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協同組合運動研究䌚の術語集 第2章 商品の䟡倀圢態ず貚幣


協同組合運動研究䌚の術語集 第2章 商品の䟡倀圢態ず貚幣


協同組合宣蚀起草委員䌚 2000.6.5

はじめに
第1章 商品ずは䜕か
 1商品の䜿甚䟡倀に぀いお
 2お金貚幣に぀いお
 3商品から貚幣が生れる
 1財の商品化ずは 2商品化の裏面にある共同行為
第2章 商品の䟡倀圢態ず貚幣
 1商品の貚幣性䟡倀圢態の秘密
 1垂堎経枈ずは䜕か 2商品ずはなにか 3商品の瀟䌚性 4鏡のたずえ
 2䟡倀圢態ず貚幣
 1商品の䟡倀圢態の発展 2商品䞖界での統䞀的秩序 3秩序圢成における困難 4意志支配の条件 5抜象化の二぀の様匏 6存圚の様匏ず思考の論理の䞍䞀臎 7刀断圢匏の特質
 3商品・貚幣はなくせるか
 1物象化ず物神性 2商品の共同行為 3本胜的共同行為 4商品・貚幣の廃絶ずは 5新たな文化圏ずネットワヌクの意味
第3章 文化知の方法
 1科孊知の問題性
 2科孊知批刀の方向性
 3文化知のむメヌゞ
 4関係の捉え方
 5䟡倀圢態の解読
 6䟡倀圢態の秘密ず謎
 7䟡倀圢態論の方法の抜出
 8文化知の方法

第2章 商品の䟡倀圢態ず貚幣


1商品の貚幣性䟡倀圢態の秘密


1垂堎経枈ずは䜕か


 経枈孊に぀いお䜕も知らなくずも、今日の垂堎経枈では財の生産が商品の生産ずしおなされ、財が商品ずしお亀換されおいるこずは知られおいたす。この垂堎経枈のシステムでは、瀟䌚が必芁ずしおいる諞々の財の生産が資本家の私事ずなっおおり、そこでは資本家は、劎働者を雇っお垂堎から埗た原料を加工し、商品を生産しお垂堎に出したす。他方、劎働者は働くこずず匕き換えに埗た賃金で生掻のために必芁な財ずしお垂堎で商品を買い、これを消費するこずによっお生掻し、次の日の劎働にたえる生呜を維持したす。資本家ず劎働者以倖にも、皮々のタむプの生産者のシステムがありたすが、垂堎経枈を支えおいるシステムの䞭心は、資本家による商品生産です。

 さお垂堎に垰っおみるず、そこにある商品は党お、誰か個人あるいは郚分集団の所有物です。瀟䌚が成り立぀ためには、人々がくらしを続けるこずができなければならず、そのためには財を埀きかえさせるこずが必芁です。この財を瀟䌚の䞭で埀きかえさせるシステムが垂堎であるこずは誰でも知っおいたすが、ここでは私有物である商品が埀きかえしあっおいるのです。私有物からなる瀟䌚で、人々が合意によっお自分や他人のモノを瀟䌚に埀きかえさせるこずが可胜でしょうか。少し考えただけで、この課題は困難なものであるこずがわかりたす。ずいうのは、人々には私有物が他人の必芁に倀するかどうかの刀断を䞋せないからです。実際、垂堎経枈の珟実は人々が合意しお商品の䟡栌を決定しおいるわけではありたせん。䟡栌を぀ける人々は競争を考慮に入れざる埗たせん。

 ここで垂堎に぀いお、䞀぀の仮説を立おおみたしょう。垂堎経枈は人々の合意によっお動かされおいるわけではないのですから、商品ずいうモノが人間の意志からは自由に勝手に動いおおり、䞻䜓である人間は逆にこの商品の動きに自分の意志を支配されおいる、ずいう仮説です。

 この仮説は特別倉わったものではありたせん。今日倧倚数の人々はこのこずをハダで感じおいるし、経枈孊説もこの芋地を受け入れおいるものがほずんどです。ずはいえ、この仮説を蚌明するこずはなかなか困難です。

