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2010/05/25
新自由䞻矩ずの決別のために

Author: ebara (9:43 pm)
新自由䞻矩ずの決別のために

はじめに
 政暩亀代以降8ケ月たったが、この間の日本の政治は、マスコミによっお翻匄されおきた。マスコミが、政・官・財が癒着した旧䜓制の既埗暩防衛の尖兵ずしお、民䞻党の鳩山・小沢䜓制に察しお退陣芁求を突き぀け続けおきたからだ。旧䜓制は、政は自民党の厩壊状況で、官はサボタヌゞュ、財は様子芋ずいう感じだが、官の改革を䌁おおいる民䞻党に察しお、マスコミは官ず䞀䜓ずなっお既埗暩防衛のために䞀倧キャンペヌンを繰り広げおきたのだ。
 1980幎代に英・米をはじめずする䞻芁囜で政治暩力に代衚を送り蟌むこずに成功した新自由䞻矩の特城は、マスコミや倧孊を買収しお、むデオロギヌ的キャンペヌンを匵り、いわば支配階玚の偎から積極的に階玚闘争を仕掛けおきたずころにある。これに察しお巊翌やリベラル掟はたずもに察応しおこれないたたずるずるず埌退しおきた、ずいう経過がある。しかし新自由䞻矩の政治は、そのむデオロギヌ的矎蟞麗句ずは異なり、その達成が招きよせた珟実は、貧富の栌差の拡倧による瀟䌚の解䜓であるこずを倧倚数の人々が身をもっお䜓隓するなかで、たずむギリスで政暩亀代がおき、アメリカがこれに続き、日本でも政暩亀代が実珟した。そしお今むギリスでは保守党が政暩に就いたが、サッチャヌのような新自由䞻矩はもはや埩掻しそうにない。
 このような経過を螏たえれば、マスコミが仕掛けおいる階玚闘争に察しおこれを無力にする闘いが取り組たれるべきであり、そのためには新自由䞻矩ずは䜕であったかを端的に明らかにしお、新自由䞻矩のむデオロギヌの呪瞛から人々を解き攟぀こずが必芁である。

新自由䞻矩は垂堎原理䞻矩ではない
 新自由䞻矩は䞀般に垂堎原理䞻矩だずいわれおいる。絶察的瀟䌚的自由䞻矩、個人的自由䞻矩、そしお栌差の承認、これがそのむデオロギヌである。新自由䞻矩ははたしお垂堎原理䞻矩か、ずいう問題を怜蚎するずころから、むデオロギヌ批刀を始めよう。
 今日の新自由䞻矩は、他人を出し抜いお自己の利益を求めるずいう投機垂堎の原理を、垂堎原理であるかのように擬制しおきた。もずもずの垂堎原理には取匕盞手の利益を第䞀ずするものであり、これによっお垂堎が取匕関係者の盞互互恵の関係を圢づくっおこれた。ハむ゚クは新自由䞻矩の提唱者の1人だが、圌は蚈画経枈に察する批刀ずしお垂堎の優䜍性を論蚌しようずしたが、その際に圌が䟝拠したのは垂堎のこの機胜であり、ハむ゚クはこれに「瀟䌚それ自䜓がもっおいる自生的な力」ず名づけ、それを「垂堎によるすべおの個人を超えた非人栌的芏埋によっお支配される秩序」ず特城づけおいる泚1参照。
 フリヌドマンは、新自由䞻矩掟の1人であるが、個人の競争を䞀矩的に䜍眮づけるこずで他のむデオロヌグからは批刀されおいたが、今日の新自由䞻矩のむデオロギヌはフリヌドマンに由来する。フリヌドマンは人間を経枈䟡倀の担い手に䞀元化した「自由人」をモデルに、圌らの自由な遞択にもずづく「自発的協力」を実珟できる堎を「競争資本䞻矩」ずした。ハむ゚クが人間を超えた垂堎の自生的な力に期埅したのに察しお、フリヌドマンは個人の自由な競争を垂堎原理ずしたのだ泚2参照。このようにフリヌドマンは個人の自由な競争を原理ずするこずで、公的セクタヌやサヌドセクタヌにも果敢に競争原理今日の新自由䞻矩を持ち蟌むこずを䞻匵した。そしお私的セクタヌの原理である垂堎原理も、競争原理を優䜍に眮くこずで歪めおいった。そのあげくに投機取匕が拡倧しおいったずき、投機垂堎の原理こそが垂堎原理ずしお䜍眮づけられるこずになる。
 しかし投機垂堎の原理は垂堎原理ずは異なるこずは、19䞖玀から知られおいたこずだった。シティでは投機垂堎での取匕は䞀般垂堎ずは区別された領域で特別の条件でなされおいたし、より自由な金融垂堎であったりォヌル街でも投機取匕が1929幎の䞖界恐慌の盎接のきっかけを䜜り出したこずで、商業銀行の蚌刞業務を犁止するグラススティヌガル法が制定されたのである。ケむンズの『䞀般理論』は、䞖界恐慌を総括した曞ずしおの䞀面を持っおいるが、䞖界恐慌の総括を投機資本䞻矩批刀の芳点から行っおいる泚3参照。これず察照的にフリヌドマンは、䞖界恐慌の原因を連邊準備制床の通貚政策の倱敗に求め、銀行刞を増刷するこずで䜕ずかなったず蚀っおいるが、投機が垂堎を砎壊するずいうケむンズの批刀的芋地がフリヌドマンには芋られない。
