　これまで「研修会こぼれ話」ということで、研修会をやっていて思い当たったことをエッセイにまとめてきました。今後も続けたいのですが、テーマを絞った方が書きやすいと考えるようになりました。というのもフリーターズネットワークをたちあげた2001年には、これがどのような組織になっていくのか明らかではなかったし、研修会を始めたときも、そうでした。ところが2002年に入って、ニュースタート事務局関西の方から、ワーカーズコレクティブ化という提案があり、そして、この提案を一緒に受け止めていくなかで、生産者協同組合サポートセンター（準）が結成されました。いま私たちは、「もう一つの働く場づくり」という明確な目標をもった組織の一員として活動していくことになったのです。

　私たちはいま、世間一般の働き方とは異なる働く場をつくり出そうとしています。その時、世間なみの考え方に捉われていては上手くいかないでしょう。そうだとすると、生き方や、お金や、教育や、会社や、行政などについて、新しい考え方を育むことが問われてきます。サポートセンターは、この新しい考え方を育む事も事業の一つの柱としていく必要があるでしょう。

　ということで、今後は「新しい思考」というテーマでエッセイを綴ることにします。

2.自分の定義

　自分、あるいは、私とは何か、と問う時、「われ思う、ゆえにわれあり。」というデカルトの有名な言葉が思い出されます。近代的自我とか自己意識とかという言葉も使われていますが、今日では、自分というのは個人ですね。
　そして、個人が自分だと考える時には、個人が自由で独立した人格である、という前提があります。身分制があった中世では、人々は身分で区分されていて、移住すらままなりませんでした。個人が自由で独立した人格としてあらわれるためには近世になって急速に発達してきた、新しい生産様式である資本家的生産が必要でした。この生産様式についての説明と、それが何故個人を自由で独立した人格としていくかについては別の機会に述べましょう。
　とにかく、中世から近世に移行していく時期に自由で独立した人格となった個人が増えていき、こうして、人間の個人としての存在ということについて、哲学者が思いをめぐらせることになったのでした。

　自分というものが存在していることについて人々は疑っていませんが、デカルトは、自分が考えて理解したもの（認識）が全て偽物だったとしても、げんに私が考えていると言う事自体は疑いえない、ということで、これを自分が存在していることの根拠としたのでした。ところが自分をこのように捉えると、今度は他人をどう捉えるかという難問に突き当たります。デカルトの自我（自分）は単独で存在の根拠を求めたので、自然や他人は全て自分の考えの対象と捉えられてしまい、他人も自分と同じ主体である、という事態を、他人を自分に同一化することでしか示せないのですね。

　デカルトのこの独我論を批判的に検討した永井均は、自分として存在している私とわたし、という言葉で表現されている誰にも妥当する「私」という一般的概念の他に〈私〉（山括弧のわたし）という存在の実体があり、これが自分の存在の根拠だと主張しました。
　考えることで存立の根拠を得たデカルトのわたしは、私と「私」については言及できるが〈私〉については手が届いていない、というのです。この〈私〉とは考えることでは明らかにはならないが、大勢の「私」のなかで、他ならぬこの私が自分である、という根拠としてあり、〈私〉がなければ私も「私」も存立しえないというのです。

　この永井の説にヒントを得て、ここで、デカルトの自分、いわゆる近代的自我の視線を逆転させて、世界（社会）から視られている自分という問題の立て方をしてみましょう。そうすると、自我の存立の根拠は、世界（社会）から自分という存在が自我として視られているというところにある、という結論が出てきます。ここで自分についての新しい定義を試みてみましょう。自分は社会から自我として視られていることで自我として存在している、と。

3.他者の定義

　デカルト的自分から見た他者は、自分と同型のものとならざるを得ません。自分と同型のものとして他者について考えていく、いくつかの筋道があり「他我問題」というのがそれですが、いまはこの問題には立ち入りません。
　デカルト的自分とは別のもう一つの自分の定義から出発すると、他者はどうなるでしょうか。永井は〈私〉をそこから世界が開けてくる世界の原点だと考えました。そして、他者とは、そこからも世界が開かれるもう一つの原点と考える事で、自分に同一化するような他者理解を批判しました。
　この永井の他者論を生かすと、自分も他者も世界（社会）から視られていることで存在している、社会的存在だということになります。他者についてこのように考えると、社会から視られている個々人が視ている社会は、個々人によって全く異なることが判明します。もちろん、共通な内容もありますが、しかし、それぞれの世界（社会）は並び立つ同じものをもたない、唯一性をもったものとなっています。
　他者の絶対的他者性ということがここで示されると同時に、自分の唯一性も示されています。先の自分の定義は、他者の定義とセットになっていたのです。