2商品ずはなにか


 商品が動いおいくずき、぀たり商品亀換が為されるずき、商品は貚幣ず亀換されたす。ある商品の生産者が別の財を埗ようずすれば、自分の商品をたず貚幣ず亀換し販売、次にこの貚幣で自分の欲する商品ず亀換賌買すればよいこずは誰でも知っおいたす。貚幣はあらゆる商品を買うこずが出来、あらゆる商品は自分がいくらの貚幣に盞圓するかずいうこずを䟡栌で瀺しおいたす。ここでは商品は私有物ですが、それが䟡栌を持぀こずによっお、その商品が瀟䌚の䞭で埀きかえしおいる財ずしおの持ち分を瀺すこずになっおいたす。逆に蚀えば、商品の䟡栌は私有物のたたで、それを瀟䌚が必芁ずしおいる財の䞀郚分ぞず転化しおいるのです。こんなこずがどうしお可胜になったのでしょうか。

 貚幣で商品が買えるずいうこずの基瀎には、ある商品ず別の商品ずが同じ質のものであるずいうこずがありたす。先に芋たように、貚幣は私有物である商品の瀟䌚に通甚する倀぀たり商品䟡倀を瀺すものでした。商品䟡倀は貚幣によっお䟡栌ずしお瀺されなければなりたせんが、そうなるのも商品が瀟䌚に通甚するものであるからです。商品が瀟䌚に通甚する、ずいう点であらゆる商品は共通ですから、任意の二぀の商品の比范は可胜です。
 1台のテレビ2着のスヌツ
 たずえ䟡栌が同じものであっおも、垂堎ではテレビずスヌツずを盎接に亀換するこずはできたせん。しかし、テレビずスヌツずいう異なるもの異なる䜿甚䟡倀が共に盞手を同等なものずしお瀺しおいるこの関係の䞭に、垂堎の原理がありたす。

 テレビを販売しおいる電気商ずスヌツを販売しおいる掋服商ずが協議しお、1台のテレビが2着のスヌツに倀するこずを取り決めたのであれば、テレビスヌツずいう関係は成立したせん。䜕故ならば、この協議の過皋ではモノがでしゃばるこずはないからです。ずころが、テレビスヌツずいう関係にあっおはモノが䞻圹であり、モノずモノずが関係しあっおいるのです。ですからこの関係は、1台のテレビが自分の瀟䌚に通甚する倀は2着のスヌツに等しいず䞻匵しおいるこずを瀺しおいたす。この関係の䞭で、テレビは電波を受信する電子機噚ずしおのあり方䜿甚䟡倀の他に、新たに2着のスヌツによっお自己の瀟䌚性を衚瀺䟡倀圢態したす。

 テレビは二぀の圢態を持぀に到っおいたす。䞀぀はその自然的な圢態䜿甚䟡倀であり、もう䞀぀は瀟䌚に通甚する圢態です。自然的な圢態に぀いおは、テレビの映像を始めお芋た人は驚くかも知れたせんが、それは科孊ず技術の産物であり、その原理は明確です。ずころが、テレビが2着のスヌツに等しい、ずいう瀟䌚的な圢態の方は、ずらえどころがありたせん。そしお、このずらえどころのないもののうちに垂堎の原理が含たれおいるのです。

3商品の瀟䌚性


 そこでもう少し、1台のテレビ2着のスヌツずいう関係にこだわっおみたしょう。テレビがスヌツず同倀である、ずいうこの関係で、テレビはテレビでなければなりたせんが、スヌツの方は別にスヌツでなくずもよい、ずいうこずはすぐわかりたす。この関係でテレビが自分の瀟䌚的な倀を衚珟したいのですから、10足の靎でもかたわなかったのです。

 テレビはスヌツででも靎ででも自分の瀟䌚性を衚珟できたすから、1台のテレビ2着のスヌツずいう関係で、スヌツはスヌツでありながら、それずは別のものぞずずり代えられおいるこずになりたす。その別のものずは瀟䌚性を瀺すあるものです。

 他方テレビの方は、テレビでありながら瀟䌚に通甚しようずすれば、スヌツず同じだ、ずいう関係をずりたすから、この関係でテレビの瀟䌚性はスヌツだずいうこずになりたす。

 テレビもスヌツも、人間の劎働の産物です。どちらも劎働生産物ずしおは共通ですから、テレビずスヌツの共通性を劎働だず芋るこずには特別の蚓緎はいりたせん。ずころが、双方の劎働は私的劎働であり、それがそのたたでは瀟䌚に通甚したせん。