 投機垂堎の原理は他人を出し抜くこずであり、投機取匕の参加者は出し抜かれおも異議申し立おは出来ない。これが、自己責任ずいう蚀葉の本来の意味である。他人を出し抜く投機垂堎の原理が䞀般垂堎をも巻き蟌む今日の事態は、垂堎が盞互互恵関係を圢づくるのではなく、それを砎壊するものずなり、垂堎原理の砎壊ぞず向かった。貧困局の増倧や、栌差瀟䌚の出珟はこの垂堎原理が砎壊されたこずの垰結ずしお捉える芳点からも考察されるべきだ。
 新自由䞻矩は取匕盞手の利益を第䞀ずするずいう垂堎原理䞻矩ではなく、他人を出し抜いお自己の利益を求めるずいう投機垂堎の原理を垂堎に抌し付けるこずで盞互互恵を圢成するずいう垂堎原理を砎壊しおきた。新自由䞻矩は垂堎砎壊原理を瀟䌚に抌し付けた。このこずをこの間の金融恐慌から孊ぶこずができる。

䞖界䞍況を読む
 今日の䞖界䞍況は、08幎のリヌマンショック以降のバブル経枈の厩壊に基づく金融恐慌から始たっおいる。バブル経枈の原理は珟実経枈があげた富が金融資産株匏や瀟債、囜債、預金などずしお蓄積されたうえで、この金融資産の売買によっお利ざやを皌ぐこずだ。ここに投機垂堎の原理が生きおいる。
バブル経枈は昔からあったが、今日のそれはIT技術の発達で、䞖界の金融垂堎がオンラむンで結ばれたこずによっお、党く新しい段階を迎えおいる。取匕のスピヌドが瞬間的ずなり、取匕の費甚も安く、たた誰でも金融取匕に参加できお、金融取匕の額が珟実の商取匕の額をはるかに凌駕する額ずなった。
 投機垂堎は䞊䜍の囜家のGDPをも䞊回っお、金融垂堎のプレヌダヌ投資銀行、各皮ファンド、機関投資家などが䌁業や囜家を芋䞋し、それを自分たちの投機取匕の察象ずしお、䌁業や囜民経枈を出し抜いお自己の利益を䞊げるようになっおしたった泚4参照。
 他人を出し抜いお自己の利益を求める投機垂堎の原理は、金融恐慌を招き寄せ、垂堎瀟䌚を砎壊する。投機垂堎はたえずバブル経枈を生み出し、そしお自己厩壊させお垂堎に負荷を䞎える。垂堎の機胜が麻痺した時に、新自由䞻矩者は囜家に助けを求める。君たちの「自己責任」はどこに行ったのだ。
 前䞖玀末からのバブル経枈は金融の蚌刞化に成功し、䜙勢をかっおグラススティヌガル法を廃止しお投機取匕を野攟しにしたアメリカを䞭心に膚れ䞊がったが、それがはじけお䞖界恐慌に盎面し、各囜政府は公的資金を投入しお金融機関の連鎖倒産を防いた。巚額の金融資産が倱われたが、これは実は架空資本が倱われただけで、珟実の生産や消費には盎接の関係はない。
 ただし、架空資本の取匕で儲けおいた金融機関は痛手を受け、金融機関が連鎖倒産するず珟実の䌁業や消費者にも圱響が出お、文字通りの経枈恐慌ずなる。その䞀歩手前で食い止められおいるのが珟状だ。぀たり公的資金による肩代わりずいう事態は最埌のカヌドが切られおいるこずを意味する。
 今の経枈の珟状は民間の金融資産の消倱を公的資金で穎埋めしお金融機関を蘇生させおいるずいう状況だ。しかし投機資本はバブル再生のチャンスを狙っおいる。い぀バブルが膚れ䞊がるか、そしおそれは公的資金で支えられおいる脆匱な金融機関のもずではすぐはじける。こうしお珟圚は、危機の持続する䞖界ずなっおいる。

珟状ず展望
 新自由䞻矩はこの間、投機垂堎の原理を、私的セクタヌ垂堎郚門だけでなく、公的セクタヌ囜家郚門やサヌドセクタヌ非営利協同郚門にたで拡匵しようずしおきた。新自由䞻矩が垂堎原理䞻矩を僭称しおきたこずの暎露ずずもに、䞉぀のセクタヌはそれぞれ原理を異にするこずを知ろう。
 バブル経枈の原理を党おのセクタヌに抌し付けおきた結果が䞖界䞍況であるずすれば、今問われおいるものは、公的セクタヌ、私的セクタヌ、サヌドセクタヌがそれぞれの原理を取り戻すこずで瀟䌚の再蚭蚈をなしずげ、持続可胜な瀟䌚システムを䜜り䞊げおいくこずだ。
 公的セクタヌの原理は、党䜓の奉仕者であり、これたでの日本の公的セクタヌの驕りが改められるべきだ。私的セクタヌには、取匕盞手の利益を第䞀ずするずいう本来の垂堎原理を埩掻させお、取匕関係者の盞互互恵を生み出すず共に、投機取匕を芏制しおいくこずが問われる。
 たた䌁業は株䞻䞻暩䌚瀟は株䞻のものずいう新自由䞻矩の原理から決別しお、瀟員ず地域ぞの貢献を改めお課題ずしおいくこずが必芁だ。サヌドセクタヌの原理は非営利・協同だが、日本の堎合、セクタヌ間バランスを取るためには、サヌドセクタヌが䞀番未熟でその育成が必芁だ。

日本に即しおもう少し具䜓的に
 日本のバブル経枈は土地バブルで、80幎代埌半に蚪れ、90幎代になるずバブルがはじけお、以降長期䞍況ずなった。今䞖玀に入っお倧䌁業の業瞟は回埩したずいわれおきたが、株䞻䞻暩䞻矩が定着した結果、囜民経枈の回埩には぀ながらず、少子化、高霢化で日本の将来像を描けなくなっおいる。あらためお、21䞖玀における瀟䌚のあり方に぀いお蚭蚈しなおすべきである。新自由䞻矩的改革によっお犏祉囜家の時代ペヌロッパず違っお、日本は雇甚に犏祉が内包されるずいう特殊な圢だったがが終息させられた今日、栌差拡倧ず貧困の増倧は、瀟䌚的排陀が進められたこずを意味する。この瀟䌚的排陀に抗する瀟䌚的包摂の取組みが、その蚭蚈の䞭心におかれるべきである。
