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2014/02/23

『「資本論」の核心』補講全３回（３-１）

Category: バラキン雑記 :

Author: ebara (10:41 am)

『「資本論」の核心』補講全３回（３-１）

　発売中の拙著『「資本論」の核心』（情況新書、2014年、1300円）に収録できなかった講義をここで公開します。三回に分けて掲載し、三回目には本書の目次を末尾に収録しておきます。なお『資本論』現行版は長谷部文雄訳の『世界の大思想　マルクス資本論』（河出書房新社）を使います。ページ数についてはこのページ数でやっていきます。

補講第一回　目次

第一講　資本論の読み方　今なぜ『資本論』か
１．参考文献の紹介
２．階級の解体ではなくて階級の成熟
３．商品の価値形態を人格の物象化、物象の人格化の形式と読む
第二講　商品の二要因 ――― 使用価値と価値
１．冒頭商品の性格をめぐって
２．価値実体の分析への異論をめぐって
３．抽象的人間労働への還元の「恣意性」をめぐって
第三講労働の二重性
１．価値とは社会的実体という認識の欠落
２．社会的実体と労働の社会的性格
３．生きた労働と対象化された労働との区別

第一講　資本論の読み方　今なぜ『資本論』か

１．参考文献の紹介
資本論には膨大な論争があります。そういう論争を一々追っていくということは今回はやらないわけですけれども、一応どういう論争があるかということについての文献を紹介しておきましょう。
遊部久蔵の『資本論研究史』（ミネルヴァ書房）、これが一番古いものです。次に出たのが『資本論を学ぶ』、それから、刊行中の『資本論体系』（最近完結した）、それぞれ有斐閣から出ています。その他、共産党系の学者の手になる『マルクス経済学講座』、『新マルクス経済学講座』（有斐閣）、宇野学派の手になる『資本論研究入門』（東大出版会）というのもありますが、それぞれ一定の傾向から書かれていまして、比較的中立的な立場から書かれているのが一番新しい『資本論体系』という本です。
これらの本には論争の紹介と共に膨大な文献の紹介があります。もし今回の研究会の中で掴みたいテーマなどが御自身で見つかりましたら、是非そういう文献に当たり、一々文献を調べて自分で研究していくような形でやって戴いたらいいと考えています。そういう論争については今回の講義では必要に応じて言及するということに致しますので、文献の紹介に留めておくとしまして、今なぜ『資本論』を取り上げるかということについて次にお話ししたいと思います。

２．階級の解体ではなくて階級の成熟
日本ではマルクスはもう古い、ということが数年前（80年代前半）から言われてきまして、それはどういうことを根拠にしているかと言いますと、階級が解体しているという認識が一般化しているという所に現れていると思います。階級の解体という問題は例えば世論調査で国民の大多数が中流の意識を持っている、こういう所に典型的に現われている問題ですけれども、資本家と労働者の利害の対立は敵対的な対立なのだという意識が薄れてきているということなのです。
これは裏返せば自分が階級に帰属している、という意識が希薄になってきているということでもあるわけですが、このような階級の解体というようなことが進行していく中で、マルクスの理論は階級闘争、階級の問題を全面に押し出したものだったために、マルクスはもう古いのではないかというような意見が方々から出てくるということになってきているのです。
ところが私たちはこの様な現状こそが、むしろマルクスが『資本論』で予言した階級闘争と階級の存在形態の完成ではないか。だから階級が解体したのではなくて、階級が完成したのではないか。階級が成熟して完成したのではないか。こういうことが『資本論』を読めば分かるのではないか。これが私たちの基本的な観点です。
それで今なぜ『資本論』かということは、一見階級の解体に見えているような現在の事態が実は階級の完成である。そういうことが『資本論』を読めば分かる。今この問題に若干立入って話しを進めていきますと、従来の階級についての観念というのはやはり資本家と労働者との間の経済的な関係は搾取・被搾取の関係であるというように捉えられていたのです。従って資本家と労働者との間の階級の対立ということは搾取・被搾取の意識だったのです。しかもこの搾取・被搾取が人と人との関係というように自覚されていたわけです。
ところが今日では人と人との関係において搾取されているという意識が希薄になってきている。そして資本家も彼が資本家であるから搾取しているということではなくて、一つの社会体制の中で一つの役割を占めているに過ぎない。それで資本家の役割というのが何か人間の力を超えた体制的な力が、資本家に強制させているという、このような形で階級の問題が理解されるようになってきている。そうすると搾取という問題はもちろんあるとしても、そのような搾取は人による人の搾取というようには意識されなくなってくる。一つの全体的な体制があって、そういう体制の中で人々がそれぞれの役割を演じている。これを厳密な言葉で言いますと物象による人格の支配、これが完成したということなのです。
そもそも資本の体制というのは、商品や貨幣や資本といった物象を媒介にした人に対する人の支配ということなのです。例えば封建制度、奴隷制度であれば、人と人との支配・服従関係が搾取するための前提でした。領主と農民といった人と人との間の人格的な支配・従属の関係があって、その元で搾取されていく。ところが資本の場合には人と人との政治的関係は自由平等であって、そこに支配・隷属の関係はない。しかしながら、資本というのは一つの物象として現われるわけですから、物象としての資本を所有しているかしていないかが問題で、物象を所有していることにもとづいて人による人に対する支配がなされるというのが資本主義の特徴なのです。
ところが物象を媒介にした支配ということが、資本主義が封建社会から生まれてきて発展していく過程ではまだ徐々に支配的になっていくのですが、それ自身が一つのイデオロギーとして人々の頭のなかに形成されるというところまでは行ってなかった。従って昔の資本家は資本を一つの物象として捉えた場合に、物象を媒介として人を支配し搾取していたにも拘わらず、一般的には人が人を搾取する、支配するというように見えていたのです。
しかし、今日では人と人との支配として意識されてきた関係が、逆に物象を媒介とした支配の完成によって人に対する人の支配という意識がむしろ消えていっている。こういうように意識が変化してきているようになっているのです。
それはなぜか、ということなのですが、その辺りの問題を解く鍵がいわゆる物象化と物神性（物化）なのです。物象を媒介とした支配がもちろん人による人の支配の一つの形式なのですけれども、それが人による人の支配には見えなくなっていく。つまり、物象を媒介とした支配がむしろ人による人の支配であることを隠してしまう。
そういう問題がどこにあるかというと根本的には商品にある。物象化も物神性も商品の価値形態にある。そういうように考えていきますと、昔であれば資本家と労働者の関係は搾取・被搾取の関係で尚且つ資本家は資本という物象を媒介にして搾取するわけですけれども、その資本という物象を媒介に搾取する過程が、生産過程での資本家による労働者の搾取というそういう人と人との支配・隷属の関係を消してしまうような形では成立していなかった。従ってそこに搾取という観念を媒介にして階級と階級が存在している、お互いに利害が対立している、という意識があったのです。
ところが今日では物象を媒介にした支配という方が膨大に膨らんでいって、それが人と人との関係を隠してしまう、そのようになっている。従って伝統的な階級論では通用しない。そのような事態が階級の解体というような言説で様々な人々によって主張されている原因だったと思うのです。
私たちが今回の講義でそれを階級の解体ではなくて階級の成熟だと主張することがどういう意味かといえば、そのように物象の方がむしろでしゃばってきている。それは単なる物と物との関係であって、そこには人々の支配・隷属の関係はないのだ、という意識が出てくることこそがむしろ資本主義的な体制の完成であり階級の成熟であろう、こういうように、捉えられるのではないか。
それは商品・貨幣・資本、これらの持つ物象の社会的力が支配・隷属の関係を形成しているのだが、物象のもつ物神性が人による人の支配・隷属関係の消滅といった意識を人々の間に作り出さざるを得ない。それが成熟して現に作りだされた。こういう事態として、今日のいわゆる階級の解体と言われているような主張が、実は逆に階級の成熟を意味しているのだという理解に導いていけるのではないかというように考えているのです。

