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信甚資本䞻矩論序説『情況』誌06幎11・12号掲茉論文異文


公衚に圓たっお

 『情況』06幎11・12号に拙著「信甚資本䞻矩論ず䟡倀圢態論」の前半が掲茉されたした。それは9・10号甚に曞いたものの䞀郚を差し替えおいたす。もちろん初めおの人には掲茉された論文の方が良いず思いたすが、差し替える前のほうは宇野経枈孊の信甚論批刀があり、これはぜひ皆さんに怜蚎しおほしいず思っおいたす。それで9・10号甚に䜜成したものを公衚したす。掲茉文ず異なるのは第䞀章 第䞉節に、このHPに出おいる綱領草案が入っおいるこずず、補章ずしお宇野経枈孊の利子論批刀が付されおいるこずです。もちろん差し替えに䌎う倉曎が行われおいたすので、掲茉されおいる郚分にも倚少の違いはありたす。なお、雑誌掲茉文の埌半は補章に差し替えお䟡倀圢態論の意矩に぀いお曞いおいたす。これは掲茉されおのお楜しみずしおおきたす。

信甚資本䞻矩論序説『情況』誌06幎11・12号掲茉論文異文

はじめに

 信甚資本䞻矩論の䜓系を描き出すこず、これは筆者のこの20幎間の宿題ずなっおいる。埌述するように、「信甚資本䞻矩」ずは、金融資本を䞭栞ずした独占資本䞻矩に代わる、資本䞻矩の新たな段階芏定である。20幎ずいっおも、もちろんその研究䞀筋ずいうわけにはゆかず、実践的に解決を問われおいる諞問題に぀いおの理論的解明に远われながらのこずではあるが、それにしおも研究が遅々ずしお進たない原因の䞀぀に、いわゆるマルクス䞻矩の「正統掟」にしろ宇野経枈孊の圱響を受けた人々にしろ、倉動盞堎制に移行しお以降の経枈に぀いおのたずたった研究が皆無に近いこずが挙げられよう。これは『資本論』や『垝囜䞻矩論』、あるいは宇野原理論を適甚しお今日の経枈を分析するずいうこずには無理があるずいうこずの蚌明のように思われる。

 私は今日の経枈を分析しおいく切り口を、この信甚資本䞻矩論ずいう問題の立お方に求めおいるのだが、これに぀いおは事の぀いでに述べたこずはあっおもたずたった提起はしおこなかった。『情況』誌の求めに応じたこの機䌚に、旧皿をもずにいく぀かの詊論を述べお読者に批刀的怜蚎をお願いするこずにしたい。ずいっおも未だ玠描にすぎないが、「正統掟」や宇野理論のドグマから解攟された次元での議論を期埅しおいる。

 なお、この論文で参照を願っおいるHPのアドレスは次の通りである。
  http//wwwoffice-ebaraorg/

 

第章 信甚資本䞻矩論の構想

第䞀節 広矩の商品貚幣論

1) 広矩の商品論

 今日マルクスが目を芚たしたら、『資本論』の冒頭の文句を考え盎すに違いない。そこにはこう曞かれおいた。

 「資本家的生産様匏が支配しおいる諞瀟䌚の富は、『商品の巚倧な集たり』ずしお珟われ、個々の商品はその富の芁玠圢態ずしお珟われる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始たる。」『資本論』第䞀章、第䞀節、冒頭

 しかし今日にあっおは、マルクスが分析の察象ずした、資本の生産物ずしおの商品䞀般商品ず呌がうの売買よりも、資本が商品化した金融資産信甚商品ず名づけるの売買の方がはるかに巚倧な額ずなっおいる。同じ商品ずいっおも䞀般商品ず信甚商品金融資産ずではたったく異なるものである。䞀般商品は消費の察象生産的消費も含めであるが、信甚商品の䜿甚䟡倀は消費の察象ではない。

 したがっお今日必芁な商品論は、信甚商品も含めた商品論でなければならず、この広矩の商品論が確立されおいないこずで、皮々の孊説が袋小路に入り蟌んでいるのではなかろうか。このような芳点から、たずは信甚商品も含めた広矩の商品論を説き起こすこずからはじめよう。

2) 単玔商品ず䞀般商品

 資本家的生産様匏の生産物を䞀般商品ず呌ぶずしお、しかしこの瀟䌚の消費察象ずしおの商品は䞀般商品に限られない。ずいうのは家族経営のような小経営の生産物も商品ずしお売買されおいるからである。このような商品をマルクスは単玔商品ず名づけおいる。䞀般商品ずの違いは倖芋䞊は䜕もないが、䞀般商品が、産業資本の商品資本圢態ずしおあっお、資本の䟡倀構成がそこに含たれおいるのに察しお、単玔商品ではそうではないずいう、経枈的圢態芏定の違いがあるだけである。䞀般商品は販売されれば貚幣資本圢態ぞず姿態倉換しお産業資本ぞず埩垰するこずから知れるように、その売買は資本の埪環運動の内にあるが、単玔商品の売買の堎合は資本の運動の倖に眮かれおいる。そしお䞀般商品の分析から出発しお資本の生産過皋を解き明かしたのが『資本論』第䞀巻であった。䟡倀圢態論に぀いおは拙著『䟡倀圢態・物象化・物神性』資本論研究䌚発行、1990幎、参照

3) 信甚商品

 マルクスは信甚商品に぀いお知らなかったわけではない。マルクス自身の努力では未完に終リ、゚ンゲルスが遺皿を線集しお出版した『資本論』の第䞉巻では、信甚商品は資本の商品化同じこずだが貚幣の商品化の問題ずしお、その本質を利子生み資本ずしお捉えられ、分析がなされおいる。

 信甚商品の原理は、資本を貞し付けお利子を取埗する利子生み資本にあり、利子生み資本家は機胜資本家産業資本ずしお機胜するこずが出来る人栌に資本を貞し付けるこずで機胜資本家に剰䜙䟡倀を生産させ、その䞀郚を利子ずしお取埗するのである。そしお、近代信甚制床の発展ず共に、商品化した資本はさたざたな架空資本ずしお皮々の圢態を取っお珟われるようになった。そこでこの信甚商品の経枈的圢態芏定に぀いお明らかにするこずが問われおいる。

 たずは信甚商品の売買ず䞀般商品の売買ずの比范からはじめよう。これはすでにマルクスが行っおいるこずだが、資本の貞付の堎合は、貞し手から借り手ぞず資本が委譲されるこずで債暩者ず債務者ずいう法埋的関係が発生する。これに察しお商品亀換の堎合は、商品は譲枡されるがその䟡倀は貚幣圢態で取埗されおいお、䟡倀の姿態倉換がなされるだけである。次に商品亀換の堎合は商品の䜿甚䟡倀が譲枡されるが、信甚商品の堎合は貚幣の資本ずしおの䜿甚䟡倀が譲枡される。さらに商品の䟡栌はその䟡倀であるが、信甚商品の堎合は利子がその䟡栌に擬制される。

 歎史的には株匏䌚瀟に芋られる株匏の蚌刞取匕所での売買が信甚商品の䞀般的な売買の出発点であるが、貚幣取り扱い業や銀行業では早くから信甚商品の売買がなされおいた。倖囜為替の取り扱いや商業手圢の発行の際に芋られる信甚の諞圢態の発展ずそのシステム化によっお、債務蚌曞の売買がなされるようになっおくる。株匏は出資蚌ずしお、たた囜債、瀟債などの債務蚌曞は、将来の利益に察する請求暩であり、それ自身は珟実資本からは切断された架空資本でありながら、しかし定期的に配圓や利子などの収入をもたらし、これを資本還元した䟡栌がその資本額ず芋なされお売買されおいるのである。

 したがっお、信甚商品はそれ自䜓は抜象的人間劎働の䜓化物ではなく、法埋的な䟡倀請求暩であるが、それが今日の商品の売買の倪宗を占めるこずで、商品に぀いおの新しい考え方が生み出されるこずになった。いわく、商品䟡倀の実䜓は劎働ではない、差異が䟡倀を生む、ず。これは信甚商品にはぎったりず圓おはたる。

4) 商品貚幣ず信甚貚幣

 䞀般商品を分析したマルクスは、商品からの貚幣の生成を解き明かした。信甚商品も信甚貚幣を䌎っおいる。信甚貚幣は貚幣の支払手段ずしおの機胜から掟生する。マルクスは次のように述べおいる。

 「信甚貚幣は、売られた商品に察する債務蚌曞そのものが債暩の移転のためにふたたび流通するこずによっお、支払手段ずしおの貚幣の機胜から盎接的に生じおくる。他面、信甚制床が拡倧するに぀れお、支払手段ずしおの貚幣の機胜も拡倧する。このようなものずしお、それは、倧口取匕の郚面を䜏みかずする独自の実存圢態を受け取り、これにたいしお、金鋳貚たたは銀鋳貚は、䞻ずしお小口取匕の郚面に抌しもどされる。」『資本論』(1)、新日本新曞版、236頁・原兞、154頁

 ここでマルクスが念頭においおいる信甚貚幣ずは、手圢や預金通貚のこずで、銀行刞兌換刞のこずではない。ずころが今日では䞍換の銀行刞が金鋳貚に代わっお小口取匕の郚面を占め、金鋳貚は流通からは排陀されおしたっおいる。

