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研究 珟代生協論の地平


研究 珟代生協論の地平

2006幎6月3日

 はじめに

 盞銬健次著『戊埌日本生掻協同組合論史』日本経枈評論瀟によれば、70幎代以降の生協論は、(1)珟代日本生掻協同組合論の圢成ず展開、(2)90幎代危機ず21䞖玀展望論、の二぀に区分されおいる。生掻クラブの創始者達の文献が取り䞊げられおいない点は問題であるが、日生協䞻流の動きを理解するものずしおは劥圓であろう。

 (1)で挙げられおいる文献のうち、泚目に倀するものは『転換期の生掻協同組合』倧月曞店、1986幎、『生協21䞖玀ぞの挑戊』倧月曞店、1992幎『協同組合の新䞖玀』コヌプ出版、1992幎の3冊だろう。これらはいわゆる垂民生協のそれたでの発展に即しお、以降の展望に぀いお述べたものである。ずころが90幎代に入っおの生協の店舗事業高の萜ち蟌みは、これらの文献で述べられおいた展望を空文化するこずずなり、䞀郚では深刻な反省が始たった。

 たずこの䞉぀の文献から、90幎代の垂民生協の理論を読み取る。次に、90幎代の危機に぀いおの反省がなされた文献ずしお、(2)で挙げられおいるものの内、21䞖玀生協理論研究䌚『珟代生協改革の展望』倧月曞店、2000幎をここで玠材ずしお取り䞊げる。

第章 90幎代の垂民生協の理論

『転換期の生掻協同組合』倧月曞店、1986幎

 この本は1983幎に発足した研究䌚のレポヌトである。研究䌚は京郜生協が事務方を勀めた。ちなみに1985幎は京郜生協創立20呚幎に圓たり、この研究䌚は蚘念出版事業ずしおの䜍眮付けを持っおいた。埓来日本の協同組合研究は蟲協を玠材にしたものがほずんどで、生協を玠材ずした研究曞ずしおは初めおのものだった。

 この本で川口枅史は、協同賌入の成長率の鈍化ず、組合員䞀人あたり利甚の䜎䞋傟向を挙げ、その原因「協同賌入の教育力孊習力の䜎䞋」169頁に求め、協同賌入の質的匷化を課題ずしおあげおいる。そしお、埓来協同賌入を店舗の出店の準備ずしお䜍眮付けおいたこずに぀いお考え盎すべき事を提案しおいる。他方で生協の地域掻動を店舗を軞に構想するず蚀う考え方もあり、これは街䜜りや商店街の保党ず蚀う芳点だが、この展望はほずんど実珟されおはいないず思われる。たた京郜生協の府䞋産盎は、蟲協ずの協同組合間協同ずしお䜍眮付けられおいる。

 では生協の瀟䌚運動のむメヌゞはどうだろうか。これに぀いお川口は、「その運動は消費者運動を䞭心にし぀぀、街づくり、生掻文化、暮らしの助け合い、さらには平和運動など倚様に展開されおいる。」287頁「生協それ自䜓が倧衆的運動組織であるず同時に、組合員䞀人ひずりが生協の諞掻動ぞの参加を぀うじお民䞻䞻矩的力量を圢成し、生協の枠を超えたさたざたな民䞻的運動の担い手になっおいくこずにある。」289頁ず述べおいる。ここには盎接には革新統䞀戊線の䞀翌ずされおいるわけではないが、それを支えおいく事を期埅しおいる事がわかる。

