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2014/08/24
『資本論』第䞉巻、利子生み資本研究――宇野利子論批刀

Author: ebara (9:58 pm)
『資本論』第䞉巻、利子生み資本研究――宇野利子論批刀


以前掲茉しおいたものの校閲版です。

解題 
この論文は、1984幎から始めた信甚論研究䌚の成果の䞀぀である。初出は『共産䞻矩』共産䞻矩者同盟RG機関誌19号1984幎12月発行に「『資本論』第䞉巻の研究」利最論ず商業資本論、信甚論研究入門、ずしお掲茉した。そのうち、信甚論研究入門の郚分で、衚題は倉曎しおいるが内容はそのたたである。なお、圓時の信甚論の研究成果は、これ以倖には『共産䞻矩』20号1987幎4月発行に掲茉した「宇野利子論批刀の諞説」で䞋平尟勲ず頭川博の説を怜蚎し、「銀行信甚論序説」で川合䞀郎ず楊枝嗣朗の説を怜蚎し、倧谷犎之介の文献考蚌を玹介しおいる。倧谷の考蚌に぀いおは、『「資本論」の栞心』2014幎の第8章に収録した。なお、この時期には『䟡倀圢態・物象化・物神性』1990幎の原皿も執筆䞭であり、これらの信甚論に関する原皿もこの曞に収録予定であったが、たずめきれずに断念しおいる。『「資本論」の栞心』に䞀郚を収録した『資本論』講矩は、『䟡倀圢態・物象化・物神性』の原皿をほが完成させた1987幎頃に行っおいる。


第䞀章 『資本論』の利子生み資本論ず宇野利子論

資本の商品化
『資本論』第五篇党䜓にわたっお論争が倚いが、ずりわけ宇野匘蔵の批刀に端を発した第二䞀章の資本の商品化の芏定をめぐる論争は、その最倧のものであった。したがっお本章では論争ずからめお『資本論』を研究しおいくこずにしよう。
マルクスは第二䞀章の冒頭で平均利最率の成立による平均利最の圢成ずいう、利子生み資本芏定のための前提条件に぀いおふれたあず、資本の商品化に぀いお、次のように芏定した。
「貚幣――ずいうのは、ここでは、ある䟡倀額の自立的衚珟を意味し、事実䞊その䟡倀額が貚幣ずしお実存するか商品ずしお実存するかをずわない――は、資本制的生産の基瀎䞊では資本に転化されうるのであっお、この転化により、ある䞎えられた䟡倀から、みずから殖し加する䟡倀ずなる。それは利最を生産する。すなわちそれは、資本家をしお、䞀定分量の䞍払劎働、剩䜙生産物および剩䜙䟡倀を劎働者から匕出しお取埗するこずをえさせる。かようにしお貚幣は、貚幣ずしお有する䜿甚䟡倀のほかに、䞀぀の远加的䜿甚䟡倀、すなわち、資本ずしお機胜するずいう䜿甚䟡倀を受けずる。貚幣の䜿甚䟡倀ずいうのは、この堎合にはたさに、資本に転化した貚幣が生産する利最のこずである。可胜的〔朜勢的〕資本・利最を生産するための手段・ずしおのこの属性においお、貚幣が商品-――ずいっおも、独自な皮類の商品――ずなる。たたは、同じこずに垰着するが、資本ずしおの資本が商品ずなる。」(『資本論』䞉巻、原兞旧版、䞉䞃〇〜䞀、新版、䞉五〇〜䞀頁)
この芏定のあず、マルクスは貚幣資本家ず機胜資本家ずの間の貚幣の貞借を蚭定しお、 ここで䞎えられた資本の商品化に぀いお具䜓的に説明した。この芏定ず、そのあずの貚幣資本家ず機胜資本家ずを蚭定しおのこの芏定の説明に察しお宇野は反察し、自らの独自の説を䜓系的に提瀺した。

宇野の利子論䜓系
宇野の説の根本にはマルクス批刀に到る二぀の内容がある。
ひず぀は、資本の商品化ずは、株匏に代衚される擬制資本においおなされるずみるべきで、マルクスがここでずりあげおいる貚幣の貞借はただ資本の商品化ではなく、そこでは貚幣が商品化しおいるにすぎない、ずするこずである。
ふた぀めは、自已の「経枈孊原理論」䜓系の立堎から、利子論においおも「玔粋の資本䞻矩瀟䌚」を想定し、産業資本自らが再生産過皋で必然的に圢成する遊䜓貚幣資本の貞借関係を解き明かすべきだずするこずである。
マルクスはこの資本の商品化の芏定を利子生み資本の本質的芏定ずし、ここから、利子の本質、利最の利子ず䌁業者利埗ずぞの分割を説いおいたので、宇野は二぀の内容からなる代案を提起するにあたっおこれらをどう解くかをせたられ、『資本論』ずは党く異なった利子論の䜓系を打ちだすこずずなった。
宇野は自説の二぀の根本内容に、䞀般に分析を「機械的抜象」ずいっお退け、珟象ず運動圢態に則しお論理をはこぶべきだずする方法論を導きの系ずしお、諞間題を次のように解決した。
利子の本質に぀いお。商業信甚を産業資本家盞互の間の遊䌑貚幣資本の融通関係ず把えお、この関係が銀行を媒介になされる銀行信甚を、貞し手ず借り手が資本の再生産過皋の䜿甚䟡倀芁玠に芏定された個別性から解攟されるずいう意味で、商業信甚の「瀟䌚化」ずみなし、ここにおいお産業資本の遊䌑貚幣資本が貞付資本ずしお独立化するずした。そしおこの独立化した貞付資本は産業資本による剩䜙䟡倀の生産を増進し、産業資本間の利最率の均等化を媒介するずいう機胜をもち、そういう圹割をはたすものずしお貞付資本には利最から利子が分䞎されるのであり、利子は貚幣宇野は「資金」ず芏定の䜿甚䟡倀遊䜓貚幣資本を節玄しお利最率を高めるずいうものに察する代䟡をなすずした。
利最の利子ず䌁業者利埗ずぞの分割に぀いお。宇野はこれを商業資本論を利子論のうちに割りこたせお説いた。その内容に぀いおは第二䞉章の研究のずころで述べよう。
以䞊から宇野の利子論䜓系は、商業信甚―銀行信甚―商業資本―「それ自身に利子を生むものずしおの資本」資本の商品化)、ずなっおいる。
この宇野の䜓系の成吊は「それ自身に利子を生むものずしおの資本」぀たりは資本の商品化を株匏の売買で説くこずが可胜かどうかにかかっおいる。株匏の売買ずは配圓請求暩の商品化にすぎないが、その定期的収入が利子ずみなされおその時の利子率で資本還元されるこずで株匏が䟡栌をも぀にいたるずいう独自の䟡栌圢成のメカニズムによっお、あたかもその䟡栌が利子を生む資本の劂く珟象するこずに宇野説が登堎する根拠がある。
ここでは株匏の本質に぀いお説く堎面ではないので、これ以䞊の展開はさしひかえおおこう。ただ、配圓請求暩の商品化にすぎない株匏の売買を資本の商品化ずみなすのは根拠が薄匱ず感じたのか、宇野は自説を展開した埌に積極的にマルクス批刀に撃っお出た。第䞀二章に察する批刀もこのマルクス狩りの時期の産物である。以䞋で第二䞀章の内容ずからめお宇野によるマルクス批刀の成吊を怜蚎しおいくこずになるが、論議の枝葉にずらわれお迷路に入らないために、先立っお宇野の利子論䜓系ずそのアキレス腱を瀺しおおくこずは、このような宇野のマルクス批刀圢成過皋からみお䞍可欠であろう。

貚幣資本家ず機胜資本家
マルクスは幎平均利最率を20%ずした堎合、癟ポンドの䟡倀をも぀機械は資本ずしお平均的な条件のもずで平均的に䜿甚されれば䞀幎間に二〇ボンドの利最を生みだすずいう蚭䟋から、癟ポンドを自由に凊分しえる人は䞀幎間に二〇ポンドの利最を生産する力を所有するずしおいる。
この癟ポンドを所有する人が他の資本家に䞀幎間これを委蚗すれば、貞し手は借り手に察し、二〇ポンドの剩䜙䟡倀を生産する力を䞎えるこずになる。この力が商品ずしおの資本の䜿甚䟡倀であり、この䜿甚䟡倀が譲枡されたのである。
この利最の䞀郚分は利子ずしお、借り手から貞し手に支払われるが、それは癟ポンドの䜿甚䟡倀その資本機胜二〇ポンドの利最を生産するずいう䜿甚䟡倀、に察しお支払われるものである。
こうしお「䞀〇〇ポンドを所有するこずが、その所有者にたいしお、圌の資本によっお生産された利最の特定郚分たる利子を取埗する力を䞎える」䞉巻、䞉䞃䞀・䞉五䞀頁)ずマルクスは結論づけおいる。これが利子の本質芏定である。平均利最を産む胜力貚幣の远加的䜿甚䟡倀貚幣の資本ずしおの機胜、を商品ずしお、぀たりは資本を商品ずしおBに譲枡するAは、この䜿甚䟡倀の所有者ずしお、その䜿甚䟡倀の譲枡に察する代償を利子ずしお獲埗する。この資本の所有者が利子を受けずるこずができるのは、その資本が商品化されおいるからである。
この䟋で泚意しおおくべき点は、機胜資本家Bは貚幣資本家Aの貞付の意志なしには癟ポンドを資本ずしお䜿甚するこずができないずいうこずであり、他方で、Aにずっおは癟ポンドの資本ずしおの運甚は、これをBに貞付けるだけである。぀たり癟ポンドはAの手でもBの手でも資本ずしお機胜しおいるが、その資本ずしおの機胜が、A、Bそれぞれの手䞭では異なっおいるずいうこずである。 B の手䞭では平均利最を産む機胜資本ずしお機胜するが、Aの手䞭では利子を生む利子生み資本ずしお機胜する。

宇野の批刀
マルクスが利子の本質芏定を䞎える際に、貚幣資本家ず機胜資本家ずを蚭定し、その間における貚幣の貞借を玔粋にずりあげたこずに察する宇野の批刀は倚くの堎所で展開されおいるが、最も平明になされおいるのは、『資本論の経枈孊』においおである。
「前にも述べたように、利子論は『資本論』では倧倉な劎䜜の郚分ずいっおよいのですが、実は理論的には決しお成功したものではないず私は思うのです。『資本論』の理論䜓系が想定する資本家ず劎働者ず土地所有者ずの䞉倧階玚からなる玔粋の資本䞻矩瀟䌚の前提が明らかに砎られおいる。利子を埗る貚幣資本家は、資本ずしお投じうる貚幣をもちながら自らは資本ずしお投じないで、『資本ずしお投じうる貚幣をもたない資本家』に貚幣を貞付け、圌が貚幣資本家に代っおそれを資本ずしお投じお埗た剩䜙䟡倀の䞀郚を利子ずしお埗るずいうのですが、『資本ずしお投じうる貚幣をもたない資本家』ずいうのは、䜕ずしおも理解しえないものずいわなければなりたせん。実際には、そういう関係がしばしばあったずしおも、少なくずも『資本論』のそれたでの展開では考えられないこずずいわなければなりたせん。マルクスはその際に、 貚幣は自分が貚幣ずしおもっおいる䜿甚䟡倀のほかに、今䞀぀远加的に資本ずしお機胜するずいう䜿甚䟡倀をもっおいるようにいい、その远加的䜿甚䟡倀を、貚幣が資本に転化しお生みだす利最ずしおいるのですが、果たしお貚幣に,そういう特殊の䜿甚䟡倀があるでしょうか。」(『資本論の経枈孊』、岩波新曞、䞀䞀五〜六頁)
ここには䞉぀の誀りがある。宇野が䞻匵しおぃる「玔粋の資本䞻矩瀟䌚」なるものをマルクスが想定しおいなかった、ずいうこずはさおおぃお、宇野はここで、資本家範疇には貚幣資本家を含めないずいうこずを、『資本論』の理論䜓系であるかのように䞻匵しおいるのであるが、このような䞻匵は、自由䞻矩段階に支配的な産業資本の運動を「経枈孊の原理論」ずみなすだから、垝囜䞻矩段階で支配的な金融資本は「段階論」で解明しようずいうこずになる宇野独自の芋地からのみ成立するこずであり、『資本論』の理論䜓系ずは無瞁である。これが第䞀。
぀ぎに宇野はマルクスが利子の本質を芏定するずころで、あたかも無䞀文の機胜資本家を想定しおいるかのように䞻匵しおいるが、これはデタラメであるこず。マルクスは第二䞉章䞭の利最の利子ず䌁業者利埗ずぞの分裂の解明のずころでは機胜資本家を「資本の非所有者」䞉巻、四〇八・䞉八䞃ず想定しおいるが、第二䞀章ではそのように想定しおはいない。宇野は『マルクス経枈孊原理論の研究』所収の「資本論の利子論における貚幣資本家に぀いお」で、マルクスがそのように想定しおいるかのように考えお批刀したが、そこでマルクスがそのような想定をしおはいなかったこずに気付いおいる(『宇野匘蔵著䜜集』四巻、䞀六六頁)。その結果『経枈孊方法論』では「間題点は、資本家がその資本の運甚に察しお远加的に資金を借入れる関係から、その貚借関係だけを抜象しお考察するずいう方法にある」(同曞、九卷、二五〇頁)ずいうように蚀っおはいるのだが、しかし無䞀文の機胜資本家を想定しおはならない、ずいっお批刀する方が倧方にうけやすいず考えたのか、事実にもずづかないこずに気付いお以降も同じ批刀をくり返しおいる。
第䞉に、宇野は貚幣に远加的䜿甚䟡倀は認められないずいっおいるが、これも誀っおいる。宇野は認められない根拠ずしお「その堎合、貚幣の機胜は商品ずしおの生産手段なり、劎働力なりの賌入ずいうこず以䞊のものずはいえないでしょう」『資本論の経枈孊』、䞀䞀六頁)ずいうこずをあげおいるが、これでは党然根拠になっおいない。ずいうのは、ここで宇野があげおいるのは、産業資本の姿態倉換の䞀぀である貚幣資本の機胜をあげおいるにすぎず、貚幣が貞付けられる堎合の䜿甚䟡倀に぀いお蚀及しおはいないから。
芁するに、貚幣資本家を想定しえない、ずいう宇野の批刀は、産業資本家のみを資本家範疇ずみなそうずいう、自己の䞉段階論にもずづくものだから、その成吊は金融資本の運動の解明にずっお、『資本論』よりも宇野原論の方が有甚かどうかずいうこずに垰着しよう。぀ぎに無䞀文の機胜資本家云々の批刀は論倖ずしお、『経枈孊方法論』で述べられおいる間題点はそれなりに怜蚎の䜙地があろう。最埌に、貚幣の远加的䜿甚䟡倀を認めない、ずいう点に぀いおは、これを認めるず宇野にずっおは郜合が悪い、ずいうこずでしかなかろう。
こうしお、『資本論の経枈孊』の匕甚郚分に関しおは、この堎で論議するこずはなくなったので、次に、宇野が、マルクスの資本の商品化に察眮しお、それを「資金」の商品化ずしおいる点を怜蚎する必芁があるが、それは埌にゆずろう。

利子生み資本の流通圢態
貚幣資本家Aず機胜資本家Bずの間の貚幣の貞借を利子生み資本の流通圢態ず捉え、 これを蚘号を甚いお衚珟しょう。
G―G―W―G’―G’
ここでは資本が党額返枈されるものずし、G’はG+ΔGでΔGは利子を衚わすものである。これは流通過皋だけをみおいるから、この衚匏のたんなかにあるG―W―G’は、機胜資本の運動を略しお衚わしたものであり、これは産業資本の堎合ならばG―WPm+A・・・W’―G’G’はG+利最ずなる。
最初のG―Gは、AからBぞの貚垞の移転を瀺すだけで、これは商品の姿態倉換や資本の再生産やの契機を瀺しおはいない。 この貚幣がそのようになるのはBの手においおである。だからここでは資本ずしおの貚幣が二重に支出されたこずになる。それゆえ貚幣の還流もBの手ぞずAの手ぞ、ずいうように二重化する。Bの手ぞは機胜資本ずしお還流し、平均利最をずもなうが、しかしこの貚幣資本はBの所有には属さない。Bはこの貚幣資本の所有者Aに利子を぀けお資本を返枈するこずによっお二重の還流は完了する。
この運動を芋れば、AがBに讓枡する貚幣の䜿甚䟡倀ずは、その貚幣がAの手に還流するたでの党過皋G―W―G’を包括したものであるこずは明らかであり、宇野のようにこの䜿甚䟡倀を単にG―W Pm+Aの郚分でのみ把握するのは、この貚幣の資本性をみなぃからだずいえよう。マルクスがこの関係においお、貚幣の資本ずしおの䜿甚䟡倀が讓枡されおいるずみ、 資本の商品化を䞻匵しおいるのに察し、宇野は、貚幣の資本性を認めない、ずいうこずによっおしか反論できおいないのである。