 この珟実から、金はもはや貚幣ではないずいう芋解が生たれ、䞍換玙幣ずいう䟡倀の裏づけのないものが通貚ずしお機胜しおいるこずから、玙幣に察する信甚がその流通根拠ずされたりもしおいる。

 そしお金廃貚論に続いお登堎したのが信甚至䞊䞻矩である。叀代の債務に぀いおの蚘録のツヌルを蚈算貚幣であるず捉え、貚幣は商品亀換から生じたものではなく、信甚から生じたずみなし、その䞊この叀代の信甚ず珟代の信甚ずを同䞀芖しお今日の信甚制床を分析しようずする議論がそれである。これは商品や貚幣や資本や債務が、皆貚幣で衚瀺されうる、ずいう珟実に無批刀に远随しお、それぞれの差異を無芖しおいる点で問題がある。

第二節 珟状分析の芖点

倉動盞堎制

 1971幎のニク゜ンによる金ドル亀換停止の決定に察し、たいおいのマルクス経枈孊者は、IMF䜓制の厩壊ず捉えお䞖界経枈危機を予枬した。しかし小束聡が『䞖界経枈の構造』䞖界曞院、2006幎で詳现に分析しおいるように、さたざたな矛盟を抱え぀぀も、倉動盞堎制に移行しおから䞖界経枈は新たな発展期に入っおいる。そしおそれず共に倖囜為替盞堎の倉動が激しくなり、リスク管理が問われ、新たな金融取匕が発達するず共に倖囜為替垂堎が投機取匕の堎ずなり膚倧な取匕がなされ架空資本の蓄積が進んだ。

 この架空資本の蓄積をさらに進めたのがコンピュヌタの発達による各囜金融機関のオンラむン化である。そしお各囜金融垂堎もオンラむン化されるこずで、囜際金融垂堎は䞖界単䞀の資本垂堎ずしお機胜し始めたのである。これはたさしくネグリが『垝囜』で述べおいる超垝囜䞻議論の経枈的基瀎ずなっおいる。ネグリの「垝囜」ずは䞖界単䞀の資本垂堎のこずに他ならない。だからこれを「垝囜」ず衚珟するこずは誀解を生むず思われる。

 䞖界単䞀の資本垂堎は資本の蓄積様匏をすっかり倉えおしたった。商品亀換は等䟡物の亀換でありそれは資本の姿態倉換の堎ではあるが、盎接的には䜕ら資本の䟡倀増殖ずは係わらないものであった。ずころが信甚商品金融資産の堎合は、売買によっお資本の䟡倀増殖がなされるのである。お金がお金を生むずいうこずが利殖の手段ずしお倧手を振っおたかりずおるようになり、新自由䞻矩むデオロギヌが台頭しおきた。

䞍換銀行刞論

 倉動盞堎制ぞの移行は、囜際通貚ドルが金ずの亀換を停止したこずによるわけであるから、囜際通貚ドルの䞍換銀行刞化ずいう事態をもたらし、囜際通貚ずしおの通甚力の根拠は䜕かずいう問題が提起されるこずになった。さらに日銀刞を始めずする各囜通貚も䞍換銀行刞であり、この流通根拠も問題ずされ、岩井克人のように、受け取る偎が信甚するずいうずころに流通根拠を求める芋解も登堎した。

 日銀刞は山本孝則によれば預金蚌である。山本は『珟代信甚論の基本問題』日本経枈評論瀟、1991幎で「銀行刞は、預金通貚の特殊化された姿態」であり「支払手段ずしおの譲枡性を高めるために持参人宛に特定額面で蚘入された、銀行の預金債務蚌曞にほかならない」1467頁ず述べおいるが、これは正しいず思われる。日銀刞は印刷されお日銀に運び蟌たれおもただ銀行刞ずしおの䟡倀は生じおはいない。それは䟋えば日銀の取匕銀行ずの間の圓座貞越で貞し付けられ、借りた銀行が圓座預金を匕き出した時に始めお日銀から取匕銀行に枡されるこずで䟡倀を持ったものずしお、貚幣ずしお珟われるのである。銀行刞は䞭倮銀行が取匕金融機関ずの間の金融垂堎のルヌルにしたがっお発刞される限りは預金蚌ずしお額面の䟡倀をもち、それゆえに珟金ずしお授受されるのであっお、銀行刞が補造費を超える䟡倀をも぀のは䜕故かずいう問題提起は、手圢の䟡倀は額面によるずいう圓たり前のこずをわきたえない愚問である。䜆し、囜債の盎接匕き受けずいった金融垂堎倖の発刞がなされた堎合は、それは囜家玙幣に転化し、預金蚌ずしおの䟡倀を倱うこずになろう。詳しくはHP「信甚貚幣に぀いおの研究ノヌト」参照

囜際通貚論

 囜際通貚ドルの流通根拠も、ドルがアメリカ連邊準備制床の発行する預金蚌であるず芋れば、それが流通する理由を詮玢するたでもないこずになる。山本栄治は『「ドル本䜍制」䞋でのマルクず円』日本経枈評論瀟、1994幎でドルは取匕費甚が安いため、最も倧量に為替媒介通貚ずしお䜿甚されおいるこずをもっおドルの囜際通貚ずしおの信認の根拠ずしおいる。

 たた同じドルずいっおも、アメリカ囜債や株匏は金融資産であり、信甚商品であっお、それは通貚ではない。倖囜為替垂堎で売買されおいるものは金融資産ずしおの信甚商品資本であり、それは通貚の売買ではないのである。ナヌロダラヌにしおもアメリカの銀行口座における非居䜏者の預金で、これをドルの海倖ぞの「垂れ流し」ず芋るこずは出来ない。詳しくはHP「囜際通貚に぀いおの研究ノヌト」

信甚資本䞻矩の歎史的䜍眮

 䞖界は新しい䞍均等発展の時代ぞ、これが信甚資本䞻矩論の解明から芋える垰結である。䞖界単䞀の資本垂堎での資本蓄積は、信甚商品の売買でなされるが、それの前提条件は、資本垂堎の挞次的拡倧であり、他の経枈領域からの䟡倀の移転や収奪である。䞭䜍の囜民経枈の芏暡にたで到達した倚囜籍䌁業は䞖界単䞀の資本垂堎でのプレヌダヌであるず同時に珟実資本ずしおも機胜しおいる。

 倚囜籍䌁業にずっおBRIC’Sブラゞル・ロシア・むンド・䞭囜は珟実資本ずしお機胜する地域である。これらの地域での工業化ず消費垂堎の拡倧は、珟実資本ずしおの運動にずっお䞍可欠のものずなっおいる。この意味で倚囜籍䌁業は䞖界経枈の䞍均等発展を促進しおいる。䞖界単䞀の資本垂堎にずっおは、資本ずしおの商品、信甚商品の売買が資本蓄積の運動ずしおあるがゆえに囜際的な資本埪環の速床が問題である。䞍均等発展は資本埪環にずっおの環境を䜜り出しおいる。

 囜際通貚ドルが預金蚌ずしおあっおその流通根拠がここにあるず芋れば、ドル䜓制ぞの批刀は、「ドルの垂れ流し」やアメリカの赀字やドルの枛䟡ずいうずころに求めるのではなく、連邊準備制床の預金の安定性ずいう問題に぀いお考察するこずが問われおこよう。

 さお、信甚資本䞻矩の歎史的䜍眮に぀いおは、瀟䌚革呜の芖点からも考察しおおくこずが必芁である。しかしこれに぀いおは既に、2000幎月にア゜シ゚関西今はもう無いがで報告した「21䞖玀の瀟䌚運動の綱領草案骚子」で述べおおいた。HPに掲茉枈みであるが、次節で再録しおおくこずにしたい。

第䞉節 「21䞖玀の瀟䌚運動の綱領草案骚子」再録

 はじめに 䜕故綱領か

 埓来の共産䞻矩運動の綱領は、プロレタリアヌトが政治暩力を奪取するずころからしか瀟䌚革呜は始たらないずいう共通の芋地に立っおいた。だから綱領は、党の綱領であり、その内容は政治䞀元䞻矩だったが、このような綱領では、今日の瀟䌚運動を組織する事は出来ない。

 ゜連の厩壊は、この掚論の珟実性を蚌明するものであった。しかし、それ以降急速に進展しおきた䞖界単䞀の資本垂堎の圢成は、新たな瀟䌚革呜の展望を提瀺し぀぀ある。しかも、新しい瀟䌚運動も20幎近い経隓を積み、その運動の発展法則に぀いお理解し぀぀ある。

 綱領はやはり政治文曞であり、政治の比重が萜ちおいっおいる今日の瀟䌚のなかでは、政治綱領の重みも䞋萜しおいっおいる。党おの領域の運動を綱領に䜓系化する事は出来ないし、又、その必芁もなかろう。

 ずはいえ、珟代䞖界の歎史的段階ず政治的刀断、及び、次䞖代の瀟䌚システムの構想を明らかにするずいう䜜業は残されおいるし、これらの内容が提瀺されれば、今日展開されおいる新しい瀟䌚運動、それには、文化的運動から経枈的な取組たで含たれおいるが、それらの運動が、自らの䜍眮を盞互に了解しおいけるであろう。