３．商品の価値形態を人格の物象化、物象の人格化の形式と読む
そういうような観点から『資本論』を読もうということになりますと、もともと、『資本論』には最初に商品論があります。これは読んでいっても非常に難しくてはっきり分からないことが多い。それで商品論の後に貨幣論があって、貨幣の資本への転化が説かれ、それから資本の生産過程というようになっています。その商品論というのは貨幣を理解してそれから貨幣の資本への転化を理解する、そういう前座のようなものとして今までは学習されてきたと思うのです。そして、むしろ学習の中心は資本の生産過程を勉強して、そこで搾取がどういうようになされているかという事を理解して、そして階級対立がなぜ起るのかということを知る。こういうやりかたが今までの『資本論』の学習方法だったと言えると思うのです。
ところが今言いましたように、一見階級が解体していると見えるような事態が階級の成熟であるという認識を持とうとすれば、商品論はいい加減にして資本の生産過程から詳しく学習するということをやっていたのでは到底そういう認識は出てこない。そこで商品論を非常に詳しく研究するということが今必要になってきていると言えると思うのです。
そこで私たちの観点をもう少し整理してみますと、一つは『資本論』の膨大な論争がありますけれどもそういう論争の中でまだ充分議論されていない問題、つまり新たな解釈を確立する、あるいは既成の解釈を乗り越える、というようなことが商品論の所でなされねばならない。そういうように考えています。
それはどういう事かと言いますと、商品の価値形態を人格の物象化、物象の人格化、これが成される一つの形式として解明しようということです。これが一つの根本的な観点なのです。商品の価値形態については様々な論争がありまして、ここが特に『資本論』の商品論の所でも一番難しいと言われているのですが、この価値形態に関しては今までの議論は本当の所マルクスの真意を掴めているとは決して言えなかったのではないか、と私たちは見ています。
『資本論』の価値形態論というのは、『経済学批判』を含めれば多くの論じ方があるわけです。『資本論』の初版の本文に価値形態論が一つ展開されていますし、それからそれでは難しいのではないかとクーゲルマンがマルクスに指摘したことによって付録というものが書かれて、初版には本文と付録という形で価値形態論が二重に説かれています。さらに現行版というものがありまして、マルクス自身が『資本論』の初版本を改定したわけですけれども、その改定した現行版の価値形態論というものが、付録を土台として書き直されて新しい形で展開されている。従っていわゆる商品の価値形態の分析ということについては、マルクスは少なくとも三つの仕方で展開をしているのです。
これまでの研究がいかに不充分であったかということは、このマルクスが展開している三つの異文について各々どういう特徴があってどういう関連があるか、というような事について当然研究されるべきなのですけれども、それに関してはまだ全然手がつけられていない、という所にも現われているように思います。
人格の物象化、物象の人格化ということは、今まで『資本論』の解釈の中では余り強調されてこなかったことなのですけれども、先程の実は“階級の解体が階級の成熟である”というふうに認識をしていくための基本的な拠り所というのが“人格の物象化、物象の人格化”ということなのです。
この事について予め説明しておきますと、結局ここで人格という場合は法律行為の主体としての人間であって、物象というのは、自然物でありながら人々の社会関係で形成される社会的な力をモノの方が吸収してしまいモノがそういう社会的な力を持っている、そういうモノを物象と呼びます。
例えば貨幣ですけれど、今の貨幣でしたら日銀券になりますけれども、ああいう日銀券という紙切れが商品を買うという購買力を持っている。これは日銀券という紙切れに人々が生産した商品を購入するという、人間の社会の中でしか成立していない社会的な力が付着しているのです。そういうように自然物でありながら社会的な力を持ってしまった、そういうモノを“物象”と呼ぶのです。そして、資本主義の基本的な傾向として、社会的な力を持った物象が人格化するということが起っている。
この物象が人格化し人格が物象化してしまうという関係が、実際にモノを利用して人が人を支配していく場合にこのモノが物象になってしまうと、モノの方がいかにも人の役割を果たしてしまう。その結果、人による人の支配がモノを通じて行なわれる場合に、本当はそのモノが単なる物ではなくて、物象として人による人に対する支配がなされているというように見なければいけない。ところがそのモノが人的な力を持ってしまっているわけですから、人の方が逆にモノの力に順応して、モノをコントロールしているように感じてしまう。
そうするとそこにあるのは一つの物的な、体制的な関係で、そういう関係があるから人々の不平等が生まれている。そういうような認識が生まれてくるとすると、人と人とは結局は資本主義では平等なのに、体制的な形で、なぜかよく分からない、人間の存在を超えた神のごとき力が、現代の社会を運動させている、そういうように捉えられるようになる。
そういうような事態が生じる根本的な原因が、人格の物象化と物象の人格化だということであり、これが商品の価値形態によってそういうことがなされているということですから、商品の価値形態を研究することによってこのことがはっきりすれば、先程の階級の成熟というような問題が次に理解されていくのではないかというように考えるのです。
どういうような計画で今回の講義を行なうかということですけれど、『資本論』の論争史は必要に応じて取り上げるということに留めたいと思うのです。あと特に階級の解体ということを主張している今日の論客が提起している幾つかの批判、これは適宜取り上げてその問題点について検討していきたいと思います。
全体でどういうような形で配分するかということですけれども、最初の一年、つまり１２回で資本論の第一巻の半分くらいまで出来るのではないかというように考えています。残りの２年目に、第一巻の半分と第三巻まで、これは非常に駆け足的になりますけれども全部を一応概論的にやってしまおうというのが現在の計画です。なぜそのような計画になるかというとやはり商品論のところを詳しくやる、というのを基本的な目標にしますので商品論のところを半年かけて研究しよう、そして後の半年で貨幣から第一巻の半分を、具体的には労働日あたりまであと半年でやろう、ということですね。
とりあえず、今回の講義をこのような観点から始めるわけですけれども、特に講義の焦点というのは商品論の研究ということに中心があるわけで、そこが『資本論』の中の一番難しいところでありまた謎でもあります。且つ一般の『資本論』の研究家、いわゆる学者になるのですけれども、学者たちの間では全く間違った解釈が横行しているという、こういうことがありますので、ここのところは特に力を入れてやっていきたいと思います。では第一回目の『資本論』の読み方、というテーマについてはこれくらいで終りましょう。

