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「賃労働の拒否」

1:「賃労働の拒否」
megumi 02/02 14:36
田中さんに刺激されて、次のようなことを考えてみました。

「労働者が、労働力を商品として資本家に売る賃労働を拒否し、新しく働く場を創るとすれば、さしあたってそれは労働者生産協同組合(ワーカーズ・コレクティブ)となる。」(『共産主義』21号(1994年発行)巻頭論文 A 革命の戦術についての提案)

 「賃労働の拒否」を、労働力商品のこと、第一の市場での交換の問題とせず、第二の生産過程での、生産手段への「価値の源泉」としての使用価値労働力の「役立ち」の拒否と考えてみたらどうであろうか・・・?

 しかし、この独自な使用価値は、「それ自身がもつよりも多くの価値の源泉」であることから、必要労働を越えての剰余労働の源泉であることばかりが、歴史的に注視されてきた。
わたしは、「搾取」の源泉のことを述べているのではないのです。<等価物上着の役立ち>を回り道にしての価値関係の形成と同じく、価値の源泉としての使用価値労働力の役立ちを媒介としての、生産手段の物象の人格化として「胸に恋をいだくかのように働き始める活気ある怪物」の生産・資本の生産があるのではないでしょうか?鉄が重さの現象形態として、砂糖体に対して重さ関係の成立に役立つ「文化知」の比喩を思い起こせば、生産手段に資本の形態規定を与える使用価値労働力の「役立ち」の理解は、資本論の記述から素直に理解できるのではないでしょうか?ここに資本関係が成立したのではないでしょうか?資本論の記述は、たしかに、21章にまでいって「単純再生産」として資本関係の再生産が主張されることで、第一の過程が、単なる外観であることが暴露されることでなされるのですが、しかし、事実上は、現実問題として、生産過程で、資本の生産が示されることで、その関係の条件たる、「客体的な労働諸条件と主体的な労働力そのものとの分離」が再生産され、関係が再生産されたのです。(過程の筋書きとしての「証券」を労働者は受け取るに過ぎないのですから、本質的には、貨幣は不用とされているのです.

このような条件のもとで、資本の生産をしないのが、生産協同組合ですね。

<使用価値労働力の役立ちの拒否>の突き詰められた質・内実を、このような点にて理解するならば、価値増殖過程で、生きた労働が、対象化された労働に吸収されることで、その分離の生成が有り、労働過程では、対象諸条件が、労働の手段、材料として労働に役立つ結合=使用価値の生産としてある矛盾も見出せると思うのです。

今日では、コンビナートを見ればわかるように、労働過程は結合しています。更に視野を広げれば、社会的分業が、労働過程の社会的結合としてあります。かってのイギリスでは、水車がそして、ワットの蒸気機関が個別の工場の紡績機械を廻し,ていましたが、今では、原発が蒸気機関となり、数多の地域の自動旋盤を動かしています。つまり、個別企業での労働過程の資本制的編成は、社会的労働過程そのものなのですから、社会的労働過程の内実の変革につながらざるを得ないと思うのです。労働過程の主体は、資本家に管理されているとはいえ労働者です。労働過程の変革は可能だと思うのです。(ある労組は意識していないとはいえ、実践して、水俣のように、水銀などの害を生産しません。)

労働者協同組合で、商品生産の矛盾を、主体者である労働者が、資本制的編成となった労働過程の変革をしていくならばその影響はすざましいものです。(勿論、農業の工業への従属が転換されての内実です。)
消費協同組合・生産協同組合との協働として、価値の源泉としての労働力の役立ちのお断り、の質の形成として、労働組合運動も取り組むことができると思えるのです。



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