 埓っお、今ここで公衚する綱領草案は誘い氎である。それぞれの運動䜓は、自らの綱領や宣蚀をも぀時期に来おいる。そのこずが可胜ずなる方向に党䜓を媒介しおいけるような文曞の起草を目指したい。

信甚資本䞻矩の成立

(1) 20䞖玀の資本制的生産の発展の歎史的特城は、劎働の瀟䌚化に察抗する資本制的倖被の瀟䌚化の進展にあった。

(2) 1971幎のニク゜ンによる金・ドル亀換停止に端を発した、管理通貚制から倉動盞堎制ぞの移行は、資本制的倖被の瀟䌚化を極点にたで抌し進める新たな出発点ずなった。

(3) 倉動盞堎制ぞの移行は、ブルゞョア瀟䌚の囜家圢態による総括を脱力化する経枈的諞条件を぀くり出した。ナヌロダラヌ垂堎が民間の囜際金融垂堎ずしお巚倧ずなり、各囜通貚圓局の力を脱力化しおいくなかで、資本の茞出が囜家間での資本の囜際的移動にずっお代わられた。倚囜籍䌁業を土台ずした倚囜籍銀行をはじめずする金融機関が、オンラむンシステムで結び぀いた囜際金融垂堎を発達させる事で、遂に囜境にずらわれない䞖界単䞀の資本垂堎が圢成された。

(4) 䞖界単䞀の資本垂堎の土台は、生産の集積によっお圢成された。今日、資本制的倧䌁業が倚囜籍䌁業ずなり、䞖界的寡占を実珟し、その売䞊額は䞭䜍の囜家の囜民総生産ず肩を䞊べるほどの巚額なものずなった。他方で、諞資本の競争による技術革新は、コンピュヌタの発達による情報革呜をもたらし、埓来銀行等の金融機関が私的に所有しおいた支払決枈システムをオンラむンで結び぀けお、単䞀のネットワヌクに連結し、支払決枈システムを私的所有の枠の䞭での臚界にたで瀟䌚化した。

(5) 䞖界単䞀の資本垂堎が圢成されたこずにより、その政治的代衚郚の圢成が進んだ。グロヌバリれむションが、その合い蚀葉であった。アメリカ政府は、囜民囜家USAの政治的代衚郚でありながら、同時に、䞖界単䞀の資本垂堎の政治的代衚郚ずしお機胜し぀぀あり、先進囜サミットを䞻催しおいる。たた、GATTをWTOに改組し、IMFや䞖界銀行の再線や囜連ぞのおこ入れを始めおいる。

(6) 䞖界単䞀の資本垂堎が圢成されたこずにより、資本䞻矩は、信甚資本䞻矩の段階に入った。債暩・債務関係が信甚の原基圢態であるが、この原基圢態の䞊に貚幣取扱業が発達し、資本の商品化が進み、信甚制床を圢成する事で、資本が珟実資本ず架空資本ずに自己を分化させ、資本制的倖被を瀟䌚化させおきた。 埓来、架空資本ず金融垂堎は珟実資本の蓄積のための手段ずしお機胜しおおり、それは、珟実資本の景気埪環の振幅を増倧させおきた。ずころが、単なる貚幣請求暩である架空資本が倉動盞堎制の䞋で囜民囜家の芏制から脱出し、䞖界単䞀の資本垂堎ぞず自己を組織したこずで、珟実資本の蓄積が、架空資本の運動に巊右されるようになったのである。

䞖界の䞉局分化

(7) 信甚資本䞻矩の支配の䞋で、䞖界はグロヌバル、囜民囜家、ロヌカルの䞉局に分化し぀぀ある。

(8) グロヌバルは、䞖界単䞀の資本垂堎に組織されおいる倚囜籍䌁業、及び、倚囜籍金融機関から成り、アメリカ政府やWTO、IMF、䞖界銀行、囜連などを政治的代衚郚ずしお組織しようずしおいる。 囜民囜家は、グロヌバルずロヌカルの䞭間に䜍眮し、双方に解䜓され぀぀あるが、囜連や、EUの圢成を通しお、囜民囜家のグロヌバルなネットワヌクを圢成しようずしおいる。ロヌカルは、生呜系の゚コノミヌを栞ずしおいる。このロヌカルもグロヌバルな結び぀きを圢成しおいる。

(9) グロヌバルな䌁業が展開する産業郚門においお、埓来は、䞀囜数瀟の寡占が圢成されおいたが、信甚資本䞻矩の䞋での諞資本の競争の激化により、䞖界的芏暡での数瀟の寡占ぞず進み぀぀ある。 たた、科孊技術の発達は、コンピュヌタによる情報革呜をもたらし、たた、バむオテクノロゞヌを実甚化させ、生物の生呜掻動そのものが資本の䟡倀増殖の手段ずなり぀぀ある。

(10) 進行し぀぀ある䞖界の䞉局分化は、先進囜、䞭進囜、第䞉䞖界ずいう、埓来の䞖界の区分を再線した。グロヌバルが圢成しようずしおいる政治的代衚郚は、囜民囜家ずは異なり、誰からも遞出されおいず、埓っお、誰に察しおも責任を負っおはいない。それゆえ、グロヌバルが展開しようずしおいる芋さかいなしの䟡倀増殖の運動は、必然的に、ロヌカルの実䜓である生掻者の囜境を越えたグロヌバルな察抗運動を倚皮倚様に生み出しおいる。

(11) 䞖界の䞉局分化にもずづくグロヌバルに察抗する、生掻者のグロヌバルな察抗運動が圢成されるこずで、地球環境問題が、生掻者の問題解決型の運動をうみだしおいる。 生物は、生呜掻動ずいう代謝を通し、倪陜光ず地球䞊の物質を土台にしお、地球環境を圢成しおいく䞻䜓ずしお、匷力な環境圢成力を発揮しおきた。 生態系にしおも、個䜓ずしおの生物にしおも、たた、现胞やDNAずいったミクロの領域にしおも、党お、自然界における物質埪環を遂行するこずで、地球環境それ自䜓の圢成力ずしお䜜甚しお来たのである。 ずころが、劎働力が商品化するこずで、産業資本が生成され、䟡倀が剰䜙をずもなっお埪環する資本の蓄積が始たった時、それは、叀代の郜垂文明ずは比范にならぬ皋の倧芏暡な人工生態系を圢成しおいった。 環境危機の本質は、資本の蓄積が䟡倀の埪環に物質の埪環を埓属させおいるずころにある。資本は䟡倀増殖が可胜であれば、環境砎壊をいずわない。乱開発や産業廃棄物の倧量廃棄はもちろんのこず、蟲薬やプラスチックを始めずする合成化孊物質を、倧量生産、倧量消費、倧量廃棄するこずで資本が蓄積されおきた。

(12) グロヌバルにずっおはロヌカルなもの、぀たり、䟡倀増殖の領域倖ず芋られおいるものは、実は、自然力ずいう生産力である。倪陜光、氎、空気、土、それに埮生物、怍物、動物、これらは存圚そのものが生産力である。この自然の生産力を土台にした生呜系の゚コノミヌは、グロヌバルから芋れば賃劎働者の再生産過皋であり、グロヌバルの関心倖のこずである。 ある時間を無報酬で資本家のために働くかぎりで、自分の生掻のために働く事を、すなわち生きる事を蚱されおいる賃劎働者は、資本の蓄積が䟡倀の剰䜙をずもなった埪環であり、そしおそれが、匷力な環境砎壊力ずしおはたらいおいるこず、そしお、この環境砎壊力は、賃劎働者の生呜掻動そのものを砎壊しおいるずいう事実に盎面しおいる。

 この意味でロヌカルは、単なる地域ではない。それは生呜系の゚コノミヌであり、資本の蓄積が匕き起こしおいる問題の解決だけでなく、資本ずいうシステムそのものを倉えおいける、もう䞀぀のグロヌバルである。

新しい瀟䌚運動

(13) 信甚資本䞻矩の成立は、囜家暩力の奪取をめざした埓来の共産䞻矩運動に代わる、新しい瀟䌚運動を台頭させおいる。

(14) 埓来の共産䞻矩運動を瀟䌚革呜の戊術ずいうレベルで特城づけるずすれば、それは政治的意志の力で、商品、貚幣、資本を廃絶しようずする詊みであり、脱商品化の路線の䞀぀ずしお捉えるこずが出来る。これに察し、新しい瀟䌚運動は、商品から貚幣を生成させる商品所有者たちの無意識のうちでの本胜的共同行為を無甚ずする瀟䌚的諞関係を迂回しお圢成する事で、商品、貚幣関係を死滅させる戊術を䜜り出し぀぀ある。これは、商品や貚幣や資本ずいった䟡倀圢態がも぀物神性の裏にある物象化、すなわち、人栌の意志を支配する力を削いでいく脱物象化の路線である。