4.意識の定義

　近代西ヨーロッパの哲学は、デカルトの近代的自我から出発して、自我とは何かということの解明が進み、ヘーゲルの意識論で体系として成立させられると同時に、魅力を失ってしまったと見られています。けれども意識とは何か、ということについて考えようとすれば、ヘーゲルの残したものから出発せざるを得ません。ヘーゲルは意識一般を自我と対象との関係とみなしました。そして、人間が思考するとき、自我も対象も意識のうちに取り込まれ、意識の契機となっていることに注目し、この二つの契機を動力として意識の弁証法を組み立てたのでした。
　そして、この意識の立場からすると、主体（自我）と客体（対象）がともに意識という同一のものに転化されていることになり、この主客の合一したところに真理があるとヘーゲルは考えたのでした。
　この考えは、デカルトの近代的自我から出発した一つの到達点ですが、ではもう一つの自我の定義からすると、ヘーゲルの意識論はどうなるでしょうか。

　世界（社会）から視られている自我を考えると、この場合に成立している意識は自我の意識とはかかわりのないものとなっています。というのも、この場合、世界（社会）は自我の対象とはなっていないからです。ところが世界（社会）の方は、自我を意識をもった存在として視ているわけですね。このように視られることではじめて、自我は世界（社会）を対象として意識できるようになります。
　こうして、ヘーゲルの意識論の一面性が明らかとなってきました。ヘーゲルは、自我を世界を開く原点と考えて、自我と対象との関係を意識と捉えたのですが、自我が世界を開く前に、世界の方から先に視られていたのですね。
　つまり、世界の方から意識の関係に導きいれられることで自我の意識が開かれてくるのですね。
　ですから、新しい意識の定義は、意識とは世界から意識されることで自我のうちに働く力であり、自我はそれを自我と対象との関係として意識する、というものになるでしょう。こうなると、次に、世界から意識されること視られることについて考えなければならなくなります。

5.視られることの定義

　世界から視られている、というとき、その視線は色々あり、それぞれ異なったものとしてあることは言うまでもないでしょう。しかし、視られること、つまりある種の社会的関係のうちにとり込まれることで起きてくる共通の事態も、また認めることができるのではないでしょうか。

　一番簡単な例として、法的関係について考えてみましょう。いま私が他人のポケットから財布を抜き取ろうとしているとします。これを見た人はその表情をしかめ、あるいは制裁の言葉を発したり、行動を起こしたりするかも知れません。
　この場合、見た人が世界であり、私が世界に視られていると考えると間違いをおこします。動作は私から発しているのですから、私が世界として見た人に「視線」を送っていて、見る人はまず私の動作によって働きかけられたのですね。世界から視られる、というのは比喩的表現ですから、この場合私が相手に現実に視線を合わせていなくともいいのです。
　私の方が能動的に働きかけ、世界の側から見る人に視線を送ったのでしたが、では見る人はそのことでどのような行為をしたのでしょうか。それは制裁という行為ですから、法的行為であり、両者は法的関係のうちにあることになります。そして、これが重要なのですが、見る人は生身の人間であり、法的関係のなかにあっても生身の人間として存在しているのですが、しかし、この人が制裁という行為を発動することで、この関係のなかでは法律の化身となっているのですね。
　私と見る人との2人が居合わせても、私がスリをしなければ、二人の間に法的関係は発生しなかったでしょう。
　私がスリをすることで二人の間に法的関係が生成され、そして見る人は法律の化身となって制裁の行動を起こしたのでした。

　この場合、法的関係そのものは超感性的ですが、犯罪の現場という具体的場面では、犯罪者と見る人との間に法的関係が現象し、そしてその現象形態は生身の人間を法律の化身とする、という事態としてあったのです。これを具体的な生身の人間が関係のなかで生身のままで法律の化身という社会的形態を新たに受けとることと捉え、この論理を形態規定と呼ぶことにしましょう。
　そうすれば、世界から視られる、ということは、世界が送る様々な種類の視線に応じて、視られる人は種々の形態規定をされ、生身の人間のままで種々の社会的な力の化身とされていることが判明します。さしあたっては、これが視られることの定義づけです。