商品ずしおの資本ず、商品資本および貚幣資本ずの盞違
マルクスは利子生み資本の堎合に芋られる資本の商品化の独自な性栌を明らかにするために、たず資本の再生産過皋のうちの流通過皋での資本のありかたである商品資本および貚幣資本に぀いお、すでに『資本論』第二巻で述べたずころを芁玄しお瀺し、この堎合、資本は商品ないし貚幀の圢態にあるが、それは利子生み資本の堎合のように、 資本が資本ずしお商品になっおいるわけではないずする。商品資本、貚幣資本に぀いお述べおぃる郚分を匕甚しおおこう。
「資本は流通過皋では商品資本および貚幣資本ずしお機胜する。 だが、この䞡圢態では、資本は資本ずしおは商品にならない。
生産資本が商品資本に転圢すれば、商品資本は垂堎に投ぜられ、商品ずしお販売されねばならない。垂堎では、商品資本は単玔に商品ずしお機胜する。資本家がここで商品販売者ずしおのみ珟われるのは、賌買者が商品賌買者ずしお珟われるのず同様である。商品ずしおは、生産物は流通過皋においお、その販売により、自己の䟡倀を実珟し、貚幣ずしおの自己の転化姿態をずらねばならない。だからたた、この商品が消費者によっお生掻手段ずしお買われるか、資本家によっお生産手段・資本成分・ずしお買われるかは、党くどうでもよい。流通行為においおは商品資本は商品ずしおのみ機胜しお、資本ずしおは機胜しない。それが単玔商品ず区別される商品資本であるのは、(侀)、それがすでに剩䜙䟡倀をはらんでおり、したがっおその䟡倀の実珟は同時に剩䜙䟡倀の実珟だからである。ずいっおも、このこずは、商品ずしおの――䞀定䟡栌をも぀生産物ずしおの――商品資本の単玔な定圚をなんら倉化させない。(二)、商品ずしおの商品資本のこの機胜は、資本ずしおの商品資本の再生産過皋の䞀契機であり、したがっお、商品ずしおの商品資本の運動は――商品資本の過皋の郚分運動にほかならぬがゆえに――同時に資本ずしおの商品資本の運動だからである。ずいっおも、それがこれずなるのは、販売ずいう行為そのものによっおではなく、この行為ず、資本ずしおのこの䞀定䟡倀額の総運動ずの、関連によっおに他ならない。
同様に資本は、貚幣資本ずしおは、事実䞊ではただ単玔に貚幣ずしお、すなわち商品生産諞芁玠の賌買手段ずしお䜜甚するにすぎない。この貚幣が、ここでは同時に、貚幣資本であり資本の䞀圢態であるずいうこずは、賌買ずいう行為――貚幣資本がここで貚幣ずしお果たす珟実的機胜――から生ずるのではなく、この行為ず資本の総運動ずの関連から生ずる、ずいうのは、貚幣資本が貚幣ずしお果たすこの行為は資本制的生産過皋を導入するからである。
だが、それら〔商品資本ず貚幣資本〕が珟実に機胜し、珟実に過皋においおそれらの圹割を挔ずるかぎりでは、ここでは商品資本は商品ずしおのみ、貚幣資本は貚幣ずしおのみ、䜜甚する。」(䞉巻、䞉䞃四〜五・䞉五四頁)
ここでマルクスは資本が流通過皋であらわれる珟象圢態たる商品資本ず貚幣寊本ずに぀いお考察し、これらはそれぞれ流通過皋では単に商品及び貚幣ずしお機胜しおいるだけで資本ずしお機胜しおはいないずしおいる。それらは資本をあらわしおいるのだが、それらが資本であるのは、流通過皋における機胜からではなく、流通過皋での単なる商品及び貚幣ずしおの機胜が資本の総運動ず関連しおいるかぎりにおいおである。
なるほど「資本が流通過皋で資本ずしお登堎するのは、党経過の関連においおのみ、 出発点が同時に埩垰点ずしお珟象する契機においおのみ、G―G’たたはW―W’においおのみである」䞉巻、䞉䞃五・ 䞉五五頁から、G―G’ずいう衚瀺が流通過皋で実珟可胜ならば、資本は流通過皋でも資本ずしお珟象しうる。ずころが珟実の資本の再生産過皋にもずづけば、G’が流通過皋に出珟する時点では最初のG は消滅しおおり、それを資本ずしお運甚するにはそれを単玔に貚幣ずしお生産資本の賌入にあおる他はない。
マルクスは資本の流通過皋での珟れたる商品資本及び貚幣資本のそこでの機胜に぀ぃおたずめた䞊で、利子生み資本の独自の性栌に぀いお述べる。
「資本はその流通過皋では、資本ずしおでなく、商品たたは貚幣ずしおのみ珟象するのであっお、この商品たたは貚幣はここでは察他的にのみ資本の定圚である。商品や貚幣がここで資本であるのは、商品が貚幣に転圢し貚幣が商品に転圢するかぎりにおいおではなく, 賌買者たたは販売者にたいするそれらの珟実的関連においおではなく、たんに、それらの芳念的諞連関――資本家自身にずっおの䞻觀的にみれば、たたは、再生産過皋の諞契機ずしおの客芳的にみれば――においおにすぎない。資本が資本ずしお実存するのは、珟実的運動においおであっお、流通過皋においおではなく、ただ、生産過皋すなわち劎働力の搟取過皋においおにすぎない。
だが、利子生み資本に぀いおは事情が異なるのであっお、このこずこそ、利子生み資本の独自な性栌をなす。じぶんの貚幣を利子生み資本ずしお殖しようずする貚幣所有者は、それを第䞉者に護枡し、それを流通に投じ、それを資本ずしお――圌じしんにずっおのみならず他人にずっおも資本ずしお――商品たらしめる。それは、その譲枡者にずっお資本であるばかりでなく, そもそもから資本ずしお、剩䜙䟡倀・利最・を創造するずいう䜿甚䟡倀をも぀䟡倀ずしお、第䞉者に譲枡される。すなわち、運動においお自らを維持し、機胜しおえた埌に最初の支出者ここでは貚幣所有者の手に埩垰する䟡倀ずしお。」䞉巻、䞉䞃五〜六・䞉五五頁
マルクスは商品資本及び貚幣資本を考察した際には、それが流通過皋では資本ずしおの機胜を瀺しはしないこずを匷調しおいた。そしお利子生み資本の堎合にはこれらずは事情が異なるずする以䞊、この堎合には流通過皋で資本ずしおの機胜の発揮がみられるずいうこずに他ならない。
宇野のような偏芋をもたなければ、貞付けられる貚幣には平均利最を産むずいう䜿甚䟡倀があるこずを認めるのは困難ではない。たたこの貚幣が借り手の機胜資本家の手䞭で珟実に資本ずしお機胜するずいうこずも驚くには圓らない。したがっお、マルクスが「圌じしんにずっおのみならず他人にずっおも資本ずしお」ずいう堎合、この貚幣が他人にずっおは資本ずしお機胜するこずを理解するこずは容易である
間題はこの貚幣が貞手にずっお資本であるずいうこずの意味にある。そもそも資本ずは䞀蚀で蚀えば自己増殖する䟡倀であった。この貚幣が機胜資本家の手䞭でそういうものずしお機胜するこずは明らかである。では貞手にずっおはどうか。マルクスは「運動においお自らを維持し、 機胜しおえた埌に最初の支出者の手に埩垰する䟡倀」ず蚀っおいる。
貚幣を流通過皋で資本ずしお機胜させるこず、このこずが間題なのであるが、その貚幣が借手の手で平均利最を産むものずしお機胜するずいうこずだけでは、この貚幣の䜿甚䟡倀が資本であるずいうこずを意味するにすぎず、䜿甚䟡倀の資本性は、流通過皋での資本ずしおの機胜ずは別のものである。流通過皋で譲枡されるのは貚幣であり、䞀぀の物象である。この貚幣が流通過皋で資本ずしお機胜するずいうこずは、この物象そのものにそなわった力ずしお資本ずいう機胜が発揮されるずいうこず以倖にはありえない。
マルクスは「貚幣は、それが資本ずしお貞付けられるかぎりでは、たさに、䞀定期間埌に远加分をずもなっお埩垰しか぀たえず新たに同䞀過皋を通過しうるずころの、こうした、自らを維持しか぀自らを増殖する貚幣額ずしお貞出される」䞉巻、䞉䞃䞃・䞉五䞃頁ずいっおいる。ここでは資本ずしおの機胜は貚幣それ自䜓にそなわっおいるものずしお、貚幣の属性ずしお説かれおいる。
本章での最初の匕甚文を思いおこそう。そこでは貚幣が受けずる远加的䜿甚䟡倀、資本ずしお機胜するずいう䜿甚䟡倀が説かれ、この属性においお貚幣が商品になるず芏定されおいた。この芏定はその貚幣を機胜資本ずしお機胜させる偎、借り手の偎からの芏定であったこずがここで明らかずなる。このような借り手が存圚するずき、貚幣そのものに、先にみた平均利最を生産するずいう機胜ずは別の、玔粋に流通過皋で発茝される資本機胜が属するようになる。
こうしお、利子生み資本範疇を解明する際には、貚幣の远加的䜿甚䟡倀、この属性にもずづく貚幣の商品化、ずいうこずず、この資本ずしおの貚幣の貞付けの際にあらわれる利子生み資本ずしおの資本の機胜の関連を明確にしおおくこずが必芁である。
利子生み資本ずいう堎合、貞し手ず借り手ずの間の貞借関係だけを珟象ずしおも぀。だから「利子生み資本の特城は、倖面的な・媒介的埪環から分離された・埩垰圢態である」䞉巻、䞉八〇・䞉五九頁ずいうこずになり、「貚幣を䞀定期間だけ手攟し、貞付けお、これを利子剰䜙䟡倀ずずもに回収するこずが、利子生み資本ずしおの利子生み資本に属する運動の党圢態である」䞉巻、䞉八䞀・䞉六䞀頁ずいうこずになる。
結局資本の商品化ずいう堎合の資本は、貚幣の远加的䜿甚䟡倀であり、平均利最を産むずいう䜿甚䟡倀であっお、それは流通過皋で資本性を発揮するこずずは次元を異にしおいる。だから、貚幣を、資本ずしお貞付けるずいう堎合の資本においおは、貞手ず借手でその内容を異にする。貞手は平均利最を産むずいう䜿甚䟡倀を借手に讓枡し、自分自身では資本の所有自䜓が利子を生むずいう利子生み資本ずしお貚幣を投䞋したのである。 それで商品化した資本の流通過皋での運動が利子生み資本の運動を圢成する。

貞付ず販売
商品亀換をその商品の䜿甚䟡倀の譲枡ず把えれば、その譲枡の圢態は単に販売に぀きるものではない。䟋えば家屋などは貞付の圢態をずっおその䜿甚䟡倀が護枡される。
資本が商品ずなる、ずいう堎合、貚幣の資本ずしおの機胜が讓枡されねばならないが、しかし、この資本の所有暩は譲枡されない。そればかりでなく、貚幣の資本ずしおの䜿甚䟡倀の、商品ずしおの讓枡が新たな利子生み資本ずいう資本の運動ずなるわけだから、その取匕においおは利子をずもなっお資本が還流しなければならない。だから、「支払われおしたうのでも、売枡されるのでもなく、貞出されるにすぎない。すなわち、䞀定の期間埌に、(侀)、その出発点に埩垰し、しかも(二)、実珟された資本ずしお――剩䜙䟡倀を生産するずいう自己の䜿甚䟡倀を実珟した資本ずしお――埩垰するずいう、 条件のもずで譲枡」䞉巻、䞉䞃六・䞉五六頁されるずいうこずになる。
この貞付けに぀いおマルクスはその過皋を描き出す。
「貞付資本家は、等䟡を受けずるこずなしに圌の資本を手攟す、すなわち産業資本家に移譲する。圌が資本を手攟すずいうこずは、資本の珟実的埪環過皋䞊の行為ではけっしおなく、 産業資本家によっお実行されるべきこの埪環を導入するにすぎない。貚幀のこの第䞀の䜍眮倉換は、姿態倉換䞊の䜕らの行為――賌買も販売も――-衚珟しない。所有は譲枡されない、ずいうのは、䜕らの亀換もおこなわれず、䜕らの等䟡も受けずられないからである。貚幣が産業資本家の手から貞付資本家の手に埩垰するこずは、資本を手攟したずぃう第䞀の行為を補足するにすぎない。貚幣圢態で投䞋された資本は、埪環過皋をぞお、産業資本家のもずに再び貚幣圢態で埩垰する。だが資本は、支出のさいに圌には属しなかったのであるから、埩垰のさいにも圌には属しえない。再生産過皋を通過しおも、この資本が圌の所有に倉わるこずはありえない。だから圌は資本を貞手に返還せねばならない。資本を貞手の手から借手の手に移転させる第䞀の支出は䞀぀の法埋的取匕であっお、この法埋的取匕は資本の珟実的再生産過皋ずはなんの関係もなく、これを導入するにすぎない。 還流した資本をふたたび借手の手から貞手の手に移転させる返枈は第二の法埋的取匕であり、第䞀の法埋的取匕の補足である。第䞀の法埋的取匕は珟実的過皋を導入し、第二の法埋的取匕は珟実的過皋の埌で行なわれる補足的行為である。だから、貚付資本の出発点ず埩垰点、手攟しず返還は、資本の珟実的運動の前埌に行なわれおこの運動そのものずは䜕の関係もないずころの、法埋的取匕によっお媒介される恣意的運動ずしお珟象する。」䞉巻、䞉八〇〜䞀・䞉五九〜 六〇頁
この貚付の過皋から明らかになるこずは、貞付ず返枈からなる利子生み資本の運動が、資本の運動であるにもかかわらず、珟実の資本の運動剩䜙䟡倀の生産ずはかかわりのないものずしお珟れるこずである。
「資本家のもずぞの貚幣の埩垰、出発点ぞの資本の埩垰ずいう、資本䞀般の特城的運動が、利子生み資本においおは、たったく倖面的な・その内容をなす珟実的運動から分離された・姿態を受けずる・・・・資本ずしおの貞付貚幣の珟実的運動は、貞手ず借手ずのあいだの諞取匕のかなたに暪たわる操䜜である。これらの取匕そのものにおいおは、この媒介は消枛しおおり、県にみえず、盎接には含たれおいない。独自な皮類の商品ずしお、資本はたた独自な皮類の讓枡をされる。だから還流も、ここでは、䞀連の経枈的事象の垰結および成果ずしおは珟われないで、賌買者ず販売者ずの独自な法埋的協定の結果ずしお珟われる。」䞉巻、䞉八䞀〜二・䞉六〇〜䞀頁
ずはいえ、癟ポンドの借入金に察し、期間䞀幎で五ポンドの利子を付けお返枈するずいう契玄、これが取匕の法埋的内容であるが、このような契玄の法埋的効果によっお利子が払われるのではないこずは明らかである。
「資本ずしお投䞋された貚幣は、その投資者、すなわちそれを資本ずしお支出した者に埩垰するずいう属性をも぀がゆえに、G―W ―G’が資本運動の内圚的圢態であるがゆえに、たさにそれゆえにこそ、貚幣所有者は、貚幣を資本ずしお、すなわち自己の出発点に埩垰するずいう属性・それが通過する運動においお自己を䟡倀ずしお維持しか぀殖するずいう属性・をも぀ものずしお、貞付けうるのである。圌が貚幣を資本ずしお手攟すのは、けだし、貚幣は資本ずしお䜿甚されたのち出発点に還流するからであり、぀たり、䞀定時間ののち借手から返還されうる――それが借手そのものの手もずに還流するがゆえに――からである。
だから、資本ずしおの貚幣の貞付――䞀定期間埌に返還されるずいう条件での貚幣の手攟し――は、貚幣が珟実に資本ずしお䜿甚され、珟実にその出発点に埩垰するこずを前提ずする。だから、資本ずしおの貚幣の珟実の埪環運動は、法埋的取匕――それによれば借手は貞手に貚幣を返通せねばならない――の前提である。」䞉巻、䞉八二〜䞉・䞉六二頁
先の契玄には盎接含たれおはいないが、しかしその契玄の前提になっおいるものは、癟ポンドを資本ずしお機胜させれば、平均利最をあげるこずができる、ずいうこずである。この前提があるから、借手は貞手に利子を付けお貚幣を借りるこずに同意するのである。したがっおこの前提自䜓が珟実化されおいなければならないし、これが資本ずしおの貚幣の珟実の埪環運動ずしお展開されおいるがゆえに、先の契玄も成立しうるのであった。それゆえ、利子支払いの根拠、利子生み資本成立の根拠は、かの法埋的取匕においおは党然衚珟されるこずのない、資本の珟実的運動にある。このような利子生み資本の圢態䞊の特城を、マルクスは「倖面的な・その内容をなす珟実的運動から分離された」ものず珟定した。ここで倖面的ずいうこずの意味は、資本の本性が自已殖する䟡倀であるずいう堎合、この本性を衚珟するかたち、G・・・G’が、その内容を䜕ら瀺さない様匏においお珟象しおいるずいうこずである。 利子生み資本の党運動圢態が法埋的取匕を媒介にしお、貚幣の貞借関係ずしお珟象しおいるずき、それは資本のG・・・G’ずいう倖面的なかたちしか瀺しおいないのである。

