。ヲ office-ebara
megumiさんの回答

6:Re: 文化知の発端
田中 10/21 15:01
(1)商品形態について
「以上から、「価値形態においては「商品のうちに包みこまれている使用価値と価値との内的対立は、」という田中さんの理解は当を得ていないと思うのです。商品形態ということであれば了解できます。」
この指摘は、私の文章の書き方が原因でしょう。「価値形態においては」という語は、真ん中の文節、「外的対立・・・」へかけているのです。つまり、商品における使用価値と価値との内的対立は、価値形態においては使用価値姿態としての相対的価値形態と価値姿態としての等価形態という両極という形で、外的対立へと転化している、ということが言いたかったのです。

(2)等価形態の役立ちについて
「等価形態上着は、直接交換可能な使用価値という規定を、自身の等価物としての役立ちにおいて受け取っていますから、<リンネル>の価値姿態・価値形態ではありません。それ自身で価値形態・価値姿態なのです。」
価値形態とは価値関係すなわち商品A(リンネル)=商品B(上着)において、二つの商品が受けとる社会的形態規定のこととして理解できます。このとき関係の主体はリンネルであるということの理解が決定的に重要です。リンネルが上着を自分に等置することにより価値関係が成立するのです。この等置によってはじめて、上着はリンネルと同等のものとして抽象され価値そのものという意味での価値姿態=等価形態をうけとるのです。そしてその規定がリンネルへと反射=還帰してリンネルも価値であることが示されるのです。
上着はその現物形態において価値姿態である、という意味では「それ自身」価値姿態ではあるのですが、それはリンネルによる関係付けの内部でのことです。そしてこの関係においてはリンネルの価値表現が主題であるがゆえに、リンネル価値の表現という意味で、リンネルの価値姿態・価値形態なのです。
等価形態が特定の商品の価値姿態ではなく、一般的に価値そのものの体現者となるのは一般的価値形態においてでしょう。しかしその場合でも自分以外の他の商品との関係があくまでも前提であることを忘れてはならないと思います。megumiさんもこの点は十分理解していると思いますが、上の表現は、リンネルとの価値関係という簡単な価値形態を超えて、上着が一般的等価形態としてとらえているように読めます。


1-

BluesBB ©Sting_Band