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文化知の提案―新しい社会運動の原理―第4章 文化知の方法


文化知の提案―新しい社会運動の原理―第4章 文化知の方法


第1章 科学技術と現代社会
 科学と技術 科学技術発展の帰結 持続可能なシステムの模索 キメ手を欠く運動体
第2章 社会科学の機能不全
 社会科学は期待はずれ 科学の論理性への批判の限界 社会運動論の最前線 見のがされている事態
第3章 科学知の限界
 商品による意志支配 科学的思考と商品の思考機能
第4章 文化知の方法
 見えるものと超感性的なもの
第5章 文化知の応用
 労働価値説の再考 超感性的な社会関係の解明 概念的存在としての商品
第6章 物象化論の新展開
 商品による意志支配の様式 貨幣生成のメカニズム 無意識のうちでの本能的共同行為 もう一つの意志支配としての物象化
第7章 現代社会批判
 マルクス主義の総括と新しい社会運動 脱物象化の大道

見えるものと超感性的なもの


 科学知が、自然物と社会的質との二重物を二枚重ねのフトンのようにしか認識できない、という限界をもつのは何故でしょうか。それは科学知が五感で把握できるものしか捉えないからです。以下では五感を視覚に代表させて論じることにしましょう。そうすると科学知は眼に見える現象形態しか分析対象としていないということになります。技術の成長によって、人間の眼に見える領域が広がり、また、実験装置によって、眼に見えないものを見える形に翻訳する技能も発達し、生命や心や物質の構造や宇宙といった、これまで手に負えなかった領域にまで科学知は広がっています。しかしながらその努力は、見える形の最小単位の追求であり、見えないものをあくまでも見えるようにしようとする方向に貫かれています。
 見えるものとは一体何でしょうか。身体、物体、などの形あるものは、分割していってもやはり見えるものです。重さとか、価格とかは尺度を介して見える形に翻訳できました。自然科学が現代社会で大きな役割を果たしているのに、社会科学が全然役に立っていませんが、これは社会科学にも応用されている科学知がかんじんの眼に見えず、超感性的な社会関係を捉える方法をもたないからに他ありません。

眼に見えない関係の論理


 では眼には見えない社会関係は、どのようにすれば捉えられるのでしょうか。まず眼に見えない現象形態といっても、眼に見えないものばかりではありません。商品はちゃんと眼に見える物体ですし、親族関係にしても、父と子はそれぞれ眼に見える身体をともなっています。言葉にしても聞こえるし、文字にすると眼に見えます。ここで眼に見えない現象形態を想定するとき、それは眼に見える対関係にあるものを両極にとらえ、これを両極にして、眼に見えない現象形態が関係として成立していると読むのです。
 いま、天ビン計りで肉の重さを計っていると想像してみて下さい。一方の皿には肉がのり、他方の皿には鉄の分銅がのっています。ここでは眼に見えない重量関係が眼に見える形に翻訳されています。もちろん重量は感性的に把握できますから、この場合には社会関係とは異なって眼に見える形に翻訳できたのです。ここで満足せず、この関係にもう一度注目して下さい。実は従来の科学知では見過ごされてきた関係の論理が、ここに隠されているのです。
 肉を計る鉄の方が問題です。鉄はもともと一つの自然物ですが、それがここでは重さの尺度とされ、重量の単位を刻印されています。鉄はもはや鉄ではなく重量の化身となっています。鉄は天ビン計りから降ろされても依然として、重量の単位を刻印されていますが、しかし、それが重量の化身として自分を表現できるのは、肉との重量関係に置かれたときだけです。
 この関係で、肉と鉄というお互いに異なった質のものが同等なものと見なされたのでした。差異あるものが関係を結ぶとき、そこに一つの同等性が現れますが、この場合それぞれの質量が同一のものでした。そして、計量する場合、計られるもの(肉)は重量関係のなかで、計るもの(鉄)との同一性を、計るものを重量の化身とするという形で表現するのでした。この重量の同一性という現象形態こそが眼に見えないものに他なりません。
 この眼に見えない関係のなかで鉄は鉄でありながら、重量の化身とされています。だから鉄が尺度として役立つわけです。
 鉄は鉄と重さの尺度という、自然物と社会的なものとの二重物となりました。
 関係の両極が、眼に見えない現象形態によって、本来の質の他に別の新しい社会的質を受けとること、このことを理解することが決定的です。二重性は二枚重ねのフトンのようにあるのではなく、それぞれの両極がある種の同一性の関係のうちで規定しあい、基準の位置におかれた極をその同一性の化身とすることで、それぞれが二重物となったのでした。この関係による両極の規定をマルクスは形態規定と呼びました。
 関係とは比較であり、異なる質のものの等置でした。関係のもとには等しい質があり、これが比較されたのです。それで関係によって表現されている同一性の質を社会的実体として捉え、その質によって両極がどのように形態規定されているかを明らかにすることが、眼に見えない関係をわがものとする方法だ、ということになります。この方法は従来の科学知によっては解明しえなかった人間の社会関係を分析しうる手法であり、従来の科学知と区別して、文化知とでも呼ぶことにしましょう。





Date:  2006/1/5
Section: 文化知の提案―新しい社会運動の原理―
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