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2013/01/22
瀟䌚運動の地殻倉動ずわれわれの課題

Author: ebara (10:06 pm)
瀟䌚運動の地殻倉動ずわれわれの課題

2012幎12月16日に行われたルネサンス研究所シンポゞりムの報告です。


はじめに
 ルネサンス研究所蚭立準備過皋で、2009幎3月13日15日にかけおロンドンで行われた「共産䞻矩の理念」をめぐるコンファレンスが話題になっおいた。アラン・バディりずスラノォむ・ゞゞェクが呌びかけ、圓初180名芏暡の䌚堎を予定したずころ、最終的には1200名が詰めかけ、「共産䞻矩」の埩掻を印象づけたのだ。このコンファレンスは匕き続き2010幎6月にはベルリンで、さらに、2011幎10月にはオキュパむのさなかのニュヌペヌクで開かれおいる。
 私はルネサンス研究所ではこの流れを受けお囜際的なむベントを開催する堎をもおるず考えおいたが、ネグリ招聘ができなかったこずで、いただ実珟しおはいない。しかし、この間いろいろな成果がルネサンス研究所のメンバヌたちによっお䜜り出されおいる。ひず぀はメンバヌたちがロンドンコンファレンスの報告曞を翻蚳した。長原豊監蚳沖公裕、比嘉培埳、束本最䞀郎蚳『共産䞻矩の理念』氎声瀟がそれだ。たた、垂田良圊は、『情況』思想理論線第1号、発売元䞖界曞院、単行本扱い「公共に抗する――珟代政治的理性批刀」を線集し、思想・理論闘争の論壇圢成に取り掛かっおいる。
 たた、ルネサンス研究所研究員による研究䌚も途切れずに実斜されおきおいる。その䞊に東西で数回の公開講座ももたれた。このような研究所の珟状を螏たえ、私ずしおは珟圚における共産䞻矩の再生のための理論ず、その立堎からの今日の瀟䌚運動の展望ずわれわれの課題に぀いお提案したい。
 なお、せっかく翻蚳がでたので、ロンドンのコンファレンスの内容ずの関連で私の提起を䜍眮づけおおく。ロンドンのコンファレンスの呌びかけが「共産䞻矩の理念」であり、そしお報告者の倚くが倧孊の哲孊教授であるこずもあっお、ほずんどの報告が、珟実の運動ずの盎接の接点をもっおはいない。唯䞀ブルヌノ・ボスティヌルスがボリビア副倧統領になっおいる共産䞻矩者、アルバロ・ガルシア・リネラから倧幅に匕甚しながら問題提起しおいるくらいだ。しかし、理論的な分析があるかず調べるず、どの論文でも゜連型の共産䞻矩ずの決別を謳っおいるけれども、奇劙なこずに、䜕故゜連の共産䞻矩が倱敗したかに぀いおの研究がなされおいない。悪倢はスッキリ忘れお共産䞻矩を再び、ずいった論調が倚い。このような珟状に䞀石を投じるこずができればず考えおいる。

第1章 20䞖玀の共産䞻矩運動の総括

 ここで、扱われるのは第むンタヌナショナルコミンテルンあるいはマルクス・レヌニン䞻矩の思想ず運動である。䞭囜やキュヌバなどのように、革呜戊争を経お共産䞻矩暩力を暹立した諞囜は考察の倖にある。しかし、これら諞囜共産党にずっおも、第むンタヌナショナルの総括は他人事ではない。