第二講　商品の二要因 ――― 使用価値と価値

１．冒頭商品の性格をめぐって
『資本論』の商品章での最初の部分なのですけれども、ここでは『資本論』を読み合わせながらやっていきましょう。読み合わせに使う『資本論』ですけれどもこれは多くの訳がありますが、長谷部文雄訳の『世界の大思想　マルクス資本論』（河出書房新社）を使います。ページ数についてはこのページ数でやっていきます。
それでは35頁『第一篇　商品と貨幣　　第一章　商品　　第一節　商品の二要因 ――― 使用価値と価値』、この第一パラグラフをまず皆さんで読んでください。
ここの第一パラグラフでまず商品から分析を始める、ということをマルクスは言っています。この冒頭の商品をどう規定するかに関して様々な論争がありますので、これを簡単に紹介していきましょう。
まずここで言われている商品が、資本主義的な商品なのか、それとも資本主義が発生する以前の商品生産者の商品なのか、ということをめぐって論争がありました。まず後者を「単純商品生産社会の商品」といいます。この論争がなぜ起ったかという問題は、論理と歴史は照応しなければいけない、という論理＝歴史照応説があったのです。この説からすれば、一番初めはまだ資本はなかったはずですから単なる商品生産者の社会があった。そこから貨幣が出てきて資本が出てくるというように『資本論』全体の体系は叙述されているのではないか。そうなると最初の商品は資本主義的な商品、つまり資本家が生産した商品ではなくて、例えば自営農民であるとかそういった資本家以外の人々が生産した商品が最初に取り扱われているのではないか。こういうような意見が一時期は支配的だったのです。
あとこの他に、なぜ『資本論』の体系が商品論から始まっているのか。それがどういう理由に基づくのかという論争もありました。『資本論』だから資本から始めなくてはいけないという事が当然考えられるし、あるいは労働から始めなくてはいけないというような考え方も当然あるだろうし。例えばスミスだったら分業から始めています。
マルクスは商品論から始めたわけですけれど、これについてはマルクス自身の簡単な説明がありまして、これは『経済学批判』（国民文庫）という最初の『資本論』の原型になった書物ですが、その本にはマルクスがそれを出版した時には未公開であった「経済学批判の序説」という草稿も収録されています。この草稿でなぜ商品から始めるかということについて直接それを説いたわけではありませんが、もっとも単純なものから始めて複雑なものへと移っていくという形で科学は叙述されるべきではないかというように言っているのです。
科学を叙述するのはそういう方法ですけれども、しかしながら実際に叙述する以前に、その対象である資本主義社会あるいは資本主義の生産様式ですが、そういうことが完全に分かっていなければならない。それを分析していく場合には複雑なものから出発して段々と単純なものに下向分析していくのだ。分析した結果、単純なものに到達すると今度は叙述する場合にはそこから上向して段々と複雑なものへと移っていく。こういう分析と総合という形で、科学の方法は成りたっているのだというような事が書かれているのですが、先の論争での資本主義的な商品か単純な商品生産者の商品かという論争は別にして、この後者の方法の問題については是非「経済学批判の序説」を当たって見ておかれた方がよいというように思います。
論理と歴史との照応説というのは現在では殆ど支配的ではなくて、冒頭の商品は資本主義の生産者の商品であるけれども、しかしながら資本主義的な規定、これが抽象されている。そういう意味で単純な商品生産者の商品と同じような抽象的な商品になっている、というものが先の論点についての支配的な説になっています。その紹介はそれくらいにして、次の段落から36頁上段の真中辺りまで読んでください。

