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「賃労働の拒否」

4:Re: 労働者の主体性
田中 02/10 17:45
 「2 商品生産の労働行程
労働用具は人類の発達上最も重要なるものである。生産上の様式は先ずこの労働用具によって決定される。労働用具によって決定された各生産方法は更にその特殊の生産方法を決定し、それに法律上、宗教上、哲学上、ならびに藝術上の相応した上部建築を与える。」(『資本論解説』P114〜115 高畠素之訳大正13年刊而立社発行)
 このカウツキーの理解は労働過程論における次の叙述を解釈したものでしょう。「なにがつくられるかではなく、どのようにして、どのような労働手段をもってつくられるかが、経済的諸時代を区別する。労働諸手段は、人間労働力の発達の測定器であるばかりでなく、労働がそこにおいて行われる社会的諸関係の指標である。」(『資本論』1、新日本版p.307)
 マルクスは単に指標であるといっているにすぎないものを、カウツキーは労働手段が生産様式を決定すると転倒させたのですね。大工業の成立が資本制の成立を前提にしていることが転倒されるわけです。経済的形態規定の展開がその素材的内容を規定しているという基本的な点が理解されていないのです。
私が「経済的形態規定とその自然的あるいは素材的内容との区別と関連」を問題にしているのは、経済的形態規定をつうじて展開されている素材的内容の中に、新たな経済的形態規定の萌芽が含まれているのではないか、という点です。たとえば株式会社に共同所有の可能性がふくまれているのではないか、ということです。あるいは資本制的大工業が環境破壊を引き起こしている、というその素材的内容の認識から、資本制の限界を認識する、ということでもあります。後者は素材的内容自体において形態規定が影響している例でしょう。資本制を廃棄すれば(形態規定)それだけで環境破壊がなくなる(素材的内容)、ということにはならない。また、環境破壊をやめさせる運動(素材的内容)が資本制の廃棄へと向かう可能性(形態規定)がある。もちろん萌芽として含まれているものを現実化するためには形態規定の変革が不可避であることを忘れてはならないでしょう。ただその変革が素材的内容の変革をも意味する以上、内容の観点も重要ではないか、今このように考えています。



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