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文化知の提案―新しい社会運動の原理―第7章 現代社会批判


文化知の提案―新しい社会運動の原理―第7章 現代社会批判


第1章 科学技術と現代社会
 科学と技術 科学技術発展の帰結 持続可能なシステムの模索 キメ手を欠く運動体
第2章 社会科学の機能不全
 社会科学は期待はずれ 科学の論理性への批判の限界 社会運動論の最前線 見のがされている事態
第3章 科学知の限界
 商品による意志支配 科学的思考と商品の思考機能
第4章 文化知の方法
 見えるものと超感性的なもの
第5章 文化知の応用
 労働価値説の再考 超感性的な社会関係の解明 概念的存在としての商品
第6章 物象化論の新展開
 商品による意志支配の様式 貨幣生成のメカニズム 無意識のうちでの本能的共同行為 もう一つの意志支配としての物象化
第7章 現代社会批判
 マルクス主義の総括と新しい社会運動 脱物象化の大道

マルクス主義の総括と新しい社会運動


 物象化をこの意味で捉えかえすと、現代社会批判を新たな見地から提起することが可能となります。
 第一に、ソ連型「社会主義」の試みが結局は失敗に終わらざるを得なかった原因が明らかとなります。ソ連の経験は、国家権力を奪取したプロレタリアートが、独裁によってブルジョアジーの生産手段を収奪して国有化し、国家の管理する計画経済で商品、貨幣を廃止して新しい生産様式を作りだそうとするものでした。しかしながら、商品、貨幣が商品所有者の無意識のうちでの本能的共同行為によって生成されるものである以上、国家機関や法律による意識的指導の手に負えないものでした。商品、貨幣は人間の社会性であり、人間がより広い社会性をコミュニケーションとして人々の間に形成していかない限りなくせないのでした。そして、国家機関による計画化という形での人間の社会化は、商品、貨幣が形成する市場経済の社会性よりも狭いものであることが明らかにされたのでした。晩年のレーニンが描きはしたが実施されなかったプロレタリアート独裁の国家の下での文化革命(これは全住民を協同組合に参加できる程度の文化水準、つまり読み書き、計算の力をつけるというレベル)と全生産と消費の協同組合化の方が、社会主義の大道だったことは今では明らかです。
 第二に、ソ連の教訓からして、まず政治権力を奪取するところからしか社会革命は始まらない、とした『共産党宣言』以来のマルクス主義の階級闘争に対する原則が再検討されねばなりません。マルクスやレーニンが生きていた時代の正当性は認められるにしても、今日はもう一つの社会変革の路線が提示されるべきでしょう。この点について言えば、資本家的生産様式を廃止するには二つの方法がある、という点に注目すべきです。ひとつは従来から原則とされてきた政治権力を奪取して資本家階級の生産手段を収奪する方法ですが、今日では資本家の下に働きに行かず、新しい非資本家的な生産様式をつくり出すというもう一つの方法が可能となってきているのです。
 第三に、従来、ブルジョア革命の場合には、封建社会の胎内で資本家的生産様式が成長していたが、プロレタリア革命の場合には、現存する社会のなかでは新しい生産様式を形成できない、という見解が通説となっていました。これに対し、資本的生産が成熟し、プロレタリアートも成熟してくるなかで、非資本家的な生産様式(協同組合はその一つの型)が多様な形で生まれてこざるをえない、ということです。

脱物象化の大道


 従来の共産主義者の革命理論の通説を批判することで現代社会の変革の路線が見えてきます。その基本路線は、商品、貨幣が人格の意志を支配する力(物象化)を徐々にそいでいく脱物象化におかれるべきでしょう。
 使用価値の復権であるとか、働きがいをとり戻すとか、もう一つの流通(市場外流通)といったかたちで、脱物象化にむけての種々のとり組みがなされています。文化知の方法が一般化し、限界のある科学知を文化知のもとに包み込むことが進めば、多様な方向をもったベクトルのように力を分散させている今日の社会運動は、その重力の如き共通の力に目ざめ、時代をひき寄せていけるでしょう。
(この文書は、本年刊行予定の社会システム研究所の論集のために書かれたものです)




Date:  2006/1/5
Section: 文化知の提案―新しい社会運動の原理―
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