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協同組合運動研究会の術語集 第3章 文化知の方法


協同組合運動研究会の術語集 第3章 文化知の方法


協同組合宣言起草委員会 2000.6.5

はじめに
第1章 商品とは何か
 1)商品の使用価値について
 2)お金(貨幣)について
 3)商品から貨幣が生れる
 (1)財の商品化とは (2)商品化の裏面にある共同行為
第2章 商品の価値形態と貨幣
 1)商品の貨幣性-価値形態の秘密-
 (1)市場経済とは何か (2)商品とはなにか (3)商品の社会性 (4)鏡のたとえ
 2)価値形態と貨幣
 (1)商品の価値形態の発展 (2)商品世界での統一的秩序 (3)秩序形成における困難 (4)意志支配の条件 (5)抽象化の二つの様式 (6)存在の様式と思考の論理の不一致 (7)判断形式の特質
 3)商品・貨幣はなくせるか
 (1)物象化と物神性 (2)商品の共同行為 (3)本能的共同行為 (4)商品・貨幣の廃絶とは (5)新たな文化圏とネットワークの意味
第3章 文化知の方法
 1)科学知の問題性
 2)科学知批判の方向性
 3)文化知のイメージ
 4)関係の捉え方
 5)価値形態の解読
 6)価値形態の秘密と謎
 7)価値形態論の方法の抽出
 8)文化知の方法

第3章 文化知の方法


1)科学知の問題性


 今日、知の王座に科学知が君臨しています。しかし、科学は人間の知の一つの形態であり、それが宗教知をはじめとするその他の知の形態に対して優位にある、ということは必ずしも言えなくなってきました。

 例えば、科学知は対象を科学的に捉えることでそれを人間が利用する技術を発達させ、そうすることで社会の生産力を増大させることに役立ってきました。産業革命以降の工業社会の発展に、科学と技術は大きく寄与してきたのです。ところが、工業社会の発展が、地球の生態系の撹乱要因となって人類の将来世代の生存を危機におとしいれていることが判明してくるなかで、持続可能な社会システムの形成が課題となってきています。この重要な課題に対して、科学知では解決する方法を明らかにできないことが判明してきたのです。

 以前から巨大科学技術の弊害は指摘されてきました。また、大量生産、大量消費、大量廃棄を野放しにしている市場経済を批判し、ライフスタイルを代え、身の丈の技術を復興させようとする運動も始まりました。さらに、科学は、人生いかに生きるべきかに回答をもたないといった批判を投げかけられ、科学知を相対化する試みも続いてきています。そして、宗教知やオカルト知が若者の間でもてはやされています。しかしまだ、科学知の君臨をゆるがせるには至っていません。

 何故でしょうか。その理由は簡単です。科学知に批判的な人たちも、持続可能な社会システムの形成のための方法を明らかにすることが出来ていないからです。今や、今日の社会のうちにあって持続可能な社会システムを形成していく、社会形成の方法を明らかにすることが問われています。

2)科学知批判の方向性


 今日、持続可能な社会システムを形成していくための社会形成の方法を明らかにすることが問われている、ということが判明すれば、科学知の限界もまた明らかとなってきます。というのも、科学知では、人間の社会生活にとって非常に身近なものである商品や貨幣、言語や意識、さらには政治や宗教について解明できていないからです。

 そして、望ましい社会を形成していく方法を明らかにしようとするなら、今日の社会生活にとって身近なこれらのものについての知識が、大勢の人々に共有されていなければなりません。

 従来からも価値観を変えようという提案はなされてきました。価値観を変える事で自身のライフスタイルを代え、そのような人々が増えていけば社会を変えていける、という考え方がそれでした。しかし価値観のレベルなら、一人一人異なります。そして、価値観の一致を追求すれば、宗教的な共同体を志向する事にしかならないでしょう。

 価値観は多様であっていい。市場経済がつくりだす支配的な価値観に異議をとなえる価値観は人の数だけあっていい。問題は、人間の社会生活にとって身近なもの、それはみな人間の社会関係に他なりませんが、それに対して多くの人々が共有できる知識ではないでしょうか。

3)文化知のイメージ


 商品や貨幣、言語や意識、さらには政治や宗教などの人間の社会関係についての知を新たに文化知と呼ぶことにします。この文化知は何よりも関係についての知識であることを要求されます。もともと、科学知は、対象についての主体の認識であり、関係についての知はその方法の枠外にあります。かろうじて哲学が関係について考察してきていますが、しかし実はあがっていません。というのも、哲学は関係一般を問題にしてきたからです。