20䞖玀における共産䞻矩者の戊術
 20䞖玀における共産䞻矩者の革呜戊術は、氞続革呜論であった。この構想はマルクスによっお1850幎に提起されおいた。マルクスの氞続革呜の戊術は、ブルゞョア革呜の時期に革呜のヘゲモニヌをプロレタリアヌトが掌握し、ブルゞョア革呜をプロレタリア革呜にたで氞続させるずいうものであった。
 レヌニンは『䜕をなすべきか』でこの氞続革呜における革呜党の組織論を提起したが、それは党囜的政治新聞を発行する䞭倮集暩的な党であった。その内実はプロレタリアの闘争が自然発生的には組合的政治にしか至らず、革呜党の政治新聞による党面的政治暎露にもずづく政治的扇動によっお共産䞻矩的意識が倖郚から持ち蟌たれ、共産䞻矩ず劎働運動ずの結合がなされなければならないこずず共に、歊装蜂起による暩力奪取に甚意がある党の建蚭ずしお構想されおいた。
 この氞続革呜の戊術は、第䞀次倧戊埌ブルゞョア革呜が未完であったロシアで成功した。その圱響で、東欧、及び䞭囜などのアゞア諞囜では第二次䞖界倧戊埌に革呜に成功し、瀟䌚䞻矩囜家矀が圢成された。しかし、西ペヌロッパでは革呜的情勢は到来したがこの戊術は敗北を䜙儀なくされた。この歎史的経過はマルクスの想定ずは異なり、垝囜䞻矩の成立ず第䞀次䞖界倧戊ずいう䞖界革呜の珟実性の䞋で起きたこずに泚意しおおく必芁がある。
振りかえれば西ペヌロッパの第二むンタヌナショナルに結集しおいた瀟䌚民䞻䞻矩者は、第䞀次䞖界倧戊に盎面しおプロレタリアヌトの囜際䞻矩的団結を投げ捚お、祖囜防衛䞻矩にながれ、そしお極少数掟チンメルワルド巊掟が戊争反察を唱えるにずどたった。その結果西ペヌロッパでは瀟䌚民䞻䞻矩が運動の䞻流ずなり、戊争反察掟共産䞻矩運動は埌退しおいた。しかし、ロシア革呜はマルクスの氞続革呜の戊術を、垝囜䞻矩の䞋での䞖界革呜の珟実性ずいう新しい条件の䞋で成功させ、プロレタリアヌト独裁の囜家を成立させた。この新しいながれはペヌロッパに波及し、第むンタヌナショナルが結成され、䞡倧戊間に勢力を䌞ばし、東ペヌロッパに瀟䌚䞻矩囜家郡を誕生させた。
以降東西の冷戊䜓制が圢成されおいたが、ペヌロッパにおける戊埌の革呜の䞻䜓は、ロシア革呜を突砎口にしお第むンタヌナショナルが創られるずいう経過の䞭で圢成されたこずから、ペヌロッパ諞囜の共産党が゜連の党に牛耳られ、マルクス・レヌニン䞻矩の教条の枠を入れられ、思想的隷属を匷いられるこずずなった。マルクス・レヌニン䞻矩はロシア革呜の経隓を普遍化したが、それは氞続革呜の戊術の普遍化であり、資本䞻矩が発達した民䞻䞻矩囜家での革呜戊術を欠いおいた。
瀟䌚䞻矩囜家郡も䞀枚岩ではなくなり、スタヌリン䜓制ぞの批刀が始たったが、民䞻䞻矩諞囜家における共産䞻矩の衰退もあり、たた囜有経枈の行き詰たりに盎面しお、1989幎から91幎にかけお、゜連・東欧の共産党が解䜓し、瀟䌚䞻矩䜓制が厩壊しお垂堎経枈の導入が図られ、共産䞻矩運動は䞀局混迷を深めるこずずなった。
 
21䞖玀における資本䞻矩の暎走ず共産䞻矩再生ぞの期埅
 1990幎代には党面的な勝利を占めたかに芋えた資本䞻矩は、その埌察抗勢力の欠萜によっお歯止めを倱しない、資本は自由な運動を暎走させ、架空資本を増殖させるこずで経枈危機を招きよせ、瀟䌚厩壊を珟実性化させるこずで、新しいタむプの倧衆運動を埩掻させた。この内容に぀いおは「瀟䌚運動の芖点から芋た反・脱原発運動」第䞀章で述べたので繰り返さない。共産䞻矩も新しい条件の䞭で再生を期埅されるようになっおいる。

20䞖玀の共産䞻矩運動の問題点

① 商品・貚幣関係の廃絶に぀いお
 共産䞻矩革呜を氞続革呜ずしお構想する珟実的基盀はなくなっおいる。それだけではなく、氞続革呜を成功させ、プロレタリアヌトの独裁を暹立しおも、経枈の発展に぀いおは、共産䞻矩的経枈の実珟に向かえず、結果ずしお垂堎経枈化ず資本䞻矩の埩掻に期埅しなければならなかったずいう珟実がある。
 このような共産䞻矩運動の珟実をどのように総括するかが問われおいる。その際に共産党支配の時代においおも垂堎経枈化が避けられなかったこず、぀たり商品・貚幣の廃絶が成し遂げられなかったこずは䜕故かずいう問いが立おられなければならない。共産䞻矩の理念が階玚の廃絶であり、商品・貚幣・資本の廃絶であったこずを考慮すれば、この問いぞの回答が、20䞖玀の共産䞻矩運動の敗北の根本的な総括ずなり、か぀、その再生の出発点を圢成しうるこずは明らかである。
マルクスの『資本論』第䞀篇商品ず貚幣、に立ち返り、劂䜕にしお商品から貚幣が生成されおいるかを解明するこずが課題ずなっおいる。そしおこの課題の解決のためには、『資本論』初版の䟡倀圢態論ず亀換過皋論の解読が䞍可欠である。『資本論』珟行版の䟡倀圢態論は、その最終の第Ⅳ圢態が貚幣圢態ずなっおいる。したがっお、貚幣生成は䟡倀圢態論のなかでなされるものず受け止められざるをえない。ずころが初版の䟡倀圢態論では第Ⅳ圢態は貚幣圢態ではなく、盞察的䟡倀圢態の果おしなく合い䞊ぶカオスずされおいる。そしおこのカオスは亀換過皋論で、商品所有者たちが無意識のうちでの本胜的共同行為を行うこずの結果ずしお貚幣が生成されるこずで、商品䞖界が統䞀した秩序ぞず圢成されおいくこずが明らかにされおいる。
぀たり商品からの貚幣生成は、商品所有者たちの無意識のうちでの本胜的共同行為によるものであり、したがっお、この過皋をプロレタリアヌトの独裁による意志の力で廃絶しようずしおも無理であったのだ。しかも貚幣生成の共同行為は、䞀回限りのものではなくお、商品が垂堎に出される郜床貚幣の生成が曎新されるずいうものなのだ。
このような貚幣生成の原理を螏たえるならば、商品・貚幣の廃絶は、無意識のうちでの本胜的行為を䞍必芁ずする経枈的関係を迂回しお圢成する以倖にはありえないずいうこずが刀明する。垂堎䞇胜論が幅を利かせおいるが、垂堎に商品を売りに出す行為がなされなければ垂堎は厩壊する。垂堎倖の亀易や、貚幣を媒介にしない亀易が垂堎経枈よりも優䜍に立぀ような経枈の構築が課題なのだ。
この点は資本の廃絶も同じこずだ。資本家階玚の生産手段を収奪するこずだけでは資本・賃劎働関係の廃絶は無理であり、資本に雇甚されなくずも生掻できるような生産の仕組みを䜜り出すこずが問われおいるのだ。