6.形態規定の定義

　人々は種々の社会関係のうちに置かれていますが、これらの社会関係のうちで、生身の個人が種々に形態規定を受けている、ということだとすれば、形態規定の論理は、社会とは何か、という問について説き明かしていく際のセントラル・ドグマだ、ということになります。
　この人間の社会的関係のうちにおける形態規定の論理を最初に明らかにしたのはマルクスでした。マルクスは、『資本論』の価値形態の分析のところで、商品の価値関係のうちで起きている事態を捉えることで、その論理構造を示したのでした。
　そのマルクスの解明に習って、1台のテレビが5着の上着に値する、という簡単な価値形態を例に、形態規定の論理をモデル化してみましょう。

　この関係では、テレビと上着という異なる商品が、等しいものとされているわけですから、この関係のなかでの同一性は、テレビでも上着でもない第三者だ、ということになります。そして、この第三者は、二つの商品の関係のうちに現象しているのですが、しかし、それは超感性的な現象形態をとっているので、見ることも触れることも出来ません。
　見て触れられるものは、この場合テレビと上着ですが、先の「視られることの定義」で述べたことに従えば、テレビが世界として能動的に上着に視線を送っているのですね。その結果、上着はテレビと交換可能なものとして、購買力をもつことになります。
　上着は自然物であり、人が着るためのものですが、その上着がここでは、テレビに対しての購買力という社会的な力を受け取るにいたっているのです。上着はテレビからの視線を受けとることで形態規定されて、購買力という社会的な力の化身となっているのですね。
　そこで次に問題となるのは、テレビの視線の内容です。テレビが送る視線は、自分は上着と等しいものだ、という内実をもち、従って、この関係のなかではテレビは自分に等しいものとしての上着でその同一性を表現しているのです。ということは、テレビ＝上着というこの関係で、それぞれの商品はお互いに抽象し合っているのですね。
　人が思考によって、テレビと上着の共通性を求めようとするなら、双方を分析によって抽象し、双方が労働生産物だという共通性をもつ、という結論に到達することができます。しかし、ここでは二つの商品が関係することで共通なものが超感性的に現象するわけですから、思考による抽象作用（分析的抽象）とは異なる形で、事物そのものによる抽象（事態抽象）が行われ、それは関係することでお互いを抽象する、という綜合による抽象作用であることがわかります。形態規定とは、二つの商品を両極とする関係において、綜合による抽象作用にもとづいて成立している超感性的な現象形態を読み解くもの、と定義できるでしょうか。

7.類としてある個

　視られることで形態規定がなされ、個人が法律の化身となったり、商品に購買力が備わったりします。こうした事態は、個人や個別のものが、類的なもの、社会的なもの、一般的なものの化身となることで、類的なものが個として存在していることを示しています。
　分類学の立場からすれば、個別なものは存在していますが、類的なものは個別を抽象した概念であり、個別なものの総体としては存在していますが、それが端的に個として存在することはありません。たとえば、個別のイヌやネコは存在していますが、動物という類そのものは個としてあるわけではない。

　ヘーゲルの弁証法は、類は個別を抽象したもの、という分類学の立場に不満で、類的なものは個別のうちに特殊性という契機とともに自らを貫いているとしました。ここでの類的なものとは意識のことであり、個別のものは意識されることで意識の契機となり、そのようにして類的なものに貫かれていると考えたのでした。だからヘーゲルにあっても、類的なものが個として存在するという事態（例えば、ナポレオンを世界精神の化身と見たことなど。）があることは知っていても、これをきちんと捉えることが出来ませんでした。
　でも形態規定という考え方からすれば、人間の社会関係にあっては種々の種類の視線をあびて、個人が種々の社会的なもの（類的なもの）の化身にされ続けていることが判明します。言い換えれば、人間の社会とは、種々の形態規定によって、個人が種々の類的なものの化身とされ、個人が類を背負わされるシステムなんですね。

　人間の社会にあっては類的なもの、社会的なものは、個々人の外に既成のものとしてあるのではなく、日々の社会的関係のうちで日々つくり出されている、ということが現実ではないでしょうか。