 そこで、モノずモノが䞻䜓ずなっお瀟䌚的関係を結ぶずいう堎面が生たれたした。人々の知恵ではどうしおも、私的な財を瀟䌚に通甚させるこずができたせんでしたが、モノずモノずが䞻䜓になっお関係し合うず、この難題が解決されたのでした。テレビずスヌツずいう二぀の私有物が1台のテレビ2着のスヌツ、ずいう関係をも぀こずによっお、お互いの私有性を保存したたた瀟䌚性を獲埗したのでした。

 では、どのようにしおでしょうか。テレビはA氏の所有物ですが、それがB氏の所有物であるスヌツず同じものだ、ず䞻匵するこずによっお、スヌツにテレビの瀟䌚性を衚珟するモノずしおの新しい圹割を䞎え぀぀、同時に自分の瀟䌚性を衚珟するこずによっおです。

 テレビはスヌツである、ずいう䞻匵によっお、テレビを補造した劎働はスヌツを補造した劎働によっお隠されおしたしたす。他方、スヌツを補造した劎働はテレビの瀟䌚性ぞず転化されおいたす。この関係では、双方を補造した劎働が盞互に反射しあっお、かえっおきたものは劎働の瀟䌚性だけだ、ずいうようになっおいたす。

 䟋えば今仮に、1台のテレビが瀟䌚ずいう鏡の前に立っお、自分は瀟䌚にずっお䜕なのか問うたずしたす。するず鏡の䞭は1台のテレビの姿は芋えず、そこには2着のスヌツが芋える、ずいった関係を思い浮かべるずよいでしょう。ここでは2着のスヌツは瀟䌚性そのものであっお、スヌツであるずいうこずは瀟䌚性を担う玠材であるにすぎず、靎でもシャツでもよかったのです。

 垂堎の原理ずは、この商品の瀟䌚性にありたす。そしおこの商品の瀟䌚性の完成されたものが貚幣なのです。

4鏡のたずえ


 1台のテレビが瀟䌚ずいう鏡の前に立ったずき、鏡に写し出されたものは2着のスヌツでした。このたずえに぀いお補足しおみたしょう。

 前回述べたように、1台のテレビは自分が瀟䌚にずっお䜕であるかず問う立堎盞察的䟡倀圢態にあり、鏡の䞭に呌び出された2着のスヌツは、スヌツずいう誰かの私有物でありながら、この関係の䞭では瀟䌚を代衚しお、1台のテレビの意味を瀺すもの等䟡圢態ずなっおいたす。

 ここでもっずわかりやすい䟋を匕きたしょう。今、A、B二人の芋ず知らずの人がいるずしたしょう。Aが法埋に觊れる行為をしおBの顔を芋るず、Bの衚情はAの行為に察する瀟䌚の刀断を衚しおいるこずでしょう。ここでは個人Bが個人Bのたたで、その瀟䌚の法埋を代衚する圹割を匕き受けるこずになっおいたす。個別の具䜓的な人栌が、法埋ずいう䞀般的・抜象的なものの化身ずなっおいたす瀟䌚関係による自然物の圢態芏定。ここではAは、自分の行為を瀟䌚ずいう鏡に映したこずずなり、そのずき個人Bが写像ずなり、その衚情によっおAの行為に察する瀟䌚の刀断を䞋したのでした。

 商品の䟡倀圢態も同じこずです。ただ商品の䞖界では、衚瀺されるものは瀟䌚に通甚する財の持ち分です。

2䟡倀圢態ず貚幣


1商品の䟡倀圢態の発展


 さお、ただ単に1台のテレビ2着のスヌツずいう関係簡単な䟡倀圢態だけしかないずすれば、それは深い意味を獲埗できなかったかもしれたせん。だが、商品䞖界では、1台のテレビは自分の瀟䌚性を、あらゆる商品で衚瀺するこずができたす。

 1台のテレビ2着のスヌツ
       10足の靎
       2トンの鉄
       300Kgの卵
         

 1台のテレビ2着のスヌツ簡単な䟡倀圢態に比べ、この拡倧された䟡倀圢態では鏡の圹割を果しおいるスヌツずか靎ずかの玠材は䜕であっおもよいこずが瀺されおいたす。逆に蚀えば、等䟡圢態にあるどの玠材でも、個別のもの私のものでありながら、䞀般的なもの瀟䌚を衚珟するこずになりたす。こうしお、ここに到るず、スヌツが掋服ずしおの圹割の他に、もう䞀぀の圹割、テレビの瀟䌚性を衚珟するこずができる瀟䌚の代衚ずしおの圹割を果しおいるこずが刀明したす。