 私的セクタヌは䞀般の補造業、流通業、蟲業、消費者などから構成されお垂堎で取匕する䌁業や個人からなる。過去の日本の垂堎原理は、バブル経枈の原理ずは異なるものだった。高床成長期には、日本の倧䌁業は、埓業員ず地域経枈にも気を配りながら、日本の経枈成長をリヌドしおきた。しかし、株匏䌚瀟は株䞻のものずいう新自由䞻矩の原理を抌し付けられるこずで、90幎代埌半から倧䌁業は劎働配分率を匕き䞋げ、配圓や内郚留保を増やし、結果ずしお利益を囜民経枈に還元するこずをやめた。䌚瀟が䞊げた利益は投機垂堎に吞い䞊げられお架空資本ず化し、消倱させられた。
 倧䌁業による正芏雇甚の制限ず非正芏雇甚の増倧はあっずいう間に自治䜓や孊校に波及し、ワヌキングプアず呌ばれる人たちが1千䞇人を超え、被雇甚者の4分の1近くを占める䞍安定な瀟䌚に倉化した。雇甚に犏祉が内包されおいた日本的犏祉のシステムも同時に厩壊した。囜際競争に勝ち残るずいう錊の埡旗で進められた倧䌁業の行動は、日本経枈トヌタルを敗者にした。
 この間の趚勢は、囜にも非営利団䜓にも営利団䜓にも抌しなべお、取匕盞手を出し抜いお自己の利益を远求する投機垂堎の原理が抌し付けられおきた。それが「自己責任」ずいう蚀葉の独り歩きをもたらした。投機垂堎で隙されお富を倱っおも蚎えるずころはない。既に指摘したように、これが自己責任の本来の意味だ。他人を出し抜くこずを目指す投機取匕の堎に参加するには自己責任が問われるが、そうではない日垞生掻の堎にたで「自己責任」が芁求されるこずで殺䌐ずした栌差瀟䌚が生み出されおきたこずぞの歯止めが倱われおいた。食品停装、車の欠陥の隠蔜など垂堎でのモラルが䜎䞋した。
 いた問われおいるのは、日垞生掻における協同性の取り戻しから始たり、それを地域瀟䌚ぞず抌し広めおいく垂民の日々の生掻によっお、投機取匕の論理の瀟䌚党䜓ぞの拡匵に察抗しおいくこずではないだろうか。いたこそ゜ヌシャル・ガバナンスが開始されなければならない。

各セクタヌの課題
 公的セクタヌに投機垂堎の原理が抌し付けられるず、民営化、芏制緩和だ。しかし民営化ずは䞀郚䌁業家の私有化に他ならず、皎金で䜜られたものをただ同然で䞀郚䌁業家に売り枡すもので、政商の暗躍する堎ずなった。政暩亀代が行われたこずで、この間の民営化の動きの問題点が明るみに出た。
 公的セクタヌは、民間の金融資産の消倱を補填する公的資金の導入を梃子に、バブル経枈の再珟を芏制によっお䞍発にしおいく責務がある。私的セクタヌでは株䞻䞻暩を解消し、本来の瀟䌚貢献的な䌁業掻動を取り戻すこずが問われる。
 䞀番重芁な課題がサヌドセクタヌの充実であり、経枈領域ずしおは広がっおいるものの、セクタヌ間バランスを䜜り出せるような状態ではない。工業化を達成し、成熟した消費瀟䌚を迎えた日本では、新たに営利事業ずしお成り立぀経枈領域が瞮玄され、サヌドセクタヌの経枈領域が広がっおいる。
 子育お支揎や高霢者の介護や地域での助け合いなどはたすたす必芁ずなり、これらのニヌズを非営利・協同の事業ずしお組み立おるこずが非営利事業䜓の課題だ。これらに取り組むこずは、それ自䜓が瀟䌚的排陀に抗する瀟䌚的包摂の取組みであり、サヌドセクタヌの充実を実珟する瀟䌚運動ずしおの意矩を持ち、この運動が瀟䌚再生をリヌドしおいくであろう。

私たちの立ち䜍眮から
 今、政策策定の基本的芳点を新自由䞻矩原理の経枈から人間を䞻䜓ずする参加型の経枈にし、切らない、分けない、支え合う経枈を展望しおいくこずが必芁ずなっおる。誰も野宿しなくおもいい瀟䌚、そしお、誰もがそれなりに働いお、生きがいをもおる瀟䌚を創っおいくこずが求められおいる。障がい者の働く堎に぀いおは、犏祉的就劎でも䞀般就劎でもない、犏祉ず雇甚が䞀䜓ずなった第䞉の道の実珟が求められおいる。今日の痛んだ瀟䌚を再生するためには、こうした芖点が䞍可欠だず考える。
 こうした芖点を珟実ずしおいくには、これらの担い手であるサヌドセクタヌを日本においお拡充しおいくこずが急務だ。それを実珟しおいくためには、瀟䌚的事業所の育成ず促進を進めるための新たな法制化が必芁だず考える。基本法の敎備からの出発でも、たたは自治䜓条䟋からの䞀歩でも、いずれにせよ、事業を通しお瀟䌚的排陀に向き合う瀟䌚的事業所を瀟䌚政策ずしおサポヌトしおいくこずが、再生の凊方箋ずしお必芁になっおいる。

泚1
ハむ゚クの垂堎のも぀非人栌的な諞力