宇野の利子理解
マルクスはこのあず利子の圢態的分析に移っおいる。この利子の圢態的分析に察しお宇野は倚くの語を䜿っお批刀しおいるのであるが、それを怜蚎するための導入ずしお、ここで宇野の利子理解に぀いおみおおこう。ずいうのは、マルクスの利子生み資本論のこれたでの展開は同時に利子範疇に぀いおの本質的解明を含んでおり、宇野の利子理解ず察比するこずが可胜ずなっおいるから。
マルクスはこれたでの展開から知れるように、貞付貚幣資本貚幣信甚を利子生み資本の簡単な圢態ずみなし、これを分析した。そしお貚幀の貞借関係のうちに資本の商品化を芋いだした。
これに察しお宇野は貚幣の貞借関係ではただ資本は商品化しおいないずいっおマルクスを批刀し、たた、この関係は産業資本の再生産過皋に基瀎づけられたものずはいえないので、この芳点からすれば、産業資本家の遊䌑貚幣資本が盞互に融通される関係具䜓的には商業信甚から出発しお利子論を展開すべきずした。そしおこの商業信甚が銀行を媒介にしお瀟䌚化され、銀行信甚に転化するず貞付資本貚幣の貞借は産業資本から独立化し、ここで資金の商品化が確立するずみた。そしお株匏の売買に資本の商品化を芋、これに「それ自身に利子を生むものずしおの資本」ず名づけた。
そこでこれらの宇野利子論から宇野の利子理解をずりあげおいくず、マルクスにずっおは埌にみるように、利子は資本の䟡栌ずしお珟れるこずになっおいるが、宇野の堎合、株匏にもずづく収入は配圓であっお利子ではなく、ただこの配圓を利子にみたおお、利子率で資本還元した擬制資本にずっおの利子ずいうだけのこずだから、資本の䟡栌ずしおの利子ずいう珟象はここには芋いだせず、利子を資本所有にずもなう収入ずしお「資本がそれ自身に利子を生む」ずいうように芏定するこずになっおいる。ここでは利子は神秘化された圢で叙述されおいるだけである。
では利子に぀いおの珟実的分析がどこで䞎えられおいるかずいえば、それは、商業信甚及び銀行信甚で利子を「資金」の䟡栌ず把えおいるずころである。
利子の本質を芏定するに圓っお重芁なこずは、利子率が貞手ず借手の間の競争によっお決定されるずいう珟象の背埌にある内実を぀かむこずであり、利子が剩䜙䟡倀の䞀郚分の自立化したものであるこずを蚌明するこずである。そうするこずによっおはじめお、資本䞻矩的生産が支配的になる以前の高利資本ず、それ以降に圢成された近代的利子生み資本ずの間にある本質的盞違を瀺すこずができるのである。このこずを念頭に眮いお怜蚎を進めよう。
宇野は商業信甚では「資金の流甚から資本力を倧し、䞀定量の資本による剩䜙䟡倀の生産を進するこずになるのであっお、かかる融通に察しおその代䟡ずしお利子を支払い埗るこずになる」『宇野匘蔵著䜜集』䞀卷、四六五〜六頁が、しかしここではただ利子は「䞀般的な根拠を䞎えられるこずにはならない」(同曞、四六六頁) ずしおいる。
次に銀行信甚の堎合では「盎接貞付を受けるずいう堎合にもたた資本自身を貞付けられるずいうのではない。資本ずしお䜿甚し埗る資金を貞付けられるのであっお、その貞付に察しお利子が支払われるのは、この資金によっお資本力が進せられ、䞀定量の自己資本による剰䜙䟡倀の生産が加せられるからである」同曞、四䞃〇頁、「盎按の流通過皋から遊離し、独立した貚幣が資金ずしおある堎合、それは個人的に消費するこずも出来れば、たた産業資本ずしお資本化するこずも出来るこずはいうたでもないが、これを貚付けお䞀定期間埌に利子を加えお回収すれば貞付資本ずしお、産業資本ず別個の資本をなすこずになる。資本の瀟䌚的再生産過皋を基瀎にしながら党く別個の資本の運動をなすわけである・・・・資本の瀟䌚的再生産過皋を基瀎にしお遊䌑資金がい぀でも資本ずしお、少なくずも远加資本ずしお機胜し埗るずいうこずから、貞付資本化するのであるが、銀行にずっおは、資金自身がかかるものずしお商品ずなる。利子はいわばその䟡倀をなすわけであるが、しかし勿論䞀般の商品のような䟡倀芏定を受けるわけにはゆかない。資金の資本化によっお生産される剩䜙䟡倀の䞀郚分を分䞎せられるものずしお需芁䟛絊によっお決定されるに過ぎない」同曞、四䞃䞀〜二頁ずしおいる。
ここで泚目しおおくべきこずは、第䞀に機胜資本家ず貚幣資本家を想定しお利子論を説きはじめるべきではない、ずしたこずから、利子の根拠が、貞付資本の平均利最を産むずいう䜿甚䟡倀に求められず、借り手の自己資本にずっおの剩䜙䟡倀の生産の増加に求められおいるこずであり、第二に、ここでの資本の商品化を吊定したこずから、貚付けられる貚幣はもちろん資本ずしおも䜿甚されるがそれに限定しおいないこずである。このように『資本論』ずの盞違を述べながらも、「貞付資本に分䞎せられる利子は、産業資本の剰䜙䟡倀ずしおの利最の䞀郚分をなす」同曞、四八五頁ずいうように、その結論だけは受け入れおいる。
ずころが、宇野のいうように、貞付資本を「資金」の商品化ずしたり、たた、その代䟡たる利子の根拠を、借り手の自己資本の利最率の䞊昇ずいったこずに求めおいたのでは、利子が剩䜙䟡倀の䞀郚分であるずいうこずが党然説明できないのである。
宇野が資本の商品化に察眮しお「資金」の商品化ずいう以䞊、その䜿甚䟡倀は資本機胜に限定されおいないこずになる。そうするずその䟡栌たる利子を芏定するに圓り、それを機胜資本ずしお䜿甚する堎合のみを想定するこずは蚱されないはずである。そこで字野は自己資本云々ず蚀っおいるのだろうが、しかし自己資本にずっおの貞付資本にもずづく利最率の䞊昇ずは、いいかえれば、その貞付資本を機胜資本ずしお運動させたこずの垰結でしかありえない。だから、宇野は「資金」の商品化ずいうような異をたおおいながら、実際には、貞付資本の資本ずしおの䜿甚䟡倀に利子の根換を求めおいるのであり、資本の䟡栌ずしおの利子ずいう芏定を口では吊定しながら実際にはその内容を展開しおいるのである。
商品の䟡栌ずはその䜿甚䟡倀の䟡栌である。貚幣は貚幣ずしおの䜿甚䟡倀においおは貞借されはするが商品ずなりえない。ずいうのはその機胜が他の党おの商品の共同行為によっお䞎えられたものであるから。だから貚幣が商品化する堎合、その商品たる貚幣の䜿甚䟡倀は貚幣ずしおの䜿甚䟡倀ではない。マルクスはこの䜿甚䟡倀を資本機胜ず芋、貚幣の远加的䜿甚䟡倀ず芏定した。そしお貚幣の商品化ずはこの貚幣の資本機胜ずいう䜿甚䟡倀が商品化しおいるずいうこずだから、それを資本の商品化ず芏定したのであった。それはずもかく、宇野のいうように、貚幣の貚幣ずしおの䜿甚䟡倀が商品ずしお譲枡されるずいうのなら、貚幣の匕き枡しの代䟡には同じ貚幣額が必芁ずいうこずになり、取匕ずしお成立しないであろう。こうしお宇野は、利子の根拠の説明のずころでは、資本の商品化のメカニズムにもずづいお利子を説いおいながら、資本の商品化は認めないず公蚀するずいう、党く珍奇なふるたいをしおいるこずになる。
貚幣の貚幣ずしおの䜿甚䟡倀に䟡栌を蚭定するこずは無意味であり、それゆえ「資金」の䟡栌を利子ずするこずは、資本にではなく、貚幣に利子が぀くず䞻匵しおいるこずになるが、これは資本を貚幣ずみる日垞意識の無意識な衚出であるずいうこず以䞊の䜕ものをも意味しおはいない。
そしおそうだずすれば、貞付資本の䜿甚䟡倀にそれを資本ずしお䜿甚する堎合を想定しお利子の根拠を説くずいう、蚀葉ず内実ずの䞍䞀臎も別におかしいこずではなくなる。自分の蚀葉ず実際に展開しおいる内容ずが異なるこずに気付かないずいう宇野の混乱が、 日垞意識ぞの無批刀的のっかかりにあるずいうこずが刀明するからである。
こうしたこずずは別に、事実䞊宇野が資本の商品化論を認めお利子を説いおいるずしおも、利子の根拠を自己資本の利最率の䞊昇から説いたのでは、それが利最から分割されたものであるこずが刀然ずしない、ずいうこずにも泚意しおおく必芁がある。宇野のような想定なら貞付資本が産む利最を超える利子の存圚を吊定するこずができないのである。
そこで、宇野からの匕甚の最埌の郚分をみおみよう。そこには利子を「資金」の䟡栌ず芋なしたうえでその「䟡倀芏定」に぀いお、「資金の資本化によっお生産される剩䜙䟡倀の䞀郚分を分䞎せられるもの」ずある。この芏定によれば、利子を芏定するに圓぀おは、「資金」ずは「資本化」されねばならないものであり、なおか぀、それが資本化されるこずによっお産み出される剩䜙䟡倀が利子を芏定するものであるこずを認めおいる。この芏定は、宇野のそれたでの「資金」の商品化論や、自己資本の利最率増倧論ずは䜕の関速もなく、それはマルクスが貚幣の貞借を資本の商品化ずみなし、機胜資本家ず貚幣資本家ずの貚借関係を蚭定しお分析した利子の本質芏定をその結論だけずっおきたものにすぎない。
このような事態は、宇野独自の利子論が、結局は利子の本質芏定を䞎えられなかったこずを告癜するものに他ならないずいえる。

利子の圢態芏定
利子が利最の䞀郚分であるずいうその本質芏定が明らかになったこずを前提にしお、マルクスは利子がずる資本の䟡栌ずいう圢態の分析に移る。
「貚幣資本家は、事実䞊、䞀぀の䜿甚䟡倀を讓枡するのであり、したがっお、圌が手攟すものは商品ずしお手攟されるのである。そしおそのかぎりでは、商品ずしおの商品ずの類䌌は完党である。第䞀に、䞀方の手から他方の手に移るものは䞀぀の䟡倀である。単玔商品、すなわち商品ずしおの商品にあっおは、同じ䟡倀が、圢態だけを異にしお、買手ず売手ずの手にずどたる。圌らはいずれも、埓来どおり、圌らが譲枡したのず同じ䟡倀を、前者は商品圢態で、埌者は貚幣圢態で所有する。区別は、貞付のばあいには貚幣資本家だけがこの取匕で䟡倀を手攟す、ずいうこずである。だが圌は、将来の返枈によっおこの䟡倀を保有する。貞付のばあいには、䞀方によっおのみ䟡倀が手攟されるがゆえに、䞀方によっおのみ䟡倀が受けずられる。――第二に、䞀方の偎では珟実的䜿甚䟡倀が譲枡され、他方の偎ではこれが受けずられお消費される。だがこの䜿甚䟡倀は、普通の商品ずは異なり、それじしんが䟡倀――すなわち、資本ずしおの貚幣の䜿甚によっお生ずる䟡倀量のうち、その本源的䟡倀量をこえる超過分――である。利最はこの䜿甚䟡倀である。・・・・
普通の商品の賌買者が買うのは、その商品の䜿甚䟡倀であり、圌が支払うのは、その商品の䟡倀である。貚幣の借手が買うのも、貚幣の資本ずしおの䜿甚䟡倀ではあるが、しかし圌は䜕を支払うかほかの商品のばあいずは異なり、商品の䟡栌たたは䟡倀でないこずは確かである。貞手ず借手ずのあいだでは、買手ず売手ずのあいだずは異なり、䟡倀が䞀床は貚幣の圢態で実存し、もう䞀床は商品の圢態で実存するずいうような、䟡倀の圢態倉換はおこなわれない。手攟される䟡倀ず回収される䟡倀ずの同䞀性は、ここではたったく別の様匏であらわれる。䟡倀額たる貚幣が等䟡なしに手攟されお、䞀定期間埌に返還される。貞手は、䟡倀が圌の手から借手の手に移ったのちも、䟝然ずしお同じ䟡倀の所有者である。単玔な商品亀換のばあいには貚幣は぀ねに買手の偎にあるが、貞付のばあいには貚幣は売手の偎にある。資本の売り手ずは、貚幀を䞀定期間ちゅう手攟す人であり、資本の買手ずは、資本を商品ずしお受けずる人である。だが、こうしたこずが可胜なのは、貚幣が資本ずしお機胜し、したがっお投䞋されるかぎりでのみである。借手は貚幣を資本ずしお、みずからを増殖する䟡倀ずしお、借りる。だがこれは、あらゆる資本がその出発点・その投䞋の瞬間・においおそうであるのず同じように、やっず資本自䜓〔朜勢的資本〕にすぎない。それは、その䜿甚によっお初めお、みずからを殖し、みずからを資本ずしお実珟する。ずころが借手は、それを実珟された資本ずしお、぀たり、䟡倀プラス剩䜙䟡倀利子ずしお返枈せねばならぬのであっお、この埌者〔利子〕は、圌によっお実珟された利最の䞀郚分たりうるにすぎない。」䞉巻、䞉八五〜六・䞉六四〜五頁
利子がずる䟡栌ずいう圢態を分析するに圓っお、マルクスは、貞手から借手ぞの貚幣の資本ずしおの䜿甚䟡倀の譲枡を普通の販売ず比范しおいる。
貞手は貚幣の資本ずしおの䜿甚䟡倀を譲枡するのだから、この䜿甚䟡倀を讓枡するずいう点では商品の販売ず共通しおいる。ずころで商品の販売においおは䞀方の手から他方の手に䞀぀の䜿甚䟡倀が、したがっお䟡倀が移されるがそれず同時に他方から同じ䟡倀をも぀別の䜿甚䟡倀が移っおくる。だからここでは商品所有者は䟡倀を讓枡しおいるわけではない。そこではただ䟡倀がその圢態を、぀たりは䜿甚䟡倀を倉えおいるだけである。
ずころが資本の貞付の堎合、最初の取匕においお貞手は䞀方的に䟡倀を手攟す。そこでは䜕らの等䟡を受けずらないが、その代りに将来の返枈においおその䟡倀を回収する。
次に、讓枡される䜿甚䟡倀それ自身に、普通の商品ずは異なる性栌がある。普通の商品の䜿甚䟡倀は買い手の手䞭で消費されおしたうが、資本ずしおの商品は、自己を剩䜙をずもなっお保存するから、その䜿甚䟡倀は利最である。
ではこの取匕においお、借り手は貞し手に䜕を支払うのか。普通の商品販売では賌買者はその商品の䜿甚䟡倀を受けずり、その商品の䟡倀を支払う。資本の貞付の堎合、借手はその資本自䜓が保有しおいる䟡倀を支払うわけではない。
「党取匕は、前提によれば、貚幣資本家ず産業資本家たたは商業資本家ずいう、二皮の資本家のあいだで行なわれる。
けっしお忘れおはならぬこずは、ここでは資本ずしおの資本が商品であるずいうこず、たたは、ここで間題ずなる商品は資本であるずいうこず、である。だから、ここで珟象するいっさいの関係は、単玔商品の立堎からすれば、たたは資本――その再生産過皋で商品資本ずしお機胜するかぎりでの資本――の立堎からしおも䞍合理であろう。売買でなく貞借であるこずは、ここでは、商品――資本――の独自な本性から生ずる区別である。ここで支払われるものが利子であっお商品の䟡栌でないこずも同様である。もし、利子を貚幣資本の䟡栌ず名づけようずするならば、それは䟡栌の䞍合理な圢態であっお、商品の䟡栌ずいう抂念ずたったく矛盟する。䟡栌はこの堎合には、なんずか䜿甚䟡倀ずしお機胜する或るものに支払われる䞀定の貚幣額だずいう、玔粋に抜象的で無内容な圢態に還元されおいるが、䟡栌の抂念にしたがえば、䟡栌は、貚幣で衚珟されたこの䜿甚䟡倀の䟡倀に等しい。」䞉巻、䞉八䞃・䞉六六頁
利子は貞手から借手に讓枡される商品の、資本ずいう䜿甚䟡倀に察しお支払われる代償であるが、これを資本の䟡栌ず芏定するず、ある䜿甚䟡倀の䟡倀を貚幣で衚珟したものであるずいう䟡栌の抂念ず矛后するこずになる。ずぃうのはこの資本ずいう䜿甚䟡倀はそれ自身で䟡倀をもっおいるからである。利子はこの䟡倀を貚幣で衚珟したものではない。
「資本は、その殖によっお自らを資本ずしお衚明する。その増殖の皋床は、資本が資本ずしお自らを実珟する量的皋床を衚珟する。資本によっお生みだされる剰䜙䟡倀たたは利最――その率たたは高さ――は、 投䞋資本の䟡倀ず比范するこずによっおのみ床量されうる。だから利子生み資本の殖の倧小も、利子額、すなわち総利最のうち利子生み資本に垰属する郚分を、投䞋資本の䟡倀ず比范するこずによっおのみ床量されうる。だから、䟡栌が商品の䟡倀を衚珟するずすれば、利子は、貚幣資本の殖を衚珟し、したがっお、貞手にたいしおその貚幣資本に支払われる䟡栌ずしお珟象する」䞉巻、䞉八八・䞉六䞃頁
利子が資本の䟡栌ずしお珟象しおいるにもかかわらず、この珟象が䟡栌の抂念に矛后しおいるずすれば、そもそも利子は真実には䜕を衚珟しおいるのかこの問いにマルクスはそれは貚幣資本の殖だずこたえおいる。貞付の堎合貚幣は貞手にあっおも資本ずしお機胜しなければならないから返枈にあたっお自己の䟡倀を殖しおいなければならない。その殖分が利子だから、利子は貚幣資本の殖分を衚珟しおいるのだが、この取匕においおは利子は増殖分ずしおではなく、貚幣資本の䟡栌ずしお珟象するのである。
では本来䟡栌ではないものが䟡栌ずしお珟象するのはどういった事情によるのか。
「ここで資本そのものが商品ずしお珟象するのは、資本が垂堎に提䟛され、資本ずしおの貚幣の䜿甚䟡倀が珟実に譲枡されるかぎりにおいおである。だが、資本ずしおの貚幣の䜿甚䟡倀は、利最を生みだすずいうこずである。資本ずしおの貚幣たたは商品の䟡倀は、貚幣たたは商品ずしおのそれらの䟡倀によっおは芏定されないで、それらが所有者のために生産する剩䜙䟡倀の分量によっお芏定されおいる。・・・・・
さらに、資本が商品ずしお珟象するのは、利子ず本来的利最ずぞの利最の分割が、商品の垂堎䟡栌ずたったく同じように、需芁䟛絊によっお、 ぀たり競争によっお調敎されるかぎりにおいおである。だが、ここでは、類䌌ず同じように区別も明確にあらわれる。需芁ず䟛絊ずが䞀臎すれば、商品の垂堎䟡栌は生産䟡栌ず䞀臎する。すなわち商品の䟡栌は、そのばあいには、資本制的生産の内圚的諞法則によっお芏制されるもの、競争ずは係わりのないもの、ずしお珟象する。・・・・だが、貚幣資本の利子に぀いおは異なる。このばあいには、競争が法則からの諞背離を芏定するのではなく、競争によっお䞎えられる法則いがいには䜕らの分割法則も実存しない。」䞉巻、䞉八九〜九〇・䞉六䞃〜九頁
利子率に぀いおは次章で詳しく展開されおいる。ここでは資本が垂堎に登堎しお、資本ずしおの貚幣の䜿甚䟡倀が譲枡されおいるこず、そしお、利子率が商品の䟡栌決定ず同様に、貞手、借手によっお行なわれる競争で決定されるこず、が貚幣の貞借に資本の商品化ずいう珟象を䞎えるのであるずいうこずだけを確認しおおこう。
さお、このようにみごずに展開されおいるマルクスの資本の商品化論に察し、宇野がどのような批刀を詊みたかを次にみおみよう。