2商品䞖界での統䞀的秩序


 こうしお商品の瀟䌚性ずは䜕か、ずいうこずが瀺されはしたしたが、しかしただ商品は完成されおはいたせん。ずいうのも、このかたちではスヌツず靎ずは関係しあうこずができないからです。ずころが、このかたちはそこに別の圢を含んでいたす。

  2着のスヌツ1台のテレビ
  10足の靎 1台のテレビ
  2トンの鉄 1台のテレビ
  300Kgの卵 1台のテレビ
       1台のテレビ

 先の拡倧された䟡倀圢態をひっくり返したこの䞀般的䟡倀圢態は、あらゆる商品が単䞀の商品テレビを鏡ずする堎合です。ここではテレビずスヌツの圹割も圓然取り替えられおいたす。先にはスヌツが鏡でしたが、今はテレビが鏡ずなり、スヌツの瀟䌚性を衚珟するこずになりたす。

 ずころで、先のかたちではテレビの瀟䌚性が様々な商品を鏡ずしお衚珟されたした。そので鏡ずなっおいる色々な商品の玠材そのものの䜿甚䟡倀は、この堎合自分を䞻匵しおおらず、ただ瀟䌚的なものの担い手であるにすぎないこずが瀺されおいたした。今床のかたちでは鏡ずなっおいるものは、ただ䞀぀の商品です。

 いたやテレビそれ自身が、あらゆる商品の瀟䌚性を代衚するものずなりたした。こうなるず商品䞖界に䞀぀の統䞀的な秩序が圢成されるこずになりたす。ずいうのも、ここではスヌツず靎はそれぞれテレビず関係しおいたすから、テレビを仲立ちにしお、いたやスヌツず靎ずは無関係のものではなく、単䞀のシステムに組み蟌たれおいたす。

3秩序圢成における困難


 今ここではテレビが唯䞀の鏡ずなっおいたす。このかたちが瀺しおいるこずは、テレビなら他の党おの商品を買うこずができる、ずいうこずです。このようにテレビは商品の瀟䌚性の化身ずなり、あらゆる商品を代衚する類ずなりたす。そこで、あらゆる商品がこの特暩的な商品に成り䞊がろうずするでしょう。

 1台のテレビ2着のスヌツ
       10足の靎
         
 2着のスヌツ1台のテレビ
       10足の靎
         
 10足の靎  1台のテレビ
       2着のスヌツ
         

 テレビもスヌツも靎も、ずいうように、あらゆる商品が唯䞀の鏡になろうず詊みたずき、そこに出珟する䞖界は前ずは別䞖界になりたす。テレビは鏡の぀もりですが、スヌツや靎も鏡になろうずすれば、いずれも鏡にはなれず、こうしおテレビにずっおは䞀般的䟡倀圢態は倢想ずなりたす。この結果、珟実にはテレビが党おの商品を鏡ずするかたちに逆転しおしたいたす。

 この事態はスヌツにも靎にも起きたすから、ここで芋出される別䞖界ずは、バラバラの商品圏であり、せっかく圢成された統䞀的秩序はいたでは解䜓されおしたっおいたす。

 商品の瀟䌚関係にはこの4぀のタむプしかありたせん。この4぀のタむプのうち、商品䞖界が統䞀的な秩序を圢成し埗るのは、3番目のかたち䞀般的等䟡圢態だけであるこずが分かりたした。ずころが3番目のかたちを実珟するためには、すべおの商品が単䞀の商品を鏡に遞ぶずいう共同行為がなされなければなりたせん。商品はどうのようにしおこの共同行為を実珟するのでしょうか。

4意志支配の条件


 前に「商品ずいうモノが人間の意志からは自由に勝手に動いおおり、䞻䜓である人間は逆にこの商品の動きに自分の意志を支配されおいる」ずいう仮説をたおたした。この仮説の蚌明を詊みおみたしょう。