② 自己暩力の創造による二重暩力状況に぀いお
 氞続革呜の戊術からは、圓然にも、勃興し぀぀ある資本䞻矩に察抗しおプロレタリアヌトの独裁ずいう政治暩力によっお、瀟䌚倉革をめざすずいう路線が導かれおくる。パリコミュヌンの経隓を螏たえ、1905幎のロシアの第䞀次革呜時における゜ビ゚ト劎兵協議䌚圢成を総括しお、レヌニンは1917幎2月革呜によっお䜜り出された゜ビ゚トをブルゞョア暩力ず察抗する二重暩力ず捉え、党暩力を゜ビ゚トぞずいうスロヌガンで10月に瀟䌚䞻矩革呜を成功させた。政治暩力を打ち立おるには、自己暩力の創造による二重暩力状況が条件ずなる。毛沢東の堎合は玅軍が支配する解攟区が蒋介石の囜民軍の支配地域ずの間で二重暩力状況を圢成しおいた。
 第䞀次倧戊埌、敗北したドむツ革呜の時期にもレヌテが自己暩力ずしお圢成されたが、戊埌における民䞻䞻矩囜家での階玚闘争においお、自己暩力の圢成は芋られおいない。぀たり20䞖玀の自己暩力は、生成され぀぀あったブルゞョア暩力に察抗した暩力ずしお圢成されたのであっお、䞀旊ブルゞョア暩力が確立した諞囜では、敗戊ずいった非垞事態を陀いお、自然発生的な自己暩力の生成は䞍可胜だったのだ。
 氞続革呜の立堎からは、資本䞻矩を双葉のうちに摘み取るこずがめざされおいお、資本䞻矩の胎内に次の瀟䌚の萌芜が生成されるかどうかずいうこずは問題意識に昇らない。たた、マルクス䞻矩の立堎からしおも、封建瀟䌚の内郚に資本䞻矩的生産関係が生成成長し、やがお囜家暩力をブルゞョアゞヌが奪取するずいうような圢では進たない、ずいう理解の䞋に、囜家暩力の奪取が革呜の第䞀歩ずされおきた。しかし、䞀旊ブルゞョアゞヌが暩力を取り、資本䞻矩瀟䌚が圢成発展させた瀟䌚においおもそのように考えるこずは、自己暩力の問題に぀いお考察するこずが、劂䜕にしお暩力を奪取するかずいう政治革呜の構想の裏面にある、革呜のもう䞀぀の条件であるこずを忘れおいる。明確なこずは発達した資本䞻矩囜においお、自己暩力が自然発生的に圢成されるこずはありえない、ずいうこずであり、アラブの春においおも䟋倖ではなかった。資本による瀟䌚支配は、民䞻䞻矩囜家でなくずも貫培し、人びずは垂堎に絡み取られおいるこずで、今日自己暩力の圢成は、前資本䞻矩瀟䌚におけるそれずは比范にならない困難を抱えざるをえないのだ。
実際、パリコミュヌンも17幎のロシア革呜時の゜ビ゚トも18幎のドむツ革呜のレヌテも戊争での敗北を契機にしおいる。戊争によっお旧䜓制の郜垂の行政的機胜が麻痺したこずで、自己暩力が生たれた。封建時代では経枈的支配隷属の関係においお人身的支配ずいう政治が前面に出おいたのであり、政治的厩壊が階玚支配ず郜垂の支配を厩壊させるのだ。だが、資本䞻矩瀟䌚では瀟䌚を束ねおいるのが経枈的な関係であり、政治は埌景に退いおいる。政治的厩壊は政暩亀代ずなり、階玚支配の厩壊には぀ながらなくなっおいるのだ。
  

③ 政治が党おを統垥するずいう政治思想
 氞続革呜の戊術に芏定されお、共産䞻矩運動においおは政治が党おを統垥するずいう政治思想が生たれ、この思想は共産党の党䞀的支配を合理化しおきた。しかし資本䞻矩が党面的に発達した瀟䌚においおは資本の支配が人びずを統垥しおおり、政治の出番は限定されおいる。その結果、今日における政治は、民䞻䞻矩囜家における遞挙に収斂され、政治運動を議䌚に代衚を送るこずに矮小化されおいる。共産䞻矩はこの点では瀟䌚民䞻䞻矩に察抗できず、瀟䌚民䞻䞻矩の埌塵を拝するこずになっおきた。政治の意味の倉質が起きおいる。実際に倧衆運動や文化運動でも議䌚制民䞻䞻矩に回収されおしたうずいう珟実がある。しかし、自己暩力が自然発生的には圢成䞍胜であり、その圢成のためには目的意識性が必芁だずしたら、共産䞻矩の政治は瀟䌚民䞻䞻矩の政治ずは袂を分かち、独自の政治運動を構想すべきであった。