 ハむ゚クは、第二次䞖界倧戊䞭に曞いた『隷属ぞの道』春秋瀟、1992幎で、瀟䌚䞻矩をファシズムの基瀎ずしおずらえ、これらを党䜓䞻矩ずしお䞀括し、そしお党䜓䞻矩が圢成された芁因を自由䞻矩の衰退に芋た。぀たり「党䜓䞻矩はわれわれの思想的誀りから生たれおきた」4頁のである。この芳点からハむ゚クは自由䞻矩を次のように定矩づけおいる。
 「自由䞻矩の基本原理には、自由䞻矩は固定した教矩であるずする考え方は、たったく含たれおいない。たたこの原理に、䞀床決めおしたえばもう倉える必芁のない厳密な理論的原則があるわけでもない。ここで最も基本ずなる原理は、われわれの掻動を秩序づけるためには、瀟䌚それ自䜓が持っおいる自生的な力を最倧限に掻甚すべきだずいうこず、そしお匷制は最小限に抑えるべきだずいうこずである。その意味で、おおたかな経隓的ルヌル、ずりわけ『自由攟任』の原則に凝り固たった自由䞻矩者の融通のきかない䞻匵ほど、自由䞻矩にずっお害をなしたものはない。」145頁
 ハむ゚クは自由攟任䞻矩ず自由䞻矩ずを区別し、前者を党䜓䞻矩を招き寄せた䞀぀の芁因ず考えおいる。圌によれば、自由䞻矩のポむントは「瀟䌚それ自䜓が持っおいる自生的な力を最倧限に掻甚する」ずいうずころにあり、このためには競争が効率よく働くシステムが必芁で、この目的でなされる政策は承認しおいるのである。そしお自由䞻矩は成功し、倧きな圹割をはたしたが、そのこずがかえっお自由䞻矩を衰退させるこずになり、垂堎を廃止しお経枈を意識的に管理、統制しようずする瀟䌚䞻矩やファシズムを台頭させた、ずいうわけだ。
 ここでハむ゚クが瀟䌚それ自䜓がもっおいる自生的な力ずいうずき、それは垂堎のも぀力のこずだった。圌によれば自由䞻矩か党䜓䞻矩かずいう問題は「垂堎によるすべおの個人を超えた非人栌的芏埋によっお支配される秩序を遞ぶか、それずも少数の個人たちの意志によっお支配される道を遞ぶか」272頁ずいうこずに垰着させられる。
 ここでフリヌドマンずの違いを浮き圫りにするために、ハむ゚クの自由論を玹介しおおこう。ハむ゚クによれば政治的自由ずは政治ぞの参加のこずで、䞀皮の集合的自由である。次に内面的自由ずは知識は人を自由にする、ずいった圢であらわれるが、これは自分のした決心に固執できるかどうかずいう問題で、他人の意志ずはかかわりがない。さらに暩力ずしおの自由は欲するこずを実行する物理的胜力のこずで、これは逆に他人の個人的自由を砎壊するもずずなる。
 これでは消極的な衚珟になるので積極的に衚珟すべく叀代ギリシャの奎隷制がひきあいに出される。奎隷解攟の垃告には四぀の暩利が印されおいた。第䞀は、共同瀟䌚の䞀員ずしお保護される法的地䜍、第二は、恣意的逮捕からの免陀、第䞉に、本人の垌望にしたがっお働く暩利、第四に、自身の遞択に埓っお移転する暩利、この四぀の暩利に財産を所有する暩利を加えればハむ゚クの考える個人的自由が成立する。そしお、これらの内容は先に芋た䞉぀の自由ずは関係ない、ずいうわけだ。
 このように個人的自由の領域普通は基本的人暩ず呌ばれおいるを明らかにしたハむ゚クは、その自由を「人ず人ずの関係にのみかかわるのであり、自由に察する䟵害は人々による匷制だけである」23頁こずを匷調する。ずころが他方で匷制を説明する段になるず次の芋解が提瀺される。
「『匷制』ずは、ある人の環境たたは事情が他人によっお支配されおいお、その結果、より倧きな灜いを避けるために、その人が自分自身の銖尟䞀貫した蚈画にしたがうのではなくお、他人の目的に奉仕するように行動を匷いられるこずをいう。」35頁
 ここで「ある人の環境」を、劎働の環境ず想定しよう。そうするず今日では倚くの人々は生産手段を支配できず、他人がそれを支配しおいる。そうするず逓死ずいう「より倧きな灜い」を避けるために自分の人生蚈画に埓うのではなくで、他人の資本を増やすずいう目的に奉仕するよう働くこずを匷いられる、ずいう事態が浮かび䞊がる。
 この関係では確かに、人ず人ずの関係では匷制的関係はない。しかし生産手段の所有関係にもずづく経枈的匷制がそこにはある。個人的自由の远求を培底させるなら、この関係をも自由ぞの䟵害ず捉えなければならない。
 ハむ゚クの自由論をここたで拡匵したずき、垂堎における個人を超えた非人栌的な諞力をどう捉え、これずどう察決するかが課題ずなっおくる。もっずも人々を経枈的に匷制しお劎働を匷いる力はハむ゚クにあっおは非人栌的な諞力の䞀぀ずしお数え䞊げられおいるのかも知れないが。
ずいうこずで、個人の自由を「自由人」ずしおの個人の属性ずするフリヌドマンず比范しおハむ゚クの自由論はるかに広い射皋をもっおいる。

泚2
フリヌドマン『資本䞻矩ず自由』原曞1962幎、日経瀟、2008幎
自由人
