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労働過程と価値増殖過程

2:Re: 労働過程
megumi 01/08 14:55
<ローゼンベルグとは違って、マルクスは労働・労働対象・手段の三要素は労働過程で結合している>

草稿で、その事をこう述べていました。
「現実的労働が用具を取得する(わが物とする)のは自らの手段としてであり、材料を取得するのは自らの活動の材料としてである。現実的労働は、これらの対象を、生気を与えられた肉体として、労働そのものの諸器官として取得する過程である。ここでは材料は、労働の非有機的な自然として、労働手段は取得する活動そのものの器官として現れる。」(『資本論草稿集』4P90)

「現実的労働は、これらの対象を、生気を与えられた肉体として、労働そのものの諸器官として取得する過程」――何と魅力ある表現ですね。

しかし、過程の結果としての生産物・使用価値では、「過程は生産物においては消失」するのですね。
「過程は生産物においては消失する。過程の生産物は、使用価値であり形態変化によって人間の欲求に適合させられた自然素材である。労働はその対象と結合した。労働は対象化されており、対象は加工されている。」(『資本論』五章)

そこで、ブルジョアの眼から見ればこうなったのです。
「彼(資本家)の立場からは、労働過程は彼が買った商品である労働力の消費にすぎないが、しかし彼はこの労働力に生産諸手段をつけ加えることによってのみ、それを消費することができる。」(同上)

「生産的消費」としか、人々には見えないものですから、労働過程を次のように表すマルクス経済学者が現れるのです。

「ここでは労働過程は、資本家が購買した物(労働力)と物(生産手段)との間の一過程であり、この過程の生産物もすべて資本家に属するのであって・・・」
(『商品の価値と価格』P96大石ゆうじ著創風社刊)

物象の人格化によって、物象たる資本・労働力が 物として現れているのですね。
商品・貨幣・資本・・・が、物として現れていることの批判の仕方をわたし達は学ばなければならないと思うのです。


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