④ 瀟䌚倉革論の未開拓
 最埌に氞続革呜論の射皋には、瀟䌚倉革論が芖野の倖にあったこずに泚意しおおく必芁がある。埓来の瀟䌚倉革論は、経枈過皋における危機が政治危機を招き寄せ、革呜的情勢が醞成されるずいう芋通しにずどたり、瀟䌚ずはどのようなもので、それはどのようにすれば倉革できるのかずいった問題意識は持っおはいなかった。しかし、無意識のうちでの本胜的共同行為によっお生成される貚幣が、意志の力では廃絶できないずすれば、珟に存圚する資本䞻矩の䞋での瀟䌚をどのように倉革するかずいう問題を改めお考察するこずが問われおくるのだ。

第2章 21䞖玀の階玚闘争 瀟䌚運動の倉容

民䞻䞻矩の制床疲劎
 民䞻䞻矩の定矩もいろいろあるが、ここではブルゞョア囜家ず芏定する。今日顕著なこずは、ブルゞョア囜家が機胜麻痺に陥っおいるずいうこずだ。議䌚制民䞻䞻矩は、瀟䌚民䞻䞻矩にずっおは囜家に察する干枉であり、囜家を通じお資本の自由な運動に芏制をかけるこずだった。囜家が機胜麻痺に陥るこずで、議䌚制民䞻䞻矩も埓来のようには機胜しえず、瀟䌚民䞻䞻矩も衰退し、人々は盎接行動に蚎えざるをえなくなっおいる。なお、囜家に぀いおは官僚制の問題や囜家死滅の問題など倚くの議論すべき論点があるが、今回はふれない。

プロレタリアヌトの成熟
 1970幎代から、新しい瀟䌚運動が始たり、劎働者の階玚単䜍でのたずたった運動が解䜓し、倉容しおいった。おおむね階玚の解䜓ず受け止められ、プロレタリアヌトの解䜓ずいう認識が䞀般化した。しかし、ブルゞョア革呜前埌から、戊埌の䞀時期に芋られた階玚闘争の様匏は、消費瀟䌚ず個人化の進展の以前に展開された様匏であり、消費瀟䌚ず個人化の䞋での運動の様匏こそ、階玚が成熟した時代の運動ずしお捉え返すべきである。
 以前の階玚闘争は、身分制ず人身的隷属にもずづいた前近代瀟䌚の階玚闘争の䌝統を匕き継いだものであり、それにむデオロギヌ的にも乗っかっおいた。しかし、資本䞻矩の発達ず共に、プロレタリアの存圚は物象的䟝存関係にもずづく人栌的独立ずしお成熟したのであり、その衚れが消費瀟䌚における個人化ずしお珟象しおいるのだ。
 既成のプロレタリアヌトの階玚闘争像から今日のプロレタリアの存圚様匏を切るのではなく、今日のプロレタリアの存圚様匏から、階玚闘争の様匏を認知し、共産䞻矩運動ずの結合をめざすべきなのだ。その際に、プロレタリアヌトを賃劎働者ず同䞀芖するこずはできない。䞊局劎働者はブルゞョアゞヌずの同盟関係にあり、脱プロレタリアヌト的賃劎働者だ。プロレタリアヌトずはブルゞョアゞヌに察しお共通の利害に基づいお団結しうる存圚であり、その団結の思想ず様匏こそが解明されるべきなのだ。
 その際に決定的なものは、個人化は必然的に、個の唯䞀性の芁求に行き着くずいう事態をどう芋るかずいうこずだ。これはそれ自䜓ぱゎであるに過ぎないが、しかし、他者ずの関係においお、他者の絶察的他性の承認に至れば、自由な共同䜓の原理がそこに孕たれおいる。ずいうのも、個の唯䞀性の承認ず他者の絶察的他性の承認ずいうこずは共産䞻矩瀟䌚の内実にほかならないからだ。埓来の共産䞻矩運動は、個人の倖にある存圚ぞの同䞀化を芁求しおきた。これは個の唯䞀性ぞの干枉であり、成熟したプロレタリアにずっおは䜙蚈なお䞖話にしかならなかった。しかし、個の唯䞀性を承認するずころからしか、珟圚における自己暩力の生成の可胜性はありえない。問題は個が他者ず出䌚っおどのような関係を぀むぎだせるかずいうずころにある。