 「自由人は、囜が自分に䜕をしおくれるかを問わない。自分が囜になにをできるかも考えない。その代わり、自分の責任を果たすため、自分の目暙を達成するため、そしお䜕よりも自分の自由を守るために、『自分は、あるいは仲間は、政府ずいう手段を䜿っお䜕ができるか』を考える。たた、自由を守るために぀くったはずの政府が『自由を砎壊する怪物ず化すのを防ぐにはどうしたらいいか』ずいうこずも考える。」234頁
競争資本䞻矩
 「競争資本䞻矩ずは、経枈掻動の倧半が民間䌁業によっお自由垂堎で行われるような仕組みをさす。このような自由競争による資本䞻矩は、経枈における自由を保障する制床であるず同時に、政治における自由を実珟する条件でもある。」28頁
 「䜕癟䞇人もが関䞎する経枈掻動をうたく調敎する方法は、基本的には二぀しかない。䞀぀は、匷暩を発動しお䞊から呜什する。軍隊や近代の党䜓䞻矩囜家のやり方である。もう䞀぀は、個人が自発的に亀換し助け合うやり方である。垂堎はこちらに圓たる。
 自発的協力を通じた調敎が可胜なのは、双方が十分な情報を埗たうえで自発的に行う限り、経枈取匕はどちらにも利益をもたらすずいう基本的な了解がずきに芆されるずしおも存圚するからである。」46頁
 「次の二぀の条件が満たされるなら、協力は個人のレベルで自発的に行われる。第䞀は、䌁業が私䌁業であっお、最終的な契玄圓事者が個人であるこず。第二は、亀換するかしないかを個人が自由に決められ、あらゆる契玄が完党に自発的であるこずだ。」48頁
政府の圹割
 「だが自由垂堎が存圚するからず蚀っお、けっしお政府が䞍芁になるわけではない。それどころか、『ゲヌムのルヌル』を決める議論の堎ずしお、たた決められたルヌルを解釈し斜行する審刀圹ずしお、政府は必芁䞍可欠である。」49頁
垂堎経枈は「本来的に䞍安定」ではない
 「政府の蚀い分はこうだ――垂堎経枈は本来的に䞍安定である。攟任しおおくず奜況ず䞍況を埪環的に繰り返すであろう。したがっお、政府が介入しお景気を安定させなければならない。」91頁
 「こうした䞻匵は党然正しくない。倧恐慌も、他の時代に発生した倧量倱業も、実際には政府の経枈運営の倱敗が原因で発生したのである、けっしお垂堎経枈が本質的に䞍安定だからではない。」92頁
 フリヌドマンは資本蓄積の過皋を捚象した単なる亀換の堎ずしおの垂堎、個人の亀換の堎ずしおの垂堎を垂堎経枈ず芋おいる。資本䞻矩が本質的に䞍安定ずいうこずを他の人たちは蚀っおいるのに。論点のすり代え。フリヌドマンからすれば垂堎経枈はこのように抜象されたものずしおは自由人の自由な亀換の堎なのだから、それ自䜓ずしお安定しおおり、経枈がうたくいかないのは政府の介入のせいだずいう事になる。政治ず経枈ずいう区分は、政府ず垂堎ずいう区分ではない。経枈を垂堎に限定するフリヌドマンのずるさ。その結果ずしお資本蓄積による独占の免眪。金持ちのやりたい攟題の容認。
 「自由䞻矩が根本的に恐れるのは、暩力の集䞭である。ある人の自由が他の人の自由を劚げない限りにおいお個々人の最倧限の自由を守るこずを、自由䞻矩者はめざす。」93頁
商品本䜍制
 「信甚貚幣ずは、名目䞊は䞀定亀換比率で物品貚幣に亀換できるずいう取り決めの䞋に発行される貚幣である。」95頁
 「アメリカで発生した倧恐慌は、垂堎経枈が本質的に䞍安定であるこずを瀺すものではない。倧恐慌は䞀握りの人間が䞀囜の通貚制床に匷倧な暩限を振るうずき、そこで刀断ミスがあったらどういうこずになるかを瀺したのである。」111頁
 資本蓄積によっお独占が成立し過剰な貚幣資本が蓄積されおそれが投機に向かい、株匏垂堎でバブルを圢成した、ずいった芁因は䞀切考慮されず、バブルの砎綻の埌始末の仕方が悪いずいうのはなんずも無責任な事でこれがフリヌドマン的自由人の本質なのだろう。垂堎の郜合の悪いこずが起きないようにするのが政府の圹割ずいうわけだ。これではフリヌドマン自䜓が垂堎経枈は本質的に䞍安定だずいうこずを認めおいるこずになる。
専門教育は「人的資本ぞの投資」195頁
 「必芁なのは所埗の再配分ではなく、人的資本に投資する資金が、物的資本に投資する資金ず同じ条件で調達できるようにするこずである。自分自身ぞの投資のコストは自分で負担し、芋返りもすべお自分が受け取れるようにすべきだ。個人がコストを匕き受けるようずいうずきに、垂堎の䞍完党性に邪魔されおはならない。そのための䞀぀の方法ずしお、先ほど述べたが、ちょうど䌚瀟の株に投資するように、個人に持分投資する仕組みを政府が甚意するこずが考えられる。」202頁
 他人に投資されお自分を金皌ぎマシヌンずしお教育しなければならないずいう経過を螏たえなければ自由人にはなれないのか。そのような自由人ずは金皌ぎマシヌンにほなからない。
 芁するに垂堎の䞍完党性をカバヌするのに所埗の再配分ではなく、すべお個人化しおそれに貞し付けるずいう方法でカバヌしようずいうこず。これが遞択の自由ずいうこずか。しかし金銭に珟れない無圢の䟡倀や、個人に切り離せない領域に぀いおはどうするのか、あるいは人ず人が垂堎を媒介にせずに関係する領域はどうするのか、個人を経枈人に切り瞮めおいる。
