　人口学者として、識字化と受胎調節による出生率の低下を世界史の発展の真の要因と見るトッドは、イスラム圏での原理主義の台頭を人口学的移行期における危機のあらわれと捉えている。そして、この危機は、イギリスやフランスでもかってブルジョア革命期における急進主義の台頭と内乱、という形で見られたものであり、外からの介入がなければやがて社会の近代化とともに安定化がなされていくとみなしている。
　ところが、1995年以降の転換によって、アメリカ政府はイスラム急進主義を、自身に対するテロと捉えて、アラブ諸国への軍事介入を路線化することになった。トッドは弱者を攻撃する、というアメリカ、軍国主義的なアメリカを世界は必要としていないのに、アメリカの方は、世界なしではやっていけなくなっている、というところに現時点でのアメリカの軍事介入の根拠を求めている。
　では、世界の帝国になり上がろうとするアメリカの野望に可能性はあるのだろうか。トッドは過去の唯一の世界帝国である古代ローマの盛衰過程をひきあいに出して、アメリカの野望は実現しないと述べている。とりあえずここでは、トッドがローマ帝国の盛衰を尺度に、今日のアメリカの現状を分析している部分を紹介しておこう。

2）ローマとアメリカ

　トッドはローマ帝国の盛衰について次のように述べている。

「第二ポエニ戦争によってカルタゴに決定的勝利を収めた後の100年間で、ローマは急速に東方へと拡大し、環地中海地域全域の主となった。今や土地、金銭、奴隷の無限の資源を有していた。支配全域から金銭資源を徴収し、それで大量の食料品と加工製品を輸入することができたのである。ローマの政治的支配によってグローバル化されたこの地中海経済の中で、イタリアの農民と職人はその有用性を失っていった。社会は経済的に無用の平民層と略奪的金権政治階層の二組に分極化した。無産階級化した住民のはるか上方に富を飽食した少数者集団がふんぞり返っていた。中産階級は内部崩壊し、その崩壊過程が共和国の消滅と帝国の確立を引き起こした。まさに政治システムの安定性のために中間的社会カテゴリーがいかに重要であるかについてのアリストテレスの分析が示す通りのことが起こったのである。」（『帝国以後』藤原書店、97頁）

　ローマが帝国を維持できたのは、もちろん軍事力によってであった。ところで現代のアメリカはどうか。トッドはアメリカが生産の国から消費の国になり、しかも、世界に生産させ、それを消費するという構造に陥っているとしている。
「（アメリカで流行している自由主義経済理論は）いざグローバリゼーションは対称性原理ではなく、非対称性原理によって編成されているという厄介な事実を説明する段になると、それは能弁を失って、何も言えなくなってしまう。世界はますますアメリカが消費するために生産するようになっているのだ。アメリカ合衆国にはいかなる輸出入の均衡も確立していない。終戦直後の過剰生産の自律した国であったアメリカ合衆国は、いまや一つのシステムの中核となったが、そのシステムの中でアメリカの果たす使命は生産ではなく消費なのである。」（99頁）この事実の例証としてトッドはアメリカ貿易収支の赤字が中国に対して830億ドル、日本に対して680億ドル、EUには600億ドル、メキシコに対し、300億ドル、合計4兆460億ドル（2001年）にも達していることをあげている。従来アメリカが優位であった先端技術製品ですら2002年には赤字になってしまったいるのだ。また、アメリカの帝国化はごく最近の事態である。そして、この新しいタイプの帝国化によって、アメリカの労働者階級は一たんは絶対的貧困化にさらされたが、近年ではローマ同様に、「帝国流の物質的財の徴集システムが成熟に達し、今やアメリカ国民全体がその恩恵に浴することができ」（112頁）るようになったと見ている。
　ところで、トッドは世界帝国の条件として、周辺から貢納物の徴集を可能にするだけの軍事力と、イデオロギー上の普遍主義を上げている。後者は被制服民を通常の市民として扱い、その裏面として、通常の市民を被征服民として扱うことだ。アメリカには二つながらに帝国の条件を欠いているとトッドは見ている。軍事力は全世界を相手にするには不十分であり、その上イデオロギー上の普遍主義も衰退させているというのだ。

3）アメリカのアキレス腱

　トッドのアメリカ帝国論の経済学的な要をなしているものは、アメリカへの巨大な資本の流入が、アメリカの貿易赤字をファイナンスしている、という奇妙な現実である。70年のドル危機から25年後にあらわれたのは、次のような事態であった。

「歴史上いまだかって見たこともない貿易赤字にもかかわらず、利子率が高いわけでもないのに、そしてインフレ率はヨーロッパや日本より相対的に高いにも拘らず、ドルは長い間、強い通貨であり続けてきた。何故なら世界中の資金がその間、アメリカ合衆国の方に流れ込んでいたからである。至る所で企業、銀行、機関投資家、個人投資家がドルを買い始め、ドルの平価を高い水準に維持することを保証した。そのような状況ではそれらのドルは消費財の購入に用いられるのではなく、アメリカ合衆国国内で直接投資を実現するか、国債、社債、株といった有価証券を入手するために用いられるのである。
　アメリカの国際収支の均衡を確保しているのは、金融資本の動きである。観察されたメカニズムを極端に単純化してみるなら、毎年毎年アメリカ国内空間へと流れ込む資本の動きが、世界全体から到来する財の購入を可能にしている、ということになる。国外から購入される財のうちの多数が消費に向けられる、つまりは際限なく更新される短期的需要に対応しているのに対して、アメリカ合衆国に投資される金融資本の方は、その多数が中長期的投資に対応するという事実を考慮するなら、このメカニズムの中には何かしら構造的に不安定な、とは言わないまでも、逆説的なものが存在することを認めざるを得ない。」（131頁）

　トッドは、アメリカがこのような事態を続けることができるのは、ドルの基軸通貨としての力がゆるがない限りであり、そして、ドルに国際的な強制通用力を与えているものは、アメリカの軍事力だとみている。でもアメリカには世界を支配するだけの軍事力には欠けているから、いずれドルは崩壊すると予測している。そうなると、アメリカに投資していた投資家の資産は蒸発してしまい、同時にアメリカの帝国としての経済的地位にも終止符が打たれる。これがトッドの描いているアメリカシステムの崩壊の具体像である。

��ε��

Return to Category | Return To Main Index

Author: admin Published: 2006/1/5 Read 3595 times

良書を読む E・トッド『帝国以降』

1）はじめに

2）ローマとアメリカ

3）アメリカのアキレス腱

良書を読む　E・トッド『帝国以降』