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「新しい思考」を求めて

哲学は一人一説

　唯物論というと哲学のことでしょうか。私は最近、人はすべて哲学者として生を受け、哲学は一人一説の世界であると考えるようになりました。もちろん哲学好きになったり、職業的哲学者になる人はごく一部の人たちですが、人が言葉を理解し、従って思考しているという限りにおいて、人は哲学者であり、そして、その哲学は千差万別と考える他はありません。
　このように考えれば、個々人の千差万別の哲学を超えたところに、学問としての哲学が普遍的なものとしてある、ということは想定しにくく、唯物論というものがこのような普遍的なポジションにある、ということは主張できないように思います。
　哲学といえばすべての人たちの思考のトータルなのだ、というように考えるなら、そこに共通なものを求めるとすれば、思考方法といった領域のものに限られるように思います。それも、普通論理学と呼ばれているような思考の対象を捨象した静的なものではなくて、思考する人と思考の対象を含んだ、ダイナミックなものでしょう。私はこれをエンデに倣って「新しい思考」と呼んでいます。

「新しい思考」への歩み

　私が「新しい思考」に気付くきっかけは、80年代後半に、マルクスの価値形態論とヘーゲルの意識論に興味をもち通説とは別の捉え方を知ったことにありました。
　価値形態論では思考による抽象作用に基づく抽象的人間労働という概念とは別に、商品の価値関係において、分析ではなく、関係づけられること（綜合されること）で抽象的人間労働が現出するということが語られています。ここでは思惟抽象と事態抽象とが、一方は思考での分析によるのに他方は、事物の関係、つまり綜合によっていることが述べられていたのですね。このことがわかると、思考は対象を分析することによってしか抽象できないが、現実には対象が綜合されることによって抽象されているとすれば、分析的思考とは別の思考が要請されることになります。
　次にヘーゲルの意識論は、意識一般を自我と対象との関係と見、自我と対象との同一性を、それらが意識の内に取り込まれていることがわかりました。
　意識を自我と対象との関係として捉えると、意識自体が内的矛盾をもったダイナミックに運動するものとして措定することが可能になります。
　後になってわかったことも含めてまとめてみますと、ヘーゲルの場合は、関係の両極をなす自我と対象とを双方が意識の契機であるという点で同一性を認め、ここに主客の合一による新たな真の実体としてある意識を主体として捉えることで論理学の体系を構築しえたのでした。
　ところが、ヘーゲルの弁証法は同時代人のゲーテが批判するように、現実の個別的なものの外から強引に与えられた普遍的な枠組みであり、絶えず現実を取り入れようと努力してはいるのですが、弁証法の外在性そのものは救いようがありません。そこで自我と対象という両極は、絶対的他者としてあり、自我が意識を働かす、という意識関係のうちでのみ双方の同一性が成立しているにすぎない、と考えると、ヘーゲルの弁証法の転倒が可能となってきます。
　この見地から、マルクスが価値形態論で展開している、等価形態におかれている商品が、その自然形態のままで価値の化身とされる、という形態規定の論理を捉え返すと、両極の間系で、関係させられる方の極が、その自然的な質料そのままで、その関係の内実である一般的なものの化身とされることがわかります。そして、これを自我と対象との間の意識関係に適用してみますと、自我は対象との間に意識を働かせることで、対象をその自然的質料のままで、意識の化身としていることがわかり、ヘーゲル弁証法はこの事態に困惑されて成立していることがわかります。だから、ヘーゲル弁証法を転倒する、ということは、関係を把握する論理としての形態規定の論理を新たに打ちたてることに他なりません。

エンデに学んだこと

　さて次に「新しい思考」という言葉を教わったエンデに言及しておきましょう。エンデは主体と客体とを区分し、主体が客体を認識するとする近代的科学知の枠組みを批判し、「新しい思考」の必要性を強調しているのですが、その観点は芸術知を応用しようとするものでした。芸術にあっては対象としての芸術作品とそれを意識する人との間に生き生きとした合一の関係がある、というのです。エンデがニュートンの光学とゲーテの色彩論とを対比して論じていることに興味をもち、ゲーテの哲学的思考を知ろうとしているうちに、カントからヘーゲルにいたるドイツ観念論の検討を強いられることになり、そしてこの作業はヘーゲル弁証法の転倒で一応終息をみたのですが、そのあと見えてきたのは、「新しい思考」の萌芽がいろいろな分野であったのだ、ということでした。

「新しい思考」の今後

　「新しい思考」とは何かを一言で言えば、人間の社会関係を解明しうる関係についての論理ということになるでしょう。私はそれはヘーゲルの弁証法を転倒したところにマルクスが見出した形態規定の論理だと考えているのですが、関係のうちに置かれた個物が個物のままで類的なもの、一般的なものの化身とされる（ただしその関係のうちでのみ）という事態については過去にも多くの人たちが気付いていたのです。
　例えばアダム・スミスの道徳論における人間観や、それを継承したG・H・ミードの自我論は自我が自身と一般的他者との社会的な二重物であることを説いているし、また、ギブソンのアフォーダンスは、対象そのものが人間との関係で形態規定されることを指しているように思われます。また最近の例で言えば、内部観測も、事態抽象と形態規定の認識にせまる試みであるように思われます。
　恐らく21世紀は、このように萌芽的に現われている「新しい思考」を思考方法としてまとめていく世紀になるでしょう。
　私は最近、商品経済が生活のあらゆる領域に浸透することで、個々人が従来あった人間的な社会関係から切り離され、その結果自らを神格化せざるをえなくなっているという見立てをするようになりました。ルネッサンス以降の近代は、中世の神から人間を解放したのですが、その時は個人の解放でした。いま解放された個人が自己神格化を強制され、無力な神になってしまっています。人間の社会関係を説き明かす「新しい思考」は、神となってしまった個人が再び人間性に目覚めていくのに役立つでしょう。というのも自己の哲学者としての本来的な素養に目覚めることは、実は人間性の再建以外の何ものでもないからです。

唯物論は思考の一契機

　ヘーゲルの意識論からすれば、観念論も唯物論も弁証法的に運動する思考の一契機でした。双方とも思考方法としては一面的だったのではないでしょうか。ソ連型の「弁証法的唯物論」と「史的唯物論」は思考方法としては役立たず、むしろ教条の押しつけに一役買ったように思います。
　この事態を反省しようとするなら、意識を自我と対象との関係と捉えるヘーゲルの視点に立ちかえり、そして両極の関係としてある意識をヘーゲルのように実体化、主体化するのではなく、関係が形態規定によって極にある自然質料をそのままで一般的、社会的なものの化身としている、という事態を読み解く「新しい思考」を実践するしかないと私は考えています。

Date: 2006/1/5
Section: 現場から2
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