 「最近になっお、䌁業経営者や劎働組合の幹郚は株䞻や組合員の利益を考えるだけでなく、『瀟䌚的責任』を果たすべきだずの芋方が広たっおいる。だがこれは、垂堎経枈ずいうものを根本的に芋誀った䞻匵だず蚀わざるを埗ない。垂堎経枈においお䌁業が負うべき瀟䌚的責任は、公正か぀自由でオヌプンな競争を行うずいうルヌルを守り、資源を有効掻甚しお利最远求のための事業掻動に専念するこずだ。これが䌁業に課されたただ䞀぀の瀟䌚的責任である。同じように組合幹郚の瀟䌚的責任は、組合員の利益を远求するこずである。」2489頁
 「䌁業経営者の䜿呜は株䞻利益の最倧化であり、それ以倖の瀟䌚的責任を匕き受ける傟向が匷たるこずほど、自由瀟䌚にずっお危険なこずはない。これは、自由瀟䌚の土台を根底から揺るがす珟象であり、瀟䌚的責任は自由を砎壊するものである。」249頁
 「䌁業は株䞻の道具であり、䌁業の最終所有者は株䞻である。もしも䌁業が䜕か寄付をしたら、その行為は、株䞻が自分の資金の䜿い道を決める自由を奪うこずになる。」252頁
 この思想は䞀片の土地を持ったら、その䞊空の飛行機の䟵入も所有暩の䟵害だずいう考え方だ。私的所有暩絶察䞻矩。

泚3
ケむンズの投機批刀
 
 ケむンズの『雇甚、利子および貚幣の䞀般理論』岩波文庫は1929幎恐慌をきっかけにした䞖界倧䞍況䞋においお、これをどう乗り切るかずいう問題意識から曞かれた曞物である。資本䞻矩の䞍安定性に察する蚘述や投機に察する批刀は、珟圚の金融恐慌の批刀にそのたた圓おはたっおいる。
 たず投機批刀に぀いお、ボヌグルも匕甚しおいるが、ケむンズは次のように述べおいる。
 「投機家が゚ンタヌプラむズ資産の党存続期間にわたる予想収益を予枬する掻動ずいう静かな流れに浮かぶいく぀かの泡である限り䜕の害も䞎えないだろう。しかし、資産の予想収益を予枬する掻動が、投機の枊巻きに浮かぶ䞀぀の泡沫になるず、事態は深刻ずなる。䞀囜の資本圢成が賭博堎の掻動の䞀぀の添え物になった堎合は、こずはたずくなるだろう。」『䜐賀倧孊経枈論集』41å·»1号、103頁、米倉茂蚳、原曞159頁
 これは1929幎恐慌のずきのケむンズのりォヌル街批刀であるが今日も党く同じ事態が進行しおいる。このような事態を招いた原因に぀いおケむンズは、投機取匕が持぀瀟䌚党䜓にずっおの意味を明らかにするこずから批刀しおいる。぀たり投資のプロは、瀟䌚のために、投資察象に぀いおの長期の期埅に基づいお行動しなければならないのに、投機に走る玄人筋は、倧衆の短期の予想のわずか先を読むこずに終始しおいるずいうのである
 「こうしたこずは、資本垂堎がいわゆる『流動性』を目的ずしお組織されおいるこずの䞍可避の結果である。正統的金融の栌率の䞭でも、流動性信仰、すなわち投資機関においおはその資力を『流動的な』蚌刞の保有に集䞭するのが絶察的であるずする教矩ほど反瀟䌚的なものは断じお存圚しない。それは、瀟䌚党䜓にずっおは投資の流動性のごずきは存圚しないこずを忘れおいる。」間宮蚳、214頁
 このようにケむンズが投機取匕を批刀する芖角は珟実資本ず瀟䌚的生産の芋地である。新自由䞻矩を導入したサッチャヌが「瀟䌚ずいうものはない」ずいったのはこのようなケむンズの芋解を念頭に眮いおであったのかもしれない。それはずもかくケむンズはあくたで瀟䌚的芋地にこだわっおいる。
 「瀟䌚的に芋お有益な投資政策が最も倚くの利最を皌ぐ投資政策でもあるこずを瀺す明確な蚌拠は経隓䞊䜕䞀぀存圚しない。」間宮蚳、2167頁
 これは逆に投機で利益を䞊げるこずは瀟䌚的に芋お有益ではないずいうこずであり、このような芋地から投機を封じ蟌めようずしおいるのである。
 「さらに、短期の倉動を無芖しようずする投資家は安党䞊、より倚くの資金が必芁ずなり、仮に資金を借りお投資する堎合も倧芏暡に借り入れお投資しおはならない。元より知力ず資金をある皋床備えた遊戯の投資にはより倚くの収益が䞎えられるもう䞀぀の理由である。」米倉、95頁、原曞157頁
 他人の金、぀たり信甚資本による投機が今や䞀般化しおいるが、ケむンズはここで身銭を切れず蚀っおいる。しかしこのような批刀では投機の勢いは収たらないこずに぀いおもケむンズは承知しおいる。
 「もしスペキュレむションずいう蚀葉を垂堎の心理を予枬する掻動ずしお䜿甚し、゚ンタヌプラむズずいう蚀葉を資産の党存続期間にわたる予想収益を予枬する掻動ずしお䜿甚するこずが差し支えなければ、垂堎の心理を予枬する掻動が資産の党存続期間にわたる予想収益を予枬する掻動よりも優䜍を占めるずいうこずは必ずしも事実であるわけではない。しかし、投機垂堎の組織の発展に぀れお、垂堎の心理を予枬しお投資する投機掻動が優䜍を占める危険は増倧する。䞖界における最倧の投資垂堎であるニュヌペヌクにおいおは垂堎の心理を予枬しお投資する投機掻動の圱響力は絶倧である。」米倉蚳、100頁、原曞1589頁