２．価値実体の分析への異論をめぐって
今読んでいただいた所は、商品の二要因のうち、使用価値の説明がなされています。商品の使用価値とは何か、という説明はあまり難しい問題はないと思うので次に価値の説明をしている所に移りましょう。その続きから37頁下段の5行目までを読んでください。
今読んでいただいた所が、価値の分析です。価値と言わずにここでは交換価値というようになっていますが、マルクスはこの交換価値ということで価値を代表させています。取りあえず価値は交換価値として現われているので、現象に則してここでは価値を交換価値と規定して分析しています。
ここで交換価値の分析を通じて価値とは何か、普通は価値の実体というように言われているものとは何か、ということが分析されているのですが、ここに多くの論争がありまた興味深い見解の相違ということがあるのです。従ってここはかなり詳しくやっていきましょう。
先走って価値とは何か、という事について前提的な認識を言っておいた方がいいと思うので説明しておきますと、要するに商品に価格がついている。例えばここにあるコップが250円で売られている。コップ自体は自然物ですけれど、それに価格が付いている。その価格は人間の社会の中でのみ起こる経済的な現象です。それでコップに価格が付いているということ、これは交換価値なのですけれども、コップが交換価値を持つ、それはどういうことなのか、それを説明することが価値の説明になるのです。
コップを作った人は、コップが市場にある時にはまだ自分の所有物ですね。ですからコップはコップを生産した人の私的な生産物であり、私的な所有物である。ところがコップが交換価値を持って、価格を付けて市場に出される場合に、他の人々はコップを生産したコップを所有している人に対して、貨幣を支払うことによってそのコップを自分のものにすることが出来る。そこではコップは社会に通用する労働になっているのです。
だから価値とは何か、価値形態とは何か、という問題は私的労働の生産物が私的所有という性格を変えないままで社会的に通用する、そういう社会的労働の形を取っている。この私的労働生産物がとる社会的労働の形態、これが価値であり、その形式が価値形態である。大体こういうようなことを頭において、価値の実体についてのマルクスの分析を見て行きたいのです。
ここで、特に日本の学界の中で大きな論点になったというのが宇野弘蔵さんの説です。二つの商品の交換関係から抽象的人間労働への労働の還元が成されているというようにマルクスが主張しているけれども、宇野さんはそうはならないのではないかという批判をしたことが最大の論争点なのです。
二つの商品の交換関係からだけでは価値が抽象的人間労働であるということは分からない、こういう批判を宇野さんはしたのですが、まあ宇野さんの批判はもう古いし私も『資本論の復権』（鹿砦社）などで宇野批判を書いたこともありますのでそのことは直接ここでは言及せずに、同じような立場から問題を立てて展開している柄谷行人さんの説を見てみましょう。
柄谷さんは『マルクスその可能性の中心』という本で、この本の内容はテキストに引用しておきましたけれども、次のように言っています。
「いいかえれば、『価値』なるものはなく、相異なる使用価値の関係が、もっと正確にいえば『差異』のたわむれが根底にあるだけなのだ。」
先程読んだ所で、マルクスは商品に価値が含まれている、商品に内的な内在的な価値があるのだろう、という観点から分析したのです。それに対して柄谷さんは、商品に価値が含まれているという事はないのだ。ただそこには使用価値と使用価値の関係があるだけだ。だからちょうどマルクスの『資本論』でいえば、36頁上段の最後の方ですね、そこで言われている、「だから交換価値は、なにか偶然的で純粋に相対的なもののように見える」というマルクスが否定している考え方、これが正しいのだと柄谷さんは言っているのです。
なぜ彼がこのような主張を展開するかと言いますと、続いて柄谷さんの本（『マルクスその可能性の中心』）の47頁からの引用、を掲げましょう。
「一つの商品の“価値”は、内在的にあるのではなく、他のすべての商品との価値関係としてあるにすぎない。だが、貨幣形態をとると、それは数量的に表示される。同じ商品が一地域で安く、他の地域で高いのは、それぞれの地域において、他の商品との関係がちがうということ以外ではない。ところが、この関係が貨幣形態によって消去されると、まるでその商品に単独に内在的価値が存在するかのようにみえる。」
面白いことに柄谷さんは貨幣形態があるから、商品に内在的な価値があるように見えるのだ、こういう主張をしているのです。もし貨幣形態を取り払ってもっと簡単な価値の関係を想定していくと、それは商品に内在的な価値というようには言えないのではないだろうかと。
なぜこのような対立が出てきたかという問題ですが、これは実は先程言った宇野さんの説と非常に関係しているのです。宇野さんは『資本論』を批判して、新しい観点から自分の価値論を展開している。そういう内容を一番新しい著作でいうと『経済原論』（岩波全書）で展開しているのですが、そこでは商品がみんな価格を持っている、この点での同質性が価値だ。こういうように言っているのです。
だからある商品は○円である。また別のある商品は×円である。みんな共通の何円という価格を持っている。この商品が価格を持つという同質性が価値だ。こういう形で価値を規定しているのです。柄谷さんはそういう貨幣形態を想定すると、本来商品自体に価値が内在的にないのにあるように見える。そういうように商品の分析をもってする場合に価格や貨幣形態を問題にして、そこから出発点にして分析しようとする。これが宇野さんにも柄谷さんにも共通している。
ところがマルクスはそうせずに二商品の交換関係を分析しているのですが、宇野さんの場合は価格をもっているという点での共通性が価値でその価値は一体何か、というようになっているし、柄谷さんの場合も価値は結局使用価値と使用価値との間の関係で内在的な関係はなく、貨幣形態を取ると価値があるように見えるのだ、というような形で言う。いずれにしても貨幣形態に注目している。価格に注目している。その価格を分析していっても価値が抽象的人間労働であるかは分からない、と二人ともそういうようには言っていないし、そういう主張は別にしていないのだけれども、裏返せばそういう事を言っていることになるのです。
実は柄谷さんや宇野さんの説が登場してくる余地がどこにあるかと言えば、実は商品の価格形態を分析したのでは、その価値がどういうものかという事は全然分からない。これはマルクスがそういう展開を当然視しているのですが、実はそういう非常に平凡な一つの事実を、宇野さんや柄谷さんは別の言葉で言い換えているに過ぎないのではないか。では価格や貨幣形態では商品価値の実体、商品の価値とは何かということをなぜ分析出来ないか、ということに移りますけれども、その問題に移る際にはまずそのマルクスの分析について、先程読んでいただいた所にもう一度帰って見て行きたいと思います。