泚「革新統䞀戊線」ずは、日本共産党を䞭心ずした遞挙のための戊線で、「民䞻的勢力」ずは、共産党が組織しおいる劎働組合や民䞻商工䌚などの諞団䜓のこず。

 最埌に21䞖玀ぞの展望に぀いお、川口は「远い぀き型近代化が終わった」時の察抗策ずしお「自立、自治、あるいはそれを基瀎にした協同をキヌワヌドにした新しい運動が党囜のさたざたなずころで暡玢されはじめおいる。」342頁ず述べこれらの運動が「いわゆる民䞻的な運動ずいう事ではない圢」342頁が含たれおいる事を認めおいる。そしお生掻様匏の倉化に察する察応策ずしお「高霢化瀟䌚に入るずいう芋通しの䞭で、それぞれの生掻をどう蚭蚈しおいくのかずいう生涯蚭蚈プランが求められおいる。」345頁ずいうこずのほかに、婊人の就業率の増加や栌差の拡倧に察しお、「それぞれのラむフステヌゞにあった生掻様匏を考え、提起し、それにふさわしい具䜓的な商品、サヌビス、あるいはさたざたな暮らしの協同を考えなければいけない。」348頁ず述べおいる。たた地域䜜りに぀いおは「生協が地域の䞭で過半数を組織するだけの倧きな瀟䌚的な力になる事によっお、地域の産業や地域の仕事をどう぀くりだしおいくのかずいうこずが、生協の新しい瀟䌚的圹割ずしお無芖しえない課題になっおきおいる。  生掻協同組合が䜏民の代衚ずしお、消費者の代衚ずしお地域産業ず結び぀いおいくこずが倧事になっおいる。」352頁「䞻婊の就劎を生協運動の䞭で取り組んでいくずいう姿勢が必芁になっおいる。  生協に雇甚するだけでなく、生協も含めお党䜓ずしお䞻婊の劎働を地域で協同化しおいくこずを考えなければいけない時代にきおいる」352頁ず述べおいる。このように述べるこずで川口は革新統䞀戊線ずいう共産党の埓来の方針では包摂できないような新しい運動が起きおいるこずを認めおおり、協同組合運動の新しい波が劎働者協同組合運動ずしお展開されおいるこずも知っおいる。しかしその運動に察しおどうするかずいう方向性は提起できおはいない。

『生協21䞖玀ぞの挑戊』倧月曞店、幎

 この本は先に取り䞊げた本を出版した京郜の研究䌚が匕き続きICA東京倧䌚に向けお甚意したもので、そこでは京郜の研究䌚が母胎ずなっお珟「くらしず協同の研究所」を準備しおいるこずが公衚されおいる。ここでは第章の第節「消費の組織化」戊略ず事業連垯、に぀いお玹介しおおこう。「消費の組織化」に぀いお、前の本では序文で觊れられおいるだけであるが、この本では戊略ずしお展開されおいる。

 たず、「消費の組織化」に぀いお次のように定矩づけられおいる。

 「消費の組織化ずは、䞖垯組織率20にもかかわらず小売シェア2.6ずいう珟圚の事業氎準を飛躍的に高めお、結果ずしお小売シェアを䞖垯組織率なみに匕き䞊げるこずをいう。より性栌にいうず、生協の事業掻動が組合員生掻の党般をカバヌできるように、その幅ず深みを぀けるずいうこずがねらいである。これは、共同賌入業態だけでは達成の出来ない課題であり、店舗業態の展開が必芁䞍可欠ずなる。」134頁

 ずころが店舗業態は倧手スヌパヌずあらゆる面での競争にさらされるため、「個別の地域生協だけでは容易に達成できない課題である」134頁ので、「消費の組織化」は個別地域生協を越える事業連垯の成吊にかかっおいるずいうのである。

 この地域的連垯が、県境を超えたリヌゞョナルな事業連垯である。これは日生協傘䞋の䞊䜍30生協倚数者生協日生協党䜓の事業高の60を占めるを䞭心に取り組たれ始めおいる。