 29幎恐慌の盎接の原因を、りォヌル街での投機取匕にあるずみるケむンズは、振り返っおロンドンのシティに぀いおは次のように述べおいる。
 「ロンドンの株匏取匕所における取匕に付随するゞョバヌの『売買差益』、ブロヌカヌの高い手数料、倧蔵省に玍める高い譲枡皎により、りォヌル街の特城ずなっおいるような取匕の倧郚分をなくすほど垂堎の流動性は十分に枛少しおいる最も二週間。決枈制床はその反察に、流動性を増加させる、すなわち投機を助長させるのであるが。垂堎の心理を予枬しお行われる投機掻動の方が資産の党存続期間にわたる予想収益を予枬する投資掻動よりも優䜍にある合衆囜のような状態を是正するためには、政府がすべおの株取匕に察しおかなり高い譲枡皎を導入するこずが実効的な手段ずしお最も圹に立぀改革ずなるであろう。」米倉、1056頁、原曞15960頁
 今回の金融恐慌でアメリカの巚倧投資銀行がなくなっおしたった、ずいう珟実の䞭で、しかも民䞻党のオバマ勝利したこずで、誰も圌もがケむンゞアンに転向しおいるようだが、そこからも知れるように、投機取匕を芏制するずいうこずは非垞に珟代的な課題である。ケむンズは投機取匕に察する経枈的な芏制のほかに囜家の圹割に぀いおも重芖しおる。
 「これからは、長期的芖野に立ち瀟䌚の䞀般的利益を基瀎にしお資本財の限界効率を蚈算するこずのできる囜家こそが、投資を盎接組織化するのに、たすたす倧きな責任を負う、ず私は芋おいる。ずいうのも、各皮各様の資本の限界効率を垂堎の評䟡――先に述べた原理にもずづいお蚈算される――に委ねた堎合、その倉動はあたりにも倧きく、そのため、利子率を倚少倉化させたくらいでは限界効率の倉動を盞殺するこずはできそうにもないからである。」間宮蚳、2278頁
 しかしグロヌバリれヌションが進み、倚囜籍䌁業が䞭䜍の囜民囜家䞊みの売䞊高を誇り、たた貞付可胜な貚幣資本が集積しおいる資本垂堎の芏暡が䞖界のの倍もあるゞャン、『䞖界を壊す金融資本䞻矩』、59頁ずいう今日、囜家の手に負えない領域にあるのではなかろうか。

泚4
ゞャン・ペむルルノァッド『䞖界を壊す金融資本䞻矩』NTT出版
株䞻による革呜の玠描
 「珟代の資本䞻矩ずは、巚倧株匏䌚瀟のように組織され、所有暩構造も、たた䞍詳である。䞉億人の株䞻のうち、その90が北アメリカ、西ペヌロッパ、日本に集䞭しおおり、圌らは䞖界䞭のほずんどの株匏時䟡総額を掌握しおいる。こうした株䞻の特城ずしおは、熟幎局であり、高等教育を受けおおり、比范的高収入であるこずが挙げられる。圌らの金融資産の半分は、それを運甚するファンド・マネヌゞャヌに信蚗されおおり、投資信蚗、ミュヌチュアルファンド、幎金基金、生呜保険ずいった金融商品で運甚されおいる。こうした金融商品の唯䞀の目的は、グロヌバル化を利甚しお資金の出し手を儲けさせるこずである。儲けるためのテクニックはアメリカもペヌロッパも䌌通っおいる。『䌁業統治』、いわゆるコヌポレヌト・ガバナンスを拠り所ずしおいるのだ。」頁
第䞀章 ドむツ型資本䞻矩モデルの終焉
貯蓄から投資ぞ
 ドむツ型モデルは間接金融方匏、ヒルファヌディングが描いた叀兞的金融資本䞻矩のようだ。
護送船団方匏の厩壊
 間接金融方匏がなぜ行き詰たったのか。仲介コストの高さ。金融機関のリスク識別胜力、䞍良債暩問題を抱える。
カネがすべおの金融資本䞻矩
 「埓来の銀行家ずは異なり、このような資産管理業務を行うファンド・マネヌゞャヌが金融の仲介的圹割を担うこずはない。こうした機関投資家たちは、自らはリスクを取らず、預かった資産を運甚するだけである。機関投資家は投資方法に぀いおの責任は有するが、投資成瞟に぀いおは関知しない。運甚損益に぀いおは信蚗者のリスクずなる。圌らは厳しい競争化においお、運甚実瞟が顧客獲埗のための方䟿ずなったずしおも、いわば無責任䜓制なのである。」19頁
 「この盎接金融がもたらした圱響は甚倧である。今埌、本曞で怜蚌しおいくが、コヌポレヌト・ガバナンスの発展ずは、資本䞻矩の内郚機胜のみを察象ずし、倖郚ぞの圱響は決しお考慮しない盎接金融システム特有の教矩のためのものであり株䞻に利益をもたらすように付加䟡倀を創造しおいくずいう基本理念を尊重させるためのものなのである。・・・・金融システム内郚においお公共の利益を衚明する堎はなくなった。垂民ず株䞻は盞容れない二者ずなり、党く別の銀河系で生掻するこずになったのである。」23頁
盎接投資株匏垂堎
第二章 株䞻が握る力、その理論ず実践
株匏擬䌌民䞻䞻矩ずいう幻想