10宇野による商品化論ぞの批刀
宇野が最初にマルクスの資本の商品化論を批刀したのは 『経枈原論』䞋卷の泚においおであった。
「なお貚付資本は、これもたた埌に明らかにするように資本を貞付けるものずしお資本なのではない。い぀でも資本ずしお機胜し埗る貚幀を貞付けるずいうこずは、それ自身資本を貞付けるわけではない。貚幣を貞付けるこずが、そしおそれによっお利子を埗るこずが、かかる貚幣の所有者にその貚幣を資本たらしめるのである。したがっおその貞付に察しお埗られる利子は『資本の䟡倀』ではなく、貚幣の䞀定期間の䜿甚に察する察䟡に過ぎない。ここでは貚幣自身が商品ずなるのであっお、なお資本が商品ずなるのではない。この点マルクスの説くずころず異なるが、ここでは単にその点を指摘するにずどめおおく。」『宇野匘蔵著䜜集』䞀卷、二五九頁
「マルクスは貚付資本においおすでに資本が商品ずなるように説いおいるが、私はここではなお資本は商品化しおはいないものず理解しおいる。株刞や土地が䞀定の利子を生むものずしお、擬制資本化されるずき始めお資本は商品化されお売買される。その䟡倀は埌に述べるように利子をもっお資本還元されたものではあるが、利子自身ではない。」同曞、四䞃二頁
ここでの宇野の䞻匵をさらに展開したものに「資金論」がある。この芋解は埌に『経枈孊方法論』で撀回されおいるのではあるが、字野の間題意識がどこにあるかがよくわかるので、次にみおおこう。字野は貞手Aず借手Bを蚭定した䞊で述べおぃる。
「Aの手においお貚幣は、G・・・G’の内に䟡倀殖をなし、それ自身資本の運動をなすのであるが、しかしAは、Bに察しおその資本自身を売ったわけではない。AにおけるG・・・・G’の運動ず、BにおけるG―W―G’の運動ずは、前者があっお埌者があり、埌者を基瀎にしお前者があるずいった関係ではあるが、盎接的に連関した資本の運動をなすものずはいえない。資本ずしおはAにあっおはG・・・・G’ずしお、BにおいおはG―W―G’ずしおあり、それぞれ特殊の存圚をなすのであっお、Aの資本がBに委譲されるのではない。A の所有する貚幣を資金ずしおBに貞付けるこずが、Aにずっおはその資金を資本ずしお投ずるこずになる。資本はAからBの手に移るずいうような圢で運動するものではない。」同曞四卷、䞀九〇頁
この「資金論」の内容を補足ずしお、先の泚の郚分を芋るず、宇野がマルクスを批刀した理由がわかる。それは貞手にずっおの資本、利子を生むものずしおの資本が貞付けられるのではなく、貚幣を貞付けるのだから、貞手から借手ぞの資本の移動はなく、こうしお、貚幣の貞借を資本の商品化ずはみなせない、ずいうのである。
だがAの手䞭でのG・・・・G’ずBの手䞭でのG―W―G’ずを、「盎接的に連関した資本の運動」ず芋ないのでは、利子や利子生み資本に぀いお䜕も解明しえないこずになる。たず、Bの手䞭でG―W―G’の運動を展開しおいる資本の所有者は他ならぬAであり、Aが貞付けるこずが出来るのも、資本がBの手䞭でG―W―G’ずいうように自己を殖しお還流するからであった。だからAの資本をBの手䞭での資本の運動ず切りはなしおしたえば、Aの資本が資本たりうる根拠を捚おおしたうこずになる。このような字野の芋解は文字通り、利子生み資本が「倖面的な・媒介的埪環から分離された・埩垰圢態」をも぀こずに目をうばわれおその珟実的運動を芋倱なったものずいえよう。
ずころで『経枈孊方法論』では、この「資金論」での内容を撀回しながらも、マルクスの資本の商品化論に察しおは別の角床からの批刀を展開しおいる。
宇野はそこで、マルクスが蚭定した貚幣の貞借を「利子付資本」ず呌び、぀いで自己の「資金」論の立堎から「産業資本の埪環運動䞭に必ず生ずる遊䌑貚幣資本が、銀行資本の媒介によっお資金ずしお他の産業資本に融通され」(同曞、九巻、二五二頁)るいわゆる銀行信甚の堎合の貚幣の貞借を「利子付資本」ず呌んで䞡者を区別した䞊で、マルクス批刀を展開しおいる。
「利子付資本にあっおは、貞手は、『自分の貚幣を利子付資本ずしお䟡倀殖しようずする貚幣所有者』である。圌自身の手にあっおは、なお、その貚幣は『資本』の運動をなしおいるわけではない。借手の手にあっお始めお『資本』ずしお運動し、その運動に盎接に結合されお、ここで宇野は前説を撀回しおいる――筆者その貚幣は貞手にずっおも『資本』ずせられるのである。・・・・・ここでは貚幣が『資本』ずしお貞手から借手に枡されるものずいっおもよいであろう。しかしその関係は、この貚幣を『資本ずしお商品ずなす』ずいうには適圓ではない。貞手ず借手ずの関係は、商品の売買以䞊のものずいっおよいであろう。ずころがマルクスは、この関係をも特殊の商品の売買関係ずなすのである。」同曞、二五䞉〜四頁
「マルクスは、ここでは貚幣を資本ずしお『商品』ずしながら、実は『資本ずしおの䜿甚䟡倀』を有する貚幣の貞借関係をもっお䞀般商品の売買ず比范しおいるのであっお、むしろ䜕故にこの堎合の貞借関係に、資本を商品ずする売買関係を想定しなければならないか、が問題であるずいっおよい。」同曞、二五五頁
「ここで『資本ずいう商品』ずせられるものは、実は『資本ずしおの貚幣の䜿甚䟡倀』にすぎない。・・・・・・ここでも『資本』ずしお䜿甚せられうる貚幣が盎ちに『資本ずいう商品』にせられおいるのである。そしおその䜿甚䟡倀が『平均利最を産む胜力』ずせられるのであるから、利最の䞀郚分をなすにすぎない利子をその代䟡ずするわけにはゆかなくなる。貞手ず借手の関係は、商品の売買関係ではないのである。」(同曞、二五六〜䞃頁)
このように宇野は今床は貚幣の貞借、「利子付資本」は、貞借関係であっお商品の売買関係ではない、ずいっおマルクスを批刀するこずになった。しかしこの批刀は党然批刀にはなっおいない。ずいうのはマルクスは、貞借関係が売買関係であるずいったこずを䞻匵しおいるのではなく、貞借関係が資本の商品化ずいう珟象をもたらすこず、そしおこの資本の商品化が普通の商品の売買ずどの点で類䌌し、どの点で異なるかを分析しおいるのだから。したがっおこの意味をなさない批刀内容をずりのぞくず、あずには資本ずしお䜿甚せられうる貚幣、資本ずしおの貚幣の䜿甚䟡倀の商品化を、資本ずぃう商品ずはみなせないずいう䞻匵だけが残る。
讓枡される䜿甚䟡倀が商品䜓をなしおいるのだから、資本ずしお䜿甚されるものずしおの貚幣の貞付においお借り手に讓枡されるものは、その貚幣の資本ずしおの䜿甚䟡倀であり、それゆえこの䜿甚䟡倀、぀たりは資本がここで商品化しおいる、ずいうこずを認めないこずが結局のずころ宇野には匕くに匕けない最埌の䞀線になったのである。ずころがこのような最埌の䞀線を匕いたこずによっお、字野は奇劙な商品論を展開するはめになった。宇野は「利子付資本」の堎合における貚幣の貞借は、貞借関係ではあるが、そこで貚幣「資金」は商品化しおいるずいっおいる。
「ずころが先にあげた利子付資本にあっおは、 貞手ず借手ずの関係は単なる貞借関係ではない。それは売買関係ずしおあらわれる貞借関係である。貞手は、貚幣を借手に譲枡しお、䞀定期間の埌に返還されるのであっお、その点ではたしかに貞借関係であるが、しかしこの貚幣は䞀定期間は自由に䜿甚されうるものずしおいわゆる資金をなし、その䜿甚䟡倀が䞀定の代䟡をもっお借手に売华されるのである。それは『貚幣』を商品ずしお売買するものずいっおよい。利子はその䟡倀あるいは䟡栌をなすわけである。もちろんここでいう『商品』ずか、『䟡倀』『䟡栌』ずかいうのは、本来の意味でいうのではない。しかしこの貞借関係は、商品売買ず同様にしお行なわれる。その点は、利子付資本の貞借関係ず察比すれば明らかである。たず第䞀に、ここで売買される商品ずしおの貚幣は、利子付資本?におけるように、䞀般的に『資本ずしおの䜿甚䟡倀』――『平均利最を産む胜力』――を有するものずしおではない。貞手にずっおは、遊䌑貚幣資本ずしおあるのであっお、 自らはそれをさらに資本ずしお䜿甚するわけにはゆかない。したがっおたた借手にずっおもそれだけでは資本ずなすこずはできない。自己の資本の運動を補助する貚幣ずしお、資本力を進するこずになるのである。次に、それは商品ずしおは圓然のこずであるが、その䜿甚䟡倀が䞀般に䜕人にも、商品の買入れ、あるいは支払いに、自由に䜿甚しえられる貚幣ずしお商品ずせられるのであっお、買手ずしおの借手の手においお劂䜕ように䜿甚せられるかによっお、䟋えば資本ずしお特定の商品の買入れに充おられるか、あるいは、単なる支払いに充おられるか、によっおその䜿甚䟡倀を決定されるものではない。銀行を通しお倚くの売手ず買手ずの間に自由に売買される商品ずせられるのも、そのためである。実際たた利子付資本のように、その䜿甚䟡倀が『平均利最を産む胜力』であるずいう商品の代䟡が、利最の䞀郚分たる利子であるずいうような䞍合理な関係を有するものではない。」同曞、二五䞃頁 、
末尟のずころで宇野は、資本の商品化ずみなす堎合、平均利最を産む胜力ずいう䜿甚䟡倀の代䟡がその䞀郚分たる利子ずなるのは䞍合理だずいっおいる。このような芋解は䟡倀の倧きさをその䜿甚䟡倀の効甚から説明する芋地に陥いっおいるこずを瀺しおいる。貚幣の䜿甚䟡倀が、この堎合資本機胜の結果たる平均利最ずいう䟡倀額であらわれるために、それず利子ずの間の䞍䞀臎を「䞍合理」ずみるこずになったのであろうが、これは䜿甚䟡倀が䟡倀資本であるこずから、それをこの䜿甚䟡倀がも぀べき䟡栌を芏定するかの劂く錯芚をおかしたのであろう。このような商品論を展開するはめに陥いるほど混乱しおしたっおいるこずこそ、宇野の批刀が的はずれであったこずを瀺しおいるずいえよう。
さらにもっず重芁なこずは、宇野が「利子付資本」に関しおは銀行信甚ず芏定しおおきながら、珟実には商業信甚における機胜資本家盞互間での貞手ず借手の関係をそこに暪すべりさせおいるこずである。
銀行信甚の堎合、貞手は銀行である。銀行に預金をしおいる機胜資本家の遊䌑貚幣資本が珟実には貚付けられるずしおも、この堎合預金者は必ずしも貞手にはならない。なぜなら、その機胜資本家は、銀行に貞付を委蚗しおいるずはかぎらないからである。
マルクスが埌で第二五章述べおいるように、銀行が自由にする貞付可胜資本は二様の仕方で銀行に流れ蟌む。䞀方では機胜資本家の遊䌑貚幣資本が、他方では銀行に貞付を委蚗する貚幣資本家たちの預金が。銀行制床が発達し、銀行が預金に利子を぀けるようになればあらゆる階玚の貯えや䞀時䞍芁な貚幣が預金されるこずになるが、これは本来の貚幣資本家ず借手ずの間を銀行が媒介するずいう機胜ずは区別されたものである。
宇野のように銀行を媒介機関ず考え、預金者を貞手ずしおよいのは、貚幣資本家利子収入で生掻できる皋の貚幣を所有しおいる人々の堎合であっお、機胜資本家が預金者である堎合、䞀般にこれを貞手ずみなすわけにはいかないのである。だから宇野の想定しおいる「利子付資本」なるものは理論的混乱の産物である。
䜕故宇野が銀行信甚それも手圢割匕ではなく、貚幣貞付を蚭定しながら銀行を単なる媒介者ずしお捚象し、機胜資本家どうしの貞借関係に還元しおしたったかずいえば、それは貚幣資本家範疇を「原理論」レベルでは䞍玔な芁玠ずしお排陀し、機胜資本が再生産過皋で必然的に産みだす遊䜓貚幣資本の貚借関係のみを論じるべきずいう方法に立っおいるからであった。
そもそも商業信甚においおも、遊䌑貚幣資本の盞互融通ずいう芏定は誀っおおり、それは商品の姿態倉換を媒介するのだから、その成吊は再生産過皋の還流にかかっおおり、これが円滑であれば、遊䌑貚幣資本は必芁ではない䞋平尟勲『貚幣ず信甚』、䞀六五頁。たたそれが商品圢態にある䟡倀を貞付けるこずからしおも、遊䜓貚幣資本ずは盎接の関係がないこずは明らかである。
だから遊䌑貚幣資本の盞互融通ずいう想定はむしろ宇野にあっおは、この「利子付資本」の劂きものを想定したこずの垰結かも知れないが、銀行信甚をこのような機械的抜象によっお機胜資本家どうしの貞借関係に解消しおしたえば、利子生み資本の䞀源泉ずその借手ずの関係ずいうこずになっおしたっお、肝心の利子生み資本の運動はそこから消去されおしたうこずにならざるをえないのである。
自分の手で利子生み資本の運動を消去しおおいお、そこに資本の商品化がみられない、ず蚀っおいるのがここでの宇野のふるたいなのである。機胜資本家は遊䌑貚幣資本を預金する堎合は預金金利すら期埅しない圓座預金をたず開蚭するが、ここではこの預金が利子生み資本ずしお殖させるためのものではないこずは明らかであるし、資本の貞付を意図する堎合、銀行預金を遞ばない。
それはずもかく、貚幣資本家範疇を排陀したために結局利子生み資本、利子に぀いお芏定しえなかったばかりか、 銀行信甚に関しおも混乱した、珟実ずは䜕の関連もない説を展関するはめに陥ったのである。
宇野の銀行論には商業信甚の瀟䌚化論があるのみで、貚幣取扱業これぬきに圓座預金は理解しえない及び利子生み資本の管理者ずしお貞手ず借手を集䞭し、瀟䌚的資本を代衚するずいう契機は無芖されおいるが、このこずが珍寄な「利子付資本?」を展開させるにいたった違因であろう。 ・
ずはいえその盎接の原因はマルクスの資本の商品化論を、商品の䜿甚䟡倀は売り手にずっおの䜿甚䟡倀であっおはならないずいう芳点から宇野は貞手にずっおの利子を生む資本、ずしおの貚幣の資本ずしおの䜿甚䟡倀ず、それが借手に譲枡される際の平均利最を産む資本ずいう䜿甚䟡倀を、同じ資本ずいう甚語に幻惑されお区別しえず、資本の商品化ずマルクスがいう堎合、この䜿甚䟡倀ずしおの資本は貞手にずっおも䜿甚䟡倀ずなっおいるので商品化ずはみなせない、ずいった芋圓違いの批刀をもっおいる批刀しようずし、「利子付資本?にあっおは、貞出す偎にずっおも『資本』をなすものには盞違ないが、それは貞手の手にある資本の䞀時的圢態ずしお遊䌑貚幣資本をなすものであっお、貞手にずっおは、そのたたでは『剩䜙䟡倀、利最を䜜り出すずいう䜿甚䟡倀を有する』ものではない。それだからこそ貞出されるのである」同曞、二五二頁ずいったこずをどうしおもあげる必芁があり、それゆえ貞手は銀行であっおは困る、ずいうこずにあるずいえよう。
こうしお宇野の批刀は党然成功しおいない。匕甚した郚分には他にも倚くの誀りがあるが、蚀及するのは避けよう。あずに残るものは、株匏擬制資本がはたしお資本の商品化たりうるのかどうか、ずいう問題であるが、この怜蚎は埌の楜しみにずっおおくこずにしよう。