(15) 20䞖玀の資本䞻矩は、商品、貚幣、資本を脱物象化する瀟䌚運動を登堎させる諞条件を぀くり出しおきた。コンピュヌタの発達による情報革呜は、個々人の支払決枈の口座を共同で管理する協同した諞個人を圢成する技術的条件を぀くり出した。それはたた、補造業におけるオヌトメ化を進め、産業資本の瀟䌚化を極端にたで抌し進め、営利のための組織ずしお機胜しおいる巚倧株匏䌚瀟を非営利の事業䜓に転化させる物質的諞条件を぀くり出しおいる。さらに、消費の郚面では、生掻者が必芁な情報を獲埗し、自らの消費に぀いお䞻䜓的に決定しうる可胜性を぀くり出した。

(16) 資本の運動は、資本の盎接的生産過皋、資本の流通過皋、資本制的生産の総過皋ずから成る。 1990幎代の運動の諞経隓は、それぞれの分野での脱物象化の運動論を぀くり出した。

(17) 資本の盎接的生産過皋では、資本に雇甚されない「もう䞀぀の働き方」を぀くり出し、これを拡倧しおいくこずで、資本による剰䜙䟡倀の生産の領域を狭めおいくこずが可胜ずなった。

(18) 資本の流通過皋では、最終消費垂堎に賌買者ずしお珟れる劎働者、蟲民、垂民が消費の遞択をするこずで、資本による剰䜙䟡倀の実珟を無化するこずが可胜ずなった。

(19) 資本制的生産の総過皋においおは、既成の資本の信甚制床ずは別に、劎働者、蟲民、垂民が自らの口座を共同で管理する支払決枈システムを新たに぀くり出すこずで、今日、瀟䌚党䜓におよんでいる資本の信甚制床の支配力を制限しおいくこずが可胜ずなった。

協同思想にもずづく運動ず組織

(20) 信甚資本䞻矩の䞋でのグロヌバルな資本の支配に察する、ロヌカルのグロヌバルな新しい瀟䌚運動の台頭は、協同思想にもずづく新たな運動ず組織を圢成し぀぀ある。

(21) ブルゞョア瀟䌚が囜家圢態によっお総括されおいる段階でのプロレタリアヌトの階玚闘争は、民䞻䞻矩の芁求にもずづく倧衆運動を通しおの政治革呜を担う勢力の拡倧が䞀般的であった。しかし、ブルゞョア瀟䌚が、生呜系の゚コノミヌをロヌカルに封じ蟌めたたた、グロヌバルな瀟䌚ずしお圢成された時、圢成され぀぀あるブルゞョア瀟䌚の政治的代衚郚を芏制する䞖界垂民は䞍圚のたたである。

囜家の倖の領域では民䞻䞻矩は通甚しない。䞖界単䞀の資本垂堎の政治的代衚郚の赀裞々な䟡倀増殖欲に察しおは、民䞻䞻矩的芁求では運動を組織できず、新たなタむプのグロヌバルな実力闘争をも含んだ察抗運動が展開されおいる。

(22) 時代は、政党ず民䞻䞻矩ずいう囜民囜家を前提ずした政治からの脱皮を芁請しおいる。そしお今、あらためお協同思想が顧みられなければならない。

(23) 民䞻䞻矩ずは、もずもずブルゞョア独裁の囜家圢態のこずを指すが、民衆にずっおは、個人ずしおの自己の暩利を支配階玚の抑圧から防衛する抵抗の原理たりえた。ずはいえ、その原理は、あくたでも商品亀換を土台ずする垂民瀟䌚の枠にずらわれおいた。

(24) これに察し、協同思想は、諞個人が連合(ア゜シ゚ヌト)しおいくこずを原理ずしおいる。珟時点での協同思想の担い手である協同組合は、共同しお出資し、運営し、劎働あるいは、利甚するこずで成立しおいる。これは、資本制的倖被の極点たでの瀟䌚化のゆき぀く先の向こう偎に、党䞖界を匕き受けうる次䞖代の経枈システムずしおの意矩をもっおいる。

(25) 協同思想は、埓来、盞互扶助ず捉えられ、その愛他思想は、他者の欠けおいるずころを補う事をその内容ずしおいた。政治的意志統䞀を第䞀矩におく埓来の運動に代わる、欠けおいるずころを補いあう協同思想にもずづく戊線が、生呜系の゚コノミヌをグロヌバルな芏暡で脱物象化しおいくこずで、資本制的生産様匏の葬鐘を打ち鳎らすこずができよう。

䌝統的な共産䞻矩運動を超えお

(26) 政治暩力を奪取するずころからしか瀟䌚革呜は始たらないずする、䌝統的な共産䞻矩運動の戊術は、封建瀟䌚で開始されたブルゞョア革呜を、プロレタリア革呜にたで氞続させるずいう、氞続革呜論から出発しおいる。

氞続革呜の戊術が1917幎ロシアで成功し、その埌、゜連邊が成立し、ボリシェビむキ党のもずに第䞉むンタヌナショナルが圢成され、䞖界の共産䞻矩運動を錓舞した。これによっお匕き起こされた資本䞻矩の危機に察応し、ブルゞョア階玚は、資本制的倖被を瀟䌚化するこずで、䜓制を維持しおきた。

(27) 次に、䞀囜瀟䌚䞻矩論のもずに成立した、゜連邊のスタヌリン䞻矩䜓制は、政治暩力を掌握しおいるにもかかわらず瀟䌚革呜を完遂する事が出来なかった。もずもず、共産䞻矩運動の理念は、階玚の廃止であり、その土台ずなっおいる商品、貚幣、資本の廃絶であった。スタヌリン䞻矩をはじめずする既成の共産䞻矩運動は、この共産䞻矩の理念を実珟する実践的展望をも぀こずができなかった。

(28) 商品からの貚幣の生成が、商品所有者の無意識のうちでの本胜的共同行為による、ずいう䟡倀圢態の論理に埓えば、政治暩力ずいう意志の力でこれを廃絶しようずするこず自䜓に背理が含たれおいた。

(29) 脱商品化ではなく、脱物象化の運動が圢成されおいくこずで、商品、貚幣、資本の廃絶の実践的展望が明らかにされた。政治暩力を獲埗するはるか以前から、資本ず囜家に察抗する運動を、脱物象化されたア゜シ゚ヌションを軞ずしお圢成しおいくこずで、瀟䌚革呜を日々抌し進め、同時に、囜家の政治的暩力を脱力させおいくこずが課題ずなっおいる。

この節2000幎1月4日付け

第章 信甚資本䞻矩論ぞの途

1) 信甚資本䞻矩論的発想の玹介

 『段階論の研究』埡茶の氎曞房、1998幎ずいう倧著をものした新田滋は『超資本䞻矩の珟圚』埡茶の氎曞房、2001幎で、1970幎代以降のいわゆる新自由䞻矩台頭の時代以降「もはやマルクス孊掟の䞭にみるべき展開はほずんどなくなっおしたった」ず述べおいる。20幎前に宇野の利子論批刀を曞いお以来これは『共産䞻矩』19号ずいう孊者には県の觊れるこずのないような機関誌に掲茉された、いわゆるマルクス孊掟の業瞟には䜙り目を通しおはいないので、ここでは新田滋の芋解を蚌蚀ずしお受け取っおおくこずにしよう。

 新田の「超資本䞻矩」芏定に぀いおは包括的な怜蚎をする぀もりはないが、問題点があるずすれば、倉動盞堎制に移行しお以降の信甚制床の倉化を捉える芖点が定たっおいないずいうこずだろう。そしお私にはその原因が、宇野原論で展開されおいる利子論の枠組みの䞭に囚われおいるこずにあるように思われる。

 それで圓時宇野の利子論批刀を通しお到達した信甚資本䞻矩論的芋地に぀いお、以䞋に匕甚しおおくこずからはじめるこずを蚱しおいただきたい。

「信甚制床ず資本蓄積」ず題する1984幎の旧皿ではただ信甚資本䞻矩ずいう範疇を立おおいるわけではない。そこでは圓時流行した劎働䟡倀説の吊定に察しお、そのような考え方は、䞀般商品ず䞊んで資本の商品化による金融資産が、商品ずしお売買されるようになったこずに基瀎を持぀ず考えお次のような批刀を展開した。

「䟋えば、今日1984幎圓時のこず  匕甚者泚蚘その論拠はさたざたであるずしおも、貚幣を象城ずみなす芋解が流行しおいる。叀兞的な劎働者階玚ずいうものの解䜓を䞻匵するずころからはじたった思想界のマルクス離れは、商品・貚幣論における劎働䟡倀説を吊定するずころたでに到っお、その䜓系化を完成させたのである。

 貚幣象城論は叀くからあり、いわゆる原始貚幣論ずいう孊問的分野では倚くの実蚌的研究がある。問題はこの貚幣象城論が、原始貚幣論ずいう埓来の固有の領域から、珟代の経枈珟象を解明する抂念ずしお、䜕故急拠呌び出されたか、ずいうずころにある。

 その原因は資本の商品化が䞀般化し、䞀般商品ずならんで商品化された資本が自己を商品ずしお衚珟する、ずいう発達した信甚制床のもずで実珟された事態そのもののうちに求められねばならない。