３．抽象的人間労働への還元の「恣意性」をめぐって
マルクスは二つの商品、小麦と鉄の関係ということを提起してそして共通者が抽象的人間労働である、と述べています。そのような議論を展開する前に、１クォーターの小麦の交換価値というのは様々あって、様々な交換価値があるのだろう、ということからまず出発しているのです。ですから、これは後で価値形態のところで出てくる「全体的な・または開展された・価値形態」ですね。だから１クォーターの小麦が様々な商品と交換されている、そういう交換関係です。それをまず念頭において、そこで例えば１クォーターの小麦がＡの商品とはどれだけの割合で交換されるか、Ｂの商品がどれだけの割合かと考えて行きますと、Ａ・Ｂ・Ｃ・Ｄ・・・様々な商品と交換できるわけですが、そうすると今度は小麦と反対の右辺にあるＡ・Ｂ・Ｃ・Ｄ・・・といったこれらの商品は同じ同等なものではないかと。そういうことをまずマルクスは言っているのです。それで右辺の様々な商品がみんな同等なものを表現している、という事を押さえた上で、この全体の中に含まれていた小麦と鉄の関係という価値関係のうちの一つを取り出して、次にこの共通なものは何かと、いうように分析して行っている。
ここで宇野さんなり柄谷さんなりが想定している貨幣形態を取るとどうなるか。そうすると１クォーターの小麦が右辺に来て、Ａ・Ｂ・Ｃ・Ｄ・・・他の商品が左辺に行く。だからこれは後で出てくる相対的価値形態と等価形態という二つの価値形態に分かれているというようにマルクスは言っており、マルクスの例では小麦というのは相対的価値形態に立っているのですけれども、今度は宇野さんや柄谷さんの場合では小麦は等価形態に立っているのです。
様々な商品が一つの単一の小麦というもので価値を表現されている。こういう関係を実は彼等は想定してしまっているのです。それでそういう形態を見ると確かに様々な商品が全て単一の商品で現されているから、何か一つの共通のものを持っている。そういうことは当然分かるのですけれども、その共通なものの中身は一体何か。それは逆に共通なものは小麦だ、という事になっているわけですから、全く逆に隠蔽されている。共通なものは労働だということはむしろ分からなくなっている。
だから宇野さんや柄谷さんにしても、価格を持っているという点での同質性が価値だというような所から出発して価値を分析しようとすれば、例えば貨幣なら金なり、先程の例なら小麦なり、みんな他の商品が金なり小麦なりと等置されている。そういう事が分かるだけで、では金や小麦というのは実際に何か、という事はこの形を幾ら分析しても分からない。
そういう意味でマルクスの分析を宇野さんや柄谷さんなりは批判しているわけですけれども、その批判がマルクスの展開を正確に押さえた上での批判にはなってなくてむしろ、特に宇野さんの場合では顕著ですけれども、マルクスが設定している交換関係とは逆転した交換関係を設定した上で抽象的人間労働が出てこないという事を言っているに過ぎない。
確かに商品が全部価格を持っているからそういう同一性が価値だという事は、子供でも分かる話なのですけれども、そういうような現象を引き合いにだして果たして価値ということの質が分かるかどうか。そういう問題を考えてみるとすれば、このような問題設定では価値の分析の仕様がない、というようになっているのではないか。
このことはマルクスの分析を裏返せばそういうことがハッキリするし、マルクスの分析は商品が価格を持っているという点で共通でありそういう共通性が価値だという考え方には立たずに価値の分析をしている、ということをここでは理解してもらいたいのです。
その次に同じくここの分析に関連してマイケル・ライアンという人が著書『デリダとマルクス』（剄草書房）の中で展開している議論を少し紹介しておきます。
　「価値法則は、ひそかにではあれ、強制的なものだ。それは、等しくないまたは異なる実在体の間の理念上の等価性や交換可能性の上に打ち立てられており、異なるものを等価にし、同一化する。ただし、この操作が実際に起こるとしても、それは理念上のことでしかないし、超越論的なパラダイム（貨幣）の助けを借りた場合に限られる。資本主義は、したがって不等性から抽象を行ない、差異を同一化し、系列をパラダイムへと解消する。」
つまりマルクスが、価値の実体が抽象的人間労働で価値は様々な使用価値を持った諸商品を共通なものに還元している、というように言った場合に、異なるものを一つの等質なものに同一化するというのは単なる理念の上での事だ。現実にはそうなっていない。現実にはやはり差異は差異のまま残っている。こういう主張をライアンはしているのです。
ライアンについては後でまた詳しく述べてみたいと思うのですが、この異なるものを同等化するのは理念上のことだ、という批判というのは宇野さんの批判にも似ているのですが、ずっと一貫してマルクスの価値実体のところの諸批判に底流としてあります。例えば古くはベーム・バウエルクという人が二つの商品との交換の中に同等性が現われるというのは疑問であるとし、とくに三角形の例を引いての分析がこれは単なる頭の中の考えに過ぎないのではないかと。こういう批判をしています。
実際マルクスはここでの分析は頭の中の分析だというような事は、後の箇所で言っています。ただそういう事をマルクスが言っていますから、従ってそういう意味ではここでの価値実体の分析というのは例えば廣松渉さんは『資本論を物象化論を視軸にして読む』（岩波書店）という本を執筆されていますが、廣松さんはここの価値実体の規定は仮にこういうようにマルクスは言ったのだろう、そして後で段々と訂正していってそれが現実的な論になっているのだと。この廣松さんの説についても後で述べたいと思うのですが、いずれにせよここでの議論が単なる仮の議論ではないか、というような説というのはずっとあります。
ただその場合ライアンのようにここの価値実体の分析ではなくて、異なるものを等価とするというのは価値形態の問題ですから価値形態の問題をも含めてこれは理念上だと、言っているのは少なくとも日本の学者ではいないと思います。ただその事をなぜライアンは言っているかということは、廣松さんの検討を含めて後で見ていきますが、いずれにしてもこのような形でここでのマルクスの価値実体論の分析のところに様々な意見が出されている。価値実体の分析は実際には価値形態の分析と絡めて、それと総合して最終的な判断を出すという事にならざるを得ないし、そういうような形で持って行こう、それが今回の講義の目的です。そういう意味で取りあえず第２回目の講義としては、価値実体の分析の所に様々な意見なり反論なりがあってこれは非常に重要だ、この論争点についてはまだ解決していないのだ、という事を確認して、まだこの第一節が終っていないのですがこれは次回に「労働の二重性」の所と一緒に研究することにしましょう。