第二章 利最の分割。利子率及び利子ず䌁業者利埗

利最率ず利子率
マルクスは第二二章のテヌマにっいお「利子生み資本の自立的姿態ず、利最にたいする利子の自立化ずを展開するだけにしよう」䞉巻、䞉九䞀・䞉䞃〇頁ず述べおいるが、これらは次章以埌で述べられおおり、この章では利最率ず利子率ずの関係、利子率の決たり方が分析されるにずどたっおいる。
利子は利最から支払われるものだから、その最高限床は利最そのものであり、詳しくは利最から機胜資本家の監督賃をさしひいたものであり、その最䜎限界はぜんぜん芏定されえない。
利子は平均利最ず関速しおいるが、しかし貚幣資本家ず機胜資本家ずの間に分配されるべき利最の倧いさを芏定する事情ず、この利最の分配を芏定する事情ずははなはだしく異なる、ず展開した䞊でマルクスは䟋をあげおいる。
「近代的産業がそのうちで運動する回転埪環――静止状態、掻気の倧、繁栄、過剰生産、砎局、停滞、静止状態、などずいう、その詳しい分析はわれわれの考察圈倖に属する埪環――を考察しおみれば、ひずは、たいおい、繁栄たたは特別利最の時代には利子の䜎䜍が照応し、繁栄ずその急転ずの分かれめには利子の昂隰が照応し、恐流には極端な高利皋床におよぶ利子の最高限が照応する、ずいうこずを芋いだすであろう。」䞉巻、䞉九四・䞉䞃二頁
しかしたた他方では、利子の䜎萜が沈滞ず䞊行し、利子のほどほどな昂隰が掻気の倧ず䞊行するこずもありうるず指指したあず、マルクスは利子率が利最率の動揺にはたったく係りなく䜎萜する傟向に぀いお、二぀の䞻芁原因をあげおいる。
ひず぀は資本䞻矩的生産が貚幣資本家金利生掻者階般を倧させる傟向をも぀、ずいうこずであり、もう䞀぀は信甚制床の発展に぀れお, すべおの階玚の貯蓄貚幣が銀行の手によっお貞付資本ずしお集䞭されるこずである。 '
このように利子率倉動の芁因をあげたり、その傟向を知るこずはできるが、「䞀囜で支配的に行なわれる平均利子率――たえず動揺する垂堎率ず区別しおの――は、たったく䜕らの法則によっおも芏定されえないものである」䞉巻、䞉九六・䞉䞃四頁ずしたマルクスは、その理由に぀いお次のように述べおいる。
「利子は平均利最の䞀郚分にすぎない。同䞀資本が二重の芏定においお珟象する、――貞手の手では貞付可胜資本ずしお、機胜資本家の手では産業資本たたは商業資本ずしお。だが、それが機胜するのは䞀床きりであり、みずから利最を生産するのは䞀床きりである。 生産過皋そのものにおいおは、 貞付可胜資本ずしおの資本の性栌は䜕らの圹割も挔じない。この䞡者〔貞付資本家ず機胜資本家〕がこの利最をどんなに分配し、この利最に察しおどんな請求暩をも぀かは、絶察的に、――ある䌚瀟事業の共同利最の癟分比的分前がさたざたな出資者間に分割されるこずず同様に――玔経隓的な・偶然の領域に属する・事実である。利最率芏定の本質的基瀎たる剰䜙䟡倀ず劎賃ずの分割にあっおは、二぀のたったく盞異なる芁玠である劎働力ず資本ずが芏定的に䜜甚する。盞互に限界づけあうものは二぀の独立可倉量の凜数である。そしお、それらの質的区別から、生産された䟡倀の量的分割が生ずる。地代ず利最ずぞの剩䜙䟡倀の分割でも同じこずが生ずるずいうこずは、埌に芋るであろう。利子のばあいには䜕らこうしたこずは生じない。このばあいには、やがお芋るであろうように、逆に質的区別づけが、同じ剰䜙䟡倀郚分の玔粋に量的な分割から生ずる。」䞉巻、䞉九八・䞉䞃六〜䞃頁
このあずマルクスは、平均利子率を想定する法則がないのに利子率がその時々に明確な数字であらわされるこず、他方平均利最率の方はそれを芏定する法則があるのに、平均利最が明確な数字ずなっおあらわれおこないこずの原因に぀いお色々ず述べおいる。
ここでは「䞀般的利最率は぀ねに、特殊的諞利最率の均等化の傟向・運動・ずしおのみ実存」䞉巻、四〇〇・䞉䞃九頁し、か぀その運動は挞次的な資本の移動ずしおなされるのに察し、利子率は競争が商品売買の圢態を通じおなされるので、䞀挙同時的にその決定がなされるこず、「䞀般的利最率は事実䞊、䞀、総資本によっお生産される剰䜙䟡倀により、(二)、この剩䜙䟡倀が総資本の䟡倀にたいする比率により、および(侉)、競争――ずいっおも、ただそれが、特殊的生産諞郚面に投䞋された諞資本がそれらの盞察的倧いさに比䟋しお右の剩䜙䟡倀のうちから同等な配圓をひき出そうずする運動であるかぎりでの競争――によっお芏定されおいる。だから䞀般的利最率は、事実䞊、その芏定を、需芁䟛絊の関係によっお盎接的か぀無媒介的に芏定される垂堎利子率ずはたったく異なる・はるかに耇雑な諞原因から汲みだすのであり、したがっお、利子歩合がそうであるような、明癜な䞎えられた事実ではない」䞉巻、四〇䞀・䞉八〇頁ずいうこずを確認しおおくこずが必芁である。
マルクスは平均利最率が明確な数字ずしおあらわれないのに利子率の方は数字ずなっおいる原因に぀いお、さらに利子生み資本の特質から次のように興味のある展開を行なっおいる。
「貚幣垂堎では、貞手ず借手ずだけが察立する。商品は貚幣ずいう同䞀圢態を有する。資本が特殊的な生産たたは流通郚面に投䞋されるに応じおずるあらゆる特殊的姿態は、 ここでは消滅しおいる。資本はここでは、自立的䟡倀・貚幀ずいう、無差別で自己同等な姿態で実存する。特殊的諞郚面間の競争は、ここでは芋られない。すべおの郚面は貚幣の借手ずしお総括されおおり、資本はすべおの郚面にたいし、どんな仕方様匏で充甚されおもかたわないような圢態で察立しおいる。産業資本が特殊的諞郚面間の運動および競争においおのみ珟象するものずしお、〔資本家〕階玚の即自的に共同的な資本ずしお、資本はここでは、珟実に、重圧的に、資本の需芁および䟛絊においお登堎する。他面、貚幣垂堎にある貚幣資本は、それが共同的芁玠――その特殊的充甚には係わりのない――ずしお様々な郚面間・資本家階玚間・に各特殊的郚面の生産芁求に応じお配分されるような姿態を、珟実にずっおいる。そのうえ、さらに、倧工業の発展に぀れお、貞幣資本はたすたす、それが垂堎に珟われるかぎりでは、個々の資本家すなわち垂堎にある資本のあれこれの分数郚分の所有者によっおは代衚されなくなっお、珟実的生産ずはたったく異なり、瀟䌚的資本を代衚する銀行業者たちの統制䞋におかれおいる集積され組識された倧量ずしお登堎する。したがっお、需芁の圢態にかんしおは、貞付可胜資本にたいし䞀階玚の重圧が察応するのず同様に、䟛絊にかんしおも、それじしん、貞付資本の倧量ずしお登堎する。」䞉巻、四〇二〜䞉・䞉䞀八頁
この内容は埌に信甚制床に぀いお研究する際に詳しく怜蚎されるべきである。

宇野の利子率論
利子の本質に぀いおマルクスず異なる芋解をずなえた宇野は、利子率の決定に぀いおも異論を述べおいる。マルクスが利子を利最の䞀郚分ずしながらも、利最のうちいくらが利子ずなるかは、機胜資本家ず貚幣資本家ずの間の競争によっお決り、その際にこの競争は玔粋に偶然的なもので、利子率決定を芏制するような法則性は芋出せない、ずしたこずに察し、宇野は利最率ず利子率ずの間に䜕らかの因果関係を求めうるのではないかずしおいる。
そもそも宇野の想定によれば、利子率は、産業資本家の遊䌑貚幣資本が「資金」ずしお盞互に融通される銀行を媒介ずしお貚幣垂堎で決定されるものであるが、このように産業資本の再生産過皋のうちに必然的に発生する遊䌑貚幣資本の貞借から利子率を芏定するずすれば、利子率の決定に察しお、「産業資本の『諞郚面』ぞの適圓なる配分を補足するものずしお、いい換えれば利最率の均等化を補足するものずしお、遊䌑貚幣資本が資金ずしお商品化し、それに察する需芁䟛絊による利子率を圢成する、ずいうように考えざるをえなくなる」『宇野匘蔵著䜜集』四卷、二四六頁ず宇野は䞻匵しおいる。
産業資本の利最率の均等化は、特殊諞郚面間の運動ず競争によっお実珟されるが、しかしそこには垞に䞍均等が残るので、「資本は、産業資本の再生産過皋に必然的に発生する遊䌑貚幣資本を、䞀時的資金ずしお――したがっお資本の移動ずか、あるいは投資、匕䞊げずしおではなく――互いに融通するずいう機構によっおもその䞍均等をできうる限り均等化しようずする」同曞、二四䞃頁ずいうわけである。぀たり「比范的に高い利最率を有する産業郚門が、新たなる資本の他の郚門からの移動乃至新たなる蓄積による投䞋をたたないで、他の産業資本の遊䌑資金を利甚しお商品の生産を加し、その䟛絊を需芁に䞀臎せしめる」同曞、二四八頁ずいったこずが念頭におかれおいるのである。
利子率の決定に぀いおこのように考えおいるので、宇野は「利子率の決定が単に『偶然的な、玔経隓的な』るものであるずいうこずにはならない」同曞、二五䞃頁ずいっおマルクスを批刀しおいるが、しかし自らそれにかわる法則性を解明しえおいるわけではない。
宇野は利子率の決定に関しおは、利最率が䞍均等ずいう前提があれば、「利子率はそういう資本利最の均等化の資本家的補助機構ずしおの貚幣垂堎においお決定される。したがっおそれはその前提ずなる利最率の䞍均等によっお決定される」同曞、二五䞃頁が、しかしこの前提がなければ、「利子率は流通資本の生産資本化による、より倚くの剩䜙䟡倀の生産ずしお――賃銀隰貎による制限を受け぀぀も――単なる流通費甚の節玄ずいっおもよい」同曞、二五䞃頁ずし、結論的には「利最論の展開に際しおは、理論的には䞀応は資本の移動によっお利最率の均等化が実珟されるものずしお解明するほかはないのであるが、利子論ではそれに察応しお流通費甚の食玄による利最率の䞊昇を远求し぀぀、なお残存する利最率の䞍均等を均等化するものずしお、はじめお利子の存圚根拠が明らかにされる」同曞、二五䞃頁ず䞻匵するにずどたっおいる。
この宇野利子率論の批刀に぀いおはあずでずりあげる宇野商業資本論批刀のずころで詊みるこずにしよう。

総利最の質的分割――利子の確立
぀ぎに第二䞉章にう぀ろう。これたでマルクスは利子を貞付資本を借りお事業を営む資本家が、貞手に支払わねばならないものであり、それは利最の䞀郚分をなすものず想定しおきた。機胜資本家が自己資本だけを充甚するなら圌は他人に利子を支払う必芁はなく、圌がその資本を貚付けに回さない限りは圌は利子率の決定のための競争はしないから、この点をみおも「利子ずいう範疇――利子歩合の芏定なしにはありえない――が産業資本自䜓の運動ず無瞁なこずがわかる。・・・・・利最の䞀郚分を利子に転圢するもの、総じお利子ずいう範疇を創造するものは、事実䞊、貚幣資本家ず産業資本家ずぞの資本家の分裂だけである。たた利子歩合を創造するものは、この二皮類の資本家間の競争だけである。」䞉巻、四〇四・䞉八䞉頁
ずころが珟実には、自己資本のみを充甚する資本家にあっおも、総利最の䞀郚分を利子ずみなしおいる。だからここでは総利最の䞀郚分を利子ずするこずが、単に貞付資本の借入に察しお利子を払わねばならないずいう量的分割から、質的分割に転化しおいるずみなければならない。マルクスは「玔利最ず利子ずぞのこの玔粋に量的な利最分割が、質的分割に転倉するずいうこずは、どうしお生ずるかいいかえれば、自己資本だけを充甚しお借受資本を充甚しない資本家も、じぶんの総利最の䞀郚分を利子ずいう特殊的範疇に入れ、たたかかるものずしお特殊的に蚈算するずいうこずが、どうしお生ずるかしたがっお、さらに、すべおの資本が――借受資本であっおもなくおも――利子生み資本ずしお、玔利最をもたらす資本ずしおの自分じしんから区別されるずいうこずが、どうしお生ずるか」䞉巻、四〇六・䞉八五頁ずいうように問題を提出しおいる。
この問題を解くために、マルクスは再床、貚幣資本家ず機胜資本家ずの間の貚幣の貞借に立ちかえる。䜆し、先の䟋よりも条件をかえお。
「機胜資本家はここでは、 資本の非所有者だず想定されおいる。資本所有は、圌にたいし、貞手たる貚幣資本家によっお代衚されおいる。だから、圌が貚幣資本家に支払う利子は、総利最のうち、資本所有ずしおの資本所有に垰属する郚分ずしお珟象する。これに察立しお、利最のうち胜動的資本家に婊属する郚分は、いたや、䌁業者利埗――もっぱら、圌が再生産過皋で資本をもっお遂行する操䜜たたは機胜から、したがっお特に圌が䌁業者ずしお産業たたは商業においお果たす機胜から、発生する䌁業者利埗――ずしお珟象する。 だから、圌にたいし、利子は、たんなる資本所有の――資本が『劎働』せず機胜しないかぎりにおいお、再生産過皋から抜象された資本自䜓の――果実ずしお珟象するが、䌁業者利埗の方は、圌にたいし、もっぱら圌が資本をもっお果たす機胜の果実ずしお、資本の運動および過皋的䜜甚――圌にたいし、いたや、貚幣資本家の䞍掻動・生産過皋ぞの䞍参加・ず察立する圌独自の掻動ずしお珟象する過皋的䜜甚――の果実ずしお、珟象する。利子は、資本自䜓・生産過皋を床倖芖した資本所有・の果実であっお、䌁業者利埗は、過皋し぀぀ある・生産過皋で䜜甚し぀぀ある・資本の果実であり、したがっお資本充甚者が再生産過皋で挔ずる胜動的圹割の果実であるずいう、総利最の䞡郚分のこの質的分割は、けっしお、䞀方では貚幣資本家、他方では産業資本家の、たんなる䞻芳的芋解ではない。それは客芳的事実にもずづく。ずいうのは、利子は、貞手たる貚幣資本家――圌は単なる資本所有者であり、したがっお、生産過皋以前に生産過皋の倖郚で単なる資本所有を代衚する――の手もずに流れおゆき、䌁業者利埗は、資本の非所有者たる単に機胜し぀぀ある資本家の手もずに流れおゆくからである。」䞉巻、四〇八〜九・䞉八䞃〜八頁
資本の所有にもずづいお利子があり、資本家ずしおの再生産過皋での機胜にもずづいお䌁業者利埗がある、ずいうように、利子が借りた資本ずは無関係に珟象するこず、このこずをマルクスは質的分割――぀たりは異なる圹割による利最の分割、――ず呌んだ。この質的分割が自己資本のみを充甚する資本家にずっおはどのようにあらわれるかを分析したのち、マルクスは利子の確定を䞻匵した。
「自己資本をもっお䜜業する資本家も、借受資本をもっお䜜業する資本家ず同じように,自分の総利最を、自分じしんに察する自分じしんの資本の貞手たる所有者ずしおの圌に属する利子ず、胜動的・機胜的資本家ずしおの圌に属する䌁業者利埗ずに、分割する。かくしお、資本家が珟実に〔総利最を〕他の䞀資本家ず分けねばならぬか吊かは、質的分割ずしおのこの分割にずっおはどうでもよくなる。資本の充甚者は、自己資本をもっお䜜業しおも、二぀の人栌に――単なる資本所有者ず資本充甚者ずに――分裂する。圌の資本そのものは、そのもたらす利最範疇にかんしお、即自的に利子をもたらす資本所有・生産過皋倖の資本ず、過皋的資本ずしお䌁業者利埗をもたらす生産過皋内の資本ずに、分裂する。
そこで、利子が確定するのであっお、利子はもはや、たたたた産業資本家が他人の資本で䜜業するばあいにのみ生ずるような、生産ず無関係な総利最の分割ずしおは珟われない。 産業家が自己資本をもっお䜜業するばあいでも、圌の利最は利子ず䌁業者利埗ずに分裂する。かようにしお、たんに量的な分割が質的分割ずなる。これは、産業家がじぶんの資本の所有者であるか非所有者であるかずいう偶然的事情には係わりなく生ずる。利子ず䌁業者所埗ずは、盞異なる人物に分配される利最の分前であるばかりでなく、二぀の盞異なる利最範疇――資本にたいしお盞異なる関係に立ち、したがっお資本の盞異なる芏定性にたぃする関係に立぀、二぀の盞異なる利最範疇――である。」䞉巻、四〇九〜䞀〇・䞉八八〜九頁
こうしおここでわれわれははじめお、資本所有にもずづく利子、ずいう利子の珟実の圢態にたどり぀いた。ずころで利子が確定するず今床は利最の他方の郚分はどのような圢態を受けずるのだろうか。

䌁業者利埗
䌁業者利埗が再生産過皋での資本家の機胜にもずづく所埗ずしお珟れるこずは、それが資本家の劎働者ずしおの機胜にもずづくずいう考えを生みだすこずずなった。「圌の頭の䞭では、぀ぎのような考え、すなわち、圌の䌁業者利埗は、――賃劎働にたいし䜕らかの察立をなすものであり、他人の䞍払劎働に他ならぬものであるどころか、――むしろそれ自身、劎賃であり、監督賃であり、劎働の監督にたいする賃金であっお、この賃金が普通の賃劎働者のそれよりも高いのは、䞀、その劎働が耇雑劎働だからであり、(二)、圌が自分じしんに劎賃を支払うからである、ずいう考えが生ずる。」䞉巻、四䞀五・䞉九䞉頁
䌁業者利埗を論じるに圓り、マルクスはこのむデオロギヌが珟実の資本䞻矩的生産の発展によっお根拠のないものになり぀぀あるこずを瀺そうずした。その際たずマルクスは、このむデオロギヌが生じる珟実的土台を明らかにするこずからはじめおいる。
「利子自䜓は、たさに、劎働諞条件が資本ずしお・劎働にたいするその瀟䌚的察立においお、たた劎働に察立し劎働を支配する個人的諞力に転化せるものずしお、定圚するこずを衚珟する。利子は、他人の劎働の生産物を取埗する手段ずしおの単なる資本所有を衚瀺する。だが利子は、資本のこの性栌を、生産過皋の倖郚で資本に属しおこの生産過皋そのものの独自的・資本制的芏定性の成果では決しおないものずしお衚瀺する。利子はこれを、劎働にたいする盎接的察立においおではなく、むしろ逆に、劎働ずは無関係に、䞀資本家が他の資本家にたいする単なる関係ずしお衚瀺する。぀たり、劎働そのものにたいする資本の関係にずっおは倖面的でどうでもよい芏定ずしお。だから、利最の特殊的姿態たる利子においお資本の察立的性栌は䞀぀の自立的衚珟をずる、――自立的衚珟をずるずいっおも、この自立的衚珟においおは、この察立はそこでは完党に消枛しおおり、すっかり捚象されるこずになるのだが。利子は、資本家ず劎働者ずのあいだのではなく、二人の資本家のあいだの䞀関係である。
他面、この利子圢態は他の利最郚分にたいしお、䌁業者利埗ずいう、さらに監督賃ずいう、質的圢態を䞎える。資本家が資本家ずしお果たすべき特殊的機胜、たさに劎働者ず区別され察立する資本家に属する特殊的機胜が、たんなる劎働機胜ずしお衚瀺される。圌が剩䜙䟡倀を創造するのは、圌が資本家ずしお劎働するからではなく、圌――資本家ずしおの圌の属性はしばらくおき――もたた劎働するからである。だから、この剰䜙䟡倀郚分は、けっしお剰䜙䟡倀ではなく、その反察物であり、遂行された劎働の等䟡である。資本の疎倖された性栌、劎働にたいする資本の察立は、珟実的搟取過皋のかなた、すなわち利子生み資本のうちに移されるのであり、かくしお、この搟取過皋そのものは、たんなる劎働過皋――そこでは機胜資本家は劎働者ず違った劎働をするにすぎない――ずしお珟象する。したがっお、搟取する劎働ず搟取される劎働ずは、いずれも劎働ずしお、同䞀物である。搟取するずいう劎働は、搟取される劎働ず同じように劎働である。利子には資本の瀟䌚的圢態――ずいっおも、䞭立䞍偏的圢態で衚珟された――が垰属し、䌁業者利埗には資本の経枈的機胜――ずいっおも、この機胜の芏定された・資本制的な・性栌を捚象された――が垰属する。」䞉巻、四䞀䞃〜八・䞉九五〜六頁
この搟取する劎働、資本家の劎働はさしあたっお、指揮および監督ずいう劎働である。この劎働は劎働が瀟䌚的に結合されるや䞍可欠のものずなる。だがこの劎働は階玚瀟䌚では二重性栌をも぀。あらゆる結合された瀟䌚的劎働の本性から生ずる特殊的機胜の他に、盎接的生産者ずしおの劎働者を生産手段の所有者が支配するずいう機胜が加わる。
この劎働は資本䞻矩的生産の発展に぀れお、資本の所有から分離された管理人によっおなされるようになり、この管理人の奉絊は、搟取する劎働に察するものずしお、利最の䞍可欠な郚分を構成する。
先にみた資本家も劎働者であるずいう意味での資本家の劎働に察し、「圌がこの劎働にたいしお芁求し取埗する賃金は、取埗した他人の劎働量にちょうど等しく、搟取ずいう必芁な骚おりを圌が匕きうけるかぎり、この劎働の搟取床に盎接に䟝存するのであっお、圌がこの搟取に芁費する努力――これを圌は、盞圓の支払をしお管理人に転嫁するこずができる――の皋床には䟝存しない」䞉巻、四二䞉・四〇䞀頁ずいうこずがわかる。
マルクスは、管理賃ず䌁業者利埗ずが必ず分離しおあらわれる䌁業圢態ずしお、劎働者の協同組合工堎ず資本䞻矩的株匏䌁業ずをあげおいる。株匏䌁業は信甚制床に぀れお発達するが、そこでは次のような事態が起こる。
「䞀方では、資本の単なる所有者たる貚幣資本家に機胜資本家が察応し、信甚の発展に぀れおこの貚幣資本そのものが瀟䌚的性栌をおび、銀行に集積され、そしお銀行から――もはやその盎接的所有者からでなく――貞出されるこずによっお、しかも他方では、いかなる名矩のもずでも――借りたものであろうずなかろうず――資本を占有しない単なる管理人が、機胜資本家そのものに属するあらゆる珟実的機胜をおこなうこずによっお、残るのはただ機胜者だけずなり、資本家は䜙蚈な人物ずしお生産過皋から消枛する。」䞉巻、四二四・四〇䞀頁
生産過皋から機胜資本家個人が消枛したずしおも、機胜資本家範疇は消枛しはしない。資本家が瀟䌚化され集団化されるだけである。株匏䌁業では管理人の奉絊は総利最から支払われるこずにそれはあらわれおいる。他方で、「ブルゞョアゞヌの偎では株匏䌁業が発展するに぀れお、䌁業者利埗を管理賃ず混同するための最埌の口実も足もずから奪いさられお、利最は実践的にも、理論的に吊定できないものずしお、すなわち単なる剰䜙䟡倀――それにたいし䜕らの等䟡も支払われおいない䟡倀、実珟された䞍払劎働――ずしお珟象」䞉巻、四二五・四〇䞉頁するようになる。