8.自己意識の成立

　自己意識の意味をとりあえずは自分という意識、くらいに考えて、自分が対象（世界と自分自身）について意識するときの様式としておきましょう。
　デカルトは「我思う故に我あり」を自我の存立の根拠とし、ヘーゲルは自分自身について意識する意識を自己意識と定義し、デカルト的自我がもう一つの自我があることを認め、承認をめざして闘争する、という形で自己意識論を仕上げました。

　ところで、ヘーゲルに習って、意識一般を自我と対象との関係と捉えると、自我が意識をもつのは、世界（対象）との意識関係に入り、世界から意識の視線を浴びているからなんですね。そうすると、ここで形態規定が働いて、個人の意識が個人の意識のままで意識一般の化身とされていることが判明します。この場合、意識一般という類的なものが、個人の意識という唯一性をもった個的なものとしてあるのですね。

　個がそのまま類となってしまっている、という事態の意味を解かないまま、その帰結だけを記述すれば、自己意識論が成立します。そもそも自己意識という言葉自体に弁証法的な矛盾が含まれています。自己は個的なものであり、他方、意識は類的なものです。だから、自己意識は他者から形態規定されることではじめて生じ、自己意識が現実性をもつのは、他者との意識関係が存続している限りのことです。にもかかわらず、人々は自己意識をもつのは生まれつきだと考えているのですね。ここに現代人の個の悩みが生じる根拠の一つがあるように思います。

9.視ると思うが視られている

　自己意識をもつのは生まれつきだ、と考えた途端、世界と自分の関係が逆転してしまいます。自己意識とは、自分の意識が類的なものとしてある、ということですから、これは世界を視る視線ですね。自由で平等で独立した個人が居て、世界を視ているのです。
　でも、これまで述べてきたことから明らかなように、自由で平等で独立した個人という自我の様式は、世界が個人をそのように視ているから成立した、いわば自分の外から与えられた席なんですね。だから、自我が世界を視る前に世界に視られている。

　このことは単純に眼でものを見るときを考えても妥当します。あらかじめ視界に光線が入力されることではじめてものを見ることが出来るわけですから、眼はまず光線という他からの視線にさらされていたのです。

　このように社会との関係だけでなく自然との関係でも、個人としての人間は受動的な存在なのですが、しかし現代人は、主体として登場させられ、このような受動的関係について見ようとしても見えなくなっているのです。

10.「もう一つの視られ方」

　デカルトのコギト（近代的自我論）に代わる、世界から視られている自我という「新しい思考」にもとづく自我論からすれば、人間の主体性について、従来の個人の主体性論に代わる新たな主体性論を構築出来そうです。
　さしあたって社会的ひきこもりの人たちをサポートしてきた経験から問題提起をしてみましょう。社会的ひきこもりとは、名付け親の斉藤環も述べているように、親や社会からプレッシャーを感じてひきこもっていると考えられています。これは、「新しい思考」からすれば、世界の方が視ることでつくられている自我の席につくことが出来ない、ということではないでしょうか。
　そして、ひきこもり当事者の手記などを読むと、当事者は必死で、社会の中に自分の席を見出そうとしているのですね。当事者たちは、本能的に現在の日本の社会での既成の働き方に疑問を感じ、そのような働き方を押しつけられざるを得ない既成の自我の席に着きたくないのだ、とすれば、もう一つの働き方を作り出し、そこに自分たちの居場所を作り出すしかない、という方向性が出てきます。
　ひきこもりの人たちをサポートする活動にも色々あるのですが、例えば、日曜日の午後2時から40名位の人たちが鍋を囲んで酒を飲みながら歓談する「鍋の会」を取り上げてみましょう。ここには、初めて来たひきこもりの人や、すでに常連になっている人たちや、サポートする側の人たち、さらには、ひきこもりの人の両親などが参加しています。初めて参加した人は、やはり緊張して、うつむきかげんで無口で過ごすことが多いのですが、しかし数回参加するなかで、だんだんひきこもりから脱出していくようになります。
　社会のなかにしつらえられた既成の自我の席とは別の、もう一つの自我の席が、鍋の会にはあるのですね。そこを居場所として自覚することで、なんとなく、ひきこもりから脱出していける。つまり、社会から視られている視線と、鍋の会で視られている視線とが違っていて、ひきこもりの人たちは、自分の自我をそのままにした上で、そこに居場所を見出せたのではないでしょうか。
　ということは、鍋の会には、世間一般の視られ方とは異なる「もう一つの視られ方」があったということになります。この「もう一つの視られ方」はもちろん、社会的ひきこもりの人たちをサポートするという意志から発しているわけですが、しかし、それだけに終わっているとひきこもりから脱出した人たちの居場所は、相変らず不安定なままになるでしょう。