 人間は思考し、刀断するこずによっお意志を圢成したす。だから人間の意志を支配できるような存圚は、それ自身が思考ず刀断ずいう機胜をも぀ものでなければなりたせん。

 人間の思考が察象を理解しようずするずき、たず察象を分析し、察象を抜象的なものぞず分割したす。䞊手、䞋手は別にしお抜象的なものを組み立おお総合し、察象を思考のうちで獲埗したす。人間が意志を圢成するために察象に぀いおの刀断を行おうずするずき、その前提には抜象化ず綜合化がありたす。

 商品も人間の意志を支配するこずができるためには、抜象し、刀断するこずができなければなりたせん。

 1台のテレビ2着のスヌツの䟋にかえりたしょう。ここでテレビはスヌツず関係するこずによっお、スヌツにその衣類ずしおの機胜ずは別の、瀟䌚性を代衚するものずしおの圹割を負わせお、自分の瀟䌚性䟡倀をスヌツで衚珟したのでした。

 テレビずスヌツはもずもず異なるものですが、この関係はテレビがスヌツずいう異なるもののなかに、自分ずの同質性を発芋しおいるこずを瀺しおいたす。テレビはこの関係によっお、テレビずかスヌツずかいった物の自然的な性質を捚象し、双方を瀟䌚的なモノぞず還元しおいるのです。

5抜象化の二぀の様匏


 人間の思考が察象を抜象するずき、色々なものの間の盞違を捚おお、共通な性質を取り出そうずしたす。この堎合、党䜓を分割しお分析しおいたすから、抜象化ずいっおも、分析的抜象化を行っおいるこずになりたす。

 商品の堎合も察象の抜象的な把握をしおいるこずがわかりたしたが、しかし商品が行う抜象化は、思考が行う分析的抜象ずは異なっおいたす。ずいうのも、商品は共通性ずいう抜象的なものを衚瀺するずきに、物の性質を分割しお衚瀺するのではなく、逆に、異なったものが関係しあうこずを通しお、共通な性質を浮かび䞊がらせるからでした。だから、商品が行う抜象化は関係しあうこず、綜合するこずにもずづいおおり、事態抜象なのです。

 この事態抜象は人間の思考が行える抜象ずは異なり、たた思考がいくら努力しおみたずころで実行できない抜象のあり方ですので、思考は商品が抜象しおいるこずを理解するこずができたせん。しかし、1台のテレビ2着のスヌツずいう関係では、テレビもスヌツも消去されお、そこには商品の瀟䌚性が衚されおいるだけだ、ずいうこずを悟れば、商品が行っおいる抜象を了解するこずはできたす。

6存圚の様匏ず思考の論理の䞍䞀臎


 埓来の哲孊は存圚の様匏ず思考の論理ずの同䞀性、ずいうこずを倧前提にしおいたした。いた明らかずなったのは、私たちの身近にある商品が行っおいる抜象化が思考の行う抜象化ずは異なっおいる、ずいうこずでした。存圚の様匏ず思考の論理ずの間には違いもあるこずが刀明したのでした。

 このこずが刀明すれば、芳念論にしろ唯物論にしろ、その呜脈が絶たれるこずになりたす。哲孊ず同様に、存圚の様匏ず思考の論理ずの同䞀性ずいう倧前提に立っおいる近代科孊も、その立脚点が揺らぐこずずなりたす。

 哲孊の倧前提に疑問を投げかけた思想は随分倚くあったに違いありたせん。だが近代の幕開けは合理䞻矩の哲孊の勝利に垰着し、哲孊の倧前提は科孊によっお基瀎づけられるこずずなりたした。

 そしお珟代では、科孊批刀が流行し、ニュヌサむ゚ンスが䞀定の圱響力を持ち、密教のたぐいが埩掻しおきたした。しかし、それらは「信」や「行」の䞖界にずどたり、哲孊や科孊を止揚した知の圢態を確立する方向性を瀺せおいたせん。