宇野の質的分割論
宇野はマルクスを批刀しお、貚幣資本家ず機胜資本家ずの間の貚幣の貞借を想定しお利子論を説くべきではない、ず䞻匵したので、利子ず䌁業者利埗ずぞの利最の質的分割をマルクスずは別様に説くこずをせたられた。
この利最の質的分割をもたらすものずしお宇野が泚目したものが、商業資本に他ならなかった。圌の商業資本論は利子論のなかにずり蟌たれ、「資金」論ず「それ自身に利子を生むものずしおの資本」論ずを橋枡しする䜍眮におかれおいる。
宇野が提起した商業資本論に察しおは倚くの論争がなされたが、ここではそれらにはふれず、利子論ずのかかわりに関しお宇野自身の説を怜蚎するにずどめよう。
商業資本が利最の質的分割をもたらすずいうこずを宇野は次のように展開しおぃる。
「商業資本がその専門的に分担する流通過皋も産業資本の再生産過皋の䞀段階に過ぎない限り、その回転も瀟䌚的総資本の――消費過皋を含む――総再生産過皋の運動によっお終局的には決定され、商業資本も総資本の䞀郚分ずしお剰䜙䟡倀の利最ずしおの分配にあずかるに過ぎないのであるが, しかし盎接に剰䜙䟡倀の生産にあたるのでなく、そのいわば資本家的掻動による実珟を担圓するものずしお、その利最はあたかも商業資本家自身の掻動によっお埗られるもののような倖芳を䌎っお来る。・・・・・・それず同時に産業資本の資本力の進にあずかるものずしお貞付資本に分䞎せられた剩䜙䟡倀の䞀郚ずしおの利子は、ここにおいおたた新たなる芏定を䞎えられる。利最が資本家的掻動によっお埗られるものずなれば、利子は資本の所有自身によっお埗られるものずならざるを埗ない。」(『宇野匘蔵著䜜集』䞀巻、五〇五貢)
この内容は「商業資本の倒錯性」ずしお、宇野が総利最の質的分割を説くさいの前提的なものずしお述べたものだが、ここでの宇野の蚭定は、商業利最に぀いおの解釈を受け入れおみたずころで、䜕ら総利最の質的分割ずはかかわりがない。ずいうのは、ここで宇野が資本家自身の掻動によっお埗られるものずしおいる商業利最は、最初から利子に察立するものずしお、総利最のうちの䞀郚分ずしお想定されおいるからである。
このような想定があるから、宇野は商業利最これはすでに利子を控陀した残りが資本家的掻動によっお埗られるこずが前提ずなり、利子が資本の所有自身にもずづくず述べおいるのである。
しかしこれでは総利最の質的分割を説明するための前提的な内容ずはなりえない。はじめから分割しおしたい、その分割されたものずしおの利最の資本家掻動の成果化ずいうように展開しおいるからである。もし、総利最から宇野が出発しおいるずみなせば、総利最が資本家掻動の成果ずなっおしたっお、分割論はでおこない。質的分割を説こうずすれば、圓然総利最から出発しなければならないが、宇野はそうはせずに分割されおしたったものから出発しおおり、そしお、総利最から出発したものずみなせば、分割論がでおこないのだから、いずれにしおも問題解決の前提が誀っおいる。
「商業資本が剩䜙䟡倀の生産に盎接関係のない流通過皋に投ぜられ、しかもその資本家的掻動に基いおその利最を䞎えられるずいうこずは、利最郚分に察しお特殊の芏定を芁請する。ずいうのは商業利最が商業資本家の売買行為によっお埗られるにしおも、その党郚を資本家的掻動に基くものずはなし埗ないからである。かくお利最は、資本家的掻動に基くものずせられるいわゆる䌁業利最ず、単に産業資本の流通資本を補足するものずしお貞付資本ず同様に利最の䞀郚を分䞎せられる利子ずに分けられるこずになる。」同曞、五〇 六買
これが宇野の質的分割論であるが、この内容はさきの前提的内容ずは異なっおいる。ここでは䞀応総利最から出発し、それを資本家的掻動の成果にもずづくものず、そうではないものずに分けようずいう意図が認められはする。
぀たり宇野の理解によれば、商業資本には、?産業資本家が負担しなければならない远加的貚幣資本を、その商品資本が実珟される以前に貚幣にかえるこずによっお、その远加資本の肩代わりをする、?商品の販売を迅速に進めるための費甚を芁する、ずいう二぀の出費があり、?の出費は貞付資本ず同様な出費だから商業資本家はその郚分から埗られる利最を資本家掻動に基くものずはみなさない、ずいうわけである。
しかしこのように展開するず今床は、?の出費に察する収入が䜕故利子ずみなされるのか、ずいう間題がでおくる。
ずころがこの間題に぀いおは党然あいたいである。 商品の買入れにあおられる郜分には「貞付資本的性栌が倚分にある」(同曞、五〇䞃頁)ずか、「商業に投ぜられる資金が、貞付資本ずしお貞付けられる資金ず同じ源泉から出るもの」(同曞、五〇八頁)ずか、「商業資本は、䞀方では貞付資本ず共通の面をもち」(同曞、五〇九頁)ずされおいるだけで、?の出費が利子をずもなうずいうこずに぀いおは党然蚌明されおいない。
そこで宇野はこの困難をどのように解釈したか。その解決は次の通りである。
「商業資本の利最なるものは、すでに明らかにしたように産業資本の流通費甚を節玄するずいうこずに基いおいる。したがっおその内には産業資本が貞付資本を利甚しおその流通資本を補足する堎合ず同様の芁因を含んでいる。商業資本自身が銀行からの貞付資本を利甚する堎合には、その点は明確である。いい換えれば商業資本の利最は商業資本家の掻動に基くものずせられるにしおも、この貞付資本利子に盞圓する郚分たでを、䞀様にかかるものずするわけにはゆかない。そこで商業資本の利最は、䞀方では商品の賌入に充おないでその資金を貞付資本ずしお䜿甚した堎合に埗られる利子郚分ず、商業的掻動によっお埗られるものず考えられるいわゆる䌁業利最郚分ずに分けられるこずになる。」(同曞、五〇䞃頁)
ここで明らかなように、宇野は?の出費が利子をずもなうこずを蚌明するこずはできなかった。商業資本の総利最が、資本家的掻動にもずづくものず、そうではないものずに分割されるずいうこずは、商業資本論の範囲では䜕ら蚌明できなかった。そうする代りに、宇野は、商業資本がその総資本を貞付資本にたよる堎合を蚭定し、そのこずによっお、䌁業者利埗ず利子ずぞの総利最の分割を説いたのである。
これでは宇野が䜕故無䞀文の機胜資本家ず貚幣資本家ずの関係を想定するこずを吊定したのかがわからなくなる。ずいうのは、ここに到っお字野は無䞀文の商業資本家ず銀行ずの関係を想定しお、総利最の分割を説いおいるからである。
それはずもかく、総利最の質的分割を商業資本論の範囲内では結局説きえず、無䞀文の商業資本家をもちだすのなら、商業資本論で総利最の質的分割を説かねばならない必然性は䜕もないこずになる。宇野の商業資本論は単なる思い぀きでしかありえない。

宇野利子論の批刀
宇野の商業資本論を怜蚎した䞊にたっお、 前に宿題にしおおいた宇野の利子率論を批刀しおおこう。
宇野が利子率の決定に぀いお、玔粋に偶然的なものずはみなせない、ずいっおマルクスを批刀したのは、宇野の堎合、資本の再生産過皋の倖郚にある貚幣資本を「原理論」にずっおは䞍玔な芁玠ずみなし、資本の再生産過皋で必然的に発生する遊䌑貚幣資本「資金」、が盞互に融通されるずいうこずに限っお信甚を芏定しようずしたからであった。
「産業資本の流通過皋にある遊䌑貚幣資本が他の産業資本に融通されお、党産業資本の流通資本を節玄するものずしお論じおいる。たたその点から利子も生ずる」(『恐備論・商業利最論の講間題』䞀四六頁)ずいうのがそもそもの宇野の含意であった。
この利子に察する芏定は、遊䌑貚幣資本が銀行に集䞭され、これが貞付資本ずしお自立化しお埌にもそのたた維持されおいる。ずころが「資金」が貞付資本ずしお自立化するず宇野の「原理論」の枠組においおも、この利子芏定ず矛盟する芁玠が圢成されおくる。
「商業資本ずしお投ぜられる資金も、他の産業に投ぜられる資金ず同様に、資本ずしお投ぜられなければ貞付資本ずしお利子を分䞎せられ埗る資金をなすのであっお、産業資本が瀟䌚的に利甚し埗る資金をなしおいるのである。」(『字野匘蔵著䜜集』䞀巻、四九䞃頁)
「商業利最のかくの劂き䌁業利最化の背埌には、すでに指摘したように商業に投ぜられる資金が、貞付資本ずしお貞付けられる資金ず同じ源泉から出るものであるずいう事実がある。それは貞付資本ずしお利子の埗られる資金が商業に投ぜられたに過ぎない。ずころがその点になるず産業資本も商業資本ず異るずころはないものずなっおいる。個々の資本家にずっおはその資金は貞付資本にも、商業資本にも、さらにたた産業資本にも、いずれにも自由に䜿甚し埗る資金である。」(同曞、五〇八頁)
これは宇野が商業資本でなされた総利最の質的分割がどのようにしお産業資本に投入されるかに぀いお論じおいる郚分である。ここでは「資金」は「流通資本を節玄する」ずいう機胜に限定されず、産業資本にも投䞋しうるものずしおいる。
「資金」が産業資本にも投䞋しうるずいうこずは、その出生が産業資本の遊䌑貚幣資本であったにしおも、「流通資本」の節玄ずいう機胜ではなく、新たな産業資本の圢成ずいう機胜を担うこずになるから、投䞋される「資金」は資本の再生産過皋の倖郚からの資本ずしおの意矩をも぀こずになる。内郚的に圢成された「資金」でも、産業資本に投䞋される堎合には、倖郚からの貚幣資本ずなる。だから貚付資本の自立化を説いた時点で、内郚の「資金」の盞互融通なる宇野独自の利子芏定は、自己解䜓しおいるのである。
資本の再生産過皋のうちに圢成された遊䌑貚幣資本、宇野のいう「資金」も投資される際にはその倖郚からの貚幣資本ずいう圢をずるこずを宇野はここで認めおしたっおいるのだから、利子論の展開にさいしお、再生産の倖郚にある貚幣資本家範疇を吊定したこずには䜕の正圓性もなかったこずが明らかずなる。
宇野の枠組からしおも、その展開のうちにその枠組みをはみ出しおしたう内容を利子生み資本はもっおいた。ずすれば、この枠組をはみ出すずころに利子生み資本の本性があり、その枠組の内郚では、それはその本質を展開しおいない、ずいうこずになろう。
宇野が「資金」だけを原資ずする利子率論を組みたおお、利最率ずの間に本質的な関連をさぐろうずするこずは自由だが、それは利子の本質が展開しえおいない䞀個のモデルのなかでの関連ずいうこずにすぎず、宇野の念頭においおいる利子率は、本圓の利子率ではない、ずいうこずになるだけである。

第䞉章 利子生み資本の圢態における資本関係の倖面化

資本関係の倖面化
マルクスは利子生み資本の自立的姿態を資本関係の倖面化ず捉え、次のように述べた。
「G―G’。これは、資本の本源的出発点であり、範匏G−W−G’における貚幣が䞡極G−G’に敎玄されたものであっお、このG’はG△Gであり、より倚くの貚幣を創造する貚幣である。これは、没感性的抂念に総括された、資本の本源的で䞀般的な範匏である。これは、生産過皋ず流通過皋ずの統䞀たる、したがっお䞀定の期間に䞀定の剩䜙䟡倀をもたらす、完成した資本である。利子生み資本の圢態では、この関係が盎接的に、生産過皋ず流通過皋ずに媒介されないで、珟象する。資本が利子の、資本じしんの殖の、神秘的で自己創造者的な源泉ずしお珟象する。物貚幣、商品、䟡倀がいたや、単なる物ずしおすでに資本であっお、資本はたんなる物ずしお珟象する。総再生産過皋の成果が、物におのずからそなわる属性ずしお珟象する。貚幣を貚幣ずしお支出するか、資本ずしお貞付けるかは、貚幣の――すなわち、い぀でも亀換されうる圢態にある商品の――所有者しだいである。だから、利子生み資本においおは、自分じしんを殖する䟡倀・貚幣を生む貚幣・ずいう、こうした自動的物神が玔粋に䜜りあげられおいるのであっお、資本は、この圢態においおは、もはや、その成立のなんらの痕跡もおびおいない。瀟䌚的関係が、物たる貚幣がそれ自身にたいする関係ずしお完成されおいる。資本ぞの貚幣の珟実的転化のかわりに、ここでは、こうした転化の無内容な圢態だけが珟われる。劎働力のばあいず同じように、貚幣の䜿甚䟡倀は、ここでは、䟡倀を――貚幣そのものに含たれおいるよりも倧きな䟡倀を――創造するずいう䜿甚䟡倀ずなる。貚幣ずしおの貚幣が、すでに朜勢的には自らを殖する䟡倀であり、たた、かかるものずしお貞付けられるのであっお、この貞付は、この独自な商品にずっおの販売の圢態である。䟡倀を創造し利子をもたらすこずが貚幣の属性ずなるのは、梚の実を結ぶこずが梚の暹の属性であるのず同様である。そしお、こうした利子を生む物ずしお、貚幣の貞手はじぶんの貚幣を売る。それだけでは充分ではない。珟実に機胜する資本も、すでに芋たように、機胜資本ずしおでなく資本自䜓ずしお、貚幣資本ずしお、利子をもたらすずいうふうに自らを衚瀺する。
このこずも、ねじゆがめられる。利子は、利最――すなわち機胜資本家が劎働者から搟りずる剩䜙䟡倀――の䞀郚分にすぎないのに、その利子がいたや逆に、資本の本来的果実・本源的なもの・ずしお珟象し、利最の方は、いたや䌁業者利埗の圢態に転化しお、再生産過皋で附加される単なる添加物および远加物ずしお珟象する。ここでは、資本の物神的姿態が、資本物神ずいう衚象が、完成しおいる。G−G’においおわれわれがも぀のは、資本の没抂念的圢態、生産諞関係の最高床の顚倒および物象化たる利子生み姿態、資本じしんの再生産過皋に前提されおいる資本の単玔な姿態である。貚幣たたは商品が再生産から独立しおそれ自身の䟡倀を殖するこずができるずいうこず、――もっずも著しい圢態での資本神秘化。」䞉巻、四二䞃〜八・四〇四〜五頁
この内容を正しく把握するためには、 資本物神に぀いおの理解が必芁である。したがっお、第四八章、䞉䜍䞀䜓的範匏で䞻ずしお展開されおいる資本物神論に぀いお次にみおおこう。

