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信用資本と現実資本(1)田中一弘

1:信用資本と現実資本(1)田中一弘
ebara 05/10 21:11
信用資本と現実資本の関係(1)

                          田中一弘

 榎原さん、お久しぶりです。信用資本主義論がいよいよまとまってきたという感じで、大いに勉強になります。私も大谷さんが校訂されたマルクスの草稿、榎原さんが紹介された信用理論学会が出した論文集、小松聰さん、本山美彦さんの著作などをこの間読んでいました。しかし、決定的な見解というものがなかなか見つかりません。そこで、今回の投稿では、私が学んだなかからいくつかの見解を紹介し、簡単なコメントをつけます。榎原さんの書かれた「今後の研究課題」と重なる部分があると思いますので、ご検討していただけるとありがたいです。なお、あまりこまごまとした引用は書くほうも、読むほうも煩雑だと思われますので、していません。かわりに最後に参考文献というかたちで挙げておきます。
 現実資本と信用資本との関係はどうなっているのかというのが、私の一貫した問題意識でした。信用資本が現実資本を支配しているのが現状であることは、私も賛成です。しかし、信用資本が利子生み資本をその原点としている以上、現実資本が生み出した剰余価値がどのように信用資本へと向かい、投機資本と化しているのか。この点を解明しなければ、信用資本主義を批判し、変革する現実的な根拠を見出すことができないと、思っています。
 「投機が独自の蓄積様式となる条件」の一つとして、「『資本市場がつねに拡大することであり、そのための方法を開拓した。(ひとつは)アメリカの赤字による世界中からの資本の招きせ・・・』ということですよね。」(「投機・信用資本主義、今後の研究課題」)通常の理解では、この点は、アメリカの経常収支赤字の補填というかたちで、アメリカの資本市場が成立っているというように理解されています。経常収支の赤字とはまず第一に、アメリカが「世界の消費市場」として、現実資本の価値実現の場としての機能を果たしているということでしょう。そして、その機能が継続しうるための方策として、アメリカへの貨幣資本の還流を各国政府によるアメリカ国債の買い付け、あるいは現実資本による証券投資というかたちをとっているのでしょう。そのようなかたちでの資金の還流がドルの信認を維持し、アメリカ市場の健全性を確保することによって、現実資本の価値実現を図っているということです。外需依存の日本の現実資本はその典型的な例だということになります。また、アメリカの金融市場における消費者金融の役割を考えるならば、有効需要のかなりの部分が信用によって生み出されているといえます。
 アメリカ側からすれば、経常収支の赤字は、アメリカ国内産業の国際競争力の衰退を意味するということとされます。アメリカには他国の商品に対抗して売れる商品は何もなく、アメリカ資本主義は金融市場にしか国際的に生き残る道はなかったのです。つまり、1980年代以降のアメリカ資本は、世界中から集まってきた貨幣資本を信用資本あるいは現実資本として世界中に投資することによって、発展してきたのです。どちらの側から見ても、現実資本が自らの存続のために、アメリカの金融市場に依存しているということになります。そしてそのようなかたちで実現した剰余価値が原資となり、過剰な貨幣資本が形成され、それがまた投機資本へと転化し金融市場が成長していく、このように説明されるのです。
 以上のような見方は、外需依存率の高い2000年以降の長期発展を経験した日本経済を説明するのに適したものと感じます。あるいは、今回の金融危機が実体経済に壊滅的な影響を与えたことが、その証明となっているとも思います。しかし、現実資本の価値実現から出発するだけでは、信用資本による現実資本の支配を説明することはできません。いまでは信用資本のほうが巨大化して、信用資本のために現実資本が奉仕しているというかたちになってしまったのです。現実資本の価値実現、あるいはアメリカの経常収支赤字の補填という見方だけでは、この関係の逆転は説明できません。榎原さんが次のように述べているのもそのような意味だと理解しています。
 「いままでの研究というのが現実資本の側からの余剰資金の形成という観点なのですね。オイルマネーひとつにしてもそうですね。現実資本の運動の側から生み出されている貸付可能な貨幣資本がどのようにして投機に向かうのか?は、ブラックボックスですね。『不良資産がいくらあるのかわからん』というのはそういうことですよね。」(「投機・信用資本主義、今後の研究課題」)
 このような逆転は、新自由主義による階級闘争の結果である、という榎原さんの分析に賛成です。では、なぜそのような闘争が開始されたのでしょうか。言い換えるならば、資本の側からの階級闘争が信用資本の支配という形態をとったのはなぜなのでしょうか。本山さん(『金融危機の資本論』)やレオ・パニッチ/サム・ギンディン(『アメリカ帝国主義と金融』)によれば、ニューディール期においてさえ、人事的な相互浸透などにみられるように、一貫して金融資本権力の強化という流れが、アメリカではあったそうです。次にこの点について、『アメリカ帝国主義と金融』の内容を紹介・引用しながら検討してみます。(なお、彼らは―他の論者と同様に―金融資本という概念しかありませんが、それは産業資本と銀行資本の癒着というヒルファーディング的なものではなく、より常識的なもの、すなわち証券会社や投資銀行をも含めた意味での銀行資本と同義であると、考えられます。)



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