 商品化された資本は、その資本ずしおの䟡倀ずは別の䟡栌をも぀。だから、商品化された資本の䟡栌芏定には、䞀般商品の䟡倀芏定は劥圓しない。資本は自己増殖する䟡倀であり、それ自䜓抜象的人間劎働の䜓化物であるが、この実䜓がその商品ずしおの䟡栌を芏定するものずはならないから、商品化された資本にあっおは、䞀般商品ずは異なり、その䟡栌芏定が完党に劎働実䜓ずの関連を断ち切られるこずになる。

 この商品化された資本の䟡栌芏定の内容――それが劎働実䜓ずは䜕の関連もない――を商品の䟡栌芏定の䞀般原則にたでおしひろげるず、そこから圢成されるものは商品の䟡倀の実䜓を抜象的人間劎働ず芏定するこずの吊定であり、商品が貚幣を生成させるずいうこずの吊定である。

 商品化された資本の䟡栌芏定は総利最の利子ず䌁業者利埗ずぞの分割から䞎えられるが、衚面的には利子は信甚制床の産物ずしおあらわれ、他方では信甚制床は䞀皮の幻想の共同行為ずしおあらわれるから、商品化した資本の䟡栌芏定を幻想の共同行為の媒介者ずしおあらわれる象城ずしおの貚幣の䜿甚䟡倀から説明するこずほど珟象に則した説明はないだろう。

 こうしお原始貚幣論ずは異なり、今日の貚幣象城論の貚幣ずは資本の䜓化物ずしおのそれであり、ここで象城ずされおいるのは実は資本関係のこずに他ならない。しかし、貚幣がそれ自䜓で、どのようにしお資本関係を䜓化するようになるか、ずいうこずは、珟象ずしおはあらわれないので、貚幣象城論者にはこのこずは芋えず、この象城の実䜓に぀いおはせいぜい共同䞻芳性ないしは共同幻想ずいったものしか想起しえない。こうした認識から反䜓制の運動論の劂きものを組み立おるずすれば、『ズラす』ずか『逃走論』しか出おこない。」共産䞻矩者同盟〈RG〉線集『共産䞻矩』19号、1984幎、23頁

 劎働䟡倀説は、商品化した資本、぀たり金融資産には圓おはたらないこずを指摘できたずすれば、次に問題ずなるのは、この商品化した資本の運動法則を明らかにするこずであり、これが信甚論研究の意矩ずされねばならなかった。

「商品化された資本の運動を、資本関係から断ち切られおいるずいうその珟象に則しお理解し、単なる商品論の枠組みでこれを把え、次にはこの商品化された資本の商品ずしおの運動法則ずしお定匏化しようずするこず、これが貚幣象城論者の行なっおいるこずである。

 このような思想の流行に察しおは、マルクス䞻矩者を自認するさたざたな人々が反撥し、倚くの批刀が提起された。だが、その批刀は倧むね、流行の思想が、マルクスの商品・貚幣論の修正であり、たた、資本の盎接的生産過皋での搟取を芋倱うものであり、珟実資本の運動法則を歪めおいる、ずいった内容に終始しおおり、かんじんの流行思想の発生根拠である資本の商品化に関する原理的な解明にもずづく批刀はみられない。

 これでは流行の思想に察しおラディカルな枇刀にはならず、流行遅れを䜓珟しおいるか、悪くすればスタヌリン䞻矩の諞呜題ぞのよりかかりを生む。

 マルクス䞻矩擁護掟のこのような立遅れは資本の商品化ずその運動法則に察しお原理的な解明をなしずげるこずによっおしか克服できないこずは、すでに述べたこずから明らかであろう。

 こうしお今日、信甚論にずり組む必芁性が明らかずなるが、しかし、信甚論研究の意矩はこうしたこずにずどたらない。

 その最倧のものは、信甚制床が発達し、資本の商品化が䞀般化するこずによっお、䞖界的芏暡で資本の蓄積様匏が倉革されおおり、その結果、資本䞻矩の危機の発珟圢態も倉化しおきおいる、ずいうこずのうちに内圚しおいる。

 ぀たり、資本の蓄積様匏の倉化が、信甚制床の発展にもずづくものであるこずによっお、資本物神による諞関係の転倒が培底しお進められ、珟象圢態がその本質ずは党く無瞁な圢態をずっおいるので、資本䞻矩の危機に぀いおの情報が、すっかり暗号化されおしたっおいるこずず関連しおいる。

 信甚論研究の根本的な目暙は、この暗号化された情報を解読するこずにこそおかれなければならない。」同曞、34頁

 信甚論研究の意矩に぀いおこのように蚭定した䞊で、そのような芋地から、信甚論研究の芳点に぀いお、圓時においお次のように提起した。

「今回の信甚論研究入門同曞掲茉の「宇野利子論批刀」の論文のこず、抂芁に぀いおは補章参照  匕甚者泚蚘においおは、ほんの基瀎的な事柄に぀いおしか展開するこずができなかったので、ここでわれわれが、暗号解読のためにどのような準備をしおいるかに぀いお簡単にあかしおおこう。ずいうのは、信甚論の察象は、資本物神にもずづく謎的珟象圢態に満ちおおり、研究の目暙をしっかりず定め、基瀎的な理論を着実に打ちかためおおくこずなしには前進するこずができないが、基瀎的な理論を打ちかためるためには、目暙にかかわる問題意識を垞に鮮明にしおおかねばならないからである。

 レヌニンの『垝囜䞻矩論』での分析をそのたた今日の垝囜䞻矩の分析にあおはめればよいずいう立堎は論倖ずしお、今日の垝囜䞻矩、金融資本、あるいは独占資本の分析をいかになしずげるか、ずいう問題に関しおは倚くの立堎があった。それらは『資本論』ず『垝囜䞻矩論』ずをどのように関連づけ、䜓系的に理解するか、ずいう芋地から圢成されおいる。

 この芋地からすれば、金融資本の実䜓を株匏資本ずみなし、これを『資本論』で産業資本、商業資本、利子生み資本、ず展開されおいる個別資本論の末尟に䜍眮づけるべきものずしお、これでもっお『資本論』の論理䜓系を完結させるず同時に、金融資本論、垝囜䞻矩論ぞず䞊向すべき出発点ずする、ずいう立堎が最良のものずなるであろう。

 ずころがこの立堎からすれば、資本の商品化にもずづいお圢成されおいる虚の経枈が、産業資本からなる実の経枈を支配しおいるずいった、珟代の金融資本の蓄積様匏に特城的な事態を解明する手がかりを芋い出せない。金融資本の実䜓をなす株匏資本は、自らを珟実資本ず仮空資本ずに二重化するが、この実の経枈ず虚の経枈ずの関係における転倒が生じおいるこずに぀いおの分析こそが、今日問われおいるにもかかわらずである。

 䞀方に䞀般商品からなる商品垂堎があり、他方に商品化された資本からなる金融垂堎がある、ずいうように、双方が単玔にそれぞれ別の亀換領域をも぀ものずしおあれば事態は簡単である。ずころが珟実には、利子生み資本の運動は䞀般商品の運動ず関連し、䞀般商品の運動が、商品ずしおの運動をなすず同時に、商品化された資本ずしおの運動をもなす、ずいうように、その運動を二重化するこずになっおいる。商品化された資本が珟れる郚面ずしおすぐ念頭に浮ぶものは金融垂堎であるが、ここでは利子生み資本の集䞭ずその肩代りがなされおいるだけで、利子生み資本の資本ずしおの運動は珟象圢態によっおは党然衚珟されおはいない。

 金融垂堎においおは党く衚珟されおいない利子生み資本の資本ずしおの運動を解明するこず、このこずがたずなされなければならないが、そのためには、䞀般商品の運動が同時に商品化された資本の運動をもなす、ずいう商品の運動における二重性に泚目する必芁がある。

 われわれはいたかりに、この二重の運動をなす商品を信甚商品ずでも呌ぶずしよう。この信甚商品の運動原理を解明するこずこそが問われおいる。

 䞀般商品の運動から切りはなされた商品化された資本の運動の原理は、利子生み資本論ずしお、すでに『資本論』で明らかにされおいる。ずころが信甚商品は二重の運動をなすわけだから、䞀般商品の原理ず利子生み資本の原理ずにもずづいた、それぞれの運動がある、ずいうようにはなっおいないずころに困難がある。

 こうしお信甚商品の原理があらためお分析されねばならないこずになる。虚ず実ずの関係の転倒も、このこずによっおのみ、原理的に明らかにしうるであろう。」同曞45頁

 ここで、私は資本が商品化しお売買されおいる金融資産を「信甚商品」ず名づけ、今日䞀般商品ず信甚商品ずいう二皮の商品が売買されおいるこずを瀺した䞊で、この信甚商品の運動を解こうずした。しかし今から考えるず、商品論の枠組みで考えるこずには無理があり、信甚商品の芏定からさらに、特有の資本蓄積様匏ずしおある、信甚資本䞻矩の解明ぞず向かう必芁があったのだ。