資本物神
「すでにわれわれは、資本制的生産様匏の・および商品生産さえもの・もっずも簡単な範疇たる商品および貚幣のずころで、神秘的性栌、すなわち、瀟䌚的諞関係――富の質科的諞芁玠は生産にさいしこの諞関係の担い手ずしお圹だ぀――をこれらの物そのものの属諞性に転化し商品、たた、さらに刀然ず生産関係そのものを䞀぀の物に転化する貚幣、神秘化的性栌を指摘した。あらゆる瀟䌚諞圢態は、それらが商品生産および貚幣流通を生ぜしめるかぎり、この転倒に関䞎する。だが資本制的生産様匏においおは、そしお、それの支配的範疇・それを芏定する生産関係・をなす資本にあっおは、この魔法にかけられ転倒された䞖界がさらにいっそう発展する。」䞉巻、八八〇〜䞀・八䞉五頁
資本物神を論じるにあたり、マルクスはこう曞き出しおいる。ここでは、商品物神が、瀟䌚的諞関係を物そのものの属性に転化するこず、そしおたた貚幣物神が生産関係そのものを䞀぀の物に転化するこず、ずいうようにすでに『資本論』䞀卷で展開された物神性論の根本が簡単にたずめられおいる。そしお、資本物神は、これらの物神性が䞀局発展したものずしお䜍眮づけられおいる。
この曞きだしに続いおマルクスは、資本物神に぀いお、盎接的生産過皋ですでに生じるそれから説きはじめおいるが、ここではそれず流通過皋二巻で述べられたでの物神化に぀いお述べた郚分は省略し、䞉巻に盞圓する分野で生じる物神性に぀いお述べた郚分を玹介しよう。
「だがさらに、珟実的生産過皋は、盎接的生産過皋ず流通過皋ずの統䞀ずしおは、あらたな諞姿容――そこではたすたす内的関連の脈絡が消えうせ、生産諞関係がたがいに自立化し、䟡倀諞成分がたがいに自立的諞圢態においお骚化しあうずころの、あらたな諞姿容――を生みだす。
剩䜙䟡倀の利最ぞの転圢は、すでに芋たように、生産過皋によっおず同じように流通過皋によっお芏定されおいる。剩䜙䟡倀は、利最の圢態では、もはや、劎働に投䞋された資本郚分――それから剩䜙䟡倀が発生する資本郚分――にではなく総資本に連関させられる。利最率は、独自な諞法則――剩䜙䟡倀率が同等䞍倉であっおも利最率の倉動をゆるし、たた条件づけさえする独自な諞法則――によっお調敎される。すべおこうしたこずは、剩䜙䟡倀の真の本性を、したがっお資本の珟実的からくりを、たすたす隠蔜する。利最が平均利最に転圢し、䟡倀が生産䟡栌に――調敎的な平均垂堎䟡栌に――転圢するこずによっお、 さらにいっそう、こうしたこずが生ずる。 このばあいには、耇雑な瀟䌚的過皋、すなわち、諞資本の均等化過皋が介入しおくるのであっお、この過皋は、諞商品の盞察的な平均䟡栌をその䟡倀からひきはなし、盞異なる生産諞郚面各特殊的生産郚面における個々の投資のこずは党く床倖芖するにおけるもろもろの平均利最を、特殊的資本による劎働の珟実的搟取からひきはなす。そう芋えるばかりでなく、このばあいには事実䞊そうなのであるが、商品の平均䟡栌は、その䟡倀、぀たり商品䞭に実珟された劎働ず盞違し、たた、ある特殊的資本の平均利最は、この資本がその䜿甚劎働者から搟取した剩䜙䟡倀ず盞違する。商品の䟡倀は、盎接的にはもはや、劎動の生産力の倉動が生産䟡栌の隰萜・運動・に――その最終限界にでなく――およがす圱響においおのみ珟象する。利最はもはや、劎働の盎機的搟取によっおは、補助的に――すなわち、この搟取が資本家をしお、芋たずころこの搟取に係わりなく珟存する調敎的な垂堎䟡栌のもずで平均利最ず背離する利最を実珟させるかぎりで――のみ芏定されるかに芋える。正垞な平均利最そのものは、資本に内圚し、搟取には係わりがないかに芋える。異垞な搟取は、たたは、有利な䟋倖的条件のもずでの平均的搟取も、平均利最そのものをでなく、平均利最からの背離を、条件づけるかに芋える。䌁業者利埗ず利子ずぞの利最の分裂は 商業利最および貚幣取扱利最――これらは、流通にもずづくものであっお、生産過皋そのものからでなく党く流通から発生するかに芋える――の介入にはたったく蚀及しない、剩䜙䟡倀の圢態の自立化を、剩䜙䟡倀の実䜓・本質・にたいする剰䜙䟡倀の圢態の骚化を、完成する。利最の䞀郚分は、ほかの郚分に察立しお、資本関係ずしおの資本関係からすっかり分離し、貚劎働の搟取ずいう機胜からでなく資本家そのものの賃劎働から発生するかに芋える。これに察立しお、぀ぎに利子は、劎働者の賃劎働にも資本家の自己劎働にも係わりがないかに芋え、それじしんの独立的源泉ずしおの資本から発生するかに芋える。資本は、本源的には、流通の衚面では、資本物神・䟡倀を生みだす䟡倀・ずしお珟象したずすれば、資本はいたや、ふたたび、その最も疎倖された、最も独自な圢態ずしおの利子生み資本の姿態においお、みずからを衚瀺する。」䞉巻、八八二〜䞉・八䞉六〜䞃頁
ここではマルクスが資本物神の原因ずしお、「生産諞関係がたがいに自立化し、䟡倀諞成分がたがいに自立的諞圢態においお骚化しあう」ずか「剰䜙䟡倀の圢態の自立化を、剩䜙䟡倀の実䜓・本質・にたいする剰䜙䟡倀の圢態の骚化を」ずいったこずをあげおいるこずに泚意をうながしおおく必芁がある。
マルクスは『剩䜙䟡倀孊説史』で、商品・貚幣物神ず資本物神ずの間の、その圢成のされ方の盞違を指摘しおいる。
「諞物の䞻䜓化、諞䞻䜓の物化、原因ず結果ずの転倒、宗教的な取違え、資本の玔粋な圢態G―G’が、無意味に、いっさいの媒介なしに、衚瀺され衚珟されるかぎりでは、資本の性栌も姿も完成されおいる。同様に、諞関係の骚化も、この諞関係を特定の瀟䌚的性栌をも぀諞物にたいする人間の関係ずしお衚瀺するこずも、商品の単玔な神秘化や貚幣のすでにより耇雑化された神秘化におけるのずはたったく違った仕方で䜜り䞊げられおいる。化䜓は、呪物厇拝は、完成されおいる。」(『剰䜙䟡倀孊説史』䞉巻、四八四〜五頁)
商品・貚幣物神は䟡倀圢態から生じるが、資本物神では剩䜙䟡倀の圢態の自立化から生じるずいうこずが、マルクスのここでの䞻匵の県目であろう。この圢態の自立化ずいうこずの重芁性に぀いおは次のように䞻匵されおもいる。
「剩䜙䟡倀を、぀たり諞商品の䟡倀の䞀郚分を、これらの特殊な諞項目、諞範疇に分析するずいうこずは、非垞に理解しやすいこずであっお、けっしお䟡倀の法則そのものに反するこずではない。ずころが、剩䜙䟡倀のこれらのいろいろな郚分が独立な圢態を埗るずいうこずによっお、たた、これらの郚分が別々の人物の手に流れこむずいうこずによっお、たた、これらの郚分にたいする請求暩が別々の芁玠を根拠ずするずいうこずによっお、たた最埌に、これらの郚分が過皋にたいしおそれぞれ独立性をもっお諞条件ずしお盞察するずいうこずによっお、党䜓が神秘化されるのである。䟡倀を分析する堎合に生じる諞郚分が、䟡倀を構成する独立な諞芁玠になり、構成芁玠になるのである。」(同曞、五〇〇〜䞀頁)
以䞊のマルクスの資本物神論の理解の䞊にたっお、資本関係の倖面化ずいうこずに぀いおさらに詳しく研究する必芁があるが、そのための玠材ずしお、次に宇野の物神性論ず倖面化論ずをずりあげよう。

宇野の倖化論
宇野はすでに芋たように、貞付資本貚幣の貞借には資本の商品化を芋出さず、株匏擬制資本においおはじめお資本の商品化がなされるず䞻匵しおいたわけだから、資本関係の倖面化、資本物神の完成に関しおも、圓然擬制資本においおなされるず䞻匵するこずになった。
宇野は「『資本関係の倖化』がマルクスのいわゆる『利子生み資本の圢態』に盎接にあらわれるものではないず考えられる」『宇野匘蔵著䜜集』四卷、四四〇頁ずし、「貚幀資本家に察する機胜資本家の倖的関係においお倖化するのではなく、資本がそれ自身に利子を生むものずしお䌁業利最に察立するこずによっお倖化するずいう関係が確立される」同曞、四五䞀頁ず䞻匵しおいる。これだけでは䜕のこずか分らないので、宇野が倖化に぀いお具䜓的に述べおいるずころを芋おみよう。
「『資本関係の倖化』を具䜓的に実珟する資本の商品化は、かかる利子率を基瀎にしお、しかし単にそれだけではなく、貚幣垂堎で資本の再生産過皋の内郚においお圢成される利子率を、倖郚から䞎えられたものずしお受取りうる、商業資本による利最の䌁業利最化を媒介にしお始めお確立されるのであっお、商品化した資本ずしおの擬制資本を利子付資本ずしお貞付資本ず䞀䜓化するこずは、利子論を明確にするものずはいえない。」同曞、二五䞃〜八頁
「かくお『利子付資本の圢態における資本関係の倖化』は、産業資本の間に盞互に融通せられる貞付資本においおでなく、すでに䞀定の利子率を有する貞付資本を最もよく利甚する商業資本を通しお始めお実珟されるこずになる。しかしこの堎合にも、資本家的芳念ずしおは、産業資本もG―W―G’ずいう商人資本的圢匏を䞀般的な定匏ずする限りで圓然にこの利子に察する䌁業者利埗の関係を移入するこずになるのであるが、資本関係の物化自身は具䜓的にはむしろ逆転しお擬制資本ずしおあらわれ、貞付資本ずしおの利子付資本ではなお『資本関係の倖化』は成立するこずにはならない。それは資本がそれ自身に利子を生むものずしお商品化するずき、すなわち擬制資本ずしお始めお具䜓的に実珟される。貚付資本ずしおの資金が商品ずしお売買される貚幣垂堎で圢成せられる利子率、それが資本垂堎で商品ずしお売買せられる資本の、擬制資本ずしおの䟡倀の決定基準をなすものずなる。資本垂堎自身は、自らこの利子率を圢成するものではない。それはいわば倖郚から䞎えられたものずしおある。資本は、自己の産物たる䞀定の『芏則的に反埩される収入』をこの倖郚に䞎えられた利子率によっお『資本化』するこずによっお『物ずしお』の資本ずなるのである。」同曞、九巻、二䞃八〜九頁
宇野は擬制資本を資本の商品化ずみ、資本の物化、資本関係の倖面化をここに芋おいる。ずころで、株匏の堎合、配圓が利子ずみなされお、利子率によっお資本還元された株䟡が資本ずしおの倖觀をも぀にいたるのだが、宇野はこの資本還元を物化、資本関係の倖面化ず把えおいるのである。
その際に利子率が間題ずなるのであるが、宇野は利子ず䌁業者利埗ずぞの利最の分割を商業資本で説いたので、匕甚にあるような展開ずなっおいるのである。
芁するにここで䞻匵されおいるこずは、資金の盞互融通から圢成される利子率ず、商業資本によっお圢成される利子ず䌁業者利埗ぞの利最の分割぀たりは借りたかどうかにかかわらず、資本には利子が蚈算されるずいうこずを媒介にしお資本関係の倖面化を具䜓的に実珟する資本の商品化が実珟される、ずいうこずがひず぀。もう䞀぀は、擬制資本における資本の商品化ずは、その「䟡倀」の圢成のメカニズムのこずになるが、それは自らの倖郚にある利子率によっお資本化され、物ずしおの資本ずなるのだが、このように倖郚から䞎えられたもの利子率で資本化されるわけだから、資本関係の倖化ずなる、ずいうこずである。
ここでは資本関係が倖郚からの契機によっお成立するずいう意味で資本関係の倖化を宇野は説いおいるわけであるが、この他に、資本関係の倖に、もう䞀぀の資本が圢成されるこず、ずしお䞻匵されおいるずころもある。
「資本がそれ自身に利子を生むものずしお、『資本関係の倖化』物ずせられるのは、貚幣が『貞付けられさえすれば、あるいはたた再生産過皋に投䞋されさえすれば・・・・それには利子が぀く』ずいうような関係ではない。かかる貚幣はそれ自身で『利子が぀く』ずはいえない。そうではなくお、䟋えば珟実に䞀定の利子をもっお貞付けられお、利子が぀いおいる貚幣も、それ自身に利子を生むものずしおの資本ずしおは、別個の貚幣額をも぀資本ずもなるのである。」同曞、四卷、四五四〜五頁
この堎合は株匏には圓おはたらない。ずいうのは配圓は利子ではないからである。だから宇野はこの堎合の䟋ずしお、瀟債等の確定利子付蚌刞をあげおいる。
いずれにしおも、宇野による資本関係の倖面化の理解は、マルクスのそれずは党然異なっおいるこずは明らかである。マルクスは、利子生み資本においおは、貚幣がそれ自身で利子を生み、自己を増殖する䟡倀ずいう資本の本性を、その倖面だけで衚珟するこずになる、ずいうこずを資本関係の倖面化ずしたのであっお、宇野のような、倖郚の契機によっお資本化される資本関係であるずか、本来の資本関係の倖に圢成されるもう䞀぀の資本、ずいったこずが念頭におかれおいたわけではない。

宇野の資本物神論
擬制資本においお資本の商品化を芋、これをもっお「資本関係の倖化」ずする宇野にあっおは、圓然にも資本物神論においおも、マルクスず異ならざるをえない。宇野は資本物神に぀いお述べる。
「䜕らかの利子なり、利最なりを生んでいる珟実の資本は、いわゆる擬制資本ずしお䞀定の利子を生むものずせられ、そしおたたそれによっお商品化されもするのであるが、その前提ずなるのが『それ自身に利子を生むものずしおの資本』ずしおの『資本関係の倖化』なのである。それはそういう珟実の資本に察しおばかりでない。䟋えば土地所有その他定期的収入のえられるものは、すべおこの『資本関係の倖化』によっお擬制資本ずしおの䟡栌をもっお商品化されうるのである。それは『貚幣蓄蔵者の敬虔な願望』がそのたた『実珟されおいる』のではなく、むしろ商品にしろ、貚幣にしろ、あるいはたた生産芁玠にしろ、資本ずしおは䞀瞬も遊ばしおおけない――ずいう資本家の戒埋ずなっおいるのである。遊䌑する資本は、利子を喰っおいるものずしお、生むべき利子を倱うものずしお、それず同時に䞀定の定期的収入は、その源泉の劂䜕を問わず、かかる利子ずしおその源泉に資本を擬制せられるこずになる。資本はかくしお資本䞻矩䜓制を貫培する物神ずしお完成されるのである。
かくしおたた商品経枈の物神性は、単なる呪物厇拝ではない。商品圢態に基く特殊の幻想であっお、それぞれにその根拠を有しおいる。ただ貚幣物神が、䞀般的等䟡物ずしお商品に察しお盎接の亀換可胜性を有する物ずしおあらわれるのに察しお、資本物神は、そういう積極的な機胜による物ずしおあらわれるのではない。むしろ逆に貞付資本における利子圢成の倖郚にあっお、これを反映しお、自らは圢成しない利子を、䞎えられたものずしお受けずるこずによっお、それ自身に利子を生む資本ずしおの自己を物神化するのである。 それはいわば商品の物神性が資本䞻矩的生産䜓系の理念ずしお結晶したものずいっおよいであろう。」同曞、四巻、四五五〜六頁
マルクスにあっおは、利子生み資本においお資本関係が倖面化し、それが䞀぀の物に物化するので、資本の力がその物それ自身にそなわっおいるかの劂くあらわれる、ずいうこずをもっお資本物神の完成ずしおいるのに察し、ここで展開されおいる宇野の資本物神論はそれずは党然異なるものずなっおいる。
宇野の堎合資本が物化するのではなく、資本の倖に資本関係の倖化ずしお新たに圢成される「それ自身に利子を生む資本」が、自己を物神化する、ずいうのが資本物神論なのである。ずころで「それ自身に利子を生む資本ずいうような資本なるものがあるわけはありたせん」『資本論の経枈孊』、䞀二六頁ずいうわけだから、それはむデオロギヌだずいうこずになる。事実宇野の資本物神の説明も利子を倱なうな、ずいうこずが「資本家の戒埋」ずなっおいるこずをもっお「それ自身に利子を生む資本」の物神化ずしおいる。
しかしマルクスの䞻匵する意味での資本物神、぀たり物それ自䜓に資本の力が宿るずいう珟実がなければ、物でないもの、資本ずしおは存圚しないものに資本の力が宿るこずはありえない。
利子生み資本においお資本物神が完成されおいるから、擬制資本のように、本来資本ではなく、定期的収入にすぎないものが利子率で資本還元されお資本ずいう圢態を擬制されるずいう事態も起こりうるのである。そしお擬制資本ずは利子生み資本の圢態をなすのであっお、この圢態は貚幣の貞借ずいう簡単な圢態の発展したものなのである。
実際利子生み資本においお、貚幣がそれ自身利子を生むものずしおの資本ずしおあらわれ、物に資本の力が宿るずいう事態がなければ、定期的収入が資本に擬制されるこずはありえないのに、宇野は逆にこの定期的収入が資本ずしおあらわれるずころに資本物神を芋いだそうずしおいる。利子率による資本還元は資本物神成立の結果ひき起こされる珟象であっお、それ自䜓は資本物神ではありえない。宇野はこの結果珟象を資本物神ずみなしおいるので資本物神を「理念」や「戒埋」ずいったむデオロギヌずしお把えるこずになり、その垰結ずしお資本を神秘化しおいる。「それ自身に利子を生む資本」ずいうような資本の存圚を吊定しおおきながら、その資本ずしお珟われおいる擬制資本を資本の商品化ず䞻匵するのだから、宇野にあっおは資本ずしおは理念にすぎないものの売買を資本の商品化ずみなしおいるこずになるのである。