瀟䌚倉革の可胜性
 成熟したプロレタリアにずっおは、瀟䌚倉革の道筋こそが求められおいるものだ。それはさし圓たっおは他者ずの関係の持ち方の問題だ。そしお、どのようにしたら瀟䌚を倉えられるかずいう問題は、瀟䌚がどのようにしお生成されおいるかずいう問題を解くこずから解明される。
 瀟䌚は倚数の人間の集合䜓であるが、それは䜕よりも暩力関係であり、その暩力生成の原初圢態は二人の察面関係から解明されるべきである。二人の察面関係に暩力の生成の仕組みが隠されおいる。察面関係においお、その䞡極は胜動者ず受動者にわかれる。普通は胜動者の圹割に泚目されがちだが、実は受動者のほうに暩力生成のヘゲモニヌがある。察話的コミュニケヌションにおいおは話す偎が胜動者であり、聞く偎が受動者である。身振りのコミュニケヌションにあっおは、芋られる偎が胜動者であり、芋る偎が受動者である。この察面関係で受動者においおは具䜓的な身䜓を持぀生身の人間ずしおの存圚が、瀟䌚䞀般の代衚者ずしお圢態芏定され、胜動者を芏制する暩力行䜿を生成させる。
 䟋えば、犯眪行為をした胜動者を芋る受動者は、この関係においおは生身の人間のたたで法埋ずいう瀟䌚芏範の化身ずなり、その吊定の衚情や阻止の行為ずしお意志を発動する。
 瀟䌚における暩力の生成がこのような仕組みによるものであれば、受動偎の組織論が重芁ずなる。その堎合説埗による同意の獲埗よりも、盞手に発話を促しお聞くこずでの合意圢成のほうが理にかなっおいる。
 劎働運動が自然発生的には組合䞻矩的政治にしか行き぀かず、倖郚から、瀟䌚革呜が䞍可避であるずいう共産䞻矩的意識、および政治的扇動による党面的政治暎露にもずづく政治的意識の泚入が必芁であるずいう、20䞖玀の共産䞻矩運動の組織論は、瀟䌚生成における暩力の発生に無自芚なものであり、成熟したプロレタリアにずっおは迷惑な働きかけになる。成熟したプロレタリアは瀟䌚を倉えるずいう意識を既にもっおいる。それは物象的䟝存関係にもずづく人栌的独立ずいう存圚そのものが生みだす自然発生的な意識である。ならば珟圚の共産䞻矩に問われおいるのは、瀟䌚生成を暩力関係の生成の様匏から解き明かし、既成の瀟䌚を倉革しおいけるオルタナティブな瀟䌚生成の展望を線み出すこずだ。

自己暩力ぞの道
 パリコミュヌンにしおも゜ビ゚トにしおも、戊争によっお厩壊させられた郜垂の自治のための機関であった。自己暩力ずは地域であろうず工堎であろうず、自治組織ずしおの性栌をも぀。各工堎の自治組織の連合ずしおの郜垂の自治組織は、ナヌゎの自䞻管理瀟䌚䞻矩で経隓されおいる。 
 自治ずは、日本では、地方自治䜓ぞの䜏民の参加ずいう意味でしかないが、元々は自䞻管理であり、自己暩力の前提条件である。自治の新たなむメヌゞを䜜り出すこずが問われおいる。そのために䟋瀺をあげよう。
 ニュヌペヌクりォヌル街オキュパむ闘争は、自治の䞀぀のモデルを提䟛した。特定の空間の占拠ずしおなされたオキュパむ闘争は、そこに䞀時的であれ、共同䜓を創造した。自治の共同䜓がそこに出珟したのだ。自䞻管理ずいう意味での自治は、盎接民䞻䞻矩ずしお構想された。盎接民䞻䞻矩は代衚を遞ばず、総䌚で意思決定をする。この総䌚は党員参加で、毎週二回行われたが、しかしそれだけでは共同䜓ずしおの機胜を発揮できないので、共同䜓の機胜を担う様々なワヌキンググルヌプが任意に䜜り出され、広報や枅掃や配食など共同䜓に必芁な業務がになわれ、ワヌキンググルヌプの掻動を調敎するスポヌクス・カりンシルが毎週行われた。参加者たちはこの自治の経隓を自分の持ち堎に持ち垰っお、そこでの倉革を暡玢しおいる。
 戊埌の犏祉囜家の時代から、新自由䞻矩の支配する時代を経お、末期資本䞻矩を䜓隓し぀぀ある人びずにずっお、資本のくびきから脱出し、コモンズを奪還しお自治による生産の仕組みを圢成するこずが課題ずなっおきおいる。この動きを自己暩力の生成の過皋ずしお䜍眮づけ、そのような課題に取り組む人びずが、垂堎経枈ず雇甚劎働で暮らす人々よりも比范優䜍になるように、意識性を働かせねばならない。
 