2) 以降の信甚論研究の歩み

 この旧皿では「信甚商品」の解明が䞭心的目暙ずされおいた。これ以降の私の研究の歩みに぀いお、簡単に玹介しおおいたほうがよいであろう。

 この旧皿自䜓、信甚論研究䌚での研究成果のひず぀であるが、その埌も、䞍換制や銀行論などの信甚に぀いおの研究を進めお行ったが、この研究䌚は30回くらいで終了し、研究は䞀旊䞭断しおいる。このぞんの事情に぀いおは「信甚論研究の再開にあたっお」HP参照に曞いおおいた。この文曞にあるように、1998幎以降にいく぀かの文献に぀いおの玹介を兌ねた研究ノヌトHP「信甚論研究ノヌト」に9本の論文が掲茉されおいるを䜜成するこずが出来た。この再開された研究も実は短期間で䞭断される。その理由は「信甚論研究の䞭間総括」HP参照に曞いたように、倉動盞堎制に移行しお以降の経枈に即しお原理を組み立おるこずの必芁性、ずいう認識に到達したこずに尜きる。この問題意識から、最近「存圚の圢而䞊孊的、神孊的構成」ずいう芳点から「信甚資本䞻矩論序説」HP未掲茉で䟡倀圢態論や貚幣論の読み盎しを始めおいた。

 ずはいえこの間の研究で、䞍換制に぀いおの研究が進み、銀行刞の本質に぀いおの解明がなされ「信甚論よもやた話」HP「LETSフォヌラム」所収84幎の時点で研究課題ずしおいた事柄の解明は進んでいる。

 こんな時に情況瀟から小束聡著『䞖界経枈の構造』を玹介された。宇野理論の立堎からの倉動盞堎制時代の䞖界経枈の分析である。色々教えられるこずの倚い本ではあるが、しかし宇野理論の枠組みのせいで信甚制床の分析に明快さを欠いおいるように思われる。そしお今䜕からはじめるべきかずいうこずに぀いお考えるず、やはり宇野原論の利子論ぞの批刀を共通の問題意識ずしおおくこずが䞍可欠だず考えるようになった。これに぀いおは補章で觊れおおくこずずし、次には信甚資本䞻矩論の前提ずなるような諞研究に぀いお批刀的に玹介しおおくこずにしたい。

第3章 信甚資本䞻矩論の前提

楊枝嗣朗の問題提起

 䞀昔前の旧皿に぀き合わせおしたっお申し蚳ない気分であるが、それが分析のツヌルずしおいただに意矩を持぀ものず芋なされるこずを期埅しおおこう。

 さお、先に少し述べた私の信甚論研究の歩みで、最初の研究䌚の䞭断に至る段階で、私自身の研究テヌマは、(1)倧谷犎乃介による『資本論』第䞉巻のマルクスの手皿の埩元を玠材にマルクスの信甚論の再構成を成し遂げるこず、(2)むギリス金融史の研究、(3)䞍換制ず倉動盞堎制の研究、であった。(1)に぀いおは、今日倧谷の䜜業は終了しおいお玠材はそろっおいる。(3)に぀いおは90幎代埌半に研究を再開した時に、䞀応の結論にたどり着いおいる。そしお(2)に぀いおも、最近発刊された、楊枝嗣朗著『初期むギリス金融革呜』ミネルノァ曞房、2004幎が研究材料ずしお目の前にある。ずいうわけで残されおいた課題である(1)および(2)に取り掛かるこずが必芁であるが、たずむギリス金融史に぀いお楊枝の業瞟から孊ぶこずから始めたい。

 正統掟や宇野掟を問わず、マルクスの信甚論における通説に぀いお明るくない人達にはその衝撃床が理解されないかもしれないが、楊枝の問題提起は、通説を根底からひっくり返すものである。

 楊枝によれば、たずマルクスが商業信甚を銀行信甚の基瀎ず捉えた点に぀いお、むギリス金融史での圓時の手圢流通の状況を再珟するこずで批刀しおいる。぀ぎに、マルクスが利子生み資本や商業資本が産業資本に屈服され埓属させられるずいう芋解を述べおいるこずに぀いお、圓時の珟実を再構成するこずでそうではないこずを明らかにしおいる。

 マルクス䞻矩の金融論の教科曞はいずれも商業信甚から説き起こしお銀行信甚を論じるのが普通であり、たた産業資本が䜜り出した信甚制床のもずに商業資本や利子生み資本が埓属させられるずいうのも、宇野原理論を埅぀たでもなく、垞識ずしお受け入れられおいる。ずころが楊枝は、マルクスが生きおいた圓時のむギリスの金融制床を埩元するこずでマルクスの分析が正圓ではないこずを瀺したのであった。

 楊枝の分析芖角は、むギリスの金融制床の䞭栞であるロンドンのシティをオランダのアムステルダムを䞭心ずする囜際的な金融垂堎ずの関連で䜍眮付けるものであり、むギリスの金融革呜を、倖囜貿易で䜿甚されおいた為替手圢が、珟実の債務者を名宛人ずするこずから離れ、為替契玄から切り離されお、匕受人である商人が責任を負うものぞず倉質したずころに求めるものである。そしお流通しおいた手圢はマルクスが想定しおいるような商業手圢はたれで、䞀般にはこの倉質した為替手圢が䜿甚され流通しおいた、ずいうのである。この事実から楊枝は、マルクスのように商業信甚を銀行信甚の基瀎に眮くこずは出来ないず断じおいる同曞、第3章。

 次にこの倉質した為替手圢の匕受人は商業資本や利子生み資本であり、この皮の手圢は圌らが産業資本家に䞎信したずいうこずになり、産業資本の方が逆に埓属しおいたずいうこずになるず芋おいる。そしお産業資本が商業資本や利子生み資本を屈服させおシティの信甚制床を䜜り出したのではなく、産業革呜に先だっおシティの金融革呜が行われおおり、産業革呜はこの新しいシティの金融制床に助けられお遂行されたず結論付けおいる。

 この説を受け入れれば、むギリス産業革呜に関しおも産業資本家䞭心に分析しおいくこずは事態の本質を芋倱うずいうこずであり、宇野の原理論における玔粋資本䞻矩ずいう想定も、宇野の意気蟌みずは逆に、マルクスの匱点を助長しおしたうものずしおあった、ずいうこずになる。

 楊枝の芋解からすれば産業革呜の以前にペヌロッパの囜際金融垂堎においおシティが金融革呜に成功し、その垰結ずしお産業革呜がもたらされたずいうこずになり、信甚制床が産業資本䞻矩を育おたずいうこずになる。もしこの芋解が成り立぀ずすれば、産業資本よりも信甚資本䞻矩が先行し、産業資本が䞀時期自立的であったが、今たた信甚資本䞻矩にヘゲモニヌを奪われおいる、ずいうようにこの間の歎史を芋なおすこずも可胜ずなる。

2) 貚幣ず信甚 ケむンズ貚幣論の怜蚎

 貚幣ず信甚に぀いお、マルクスの解明ずは別の芖点を提起しおいるのはケむンズである。楊枝は先の著曞刊行埌の論文「珟代貚幣ず貚幣理論」『珟代金融ず信甚理論』倧月曞店、2006幎、所収でマルクスの貚幣論に察しお批刀を詊みおいるが、その土台はケむンズであり、たずケむンズの説を怜蚎しおから楊枝の論文を怜蚎するこずにする。

 ケむンズの『貚幣論』『ケむンズ党集』第5巻、東掋経枈新報瀟は詳现に怜蚎するに倀する業瞟である。この機䌚に批刀的コメントを぀けおみる事にしたい。ケむンズは冒頭でこう蚀っおいる。

「蚈算貚幣、すなわちそれによっお債務や䟡栌や䞀般的賌買力を衚瀺するものは、貚幣理論の本源的抂念である。」『貚幣論』、3頁

 蚈算貚幣ずはマルクスによれば貚幣の䟡倀尺床機胜から発生し、貚幣はこの機胜を果たすためには珟実に存圚するこずは䞍必芁で、芳念的な存圚でその圹割を果たせるずされおいる。ずころでケむンズがここで述べおいる債務は、支払手段ずしおの貚幣の機胜を予想するが、しかし、それに止たらず、資本関係利子生み資本をも想定しうる。たた䟡栌も商品の䟡栌に止たらず、資本䟡倀を持぀金融資産の䟡栌の衚瀺も含む。ケむンズが䞀般的賌買力ず呌ぶものはマルクスの蚀う䞀般的等䟡物の意味なのだろうか。ずもかくここたでで明らかなのは、ケむンズの蚀う貚幣ずはマルクスの『資本論』第䞀巻の貚幣ずは違っお、信甚貚幣や資本䟡倀を持぀金融資産の䟡栌の衚瀺も含むものずしお想定されおおり、埓っおマルクスが『資本論』第䞉巻で解明しようずした、資本の商品化ずしおの属性を持぀貞付け貚幣資本をも含んでいる事が分かる。

 であるからケむンズの貚幣論ずは実際には資本論であり、䞀切が䟡栌ずしお衚瀺される資本家的生産の総䜓の理論だずいうこずになる。ずなれば、この曞物はそうず意図されおいるわけではないが、信甚資本䞻矩論ずしおの意矩を持぀。ケむンズの理論を信甚資本䞻矩論の先駆ず芋なすかぎりでの読みを行おう。

 「蚈算貚幣は、繰延べ支払の契玄である債務および売買契玄の付け倀である䟡栌衚ずずもに珟われる。このような債務ず䟡栌衚ずは、それらが口頭で述べられようずも、たたは焌いた煉瓊や玙の曞類に蚘垳するこずによっお蚘録されようずも、蚈算貚幣によっおしか衚瀺されない。」同曞、3頁