マルクスの株匏䌚瀟論
擬制資本をもっお資本の商品化ずみなす宇野の芋解を批刀する限りにおいお、株匏資本に察する分析がここで芁求されおいる。それで、『資本論』では埌の第二䞃章で展開されおいるマルクスの株匏䌚瀟論をさき走っお玹介しおおこう。
「、株匏䌚瀟の圢成。これによっお――
䞀、個別的諞資本にずっおは䞍可胜であった生産および䌁業の芏暡の、厖倧な拡匵。同時に、埓来は政府䌁業であったような䌁業が䌚瀟䌁業ずなる。
二、即自的に瀟䌚的生産様匏に立脚しお生産手段および劎働力の瀟䌚的集積を前提ずする資本が、このばあいには盎接に、私的資本に察立する瀟䌚䌚瀟資本盎接に結合した諞個人の資本の圢態をずるのであっお、こうした資本の䌁業は、私的䌁業に察立する瀟䌚䌚瀟䌁業ずしお登堎する。これは、資本制的生産様匏そのものの限界内での、私的所有ずしおの資本の止揚である。
䞉、珟実に機胜する資本家が他人の資本のたんなる支配人・管理人に転化し、資本所有者がたんなる所有者、たんなる貚幣資本家に転化する。被らの収埗する配圓が利子ず䌁業者利埗すなわち総利最をふくむ堎合でさえもずいうのは、支配人の棒絊は、特定皮類の熱緎劎働――その䟡栌は、他のあらゆる劎働の䟡栌ず同じく劎働垂堎で調敎される――のたんなる劎賃であり、たたはあるはずだから、この総利最はもはや、利子の圢態でのみ、すなわち、資本所有――これが今や珟実的再生産過皋における機胜から匕離されるこずは、この機胜が支配人の人栌においお資本所有から匕離されるのず党く同様である――のたんなる報償ずしおのみ、収埗される。かくしお利最はもはやその䞀郚分たる利子――これは借手の利最から正圓づけられる――ばかりでなく)、他人の剩䜙劎働――これは生産手段の資本ぞの転化から、すなわち珟実的生産者にたいする生産手段の疎倖から、珟実に生産においお掻動する䞊は支配人から䞋は最埌の日雇賃劎働者にいたるすべおの個人にたいする他人の所有ずしおの生産手段の察立から、発生する――のたんなる取埗ずしお自らを衚瀺する。株匏䌚瀟においおは、機胜が資本所有から分離され、したがっお劎働も、生産手段および剩䜙劎働の所有からすっかり分離されおいる。 資本制的生産の最高の発展のこうした成果は、資本が、生産者たちの所有――ずいっおも、もはや、個々別々の生産者たちの私的所有ずしおのではなく、結合した生産者ずしおの圌らの所有ずしおの、盎接的な瀟䌚的所有ずしおの――に再転化するための必然的な通過点である。それは他面では、埓来はただ資本所有ず結び぀いおいる再生産過皋䞊のあらゆる機胜が、結合生産者たちの単なる機胜に、瀟䌚的機胜に、転化するための通過点である。」䞉巻、四䞃䞃〜八・四五二〜䞉頁
マルクスは別の章で、擬制資本の䟡栌が利子率による資本還元によっお決定されるこずや、その売買が珟実資本の所有ずはかかわりがないこず等に぀いおも述べおいるが、その蚘述が分散しおいるので、次に、よりたずたっおいるヒルファヌディングの資本の動化論をみおみよう。

資本の動化論
ヒルフアヌディングは株䞻がどのよぅな仕組みで、貚幣資本家ずなるかに぀いお、次のように展開しおぃる。
「株䞻が貚幣資本家ずなるためには、かれがその資本をい぀でも貚幣資本ずしお回収できるこずが必芁である。だが、かれの資本は個別資本家たちのそれず同様に䌁業に固定されおいるようにみえる。そしお事実そうなのだ。貚幣は手ばなされおいお、機械や原料の賌入、劎働者ぞの支払いなどにあおられる。芁するに、それは産業資本ずしおの埪環をえがくために貚幣資本から生産資本G<PmAに転化されおいる。株䞻は、ひずたび手ばなしたこの資本をもはや回収するこずはできない。かれは、それにたいしお、なんらの請求暩をも有しない。かれはただ収益の䞀分数にたいしお請求暩を有するだけである。資本䞻矩瀟䌚では、しかし、どの貚幣額も利子をうむ胜力をも぀。逆に、芏則的にくりかえす、譲枡できる所埗そしお、劎賃などのように玔個人的な、したがっお䞀時的な䞍確実な条件にむすび぀いおいるのでないかぎり、讓枡できるはすべお、ある資本の利子ずみなされお、支配的な利子率で資本還元された額に等しい䟡栌をも぀。このこずは、぀ねに倚額の貚幣が䟡倀殖のために䌑息しおおり、そしお、それが䟡倀殖をこの収益ぞの請求暩においお芋出すずいうこずから、すぐ刀るこずである。だから、株䞻はその株――すなわち利最にたいする圌の請求暩――の販売によっお、い぀でもその資本を回収しうる地䜍にあり、したがっお貚幣資本家ずおなじ地䜍にある。このような販売可胜は、蚌刞取匕所ずいう固有の䞀垂堎によっお぀くりだされる。この垂堎の成立によっお初めお株匏資本は、いたやい぀でも個々人にずっお『実珟可胜な』ものずなり、したがっお貚幣資本の性栌を完党にあたえられる。逆に、貚幣資本家はその資本を株匏圢態で投ずるばあいにも、やはり貚幣資本家の性栌をたも぀。そこで、自由な貚幣資本は、それが貞し぀け資本ずしおの本来的機胜で確定利づき貞し぀けぞの投資を競争するのず同様に、そのものずしお、぀たり利子うみ資本ずしお、株ぞの投資を競争する。このようなさたざたな投資可胜性の競争は、株の䟡栌を確定利づき投資の䟡栌に接近させ、収益を株䞻にずっおは産業利最でなくお利子たらしめる。」(『金融資本論』倧月曞店版、第䞃章、䞀六八頁)
資本の動化ずは、ヒルファヌディングの蚀葉によれば「資本の擬制資本ぞの転化぀たり資本還元された収益指図蚌ぞの転化」(同曞、二〇二頁)である。圌はここで、株䞻が投資した貚幣は珟実資本ずしお䌁業に固定されおいるが、配圓請求暩を意味する株が、配圓を利子に芋立おるこずで資本還元され、䟡栌をも぀ようになるので、個々の株䞻は、自己の投資した貚幣を株を売るこずによっお回収できるこずをあげ、このような株匏擬制資本の成立によっお、株䞻は貚幣資本家ず同じ地䜍にあるようになるずしおいる。
この株の売買による個々の株䞻の資本の回収は、䌁業にずっおは、珟実資本の出資者の肩がわりを意味するだけで、珟実資本の回収は意味しない。 資本が珟実資本ずしおは株匏䌚瀟に固定しおいながら、個々の株䞻は株の売買によっお貚幣資本家ず同様の地䜍にた぀こずができるこず、これは珟実資本ずしお機胜する資本を、貚幣資本家の資本をも動員しお圢成するこずが可胜ずなるこずを意味する。こうしお株匏䌚瀟においおは資金調達が容易ずなるが、ヒルファヌディングはこのような事情をふたえお、資本の擬制資本ぞの転化を資本の動化ず芏定したのであった。
次に圌は株䟡の分析に移っおいる。
「私的䌁業を株匏䌚瀟に転化するこずによっお資本が二重化したようにみえる。だが、株䞻の払いこんだ最初の資本は決定的に産業資本に転化されおいお、そのようなものずしおのみ珟実には存圚する。貚幣は生産手段の賌買資金ずしお機胜し、これに支出され、したがっお決定的にこの資本の埪環過皋からは消え去る。生産をずおしお生産手段が商品に転化し、この商品が販売されるこずによっお初めお貚幣――たったく別の貚幣――が流通から還流する。だから、そのごの株匏取匕きで支払われる貚幣は、けっしお株䞻が最初に払いこんだ、そしお消費されおいるその貚幣ではない。それは、その株匏䌚瀟の資本の、その䌁業の資本の、構成郚分ではない。それは、資本還元された収益蚌刞の流通に必芁な远加貚幣である。同様に、株の䟡栌もたたけっしお䌁業資本の䞀郚分ずしお決定されおいるのではない。それは、むしろ資本還元された収益の持ち分である。そのようなものだから、 それは䌁業に固定されおいる総資本の分数ずしお、したがっお盞察的に確定した倧きさずしお決定されおいるのではなく、ただ支配的利子率で資本還元された収益であるにすぎない。だから、株の䟡栌は珟実に機胜し぀぀ある産業資本の䟡倀たたは䟡栌、に䟝存するのではない。なぜなら、株は䌁業で事実䞊機胜し぀぀ある資本の䞀郚分にたいする暩利蚌ではなく、収益の䞀郚分にたいする暩利蚌だからである。したがっお、株の䟡栌は第䞀には利最の倧きさしたがっお産業資本そのものの生産芁玠の䟡栌よりは遥かに倉動的な倧きさに䟝存し、第二には支配的利子率に䟝存する。
だから、株は収入暩であり、将来の生産にたいする債暩であり、収益蚌曞である。この収益は資本還元されお株の䟡栌ずなる。そこで、この株䟡ずいうものにおいお第二の資本が珟存するようにみえる。この資本は玔粋に擬制的である。珟実に存圚するのは、ただ産業資本ずその利最ずだけにすぎない。ずはいえ、そのこずは、この擬制『資本』が蚈算䞊珟存し『株匏資本』ずしお瀺されるこずを劚げるものではない。だが、それは珟実には資本ではなくお、䞀収入の䟡栌にすぎない。぀たり、資本䞻矩瀟䌚の内郚ではどんな貚幣額も収入をうみ、したがっお逆に、どんな収入もある貚幀額の果実ずしおあらわれるずいうこずからこそ可胜な、䞀぀の䟡栌にすぎないのだ。」同曞、䞀六九〜䞃二頁
この展開は明解であっお、ずりたおお説明すべきこずはない。

宇野の株匏擬制資本論
宇野は株匏擬制資本を資本の商品化ず芏定したが、その内容をみおみよう。
「株匏䌚瀟の資本は払蟌み株匏資本によっおなるわけであるが、払蟌みず同時にそれは二重の存圚を䞎えられる。それが産業䌁業の堎合には、䞀方は株匏䌚瀟の資本ずしお䞀般の産業資本ず同様にG ―W―・・・P・・・W’―G’の埪環運動を操返すこずになるが、他方ではこの資本の運動ずは䞀応は別個の存圚をなす株匏蚌刞ずしお、すなわち前者の資本の珟実的運動の内に埗られる利最から配圓ずしおその利益の分配を定期的に受ける暩利を有するものずしお、それ自身資本ずしお存圚するこずになる。しかもこの株匏蚌刞ずしおの資本は'株匏䌚瀟の珟実的資本の運動ずは党く別個に商品ずしお売買される。資本は、もずもず䞀個の運動䜓をなすものずしお、それ自䜓には商品でも、貚幣でも、たた機械等の生産手段でもなく、ただその運動の過皋においお、あるいは商品の姿をずり、あるいは貚幣の姿をずり、さらにたた生産手段や劎働力の姿をさえずるのであるが、商品の姿をずっおいる堎合でも資本自身が商品ずしお売買されるわけではない。・・・・・株刞ずしおの資本の商品化は、これず党く異なっお、資本そのものを、いいかえれば䟡倀殖をなす運動䜓ずしおの資本そのものを売買する特殊の圢態である。」(『経枈政策論』、䞀六四〜五頁)
この内容は、株匏の売買を資本の商品化ず芏定し、それによっお珟実資本そのものが商品化されおいるずみなす点を陀けば、 ヒルファヌディングが明らかにした資本の動化論にもずづいおいる。
宇野は株匏の売買を、単なる配圓請求暩の商品化ではなく、「それ自身に利子を生むものずしおの資本」の具䜓化であり、資本関係の倖化・物化をもたらす資本の商品化だず䞻匵しおいるので、ヒルファヌディングずの盞違は、株䟡の䜍眮づけにあらわれおいる。
ヒルファヌディングはすでにみたように「この株䟡においお第二の資本が珟存するようにみえる」けれども、それは「珟実には資本ではなくお、䞀収入の䟡栌にすぎない」ずしおいた。これに察しお宇野は、配圓請求暩を「それ自身資本ずしお存圚する」ずみなし、なおか぀、この「株匏蚌刞ずしおの資本」の商品化は「䟡倀殖をなす運動䜓ずしおの資本そのものを売買する特殊の圢態」であるずした。
宇野はこうしおヒルファヌディングが資本の動化ず芏定した事態を資本の商品化ず芏定したこずになるのだが、このような新たな芏定を正圓化するためには、いく぀かの論拠を必芁ずした。
その第䞀は株匏の䞻芁な内容が配圓請求暩ずされおいるこずの吊定であり、宇野は株匏に配圓請求暩のみならず、珟実資本に察する支配暩をも認めるこずになった。第二には株䟡が衚珟するものを、配圓請求暩ではなく「それ自身に利子を生むものずしおの資本」ずいう資本範疇ずみなし、株の売買をこの独自の利子を生む資本の売買ずみなすこずであった。だが、これらの論拠をもっおしおも、株匏擬制資本で資本の商品化を説くこずはできおいない。
第䞀に、株匏に支配暩をかりに認めたずしおも、それは筆頭株䞻ずなりうるだけの倧量の株匏の集積が必芁である。ずころで珟実には株匏はそのようなたずたった倧量ごずに売買されおいるわけではないから、株匏の商品化は支配暩ずはかかわりなく、配圓請求暩を基瀎にしおいるこずが明らかである。
第二に、配圓請求暩は、利子率で資本還元されお䟡栌をも぀にいたるが、かりにこの䟡栌を「それ自身に利子を生むものずしおの資本」だずしよう。この「資本」は株匏所有にもずづく定期的収入たる配圓を利子ずみなすにたりる資本額のこずだから、珟実資本の所有ずは䜕のかかわりもない。
それゆえ、仮りに株䟡を「それ自身に利子を生むものずしおの資本」ずみなし、株の売買をこの資本の商品化ず芏定しおみたずころで、この「資本」は珟実資本の所有ずは䜕の関係もない。だから、この「資本」の売買が「䟡倀殖をなす運動䜓ずしおの資本」の売買ずはならないこずは明らかである。
第䞉に、珟実資本に察する支配暩が商品化しおいるわけではないこず、さらに商品化によっお圢成された䟡栌が利子をもたらす資本ずいう珟象をずっおいるにしおも、この資本は珟実資本の運動ずは関係はないこず、これらが明らかずなれば、あずに残っおいる宇野の論拠は、株匏の買占めによっお筆頭株䞻になれば、珟実資本に察する䞀定の支配皮を獲埗しうるずいう経隓的事実だけである。しかし䌁業の売買は諞資本の競争のレベルに属する問題であり、利子生み資本の運動圢態ずしおの資本の商品化ずは無関係である。
以䞊から明らかなように、たずえ、株匏に珟実資本に察する支配暩を認め、たた、株䟡を「それ自身に利子を生むものずしおの資本」ず芏定しおみたずしおも、株匏の商品化が、䟡倀を殖する運動䜓ずしおの資本の商品化であるずいう結論はずうおい導き出せない。

宇野利子論䜓系の批刀
『資本論』の展開に則しお宇野利子論の䜓系を怜蚎しおくるなかで、䞡者の盞違及び,宇野利子論の難点はすでに明らかにされおいる。 ここでは宇野利子論䜓系ぞの批刀を簡単にたずめおおくこずにしよう。
結論からいえば、宇野利子論䜓系ずは、マルクスが『資本論』で展開しおいる利子生み資本論を玠材ずしお、「玔粹の資本䞻矩瀟䌚の想定」ずいう条件の䞋に組みたおられた、䞀個のモデルにすぎない。
「玔粋の資本䞻矩瀟䌚の想定」ずいう条件の䞋に、産業資本ずは別皮の資本たる利子生み資本は貚幣資本家を「䞍玔な芁玠」ずしお捚象したこずによっお、事実䞊吊定されおいる。その結果、珟実の利子生み資本は、産業資本盞互間の遊䌑貚幣資本の融通関係に限定され、産業資本の利最率均等化の運動を捕足する機構ずしおのみ䜍眮づけられるこずずなり、利子生み資本及び利子の本質ず独自の運動圢態に぀いおは考慮の倖におかれるこずになっおいる。
利子生み資本を事実䞊吊定しながらも、では䜕故宇野に利子論䜓系が成立しうるか、ずいえば、宇野自身は利子生み資本を、株匏擬制資本に芋いだしおいるからである。ここでは株䟡は利子を生む資本ずしお珟象しおいるので、宇野は株匏の売買を、「それ自身に利子を生むものずしおの資本」が売買されおいるず捉え、これをもっお資本の商品化ず芏定したのであった。
だから宇野の利子生み資本論は、定期的収入が利子に芋立おられ資本還元されお䟡栌をもち、その䟡栌が資本額ずしおあらわれる、ずいう擬制資本成立のメカニズムに則しお組み立おられおいる。資本の商品化を、利子を生むものずしおの資本の売買資本を貞し付けお利子を埗るのではなく、貚幣請求暩の商品化に資本の商品化を芋出しおいるず把えお、貞付資本ではただ資本の商品化は芋られない、ずいっおマルクスを批刀したこず。資本関係の倖化ずは、倖郚から䞎えられた利子率で資本還元されお、珟実の資本関係の倖郚にもうひず぀別の資本ができるこずだ、ずいった䞻匵。資本物神ずは「それ自身に利子を生むものずしおの資本」が、商業資本で「倖化」し、擬制資本で実珟されるずき、そういう資本は珟実には存圚しないのに「資本ずしおは䞀瞬も遊ばしおおけない」ずいう「資本家の戒埋」が生れるが、そのこずに他ならない、ずいった䞻匵。これらが宇野の利子生み資本論の内容ずなっおいる。
他方マルクスの利子生み資本論は、商業信甚、銀行信甚ずいう信甚制床論での「資金」の商品化論ぞず倉圢され、利最率均等化の運動の䞀芁因ずしお䜍眮づけられた。
このモデルの根本的な難点は、第䞀に、擬制資本の䟡栌を資本ずみなし、ここに資本の商品化を芋るずいう、資本物神が圢成する仮象に無批刀的に远随しおいるこず、第二に、利子生み資本ず利子の本質芏定がなされおいないこず、第䞉に、その論理が珟実の論理を把えおいないこず、にある。
こういう難点があるからこそ、逆に、今日の孊界では䞀定の圱響力をもちうるわけであるが実際に宇野掟を批刀しおいる孊者の説のなかにも、宇野利子論は䜕らかの圢で受け入れられおいる、その圱響力の拡倧は、今日の経枈孊界の珟実分析に察する無胜を隠蔜する圹割をはたしおいるにすぎない。
宇野利子論批刀はパズル解きのように、珟実から離れたものずならざるをえないが、その埡利益が信奉されおいる以䞊、このモデルの䞍毛性を立蚌する䜜業がなされねばならなぃが、そのための玠材ずしお本皿を提起した。
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