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『近代批判とマルクス」紹介(1)

1:『近代批判とマルクス」紹介(1)
田中 09/26 11:11
 榎原さんのレヴィナス論に触発されて、現在『全体性と無限』を読んでいます。マルクスの反照の弁証法を具体的に理解・展開するためにレヴィナスの「他者」論は非常に示唆に富む内容ですね。同時に全体性に回収されない「同」の捉え方を理論としてレヴィナスに内在しつつ設定しうるのでは、という思いも感じつつあります。
 このような問題意識をいたく刺激してくれる著作に出会いましたので、ここに紹介したいと思います。渡辺憲正著『近代批判とマルクス』(青木書店、1989年)です。この本は1843~45年のマルクスの思想史的展開を当時のヘーゲル左派との論争という文脈の中で位置づけることによって、マルクス理論の現代的・普遍的核心を明らかにしようとするものです。
 渡辺氏はこの時期におけるマルクスの思想史的発展を「近代批判の生成、あるいは理論転換」(p.15)として捉え、その内容を従来の研究史同様に「『民主制』の理論から『人間的解放』の理論」(p.14)として規定します。そのうえで従来の研究が看過していた問題として、「理論転換が本質的に理論の創造でしかありえなかった」(同)とし、その根拠と内容をマルクスの著作に内在することで解明しています。そしてその転換を「新しい唯物論」の生成および共産主義への移行として捉えています。
この本の具体的な内容には今は触れずにおきます。一読しただけで完全に咀嚼しきれていないからです。ただ「マルクスのうちに一貫して見られる視座」(p.20)を紹介しておきましょう。「それは、社会の構造的関係と自己関係のエレメントを区別し、自己関係のエレメントにおいて成立する知、自己関係知に正当な位置を与える、という視座である。」(同)このような問題設定はいにしえの「主体性」論争を想起させるものかもしれません。しかし筆者の問題意識はそのような次元を超えようとしているように思います。少し長いですが引用します(原文中の原語は省略して)。
「自己関係と私がいうのは、人間=個人が世界と自己にたいしてとり結ぶ諸関係の総体のことである。人間は各自の生において、特定の位置=役割を占め、それをとおして社会的に特定の関係態度をとる。そうして人間は、生において他者とかかわり、自己を対象化しつつ、つねに自己自身に還帰する。自己とは、このように対他関係に現れ、反省的に措定される主体としての人間のことである。自己は実体ではなく、対他関係と対自関係の統一的な全体としてある。すなわち、それ自身が一つの関係態である。この自己のつくる関係の総体を自己関係というのである。いま、自己関係が意識的に形成されているかどうかは、かかわりがない。むしろ無意識的にもせよ形成される個人のもつ諸関係を、全体として自己関係と規定する。」(p.21)


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