。ヲ office-ebara
信用資本と現実資本(1)田中一弘

3:商業信用と銀行信用の相違について メグミ
ebara 05/30 09:18
商業信用と銀行(貨幣)信用の相違について  メグミ

 榎原さんはこのHPの次の欄(信用貨幣についての研究ノート)でこうのべている。

信用貨幣についての研究ノート
第2章 山本孝則の信用貨幣論
2)商業信用と銀行信用の相違
・「商業信用では再生産過程内部の現実資本が信用創造の主体であり、銀行業者の信用では、その外部に立つ利子生み資本=貨幣資本がその主体である。」(134頁)
・・・・・・・・次に本来の信用貨幣についての山本の考察に移ろう。山本は商業手形の割引に銀行信用の本質を見る見解に対置して、商業手形を商業貨幣と捉え、本来の信用貨幣はこれと範疇を異にするものとみなしている。そして本来の信用貨幣を支払手段として貨幣機能から直接発生するものであるとすれば、それは決済手段として機能する預金に他ならないと主張している。」
 この山本孝則氏の信用貨幣論は、次のような二つの旧見解への批判ですね。

? 「銀行信用は、まず第一に既存の商業信用を銀行が肩代わりすることによって、すなわち手形割引という手続きによって、成立する。Aが手形を振り出し、Bがそれを受け取って銀行に割引を依頼すれば、銀行は手形の支払期日までの利子を差し引いた金額の銀行券をBに渡す。これによって、銀行はAに対しては債権を持ち、Bに対しては債務をもつことになり、要するにAとBとの貸し借り関係のあいだに銀行がはいりこむだけである。」(『資本論入門』9章三銀行信用 銀行券P210岡崎次郎国民文庫)

 これは伝統的な銀行による手形割引に、商業信用とは異なる銀行信用を認める見解ですね。これに対しての手形割引は、商業信用と明言したのが宇野弘蔵氏でした。

? 「たとえば銀行によって行われる手形の割引に際して貸し出されるものは、手形発行の基礎となった商品資本に対する貨幣に過ぎない。
『普通の営業者が手形の割引を受けるのは、彼の資本の貨幣形態を予め確保し、以って、再生産過程を流動状態に維持せんがためでである。また信用によって営業を拡張せんとする場合には、手形の割引は殆んど役に立たないであろう。手形の割引なるものは、予め彼の手に存在している貨幣資本を一の形態から他の形態に転嫁することに過ぎぬからである。』(資本論3部33章新日本新書P919)
それはすでに手形の発行によって確保されたる個人的信用貨幣を一般的なる信用貨幣に替えるものであって、再生産過程に参加する全資本はこれがためにその額を何ら増加することはならない。だからこそ銀行はこれをその信用貨幣たる銀行券発行の基礎となしえるのである。」(五「貨幣資本と現実的資本」宇野弘蔵著作集?P148)

 さて当該の資本論の記述はこうでした。
 「ところがいまや、この商業信用に、本来の貨幣信用が加わる。産業家たちおよび金貸し業者たちの側からの彼らへの貨幣の前貸しが混ぜ合わされる。手形割引の場合には、前貸しは名目的なものでしかない。」(資本論大月新書11第30章P836)
 マルクスは、「手形割引の場合には、前貸しは名目的なもの」と述べているのだから、明らかにそれは商業信用だと述べているのであり、「貨幣信用」(銀行信用)とは区別している。更にその先の31章で、次のように断定している。
 「信用が発達している諸国では、貸付のために使用されうる貨幣資本は、すべて、銀行および貨幣貸付業者の下に預金の形態で実存するものと仮定することが出来る。」(同P865)

 このように、資本論訳者でもある岡崎先生に対しての宇野先生の一面的理解も明らかであり、山本孝則先生の明解な資本論解説の意義も明らかです。



1-

BluesBB ©Sting_Band