 ここには本来「地域」生協ずしお出発した倚数者生協が、事業の拡倧の䞭で「消費の組織化」ずいう地域䜜りずは異なる目暙を掲げおいるこずが刀明する。このこずは80幎代ずいう日本経枈のバブル期に、先の本で述べられおいるような、地域䜜りの取り組みが圢をなさなかったこずの垰結ずしお、事業高の䌞匵に地域での圱響力の拡倧を倢芋たもののように思われる。珟実には90幎代こそ地域䜜りが問われおいた。この時期に「消費の組織化」戊略で、結果ずしおは䌞び悩み、店舗事業の倱敗に陥ったのだが、これをどう総括するのだろうか。

『協同組合の新䞖玀』コヌプ出版、1992幎

 この本は1992幎に東京で開かれたICA䞖界倧䌚に向けお生協総合研究所が線集したものである。ICAは日本の生協が班共同賌入で拡倧しおいっおいるこずに泚目しおおり、その泚目に察する察応ずしお線集されおいる。

 序章第䞀節「日本型生協モデルの圢成ず発展」では日本型モデルを「組合員自身の掻動をもずに、組織ずしおの班、事業ずしおの共同賌入を䞭心ずしお70幎代以降珟圚たで発展しおきた運動」9頁ず捉え、ペヌロッパの生協が停滞したのに察しお日本が発展できた理由に぀いお次の䞉぀の芁因を挙げおいる。

 「第䞀の芁因は、組合員䞭心の運営に培し、その力でもっお発展の原動力ずしおきたこずである。『班』ずいう組合員組織、『共同賌入』ずいう䟛絊圢態の結合がたさにそれであり、日本以倖のいずれの囜にも䟋をみない方匏である。
 第二の芁因は、日本はペヌロッパのように戊前においお生協の確立をみるこずなく、60幎代に足掛かりを぀け、70―80幎代に発展ぞの道を開いた若い運動であったずいうこずである。これには時代的な背景も有利に働いた。日本経枈の発展ず期を䞀にしたこずが生協に量的成長をもたらすずずもに、高床経枈成長政策の歪みから生じた生掻の芋盎しず改善の機運は、䞻婊を䞭心ずする生協の組織に運動的な広がりを䞎えるこずになった。これはペヌロッパの生協が戊前においおすでに成長期から安定期に達し、60幎代以降衰退期に陥るなかで瀟䌚ず経枈の激動に遭遇し、盞察的に力を倱っおいったのずは倧きく異なるずころである。
 第䞉の芁因は、日本の䞻芁な倧孊には生協があっお、その人材が60幎代の埌半から70幎代にかけお、各郜道府県に栞ずなる生協を぀くるために、意識的に参加し、集䞭的に努力したずいうこずである。䌝統ず経隓のある生協ずこうした新しい生協が、力を合わせお運動をすすめおきたずころに、発展の原動力がある。このなかでの倧孊生協の存圚ず地域生協づくりぞの貢献は、日本以倖にはみられない特城である。」10頁

 これらをたずめお次の䞉぀の利に敎理しおいる。

(1)「理の利」 組織ず事業のわかりやすさ 班ず共同賌入
(2)「時の利」 経枈成長ずいう远い颚ず生掻の芋なおしの気颚
(3)「人の利」 運動意識を備えた人材の力

 次に第二節「時代、事態、自䜓の芋盎し」を芋おみよう。

(1) 瀟䌚倉化のトレンドに぀いお次の項目が挙げられおいる。
 䜎成長の垞態化 資本䞻矩経枈の矛盟の拡倧 グロヌバル化ずブロック化の矛盟 南北栌差の激化 資源環境問題の深刻化 日本における「政治危機」 生掻構造ず意識の倉化―生掻重芖ぞ145頁

(2) 生協自䜓に内圚する倉化促進の芁因ずしお次の諞項目が挙げられおいる。
 経営環境激倉のなかでの生協 小さなパむの奪い合いの時代ぞ 資本䞻矩経枈の矛盟増幅になかでの生協 協同の理念や非営利組織ぞの期埅が高たる 資源環境問題の深刻化のなかでの生協 資源ず環境保党の枠内での経枈運営 生掻構造ず意識倉化のなかでの生協 商品はほしいが班はわずらわしいずいう人ぞの察応 転換点を迎え぀぀ある生協 䌁業の寿呜は30幎、時代の転換ず生協の転換期が䞀臎しお到来しおいる。168頁

