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「価値姿態」に関する解釈

10:Re: 資本論冒頭の交換価値の分析
田中 11/01 20:39
megumiさん,相対的価値形態と等価形態とを交換価値の二つの形態として把握したうえで、両者を区別するということだと理解しました。私もその点に賛成です。その区別を外的なものではなく、両者の内的関係―反省規定として把握しうるかどうか、この点がリカードとマルクスの相違なのだと理解しました。
今回の議論で確認できたのは、価値関係の主体は相対的価値形態にある商品ですが、その主体が客体−主体の対象たる等価形態商品に反省規定される、ということの意味です。主体が客体に規定されているのですね。ここに物神崇拝の根拠があるということを再認識しました。つまり主体の行為にもかかわらず、主体は規定されるという受動的位置に置かれています。その意味では客体が主体に反転しているといえるのではないでしょうか。そのような商品の関係は、商品所有者の意識には、貨幣が自分たちの共同行為の産物であるにもかかわらず、価格をつけるというかたちで、貨幣が自分の外にある前提として意識される、というかたちで現れているのでしょう。
物神崇拝は関係認識の錯誤などではなく現実的な根拠がある、この点をどのように理解するかが、決定的だということでしょう。

 資本論三巻についてですが、大谷さんの文献を調べました。かなりの量でそれだけで圧倒されてしまいました。数学が苦手で嫌いな私は、だいたい利潤率の計算式がでてくるだけで挫折してしまいます。「三位一体」の章を結論としてよめばいいやという姿勢で、スルーしていましたが、やはりそれでは現代資本主義を理解する糸口にすらたどり着けないようなので、これからぼちぼち始めたいと思います。


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