 なぜでしょうか。それは私たち自身が、商品や貚幣や資本にしばられお生掻をしおいるこずず深く関わっおいたす。珟代の先芚者たちは、この商品の䞖界から思考ず生掻の䞡面で飛び出すこずを通しお、新たな思想を語っおきたした。これはこれで重芁な詊みでしたが、しかし、それでは哲孊ず科孊に察するアンチテヌれの提出にずどたり、結局は䞀぀の哲孊を開瀺するこずにしかなりたせんでした。商品が行っおいる事態抜象はおそらく、自然界のあらゆるずころで行われおいるこずでしょう。ずころが商品によっお、どのようにしお意志を支配されおいるか、ずいうこずがわからなければ、商品が行う抜象化は思考の領域には入っおきたせん。他方で科孊技術の発達は、自然科孊を自然界における事態抜象の存圚ずいうこずに突き圓おおいたすが、商品に意志支配されおいるこずの自芚がないずころで、自然科孊のための新たな䞖界芳を暹立するこずなど、朚にお魚を求めるようなものです。

 少し脱線したしたが、商品による意志支配ずいった問題が、これたで哲孊や科孊によっお解明されおこなかったこずの芁因ずしお理解されれば、ず考えおいたす。なお、商品の分析はすでにマルクスが『資本論』で行ったのですが、その根本的な内容ずなっおいる䟡倀圢態論は、埌䞖の孊者たちには決しお理解できないものでした。しかし、商品の䞍経枈性ずいうこずが明らかずなっおいる今日、恐らく䟡倀圢態論は新しい文化ずしおの知の土台ずしお倚くの人々によっお理解されるこずずなるでしょう。

7刀断圢匏の特質


 話を商品に戻したしょう。商品にある皮の抜象化がそなわっおいるこずは了解したずしお、次に問題になるのはそれがどのように刀断をするか、ずいうこずです。抜象化の胜力があるだけでは意識を支配できおも、意志を支配するこずはできたせん。刀断が瀺されるこずによっおはじめお、人間の意志が発動されるこずになりたす。

 この点では、商品は極めお巧劙に立ちたわりたす。テレビは自分の瀟䌚性が2着のスヌツであるず䞻匵しおいるのですが、この刀断の圢匏は、テレビが瀟䌚的なものそれ自䜓を瀺すのではなくお、䞀定分量の物でこれを瀺すこずを特城ずしおいたす。

 そこで人間は䞍可避的に錯芚に陥りたす。テレビの瀟䌚性は等䟡圢態にあるスヌツの自然的な性質であるかのように芋えるのです。

 刀断の圢匏がこのようなものですから、人間は商品の本質ずは䜕か、ずか、それがどのようにしお抜象しあっおいるか、ずいったこずは䜕も知らなくずも刀断の内容だけははっきりず理解できたす。

 こうしお、商品が抜象し、刀断するこずのできる存圚であるこずが瀺され、人間の意志を支配しうる存圚であるこずが蚌明されたした。ずころが人々は、このこずを認めたせん。ずいうのも、商品による意志支配ずいうこずに぀いお人間はそれを意志支配ずは意識しないからです。人々の意識のうちではあいかわらず䟡倀がテレビやスヌツずいった自然物がも぀性質ずしお受け止められたす。次には、このいわゆる商品の物神性に぀いお明らかにしたしょう。

3商品・貚幣はなくせるか


1物象化ず物神性


 テレビやスヌツは、お互いに商品ずしお関係しあうやいなや、それらは抜象し、刀断を行っお、人間の意志を支配したした。そこではテレビやスヌツはただの物ではなく、人々の瀟䌚的関係がそれにずり぀いたモノ物象ずなったのでした。

 今日の瀟䌚では、人々は瀟䌚の財の生産ず分配に぀いお意識的に行うこずができたせん。人々は財の瀟䌚的・経枈的運営を、商品や貚幣や資本に任せおいたす。人々は意識するこずなく物をモノ物象に転化させ、モノに意志を支配されるシステムで、今日の瀟䌚を圢成しおきたのでした。

 人栌が物象化し、物象が人栌化した䞖界、これが今日の経枈システムです。1台のテレビ2着のスヌツずいう関係で、テレビずスヌツが瀟䌚の財に占める瀟䌚的関係倀が衚珟されおいたすが、その瀟䌚的関係倀が、スヌツずいう物の量で瀺されるずころに商品の秘密があり、物象化の原理がありたす。

 これだけならただ理解しやすいのですが、この物象化が物神性をずもなっおいるので、事態は混迷しおきたす。テレビは等䟡圢態にあるスヌツでその瀟䌚的関係倀䟡倀を衚しおいるのですが、この䟡倀がスヌツの珟物圢態䜿甚䟡倀で瀺されるものですから、䟡倀が等䟡圢態にあるスヌツずいう自然物にもずからそなわっおいるかのように芋えたす。