 さらに第䞉節「生協運動の党面開花にむけお―今埌の生協運動の芖座の確立」では次のように問題提起がなされおいる。

(1) 求められる発想の転換 䞉぀の利の消倱に察する察応。ベヌク報告の匕甚、協同組合の䟡倀ず矛盟しない経枈的な効率性の远及、ず組合の民䞻䞻矩的な運営。
(2) 新しい芖座に求められるもの 日本的経営の芋なおしず生協の芖座 生協䞭心䞻矩の克服 生掻意識行動の倉化ず生協の芖座 生きがいず働き甲斐の区別 内なる改革芁因ず生協の芖座  日本的集団䞻矩のよいずころずしおの班共同賌入、これはい぀たでも続かない、倚様な広がりが必芁。創業者であるトップの亀代の問題。
(3) 協同組合運動発展ぞの確信 確信をもずに新しい芖座で掻動する。1925頁

第章 90幎代危機の総括

CRI協同組合総合研究所

 21䞖玀生協理論研究䌚ずは、コヌプ神奈川などが蚭立した研究所であるCRIの研究プロゞェクトの䞀぀である。この研究所は90幎代初頭に起きたコヌプ神奈川の玛争に端を発した改革運動をリヌドしおきた。この研究䌚も改革をどう進めおいくかずいう問題意識からもたれおいる。

『珟代生協改革の展望』倧月曞店、2000幎

 この本の副題には「叀い協同から新しい協同ぞ」ずある。埓来の䞻流の生協運動が土台ずしおきた協同は叀い協同であり、今こそ新しい協同によっお生協運動は改革されおいかねばならない、ずいうのが基本的䞻匵である。

 では叀い協同ずは䜕かずいえば、同質者の協同であり、新しい協同ずは異質者の協同であるずいう。叀い協同ずは日本的共同性に基づく日本的同質性によるもので、異質者を排陀しおきたが、90幎代に入っお、ポスト工業瀟䌚ずなり、瀟䌚から日本的同質性が倱われおいったずきに、この叀い協同も機胜しなくなった、ずいう。したがっお新しい協同ずは、ポスト工業化された瀟䌚が生み出した異質者の協同が実珟できるような内容でなければならないずいうのである。匕甚しおおこう。

 「工業化段階の協同は、同質的な人間を前提にした協同であり、叀き共同性を前提にした協同であった。しかしこのような協同は解䜓したのである。  生協改革の出発点で登堎し、  ここに珟われたのは自由な個人の萌芜なのである。自由な個人が自らの芁求に照らしお、旧来の協同の問題性を培底しお暎露し、新たな人ず人ずの結び぀き協同を暡玢し始めたのである。぀たり、物象的な関係ずしお展開する関係性に察しお、それを自らの内面に即しお批刀的に吟味し内実化しようずしおいるのである。」2930頁

 二぀の協同に぀いおのもっず具䜓的な区別に぀いおはさらに次のように述べられおいる。

 「叀い協同ずは、第䞀に共同䜓ぞの䟝存や共同䜓ぞの郷愁を䌎った協同であったずいう点である。  第二は、日本経枈がこれたでそうであったように、倧量生産倧量消費に䟝拠した協同であったずいう点である。  第䞉は、少数代衚民䞻䞻矩による協同であったずいう点である。  第四は、むデオロギッシュな協同であったずいう点である。
 新たな協同の特城は次の通りである。
 第䞀に、同質で集団䞻矩的な協同から異質で倚様な個人の協同ぞの転換である。  その前提は共同䜓の完党な解䜓であり、個人の自由な発展である。  第二に、共通の倚数ニヌズを満たす協同から倚様な個別ニヌズを远求する協同ぞの転換である。  第䞉は、少数代衚民䞻䞻矩による協同からコミュニケヌションず情報公開に䟝拠した参加型民䞻䞻矩による協同ぞの転換である。  第四は、協同組合䞭心の動員型のむデオロギッシュな協同から倚様な事業䜓や運動䜓によるネットワヌク型の自発的な協同ぞの転換である。  指導原理や組織原理の優先した抑圧的な運動ではなく、自埋的個人を優先する運動ぞず転換されるのである。」757頁

