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小澤勝徳氏の<アナリティカル・マルキシズム批判>を読んで、

5:Re: 田中さんへの提案
megumi 02/13 09:16

田中さん、わたしは、
<小澤勝徳氏の<アナリティカル・マルキシズム批判>を読んで>
次のように述べました。

>労働の二者闘争的性格に基ずく使用価値・価値の表裏一体の性格への理解が無ければ、等価物上着の役立ちは、使用価値の物的属性としてのみ人々の眼に映るのでした。

それは、小澤氏がこう述べていたことに呼応するためでした。

> 数理経済学は、ただ商品の価値と使用価値を混同させるため構想された架空の経済学です。数理経済学の世界に一旦入ってしまうとその世界で自己完結してしまい、事実が事実としてみえなくなってしまう、それだけのことです。

わたしは、小澤氏の提案する「商品の価値と使用価値を混同」することへの批判が、左翼の常識とする価値論にもあてはまることを述べようとしました。
労働の二者闘争的性格に基ずいて、商品形態の分析をし、物象の人格化を明示することが第一の課題ですし、「文化知」を生かすことの提案であります。ご存知のように、宇野派も、日共も、価値実体の理解は、超歴史的な人間的労働力の支出です。これでは、「商品搾取定理」の意図を見抜くことが出来なかったのです。

しかし、価値実体の把握は、価値形態論ことに、<鉄が棒砂糖の重さ表現に役立つ>ことに比喩された「価値形態の秘密」を掴むことと一体になります。

利潤率、平均利潤率による生産価格の問題での労働価値説の論証・・・これはこれでたいそう意義あることにはちがいないのですが、置塩理論の迷妄を解き明かす、小澤氏の提案を、私たちの「文化知」から学ぶことが、今必要だと思うのです。
田中さん、資本論(1)十七章での「労働の価格」の、想像的表現とのマルクスの批判を、再考してみませんか?「労働の価値」と「労働力の価値」とをくべつすることは、とても困難なことです。向坂派の理論を学んだ、労働運動の幹部にしても、理論的に整理されず何かの折にすぐ混同して発言してしまい、皆さんに笑われてしまいます。しかし、エンゲルスの『賃労働と資本』序文での<「労働の価値」と「労働力の価値」への混同批判>は、『賃金価格および利潤』のマルクスの、コペルクス的転倒の批判に比べると中途半端なものです。このような研究も楽しいものです。


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