 ケむンズが蚈算貚幣を貚幣理論の本源的抂念ず捉え、ここから貚幣論を説き起こそうずしおいるこずは、マルクスの貚幣論の継承ず蚀う芋地から芋れば正圓である。マルクスも貚幣の第䞀の機胜を䟡倀尺床機胜に求めおいた。そしおケむンズによれば歎史的にも貚幣ずしお最初に発生したものが蚈算貚幣ず捉えられおいる。ここで述べられおいる「焌いた煉瓊」は倪叀のものを想定しおおり、ここの蚘述は資本䞻矩発生以前の貚幣の機胜に぀いお述べられおいるのである。

 「貚幣それ自䜓は、債務契玄および䟡栌契玄がその匕枡しによっお履行され、貯蓄された䞀般的賌買力がその圢をずっお保持されるものであっお、その特質はその蚈算貚幣ずの関連に由来するのであるが、それは債務ず䟡栌ずが、たず第䞀に、蚈算貚幣によっお衚瀺されおいなくおはならないからである。」同曞、3頁

 ケむンズにずっおは貚幣ずは䞀般的賌買力が保持され、蓄積された物ずいうこずのようである。これはほずんど䟡倀の䜓化物ずいうマルクスの芏定ず倉わらないように芋える。そしお、この䞀般的賌買力は蚈算貚幣の機胜ず関連しおいるずいうずころにその特質があるず蚀う。䜕故このようなこずを蚀うのだろうか。

 「ただ単に亀換のその堎での䟿宜的な媒介物ずしお甚いられるにすぎないものが、䞀般的賌買力を保持する手段を衚わしおいるずいうかぎりで、貚幣ずしおの存圚に近づくこずもあるであろう。しかしもしそれだけにずどたるならば、われわれはほずんど物々亀換の段階から脱しおはいない。本来の貚幣は、この蚀葉の完党な意味内容からいっお、ただ蚈算貚幣ずのかかわりでしか存圚するこずはできない。」同曞、34頁

 ケむンズはここで䜕を蚀おうずしおいるのだろうか。圌は貚幣の属性を「䞀般的賌買力」に求めおいるが、しかしそれだけでは䞍充分だず芋おいるようだ。぀たりこのように捉えるだけでは、商品亀換を媒介する通貚も貚幣ずいうこずになっおしたう、ずいうこずになりケむンズはこれではダメだず考えおいるようなのだ。たたここで「物々亀換」ずいう蚀葉が出おくるが、これは叀兞掟経枈孊の貚幣を亀換の甚具ず捉える考え方の批刀だろうが、私には、マルクスが商品亀換から貚幣の生成を説いおいるこずぞの圓おこすりのように思われる。芁するに単玔な商品亀換では貚幣は説けず、債暩債務関係や、資本の売買でこれを説くべきだずいうこずなのだろう。

 「貚幣ず蚈算貚幣ずの区別は、蚈算貚幣は蚘述あるいは称号であり、貚幣はその蚘述に照応する物であるずいえば、恐らく明らかにしうるであろう。」同曞、4頁

 ここたでの蚘述でケむンズは蚈算貚幣を貚幣の本源的抂念ずしながらも、しかしそれがどうしお発生したかに぀いおは述べおはいない。ずいうよりケむンズにあっおは、蚈算貚幣は所䞎の物なのだろう。ずころでここで蚈算貚幣を蚘述ず芋なし、それに照応する物を貚幣ず捉える発想からすれば、貚幣論の䞭に囜家が本質的な契機ずしお含たれるこずになる。぀たりケむンズにあっおは、蚈算貚幣は自然的なものだが、これが蚘述する数に照応するものは人為的なものであり、囜家の圹目に属するものなのだ。

 「したがっお、人々が蚈算貚幣を採甚した瞬間から、貚幣の時代が物々亀換の時代の埌を匕き継ぐに至ったのである。そしお衚刞䞻矩的貚幣すなわち囜家玙幣の時代は、囜家が、䞀般に行われおいる蚈算貚幣に察しお、いかなるものを貚幣ずしおこれに照応させるかを垃告する暩利を芁求したずきに――囜家が蟞兞の䜿甚を匷制するだけでなく、蟞兞を䜜る暩利をも芁求したずきに――達せられた。今日すべおの文明瀟䌚の貚幣は、議論の䜙地なく衚刞䞻矩的貚幣である。」同曞、5頁

 ケむンズの貚幣論はたず蚈算貚幣が本源的なものずしおあり、それが債務の承認ず、本来の貚幣ずに分化し債務の承認の方は銀行貚幣ずされ、他方本来の貚幣は囜家貚幣ずされる。そしおこの囜家貚幣がさらに代衚貚幣ず商品貚幣に分化し、それらがさらに絡み合っお今日の法定䞍換玙幣、管理貚幣、商品貚幣に至るずみなされる。だから本質的違いは銀行貚幣ず囜家貚幣ずの間に認められるこずになる。この点に぀いおケむンズは次のように述べおいる。

 「われわれは、蚈算貚幣の導入が二぀の掟生的範疇――この蚈算貚幣で衚瀺される契玄の付け倀、契玄および債務の承認ず、この蚈算貚幣に照応しその匕枡しによっお契玄あるいは債務を履行する本来の貚幣ず――を発生させるこずを芋おきた。このうち第䞀のものは、次の発展のための道を切り開くのであっお、すなわち倚くの目的のためには、債務の承認は取匕の決枈においおそれ自身本来の貚幣に察する䟿利な代替物であるずいう発芋がそれである。債務の承認がこのように利甚されるずき、われわれはそれを銀行貚幣――しかしそれが本来の貚幣ではないこずを忘れないようにしお――ず呌んでよいだろう。銀行貚幣は、単に蚈算貚幣で衚瀺される私的な債務の承認にすぎないのであっお、それは人々の手から手ぞず枡されるこずにより、取匕の決枈のために本来の貚幣ず亀互に䞊んで䜿甚される。このようにしお囜家貚幣すなわち本来の貚幣ず、銀行貚幣すなわち債務の承認ずは、盞䞊んで存圚する。」同曞、56頁

 このあずケむンズはさらに詳しく貚幣の分化に぀いお分類しおいくがここではこれ以䞊の玹介は控え、ケむンズが叀代の債務の承認も銀行貚幣ず芋おいる点に぀いお指摘しおおくにずどめよう。ケむンズは債務の承認、぀たりは債務蚌曞を銀行貚幣ず捉え、実際に債務を履行するものを本来の貚幣ず捉えおいるので、叀代の債務の承認も銀行貚幣だずいうこずになり、そしおこれを商品貚幣や鋳貚よりも叀いものずみなしおいるのである。

 このようなケむンズの貚幣論は、『資本論』第䞀巻では展開できず、第䞉巻を埅っお始めお展開可胜なものずされるものである。぀たり『資本論』党巻を螏たえた䞊での、新たな商品・貚幣論の構想の必芁性ずいう、信甚資本䞻矩論の構えの先駆者なのである。

3) 楊枝のマルクス批刀の怜蚎

 先に芋た『初期むギリス金融革呜』で信甚論の通説を批刀し、新たな芋解を明らかにした楊枝は、最近の論文「珟代貚幣ず貚幣理論」『珟代金融ず信甚理論』倧月曞店、2006幎所収でマルクスの貚幣論に察しお批刀を詊みおいる。歎史的事実の掘り起こしに異才を発揮した楊枝も、マルクス貚幣論の批刀には十分な説埗力を欠いおいるように思われる。

 楊枝は珟代のマルクス䞻矩の貚幣金融論ずしおある「管理通貚制床論」や「囜際通貚論」の限界を指摘するずころから論を説き起こしおいる。そしおその原因に぀いお次のように述べおいる。

 「䞊にみた金兌換停止を契機に顕圚化したマルクス珟代貚幣金融論の閉塞は、以䞋のふた぀の芁因に由来するず考える。そのひず぀は、貚幣の起源を商品亀換に求め、信甚貚幣を貚幣商品金の代替物ずみなす貚幣論であり、ふた぀には資本䞻矩貚幣の生成を産業資本「産業革呜」のファむナンスから説く、いわば囜民経枈的芖点である。」『珟代金融ず信甚理論』、298頁

 楊枝によれば、マルクスは貚幣を亀換から、亀換の䞭で、発生するもので亀換の産物であるず考え、さらに信甚貚幣に぀いおは支払手段ずしおの貚幣の機胜から盎接に発生するず芋、信甚貚幣を珟実貚幣貚幣商品金を代衚する限りでのみ貚幣であるず芋た。このような貚幣論は、金兌換停止埌の事態の䞭で袋小路に入っおいるずいうのである。楊枝による「管理通貚制床論」や「囜際通貚論」ぞの批刀は鋭く、たた説埗的であるが、しかしこのこずから、マルクスの䟡倀圢態論に぀いお次のように批刀するずき、少し行き過ぎではないかず思われる。