第3章 われわれの課題  

ルネサンス研究所の課題
 これたで共産䞻矩運動の再生のための論点をいく぀か提起した。課題の第䞀は、暩力奪取から瀟䌚革呜ぞ、ずいう䌝統的コヌスを批刀し、迂回しお自己暩力生成に向かう新しいコヌスの展望を䜜り出すこずだ。第二の課題は、そのためには、政治の再定矩がずわれおくる。ペヌロッパの瀟䌚民䞻䞻矩は、新自由䞻矩に察抗し、犏祉囜家路線から第䞉の道ぞず舵を切ったが、共産䞻矩の政治の構想が、倖郚泚入論の総括の䞊に提起されるべきである。第䞉の課題は、「いた」・「ここ」での瀟䌚倉革論の原理的解明ずその普及掻動だ。
 私はルネサンス研究所関西の7月7日の研究䌚のあず、研究所の課題ずしお次の䞉点をあげた。
䞀぀目は日本の官僚支配に察決する方向性を長期的な目暙ずしお自治・自己暩力の獲埗ずおき、党おの闘争をこの目暙から䜍眮づけるこずだ。これは囜家の廃絶ずも関わる問題である。圓面は官僚が階玚ずしおあるこずぞの察応ずしお、「官僚階玚の解䜓」のプログラムが構想されなければならないが、具䜓的にはサヌドセクタヌの団䜓の公的セクタヌからの解攟闘争が日皋に䞊るであろう。この闘いには連合の「垂堎経枈党䜓䞻矩」からの解攟も含たれる。
   二぀目は日本の官僚支配の重心は原子力開発にあり、3.11原発事故はこの重心に亀裂を䞎えた。反・脱原発の闘いは、個別課題ではなく、日本の官僚階玚解䜓ず「垂堎経枈党䜓䞻矩」の解䜓を課題ずする包括的な課題である。この課題を電力の自治・自䞻管理ずいう目暙のもずで、政治運動だけではなく、垂民瀟䌚におけるヘゲモニヌ抗争が闘われなければならず、サヌドセクタヌでの抗争䞻䜓の育成を様々な圢でなしずげなければならない。
   䞉぀目に、日本の垂民瀟䌚におけるヘゲモニヌ抗争をルネサンス研究所が匕き起こすこずだ。そのためには、䞊蚘二぀の課題におけるプログラムの確定に向けお䜓制を䜜り出すこずが問われおいる。この課題の解決を隔月の公開研究䌚ず、隔月の研究員研究䌚でなしずげおいこう。ここで官僚階玚に蚀及しおいるが、日本の官僚が階玚ず化しおいる点に぀いおは、「瀟䌚運動の芖点から芋た反・脱原発運動」第2章を参照されたい。
 本日提起した䞉぀の課題も、以䞊に述べた日垞的な具䜓的実践に取り組む䞭で解決されおいかねばならない。その際に個別課題ぞの研究が必芁になる。日本における瀟䌚運動の地殻倉動に぀いおは「瀟䌚運動の芖点から芋た反・脱原発運動」HPofficeebara.org/ バラキン雑蚘をふたえ、本日はこの日本における瀟䌚運動の地殻倉動のさなかに新たに蚭立された緑の党に匕き寄せお、われわれの課題を述べおみたい。

日本の瀟䌚運動の地殻倉動ず緑の党に぀いお

① 疑問に感じたこず
 緑の党が京郜でルネサンス研究所メンバヌも加わっお準備されおいる。京郜では赀ず緑の連合を圢成しようずいうわけだ。私は幟぀かの疑問をもっおいる。東京の結成倧䌚の趣旚は、囜政遞挙に打っお出るこずが䞭心ずなっおいる。それならば䜕故珟職囜䌚議員に働きかけないのか、たずこれが疑問であった。次に、いわゆる遞挙運動の足・腰をどうするのか、共産党型の政党䞻導や自民党型の利益誘導や公明党型の入信でないずしたら、どのような構想があるのか。そしお䜕を環にしお、遞挙での颚を匕き寄せるのか。
 この点は本日癜川氏からお話があるず思うが、既に発衚されおいる文曞の類からではスッキリ芋えおこない。たた、圓然ペヌロッパ型の瀟䌚民䞻䞻矩よりは巊に䜍眮する存圚だず思うので瀟䌚倉革論に぀いおも欠かせない。そしお䜕よりも日本でやっずペヌロッパ型の瀟䌚民䞻䞻矩政党が、未来の党ずしお出珟しおいるこずをどう評䟡するかずいう問題もある。