第三講労働の二重性

１．価値とは社会的実体という認識の欠落
今回は前回やり残した所と、その次に第二節商品で表示される労働の二重性格、ここをやりましょう。それでは前回やり残した所から始めましょう。『資本論』の28頁上段の最初の段落まで読んでください。
ここで注目すべき点は、価値の規定があるわけですけれども、その価値というものは、「社会的実体の結晶としては」（38頁8行目）という様に書かれています。この社会的というように言われている所、ここが一番中心的なことなのです。それで商品の二要因が使用価値と価値であり、使用価値が具体的な有用的な労働と関連して価値が抽象的な人間労働と関連する、という事が今までの所で説かれているのですが、その抽象的人間的労働というのは一体どういうものなのだろうか。その抽象的人間労働の性格規定として、「社会的実体」というような事が言われているのです。
ここから後、この抽象的人間労働というのが社会的実体であるからこそ、マルクスは様々な形で、例えばこれをどうやって測るか、個々人の労働がどのように社会的労働になっていくのか、というような事について、これ以降とそれから次の「商品で表示される労働の二重性格」という所で展開しています。それでここから次の第二節全体まで、まず先に読んでもらいましょう。
その場合どういうことが述べられているか、ということについて予めかいつまんで述べておきますと、まず「社会的実体の結晶としては価値 ——— 商品価値である」（38頁・上8）、というように言った後に「価値の実体をなす労働は、同等な人間的労働であり、同じ人間的労働力の支出である」（38頁・下7）という規定をして、そして個々人の労働力が「一個同一の人間的労働力」として意義を持つ（38頁・下10）。要するに一人の人間の労働だというように考えたものと同じような形で個々人の労働が意義を持っているのだ、というそういう規定をまずします。
それから第二節に入りますと、この商品で表されている労働の二重性を今度は生産過程、商品を生産する過程における労働との関連でもう一度見直すのです。そして有用的労働の場合は様々な社会的分業としてなされて、様々な分業が発展していると書かれています。
これに対して価値としての商品、価値を生産するという意味での商品の生産、この価値の生産過程においては分業とは関係がない。この場合は簡単な平均労働というものが一つの単位になっていて、そして平均労働と複雑な労働というこの2種類の労働しかない。平均労働と複雑な労働はお互いに換算できる。こういう事が次に書かれていますね。これが43頁あたりですね。最後に45頁の最後に、有名な規定があります。
　「およそ労働は、一方では、生理学的意味での人間的労働力の支出であって、同等な人間的労働または抽象的・人間的労働というこの属性においては、商品価値を形成する。およそ労働は、他方では、特殊的な・目的を規定された形態での人間的労働力の支出であって、具体的・有用的労働というこの属性においては、使用価値を生産する。」
ということで締めくくっています。ここまで読んで下さいね。
今読んだところですけれども、何から始めるかという事で、先ほど紹介しました廣松さんが『資本論を物象化論を視軸にして読む』という本で、この第１回目にやりました価値の実体規定と、価値形態、それから労働の二重性、これらの関連をどのように理解されているか、ということについてまず批判的に検討することから始めてみましょう。
廣松さんは著書でこういうように主張されています。
「後論における弁証法的再措定の一端を先取りして言えば、しかし、真実には、商品体の内部に価値なるものが実体相で実在しているわけではなく、抽象的人間労働なるものが凝固的に対象化するわけでもない。交換的等置の場における価値量や価値形態の規定にsub
立てられるものstganzというかぎりで、物象化された視界では、Sub-stanz（＝実体）としての価値実体が措定されるとはいえ、これとてその現実体においては『人と人との物を介しての関係』の『反照的規定 Reflexions-bestimmung』なのである。」
これは第１回目でやりましたマルクスの抽象的人間労働への還元という分析が、実は単なる理念的な仮説ではないか、理念上の問題ではないかというライアンの説明とか、あるいは柄谷さんの、商品体に価値があるというのはおかしい、というような事とはレベルが違いますけれども、いずれにしても抽象的人間労働というものは、何か手に掴めるような感じであるという事はない。そういう事を何とか言おうとしているのだと思うのです。
それはその限りでは、例えば商品を作るのにこれは何時間かかった、という個々人の労働時間は当然測れますが、そういう形では商品の価値は測れない。こういう問題と関連しているわけで当然、抽象的人間労働は手に取るように明らかなものではない。そういう事を言おうとする限りでは、こういう観点というものは必要です。しかしながら廣松さんの場合は、こういう価値実体の設定、あるいは抽象的人間労働の凝固・対象化、というような言い方、これは物象化された視界に則して述べているのだ、というように主張するのです。
本来は人と人との物を介しての関係が、物に反射している、反照している。商品交換というものは一つの仮の像で、その奥に人と人との関係があって、それが反射している。反射している映像に則して、マルクスは価値実体、価値量、それから抽象的人間労働の対象化というような事を言っているのだ、という考え方をしているのです。
ここは私は疑問でして、人と人との物を介しての関係が商品交換、商品の価値という所に反照している、という事ではなくて、労働生産物が価値を持って商品として現れているということ自体が、人々の一定の社会的関係なのだ。これは後で言いますけれども、そういう関係が実は物神性によって単なる物と物との関係に見えてしまう。だから物と物との関係に見えてしまう商品の交換関係の背後には、物象と物象の関係、つまり人と人との社会的関係を背後に持った物象の相互の関係がある。そういうように捉えると、そういう商品自体が人々の一定の生産関係であり、それが商品の現象形態だ。そういう商品の現象形態自体が、人間の目には物化されて、それで物と物との関係に見える。こういう商品の物神性の構造を批判的に掴むとすれば、むしろ商品の交換関係自体を現象形態として掴んだ場合、それ自体が人々の社会的な関係だ。そういうように捉えるべきではないか、というように考えるのです。
そういう観点から、抽象的人間労働が社会的実体と言われている、その社会的性格というものをどのように掴んでいくか。今回の講義の目的がここに生まれてくると思います。
まず、『資本論』第１節の残りの中で重要な問題は、38頁・下7行目です。