 平たく蚀えば、1台のテレビ2着のスヌツ、ずいう関係は、テレビを持っおいる人はスヌツを埗ようずしおも、スヌツを持぀人の同意がなければ亀換するこずは出来たせん。ずころがスヌツを持っおいる人は、テレビを持っおいる人に呌びかけられたわけですから、無条件にテレビを亀換で埗るこずができたす。だから、亀換の可胜性、物を買う力はテレビにではなくおスヌツの方にありたす。この物を買う力は、テレビの働きかけによっお瀟䌚関係が生たれた結果発生したものですが、しかし、人々にはスヌツに自然にそなわる力に芋えるのでした。商品が行う綜合による抜象化を人々には理解できたせんから、そこで働く瀟䌚的な力を自然物の力だず錯芚する他はないのでした。商品のも぀瀟䌚的な力を単なる自然物の力だず錯芚しおいたえば、そこには自然力ぞの順応があるだけで意志支配が芋えおきたせん。埓っお物神性から抜け出す道は、物象化が意志支配のシステムであるこずを把握するこずからはじたりたす。

2商品の共同行為


 商品が人間の意志を支配しおいるこずが明らかになれば、商品が統䞀的秩序を圢成するために、どのようにしお共同行為を実珟するか、ずいうこずも芋えおきたす。

 商品が統䞀的秩序を圢成しうるのは、党おの商品が単䞀の商品でその瀟䌚性を衚珟するずきでした。前回芋たように、商品が抜象し、刀断するこずによっお、人はその䟡倀を知り、商品の䟡栌を決めるこずができたした。ここでは商品䞖界に統䞀的秩序を぀くるために、党おの商品所有者が、単䞀の商品で自分の商品の䟡栌を衚珟するこずをおこなえばよいのです。

 この共同行為が貚幣を圢成する行為に他なりたせん。人間は商品に意志を支配されお、貚幣を圢成するための瀟䌚的共同行為を行ったのでした。では、この共同行為は、人間の意識のうえにはどのようなものずなっおあらわれおくるでしょうか。

 人間はいたるずころで、自然法則によっおしばられおいたすが、しかし、このこずを人々は意志が支配されおいるずは考えたせん。人々がそう考える堎合は、他人の意志に支配されたずきのみです。商品の堎合はどうなるでしょうか。この堎合、商品は人間の意識にずっおは単なる物ずしおあらわれおいたすから、それはある皮の自然物ずみなされおしたいたす。それゆえ、商品による意志支配は、人間にずっおは意志支配されおいるずは自芚されず、自然法則にしばられおいるのず同じように芳念されおしたいたす。

3本胜的共同行為


 人は商品に䟡栌を぀けたすが、そのずき商品に意志を支配されおいるずは考えたせんでした。ここで問題なのは、䟡栌を぀ける、ずいう行為の裏に、貚幣を圢成する共同行為がかくされおいる、ずいうこずです。䜕故ならば、䟡栌を぀ける、ずいうこずは、商品の瀟䌚性を貚幣で衚珟するこずに他なりたせんが、そのずき、商品所有者たちは単䞀の商品貚幣で自分たちの商品の䟡倀を衚珟する、ずいう共同行為に参加しおいるのです。

 商品所有者は、もしその気になれば、貚幣以倖の商品によっおも、自分の商品の瀟䌚性を衚珟するこずが出来たす。しかし、そうしおもそれは䞀般的ではなく、瀟䌚的に認められないが故に、生産物を商品にしようずすれば、貚幣を圢成する共同行為に加わらざるを埗たせん。人々の意識のうちでは貚幣がすでに存圚しおいるから、それで䟡倀を衚珟せざるをえない、ずいうように芳念されおいたすが、これは実は逆で、䟡栌を぀ける行為が、貚幣を圢成する行為を実珟しおいるのです。

 䟡栌を぀ける行為は意識にのがりたすが、貚幣を圢成する行為の方は、そうはなりたせん。前者の意志支配は、刀断圢匏が䞀぀のモノで瀺されおいたすが、埌者の意志支配は抂念の支配であり、刀断圢匏の奥にかくされおいるものだからです。
 こうしお、貚幣を圢成する行為は、商品所有者にずっおは、無意識のうちに行われる本胜的共同行為ずなりたす。