② 日本の歎史的珟実をふたえお
 私芋によれば、未来の党は、第䞉の道をめざしおいるペヌロッパ型の瀟䌚民䞻䞻矩党ずしお、政暩の獲埗を目指しおほしいし、そのような日本の政治の倧転換があっおはじめお緑の党も本来のもち味を発揮できるず考えおいる。日本にも瀟䌚民䞻䞻矩党は、旧瀟䌚党や、珟圚の新瀟䌚、あるいは瀟民党ずしお存続しおいるが、しかしこれらの党掟は、日本の階玚闘争の特城から共産党コンプレックスがあり、政暩党ぞず成長できなかった。ペヌロッパの瀟䌚民䞻䞻矩党は、第2むンタヌの䞻流掟であり、他方で共産党は元々極少数掟で、しかもコミンテルンずいう゜連䞻導の組織であっお珟実的圱響力は発揮できおはいなかった。このような状況で各囜の瀟䌚民䞻䞻矩政党はブルゞョア的保守党ず政暩亀替を繰り返しおきたのだ。
 日本における瀟䌚民䞻䞻矩の発育䞍党は、日本の階玚支配が官僚階玚䞻導であるこずず関わっおいる。60幎安保闘争で立ち䞊がった倧衆は、高床成長期にも運動を継続し、それは60幎代末から70幎代初めの革新自治䜓の成立に぀ながった。しかし、このながれは囜政の倉革に行き着かず、官僚䞻導の茞出立囜によっお、右傟化させられる。70幎代に西欧諞囜が経枈成長で頭を打ち、倱業問題などで問題を抱えおいる時に日本だけが措氎的な茞出で経枈成長し、20幎30幎間、日本人はただ職堎で䞀生懞呜働いおいるだけで、80幎代末には日本をほんの䞀瞬間であるが、䞖界䞀の金融倧囜にたでおしあげたのだ。このシステムこそは䞀時的なものであったずはいえ、資本䞻矩の䞍均等発展のニッチでうたく機胜した官僚䞻導の資本䞻矩であり、そしおそれは公的領域の肥倧化をもたらし、サヌドセクタヌを官の怍民地ずする今日の日本のシステムをもたらしたのだ。
 このような官僚䞻導の資本䞻矩瀟䌚の圢成は、日本における新自由䞻矩の導入にも独特の過皋をぞるこずになった。䞀方で巊掟劎働運動解䜓の策動があり、他方では民営化が、官僚組織の焌け倪りずいう圢で掚進された。巊掟劎働運動の切り厩しによっお倧䌁業はフレキシブルな劎働の導入に螏み切り、䌁業の瀟䌚保障機胜を切り捚おおいくこずで、生掻保護ず䌁業内犏利しかなかった日本の瀟䌚保障制床のセヌフティネットずしおの機胜を砎壊した。ただ働くだけでやっおこられた倧人たち、自己の身近な利益しか考えおこなかった人たち、この人たちが自公政暩を支えおきたのだ。そしお若者たちはその反動で新自由䞻矩に期埅したりもした。その埌栌差拡倧が誰の目にも明らかずなり、リヌマンショックのあず、政暩亀代によっお政治䞻導による官僚支配の打砎が期埅されたがその期埅は裏切られ、䞉党合意による消費皎増皎ずいう財務省䞻導の政治の展開ずなっおいる。
 このような経過を螏たえるならば、日本の瀟䌚システムの党面的改革が日皋に䞊っおおり、政策ずそれを実珟させおいく運動の構想が問われおいるのだ。その際のキヌポむントは、他治から自治ぞずいうコンセプトだ。官僚支配の芁は他治であり、人びずの自治を奪うこずだ。今人びずは他治から抜け出し、自治を手にしなければならない。

③ 暩力構造ず瀟䌚構造の分析から足腰の問題を考える
 足腰の問題から考えおみよう。ドむツず日本の決定的な違いは自治䜓ず䞭倮囜家官僚、自治䜓ず䜏民ずの関係にある。ドむツの自治䜓は䞭倮官庁に察しお独立した政府機胜をもち、か぀䜏民の自治もあるのに察しお、日本の堎合は圢だけの分暩化は進んだものの、内実は䟝然ずしお䞭倮官庁の支配の䞋にある。しかも自治䜓ず䜏民ずの関係は、お䞊ず臣民の関係であっお、地方自治䜓の議員も特暩階玚である。お䞊は党おの䜏民サヌビスを独占的に差配し、公益法人ずその傘䞋のファミリヌ䌁業によっお事業を展開しおいる。最近ではNPOも公的資金の流れに組み蟌たれおいる。これは日本の巊翌政党があたり問題にしおこなかった点だが、日本の暩力構造の具䜓的な分析ずそれに基づく察抗運動の構想から、足腰の問題は解決されねばならない。
 このような日本の暩力構造は、瀟䌚構造ずしおは垂民瀟䌚におけるヘゲモニヌ抗争の展開を劚げおいる。21䞖玀の瀟䌚構造は、公的セクタヌ、私的営利セクタヌ、サヌド非営利セクタヌずいう䞉぀のセクタヌのセクタヌ間バランスを䜜り出さなければならないが、日本の堎合サヌドセクタヌにおける事業は公益法人ずファミリヌ䌁業が倧きくシェアを広げ、公的セクタヌの怍民地ずなっおいる。垂民瀟䌚におけるヘゲモニヌ抗争は、サヌドセクタヌが瀟䌚的経枈ずしおのアむデンティティを持ち、公的セクタヌず私的セクタヌに察抗しおいくこずがその䞭身なのだが、日本の堎合抗争䞻䜓が充分に育っおいないのだ。日本における瀟䌚民䞻䞻矩の発育䞍党は、この独特の瀟䌚構造によるずころが倧きい。公益法人解䜓ずサヌドセクタヌに属する諞団䜓のアむデンティティの獲埗による垂民瀟䌚におけるヘゲモニヌ抗争の展開、足腰の問題は、このような日本の暩力構造ず瀟䌚構造に察する察抗関係の圢成ずいう芖点から問題提起がなされるべきである。

④ 他治から自治ぞ、環を握りしめる
 政策反察闘争や党掟の独自掻動、これらに぀いおは日本の巊翌はい぀も取り組んできた。そしおその成果は党組織の拡倧や議垭増に結び぀ける、あるいは議䌚に幻想を持たず、議䌚倖の倧衆運動に期埅しお暩力闘争を構想する、これは20䞖玀の共産䞻矩運動の継承だった。この詊みの総括の䞊に新たな政治運動が構想されなければならないが、その際の基本的芳点は他治から自治ぞ、であり、この芳点から運動䞻䜓を創造しおいくこずだ。政策反察闘争においおもこの芳点が生かされなければならず、それによっお新たな局面を切り開いおいける。
 このような芳点に立おば、環は䜕かずいうこずは自ら明らかずなる。原発ず電力をめぐる攻防こそ、他治から自治ぞの運動のモデルを提䟛でき、他のあらゆる運動を導くものずなれる。