 ではこのような問題提起はどのような実践的裏づけを持っおいるのだろうか。それはこの本でも明蚘されおいるように、ちばコヌプず宮厎県民生協の経隓である。

ちばコヌプ

 組合員ずのコミュニケヌションを生協運営の基本に据えおいるのがこの二぀の生協であるが、たずはちばコヌプが先導し、宮厎県民生協がそれに孊んでシステム化し、䞀旊停滞しおいたちばコヌプが宮厎県民生協に孊んで珟行のシステムを圢成したずいうこずである。

 ちばコヌプの「改革の目的は、(1)組合員の声を聎き続ける仕組みづくり、(2)組合員の声に応え続ける仕事スタむルづくり、(3)組合員の声を実珟する組織䜓質づくり、(4)思いを事業化できる生協づくり、であった。」229頁

 「ちばコヌプの組合員の声を聎く仕組みずしおは、䞻に次のようなものがある。
『ひずこずカヌド』―組合員が日垞的に意芋を寄せるカヌド。
『500人アンケヌト』―商品だけでなく、さたざたな意芋を集玄。
『コミュニケヌション日報』―職員が察話のなかでの組合員の声を報告。
『ひらめきカヌド』―職員の業務改善提案。
『ポストむット』―店舗での声のメモ。
 その他にも、班䌚や地区委員䌚でのさたざたな声が集玄される仕組みがある。」2301頁

 宮厎県民生協ずの違いは生協の倖でのNPO掻動が盛んなこずだずいう。

 しかしちばコヌプのやり方を、日生協倚数者生協が導入しようずしおも、䜙りうたく行っおはいない。ずいうのもちばコヌプの堎合䟡倀芳の転換が図られおいるからだ。この問題をヌキにするず、「声を聎く」掻動もクレヌム凊理に矮小化されるこずになっおしたうのであろう。

宮厎県民生協

 「よくするカヌドよかったよカヌド」担圓者日報 組合員の声を聞く仕組み など。(詳しくは『珟代生協改革の展望』補論、参照)

第章 議論をどう受け止めるか

 日生協の90幎代危機

 堀越論文「生協経営危機ず経営改革」䞭川雄䞀郎線『生協は21䞖玀に生き残れるのか』倧月曞店、2000幎、所収によれば、生協の「経営危機の珟出の分岐点は89幎および91・92幎のこずであり、このこずの状況把握ができなかったこずがその埌の危機を増幅させおいった」ず分析しおいる。危機の指暙は「芏暡の拡倧が面積効率を䜎䞋させる」ずいうこずであり、店舗郚門の赀字を共同賌入の黒字によっお補うずいうそれたでのやり方が、倧芏暡店舗の拡倧ず、共同賌入の頭打ちで厩れおいくずいう芋ずおしであった。

 ずころが珟実には、90幎から92幎に「共同賌入から店舗䟛絊ぞ」「小芏暡店舗から倧芏暡店舗ぞ」ず政策䞊の倧転換が進められ、それが94幎以降も継続されるこずで、経営危機が珟実のものずなったずいうのである。

 この危機に察しお、「消費の組織化」ずいう埓来のやり方の延長に、リヌゞョナル事業連垯の動きが進められおおり、これに察しお䌁業化ず捉えお、コミュニケヌション型の生協や、コミュニティ貢献型の生協が構想されおいるずいうのが珟状であろう。

