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アナリティカル・マルキシズムについて

1:アナリティカル・マルキシズムについて
小澤勝徳 01/26 22:23
 はじめて投稿します。どうぞよろしくお願いします。
 「論争のページ」でメールを送ろうとしたのですが、どうもうまくいきません。メールアドレスを「sakateke]から「sakatake]に変更して送りました。それでよかったのでしょうか。

 アナリティカル・マルキシズムについてさまざまな論争がありますが、その誤りは実に単純です。それは投入・産出の物量関係から価値や価格を論じようとするすべての数理経済学に共通な誤りだと思います。詳しくは「論争のページ」の添付ファイルをみていただければ、幸いに思います。

  商品の第一の条件はその使用価値であり、どのような商品も あれこれの具体的な有用物です。生産の素材的側面をみるかぎり、投入と産出は素材的、技術的に規定されたたんなる物量的な関係です。その素材的要因を無視してどのような有用物も生産されることはありません。たとえば、1トンの鉄を産出しようとすれば、物質量として1トン分の鉄原子を含んだ化合物を投入しなければなりません。数理経済学が主張するように、財がそれ自身で剰余をつくりだす、つまり0.8トンの鉄投入から1 トンの鉄が生産されることは現実には成立しません。
 置塩、森嶋の「マルクスの基本定理」、さらにまた、ボウルズ=ギンタスの「一般化された商品搾取定理」は、はじめから数式として成立しまん。それは純然たる虚構の産物です。置塩が提出した価値方程式そのものが素材的に成立しないからです。それは生産の素材的要因を無視した「投入より産出のほう が大きい」という投入と産出の架空の数量関係でしかありません。
 数理経済学が強調する「純生産可能条件」と呼ばれる剰余の概念が誤っているのです。たしかに経済に剰余が存在することは、再生産が可能であり、社会が存立していくための必要な条件です。しかし、剰余とは、年々生産された生産物の一部分のことであって、投入に対する産出の増大をあらわす概念ではありません。
 この剰余が、再生産が可能であるような投入・産出の数量関係として扱われると、誤った剰余概念に転化します。つまり、「投入されたものより、より多くのものが産出される」という素材的には決して成立しない架空の投入・産出の数量関係が生まれます。この誤った剰余の概念が、置塩・森嶋の「マルクスの基本定理」や「一般化された商品搾取定理」、すなわち、数式をもちいて投入・産出の物量体系から価値を規定しようとするすべての試みの秘密です。
 たしかに「一般化された商品搾取定理」は、置塩・森嶋の「マルクスの基本定理」が無意味であることを示しましたが、それは投入・産出の数量関係から商品の価値を論じようとする自らの数理経済学そのものが成立しないことを示しているのであって、マルクスの労働価値説が成立しないことを示しているのではありません。
 数理経済学は、ただ商品の価値と使用価値を混同させるため構想された架空の経済学です。数理経済学の世界に一旦入ってしまうとその世界で自己完結してしまい、事実が事実としてみえなくなってしまう、それだけのことです。


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