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小澤勝徳氏の<アナリティカル・マルキシズム批判>を読んで、

13:Re: 複雑労働の単純労働への還元
名無しさん 02/26 10:41
〈複雑労働の単純労働への還元は、二つの抽象のどちらに属することでしょうか?
事実上の抽象に属することですか?経済的形態規定に属するのですか?
それとも人間的労働力一般の実現形態から反照される・反省規定を受け取る(回り道を経ての)労働(抽象的人間労働)に属することでしょうか?〉
理論的抽象を用いて価値実体を導出している1、2節では、還元は理論的なものにとどまります。抽象の具体的メカニズム―これこそが事態抽象としての回り道なのですが―を解明している3節価値形態論においてはじめて事態抽象であることが把握されると私は解釈しています。ただ理論的抽象とはいっても、交換関係の内部で現れる結果からの抽象であるので、事態抽象の結果としての還元の直観的把握であるといえます。そのかぎりで超歴史的概念として1,2節での抽象的人間労働を把握する解釈は誤っています。
事態抽象では複雑労働の単純労働への還元としての社会的平均労働力への還元が行われると同時に、生産条件の社会的平均水準への還元も行われるのです。社会的必要労働を規定する要因は、労働過程としてみた生産過程の二つの契機=生産手段と生産的労働に対応した二要因であると解釈しています。
「社会的に必要な労働時間とは、(1)現存の社会的・標準的な生産諸条件と、(2)労働の熟練および強度の社会的平均度をもって、なんらかの使用価値を生産するのに必要な労働時間である。」(p.66)
(1)は同一の商品生産部門内の平均化ですが、(2)は同一部門の平均化をさらに尺度としての単純労働への還元を意味しています。そうでなければ価値実体としての労働ではなく、したがって価値量を規定する労働たりえないからです。
抽象的人間労働が具体的有用労働と何らかの関連を持ったものでなければ、生産条件の変化が価値量に影響することはできないのではないでしょうか。生産条件の変化は、労働力の平均的存在が不変であれば、尺度としての抽象的人間労働に影響は与えません。一時間当たりxキロカロリーの生理学的主出を抽象的人間労働の一時間とする、といったような形での還元は、それが具体的有用性を捨象したものであること、つまり生産条件との関係抜きに規定された単なる人間的労働力の支出であるため、生産条件の変化の影響は受けません。しかしそれがある商品の価値量を規定するさいには、その商品に含まれる価値実体量は変化します。今まで二時間で作れたものが一時間で作れるという事態を考えてみましょう。当然のことながら、労働時間の変化はまず具体的有用労働時間の変化として現れます。労働の社会的平均度、すなわち尺度単位としての労働力が変化しないとすると、生理学的支出量は有用労働一時間あたりでは変化しません。しかしその一時間が生産する商品は半分になるので、一商品あたりの抽象的人間労働量は半減し、価値も半減します。
このように具体的労働と抽象的人間労働との関連を考えなければ、価値論は理解できないと思います。
megumiさんは社会的平均という作用をどのようなものとして考えているのでしょうか。平均の元となる数量はどのような量なのでしょうか。抽象的人間労働自体が平均化の産物であるとするならば、平均の元に抽象的人間労働を考えることはできないのではないか、このように私は考える次第です。


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