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「世界恐慌分析のための原理」(バラキン雑記)を読んで 田中一弘

6:利子生み資本と架空資本(1) その1 田中一弘
ebara 11/25 21:55
利子生み資本と架空資本(1) その1
―利子生み資本の一般的規定について  田中一弘

1.今回の検討課題
 『資本論』第3巻第5篇の学習がだいぶ進み、この間提起してきた疑問がある程度解決すると同時に、なお了解できない点が残っています。今回は私の『資本論』解釈を提示し、それに基づいて再度問題を立ててみたいと思います。
最初に榎原さんの文章の引用から始めます。
 (1)「金融資本は銀行と産業との癒着と定義されていたように、その本質は、利子生み資本であった。利子生み資本とは、貸付けたお金が産業などの現実資本に投下される資本の形態である。他人のお金それ自体を資本化する信用資本は現実資本に投資されるわけではないので、利子生み資本の形態すらとっていない。」(「世界恐慌分析のための原理」)
 (2)「貸付可能な貨幣資本は、産業資本の循環のうちで形成される遊休貨幣資本や、各種の収入(資本家が受け取る利潤や労働者の労賃など)が預金されることで銀行に集中される。・・・・この貸付可能な貨幣資本の蓄積は現実資本の蓄積からは相対的に独立しているし、また貸付可能な貨幣資本の運用については架空資本の売買という投機に向かいやすい。」(同)
 「貸付可能な貨幣資本」とは利子生み資本の一形態であることは了解できます。最初の投稿で私は次のように質問しました。「ではどうして『貸付可能な貨幣資本』は投機へと向かうのでしょうか。」この質問を(1)の引用文に即して述べるならば、次のようになります。
 「どうして貨幣資本は現実資本に投下される形態で貸し付けられるのではなく、架空資本の売買へと投資されやすいのだろうか?」言い換えるならば銀行資本は企業への融資=金融仲介ではなく、株式や債券、外国為替取引という投機取引へと向かうのだろうか、ということです。よくニュースなどで、銀行はお金という経済の血液を循環させる役目を果たすなどと言われますが、このよう物言いは金融資本あるいは利子生み資本としての貨幣資本を意味しています。
そこで問題となってくるのが利子生み資本と架空資本のそれぞれの内容、および両者の区別をどのように理解すべきかということです。そこで今回は資本論第3巻第5編の解釈という形で、この問題を考えてみたいと思います。あわせてメグミさんの紹介してくださった論文の検討も行ないます。(最初からこのような方法で議論すればよかったのですが、私の学習が中途半端だったせいで、議論がかみあわかったようです。すいません。)

2.『資本論』第3巻第5編の構成について〜大谷禎之介さんの解釈
 まず最初に、資本論第3巻第5編の文献学的な考証作業を詳細に行った大谷禎之介さんの解説を紹介したいと思います。大谷さんは第5編を三つの部分に分けて考えています。
 21章から24章までは、「利子生み資本の最も単純な姿態を対象に据え」たものであり、「一言でいい表わすとすれば、『利子生み資本そのものの一般的分析』と呼ぶことができるであろう。」(『経済志林』第56巻 第3号、p.3)
 25章から35章は、「資本主義的生産様式一般の特徴づけのために必要なかぎりで、利子生み資本の具体的諸形態・諸姿態を明らかにしようとしている。資本主義的生産様式のもとにおける利子生み資本の具体的諸形態・諸姿態とは、信用制度のもとにおける利子生み資本の諸形態にほかならない。だからこの部分の内容は、『利子生み資本が信用制度のもとでとる諸姿態の分析』と要約することができるであろう。」(同、p.4)
 「このことを、資本の姿態そのものに即してさらに具体的に表現するならば、ここでの分析は、貨幣市場における利子生み資本の一般的形態である『貨幣資本(monied capital)』の諸姿態―その最も大量的かつ典型的な存在形態は銀行に集積された貸付可能な貨幣資本(loanable monied capital)の分析である、ということができる。」(同)
最後の36章は、「利子生み資本の前資本主義的な形態である高利資本が、すでに明らかにされた近代的な利子生み資本の概念を前提して、それとの対比において分析され、さらに、産業資本がこの高利資本を、とりわけ信用制度の創造によって、自己に従属させ、近代的な利子生み資本を生み出すにいたる歴史的過程の基本的筋道が述べられている。」(同、p.5)今回はこの部分には触れません。
 この大谷さんの区分で重要と思われるのは、利子生み資本の一般的規定とその「具体的諸形態・諸姿態」=「信用制度のもとにおける利子生み資本の諸形態」との区別です。というのは私の問題提起はこの区別を基礎とし、なぜ架空資本の売買という投機が、利子生み資本の現代的特殊形態としての信用資本の中心的な運動となるのか、ということだからです。

3.利子生み資本の一般的・抽象的規定について
 (つづく)


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