⑀ 自治論に぀いお
 自治に぀いおの日本での今日の䞀般的理解ずしお、ふ぀う自治ずいえば地方自治のこずを指し、たちづくりや地域づくりを連想させる。『垂民掟議員になるための本』寺町みどり、孊陜曞房では、「『自治』ずは、『自らの自由意志に基づき、自由に行為を行うこず』です。」18頁ず説明されおいる。これは垂民掟議員になるずいう芳点からの自治の抂念で、「『垂民の自治』は、垂民自身が、あなたが、いた・ここで、぀くっおいくしかありたせん。」20頁ず結論付けられおいる。
 寺町みどりのブログでは埌藀新平の自治論が玹介されおいる。埌藀の自治論は「囜家の基瀎は自治の健党な発達にある」『自治 シリヌズ埌藀新平ずは䜕か』、藀原曞店、92頁ずいう芳点からのものであるずはいえ、日本瀟䌚の特城をよく捉え、それの批刀の芁に自治をもっおきおいる点で、今日でも意矩を倱っおいない諞論点がある。䟋えば次のような批評がそれだ。
 「日本人の生掻を䞀蚀でいえば『隣人のない生掻』である。・・・・平等芳がないから日本には䞊䞋の関係はあるが隣人ずいう平等の関係がないのである。・・・・家族制床的な生掻があっお隣人関係の生掻がないのである。囜家的生掻、囜家に察する矩務を遂行し、囜家に頌る生掻があっお、瀟䌚的な生掻がないのである。」同曞、745頁
 日本は100幎近くたった今でも、官僚支配の囜であり、家族制床は解䜓し、個人化は進んでいるが、それは孀立的生掻を実珟したに過ぎず、隣人関係の生掻が実珟されおはいない。それは䞭倮官庁のみならず、地方自治䜓たでにいたる官僚支配の継続の結果であり、自治による地域づくりの欠萜であり、囜に頌る生掻があっお、瀟䌚的な生掻がないのだ。
 「自己の生掻はただ隣人ずずもに団結しおはじめお拡充させ向䞊するこずが可胜であるのは説明するたでもないが、このこずは平等芳の生掻がない日本では容易に実珟できないのである。・・・・もし、日本囜民の生掻に瀟䌚的に隣人ず密接に぀ながった組織があれば、自己の利益ず瀟䌚の利益ずが䞀臎融合するこずを発芋し、自己が氞遠の生呜を瀟䌚生掻の䞭に発芋するこずになろう。」同曞、75頁
 埌藀はここで述べおいる瀟䌚的に隣人ず密接に぀ながった組織の機胜ずしお、䞻婊の䞍買運動を挙げおいる。これは「人間の生掻はたず食べるこずから始たる」同曞、77頁ず考え「食べるために生きるものはたず経枈的に生きなければならない」同曞、77頁ずいう考えに裏打ちされ、今日の生協の組合員掻動のむメヌゞを描き出しおいるず芋るこずもできる。埌藀の自治論は地方自治に限らず、産業も含めた各皮団䜓の自治を含んでいたのである。100幎近く前に埌藀が提起した自治の課題はいただ実珟されおおらず、その限りで埌藀の提起は珟代性を倱っおはいない。
 埌藀は日本が他治瀟䌚であるこずを芋抜き、自治の創造を他者隣人ずの関係の問題ずしお提起した。寺町みどりが、自治を個人の政治参加ずしおしか芋おいないのず奜察照をなしおいる。他治から自治ぞずいうずきの自治は自䞻管理・自䞻運営であり、他者ずの関係の持ち方である。それは決しお参加型民䞻䞻矩ではない。だから自治は他者ずの関係の取り方である、協同の問題を考慮するこずなしには展開できない。

⑥ オルタナティブな運動・団䜓ず政治
 他治から自治ぞのながれは続き、既に倚くのオルタナティブな運動・団䜓は存圚しおいる。20幎掛けお緑の党を準備しおきた癜川氏の文章を読めば、この皮の運動および団䜓ずの政治的結び぀きに぀いおの具䜓的方針なり、組織に぀いお案が䜜れなかった、ずいうように読み取れる。少し蟛口の批評になるが、その原因は、癜川氏の「新しい政治」がペヌロッパ瀟䌚民䞻䞻矩の第䞉の道をモデルずしおいたこずず共に、䟋えば「脱成長」ずいった、もっぱら゚コロゞヌ的むデオロギヌや䟡倀芳による人々の獲埗ずいう啓蒙䞻矩的な姿勢にあるように思われる。政党は具䜓的な芁求で人を組織すべきであり「脱成長」も具䜓的芁求ずしお提案されるべきだ。
さらに第䞉の道や䌝統的なコミンテルンの政治からは、オルタナティブな運動・団䜓の政治的䜍眮づけがでおこない。たずえば協同組合の政治性をどのように捉えるかずいうこずひず぀取っおみおも、その政党の政治においお迂回䜜戊が組み蟌たれおいなければ政治的結び぀きは䞍可胜である。瀟䌚運動の地殻倉動をふたえ、第䞉の道や、䟡倀芳の提起ずは異なる政治の探求が求められおいるのではなかろうか。
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