 消費の組織化論

 これは生協の運動を賌買運動ず捉えるずころからきおいる。これには二぀の傟向があり、䞀぀は経営者支配論で指摘されおいる、経営者グルヌプの経営の芏暡拡倧ぞの衝動に基づいおいる。もう䞀぀は地域での賌買力を組織するこずで、革新統䞀戊線の裟野の拡倧が図れるずいう思惑である。埌者に関しおいえば、消費を組織しお埗られるものは、新しい瀟䌚運動の進展であっおも政治的な運動ぞの回収ずはならなかった。そしおいわゆる「民䞻的勢力」は新しい瀟䌚運動に敵察的感情を持っおいたのである。

 コミュニケヌション型生協論

 賌買力の組織化が政治的運動には぀ながらないこずを認め、組合員の䞻䜓をそれずしお認めるこずからコミュニケヌション型生協の詊みは始たっおいるように思われる。ちばコヌプの䟋のように、これによっお生協を地域に開き、地域での組合員の掻動により添う圢で展開できおいけば、面癜い取り組みになる可胜性はある。しかし、このやり方を生協の䟛絊高の増加ずいった芳点からたねをしおもうたく行かないように思われる。コヌプ神奈川の研究所の『珟代生協改革の展望』に矎森論文が茉っおいるが、そこでは協同組合䞻矩を批刀し぀぀政治的な運動の基盀ずなるような生協運動をコミュニケヌション型を採甚するこずによっお実珟しようずいう想いが語られおいる。これも運動実態から離れた議論のように思われる。

 コミュニティ貢献型生協論

 これはいただ少数掟であるが、21䞖玀ずいう尺床で芋れば怜蚎に倀する。もずもず日本の生協運動も、60幎代埌半から70幎代にかけお、垂民生協が飛躍的に拡倧するたでは、生協は劎働者の犏祉運動ずしお展開されおいた。この芋解の䞭心的論者の䞭川はむギリス協同組合の専門家で、むギリスの堎合生協ずいっおも日本のように䞻婊の運動ではなく、劎働者の運動であるこずを玹介しおいる。もし日本でも生協が地域䜜りに぀いお本栌的に関わろうずするならば、地域での劎働組合連合退職者の䌚や劎犏協などずの連携が日皋に䞊るこずだろう。

 協同組合䞻矩

 生掻クラブ連合䌚第4次䞭蚈より。

(1) 食の自絊力向䞊
(2) 持続可胜な埪環型瀟䌚づくり
(3) 協同する地域瀟䌚づくり
(4) 「協同組合の䟡倀ず原則」の重芖

 䌝統的巊翌の目からすれば、このような課題は改良的な芁求に芋える。それよりは革呜的な芁求ずいっおも議䌚政冶の枠内での芁求だがや抵抗の闘いが奜たしいのである。日生協の倚数者生協に比べ、石鹞掟の生掻クラブやグリヌンコヌプは、協同組合䞻矩の立堎をずっおいる。それは創業者の岩根氏や歊田氏の理論に顕著である。

 歎史的に芋お、協同組合運動は色々な政治勢力に利甚されこそすれ、自らのアむデンティティに基づく運動を展開できた䟋が少ない。戊埌ではモンドラゎンが唯䞀の䟋であろう。そしおモンドラゎンを評䟡したレむドロり報告を受け止めた日本の生協運動の䞀郚に、協同組合䞻矩的立堎が圢成されおいる。

 珟圚の協同組合䞻矩の立堎は、たず、囜家暩力を掌握しなければ瀟䌚革呜は始たらないずいう巊翌諞政党の考え方を吊定する。瀟䌚倉革はいたここで遂行されおいく課題ずしお受け止めるこずが必芁なのである。

 この考え方からすれば、日本における瀟䌚倉革の課題は、日垞生掻に関わる課題の解決ずいう問題ずなる。たず、蟲業の自絊力の回埩であり、食や生呜䜓に぀いおの食料䞻暩の確立であり、ごみ問題のEPR完党実斜による解決であり、地域のコミュニティ䜜りによる子育おや高霢者ぞの察応であり、  その他諞々である。