 関係というものの捉えにくさ、このことはヘーゲルにはよくわかっていました。ヘーゲルは意識を対象と自我との関係と捉え、意識の現象学を書きましたが、これは一つの試論にとどまっています。

 マルクスは『資本論』の冒頭で商品の分析をしました。そのなかの価値形態論(初版本文)を書くときに、ヘーゲルの弁証法が非常に役に立ったと述べています。実は価値形態論は、商品と商品との関係として現象している、人間の社会関係の解明でした。この関係の解明にあたり、意識を関係と捉えて『精神現象学』や『論理学』を意識についての学として記述したヘーゲルが役に立ったのは、関係の解明という共通点があったからでしょう。

 ところで『資本論』で一番理解しがたいところは価値形態論だと言われています。その理由は、価値形態論は科学知では解明できず、マルクスが科学の方法とは別の方法を適用していることにあるでしょう。ところが、読み手の方は科学の方法に則して理解しようとするから、理解できないのです。

 そこで発想を転換して、マルクスが商品の価値形態の解明に用いた方法を抽出してみることにしましょう。このように考えると、その方法は意外と単純なものであることがわかります。もっとも科学の方法とは異なりますので、最初は面くらいますが。それはともかく、この抽出した方法を、今度は、言語や意識、さらには政治や宗教を解明する際に適用してみるのです。そして、これらの他の社会関係について、共有できそうな知識が得られるとすれば、これは文化知の方法として認める事が出来るのではないでしょうか。

4)関係の捉え方


 まず、1台のテレビ=2着のスーツという商品の簡単な価値形態に戻りましょう。この関係の背後には、テレビの販売者が自分のテレビをスーツとなら交換してよいという、テレビ販売者の欲望があります。しかしこのことは考慮せず、この関係を、テレビがスーツで自分の価値を表現している形態、として捉えてみましょう。

 テレビもスーツも使用価値であり、感性的なものです。ところが二つの使用価値が両極となって関係が成立したとき、この関係は、使用価値以上のあるものを現わしています。テレビとスーツは異なる使用価値ですから、それが等しいというとき、等しいものは、使用価値ではなく、そして、関係というものは一般に等しいもの(同一性)の表示として意義をもっています。つまり関係にあっては、両極にある異なるもの(差異)が双方の等しい質(同一性)を表示しているのです。

 ところがここで一つの困難があらわれます。というのも関係にあっては、両極にあるものそれ自体は五感で捉えられる感性的なものですが、関係自体は五感では捉えられない(超感性的な)ものであり、ただ思考によって捉えられるに過ぎないからです。だから関係の両極は、関係から切り離されたものとしては感性的なありふれたものですが、関係の両極としては、それは思考によってしか捉えられない観念的なものとしての意義をもつことになります。つまり、両極にあるものは、関係を結んでいるなかでは感性的なものでありながら、同時に超感性的なものである、という二重物に転化しているのです。

 これが関係一般を捉える方法であり、マルクスが商品の簡単な価値形態を解明するのに用いたものです。そして、マルクスが価値形態論で新しく発見したものは、価値関係における同一性の存在様式でした。マルクスは1台のテレビ=2着のスーツ、という関係のなかに、テレビが自分に等しいものとしてのスーツに関係していることを読み取ったのでした。

5)価値形態の解読


 自分の価値を他の商品で表そうとする相対的価値形態にあるテレビは、自分に等しいものとしてのスーツと関係することで、スーツを等価形態にします。そうすることで、等価形態にあるスーツに購買力が生じます。このように、商品の価値とは、商品の価値形態のなかで関係としてしか存在しない同一性であり、社会的な実体なのです。

 価値の実体が労働であり、抽象的人間労働だと言っても、テレビもスーツも労働生産物だから同一性があるという分析的抽象によって得られた思考産物ではなく、現実に価値形態のなかで行なわれる抽象作用にもとづいて形成されるものです。例えば、テレビはスーツを自分に等しいものとするこの関係のなかでの同一化によって、スーツをテレビと同一のものに抽象します。そして、この自分に同一化したスーツで自分の価値を表現しているのです。これは思考が行う分析的抽象とは異なる様式の抽象化であり、事態抽象とでも呼ぶ他はありません。テレビとスーツは、この関係のなかでお互いを抽象しあい、関係のなかでしか存在しない同一性である幻のような対象性としての抽象的人間労働を、超感性的に現象させているのです。

6)価値形態の秘密と謎


 このことが判明すると、テレビがスーツを自分に同一化してスーツで自分の価値を表現する、というこの簡単な価値形態にあっても、すでにスーツがこの関係のなかで形態規定されて、自然物としてのスーツがそのままで価値の化身とされていることがわかります。ここに価値形態の秘密があり、そして、自然物が価値の化身とされることで、自然物が生まれながらに社会的な力をもつようにみえる、貨幣の物神性につながる等価形態の謎的性格が発見できます。

