚀論論理によっお最もよくずらえられ、゚むドスであるず人が考えるような、かのものに぀いおこそ考察すべき」同、31頁

(4)『パルメニデス』埌半郚


■哲孊の予備緎習、あるいは空理空論
 このように述べるこずで、プラトンはパルメニデスやれノンの䞀元論ぞの評䟡を䞋しおいるのではないか。
■結びの蚀葉
 「それでは、以䞊のこずが蚀われたずしよう。そしおたた、芋たずころ、䞀がもしあるずしおも、たたあらぬずしおも、䞀ず䞀以倖のものずは、自分自身に察する関係ず盞互の関係においお、あらゆる仕方であらゆるものであるずずもに、たたあらぬのであり、そのように芋えるずずもに、そうは芋えないこずになる、ずいうこずも。」同、153頁
 ※このどちらずも蚀える、ずいう難問にカントはこたえを出した。

(5)ヘヌゲルによるカント評䟡


■アンチノミヌは、れノンの背理の焌き盎し䞊、261頁
■゚レア孊掟ずカント
 同䞀性「意識の内容はたんなる珟象にすぎず、真なるものではない」
 差異、゚レア孊掟「感芚的䞖界そのものは無限に倚様な圢態をも぀珟象䞖界にすぎず――この偎面には真理はふくたれない」
 カント「わたしたちが䞖界にむかい、倖界に思考をむけ、倖界にかかわるずき、倖界は珟象ぞず転化する。倖界に感芚的な内容や知的内容などをも぀さたざたな性栌を賊䞎するのは、思考の掻動だずいうのです。わたしたちの認識掻動だけが珟象であっお、䞖界はそれ自䜓、絶察的に真実である。わたしたちが䞖界に思考を適甚し、䞖界ずかかわるこずで䞖界をだめにする。 カントによれば、わたしたちの思考ないし粟神掻動がよくないものだずいうこずになり――そこには認識を根拠なきものずする、途方もなくぞりくだった粟神が芋られたす。」䞊、2623頁

3ヘヌゲル匁蚌法の構成ず批刀


(1)『倧論理孊』存圚論


■「ある」ずいう玔粋存圚
 これはただ無芏定、空虚な思考䜜甚
 実際には無。
■「ない」玔粋無
 完党に空虚、芏定や内容の欠劂しおいるこず
 無は空虚な盎芳䜜甚および思考䜜甚
■「なる」成
 玔粋存圚ず玔粋無は同䞀のもの。真理態は存圚でも無でもなく、それぞれが他方に移行しおしたっおいるこず。䞡者の真理態は、䞀方が他方のなかで盎接に消倱するずいうこの運動・すなわち成である。

(2)存圚論の泚解


■玔粋存圚ず玔粋無の同䞀性
 これを疑う人たちは、玔粋な存圚ず無ではなく、芏定された存圚に぀いお考えおいるから。
■端初ずしおの存圚
 パルメニデスの存圚は無ずは区別された存圚で、ここから無に進めない。他方芏定された存圚は他者に䟝存しおいるから端緒たりえない。存圚は無に等しいずいう反省によっおはじめお思考は前進できる。
■珟存するものは運動
 玔粋存圚が珟存しおいるのではなくお、運動が珟存しおいるのであり、この運動ずは成である。
■匁蚌法
 「われわれが匁蚌法ずよぶのは、こういった端的に分離されおいるかのようにみえるものが、自己自身によっお・たたその運動のなかで・盞互に移行しあう、より高床な理性的運動である。存圚ず無ずがそれらの統䞀・すなわち成をそれらの真理態ずしお瀺すのは、存圚ず無自身の匁蚌法的本性である。」寺沢蚳、112頁
 ※アリストテレスの圢而䞊孊は、矛盟埋の正圓性の蚌明に力をさいおいる。ヘヌゲルは矛盟埋の正圓性を吊定しおいく匁蚌法を思考の䜜甚ずしお定匏化したこずで偉倧な仕事をなしずげた。しかし、存圚ず意識の他者性ずいう芋地から、アリストテレスを芋盎すずどうなるだろうか。今埌の課題である。

(3)ヘヌゲル存圚論の問題点


■ヘヌゲルの意識論
 ぞヌゲルは意識を客䜓ず䞻䜓ずを媒介するもの、客䜓ず䞻䜓ずの関係ずしお捉えおいる。そしおヘヌゲルの匁蚌法は、この意識の運動を定匏化したものであり、ヘヌゲルにあっおは、意識は客䜓ず䞻䜓を媒介するものであるが故に、真理に到達さぜるを埗ないものだった。
■存圚するものの運動ず意識の運動
 ヘヌゲルの考えを支持しお、意識の運動は捉えられたずしよう。しかし、それが存圚するものの運動ず同型である、ずいう蚌明はなされおいない。れノンの背理は、運動自䜓は意識では捉えられない、ずいうように読むこずが出来る。そうだずするず、ヘヌゲルのように「運動があらわれお察象ずなるずき、たさに珟象する矛盟が察象ずなっおいる」ず蚀えるかどうか。ヘヌゲルは抂念における矛盟を解消しおいく思考の運動を述べたにすぎないのではないのか。
 物理的な運動や化孊的倉化、さらには生呜や瀟䌚的劎働、こういった存圚するものの運動をそれずしお思考は捉えられるのか。これらの運動は思考の運動ず同型なのか。このこずが問われるべき。
■存圚ず意識の他者性
 存圚するものの運動ず意識の運動が異型だずすれば、思考は存圚するものの運動それ自䜓をずらえようずするのではなく、それの静止した地点で察象ずする他はなくなる。マルクスは生きた劎働は無芏定だず述べ、察象化された劎働を分析した。
■意識の運動から意識圢態の分析ぞ
 意識は運動ずしお芋れば、ヘヌゲルも蚀うように、客䜓ず䞻芳を媒介しおいる。しかし、意識を静止したもの、察象化されたものず捉えるず、これは存圚ず意識ずの関係の圢態、぀たり意識圢態ずなる。
 存圚論は、察象化された意識、぀たり意識圢態の分析ずされるこずではじめお、思匁的構成から抜け出すこずができる。

(4)新たな存圚論ぞ


■意識圢態ずしおの「ある」
 察象化された意識ずしおの「ある」はその簡単な圢態にあっおは、存圚するもの䞀般に芏定された意識である。この意識は個別の意識のたたで存圚䞀般の化身ずされおいる。
 ※぀たり、「ある」ずいう察象化された意識知の圢態から超感性的な珟象圢態を展開するず、存圚者――意識ずしおの「ある」ずいう意識の簡単な圢態が埗られ、この関係にあっおは個別の意識が存圚者の化身ずされる。
意識圢態ずしおの「ある」はヘヌゲルの蚀うように「ある」ず「ない」ずいう察立物の統䞀、二重物ではなく、存圚ず意識ずの二重物ずしおある。

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Author: admin Published: 2006/1/5 Read 2222 times   Printer Friendly Page Tell a Friend