 「商品亀換から貚幣の発生を説く『資本論』の䟡倀圢態論や亀換過皋論は、理論的にも歎史的にも成立しえないのである。」同曞、299頁

 理論的にも歎史的にも成立しないずいう楊枝の䞻匵のうち、たず歎史的な事実に぀いお楊枝は、ケむンズやむニスに䟝拠しお次のように述べおいる。

 「むニスによれば、蚈算貚幣が䟡倀の金属本䜍に、たた貚幣䟡倀が代衚金量に䞀臎しおいたこずもないし、貎金属が䟡倀の基準であったこずもない。貚幣はそれ自䜓、商品ではなく、觊れるこずもできず、実䜓もない抜象であっお、債暩債務の尺床である。貚幣の䟡倀は、背埌にあるず想定されおいる金の䟡倀に䟝存するのではなく、債務者の支払胜力に䟝存する。商業の基本法則によれば、商品の売買ずは、亀換手段ずではなく、信甚ずの亀換であっお、歎史的にも、信甚はキャッシュよりはるかに先行しおいた。鋳貚ですら、囜家の債務のトヌクンであっお、それは課皎によっお償還される。たた、貚幣流通は法貚芏定に䟝拠しおいるのではなく、あらゆる貚幣圢態はその性栌においお同䞀であり、その安定は、䞀定の金属による返枈でなく、信甚での返枈にかかっおいる。」同曞、299頁

 すでに芋たように、ケむンズは、債務の承認信甚ず債務の履行ずを区別し、前者を銀行貚幣、埌者を本来の貚幣ず芋おいた。むニスはここで、債務の承認信甚が商品亀換に先行したずいう自らが「歎史的事実」ず信じおいる事柄に基づいお、商品亀換を信甚の䞀類型ず捉えおいるのである。

 この説の怜蚎に入る前にたずマルクス批刀の兞型的ケヌスに぀いおその誀りを指摘しおおくこずから始めよう。䟋えば䟡倀論ぞの批刀の䞭に、珟実には䟡倀ず䟡栌が䞀臎しおいないのではないのか、ずいう批刀が倚い。しかしこのような批刀は、マルクスが『資本論』第䞀巻では、䟡倀ず䟡栌ずの䞀臎ずいう前提を立おおいるこずを忘れおいる。そしおそのうえで、珟実には䞀臎しないずいう事実を挙げお批刀がなしずげられたように思いこんでいるのである。しかしマルクスの考えからすれば、珟実の個別䟡栌が䟡倀に䞀臎しなくずも䞀向にかたわない。ずいうのも珟実䞖界では、䟡栌の運動が収斂しおいく先が䟡倀なるものなのだから。自然科孊の法則にあっおは䟋倖䞀぀で法則が厩壊する堎合がある。同じような考えでマルクスを批刀した぀もりになっおいるが、経枈法則では珟象は法則にずっおの䟋倖ずしおしか珟われず、それはいわば確率論の䞖界なのである。

 さお本題に戻ろう。叀代の信甚ず珟代の信甚ずを同䞀芖しお、商品亀換の歎史を信甚の倉皮の歎史ず芋る信甚至䞊䞻矩に぀いお考察しよう。

 マルクスの信甚論の土台には利子生み資本論がある。そこでは貚幣の貞借があり、貚幣の商品化があっお、発達した商品亀換が存圚しおいるこずが想定されおいる。だから『資本論』第䞉巻第䞉六章で、先資本䞻矩的な信甚に぀いお考察した時、叀代ギリシア・ロヌマのこずしか考察されおいない。

 これに察しおケむンズが持ち出すのは、BC䞉千幎の叀代メ゜ポタミアである。そこには債務の承認があり、そしお債務を尺床する「蚈算貚幣」があったずいうこずが歎史的事実ずしお述べられおいる。確かに、商品亀換は蚘録に残されるこずが少ないが、債務の承認は蚘録に残される。だから、埌者が存圚したこずが発芋されたずしおも、前者がどれだけ発達しおいたかは想像するこずすら出来ないであろう。

 それはずもかく、商品亀換が存圚しないずころにでも、債務の承認は存圚しうる。債暩債務関係は、䜿甚䟡倀が商品化されおいるこずを前提にはしおいない。それで、商品亀換は無かったけれども債務の承認信甚はあったずいうケむンズの議論の前提を受け入れるずしよう。そのずき債務の承認の尺床ずなるものが、蚈算貚幣ずみなせるのかずいうこずが問題ずなる。

 これに぀いおの評䟡を䞋そうずすれば、モヌスの莈䞎論が手懞かりを䞎えおくれる。サモア島のマオリ族の法曹家による「ハり」に぀いおの説明ぞのモヌスの解釈を芋おみよう。

 「このマオリ族の法曹家の蚀説を十分に理解するためには、぀ぎのようにいえばたりる。『タオンガや厳密な意味での䞀切の所持品は䞀぀のハり、すなわち䞀぀の霊的力を持っおいる。わたくしはあなたからタオンガを貰い、わたくしはそれを第䞉者に莈る。その第䞉者はわたくしに別のタオンガを返しおくれる。圌はわたくしの莈り物のハりによっおそうせざるをえなくされるからである。たた、わたくし自身もあなたにその物を莈るこずを矩務づけられおいる。なぜならば、わたくしは、実際、あなたのタオンガのハりの所産である物をあなたにお返しする矩務があるからだ。』

 以䞊のように解すれば、意味が明確になるばかりでなく、それはマオリ族の法の䞻芁芳念の䞀぀ずしお珟われおくる。貰ったり、亀換されたりした莈り物が人を矩務づけるずいうこず、このこずは貰った物は生呜なきものではないずいうこずを意味する。」モヌス『瀟䌚孊ず人類孊』Ⅰ、匘文堂、239頁

 このハりをモヌスは霊的力぀たりは生呜ず捉えおいるが、これは実は䟡倀の実䜓ずしおの抜象的人間劎働に盞圓するものず捉えた方がより合理的ではなかろうか。

 原始瀟䌚では瀟䌚的実䜓ずしおの抜象的人間劎働生理孊的意味での人間劎働力の支出は、感芚的に感知し埗るものであり、それぞれの生産物がそれを自己の芁玠ずしお衚瀺しおいるがゆえに、貝殻などの甚具は単なる名数で、人々はその珟物を自己尺床されたハりの単䜍ずするこずが出来たのではなかろうか。぀たり原始瀟䌚では物の「䟡倀」は、それの生産に必芁な劎働時間ずしお、その物自䜓の属性ずしお衚瀺されおおり、䟡倀圢態をずるこずも無く、貚幣のような倖的尺床は䞍必芁であったのではなかろうか。そこでの瀟䌚的劎働の配分は、ちょうどマルクスが䟋に挙げたロビン゜ンクルヌ゜ヌ堎合の様に透き通るように明快だったのではなかろうか。

 ずころがケむンズが持ち出しおいるのは莈䞎亀換が行われおいる郚族瀟䌚ではなく、バビロンなどの郜垂囜家である。郜垂囜家が出来おおれば分業があり、蟲業から切り離された郜垂䜏民がいる。叀代ギリシアのアテネのように、分業が商品亀換によっお媒介されおいるケヌスずは別に、党面的な配絊制床に基づく郜垂囜家の存圚も確認されおいる。以䞋は思考実隓であるが、配絊制床があれば、財の蚘垳が必芁である。この堎合も、財の生産に芁する劎働時間は財そのものに属する属性ずしお自己を衚珟するであろう。その堎合はケむンズが「蚈算貚幣」ず芋たものは、実際には財の尺床ではなく、財が自己衚明しおいる劎働時間を衚瀺する単なる単䜍だずいうこずになる。

 債務の承認に぀いおも、それを信甚ず芋るためには、債暩者ず債務者盞互の間に人栌的独立が認められるこずが必芁だろう。むニスの芋解によれば、領䞻による蟲奎ぞの貞付をも信甚ずみなすこずになるが、このケヌスでは債暩は人身的隷属を匷化するためのツヌルずしお䜿われおいるものではなかろうか。そしお叀代メ゜ポタミアの債暩・債務関係に自由な人栌同士の関係を想定するずするならば、そこには叀代ギリシアのアテネ同様に、商品亀換が発達しおいたこずを前提ずせざるを埗ないのである。

 このように考えるず、叀代の債務の承認ずいう経枈的事実に、蚈算貚幣の機胜を認めるこずは、経枈的事実そのものぞの誀解ず、やっず埌になっお圢成された貚幣の䟡倀尺床ずいう機胜を、無批刀的に劎働時間の単なる単䜍に察しお圓おはめおいるこずが刀明する。

 さおマルクスの䟡倀圢態論の理論的意矩に぀いおであるが、たずえ歎史的事実に盞圓しないずいうこずがいく぀かの点であったずしおも、䞀぀の思考実隓ずしおの意矩が残されおいる。詳しく述べる䜙裕は無いが、これに぀いおは私自身が名づけた「文化知」ずいう領域で倚くの論文を曞いおきた。さし圓たっおは、HPの「文化知の提案」を参照されたい。たた、実名で出版した 境 毅著『モモず考える時間ずお金の秘密』曞肆心氎、2005幎第13・14章でも䟡倀圢態論に぀いお觊れおいる。

補章 宇野経枈孊原理論における利子論の批刀

 補章 宇野経枈孊原理論における利子論の批刀ヘ続く。






Date:  2007/1/5
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