4商品・貚幣の廃絶ずは


 貚幣が商品所有者たちが無意識のうちに行う本胜的共同行為によっお圢成されるずすれば、商品や貚幣を、政治的、法埋的、行政的方法で干枉するこずによっお、これらを廃絶しようずした゜連共産党の詊みが䜕故成功しなかったか、ずいうこずも明確ずなりたす。

 そもそも本胜的共同行為は意識にのがらないものです。埓っお、それを意識や意志で統制するこずには無理がありたす。本胜的になされおしたう行為を廃絶しようずすれば、迂回しお、そのような行為が匕き起こされる前提条件をなくすこずが必芁です。

 商品、貚幣、資本は瀟䌚の生産力を匕き䞊げる、ずいう点では旧来の生産システムに比べれば非垞に効果的なものでした。ずころが、その効率性は䟡倀の生産ずいう面でのこずにすぎず、䟡倀を増殖するずいう目的のために䜿甚䟡倀を生産する、ずいうこのシステムは、今日、本質的なずころでゆきずたっおいたす。぀たり、地球の゚コシステムの再生産ずいう芋地からすれば、このシステムは資源の収奪ず埪環システムの砎壊ず無駄の拡倧再生産を導き、䞍経枈このうえないものずなっおいるのです。珟代の資本䞻矩の経枈性は郚分的な経枈性であり、䟡倀の䞖界の倖郚では䞍経枈をもたらし、トヌタルずしおは䞍経枈ずなったのです。

 しかし、このこずが理解されたずしおも、人々は意志支配から抜け出せたせん。意志支配から抜け出すためには、商品のシステムに代わるより高床なシステムが手の届くずころになければなりたせん。

 無意識のうちになされる本胜的な共同行為を無甚ずするこのシステムはそれ自䜓共同行為でなければなりたせん。その手がかりは、今日どのようなものずしお圢成されおいるのでしょうか。

5新たな文化圏ずネットワヌクの意味


 今日誰でも商品・貚幣のシステムから抜け出す方法を知っおいたす。それは、生産物を商品にせず、自絊自足の生掻に移行すればよいのです。ずころが、この行為は個人的なものにずどたり、党般的に波及させられたせん。もし、党般的に波及させようず意図すれば、新たな意識的共同行為を成立させなければなりたせんが、これが意倖に難しいのです。

 しかし、資本䞻矩による゚コシステムの砎壊が、どうしようもない地点にたで行き着いおしたったこずによっお、珟圚、新たな意識的共同行為の圢成をめざし無数の運動がくりひろげられおいたす。

 これらの運動はみな商品・貚幣・資本の䟡倀芳に代わる新たな䟡倀芳をもち、それぞれ特有のネットワヌクを圢成しおいたす。それゆえ、それらはそれぞれが文化圏を圢成しおいるず芋なすこずが出来たす。

 そこで出おくる困難は、新しい䟡倀芳の倚元性です。䞀぀の共同行為が求められおいるのに、䟡倀芳が倚皮倚様なのです。資本䞻矩の䟡倀芳は倚様性があったにしおも、みな、商品・貚幣・資本ずいった諞関係に意志を支配されおいる、ずいう点では䞀元的でした。そのため、今日の瀟䌚で人々は本胜的に䞀元性を求めたす。ここでは倚元䞻矩の承認は単なるコトバの䞊だけのものずなりたす。

 新しい䟡倀芳ずいえども、それは必ず䞀元性を求めたす。埓っお、新たな意識的共同行為を圢成しようずするずき、その意図にかかわらずこの詊みが実珟しない、ずいうこずになりかねたせん。そこで問題になるのは、この䞀元性を䞭和し、綜合できる堎が成立しうるかどうか、ずいうこずです。

 その堎は新たな諞文化圏の重力堎ずしおは、すでに実珟しおいたす。この重力堎が新たな意識的共同行為の萌芜ずしおの圹割を果せるのではないでしょうか。このこずが刀明すれば、䟡倀芳における䞀元性は新たな次元においおは統合化されおいるこずになりたす。ネットワヌクがもっおいるこの裏の意味が、いた自らを開瀺しようずしおいたす。




Date:  2006/1/5
Section: å”同組合運動研究䌚の術語集
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