 さて、商品の価値形態とは商品の社会関係のことでした。商品の社会性は、単独では示せず、関係のなかで成立するものでしたが、その関係のなかで相手を価値の化身とすることで、社会性の代表にしています。このように、商品の社会性は直接表示できず、他の商品との関係で等価商品を社会性の代表とし、そのもので自らの社会性を表現するという回り道を必要とします。そしてこの回り道は、単一の商品を等価形態に置く、商品の一般的価値形態の成立によって、全ての商品がお互いに一般的等価物と関係することで、お互いに社会的なものとして認め合える、という形で完成されます。

 この一般的等価物は、個別の商品に対しては社会性を代表するものとして類的な存在です。分類学の世界では、類的なものは、概念として存在するものの、個物としては存在していません。ところが商品世界では、貨幣という類的な商品が、個物として存在し、そしてその類としてある個物による個別の商品の支配が起きていきます。

7)価値形態論の方法の抽出


 ここから導かれる方法を定式化してみましょう。まず、商品の価値形態は、超感性的な現象形態をもつ、ということでした。感性的な両極が、超感性的な現象形態の担い手になっているのです。次に、差異ある両極は、関係でもって同一性を表示していますが、この同一性は、関係としてしか存在しない実体、つまり、抽象的人間労働でした。そして、両極にあるものは、関係のなかで、超感性的な現象形態によって感性的なものでありながら超感性的な質をもつ二重物に転化されます。価値関係のなかでは、スーツという自然物が購買力という社会的力をもつに至ります。自然物が超感性的現象形態によって形態規定され、新しい質をもつわけです。

 価値形態にあっては、等価形態にある商品の自然的形態が、そのままで価値の化身にされていること、このことが価値形態の秘密でした。そして、価値の化身とされることで生じる社会的力が、自然物そのものにそなわっているように見える等価形態の謎性も生じてきます。そして、他者を価値の化身とすることで自己の価値を表現する、という回り道は、ある種の共同行為のもとではじめて社会的に妥当なものとなります。

 このような関係のうちで成立している実体は、抽象的人間労働といっても思考による分析的抽象の産物とは異なるものであり、関係のなかでお互いに抽象しあう事態抽象の産物です。そして、この事態抽象の世界では、思惟抽象とは異なって、類的なものである貨幣が、個物として存在し、これが社会性の代表とされているのです。

8)文化知の方法


 マルクスが価値形態論の解読に用いた方法を、他の人間の社会的関係に適用していくための方法として、さらに一般化してみましょう。

 まず第一に、人間の社会的関係とは、超感性的な現象形態であることを認めることです。そして、この超感性的な現象形態は、単なる観念ではなく、関係の両極が互いに他者のうちに自己をみる反照関係であり、そういうものとして両極を二重化し、両極に超感性的な社会的形態規定を与えているのです。

 第二に、この超感性的な現象形態を同定していくために不可欠なものは、関係としてしか存在しない実体の発見です。この実体自体超感性的なものですが、それは、異なるものの間の社会的同一性であり、社会的関係の相異によってそれぞれ別の実体となります。

 第三に、関係の両極が超感性的な現象形態を指すことで、感性的な両極が同時に超感性的なものとして二重化されますが、その際に、一方の極は自然物そのものが社会的なものの化身とされることになります。これは、超感性的な現象形態によって両極が形態規定されることで、自然物が新たに社会的な力をもつこととして理解されねばなりません。

 第四は、自然発生的な社会関係にあっては、社会性は回り道をして表示されざるを得ず、極の二重性は展開されて、社会システムの形成にむかう、ということが予想されるべきです。

 第五に、それぞれの社会システムにあっては、類的なものが個物として存在し、個別の極は、この類的な個物との関係でお互いの社会性を確認しあっていることが知られるべきです。

 第六に、人間の社会的関係における超感性的な現象形態の理解が困難なのは、この関係にあっては、思考が行う分析的抽象とは異なる事態抽象がなされているからです。このことを認めることで、事態抽象の様式が了解されねばなりません。

 最後に、人間の社会的関係にあっては、存在そのものがあたかも思考し、判断を下しているかのような概念的存在様式をとっていることです。ここから人間は種々の社会関係に意識や意志をあずけることになり、社会的無意識を生成させています。

 それでは、この方法で種々の社会関係の解明に取り組んでいきましょう。




Date:  2006/1/5
Section: 協同組合運動研究会の術語集
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