２．社会的実体と労働の社会的性格
「けれども、価値の実体をなす労働は、同等な人間的労働であり、同じ人間的労働力の支出である。商品世界の価値で表示される社会の総労働力は、無数の個人的労働力から成りたつとはいえ、ここでは一個同一の人間的労働力として意義をもつ。」
現実には多くの人々が様々な違った労働に就いて、様々な違った形で労働力を支出しているのですが、これは結局一人の人間が労働をしている、というように考えて、様々な形で様々な機能を担っていると見てもいいのではないか。あるいは逆に言えば、もし個々人を一人の人間が全員平均的人間であると考えた、全体ですね。皆が平均的な労働力を持っている、そういうように仮定すると、全部平均的な人間でしたら、一人の人間と同じことだ。こういう関係をマルクスは考えるのです。
ですから抽象的人間的労働が価値の実体で、それが対象化されると言っても、現実には様々な多様な分業・労働があって、各々それが多様な形で価値を生産しているというのではなくて、それが同等な人間労働として見做されてしまう。そういうように見做された上で、同等な労働力が個々の商品を生産するのに必要な労働時間、それが商品の価値となって現れるのだ。
ですからこの場合の労働は社会的で、抽象的人間労働とは社会的実体だ。そういう個々人の不等な労働の同等化、平均化、そういう社会化の仕組みをどのように含んでいるかということです。個々人の異なる人間の労働力が同等化されるシステム、これ自体まだ分析していないし、それは価値形態でやるわけで、それはまだ出て来ないのだけれども、マルクスはここでそういうシステムがないと行われないようなこと、そういう事例をここで既に説いています。
ですから、「抽象的・人間的労働が対象化または物質化されている」（38頁上・後5行）という場合に、それは何も個々人の労働の属性というのではなくて、一個同一の人間労働力として見做された、そういう労働力が支出されて、その結果として抽象的人間労働が対象化される。そういう事をマルクスは説いている。ここに一つ注目すべきポイントがあると思うのです。
その次に第二節に入って、ここで具体的労働が社会的分業になる（41頁あたり）という規定がありますが、ここは比較的分かりやすいと思うので、次いでは商品価値を形成する抽象的人間労働を分析したところに移っていきます。ここでは先ほどの同等な人間労働として意義をもつと見なされている、というそういう問題が別の視点で提起されているのです。ここでは例えば42頁・下4行目の方に、こうあります。
「価値としては、上衣と亜麻布とは、同等な実体からなる物であり、同等な種類の労働の客観的表現である。しかし、裁縫業と織物業とは質的に異なる労働である。」
第二節では価値というのは商品体に付着している社会的労働ですが、そういう社会的労働というのはどこかで労働力が支出されないと形成されない。そういう社会的労働が支出される生産過程、これを今見ているのです。これを見ていると、上着とリンネルという商品は労働生産物ですから、これは結局、裁縫業とか織物業とか、そういう商品を作る生産過程がないと価値は形成できないのです。
そういう生産過程における労働のうちに価値を作る労働、価値を形成する労働があるのではないか、そういうふうに見ていった場合に裁縫業と織物業は明確に異なっている。異なっている労働が同等な労働として見なされるというのはどういうことなのだろうか、ということで異なる労働でも同等な労働と見なしうる根拠をマルクスはいくつか挙げているのです。
一つはたしかに分業として固定化されるけれども、同じ人間があるときは裁縫をやり、あるときは織布をやる、というようなことは可能であろうという問題です。また、例えば資本主義の社会を想定すれば、繊維産業がだめになると繊維産業から人が流れて、また資本も流れて、他の分野に行って、そこで例えば製菓業なら製菓業でお菓子をつくるというような労働が開始される。そういう意味で、繊維産業からお菓子の生産というように労働の形が変わる、そういうことができるという事は、そこに何か同等な内容があるのではないか。
それは先ほどの第二回目のところで分析した抽象的人間労働ですが、結局は、単なる人間労働力の支出である、ということは共通性として指摘しうるのではないか。この人間的労働一般の支出、これが価値の生産に関連している、ということをこういう形でマルクスは説くのです。
人間労働一般ということになりますと、そこにあるもう一つの問題は、価値の量に関係してくる問題があります。例えばある労働がある時間で生産する価値と、別の労働が同じ労働時間で生産する価値とが違ってくる、こういう場合が当然あるのです。そういう場合を説明するものとして簡単な労働と複雑な労働をマルクスは説いて、複雑な労働は簡単な労働に換算しうると述べています。ただし、簡単、複雑というものも実は社会的に決まることだ、という事にマルクスは注意を促しています。43頁・上後7行目の方に書かれていることです。
「さまざまな種類の労働がそれらの度量単位としての簡単労働に還元されているさまざまな比率は、生産者たちの背後で社会的過程によって確立されるのであり、したがって、生産者たちにとっては慣習によって与えられるかに見える。」
だからこれは現実には決まりきっているわけではなくて、例えば個々人にとっては非常に複雑な労働をしているつもりでも、社会的に見ればそれは非常に簡単な労働と見做される、というような場合は当然起こりうるのです。例えば上着の製法、縫製などを考えると、大きな工場が出来て上着の縫製が機械化されて簡単に出来るようになったというような事を想定しますと、従来の職人というのは非常に複雑な労働を手仕事でやっているのですが、その労働の産物は複雑な労働というようには全然評価されない。そういう事が当然起こってくる。
ですから抽象的人間労働が価値の実体であるという場合に、同時にマルクスはこういうような抽象的人間労働が簡単な平均的労働力というように考えられる場合に、簡単または複雑というようなことは、非常に単純ではない。社会的過程によって確立されるという、そういう問題だ。そういう事に注意を促して、ある意味では抽象的人間労働というものは何か手に取れるような物としてあってそれが価値になっていく、というような事ではない。そういう事をこの箇所でも強調している、という事だと思います。