 これは埓来最倧限綱領いたの瀟䌚で実珟できる芁求ずしおの最小限綱領に察比しお、将来の瀟䌚でしか実珟できない芁求のこずをこう呌んだ呌ばれお、将来の問題ずされおいた芁求をいたここで実珟するずいうこずずしおの意味を持぀圓面の芁求の確定ずいうこずになろう。この芁求の確定は、新たな生協運動のプログラム䜜成ずしおの意矩を持぀ず思われる。

 新たな生協運動の課題

協同組合䞻矩の芋地から、生協運動を䜍眮付ける。

 協同組合䞻矩が運動の䞭心的な思想ずならざるを埗ない時代の登堎。䞀口で蚀えば、資本䞻矩が生産䌁業䞭心の時代から、お金にお金を生たせるこずが䞭心ずなる時代ぞ移行し、人々の生掻が䞞ごずこのお金儲けのシステムから排陀される時代ずなっおいるこず。生産䌁業は劎働者を雇甚しおいる関係で劎働者の生掻に関心を持っおいたが、投資ファンドは人々の生掻に関心はない。これがい぀たで続くか刀らないが、このような時代には自助・協同を掲げた協同組合の圹割は倧きくなるこずは間違いない。

いたここでの問題解決型の芁求の持぀意矩を明確にする。

 「瀟䌚改良」ず芋なされお、巊翌の運動家からは意矩のない闘いず芋られおいた瀟䌚問題の解決が、瀟䌚倉革ずしおの意矩を持぀こずを明確にしよう。瀟䌚問題の解決は、いたの瀟䌚に新しい文化を発信し、この文化が察抗文化ずしお、瀟䌚倉革の際に芁求される重みに寄䞎する。

個々の問題の解決に぀いおのプログラムを策定する。

 解決しない瀟䌚問題はありえない、ずいう立堎で解決のためのプログラムを䜜成する。問題が解決しないのはさたざたな利害関係者盞互の争いが続くからである。問題解決にずっおどの関係者が障害ずなっおいるかを瀺すこず。容リ法改正で象城されるごみ問題は最初の課題だろう。

プログラムの実珟可胜性

 プログラム䜜成時に出おくる疑問は、圹に立぀のか、実珟可胜かずいう問題である。これに察しおは、珟代の経枈システムにあっおは人々は無意識のうちに意思支配されおいお、自分がいいず考えるこずでも、珟実には実行できないずいう矛盟があるこずを認めるこずから出発すべきだろう。プログラムが存圚するこず自䜓が倧切なのである。

生協運動の仕組みの確定

 旧来の生協運動では、産盎運動・働く堎䜜り運動・地域䜜り運動の䞉぀を掲げおきた。途䞭から商品政策や共同賌入運動が提起された。そしお経営基盀の確立は、なかた䜜り運動ずしお、業務ず組む圢で取り組たれおきた。

 いた必芁なこずは、コミュニケヌション型生協運動にどう孊ぶか、たたコミュニティ貢献型生協運動をどのようにしお実珟するかずいう課題を解決しお、生協運動の仕組みを確定するこずであろう。

 生掻クラブ連合䌚が共同賌入事業を軞にしおいるこずに孊び、共同賌入事業をたずたおた䞊で、共同賌入運動・産盎運動・働く堎䜜り運動・地域䜜り運動をそれぞれ䜍眮付けるこずが問われおいるように思われる。

 共同賌入事業に理事䌚ず組合員はどのように関わるのか、このこずの怜蚎が、コミュニケヌション型の生協運動を構想するずきに問われおくるだろう。そしおコミュニケヌションを、生協を地域に開くような圢で実行できるようにする仕組みは可胜なのだろうか。これは実践的な課題である。






Date:  2006/8/2
Section: å”同組合運動研究
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