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「価値姿態」に関する解釈

6:Re: 価値連関
megumi 10/27 06:45
田中さん『価値形態 物象化 物神性』は座右の書でありましたか。敬服する次第です。

>榎原さんが主張しているのは、リンネル=上着を単に「二つの使用価値の割合」(p.52)という等式としてつまり等置としてとらえるのではなく、「これをリンネルからの上着への連関と規定することによって、この等置におけるある質の同等性を浮かびあがらせようとしたのであった。」(p.53)
 ここでいわれているのは、価値関係とは「同等性を暗黙の前提とした二商品の等置の関係」ではなく、その関係によってはじめて同一性としての抽象的人間労働が規定されることを解明する、ということでしょう。つまり抽象的人間労働とは、関係によってはじめて成立する社会的実体であることが、価値形態論において明らかにされた、ということです。古典派の限界は、同等性としての労働とはどのようなものか、ということを問題とはしていなかったのです。

『初版』の記述・・・・
「ただ同じ単位の諸表現としてのみ、それらは同じ分母の、したがってまた通約可能な大きさなのでである。だから、・・・リンネルが自分と同じ物としての上着に関連するのであり、言い換えれば、上着が同じ実体の、同じ本質のものとしてのリンネルに関係させられるのである。だから上着はリンネルに質的に等置されるのである。」

榎原さんは、そこで「ある質の同等性」と書いた後にこう述べています。
「したがって、リンネルが自分に等しいものとしての他の一つの商品上着に関連するさいに、リンネルが同種の人間労働の対象化としての上着に関連しているという事態は、感性で把えられるものではない。」(『価値形態・・』P53)

リンネルは、価値としての上着に関係することで、自分自身の価値と関連するのですから、超感性的な抽象的人間労働の対象化としての上着に関係することであり、「上着が、同じ実体の、同じ本質のものとしてのリンネルに関係させられる」のですね。ここには「反省規定」の連関があるのですから、
<超感性的な抽象的人間労働の対象化としての上着>は、リンネルと<同じ実体の、同じ本質のもの>にされている・・ことを指して、「この等置におけるある質の同等性を浮かびあがらせようとしたのであった」・・・とのべたのです。だからこそ、価値関係でなされる事実上の抽象は、上着に示される価値実体を、人間労働力一般と表したのではないか?・・・私は、そう考えるのです。


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