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「価値姿態」に関する解釈

9:Re: 資本論冒頭の交換価値の分析
megumi 10/28 21:25
4版の次のところから紐解いていきましょう。

「4 単純な価値形態の全体
・・・・・・・・
この章のはじめでは、普通の流儀にしたがって、商品は使用価値および交換価値であると言ったが、これは、厳密に言えば、誤りであった。商品は、使用価値または使用対象、および「価値」である。商品は、その価値がその現物形態とは異なる一つの独特な現象形態、交換価値という現象形態をとるやいなや、あるがままのこのような二重物として自己を表すが、商品は、孤立的に考察されたのではこの形態を決してとらず、つねにただ、第二の、種類を異にする商品との価値関係または交換関係の中でのみ、この形態をとるのである。もっとも、このことを心えておきさえすれば、先の言い方も有害ではなく、簡約に役立つ。」(資本論四版)

「商品は、その価値がその現物形態とは異なる一つの独特な現象形態、交換価値という現象形態をとるやいなや、・・・」と述べられた「交換価値という現象形態」とは、商品分析冒頭での、

「第二に、交換価値は、そもそもただ、それとは区別されるべきある内実の表現様式、「現象形態」でしかありえない」

のことではなかろうか?

<価値の現象形態としての交換価値>とは、直接交換可能な使用価値であり、経済的形態規定を受けた使用価値のことですね。

このあたりの整理を『初版』でこうのべていました。

「かの単純な価値表現の中に価値の形成の秘密・・・が見だされる」の注20の文節の後に続いています。

「商品の価値の相対的表現には価値の二つの形式が含まれていることがわかった。〔即ち〕亜麻布がその価値と一定の価値の大きさとを上着で表現している・・〔その時〕亜麻布は自分の価値を他の商品への価値関係のなかで示しているのであり、したがって交換価値〔相対的価値〕として示しているのである。他方、相手方の商品である上着は亜麻布の価値を相対的に表現しているのだが、それは、まさにそのことによって、亜麻布と直ちに交換されうる使用価値という形式をとることになる。」(牧野訳『初版資本論第一章・・』P43)
相対的価値とは区別された経済的形態された交換価値が示されたのですね。

ここにリカード批判が明示されたのです。
この展開は、前に触れていた次の一節の説明としてあったのです。

「・・・〔以上をまとめると〕使用価値としての亜麻布は自立したものである。しかし、亜麻布は、他の商品との関係〔たとえば上着〕でしか価値ではない。〔つまり価値としての亜麻布は、自立していない。しかるにその関係とは、上着という商品種をば、亜麻布と〔価値という〕質では同じとする関係であり、したがって、両者は一定の量ずつ比べれば同じであり、取替えできるし、交換できるということを表した関係である。従って、価値は交換価値として現れるときにしか、使用価値とは異なった固有の形をもつことができないのである。(つまり、使用価値はそれ自身の中で使用価値として現れているが、価値は交換価値とされた他者の中で価値として現れるしかないのである。)。(同上P35)

「従って、価値は交換価値として現れるときにしか、使用価値とは異なった固有の形をもつことができないのである」・・・の<交換価値>は、<交換価値〔相対的価値〕>とは区別されたものであり、等価形態にある使用価値上着の価値の現象形態としての、上着の自然的形態が形態規定された交換価値のことなのです。
こうして、商品の使用価値・価値の内的要因が、価値関係を媒介に、相対的価値形態にあるリンネルを使用価値、等価形態にある上着を交換価値と、<判断>され、価値関係が物象の社会関係であることが立証されたのです。

蒸留法での商品分析と、価値形態での商品分析が、リカードの「相対的価値」への批判として統一的に展開されてこなかった弊害が、物象化論が生かされないことになっていたのですね。私は、この作業の中で、このように考えることが出来ました。


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