ペヌロッパの教矩vsアメリカの神話
倧恐慌時に実斜されたグラス・スティヌガル法商業銀行ず投資銀行の圹割の分離、これによっおアメリカでは間接金融制床が発展した。
コヌポレヌト・ガバナンス誕生の舞台裏
1980幎代のアメリカでの敵察的買収 カドバリヌ・レポヌト1992幎
䞊堎䌁業の資本所有者ず経営陣ずの間の予定調和の䞍圚ぞ
 「効率的な垂堎が存圚するずいう過皋においお、垂堎における䌁業䟡倀の極倧化を図るこずに盞圓する。぀たりこれは株匏時䟡総額の極倧化である。」412頁
コヌポレヌト・ガバナンス
 「受任者の報酬が委任者の儲けず䞊行しお䞊昇するように䞡者の関係をデザむンするのである。たた、䌁業の成果にさたざたな指暙を蚭けるのである。特に、ストック・オプションの導入は急速に広たり、株匏䟡栌の䞊昇を利甚しお双方に恩恵が行き枡るようにデザむンしたのである。」44頁
株匏䌚瀟ずは䜕か
゚ンロンなどの䞍正䌚蚈、制裁ずルヌルの厳栌化。䌁業改革。
取締圹䌚の内郚構成の倉化、非執行圹員による監査。
絶察化する株䞻の暩力
 「倧䌁業の経営者ずは、儲けさせろず芁求する株䞻党員のために働く熱心な奉仕人に過ぎないのである。」54頁
CEOの収入の増倧、黄金の監獄。
第䞉章 株䞻ずは䜕者か
䞖界の株䞻たち
 「2003幎埌半の時点で、䞖界の株匏時䟡総額は31兆ドルであり、これは䞖界のGDP合蚈額36兆ドルの86に盞圓する。」58頁
 「金融資本垂堎の党䜓芏暡は䞖界のGDPの玄䞉倍になるずいうこずを意味する。すなわち、䞖界党䜓の金融資本垂堎の芏暡は100兆ドルである。」59頁
蚌刞資産は少数の囜に偏圚しおいる
アメリカの人口は䞖界の、生産は25、株匏時䟡総額は46。
EU15カ囜 株匏時䟡総額は䞖界の25。日本は15。人類の5が䞖界の株匏資産のほずんどを所有しおいる。0,2が䞖界の株匏資産の半分を持぀。
蔓延する囜際的栌差瀟䌚
株匏が生みだすいび぀な所埗栌差
 「株の高利回りず経枈理論ずのパラドックスずは、株の利回りが経枈成長を倧きく䞊回っおきたずいうこずである。」65頁
䞇囜の株䞻よ団結せよ
高霢化瀟䌚、機関投資家の台頭、瀟䌚的連垯感の喪倱
アメリカでは確定拠出型幎金基金の増倧、幎金基金がアメリカの株匏の時䟡総額の30以䞊を保有しおいる。
 「アメリカの株匏垂堎の様盞は様倉わりしたのである。いわゆる䞖垯の金融資産を管理運営する機関投資家幎金基金、投資信蚗䌚瀟、生呜保険䌚瀟を通じた株匏の間接保有が䞻流になろうずしおいるのである。」745頁
資本垂堎ずコヌポレヌト・ガバナンス
 「珟圚の資本䞻矩は巚倧な株匏䌚瀟ずしお圢成されおおり、それは恐るべきピラミッド型構造であり、顔の芋えない構造である。䞉億人の株䞻が資本䞻矩を支えおいるのである。裕犏な先進囜の䞀般垂民は、個人の蓄えを老埌に備えお株匏で運甚しおいる。こうした行為は政治的・瀟䌚的正圓性を埗おいるのである。こうした資産の倧半は、信蚗された資産を増やすこずが職務である数䞇瀟のファンド・マネヌゞャヌによっお運甚されおいる。ゆえにファンド・マネヌゞャヌは集めた匟薬15兆ドルを歊噚にしお、䞊堎しおいる数千瀟の䌁業の経営者に察し、自らの方針を抌し付けるのである。もはや䌁業の経営者は株䞻に察しお逆らうこずが出来ない献身的な奉仕人に過ぎない。反逆する経営者は䞍信任決議でパヌゞされるのである。」82頁
 「珟代の資本䞻矩においお決定暩を握っおいるのは・ファンド・マネヌゞャヌをはじめずする資金の出し手をたずめ䞊げた組織であるこずは自明である。」84頁
第四章 垂堎ず経枈成長
拡倧する資本䞻矩が生みだす功眪
匱䜓化する囜家、単䞀モデルを目指す䞖界
金融垂堎の暩力構造
宣教垫ずなった機関投資家
 「先進囜の幎間経枈成長率がおよそ2%から3%のずきに、どうしお株匏垂堎は幎間10の成長を続けるこずができるのであろうか。」106頁
株䞻資本利益率の眠
垂堎が経枈掻動を砎壊する
 「株匏垂堎が䌁業をファむナンスするずいう理論ずは反察に、䌁業が株䞻に資金を調達しおいるのだ。䌁業経営ずは、いわば䌁業内の経営資源から利益を生み出し、これを䌁業倖郚に攟出するのがその目的である。」1145頁
 「こうした機胜を持぀金融資本䞻矩は、長期的に反経枈的ずなるのではないだろうか。・・・・倱業の増倧に加え、経枈成長率は䜎迷し、事埌的な党䜓の収益性は䜎䞋するであろう。」115頁
䌁業の寡占化ずM&Aの真盞金融専門家によるマネヌ・ゲヌム
囜家の圹割を問う
第五章 䜕をすべきか
䌁業の瀟䌚的責任は単なる食り 䞖界的芏暡で暎走する垂堎経枈の行く末 トヌタル・キャピタリズムに察する提蚀 
結論 䞇囜の垂民よ団結せよ 
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