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megumiさんの回答

4:megumiさんへの再回答(1)
田中 10/20 16:05
megumiさんのコメントは自然物と社会的性質=物象との統一として生産過程を把握すべきであり、「労働過程と価値増殖過程の対比と統一」として把握しなければならない、とういうことだと理解しています。そして等価形態にある商品は「ただ価値形態または価値姿態としてのみ意義をもつ」ことと同様に、資本制的生産過程においても労働過程は、ただ価値増殖過程としてのみ意義をもつ、このように主張されているようです。しかし商品と生産過程では自然物と社会的質の対立と統一は、異なった様式なのではないでしょうか。
 megumiさんが指摘しているように、価値形態においては「商品のうちに包みこまれている使用価値と価値との内的対立は、一つの外的対立によって、すなわち二つの商品の関係によって表され」ます。等価形態にある商品の現物形態は、相対的価値形態にある商品の「価値姿態または価値形態」であり、商品における使用価値と価値との内的対立は、二つの商品へと外化しています。
 これに対して直接的生産過程においては、労働過程と価値増殖過程は二つの自立した過程の関係として、外的対立の形態をとるわけではありません。したがって等価形態のような社会的質としてのみ意義をもつものとして労働過程を把握するのは不十分ではないでしょうか。一商品における使用価値と価値とを別々に考察できるように、労働過程と価値増殖過程は区別して考察すことが可能ではないでしょうか。もちろん区別することは両者を無関係なものとして把握することを意味しません。前回のコメントでも触れたように、一般的形態における労働過程とは思考抽象の産物であり、現実の労働過程は社会的形態規定をともなっています。資本制においては価値増殖過程としてそれは規定されており、資本制における労働過程は価値増殖過程によって規定されています。
 その一方で社会的質が自然物に担われる場合に、その自然的質がある種の規定性を与えることが考えられます。貨幣とは社会的質に他なりませんが、それがどの商品によって担われるかは、商品の使用価値が大きく影響しているのです。「価値の適切な現象形態、または抽象的な、それゆえ同等な、人間的労働の物質化となりうるのは、どの一片をとってみてもみな同じ均等な質をもっている物質だけである。」(『資本論』s.104)社会的質と自然物との関係は一方的な規定関係ではなく、相互的な関係にあるものとしても把握する必要があるのではないでしょうか。いいかえれば社会的形態規定とその担い手としての自然的素材内容とは一つの対概念として考えられると思います。もちろん社会的形態規定が素材内容を規定することを忘れてはなりません。大工業が資本制によってはじめて発展した、という場合がそれです。社会的形態の発展のより素材内容が発展し、さらに新たな社会的形態が発生する。資本制という社会的形態規定のもとで発展した生産様式が協同社会の物質的条件を準備しているという観点は、以上のような理解から導き出されていると思われます。
 


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