３．生きた労働と対象化された労働との区別
そういう所に注目をしていきますと、第二節の最後45頁では、生理学的意味での人間的労働が抽象的・人間的労働で、今度は具体的な形態での労働は具体的・有用的労働だ、というような規定があります。ここから様々な見解が生まれてくる。
ある見解は、抽象的人間労働というものは結局生理学的意味での人間的労働力の支出ということだから、これはいつの時代にもある。それはそうです。何かの労働をするのに、人間が一方で具体的な目的が規定された労働の仕方をしなければいけないけれども、それは他方では同時に生理学的意味での人間的労働力の支出になっているのです。だから労働の二重性というものは、いつの時代にもあるのではないか、という見解がここの規定から出てきます。
他方、価値は社会的だ、価値の実体は社会的な実体だ、という事もマルクスは同時に言っているし、それから今回見てきたような例えば労働力の支出という事を取ってみても、一個同一な労働力の支出（38頁・下あたり）というように見做されるとか、そして簡単労働と複雑労働の関係は生産者の背後で決定されている（43頁・上あたり）とか、いうような形で言っている。そうすると労働が価値になっていく場合は社会的な関係になってはじめて価値になるのではないか。だから生産過程にある労働がそのまま価値になるのではない、ということを強調して価値は交換過程で形成されるのではないか、という説も同時に生まれてくるのです。
この抽象的人間労働の規定を巡る論争については、元々ルービン・コーン論争というものが端緒になっていまして、これについて私は『ソビエト経済学批判』（四季書房）で検討しましたのでここでは詳しくやりません。
そこではどういうレベルで総括したのかというと、生きた労働と対象化された労働との区別をするべきではないか。価値というものは既に対象化された労働についての規定であって、従って価値の実体というのも対象化された労働について言っているのだ。
生きた労働にしても対象化された労働にしても、もちろん二重の性格を持っていますが、生きた労働の生理学的意味での人間的労働力の支出が、抽象的人間労働だという場合に、それは価値の実体ではないのだ。価値を形成する実体、ないしは価値を創造する実体であっても価値ではない。それが様々な諸関係によって翻訳された形で価値になっていくのだ。
こういう理解でその時では私はそういう総括をしてみたのですが、現在（1990年）ではもっと別の観点からこの問題は解けるのではないか、というように見ています。それは価値形態と関係するのですが、先走って若干触れておきましょう。
まず、マルクスのこれまでの分析を簡単にまとめて見ましょう。マルクスは二商品の交換関係を取って、そこから両者に共通な第三者に各々が還元されていると見、そして還元されている場合、どのように還元されているかというと、それが使用価値の捨象であると見ました。そうして交換価値を抽象的人間労働に還元し、抽象的人間労働が価値の実体になっている、そういうことを分析しているのです。
それと今度は商品で表されている抽象的人間労働と、具体的有用労働という二重性です。二重性を今度は労働という観点から見て、労働という観点から見ると、生産物と生産過程、両方になるのです。両方からここで規定を与えた。
その場合に結局は抽象的人間労働というのはやはり分析によって、商品価値の現象形態を分析することによって商品価値の実体の性格、そして実体とは何か、ということを解明してきたのです。そこで交換価値を抽象的人間労働に還元していくということは、確かに一つの観念であり、人間の思考の中での操作です。
問題はそういう思考の中の操作において対象が果たして正確に掴まれているかどうか、対象の構造が人間の頭の中で、思考の産物として正確に再生産されているかどうか、ということです。そういう観点から見ていきますと、結局は価値の実体の規定というような事が、抽象的人間労働であるというように与えられた場合に、それで価値について全てが解明されているという事では全くないということです。
注意すべきことは、価値の実体が価値形態という形で展開されていく、そのことの中に価値の全体の理解がなされなければならない。こういう構造に『資本論』商品章はなっているのではないか。だから廣松さんでしたら弁証法的体系構成法の常であって、先に規定した最初の規定は次々に否定されて新しい規定によって押しのけられていく。もちろんその否定は単なる否定ではなくて、止揚されているのだ。そのようなことを先ほどのところで言っています。
そういうように論理一般、弁証法一般の問題として言うよりもむしろ具体的に価値という問題に則して、価値を解明しようと思えばこういうような方法を提起するしか定義しようがないのだ、そういう問題としてマルクスが書いている点を見ておく必要があるのではないか。
廣松さんの説に関しては先ほども言いましたように、人と人との関係の反照規定が価値であって、そういう価値という物象化された事態に則して価値の実体をマルクスは規定しているのだ、というように言っている。これはやはりおかしいという事を一つはっきりさせながら、他方で価値の実体を抽象的人間労働というように規定すればそれで価値の規定は全て終わったということではなくて、そういう価値の実体の規定をする場合にもマルクスは様々な保留の条件をつけて、それが社会的実体だと言っている。だから単純に掴まえられるものではない、ということを言っているのです。次からの価値形態論の研究に進む前段階として、そういうことを確認しておきたいと思います。

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