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megumiさんの回答

2:Re: megumiさんの回答
megumi 10/19 06:31
「労働過程の単純な諸契機は、合目的的な活動または労働そのもの、労働の対象、および労働の手段である。」(資本論五章)

  (以前にまとめたものがありますので掲載させてください。)
私たちの多くは、つぎのローゼンベルグの批判すべき見解(労働過程の要素を分離することで否定)を見落としているのです。
  「すなわち、生産手段は、あらゆる労働過程の要素として観察されている。この労働過程の内部において、それは、生産の質量的要因として人的要因たる労働力に対立しているのである。」(『資本論註解』?P273第七書房)
 労働過程の三要素は、労働・労働対象・労働手段ですが、この三者は融合することでのみ成立しているはずです。草稿では、次のように述べられたことが資本論で省略されているのです。
「過去の労働をその素材的な側面から考察するかぎりではすなわち、ある労働過程で労働手段または労働材料として役立つある使用価値について、この使用価値そのものがすでに、自然素材と労働との一つの結合である、という事情が堅持されるかぎりでは、諸使用価値に対象化された過去の具体的労働は、新しい労働を実現するために、あるいは同じことであるが、新しい諸使用価値を形成するために、手段として役立っていると言いうる。」(『資本論草稿集』4P93)

「自然素材と労働との結合」とはなんのことか?
マルクスはこう表していました。「使用価値である上着、リンネルなど、簡単に商品体は、二つの要素の、すなわち自然素材と労働との、結合物である。」(『資本論』1章2節8段落)
歴史的伝統なのか多くの人(ローゼンベルグ)は、ある物の使用価値の規定が「自然素材と労働との、結合物である」ことを全く忘れているけれども、この点こそが大事なのです。「ある労働過程で労働手段または労働材料として役立つある使用価値」は、「自然素材と労働との、結合物である」のだからこれら労働過程の三要素は分離しているのでなく融合しているのです。ある労働対象諸条件が労働と分離し・対立しているならばそれは労働過程の要素ではないのです。先ほどの『草稿集』の続きにはこうあります。
「綿花と木材および鉄とが木の形態を、すなわち一方は糸としての形態を、他方は織機としての形態を、すなわちそれらが労働過程でこれらの役立ちを果たすさいの形態を、受け取ったのだということ、それらはこの特定の使用の仕方をそれ以前の労働の媒介によって受け取った―これは、栄養過程で小麦が果たす特定の役立ち、使用の仕方を、小麦はそれ以前の労働の媒介によって受げ取った、という事情とまったく同様である―のだということ、それらは、それ自身がすでに労働と自然素材との一つの結合を表わすものだということ、これである。」 (『資本論草稿集』4P93〜94)
『諸結果』ではこう述べている――「労働過程では・・生産手段の独立な・・それ自身の頭を持っている存在、労働からのその分離は、今では実際に廃棄されている。」(『諸結果』国民文庫P59・資本論綱要岩波文庫P165)
 以上のことは、理論的分析からでしたが、しかし、実際の感性・実践から言えば、労働過程ではそれらの要素が「過去の労働の物質化」であることは何ら関心を引くものではない・・・とマルクスは述べるのです。
「それ自身が使用価値の一定の特殊的な消費過程、使用価値の使用の一つの特殊的独自的な種類にすぎない労働過程においても、関心を引くのは、それ以前の労働の生産物がこの過程のためにもっている諸属性だけであって、これらの生産物の、過去の労働の物質化としての定在ではないのである。なんらかの自然素材が以前の労働によって受け取った諸属性は、いまではそれ自身の物的諸属性であり、その自然素材はこれらの属生をもって働き、あるいは役立つ。これらの属性が以前の労働によって媒介されているということ、この媒介そのものは、生産物のなかでは止揚され、消え去っている。(『資本論草稿集』4P94)
草稿には、B)に引用した『資本論』の、
「この過程そのものにおいては、亜麻と紡錘が過去の労働の生産物であることはどうでもよいことであって、」・・・・と同じことが述べられたのです。実践上からいえば、貨幣の謎に示された――「この一商品が貨幣であるからこそ、他の諸商品はこの一商品で一般的にそれらの価値を表示するかのように見える」――錯誤以上の人間の無意識的順応が労働過程にはあるのですから、自らの<転倒した意識>への自己批判を忘れてしまう人は、マルクスの示した「労働過程」を「生産的消費」に解消して、生産過程の抽象的な素材的要素である?生産手段(過去の労働の物質化していない対象)と?労働力(この二つの要素では両者の分離は前提されている)の規定へと、労働過程の三要素を転化してしまったのです。

労働過程の要素と生産過程の抽象的要素との混同にたいする批判は、以下の『諸結果』のくだりが上手くまとめています。
「生産過程の諸要素は、土地所有、ナイフ、挟、防水、綿花、穀物、簡単に言えば労働材料と労働手段と、そして――賃労働であると。一方ではわれわれは、労働過程の諸要素とそれらが一定の歴史的発展段階で持つ独自な社会的な諸性格とが混和されたものをあげているのであり、他方では、われわれは、どの特定の社会的形態とも無関係に人間と自然一般との間の永久的な過程としての労働過程に属する一要素を加えているのである。」(『直接的生産過程の諸結果』国民文庫P44『資本論綱要』岩波文庫P151)



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