　「もう一つの視られ方」は、サポートするという意志に基づくものの他に、無意識の内での視線というのもあるように思います。例えば、既成の働き方とは別の「もう一つの働く場」で働いている人たちが無意識の内に発散している視線です。私たちがもうひとつの働く場をつくり出し、もう一つの働き方で生活していくことでつくり出す新たな自我の席、これこそが、社会的ひきこもりの人たちの居場所として求められているのではないでしょうか。

11.文化の発信

　私は、もうずいぶん前のことですが、福祉ワーカーズの立上げに協力したことがありました。その時の研修会で、神奈川生活クラブ生協のワーカーズ・コレクティブの中心メンバーを何人か、講師にお招きしました。その時の驚きは、まるで昨日のことのように覚えています。
　講師として来て頂いた一人の主婦が、これまで出会ったことのないようなパワーを発散していたのです。話し方、ジェスチャー、目線の配り方、これらが一体となって、新しい文化を発信していたのです。私は、講師として語られた言葉よりも、この一人の人間が発信している言葉以外の雰囲気に驚いたのでした。そして、言葉ではなくて、一人のワーカーズ・コレクティブの人となりを観察することで、ワーカーズ・コレクティブとは何か、ということがわかったような気がしたのです。雇われて働くのではなく、もう一つの働き方で働くこと自体が新しい文化を育み、そしてその働く場に居るひとりひとりの人たちによって、その文化が外に発信されているのですね。この文化の発信は、言語だけによるものではありませんから、無意識の内に発信されているものだということになり、そして、その受け手の方も論理としてではなくて、文化として受けとることが出来るのですね。
　サポートセンターのメンバーは、まだワーカーズ作りの最中ですが、このような段階でも、ある種の文化を発信出来ているのかも知れません。これは、テレビ朝日の生番組にフリーター代表として出演した山添さん、高橋さんに対して、本来フリーター批判の論陣を張るはずだったコメンテーターの山本健治さんが、突然フリーターを擁護し企業社会を批判し始めたことで実証されたように思われます。山本健治さんは、彼らが発信する文化に一瞬の内に同化されてしまったのですね。そして、思わず応援してしまったように私には思われます。

12.心理学事始め

　先日初めて心理学についての講義をしました。デカルトの自我論を永井均の〈私〉を逆から見ることでひっくり返してみて、そこにあらわれた世界（新しい思考）をしばらく反芻しているうちに、この世界に届きかけている何人かの先駆者の業績が目につくようになりました。一つは、G.H.ミードの自我論（『精神・自我・社会』人間の科学社）で、もう一つはギブソンのアフォーダンス（『生態学的視覚論』サイエンス社）でした。他にもあるでしょうが、この二人は心理学の分野に属しているので、心理学に首をつっこんでみたのです。
　まずヘーゲルの『エンチクロぺディー』（世界の大思想、河出書房新社）に心理学の項目があることを思い出して読んでみると、心理学の内容についてはアリストテレスの『デ・アニマ』第3巻（世界の大思想、河出書房新社）を超えるものはない、と書かれていたので、さっそく『デ・アニマ』を読んでみました。
　確かにそこには感覚や知覚や思考や理性や欲求について明解な解読が為されていて、なるほどと思いましたが、しかし、私の求めているものとは一寸ちがっていました。それで、ヘーゲルの意識論を踏まえて、ミードの自我論を紹介し、それが「新しい思考」の端初であることを示すことにしたのです。
　そんな頃、書店で、『心理学の哲学』（北大路書房）が出ていることを知り、心理学の歴史についての知識を得ました。あと図書館で、異端の心理学者、岩下豊彦の分厚い『心理学』（金子書房）を借りて、心理学史の知識を補強できました。
　その昔、心理学は哲学に含まれていました。もっと昔は、自然科学も哲学に含まれていたのですね。
　自然科学は、独自の方法を物理学的世界観として確立し、哲学から離れて行きました。同じように心理学も哲学から離れようとし、そのときに物理学的世界観を借りたのですね。
　心理学史の通説では、1879年にヴントがライプチヒ大学に心理学実験室を設けた時点を新・心理学成立のメルクマークとしています。それまで哲学者たちが論じてきた記述的な心理学に代わり、実験という自然科学の方法を取り込んで、新しい科学的心理学を確立しようとしたのでしょう。
　ヴントはもともと生理学者で、人間の意識を人間の生理学的過程から説明しようとしたのですが、しかし、1912年にワトソンが行動主義を宣言し、心理学は行動を対象とすべきで、意識を対象にすべきではないと述べて以降、心理学の主流は行動主義に移ります。それ以来ネズミを使った実験が心理学者の課題になってきます。
　しかし1960年代になると心理学の対象に人間がとりあげられていないことに非難が集中し、今日では認知心理学、臨床心理学、比較行動学、現象学的心理学などが台頭してきているとの事です。
　行動主義のゆきづまりが明らかになった時点で、それまで心理学の専門家の間では陽の当らなかった精神分析やゲシュタルト心理学やピアジェの発達心理学が見直されてきていますが、今日の心理学で最もポピュラーなのはやはり心理療法に関わるものではないでしょうか。

13.心理学は科学か

　私は、ニュースタート関西のHPの掲示板に、心理学は科学でなく技能ではないか、と書き込みました。この場合、科学の概念を狭くとり、物理学的世界観とその方法にもとづく学問という意味にしています。
　心理学がこのような狭い意味での科学でないことは明らかですね。例えば、ニュートンの物理学では「線」や「点」や「重さ」や「時間」や「空間」は一義的に定義され、科学者であれば誰もが一致してその定義に従っているのですが、心理学の場合、最も基礎的な概念である「心」や「精神」や「意識」について、一義的な定義はありません。これらの概念については恐らく心理学者は一人一説ではないでしょうか。
　心理学が厳密な意味での科学ではない、という考えは、心理学者からも主張されています。先に紹介した分厚い本の著者、岩下は、心理学は一人一説だと主張し、物理学的世界観と手を切らねばならないと述べています。また社会心理学の最近の一派である社会的構成主義は、人間の心理には偶然の要素が大きく再現性が欠けているので、これを対象とする心理学は、科学の方法を採用できないと主張しています。
　社会的構成主義の主張について、もうすこし詳しく紹介しますと、従来の科学的心理学が仮説検証型の実験や調査をもとに人間行動の客観的・普遍的・実体的な因果法則を措定しようとするものでしたが、これに対して社会的構成主義は「人間行動にはそのような強い意味での因果法則は存在せず、人間行動に認められる原則性やパターンは、客観的な事実というよりは相互主観的あるいは社会的由来をもつ事柄であり、普遍的というよりは文化や社会の特殊性に依存するもの、その場の状況に応じてさまざまに変化するものであり、そして実体的というよりは概念的なもの」（『心理学の哲学』341頁）だと見ているのです。
　人間の心理や行動についてこのように捉えると従来の科学的心理学が立脚していた土台は崩壊してしまいます。「社会的構成主義が主張するように、人間行動に普遍的法則はありえないのだとすれば、科学的心理学の120年の歴史はありもしない法則のために膨大な実験を繰り返してきた、とてつもない愚行の集成ということになりかねない」(341～2頁)ということで、この論文の著者は、社会的構成主義の主張を重要な問題提起を含んだものとして受けとめています。
　心理学が科学でない、というとき、物理学的世界観にもとづく科学の方法が採用できない、というだけの話で、心理学の学問としての価値を下げようと意図しているわけではありません。従来、社会科学の領域にまでモデルをつくって数量化して何とか法則を採ろうとする物理学的世界観にもとづいた科学の方法を採用してきましたが、このようなやり方がかえって社会科学の価値を下げてきたのですね。というのも、このようなやり方では、社会のことは何もわからないからです。
　心理学も、心理学の対象である人間の行動と心に則した学問の方法を確立すべきときが来ているのでしょうね。そして、この新たな学問の方法は、恐らく、社会についての学問に共通なものとしてあるのではないでしょうか。

��ε��

Return to Category | Return To Main Index